(473)、 浄土宗略抄

じょうしゅう略抄りゃくしょう 第八だいはち

このたびしょうをはなるゝみち、 じょうにむまるるにすぎたるはなし。 じょうにむまるゝおこなひ、 念仏ねんぶつにすぎたるはなし。 おほかたうきをいでゝ仏道ぶつどうにいるにおほくのもんありといへども、 おほき[にわか]ちてもんいだす。 すなはちしょうどうもんじょう[もんなり。]

はじめにしょうどうもんといは、 このしゃ[かいにありな]がら[まどいを]たち、 さとりをひ[ら]くみちなり。 これにつきてだいじょうしょうどうあり小乗しょうじょうしょうどうあり。 だいじょう0474またあり、 すなはちぶつじょうさつじょうなり。 これらをそうじてじょうとなづく。

たゞしこれらはみな、 このごろわれらがにたえたることにあらず。 このゆへにどうしゃくぜんは、 「しょうどう一種いっしゅは、 こんしょうしがたし」 (安楽集巻上) とのたまへり。 されば、 おのおのゝおこなふやうをもうしてせんなし。 たゞしょうどうもんは、 もんとをくしてさとりがたく、 まどひやすくしてわがぶんにおもひよらぬみちなりとおもひはなつべきなり

つぎにじょうもんといは、 このしゃかいをいとひすてゝ、 いそぎて極楽ごくらくにむまるゝなり。 かのくにゝむまるゝことは、 []ぶつ[の]ちかひにて、 ひと善悪ぜんあくをえらばず、 たゞほとけのちかひをた[の]みたのまざるによるなり。 [こ]のゆへにどうしゃくは、 「じょう一門いちもんのみありて、 つうにゅうすべきみちなり」 (安楽集巻上) とのたまへり。

さればこのごろしょうをはなれんとおもはんひとは、 しょうしがたきしょうどうをすてゝ、 ゆきやすきじょうをねがふべきなり

このしょうどうじょうをば、 なんぎょうどうぎょうどうとなづけたり。 たとへをとりてこれをいふに、 「なんぎょうどうはけわしきみちをかちにてゆくがごとし、 ぎょうどうかいをふねにのりてゆくがごとし」 (十重論観五易行品意) といへり。 あしなえ、 しゐたらんひとは、 かゝるみちにはむかふべからず。 たゞふねにのりてのみ、 むかひのきしにはつくなり

しかるにこのごろのわれらは、 智恵ちえのまなこしゐて、 ぎょうほうのあしおれたるとも0475[が]らなり。 [しょう]どうなんぎょうのけ[は]しきみちには、 そうじてのぞみをたつべし。 たゞ弥陀みだ本願ほんがんのふねにのりて、 しょうのうみをわたり、 極楽ごくらくのきしにつくべきなり。 いまこのふねはすなはち弥陀みだ本願ほんがんにたとふるなり

その本願ほんがんといは、 弥陀みだのむかしはじめて道心どうしんをおこして、 国王こくおうのくらひをすてゝしゅっして、 ほとけになりてしゅじょうをすくはんとおぼしめしゝときじょうをまうけむために、 じゅう八願はちがんをおこしたまひしなかに、 だいじゅうはちがんにいはく、 「もしわれほとけにならんに、 十方じっぽうしゅじょう、 わがくにゝむまれんとねがひて、 わがみょうごうをとなふること、 しもじっしょうにいたるまで、 わが願力がんりきじょうじて、 もしむまれずは、 われ[ほと]けにならじ」 (大経巻上意) と[ち]かひたまひて、 そのがんを[おこなひあら]はして、 [い]ますでにほとけにな[り]て十劫じっこうをへたまへり。

されば善導ぜんどうしゃくには、 「かのほとけ、 いまげんにましましてじょうぶつたまへり。 まさにしるべし、 本誓ほんぜいじゅうがんむなしからず、 しゅじょうしょうねんせばかならずおうじょうすること (礼讃) とのたまへり。 このことはりをおもふに、 弥陀みだ本願ほんがんしんじて念仏ねんぶつもうさんひとは、 おうじょううたがふべからず。

よくよくこのことはりをおもひときて、 いかさまにも、 まづ弥陀みだぶつのちかひをたのみて、 ひとすじに念仏ねんぶつもうして、 ことさとりのひとの、 とかくいひさまたげむにつきて、 ほとけのちかひをうたがふこころゆめゆめ0476あるべからず。

