(695)一、一期物語 一

あるとき物語ものがたりていはく、ようしょうにして登山とうざんす。じゅうしちとしろく十巻じっかんわたる、じゅうはちとしいとまひて遁世とんせいす。これひとへにみょうのぞみち、一向いっこう仏法ぶっぽうがくせんためなり。それよりこのかたじゅうねん天台てんだいいっしゅうしゅうがくして、ほぼいっしゅうたいたり。わがしょうは、大巻だいかんしょといへども、三反さんべんこれをれば、もんくらからず、ぶんあきらかなり。しかるといへどもじゅうねんじゅうねんこうをもつていっしゅう大綱たいこうることあたはず。しかるにしょしゅうきょうそううかがひて、いささか顕密けんみつしょきょうる。はっしゅうほか仏心ぶっしんしゅうくわしゅうわたる。そのなかにたまたま先達せんだつあらばきてこれをけっす、面々めんめんいんこうむる。当初とうしょだい三論さんろん先達せんだつあり、かれにきて所存しょぞんぶ。先達せんだつそうじてものいはず。すでにしかうしてうちりて、文櫃ふみひつじゅうごうだしていはく、わが法門ほうもんぞくすべきひとなし、すでにこの法門ほうもんたっしたまへり。ことごとくこれをぞくしたてまつらん、しょう讃嘆さんだんかたはらいたほどなり。しんにゅうどうしょうぼう同道どうどうしてこれをくと

或時物語云、幼少ニシテ登山。十七年亘↢六十巻↡、十八年乞↠暇遁世。是偏絶↢名利↡、一向為↠学↢仏法↡也。自爾以四十余年、習↢学天臺一宗↡、粗得タリ↢一宗大意↡。我性者、雖↢大巻↡、三反見之者、不闇于文、疑分明也。雖然以↢十年・廿年↡不↠能↠知↢一宗大綱↡。然↢諸宗教相↡、聊知↢顕密諸教↡。八宗之外加↢仏心宗↡亘↢九宗↡。其中適有先達者住而決↠之、面々蒙↢印可↡。当初醍醐有三論先達、住↠彼述↢所存↡。先達総不言。既而↠内、取↢出文櫃十余合↡云、於我法門無↧可↢付属↡之人↥、已↢此法門↡給ヘリ。悉奉ラム↣付↢属之↡、称美讃嘆傍痛程也。進士入道阿性房、同道聞↠之

またぞうしゅんそうもとじゅうして法相ほっそうしゅう法門ほうもんだんぜんときぞうしゅんいはく、直人ただびとにあらず、おそらくは大権だいごんげんか。むかし論主ろんじゅひたてまつるといへども、これをぐべからずとおぼゆるほどなり。智恵ちえ深遠じんのんなることごん道断どうだんせり。わがいちようむかへんとおもこころざしありと 。そののち毎年まいとしもつおくりて、すでに願望がんもうたす。およそ先達せんだつふごとにみなしょうたんせらる。そうじてわれ来到らいとうするところの聖教しょうぎょうないでん目録もくろく一見いっけんせじといふことなし。

又住↢蔵俊僧都↡談ゼン↢法相宗法門↡之時、蔵俊云、非直人、恐大権0696化現歟。雖↠奉ルト↠値↢昔論主↡、不可過之覚程也。智恵深遠ナル事、言語道断セリ。我一期有↧思↠迎ヘムト↢供養↡志↥ 。其後毎年↢供物↡、已↢願望↡。凡毎↠値↢先達↡皆被↢称嘆↡。総吾所↢来到スル↡聖教乃至伝記・目録、無↠コト↢一見↡。

ここにしゅつみちわずらひて身心しんしんやすからず。そもそもしん先徳せんどく ¬おうじょうようしゅう¼ をつくりて、じょく末代まつだい道俗どうぞくすすむ。これにつきてしゅつおもむきたずねんとほっして、まづじょ (巻上) にいはく、「おうじょう極楽ごくらく教行きょうぎょうは、じょく末代まつだい目足もくそくなり。道俗どうぞくせん、たれかせざるものあらん。ただ顕密けんみつきょうほう、そのもんいちにあらず。事理じり業因ごういん、そのぎょうおおし。利智りちしょうじんひと、いまだかたからず。がごときがんのもの、あにへんや。このゆゑに念仏ねんぶつ一門いちもんによりて、そもそもきょうろん要文ようもんあつむ。これをこうむりこれをしゅするに、おぼえやすくぎょうじやすし」 と。

↢出離道↡身心不安。抑恵心先徳造↢¬往生要集¼↡、勧濁世末代道俗。就之欲↠尋↢出離之趣↡、先序云、「往生極楽之教行、濁世末代之目足也。道俗貴賎、誰不帰者。但顕密教法、其文非一。事理業因、其行多。利智精進之人、未難。如豫頑魯之者、豈敢矣。是故依念仏一門、聊集経論要文。被↠之修ルニ↠之、易覚易行。」

