一(695)、 一期物語

一

▲ある時とき物語ものがたりていはく、 幼よう少しょうにして登山とうざんす。 十じゅう七しちの年とし六ろく十巻じっかんを亘わたる、 十じゅう八はちの年とし暇いとまを乞こひて遁世とんせいす。 これひとへに名みょう利りの望のぞみを絶たち、 一向いっこうに仏法ぶっぽうを学がくせんためなり。

○或時物語云、幼少ニシテ登山ス。十七ノ年亘↢六十巻ヲ↡、十八ノ年乞テ↠暇遁世ス。是偏ニ絶↢名利ノ望ヲ↡、一向為↠学↢仏法ヲ↡也。

それよりこのかた四し十じゅう余よ年ねん、 天台てんだいの一いっ宗しゅうを習しゅう学がくして、 ほぼ一いっ宗しゅうの大たい意いを得えたり。 わが性しょうは、 大巻だいかんの書しょといへども、 三反さんべんこれを見みれば、 文もんに闇くらからず、 義ぎ分ぶん明みょうなり。 しかりといへども十じゅう年ねん・二に十じゅう年ねんの功こうをもつて一いっ宗しゅうの大綱たいこうを知しることあたはず。

◇自爾以来 タ四十余年、習↢学テ天臺一宗ヲ↡、粗得タリ↢一宗ノ大意↡。我性者、雖↢大巻ノ書ト↡、三反見之者、不闇于文、義分明也。雖然以↢十年・廿年ノ功ヲ↡不↠能↠知↢一宗ノ大綱ヲ↡。

しかるに諸しょ宗しゅうの教きょう相そうを窺うかがひて、 いささか顕密けんみつの諸しょ教きょうを知しる。 八はっ宗しゅうのほかに仏心ぶっしん宗しゅうを加くわへ九く宗しゅうに亘わたる。 そのなかにたまたま先達せんだつあらば住ゆきてこれを決けっす、 面々めんめん印いん可かを蒙こうむる。

◇然ニ窺テ↢諸宗ノ教相ヲ↡、聊知↢顕密ノ諸教ヲ↡。八宗之外ニ加↢仏心宗ヲ↡亘↢九宗ニ↡。其中ニ適有先達者住而決ス↠之ヲ、面々蒙↢印可ヲ↡。

そのかみに醍だい醐ごに三論さんろんの先達せんだつあり、 かしこに住ゆきて所存しょぞんを述のぶ。 先達せんだつ総そうじて言ものいはず。 すでにしかうして内うちに入いりて、 文櫃ふみひつ十じゅう余よ合ごうを取とり出いだしていはく、 わが法門ほうもんに付ふ属ぞくすべき人ひとなし、 すでにこの法門ほうもんに達たっしたまへり。 ことごとくこれを付ふ属ぞくしたてまつらん、 称しょう美み讃嘆さんだんかたはら痛いたき程ほどなり。 進しん士し入にゅう道どう阿あ性しょう房ぼう、 同道どうどうしてこれを聞きくと 云々。

◇当初ニ醍醐ニ有三論先達、住テ↠彼ニ述↢所存ヲ↡。先達総不言。既而テ入テ↠内ニ、取↢出文櫃十余合ヲ↡云ク、於我法門ニ無↧可↢付属↡之人↥、已ニ達シ↢此法門ニ↡給ヘリ。悉奉ラム↣付↢属之↡、称美讃嘆傍痛程也。◇進士入道阿性房、同道聞↠之 云云。

また蔵ぞう俊しゅん僧そう都ずの許もとに住じゅうして法相ほっそう宗しゅうの法門ほうもんを談だんぜん時とき、 蔵ぞう俊しゅんいはく、 ただ人びとにあらず、 恐おそらくは大権だいごんの化け現げんか。 昔むかしの論主ろんじゅに値あひたてまつるといへども、 これを過すぐべからずと覚おぼゆる程ほどなり。 智恵ちえ深遠じんのんなる事こと、 言ごん語ご道断どうだんせり。 わが一いち期ご、 供く養ようを迎むかへんと思おもふ志こころざしありと 云々。 その後のち毎年まいとしに供く物もつを送おくりて、 すでに願望がんもうを果はたす。