かやうにこころえて、 さきのしょうどうもんはわがぶんにあらずとおもひすてゝ、 このじょうもんにいりて[ひ]とすぢにほとけのちかひをあふぎて、 みょうごうをとなふるを、 じょうもんぎょうじゃとはもうなり。 これをしょうどうじょうもんもうすなり。

つぎにじょうもんにいりておこなふべきぎょうにつきてもうさば、 しんぎょう相応そうおうすべきなり。 すなはち安心あんじんぎょうとなづく。

その安心あんじんといは、 こころづかひのありさまなり。 すなはち ¬かんりょう寿じゅきょう¼ にときていはく、 「もししゅじょうありて、 かのくにゝむまれんとがんずるものは、 三種さんしゅしんをおこしてすなはちおうじょうすべし。 なんをかさんとする。 いちにはじょうしんには深心じんしんさんにはこう発願ほつがんしんなり三心さんしんするものは、 かならずかのくにゝむまる」 といへり。

善導ぜんどうしょう[この三心さんしん]を[しゃく]してのたまはく、 「はじめのじょうしん[といは、] といはしんなりじょうとい[は]じつなり一切いっさいしゅじょうしん口意くいごうしゅせんところのぎょう、 かならず真実しんじつしんのなかになすべきことをあかさんとおもふ。 ほかには賢善けんぜんしょうじんそうげんじて、 うちには虚仮こけをいだくことざれ」 (散善義)

またないみょうあんをきらはず、 かならず真実しんじつをもちゐるがゆへにじょうしん (散善義) とゝかれたるは、 すなはち真実しんじつしんこころなり。 真実しんじつといふは、 にふるまひ、 くちにいひ、 こころおもはんことも、 うちむなしくしてほかをかざるこころなきをいふなり。

せんじては、 まことに穢土えどをいと0477じょうをねがひて、 そう内心ないしん相応そうおうすべきなり。 ほかにはかしこきそうげんじて、 うちにはあくをつくり、 ほかにはしょうじん[の]そうげんじて、 うちにはだいなることなか[れと]いふこころ[なり。 か]る[がゆへ]に 「ほかには賢善けんぜんしょうじんそうげんじて、 う[ち]に虚仮こけをいだくことなかれ」 といへり。

念仏ねんぶつもうさんについて、 ひとには六万ろくまん七万しちまんもうすとろうして、 まことにはさほどもうさずや。 またひとるおりは、 たうとげにして念仏ねんぶつもうすよしをへ、 ひとぬところには、 念仏ねんぶつもうさずなんどするやうなるこころばへなり

さればとて、 わろからんことをもほかにあらはさんがよかるべきことにてはなし。 たゞせんずるところは、 まめやかにほとけのおんこころにかなはんことをおもひて、 うちにまことをおこして、 そうをばげんにしたが[ふべ]きなり

げんにし[た]がふがよきことなれ[ばとて、 やが]て内心ないしんのまこともやぶるゝまで[ふる]まはゞ、 またじょうしんかけたるこころになりぬべし。 たゞうちのこころのまことにて、 ほかをばとてもかくてもあるべきなり。 かるがゆへにじょうしんとなづく。

深心じんしんといは、 すなはち善導ぜんどうしゃくしてのたまはく、 「深心じんしんとはふかくしんずるこころなり。 これにふたつあり。 ひとつにはけつじょうして、 わがはこれ煩悩ぼんのうそくせる罪悪ざいあくしょうぼんなり善根ぜんごんはくしょうにして、 広劫こうごうよりこのかたつねに三界さんがいてんして、 しゅつえんなしと、 ふ0478かくしんずべし。

ふたつにはふかく、 かの弥陀みだぶつじゅう八願はちがんをもてしゅじょうしょうじゅたまふ。 すなはちみょうごうをとなふることしもじっしょうにいたるまで、 かのほとけの願力がんりきじょうじて、 さだ[め]ておう[じょう]をしんじて、 ない一念いちねんもうた[がふこころなきがゆ]へにじん[しんと]なづく」 (散善義意)

また深心じんしんといは、 けつじょう[し]てこころをた[て]ゝ、 ぶつおしえじゅんじてしゅぎょうして、 ながくうたがひをのぞきて、 一切いっさいべつべつぎょうがくけんしゅうのために、 退失たいしつきょうどうせられざれ」 (散善義意) といへり。