じょりゃくいちおうごんじゅつす、この ¬しゅう¼ すでに念仏ねんぶつによるといふこと顕然けんねんなり。ただし念仏ねんぶつそうみょういまだくわしからざればもんりてこれをさぐるに、この ¬しゅう¼ じゅうもんつ。第一だいいちだい第三だいさんもんはこれぎょうたいにあらざればしばらくこれをく。そのもんはこれ念仏ねんぶつにつきてこれをつ。だいしょぎょうおうじょうもん、これはぎょうじゃぎょうまかせて一旦いったんこれをあかすといへども、さらに慇懃おんごん丁寧ていねい勧進かんじんにあらず。だいじゅうもんはこれ問答もんどうりょうけんなれば、またぎょうたいにあらず。念仏ねんぶつもんにつきてこれをりょうけんす。だいはこれしょうしゅ念仏ねんぶつなり、これをもつて念仏ねんぶつたいとす。だいはこれ助念じょねん方法ほうほうなり、念仏ねんぶつをもつて所助じょねんとす、このもんをもつて能助のうじょとす、ゆゑに念仏ねんぶつほんとするなり。第六だいろくべつ念仏ねんぶつなり、じょうごんぎょう勇進ゆうしんするにあたはざれば、日数にっしゅかぎりてかみ念仏ねんぶつつとむるなり。さらに別体べったいにあらず。第七だいしちはこれ念仏ねんぶつやくなり、かみ念仏ねんぶつすすめんがためにやくもんかんがへてこれをぐ。第八だいはちはこれ念仏ねんぶつしょうなり、ほん念仏ねんぶつにありといふことまた顕然けんねんなり。ただししょうしゅ念仏ねんぶつにつきて種々しゅじゅ念仏ねんぶつあり。初心しょしんかんぎょう深奥じんおうへざれば、色想しきそうかんおしふ。色想しきそうかんなかべつ相観そうかんあり、総相そうそうかんあり、ぞうりゃくかんあり、ごくりゃくかんあり、また称名しょうみょうあり。そのなか慇懃おんごんしょうじんことば、ただ称名しょうみょうだんにあり。念門ねんもんにおいてしょうしゅ念仏ねんぶつづくといへども、がんこうはこれぎょうたいにあらず、礼拝らいはい讃嘆さんだんまた観察かんざつにしかず。観察かんざつなか称名しょうみょうにおいて丁寧ていねいにこれをすすめてほんとなすといふこと顕然けんねんなり。ただしひゃくそく百生ひゃくしょうぎょうそうにおいては、どうしゃく善導ぜんどうしゃくゆずりてくわしくこれをべず。このゆゑに ¬おうじょうようしゅう¼ を先達せんだつとなしてじょうもんりて、このしゅうおううかがふに、善導ぜんどうはんこれをるに、おうじょうかたしとおもへり。第三だいさんはんたび乱想らんそうぼん称名しょうみょうぎょうによりておうじょうすべきどうたり。ただししんしゅつにおいて、すでにおもさだおわりぬ。にんのためにこれをひろめんとほっすといへども、時機じきかなひがたきがゆゑ、わずらひてねむゆめなかに、うんおほいにそびえて日本にっぽんこくおおへり。うんちゅうりょうひかりづ、ひかりなかよりひゃっぽうじきとりじゅうまんせり。とき高山こうざんのぼりてたちまちにしょうしん善導ぜんどうひたてまつる。こしよりした金色こんじきなり、こしよりうえじょうにんのごとし。高僧こうそういはく、なんじしょうなりといへども、専修せんじゅ念仏ねんぶつひろむるゆゑ、なんじまえきたれり。われはこれ善導ぜんどうなりと 。それよりのちこのほうひろむ、年々ねんねんはんじょうして、流布るふせざるさかいなきなりと

序者略言↢述一部奥旨↡、此¬集¼已依ルト↢念仏↡云事顕然也。但念仏相貌未委者入↠文探ルニ↠之、此¬集¼立↢十門↡。第一・第二・第三門是非↢行体↡者暫↠之。其余五門是就↢念仏↡立↠之。第九諸行往生門、是↢行者意楽↡一旦雖↠明↠之、更↢慇懃丁寧勧進↡。第十門是問答料簡ナレバ、又非↢行体↡。就↢念仏五門↡料↢簡↡。第四是正修念仏也、以此為↢念仏体↡。第五是助念方法也、以↢念仏↡為↢所助↡、以↢此門↡為↢能助↡、故念仏為↢本意↡也。第六別時念仏也、長時勤行0697↠能↢勇進ルニ↡者、限↢日数↡勤↢上念仏↡也。更非↢別体↡。第七是念仏利益也、為↠勧↢上念仏↡勘↢利益↡挙↠之。第八念仏証拠也、本意在リト↢念仏↡云事又顕然也。但付↢正修念仏↡有↢種々念仏↡。初心観行不↠甚↢深奥↡者、教↢色想観↡。色想観中有↢別相観↡、有↢総相観↡、有↢雑略観↡、有↢極略観↡、又有↢称名↡。其中慇懃精進之言、唯在↢称名之段↡。於五念門雖↠名↢正修念仏↡、作願・廻向是非↢行体↡、礼拝・讃嘆又不↠如↢観察↡。観察中於↢称名↡丁寧↠之為↢本意↡云事顕然也。但於↢百即百生行相↡者、譲↢道綽・善導↡委不述之。是故¬往生要集¼為↢先達↡而入ルニ↢浄土門↡、窺↢此宗奥旨↡、於善導二反見ルニ↠之、思↢往生難↡。第三反タリ↧乱想凡夫依↢称名↡可↢往生↡之道理↥。但於↢自身出離↡、已思定畢。為↢他人↡雖↠欲↠弘↠之、時機難↠叶故、煩而眠、紫雲大ヘリ↢日本国↡。従雲中出↢无量光↡、従↢光中↡百宝色鳥飛散充満セリ。于時昇高山忽↠値↢生身善導↡。従腰下者金色也、従腰上者如↢常人↡。高僧云、汝雖↢不肖ナリト↡、弘専修念仏故、来レリ↢汝前↡。我是善導也 。従其後弘此法、年々繁昌シテ、无↧不↢流布↡之境↥也

0698一、一期物語 二

あるとき物語ものがたりていはく、顕真けんしん座主ざす御許おんもとより使しゃつかはせていはく、登山とうざんついでにかならず見参けんざんぐことあるべしともううけたまわこと、かならず音信いんしんせしめたまへと。よりて坂本さかもといたりてこのよしもうす。座主ざすくだりて対面たいめんせしめひていはく、今度このたびいかんがしょうだつすべきと。こたへていはく、いかようにもおんはからいにはぐべからずと。またいはく、まことにしかなり。ただし先達せんだつなれば、もしおもさだめたるむねあらばしめしたまへと。そのときしんのためにはいささかおもさだめたるむねあり、ただはやおうじょう極楽ごくらくげんとなりと。またいはく、じゅんおうじょうげがたきによりてこのたずねいたす、いかんがたやすくおうじょうげんやと。こたふ。じょうぶつかたしといへども、おうじょうやすきなり。どうしゃく善導ぜんどうこころによらば、ぶつ願力がんりきあおぎて強縁ごうえんとするがゆゑに、ぼんじょうしょうずと 。そののちさらに言説ごんぜつなくしてかえりてのちに、座主ざすおんことばにいはく、法然ほうねんぼう智恵ちえ深遠じんのんなりといへども、いささかへんしゅうしつありと ひときたてこのことかたる。わが不知ふちことをいふには、かならずしんおこすなり。座主ざすこのこときてまことにしかりといひて、われ顕密けんみつきょうにおいてけいむといへども、しかしながらみょうのためぞ、じょうこころざさざるがゆゑにどうしゃく善導ぜんどうしゃくうかがはず。法然ほうねんぼうにあらずはたれひとかかくのごとくはんと。このことばじて大原おおはら隠居いんきょして、ひゃくにちじょうしょうしょたまへり。しかしてのちわれすでに法門ほうもんてたり、来臨らいりんせしめたまへ、これをふと 。このとき東大とうだいしょうにん南無なも弥陀みだぶつは、いまだしゅつみちおもさだめず、ゆゑにこのよしぐ、すなはち弟子でしさんじゅうにんしてきたる。このしゅうして大原おおはらまいる。源空げんくうかたには東大とうだいしょうにんながれ、座主ざす御方おんかたには大原おおはらしょうにんながれて、じょう法門ほうもんぶ。座主ざす一々いちいちりょうして、だんおわりて座主ざすひとつの大願だいがんおこしたまへり。このてらぼうてて一向いっこう専念せんねんぎょう相続そうぞくす、称名しょうみょうほかにさらにぎょうまじへず。そのぎょうひとたびはじまりてすでにこのかたいま退転たいてんせず。たずねてこのもんりてのちいもうとあまぜんすすめんがために、念仏ねんぶつ勧進かんじんしょうそくかる。けん流布るふする ¬顕真けんしんしょうそく¼ といふこれなり。大仏だいぶつしょうにんひとつのぎょうおこしていはく、わがくに道俗どうぞくえんぐうひざまずかんとき校名きょうみょうはるれば、そのとき仏号ぶつごうとなへしめんがために、弥陀みだぶつをつく。わがはすなはち南无なも弥陀みだぶつなりといふ。わがちょう弥陀みだぶつ流布るふすること、このときよりはじまるなりと