◇又住↢蔵俊僧都ノ許ニ↡談ゼン↢法相宗ノ法門↡之時、蔵俊云、非直人、恐大権0696ノ化現歟。雖モ↠奉ルト↠値ヒ↢昔ノ論主ニ↡、不可過之覚程也。智恵深遠ナル事、言語道断セリ。我一期有↧思フ↠迎ヘムト↢供養↡志↥ 云云。其後毎年ニ送テ↢供物ヲ↡、已ニ果ス↢願望ヲ↡。

およそ先達せんだつに値あふごとにみな称しょう嘆たんせらる。

◇凡毎ニ↠値フ↢先達ニ↡皆被↢称嘆セ↡。

総そうじて吾われ来到らいとうするところの聖教しょうぎょう乃ない至し伝でん記き・目録もくろく、 一見いっけんせじといふことなし。 ここに出しゅつ離りの道みちに煩わずらひて身心しんしん安やすからず。

◇総吾所ノ↢来到スル↡聖教乃至伝記・目録、無↠不ジコト↢一見↡。爰ニ煩テ↢出離道ニ↡身心不安。

そもそも恵え心しんの先徳せんどく ¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ を造つくりて、 濁じょく世せ末代まつだいの道俗どうぞくを勧すすむ。 これにつきて出しゅつ離りの趣おもむきを尋たずねんと欲ほっして、 まづ序じょ (巻上) にいはく、 「往おう生じょう極楽ごくらくの教行きょうぎょうは、 濁じょく世せ末代まつだいの目足もくそくなり。 道俗どうぞく貴き賎せん、 たれか帰きせざるものあらん。 ただ顕密けんみつの教きょう法ほう、 その文もん一いちにあらず。 事理じりの業因ごういん、 その行ぎょう多おおし。 利智りち精しょう進じんの人ひと、 いまだ難かたからず。 予よがごとき頑がん魯ろのもの、 あに敢あへんや。 このゆゑに念仏ねんぶつの一門いちもんによりて、 いささか経きょう論ろんの要文ようもんを集あつむ。 これを披ひらきこれを修しゅするに、 覚さとりやすく行ぎょうじやすし」 と。 云々

◇抑恵心先徳造テ↢¬往生要集ヲ¼↡、勧濁世末代ノ道俗。就之欲↠尋↢出離之趣ヲ↡、先序云、「往生極楽之教行ハ、濁世末代之目足也。道俗貴賎、誰不帰者。但顕密教法、其文非一。事理業因、其行多。利智精進之人、未難。如豫頑魯之者、豈敢矣。是故依念仏一門、聊集経論要文。披↠之修ルニ↠之、易覚易行。」云云

序じょは略りゃくて一いち部ぶの奥おう旨しを言ごん述じゅつす、 この ¬集しゅう¼ すでに念仏ねんぶつによるといふ事こと顕然けんねんなり。 ただし念仏ねんぶつの相そう貌みょういまだくはしからざれば文もんに入いりてこれを探さぐるに、 この ¬集しゅう¼ 十じゅう門もんを立たつ。 第一だいいち・第だい二に・第三だいさん門もんはこれ行ぎょう体たいにあらざればしばらくこれを置おく。 その余よの五ご門もんはこれ念仏ねんぶつにつきてこれを立たつ。 第だい九くは諸しょ行ぎょう往おう生じょう門もん、 これは行ぎょう者じゃの意い楽ぎょうに任まかせて一旦いったんこれを明あかすといへども、 さらに慇懃おんごん丁寧ていねいの勧進かんじんにあらず。 第だい十じゅう門もんはこれ問答もんどう料りょう簡けんなれば、 また行ぎょう体たいにあらず。