このしゃくこころは、 はじめにわがほどしんじて、 のちにはほとけのちかひをしんずるなり。 のちの信心しんじんのために、 はじめのしんをばあぐるなり。 そのゆへは、 おうじょうをねがはんもろもろのひと弥陀みだ本願ほんがん念仏ねんぶつもうしながら、 わが貪欲とんよくしん煩悩ぼんのうをもおこし、 じゅうあくかい罪悪ざいあくをもつくるにおそれて、 みだりにわがをかろしめて、 かえりてほとけの本願ほんがんをうた[が]ふ。

善導ぜんどうは、 かねてこの[う]たがひをかゞみて、 ふたつの信心しんじんのやうをあ[げ]て、 [わ]れらがごときの煩悩ぼんのうをもおこし、 つみをもつくるぼん[な]りとも、 ふかく弥陀みだ本願ほんがんをあふぎて念仏ねんぶつすれば、 じっしょういっしょうにいたるまで、 けつじょうしておうじょうするむねをしゃくたまへり。

ことにはじめのわがしんずるようしゃくたまはざりせば、 われらがこころばへのありさまにては、 いかに念仏ねんぶつもうすとも、 かのほとけの本願ほんがんにかなひが0479たく、 いま一念いちねんじゅうねんおうじょうするといふは、 煩悩ぼんのうをもおこさず、 つみをもつくらぬめでたきひとにてこそらるらめ。 われらごときのともがらにてはよもあらじなんど、 ほどおもひしられて、 おうじょうもたのみが[た]きまであ[や]うくおぼ[へ]ましそうろうに、 この[ふた]つ[の]信心しんじんしゃくたま[ひ]たること、 いみじくにしみておもふべきなり

このしゃくこころえわけぬひとは、 みなわがこころのわろければ、 おうじょうはかなはじなんどこそはもうしあひたれ。 そのうたがひをなすは、 やがておうじょうせぬこころばへなり。 このむねをこころえて、 ながくうたがふこころのあるまじきなりこころ善悪ぜんあくをもかへりみず、 つみの軽重きょうじゅうをも沙汰さたせず、 たゞちに南無なも弥陀みだぶつもうせば、 ぶつのちかひによりて、 かならずおうじょうするぞとけつじょうこころをおこすべきなり

そのけつじょうこころによりて、 おうじょうごうはさだまるなりおうじょうじょうにおもへばじょうなりいちじょうとおもへばいちじょうすることなりせんじては、 ふかくぶつのちかひをたのみて、 いかなるところをもきらはず、 いち[じょう]むかへたまうぞとしんじて、 うた[が]ふこころのなきを深心じんしんとはもうしそうろうなり

いかなるとがをもきらはねばとて、 ほうにまかせてふるまふべきにはあらず。 されば善導ぜんどうも、 「ぜん三業さんごうをば、 真実しんじつしんのなかにすつべし。 ぜん三業さんごうをば、 真実しんじつしんのなかになすべし」 (散善義) とこそはしゃくたまひたれ。 また善業ぜんごうにあらざるをば、 うやまてこれをとをざかれ、 また0480ずいせざれ」 (散善義) なんどしゃくたまひたれば、 こころのおよばんほどはつみをもおそれ、 ぜんにもすゝむべきこととこそはこころえられたれ。

たゞ弥陀みだ本誓ほんぜい善悪ぜんあくをもきらはず、 みょうごうをとなふればかならずむかへたまうぞとしんじ、 みょうごうどくのいかなるとがをも除滅じょめつして、 一念いちねんじゅうねんもかならずおうじょうをうることの、 めで[た]きことをふかくしんじて、 うた[がふこころ]一念いちねん[も]なかれ[といふこころなり。]

またいち[ねんに]おうじょう[す]ればとて、 かならず[しも]一念いちねんにか[ぎる]べからず、 弥陀みだ本願ほんがんこころは、 みょうごうをとなえんこと、 もしはひゃくねんにても、 じゅうじゅうねんにても、 もしは、 [ねんにて]も、 もしはいちねんにても、 もし[は]七日しちにち一日いちにちじっしょうまでも、 信心しんじんをおこして南無なも弥陀みだぶつもうせば、 かならずむかへたまうなり。

そうじてこれをいへば、 かみ念仏ねんぶつもうさんとおもひはじめたらんより、 いのちおはるまでももうすなりなか七日しちにち一日いちにちもうし、 しもじっしょういっしょうまでも弥陀みだ願力がんりきなれば、 かならずおうじょうすべしとしんじて、 いくらほどこそ本願ほんがんなれとさだめず、 [いち]ねんまでもさだめておうじょうすとおもひて、 退たい[てんな]くいのちおはらんまで[もう]すべきなり