或時物語云、従顕真座主御許遣↢使者↡云、登山次遂↢見参↡有可申承之事、必令音信給ヘト。仍↢坂本↡申↢此由↡。座主下令↢対面↡問云、今度何可↣解↢脱生死↡。答云、如何様ニモ不↠可↠過↢御計ニハ↡。又云、実然也。但先達者レバ、若有↢思定旨↡者示。其時為ニハ↢自身↡者聊有↢思定タル旨↡、只早遂↢往生極楽↡也。又云、依↢順次往生キニ↟遂致↢此尋↡、如何遂往生耶。答。成仏雖難、往生易得也。依↢道綽・善導意↡者、仰↢仏願力ルガ↢強縁↡故、凡夫生↢浄土。其後更无↢言説↡而還、座主御言云、法然房雖智恵深遠、聊有↢偏執失↡ 。人来語↢此事↡。ニハ↢於不知之事↡者、必起↢疑心↡也。座主聞↢此事↡誠然、我於↢顕密教↡雖↠積↢稽古↡、併↢名利↡、不↠志↢浄土↡故不↠窺↢道綽・善導↡。非↢法然房誰人如此言。恥↢此言↡隠↢居大原↡、百日見↢浄土章疏↡給ヘリ。然シテ見↢立タリ法門↡、令↢来臨↡給、請↠之 。此時東大寺上人南无阿弥陀仏、未↣思↢定出離↡、故↢此由↡、即具シテ↢弟子三十余人↡而来。具↢此衆↡参↢大原↡。源空之方ニハ東大寺上人居流、座主御方ニハ大原上人居流、述↢浄土法門↡。座主一々領解シテ、談義畢座主発↢一0699大願↡給ヘリ。此寺↢五坊↡相↢続一向専念行↡、称名之外更不↠交↢余行↡。其行一于今不退転。尋入↢此門↡後、為↠勧↢妹尼御前↡、↠書↢念仏勧進之消息↡。流↢布スル世間↡¬顕真消息¼云是也。大仏上人発シテ↢一意楽↡云、我国道俗、跪ヅカン↢閻魔宮↡之時、被↠問↢校名↡、其時為↠令↠唱↢仏号↡、付↢阿弥陀仏名↡。我名即南无阿弥陀仏也云。我朝流↢布コト阿弥陀仏名↡事、自此時始也

一、一期物語 三

あるとき物語ものがたりていはく、当世とうせいひと法門ほうもん分斉ぶんざいまよひて、たやすくしょうだつすべしといふなり。わが肥後ひごじゃといふひとあり、智恵ちえ深遠じんのんひとなり。つらつらしん分斉ぶんざいかえりみるに、このたびしょうだつすべからず。もしこのたびしょうあらたむれば、かくしょう即忘そくもうのゆゑにさだめて仏法ぶっぽうわすれんか。しかれば長命じょうみょうほうけて、そんしゅっつべし。大蛇だいじゃこれじょう寿じゅのものなり、われまさに大蛇だいじゃとなるべし。ただしもし大海だいかいじゅうせば、ちゅうようおそれあるべし。これによりて遠江とおとうみくに笠原かさはらしょううちさくらいけりょう放文はなちぶみりてこのいけじゅうせんとがんず、死期しごみず掌中しょうちゅうれておわりぬ。かのいけにおいてかぜかざるに、にはかに大浪おおなみおのづからおこり、いけなかちりはらぐ。諸人しょにんどくしるして、このよしりょうもうす。そのごろかんがふにかのじゃ逝去せいきょにちたる。智恵ちえあるがゆゑにしょうでがたきをり、道心どうしんあるがゆゑにぶっはんとねがふ。しかれどもじょう法門ほうもんらざるがゆゑにかくのごときぎょうおこす。われそのときこのほうたたらましかば、しんしんかえりみずこの法門ほうもんじゅせまし。当世とうせい仏法ぶっぽうにおいては、道心どうしんあるものおんしょうえんし、道心どうしんなきものはしかしながらみょうもんおもいじゅうす。しんをもつてたやすくしょうづべしといふは、これえん分斉ぶんざいるがゆゑなり。

或時物語云、当世人↢法門分斉↡、云↤輒可↣解↢脱生死↡也。我師有↢肥後阿闍梨云人↡、智恵深遠人也。倩ルニ↢自身分斉↡、此不可解脱生死。若此度改生者、隔生即マウ忘仏法歟。然↢長命報↡、待ベシ↢慈尊出世↡。大蛇長寿者也、吾当↢大蛇↡。但若住↢大海↡、可↠有↢中夭恐↡。依↠此遠江国笠原庄桜陀之池、取↢領家放文↡願↠住↢此池↡、死期乞水入↢掌中↡死畢。於↢彼池↡不↢風吹↡、率大浪自起、払↡。諸人作↢奇特↡注、此由申↢領家↡。勘↢其日比↡当↢彼阿闍梨逝去日時↡。有智恵故知↢生死難出↡、有↢道心↡故↠値↢仏世↡。然而不↠知↢浄土法門↡故発↢如此意楽0700↡。我其時為↠得↢此法↡者、不↠顧↢信不信↡指↢授マシ此法門↡。於↢当世仏法↡者、有↢道心↡者期↢遠生↡、無↢道心↡者併住↢名聞思↡。以↢自身↡輒言↠可↠出↢生死↡者、是知↢機縁分斉↡故也。