◇序者略テ言↢述一部ノ奥旨ヲ↡、此¬集¼已依ルト↢念仏ニ↡云事顕然也。但念仏ノ相貌未委者入テ↠文探ルニ↠之ヲ、此¬集¼立ツ↢十門↡。第一・第二・第三門ハ是非↢行体ニ↡者暫ク置ク↠之ヲ。其余ノ五門ハ是就テ↢念仏ニ↡立ツ↠之ヲ。第九ハ諸行往生門、是ハ任テ↢行者意楽ニ↡一旦雖↠明ト↠之ヲ、更ニ无シ↢慇懃丁寧ノ勧進ニ↡。第十門ハ是問答料簡ナレバ、又非ズ↢行体ニ↡。

念仏ねんぶつの五ご門もんにつきてこれを料りょう簡けんす。 第だい四しはこれ正しょう修しゅ念仏ねんぶつなり、 これをもつて念仏ねんぶつの体たいとす。 第だい五ごはこれ助念じょねんの方法ほうほうなり、 念仏ねんぶつをもつて所助じょねんとす、 この門もんをもつて能助のうじょとす、 ゆゑに念仏ねんぶつを本ほん意いとするなり。 第六だいろくは別べつ時じ念仏ねんぶつなり、 長じょう時じの勤ごん行ぎょうは勇進ゆうしんするにあたはざれば、 日数にっしゅを限かぎりて上かみの念仏ねんぶつを勤つとむるなり。 さらに別体べったいにあらず。 第七だいしちはこれ念仏ねんぶつの利り益やくなり、 上かみの念仏ねんぶつを勧すすめんがために利り益やくの文もんを勘かんがへてこれを挙あぐ。 第八だいはちはこれ念仏ねんぶつの証しょう拠こなり、 本ほん意い念仏ねんぶつにありといふ事ことまた顕然けんねんなり。

◇就↢念仏ノ五門ニ↡料↢簡ス之ヲ↡。第四ハ是正修念仏也、以此為↢念仏体ト↡。第五ハ是助念ノ方法也、以↢念仏ヲ↡為↢所助ト↡、以↢此門ヲ↡為↢能助ト↡、故ニ念仏ヲ為↢本意ト↡也。第六別時念仏也、長時ノ勤行ハ不0697↠能↢勇進ルニ↡者、限テ↢日数ヲ↡勤↢上ノ念仏ヲ↡也。更ニ非↢別体ニ↡。第七ハ是念仏ノ利益也、為ニ↠勧ガ↢上ノ念仏ヲ↡勘テ↢利益ノ文ヲ↡挙グ↠之。第八ハ是 レ念仏ノ証拠也、本意在リト↢念仏ニ↡云事又顕然也。

ただし正しょう修しゅ念仏ねんぶつにつきて種々しゅじゅの念仏ねんぶつあり。 初心しょしんの観かん行ぎょうは深奥じんおうに甚たへざれば、 色想しきそう観かんを教おしふ。 色想しきそう観かんのなかに別べつの相観そうかんあり、 総相そうそう観かんあり、 雑ぞう略りゃく観かんあり、 極ごく略りゃく観かんあり、 また称名しょうみょうあり。 そのなか慇懃おんごん精しょう進じんの言ことば、 ただ称名しょうみょうの段だんにあり。

◇但付テ↢正修念仏ニ↡有↢種々念仏↡。初心ノ観行ハ不↠甚↢深奥ニ↡者、教↢色想観ヲ↡。色想観中ニ有↢別ノ相観↡、有↢総相観↡、有↢雑略観↡、有↢極略観↡、又有↢称名↡。其中慇懃精進之言、唯在↢称名之段ニ↡。

五ご念門ねんもんにおいて正しょう修しゅ念仏ねんぶつと名なづくといへども、 作さ願がん・回え向こうはこれ行ぎょう体たいにあらず、 礼拝らいはい・讃嘆さんだんまた観察かんざつにしかず。 観察かんざつのなかに称名しょうみょうにおいて丁寧ていねいにこれを勧すすめて本ほん意いとなすといふ事こと顕然けんねんなり。