またまめやかにおうじょうこころざしありて、 弥陀みだ本願ほんがんをたのみて念仏ねんぶつもうさんひとりんじゅうのわろきこと何事なにごとにかあるべき。 そのゆへは、 ぶつ来迎らいこうたまふゆへは、 ぎょうじゃりんじゅうしょうねんのためなり。 それをこころえぬひとは、 みなわがりんじゅうしょうねんにて念仏ねんぶつもう0481したらんおりぞ、 ほとけはむかへたまふべきとのみこころえたるは、 ぶつ本願ほんがんしんぜず、 きょうもんこころえぬなり

¬しょうさんじょうきょう¼ には、 「慈悲じひをもてくわへたすけて、 こころをしてみだらしめたまはず」 ととかれたるなり。 たゞのときよくよくもうしおきたる念仏ねんぶつによりて、 [か]ならずほとけは来迎らいこうたまなりぶつの[き]たりてげんたまへ[る]を[て、] しょうねんに[はじゅう]すと[もう]すべき[なり。 そ]れに[さき]の念仏ねんぶつをばむなしくおも[ひ]な[し]て、 よしなきりんじゅうしょうねんをのみいのるひとのおほくある、 ゆゝしき僻胤ひがいんことなり。 されば、 ぶつ本願ほんがんしんぜんひとは、 かねてりんじゅうをうたがふこころあるべからず。 とうもうさん念仏ねんぶつをぞ、 いよいよこころをいたしてもうすべき。

いつかはぶつ本願ほんがんにも、 りんじゅうとき念仏ねんぶつもうしたらんひとをのみ、 むかへんとはたてたまひたる。 りんじゅう念仏ねんぶつにておうじょうすともうすことは、 もとはおうじょうをもねがはずして、 ひとへにつみをつくりたる悪人あくにんの、 すでになんとするとき、 はじめてぜんしきのすゝめにあひて、 念仏ねんぶつし[て]おうじょうすとこそ、 ¬かんぎょう¼ にもとかれたれ。

[もと]より念仏ねんぶつしんぜんひとは、 りんじゅう沙汰さたをば[あ]ながちにすべきようもなきことなりぶつ来迎らいこういちじょうならば、 りんじゅうしょうねんは、 またいちじょうとこそはおもふべきことはりなれ。 このこころをよくよくこころをとゞめて、 こころべきことなり

またべつべつぎょうひとにやぶられざれ」 といは、 さとりことに、 おこなひことなら0482ひとのいはんことにつきて、 念仏ねんぶつをもすて、 おうじょうをもうたがふこころなかれといふことなり

さとりことなるひともうすは、 天臺てんだい法相ほっそうとうはっしゅうがくしょうなり。 ぎょうことなるひともうすは、 真言しんごんかん一切いっさいぎょうじゃなり。 これらはしょうどうもんをならひおこなふなりじょうもんぎょうにはことなるがゆへに、 べつべつぎょうとなづくるなり

またそうじておなじく念仏ねんぶつもうひとなれども、 弥陀みだ本願ほんがんをばたのま[ずし]て、 りきをは[げ]みて[ねん]ぶつばかりにてはいかゞおうじょうすべき。 [こと]どくをつくり、 ことほとけに[も]つかへて、 ちからをあはせてこそおうじょうほどだいをばとぐべけれ。 たゞ弥陀みだぶつばかりにては、 かなはじものをなんどうたがひをなし、 いひさまたげんひとのあらんにも、 げにもとおもひて、 一念いちねんもうたがふこころなくて、 いかなることはりをきくとも、 おうじょうけつじょうこころをうしなふことなかれともうなり

ひとにいひやぶらるまじきことはりを、 善導ぜんどうこまかにしゃくたまへり。 こころをとりてもうさば、 たとひぶつましまして、 十方じっぽうかいにあまねくみちみちて、 ひかりをかゞやかししたをのべて、 煩悩ぼんのう罪悪ざいあくぼん念仏ねんぶつしていちじょうおうじょうすといふこと、 ひがごとなりしんずべからずとのたまふとも、 それによりて、 一念いちねんもうたがふべからず。