一、一期物語 四

あるときいはく、われじょうしゅうつるしゅは、ぼんおうじょうしめさんがためになり。もし天台てんだいきょうそうによらば、ぼんおうじょうゆるすにたりといへども、じょうはんずることいたりて浅薄せんぱくなり。もし法相ほっそうきょうそうによらば、じょうはんずること甚深じんじんなりといへども、まつたくぼんおうじょうゆるさざるなり。しょしゅう所談しょだんことなりといへども、そうじてぼんじょうしょうずるといふことゆるさず。善導ぜんどうしゃくによりてじょうしゅうおことき、すなはちぼんほうしょうずるといふことあらわるるなり。ここにひとおおほうしていはく、しゅうてずといへども、念仏ねんぶつおうじょうすすむべし。いましゅうつること、ただしょうのためなりと 。もしべっしゅうてずは、なんぞぼんほうしょうずるあらわさん。もしひときたりていひて念仏ねんぶつおうじょうとは、これいづれのきょう・いづれのしゅう・いづれのこころぞとはば、天台てんだいにもあらず、法相ほっそうにもあらず、三論さんろんにもあらず、ごんにもあらず、いづれのしゅう・いづれのこころとかこたえんや。このゆゑにどうしゃく善導ぜんどうこころによりてじょうしゅうつ、これまつたくしょうにあらざるなりと

或時云、我立↢浄土宗↡意趣者、為ムガ↢凡夫往生↡也。若依↢天臺教相↡者、雖↠似↠許↢凡夫往生↡、判コト↢浄土↡至浅薄也。若依↢法相教相↡者、判コト↢浄土↡雖甚深、全不↠許↢凡夫往生↡也。諸宗所談雖↠異、総不↠許↧凡夫生↢浄土↡云事↥。依↢善導釈義↡興↢浄土宗↡時、即凡夫生↢報土↡云事顕也。爰人多誹謗シテ云、雖↠不↠立↢宗義↡、可↠勧↢念仏往生↡。今立↢宗義↡事、唯為勝他也 。若不立別宗者、何顕↧凡夫生ズル↢報土↡之義↥。若人来言念仏往生者、是問↢何教・何宗・何師意ゾト↡者、非↢天臺ニモ↡、非↢法相↡、非↢三論↡、非↢花厳↡、答↢何宗・何師トカ↡乎。是故↢道綽・善導↡立↢浄土宗↡、是全非↢勝他↡也 云

一、一期物語 五

あるときしょうにんおこりやみすることありて、種々しゅじゅりょう一切いっさいかなはず。とき月輪つきのわぜんじょう殿でん、おほいにこれをなげきていはく、われ善導ぜんどうえい図絵ずえし、しょうにんまえにおいてこれをようせんと。このよしおおせられあんそうもとつかはし、へんにいはく、聖覚せいかく同日どうにちどうおこりやみつかまつることそうろふ。しかりといへどもしょう報恩ほうおんのためつとめつかまつりまいるべしと。ただ早旦そうたんおんぶつはじめらるべしと たつときより説法せっぽうはじめ、ひつじとき説法せっぽうおわりぬ。どうならびにしょうにんともおこりやみおわりぬ。またその説法せっぽうたいは、だいしゃくそんしゅじょうどうずるときの、つねびょうのうけてたまひき、いはんやぼん血肉けつにく、いかんぞそのうれいなからん。しかりといへどもせんどんしゅじょうは、このどうかえりみず、さだめてしんおもいいだかんか。しょうにんどうすでにぶつかなひて、まのあたりおうじょうげたまふは千万せんばん千万せんばん。しかれば諸仏しょぶつさつ諸天しょてんりゅうじん、いかでかしゅじょうしんなげかざらん。てん大王だいおう仏法ぶっぽうまもるべくは、かならずわがだいしょうにんびょうのういやしたまふべきなり。善導ぜんどうえいまえきょうくんずと そうゆゑに法印ほういんあめくだして聖覚せいかくはこのこともつともどくなりといふと けんひとおほいにおどろきて思議しぎおもいしょうずと

或時上人有↢瘧病コト↡、種々療治一切不叶。于時月輪禅定殿下、大歎↠之云、我図↢絵善導御影↡、於↢上人↡供↢養之↡。此由被仰遣↢安居僧都許↡、御返事云、聖覚同日同時瘧病仕事候。雖然為↢御師匠報恩↡可↠参0701↢勤仕↡。但早旦可↠被↠始↢御仏事。自辰時始↢説法↡、未時説法畢。導師并上人、共瘧病落畢。又其説法大旨、大師・釈尊↢衆生↡時者、恒↢病悩↡給、況ヤ凡夫血肉身、云何无↢其憂↡。雖然浅智愚鈍衆生者、不↠顧↢此道理↡、定懐↢不信之思↡歟。上人化導已↢仏意↡、面遂↢往生↡者千万千万。然者諸仏・菩薩、諸天・竜神、争不↠歎↢衆生不信↡。四天大王可↠守↢仏法↡者、必可↧癒↢我大師上人病悩↡給↥也。善導御影前、異香薫 。僧都云↢故法印下雨挙名聖覚此事尤奇特↡ 。世間人大驚生↢不思議思

一、一期物語 六

●あるときいはく、われ一向いっこう専念せんねんつ、ひとおおそしりていはく、たとひしょぎょうおうじょうゆるすといへども、まつたく念仏ねんぶつおうじょうさわりとなるべからず。なにゆゑぞあながちに一向いっこう専念せんねんつるや、これおほいにへんしゅうなりと。こたふ。このなんはこれこのしゅうらざるかぎりのゆゑなり。¬きょう¼ (大経巻下) にすでに 「一向いっこう専念せんねんりょう寿仏じゅぶつ」 といふがゆゑに、しゃく (散善義) に 「一向いっこうせんしょう弥陀みだぶつみょう」 といふ。経釈きょうしゃくはなれてわたくしにこのてては、まことに所責しょせきりがたし。このなんいたさんとほっするものは、まづしゃくそんほうずべく、つぎ善導ぜんどうほうずべし。そのとがまつたくわがうえにあらず。当初そのかみ弟子でしとがによりて讃岐さぬきくにながさるることあり、そのとき一人いちにん弟子でしたいして一向いっこう専念せんねんぶ。西さい弥陀みだぶつといふ弟子でし推参すいさんしていはく、かくのごときおん、ゆめゆめあるべからざることそうろふ、おのおのへんもうせしめたまふべからずと 。々いはく、なんじ経釈きょうしゃくもんずやと。西さい弥陀みだぶついはく、経釈きょうしゃくもんはしかりといへども、けんげんぞんずるばかりなりと。しょうにんいはく、われくびらるるといへども、このことをいはずはあるべからずと おんしきもつともじょうなり、まてまつる人々ひとびとなみだながしてずいすと