◇於五念門雖↠名↢正修念仏↡、作願・廻向是非↢行体ニ↡、礼拝・讃嘆又不↠如↢観察ニ↡。観察中ニ於↢称名↡丁寧ニ勧テ↠之為↢本意ト↡云事顕然也。

ただし百ひゃく即そく百生ひゃくしょうの行ぎょう相そうにおいては、 道どう綽しゃく・善導ぜんどうの釈しゃくに譲ゆずりてくはしくこれを述のべず。 このゆゑに ¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ を先達せんだつとなして浄じょう土ど門もんに入いりて、 この宗しゅうの奥おう旨しを窺うかがふに、 善導ぜんどうの二に反へんこれを見みるに、 往おう生じょう難かたしと思おもへり。 第三だいさん反べんのたび乱想らんそうの凡ぼん夫ぶ称名しょうみょうの行ぎょうによりて往おう生じょうすべき道どう理りを得えたり。 ただし自じ身しんの出しゅつ離りにおいて、 すでに思おもひ定さだめおはりぬ。

◇但於↢百即百生ノ行相ニ↡者、譲テ↢道綽・善導ノ釈ニ↡委ク不述之。是故¬往生要集ヲ¼為↢先達ト↡而入ルニ↢浄土門ニ↡、窺↢此宗ノ奥旨ヲ↡、於善導ノ二反見ルニ↠之、思リ↢往生難ト↡。第三反度 ビ得タリ↧乱想ノ凡夫依テ↢称名ノ行ニ↡可↢往生↡之道理ヲ↥。但於↢自身出離ニ↡、已ニ思定畢ヌ。

他た人にんのためにこれを弘ひろめんと欲ほっすといへども、 時機じき叶かなひがたきがゆゑ、 煩わずらひて眠ねむる夢ゆめのなかに、 紫し雲うんおほいに聳そびえて日本にっぽん国こくに覆おおへり。 従し雲うん中ちゅうに無む量りょうの光ひかり出いづ、 光ひかりのなかより百ひゃっ宝ぽう色じきの鳥とり飛とび散ちりて充じゅう満まんせり。 時ときに高山こうざんに昇のぼりてたちまちに生しょう身しんの善導ぜんどうに値あひたてまつる。 腰こしより下したは金色こんじきなり、 腰こしより上うえは常じょう人にんのごとし。 高僧こうそういはく、 汝なんじ不ふ肖しょうの身みなりといへども、 専修せんじゅ念仏ねんぶつを弘ひろむるゆゑに、 汝なんじの前まえに来きたれり。 われはこれ善導ぜんどうなりと 云々。

◇為ニ↢他人ノ↡雖↠欲ト↠弘ト↠之ヲ、時機難ガ↠叶故、煩テ而眠ル夢ノ中ニ、紫雲大ニ聳テ覆ヘリ↢日本国ニ↡。従雲中出↢无量光↡、従↢光ノ中↡百宝色ノ鳥飛散充満セリ。于時昇高山忽ニ奉ル↠値ヒ↢生身ノ善導ニ↡。従腰下者金色也、従腰上者如↢常人ノ↡。高僧云、汝雖モ↢不肖ノ身ナリト↡、弘専修念仏故、来レリ↢汝前ニ↡。我是善導也 云云。

それより後のちこの法ほうを弘ひろむ、 年々ねんねん繁はん昌じょうして、 流布るふせざる境さかいなきなりと 云々。

◇従其後弘此法、年々繁昌シテ、无↧不ル↢流布↡之境↥也 云云。

0698二

ある時とき物語ものがたりていはく、 顕真けんしん座主ざすの御許おんもとより使し者しゃを遣つかはせていはく、 登山とうざんの次ついでにかならず見参けんざんを遂とぐことあるべしと申もうしうけたまはる事こと、 かならず音信いんしんせしめたまへと。 よりて坂本さかもとに到いたりてこの由よしを申もうす。