そ[のゆへは、 ぶつはみな同心どうしん]にしゅじょう引導いんどうたまうに、 すなは[ち]まづ弥陀みだぶつじょうをまうけて、 がんをおこしてのたまはく、 「十方じっぽうしゅじょう、 わがくににむま0483れんとねがひて、 わがみょうごうをとなへんもの、 もしむまれずはしょうがくをとらじ」 (大経巻上意) とちかひたまへるを、 しゃぶつこのかいにいでゝ、 しゅじょうのためにかのぶつがんをときたまへり。

六方ろっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつは、 舌相ぜっそう三千さんぜんかいにおほふて、 虚言きょごんせぬそうげんじて、 しゃぶつ弥陀みだ本願ほんがんをほめて、 一切いっさいしゅじょうをすゝめて、 かのほとけのみょうごうをとなふれば、 さだめておうじょうすとのたま[へる]は、 けつじょうにしてうたがひなきことなり一切いっさい[しゅじょうみ]なこのことしんず[べしと]証誠しょうじょうし[たまへり。]

かく[のごとく]一切いっさい諸仏しょぶつ一仏いちぶつものこらず、 同心どうしん一切いっさいぼん念仏ねんぶつして、 けつじょうしておうじょうすべきむねをすゝめたまへるうゑには、 いづれのぶつまたおうじょうせずとはのたまふべきぞといふことはりをもて、 ぶつきたりてのたまふともおどろくべからずとはもうなり

ぶつなをしかり、 いはんやしょうもん縁覚えんがくをや、 いかにいはんや、 ぼんをやとこころえつれば、 一度ひとたびこの念仏ねんぶつおうじょうしんじてんのちは、 いかなるひと、 とかくいひさまたぐとも、 うたがふこころあるべからずともうことなり。 これを深心じんしんとはもうすなり。

さんこう発願ほつがんしんといは、 善導ぜんどうこれをしゃくしてのたまはく、 「過去かこおよ[び]こんじょうしん口意くいごうしゅ[す]るところのしゅっ善根ぜんごん、 およびしん口意くいごうしゅするところのしゅっ善根ぜんごんずいして、 この自他じた所修しょしゅ善根ぜんごんをもて、 ことごとく真実しんじつ深心じんしんのなかに0484こうして、 かのくににむまれんとねがふなり。 かるがゆへにこう発願ほつがんしんとなづくるなりまたこう発願ほつがんしてむまるといは、 かならずけつじょうして、 真実しんじつしんのなかにこうして、 むまるゝことをうるおもひをなづくるなりこのこころふかくして、 なをし金剛こんごうのごとくして、 一切いっさいけんがくべつべつぎょうひとのために動乱どうらん破壊はえせられざれ」 (散善義) といへり。

このしゃくこころは、 まづわがにつきて、 ぜんにもつくりとつくりたらんどくを、 みなことごとく極楽ごくらくこうして、 おうじょうをねがふなり。 わがどく[の]みならず、 一切いっさいぼんしょうどくなり。 ぼんといは、 ぼんのつくりたらんどくをも、 しょうといは、 ぶつさつのつくりたまはんどくをも、 ずいすればわがどくとなるをも、 みな極楽ごくらくこうして、 おうじょうをねがふなり

せんずるところ、 おうじょうをねがふよりほかに、 異事ことごとをばねがふまじきなり。 わがにもひとにも、 このかいほうをいのり、 またおなじく後世ごせことなれども、 極楽ごくらくならぬじょうにむまれんともねがひ、 もしはにんちゅうてんじょうにむまれんともねがひ、 かくのごとくかれこれにこうすることなかれとなり

もしこのことはりをおもひさだめざらんさきに、 このことをもいのり、 あらぬかたへこうしたらんどくをもみなとりかえして、 いまはひとすぢに極楽ごくらくこうしておうじょうせんとねがふべきなり

一切いっさいどくをみな極楽ごくらくこうせよといへばとて、 また念仏ねんぶつのほかにわざと0485どくをつくりあつめてこうせよといふにはあらず。 たゞすぎぬるかたのどくをも、 いま一向いっこう極楽ごくらくこうし、 このゝちなりとも、 おのづからたよりにしたがひてそうをもようし、 ひとものをもほどこそあたへたらんをも、 つくらんにしたがひて、 みなおうじょうのためにこうすべしといふこころなり

このこころ金剛こんごうのごとくして、 あらぬさとりのひとにおしへられて、 かれこれにこうすることなかれといふなり金剛こんごうはいかにもやぶれぬものなれば、 たとへにとりて、 このこころこう発願ほつがんしてむまるともうすなり