或時云、我立↢一向専念義↡、人多謗云、縦雖↠許↢諸行往生↡、全不↠可↠成↢念仏往生↡。何故↢一向専念義↡耶、此大偏執義也。答。此是不↠知↢此宗↡限故也。¬経¼已云↢「一向専念无量寿仏」故、釈云↢「一向専称弥陀仏名」↡。離↢経釈↡私↢此義↡者、誠所責難↠去。欲↠致↢此難↡者、先可↠謗↢釈尊↡、次可↠謗↢善導↡。其過全非↢我身上↡。当初依↢弟子↡有↧被↠流↢讃岐国↡事↥、其時対↢一人弟子↡述↢一向専念義↡。西阿弥陀仏0702云弟子推参シテ云、如此御義、努々不↠可↠有事候、各不↠可↧令↠申↢御返事↡給↥ 。上人云、汝不↠見↢経釈↡哉。西阿弥陀仏云、経釈文雖然、存ズル↢世間譏嫌↡計也。上人云、我雖↠被↠截↠頚、不↠可↠不↠云↢此事。御気色尤至誠也、奉見人々流涙随喜

一、一期物語 七

●あるとき鎮西ちんぜいよりきたれるしゅぎょうしゃしょうにんひたてまつりていはく、称名しょうみょうときこころぶつ相好そうごうくることは、いかようにかそうろふべしと。しょうにんいまだ言説ごんぜつせざるさきに、かたはらの弟子でししかるべしと しょうにんいはく、源空げんくうはしからず、ただ 「にゃくじょうぶつ十方じっぽうしゅじょうしょうみょうごう下至げしじっしょうにゃくしょうじゃしゅしょうがくぶつこん現在げんざいじょうぶつとう本誓ほんぜいじゅうがん不虚ふこしゅじょうしょうねん必得ひっとくおうじょう (礼讃) おもふばかりなり。わが分斉ぶんざいをもつてぶつ相好そうごうかんずとも、さらにせつのごとくかんずるにあらず。ふか本願ほんがんたのみてくちみょうごうとなふる、ただこのいちのみりょうぎょうにあらざるなりと。しゅぎょうしゃよろこびて退たいしゅつおわりぬと。

或時自↢鎮西↡来レル修行者、奉問上人云、称名之時、係↢心於仏相好↡事、如何様ニカ可候。上人未↢言説↡前、傍弟子可然 。上人云、源空不然、唯思↢「若我成仏、十方衆生、称我名号下至十声、若不生者不取正覚。彼仏今現在世成仏。当知、本誓重願不虚、衆生称念必得往生」↡ (礼讃) 計也。以↢我分斉↡観トモ↢仏相好↡、更非↢如↠説観↡。深↢本願↡口↢名号↡、唯是一事ノミ不↢仮令行↡也。修行者悦退出畢

一、一期物語 八

●あるときひとひていはく、本願ほんがんしゃくするに安心あんじんりゃくする、なんこころかあらんや。しょうにんこたへていはく、「しゅじょうしょうねん必得ひっとくおうじょう (散善義礼讃) るに、ねん三心さんしんそくするなり。このあらわさんがために、かくのごとくしゃくするなりと

或時人問云、釈↢本願↡略スル↢安心↡、有↢何意↡耶。上人答云、知ルニ↢「衆生称念必得往生」↡(散善義礼讃) 、自然具↢足スル三心↡也。為顕此理、如此釈也

一、一期物語 九

●あるひとひていはく、毎日まいにちしょ六万ろくまんじゅうまんとう数返しゅへんててほうなるとまん三万さんまんてて如法にょほうならんと、いづれをかしょうとなすべきやと。こたへていはく、ぼんならいまん三万さんまん数遍しゅへんつといへども、如法にょほうあるべからず。ただ数返しゅへんおおきにはしかず、所詮しょせんこころをして相続そうぞくせしめんがためなり。ただしかならずかずさだむをようとするにはあらず、ただじょうねんのためなり。数返しゅへんさだめざるはだい因縁いんねんなれば、数返しゅへんすすむるなりと

或人問云、毎日所作配↢六万・十万等数返↡而不法ナル与配テヽ↢二万・三万↡如法ムト、何ヲカ可↠為↠正耶。答云、凡夫雖↠配↢二万・三万数遍↡、不可有如法0703。唯不↠如↢数返多ニハ↡、所詮為↠令↢心ヲシテ相続↡也。但必↠数非↠為ニハ↠要、只為↢常念↡也。不↠定↢数返↡者懈怠因縁ナレバ、勧↢数返↡也

一、一期物語 十

●あるときひていはく、智恵ちえもしおうじょうかなめことたるべくは、しょうじきおおせこうむりて修学しゅがくいとなむべし。またもつてたん称名しょうみょうらざるにあるべからずは、そのむねぞんずべし。ただいまおおせをもつて、如来にょらい金言きんげんぞんずべくそうろふと。こたへていはく、おうじょうしょうごうはこれ称名しょうみょうといふことしゃくもんぶんみょうなり。有智うち無智むちえらばずといふことまた顕然けんねんなり。しかればおうじょうのためには称名しょうみょうれりとす。もし学問がくもんこのまんとほっせば、しからず、ただ一向いっこう念仏ねんぶつしておうじょうぐべし。弥陀みだ観音かんのんせいひたてまつるときなん法門ほうもんたっせざる。かのくにしょうごんちゅうちょう甚深じんじんほうく、そのとき見仏けんぶつ聞法もんぼうすべきなり。念仏ねんぶつおうじょうむねらざるほどはこれをがくせ。もしこれをらばいくばくの智恵ちえもとむ、称名しょうみょういとまきらはざれと

或時問云、智恵若可↠為↢往生要事↡、正直蒙↠仰可↠営↢修学↡。又以但称名、不可有不足者、可↠存↢其旨↡。以只今仰、可↠存↢如来金言↡候。答云、往生正業是称名云事、釈文分明也。不↠簡↢有智・無智↡云事又顕然也。然者為往生者称名為足。若欲好学問、不、只一向念仏シテ可↠遂↢往生↡。奉↠値↢弥陀・観音・勢至↡之時、何法門不達。彼国荘厳、昼夜朝暮説↢甚深法↡、可↠期↢其時之見仏・聞法↡也。不↠知↢念仏往生↡之程可↠学↠之。若知↠之者求↢不幾之智恵↡、不↠嫌↢称名↡也