三心さんしんのありさま、 あらあらかくのごとし。 「この三心さんしんしてかな[ら]ずおうじょうす。 もし一心いっしんもかけぬれば、 むまるゝことをえず」 (礼讃) と、 善導ぜんどうしゃくたまひたれば、 もともこのこころそくすべきなり

しかるにかやうにもうしたつるときは、 別々べつべつ[に]して事々ことごとしきやうなれども、 こころえとげばやすく[し]ぬべきこころなりせんじては、 まことのこころありて、 ふかくぶつのちかひをたのみて、 おうじょうをねがはんずるこころなりふかあさことこそかはりめありとも、 たれもおうじょうをもとむるほどひとは、 さほどこころなきことやはあるべき。

かやうのことうとおもへばだいにおぼえ、 とりよりて沙汰さたすればさすがにやすきことなり。 かやうにこまかに沙汰さたし、 しらぬひとしぬべく、 またよくよくしりたるひともかくることありぬべし。 さればこそ、 いやしくおろかなるものゝなかにもおうじょう0486こともあり、 いみじくたとげなるひじりのなかにもりんじゅうわろくおうじょうせぬもあれ。

されども、 これをそくすべきようをもとくとくこころえわけて、 わがこころしたりともしり、 またかけたりともおもはんをば、 かまへてかまへてそくせんとはげむべきことなり。 これを安心あんじんとなづくるなり。 これぞおうじょうするこころのありさまなる。 これをよくよくこころえわくべきなり。

つぎぎょうといは、 善導ぜんどうおんこころによらば、 おうじょうぎょうおほしといへども、 おほきにわかちてとす。 いちには正行しょうぎょうにはぞうぎょうなり

正行しょうぎょうといはこれにまたあまたのぎょうあり。 読誦どくじゅ正行しょうぎょう観察かんざつ正行しょうぎょう礼拝らいはい正行しょうぎょう称名しょうみょう正行しょうぎょう・讃歎よう正行しょうぎょう、 これらをしゅ正行しょうぎょうとなづく。 讃嘆さんだんようとをぎょうとわかつときには、 六種ろくしゅ正行しょうぎょうとももうすなり

この正行しょうぎょうにつきて、 ふさねてとす。 「いちには一心いっしんにもはら弥陀みだみょうごうをとなへて、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがによ[る・]ひるわするゝことなく念々ねんねんにすてざるを、 正定しょうじょうごうとなづく、 かのほとけのがんじゅんずるがゆへに」 (散善義意) といひて、 念仏ねんぶつをもてまさしくさだめたるおうじょうごうにたてゝ、 「もし礼誦らいじゅとうによるをばなづけて助業じょごうとす」 (散善義) といひて、 念仏ねんぶつのほかに弥陀みだぶつらいし、 もしは 「さんきょう」 をよみ、 もしは極楽ごくらくのありさまをかんずるも、 讃嘆さんだんようしたてまつることも、 みな称名しょうみょう念仏ねんぶつをたすけんがためなり。 まさ0487しくさだめたるおうじょうごうは、 たゞ念仏ねんぶつばかりといふなり

このしょうじょとをのぞきて、 ほかのしょぎょうをば、 布施ふせをせんも、 かいをたもたんも、 しょうじんならんも、 ぜんじょうならんも、 かくのごとくのろくまんぎょう、 ¬法花ほけきょう¼ をよみ、 真言しんごんをおこなひ、 もろもろのおこなひをば、 ことごとくみなぞうぎょうとなづく。

たゞ極楽ごくらくおうじょうせんとおもはゞ、 一向いっこう称名しょうみょう正定しょうじょうごうしゅすべきなり。 これすなはち弥陀みだ本願ほんがんぎょうなるがゆへに、 われらがりきにてしょうをはなれぬべくは、 かならずしも本願ほんがんぎょうにかぎるべからずといへども、 りきによらずはおうじょうをとげがたきがゆへに、 弥陀みだ本願ほんがんのちからをかりて、 一向いっこうみょうごうをとなへよと、 善導ぜんどうはすゝめたまへるなり

りきといは、 わがちからをはげみておうじょう[を]もとむるなりりきといは、 たゞぶつのちからをたのみたてまつるなり。 このゆへに正行しょうぎょうぎょうずるものをば、 専修せんじゅぎょうじゃといひ、 ぞうぎょうぎょうずるをば、 雑修ざっしゅぎょうじゃもうすなり

正行しょうぎょうしゅするは、 こころつねにかのくに親近しんごんして憶念おくねんひまなし。 ぞうぎょうぎょうずるものは、 こころつねに間断けんだんす、 こうしてむまるゝことをうべしといへども、 ぞうぎょうとなづく」 (散善義意) といひて、 極楽ごくらくにうときぎょうといへり。

また専修せんじゅのものはじゅうにんじゅうにんながらむまれ、 ひゃくにんひゃくにんながらむまる。 なにをもてのゆへに。 ほかに雑縁ぞうえんなくしてしょうねんをうるがゆへに、 弥陀みだ本願ほんがん相応そうおうするがゆへに、 しゃ0488おしえじゅんずるがゆへなり雑修ざっしゅのものは、 ひゃくにんにはいちにんむまれ、 千人せんにんにはにんむまる。 なにをもてのゆへに。 弥陀みだ本願ほんがん相応そうおうせざるがゆへに、 しゃおしえじゅんぜざるがゆへに、 憶想おくそう間断けんだんするがゆへに、 みょう相応そうおうするがゆへに、 みづからもさへひとおうじょうをもさふるがゆへに」 (礼讃意) しゃくたまひたれば、

善導ぜんどうしんじてじょうしゅうにいらんひとは、 一向いっこう正行しょうぎょうしゅして、 日々にちにちしょに、 一万いちまんまんないまん六万ろくまんじゅうまんをも、 りょうのたへむにしたがひて、 いくらなりともはげみてもうすべきなりとこそこころえられたれ。

それにこれをきゝながら、 念仏ねんぶつのほかにぎょうをくわふるひとのおほくあるは、 こころえられぬことなり。 そのゆへは、 善導ぜんどうのすゝめたまはぬことをばすこしなりともくわふべきどう、 ゆめゆめなきなり。 すゝめたまへる正行しょうぎょうをだにもなをものうきにて、 いまだすゝめたまはぬぞうぎょうをくわふべきことは、 まことしからぬかたもありぬべし。

またつみつくりたるひとだにもおうじょうすれば、 ましてどくなれば ¬法花ほけきょう¼ なんどをよまんは、 なにかはくるしかるべきなんどもうひともあり。 それらはむげにきたなきことなりおうじょうをたすけばこそいみじからめ、 さまたげにならぬばかりを、 いみじきこととてくわへおこなはんことは、 なにかはせんあるべき。

あくをば、 さればぶつおんこころにこのみてつくれとやすゝめたまへる、 かまえてとゞめよとこそ0489いましめたまへども、 ぼんのならひ、 とうのまどひにひかれてあくをつくることはちからおよばぬことなれば、 慈悲じひをおこしてすてたまはぬにこそあれ。 まことにあくをつくるひとのやうに、 ぎょうどものくわへたがらんは、 ちからおよばず。

たゞしきょうなんどをよまんことを、 あくつくるにいひならべて、 それもくるしからねば、 ましてこれもなんどゝいはんは便びんことなり。 ふかきのりもあしくこころうるものにあひぬれば、 かえりてものならずあさましくかなしきことなり。 たゞあらぬさとりのひとの、 ともかくももうさんことをばきゝいれずして、 すゝみぬべからんひとをばこしらへすゝむべし。

さとりたがひてあらぬさまならんひとなんどに、 ろんじあふことなんどは、 ゆめゆめあるまじきことなり。 たゞわが一人ひとり、 まづよくよくおうじょうをねがひて、 念仏ねんぶつをはげみて、 くらいたかくおうじょうして、 いそぎかえりきたりて、 人々ひとびと引導いんどうせんとおもふべきなり

また善導ぜんどうの ¬おうじょう礼讃らいさん¼ に、 「といていはく、 弥陀みだぶつしょうねん礼観らいかんするに、 げんにいかなるどくやくかある。 こたへてい[は]く、 弥陀みだぶつをとなふることいっしょうすれば、 すなはちはちじゅう億劫おくこうじゅうざい除滅じょめつす。

また ¬じゅうおうじょうきょう¼ にいはく、 もししゅじょうありて、 弥陀みだぶつねんじておうじょうをねがふものは、 かのほとけすなはちじゅうさつをつかはして、 ぎょうじゃねんたまふ。 もしはぎょう、 もしは、 もしはじゅう、 もしは、 もしはよる、 も0490しはひる、 一切いっさいとき一切いっさいのところに、 あく悪神あくじんをしてそのたよりをえしめたまはずと。