一、一期物語 十一

●あるときいはく、じょうにんおおしといへども、みなだいしんすすめて、観察かんざつしょうとなす。ただ善導ぜんどういっのみだいしんなくしてのおうじょうゆるす、観察かんざつをもつては称名しょうみょう助業じょごうはんずと。当世とうせいひと善導ぜんどうこころによらず、たやすくおうじょうず。曇鸞どんらんどうしゃくかんとう、みなそうじょうにんなりといへども、においてはいまだかならずしもいちじゅんならず、よくよくこれを分別ふんべつすべし。このむねわきまへずは、おうじょうなんにおいてぞんしがたきものなりと

或時云、浄土人師雖↠多、皆勧↢菩提心↡、観察為↠正。唯善導一師ノミ許↧无シテ↢菩提心↡之往生↥、以テハ↢観察↡判↢称名助業↡。当世之人、↠依↢善導↡、輒不↠得↢往生↡。曇鸞・道綽・懐感等、皆雖↠為↢相承人師↡、於↠義者未↢必一准ナラ↡、能々可分別之。不辨此旨者、於↢往生難易↡難存知者也

一、一期物語 十二

●あるときひていはく、ひとおおさいすすむ、このじょういかんと。こたふ。そうじきほうはもつともしかるべきなり。しかりといへども当世とうせいすでにおとろへ、じきすでにめっす。この分斉ぶんざいをもつて、一食いちじきこころひとへにじきおもひ、念仏ねんぶつこころしずかならず。¬だいしんぎょう¼ にいはく、「じきだいしんさまたげず、こころよくだいさまたぐ」 と。そのうへはしんをあひはからふべきなりと

或時問云、人多勧↢持斉↡、此条如何。答。僧尼食作法尤可然也。雖然当0704機已衰、食已滅。以↢此分斉↡、一食心偏思↢食事↡、念仏心不静。¬菩提心経¼云、「食不↠妨↢菩提心↡、心能妨↢菩提↡。」其上自身可↢相計↡也

一、一期物語 十三

●あるときひていはく、だいごうにおいてすでにおもさだおわりぬ。ただいち有様ありよう、いかんがぞんずべくそうろふと。こたへていはく、そうほうだいしょう戒律かいりつにあり。しかりといへども末法まっぽうそうはこれにしたがはず。源空げんくうこれをきんずるに、たれひとかこれにしたがはん。ただ所詮しょせん念仏ねんぶつ相続そうぞくするようにあひはからふべきなり。おうじょうのためには、念仏ねんぶつをすでにしょうごうとなす。ゆゑにこのむねまもりてあひつとむべきなり。さいまつたくしょうごうにあらざるなりと。

或時問云、於↢菩提業↡已思定畢。但一期身之有様、云何可存候。答云、僧作法在↢大小戒律↡。雖然末法僧不↠随↠之。源空禁↠之、誰人随↠之。只所詮念仏相続スル可↢相計↡也。為↢往生↡者、念仏已為↢正業↡。故↢此旨↡可↢相励↡也。持斎全非↢正業↡也。

一、一期物語 十四

●あるとききょうくると発心ほっしんとはおのおのべつなるべきなり。中比なかごろひとりのじゅう山者ざんしゃあり。内々ないないじょう法門ほうもんがくしていはく、われすでにこのきょうたい。しかりといへどもいまだ信心しんじんおこさず、いかなる方法ほうほうをもつてか信心しんじんこんりゅうすべしと おしへていはく、三宝さんぼうしょうせしめたまふべしと。それよりこのかた、慇懃おんごんにこれにしょうす。あるとき東大とうだいまいりて念誦ねんじゅす。たまたまむなぐるたりて、つらつらこれをるに、たちまちに信心しんじん開発かいほつす。たくみなるけいりゃくにあらざるよりは、かのおほいなるものいかんがとうじょうす。いかにいはんや如来にょらいぜんぎょう思議しぎりきをや。われがんしょうこころざしあり、ぶついんじょうがんまします、もつともおうじょうすべし。ひとたびこのどうのちに、ふたたびしんなし。かのひときたりてこのよしかたる、三年さんねんのちおうじょうぐ。かたはらに霊瑞れいずいげんず、不可ふか思議しぎなり。学問がくもんによりて発心ほっしんせずといへども、きょうがいえんによりてしんおこす。ただ慇懃おんごんこころけてつねにゆいすべし、また三宝さんぼういのるべきなりと

或時受ルト↠教↢発心↡可↢各別↡也。中比ナカゴロ有一住山者。内々学↢浄土法門↡云、我已得↢此大旨↡。雖然未↠発↢信心↡、以↢何ナル方法↡建↢立信心↡ 。豫教云、可↧令↣祈↢精三宝↡給↥。自爾以降、慇懃祈↢精之↡。或時参↢東大寺↡念誦。適当↧上↢棟木↡之日↥、倩見↠之、忽信心開発。自↠非↢匠計略↡、彼大物云何居↢棟上↡。何況如来善巧不思議力哉。我有↢願生志↡、仏↢引接願↡、尤可↢往生↡。一↢此道理↡之後、再無↢疑心↡。彼人来語↢此由↡、経↢三年↡之後↢往生↡。旁現↢霊瑞↡、不可思議也。依↢学問↡雖↠不↢発心↡、依↧見↢境界↡之縁↥起↠信。唯慇懃↠心思惟スベシ、又可↠祈↢三宝↡也

一、一期物語 十五

●あるひとひていはく、真言しんごん弥陀みだようほう、これ正行しょうぎょうなるべきやいかんと。こたふ。しかるべからざるなり。いちたりといへども、きょうしたがはばそのこころどうなり。真言しんごんきょう弥陀みだは、これしん如来にょらいなり、ほかたずぬべからず。このきょう弥陀みだは、法蔵ほうぞう比丘びくじょうぶつなり、西方さいほうす。そのこころおほいにことなり。かれはじょうぶつきょうなり、これおうじょうきょうなり。さらにもつてどうずべからずと

0705或人問云、真言阿弥陀供養法、是可↢正行ナル↡哉云何。答。不可然也。雖似一、随↠教其意不同也。真言教阿弥陀、是己心如来ナリ、不↠可↠尋↠外。此教弥陀、法蔵比丘之成仏也、居↢西方↡。其意大ナリ。彼成仏教也、此往生教也。更以不↠可↠同