また ¬かんぎょう¼ にいふごときは、 弥陀みだぶつしょうねんして、 かのくにゝおうじょうせんとおもへば、 かのぶつすなはちしゅぶつしゅ観音かんのんせいさつをつかはして、 ぎょうじゃねんたまふ。 さきのじゅうさつの、 百重ひゃくじゅうせんじゅうぎょうじゃにょうして、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがをとはず、 一切いっさいしょに、 もしはひるもしはよる、 つねにぎょうじゃをはなれたまはず」 と。

またいはく、 「弥陀みだねんじておうじょうせんとおもふものは、 つねに六方ろっぽう恒沙ごうじゃとう諸仏しょぶつのためにねんせらる。 かるがゆへにねんぎょうとなづく。 いますでにこのじょうじょうえん誓願せいがんのたのむべきあり。 もろもろのぶっとう、 いかでかこころをはげまざらんや」 (礼讃) といへり。

かのもんこころは、 弥陀みだ本願ほんがんをふかくしんじて、 念仏ねんぶつしておうじょうをねがふひとをば、 弥陀みだぶつよりはじめたてまつりて、 十方じっぽう諸仏しょぶつさつ観音かんのんせいしゅさつ、 このひとにょうして、 行住ぎょうじゅう坐臥ざが、 よる・ひるをもきらはず、 かげのごとくにそいて、 もろもろの横悩おうなんをなすあく悪神あくじんのたよりをはらひのぞきたまひて、 げんにはよこさまなるわづらひなく安穏あんのんにして、 命終みょうじゅうとき極楽ごくらくかいへむかへたまなり

されば、 念仏ねんぶつしんじておうじょうをねがふひと、 ことさらにあくをはらはんために、 よろづのほとけ・かみにいのりをもし、 つゝしみをもすることは、 なじかはあるべき。 い0491はんや、 ぶつし、 ほうし、 そうするひとには、 一切いっさい神王じんのう恒沙ごうじゃじん眷属けんぞくとして、 つねにこのひとをまぼりたまふといへり。 しかれば、 かくのごときの諸仏しょぶつ諸神しょじんにょうしてまぼりたまはんうゑは、 またいづれのぶつじんありてなやまし、 さまたぐることあらん。

また宿しゅくごうかぎりありて、 うくべからんやまひは、 いかなるもろもろのほとけ・かみにいのるとも、 それによるまじきことなり。 いのるによりてやまひもやみ、 いのちものぶることあらば、 たれかは一人いちにんとしてやみしぬるひとあらん。 いはんや、 またぶつおんちからは、 念仏ねんぶつしんずるものをば、 てんじゅうきょうじゅといひて、 宿しゅくごうかぎりありて、 おもくうくべきやまひを、 かろくうけさせたまふ。 いはんや、 ごうをはらひたまはんことましまさゞらんや。

されば念仏ねんぶつしんずるひとは、 たとひいかなるやまひをうくれども、 みなこれ宿しゅくごうなり。 これよりもおもくこそうくべきに、 ほとけのおんちからにて、 これほどもうくるなりとこそはもうことなれ。 われらが悪業あくごうじんじゅうなるをめっして極楽ごくらくおうじょうするほどだいをすらとげさせたまふ。 ましてこのよにいかほどならぬいのちをのべ、 やまひをたすくるちからましまさゞらんやともうことなり

さればしょうをいのり、 本願ほんがんをたのむこころもうすきひとは、 かくのごとくにょうにもねんにもあづかることなしとこそ、 善導ぜんどうはのたまひたれ。 おなじく念仏ねんぶつすとも、 ふかくしん0492おこして、 穢土えどをいとひ極楽ごくらくをねがふべきことなり。 かまへてこころをとゞめて、 このことはりをおもひほどきて、 一向いっこう信心しんじんをいたして、 つとめさせたまふべきなり

これらはかやうにこまかにもうしのべたるは、 わたくしのことばおほくして、 あやまりやあらんと、 あなづりおぼしめすことゆめゆめあるべからず。 ひとへに善導ぜんどうおんことばをまなび、 ふるきもんしゃくこころをぬきいだしてもうことなり。 うたがひをなすこころなくて、 かまへてこころをとゞめてらんじときて、 こころえさせたまふべきなり。 あなかしこ、 あなかしこ。 このじょうこころえて、 念仏ねんぶつもうさんにすぎたるおうじょうはあるまじきことにてそうろうなり。

ほんにいはく、 このしょはかまくらの二位にいぜんしょうによて、 しるししんぜらるゝしょなり 云云