一、一期物語 十六

●あるときいはく、法門ほうもん善悪ぜんあくしゅうにあるなり、学者がくしゃおおしといへども、しゅう分別ふんべつするものきはめてまれなり。わがちょう真言しんごんふたつのながれあり、いはゆるとう天台てんだいこれなり。そのなか天台てんだい真言しんごんは、そのしゅうとうのごとくにあらず。ゆゑは、一山いちざんうち顕密けんみつきょう兼学けんがくす、そのなかほっしゅうほんとなす。ゆゑに天台てんだいおうはこれすなはち真言しんごんなりといへり。このゆゑにけんしゅうぶんでざる真言しんごんなり。とう真言しんごんは、けんしゅうにおいてあへてかたならぶることなきなり。われしょしゅうきょうそううかがふに、真言しんごん仏心ぶっしん両宗りょうしゅうは、しょしゅうりてしゅうきょうそうとしてしょしゅうはいしてじょうつ。しょしゅうなかしゅういたりては、この両宗りょうしゅうひとしきなきなりと

或時云、法門善悪在↢宗義↡也、学者雖多、分↢別宗義↡者極希也。吾朝真言有↢二流↡、所謂東寺・天臺是也。其中天臺真言、其宗義非↠如↢東寺↡。所以者、一山兼↢学顕密二教↡、其中法花宗為↢本意↡。故天臺奥旨是即真言也ヘリ。是故↠出↢顕宗↡之真言也。東寺真言、於↢顕宗↡敢无↠双コト↠肩也。我闚↢諸宗教相↡、真言・仏心両宗、取↢諸宗↡為↢自宗教相↡而廃シテ↢諸宗↡立↢自定↡。諸宗↢宗義↡者、无↠等↢此両宗↡也

わたくしにいはく、このことばしたにいささか所存しょぞんあるか。¬せんじゃくしゅう¼ にすでに真言しんごん仏心ぶっしんをもつてしょうどうもんるを、じょうしゅうきょうそうとす。しょうどうもんをもつてじょうもんたいしこれをはいしたまふ。その智恵ちえ深遠じんのんなることごん道断どうだんか。

私云、此言聊有↢所存↡歟。¬選択集¼已以↢真言・仏心↡入↢聖道門↡、為↢浄土宗教相↡。以↢聖道門↡対↢浄土門↡而廃之給。其智恵深遠ナル事、言語道断歟。

一、一期物語 十七

●あるがいはく、しょうにんざいしょうとき三井みいでら貫首かんしゅだいそうじょう公胤こういん三巻さんかんしょつくりて ¬せんじゃくしゅう¼ をす、¬じょうけつしょう¼ とづく。そのしょにいはく、「¬ほっ¼ に即往そくおう安楽あんらくもんあり、¬かんぎょう¼ に読誦どくじゅだいじょうあり。¬ほっ¼ を転読てんどくして極楽ごくらくしょうずるになんのさまたげかあらん。しかるに読誦どくじゅだいじょうはいし、ただ念仏ねんぶつぞく。これおほいなるあやまりなり」 と。

或云、上人在生時、三井寺貫首大貳僧正公胤、作↢三巻書↡破↢¬選択集0706¼↡、名↢¬浄土決疑抄¼↡。其書、「¬法花¼有↢即往安楽文↡、¬観経¼有↢読誦大乗句↡。転↢読シテ¬法花¼↡生↢極楽↡有↢何妨↡。然廃↢読誦大乗↡、唯付↢属念仏。是大ナル錯也。」

しょうにんこれをて、おわらずにきていはく、このそうじょうはこれほどひととはおもはず、無下むげ分斉ぶんざいかな。じょうしゅうをいふとかばおもふべし。きょう権実ごんじつじょうはんせんとは、ごんはいじつたつらんとおもふべし。しゅうつときながら、まがりて ¬ほっ¼ をもつて ¬かんぎょう¼ のおうじょうぎょうなかれんとのぞことしゅうはいりゅうわするるにたり。もしのうあり学道がくどうしゃをば、おもふべし、¬かんぎょう¼ はこれぜんきょうなり、かのきょうなかに ¬ほっ¼ をせっすべからずと。いまじょうしゅうこころは、¬かんぎょう¼ ぜんしょだいじょうきょうりて、みなことごとくおうじょうぎょううちせっす、なんぞ ¬ほっ¼ ひとりこれをのこさんや。ことあたらしく ¬かんぎょう¼ のうちるることをのぞむべからず。あまねくせっするこころは、きょう念仏ねんぶつたいしてこれをはいさんがためなりと 使しゃ学仏がくぶつぼうかえりてこのよしかたる、そうじょうくちじて言説ごんぜつせず。かのそうじょうきたりて説法せっぽうついで、さきの ¬じょうけつしょう¼ のらいかたらる。われ今日こんにちこのみぎりのぞこと、ひとへにこのことさんせんがためなりと ちょうもん道俗どうぞくせんずいせざるなし。そののちそうじょうおなじくおうじょうかいおわりぬ、瑞相ずいそうどくにあらずかたはらおおしと

上人見之、不↢見終↡指置云、此僧正此程之人トハ不↠思、無下分斉哉。聞カバ↠言↢浄土宗義↡者可↠思。定↢判ムト権実↡者、可↠思↧廃↠権立↢実義↡覧↥。乍↠聞↠立↢宗義↡、枉↠理以↢¬法花¼↡望↠入↢¬観経¼往生↡事、似タリ↠忘ルニ↢宗義廃立↡。若アリ学道者ヲバ、可↠謂、¬観経¼是爾前教也、彼経中不可摂¬法華¼。今浄土宗意者、取↢¬観経¼前後之諸大乗経↡、皆悉摂↢往生行内↡、何¬法華¼独残之哉。事新不↠可↠望↠入↢¬観経¼内↡。普摂意者、教為↧対↢念仏↡廃↞之。使者学仏房、還語↢此由↡、僧正閉口不言説。彼僧正来説法之次、被↠語↢於前¬浄土決疑抄¼之由来↡。我今日臨↢此砌↡事、偏為懺悔此事也 。聴聞道俗貴賎、無↠不↢随喜↡。其後僧正同遂↢往生素懐↡畢、瑞相非奇特旁多

一、一期物語 十八

あるときいはく、源空げんくう月輪つきのわぜんじょう殿でん まいりしときじゅう山者ざんしゃ一人いちにんまいへり。いささかはばかりあるがゆゑにそのせず ひていはく、まことなるや、じょうしゅうてたまふと。こたへていはく、しかなりと。

或時云、源空参↢月輪禅定殿下↡之時、住山者一人参会ヘリ聊有憚故不載其名 問云0707、誠耶、立浄土宗給。答云、然也。

またひていはく、いづれのもんにつきてこれをてたまふやと。こたへていはく、善導ぜんどうの ¬かんぎょうしょ¼ ぞくしゃくにつきてこれをつるなりと。

又問云、何文立↠之給耶。答云、就↢善導¬観経疏¼付属↡立↠之也。

またいはく、しゅうつるほどこと、なんぞただ一文いちもんによりてこれをてたまふやと。しょうしてものいはず。

又云、立宗義之程事、何タヾ依↢一文↡立↠之給耶。微笑シテ不↢物言↡。

やまかえりてほうぼう法印ほういんまえにおいてこのことかたり、そうじて返答へんとうおよばずといふ。法印ほういんいはく、かのしょうにんものはざるは、そくごんのところのゆゑなり。かのしょうにんはわがしゅうにおいてすでに達者たっしゃたり、あまつさへしょしゅうわたりあまねくしゅうがくせり、智恵ちえ深厚じんこうなることじょうにんにちょうせり。ゆゑに返答へんとうおよばずとおもひ、ものはざるなり。ゆめゆめ僻見へきけんじゅうすべからずと。しょうにんこのこときていはく、かの法印ほういんこと親近しんごんして法問ほうもんだんじたてまつる、ゆゑに智恵ちえ分涯ぶんがいりてかくのごとくいふなり。ことにわが法門ほうもんにおいては、源空げんくうそうじょうこと顕然けんねんなりと。

還↠山於法地房法印前語↢此事↡、総不↠及↢返答↡云。法印云、彼上人不↢物言↡者、処↢不足言↡故也。彼上人於↢我宗↡已為達者、剰亘↢諸宗↡普宗学セリ、智恵深厚ナルコト超↢過セリ常人↡。故思↠不↠及↢返答↡、不↢物言↡也。努力努力不↠可↠住↢僻見↡。上人聞此事云、彼法印殊親近シテ↠談↢法問↡、故↢智恵分涯↡如此云也。殊於↢我法門↡者、相↢承于源空↡之事顕然也。

一、一期物語 一九

あるひとひていはく、つねに廃悪はいあく修善しゅぜんむねぞんじて念仏ねんぶつせんとつねに本願ほんがんむねおも念仏ねんぶつすると、いづれがまさりたるやと。こたふ。廃悪はいあく修善しゅぜんはこれ諸仏しょぶつ通誡つうかいといへども、当世とうせいわれはことごとくくはいせり。もしべっがんじょうぜずは、しょうでがたきものかと

或人問云、常↢廃悪修善↡念仏ムト与↧常思↢本願旨↡念仏スル↥、何タル哉。答。廃悪修善是雖↢諸仏通誡↡、当世我等違背セリ。若不↠乗↢別意弘願↡者、難↠出↢生死↡者歟

一、一期物語 二〇

あるときいはく、なんじ ¬せんじゃくしゅう¼ といふもんありとりたりやいなや。らざるよし、このもんわれつくれるもんなり、なんじこれをるべし。われざいしょうあいだ流布るふすべからざるよしこれをいましむゆゑに人々ひとびとにこれをかくす。これによりてじょうかくぼうほんをもつてこれをうつす。当初そのかみしょうにんれいたまへり。いささかへいとき月輪つきのわぜんじょう殿でんより、おんかたのために要文ようもんあつめこれをたまふべきよしおおせらる。これによりてこの ¬しょ¼ をつくりて進覧しんらんせしめたまふ、この ¬しょ¼ のなかにあるいはじょうもんしょぎょうやくしてろんするところなりといふなり。

或時云、汝有↢¬選択集¼云文↡知リヤ。不知之由、此文我作レル文也、汝可↠見↠之。我存生之間不可流布之由禁↠之故人々秘之。依↠之以↢成覚房↡写之。当初上人、御不例気出来給ヘリ。聊御平癒之時、従↢月輪禅定殿0708下↡、為↢御形見↡集↢要文↡可給之由被↠仰。依↠之造↢此¬書¼↡令進覧給、此¬書¼中或云↧約シテ↢浄土門諸行↡所リト↦比論↥也。

あるいはいはく、じょうしゅうの ¬かんりょう寿じゅきょう¼ のこころなりと。 しょうにんこのこころべていはく、この ¬かんりょう寿じゅきょう¼ は、もし天台てんだいしゅうこころによらばぜんきょうなり。ゆゑに ¬ほっ¼ の方便ほうべんとなる。もし法相ほっそうしゅうこころによらば、べつ時意じいぶるになる。しかるにじょうしゅうこころによらば、一切いっさい教行きょうぎょうはことごとく念仏ねんぶつ方便ほうべんとなる。ゆゑにじょうしゅうの ¬かんりょう寿じゅきょう¼ のこころといふなり。またいはく、しょうどうもんしょぎょうは、みなじょういんしゅしてじょう。ゆゑに念仏ねんぶつきょうするにおよばず。じょうもんしょぎょうは、これ念仏ねんぶつきょうするとき弥陀みだ本願ほんがんにあらず、こうみょうこれを摂取せっしゅせず、しゃくそんぞくしたまはず。ゆゑに (定善義) ぜん非比ひひきょう」 といふなり。しかればどうしゃく善導ぜんどうしゅうはおほいにことなるなり。よくよく一々いちいち分別ふんべつすべし。これをるに、しょうどうじょうもんことなりといへども、ぎょうたいこれいちなり。義意ぎいるべしと

或云、浄土宗¬観無量寿経¼意也。 上人述↢此意↡云、此¬観无量寿経¼、若依↢天臺宗↡爾前教也。故成↢¬法華¼方便↡。若依↢法相宗意↡者、成↠演↢別時意↡。然依↢浄土宗意↡者、一切教行悉成↢念仏方便↡。故浄土宗¬観無量寿経¼意云也。又云、聖道門諸行、皆修↢四乗↡得↢四乗果↡。故不↠及↣比↢挍念仏↡。浄土門諸行者、是比↢挍念仏↡之時、非↢弥陀本願↡、光明不↢摂取↡之、釈尊不↢付属↡。故云↢「全非比挍」也。然道綽・善導宗義大異也。能々一々分別ベシ。知↠之、聖道・浄土二門雖異、行体是一也。義意可知