○或時物語云、従顕真座主御許遣↢使者ヲ↡云、登山次ニ必ズ遂↢見参↡有可申承之事、必令音信給ヘト。仍テ到テ↢坂本↡申ス↢此由↡。

座主ざす下くだりて対面たいめんせしめ問とひていはく、 今度このたびいかんが生しょう死じを解げ脱だつすべきと。 答こたへていはく、 いかやうにも御おん計はからいには過すぐべからずと。

◇座主下テ令↢対面↡問云、今度何ガ可↣解↢脱生死ヲ↡。答云、如何様ニモ不↠可↠過↢御計ニハ↡。

またいはく、 まことにしかなり。 ただし先達せんだつなれば、 もし思おもひ定さだめたる旨むねあらば示しめしたまへと。 その時とき自じ身しんのためにはいささか思おもひ定さだめたる旨むねあり、 ただ早はやく往おう生じょう極楽ごくらくを遂とげんとなりと。

◇又云、実然也。但先達者レバ、若有↢思定旨↡者示シ給ヘ。其時為ニハ↢自身↡者聊有↢思定タル旨↡、只早遂ト↢往生極楽ヲ↡也。

またいはく、 順じゅん次じ往おう生じょうの遂とげがたきによりてこの尋たずねを致いたす、 いかんがたやすく往おう生じょうを遂とげんやと。 答こたふ。 成じょう仏ぶつは難かたしといへども、 往おう生じょうは得えやすきなり。 道どう綽しゃく・善導ぜんどうの意こころによらば、 仏ぶつの願力がんりきを仰あおぎて強縁ごうえんとするがゆゑに、 凡ぼん夫ぶ浄じょう土どに生しょうずと 云々。

◇又云、依↢順次往生ノ難キニ↟遂致↢此尋ヲ↡、如何ガ輒ク遂往生耶。答。成仏ハ雖難、往生ハ易得也。依↢道綽・善導意ニ↡者、仰↢仏ノ願力ヲ↡為スルガ↢強縁ト↡故ニ、凡夫生↢浄土ニ↡ 云云。

その後のちさらに言説ごんぜつなくして還かえりて後のちに、 座主ざす御おん言ことばにいはく、 法然ほうねん房ぼうは智恵ちえ深遠じんのんなりといへども、 いささか偏へん執しゅうの失しつありと 云。 人ひと来きたてこの事ことを語かたる。 わが不知ふちの事ことをいふには、 かならず疑ぎ心しんを起おこすなり。

◇其後更无テ↢言説↡而還テ後ニ、座主御言ニ云、法然房ハ雖智恵深遠、聊有↢偏執失↡ 云。人来テ語↢此事↡。豫ワガ云ニハ↢於不知之事ヲ↡者、必起↢疑心ヲ↡也。

座主ざすこの事ことを聞ききてまことにしかりといひて、 われ顕密けんみつ教きょうにおいて稽けい古こを積つむといへども、 しかしながら名みょう利りのためぞ、 浄じょう土どを志こころざさざるがゆゑに道どう綽しゃく・善導ぜんどうの釈しゃくを窺うかがはず。 法然ほうねん房ぼうにあらずはたれ人ひとかかくのごとく言いはんと。 この言ことばを恥はじて大原おおはらに隠居いんきょして、 百ひゃく日にち浄じょう土どの章しょう疏しょを見みたまへり。 しかして後のちにわれすでに法門ほうもんを見み立たてたり、 来臨らいりんせしめたまへ、 これを請こふと 云々。

◇座主聞↢此事ヲ↡誠然ト云テ、我於↢顕密教ニ↡雖↠積↢稽古ヲ↡、併ラ為ゾ↢名利ノ↡、不↠志↢浄土ヲ↡故ニ不↠窺ハ↢道綽・善導ノ釈ヲ↡。非↢法然房ニ↡者ハ誰人カ如此言ム。恥テ↢此言ヲ↡隠↢居テ大原ニ↡、百日見↢浄土ノ章疏ヲ↡給ヘリ。然シテ後ニ我 レ已ニ見↢立タリ法門ヲ↡、令↢来臨↡給ヘ、請ト↠之 云云。

この時とき東大とうだい寺じの上しょう人にん南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつは、 いまだ出しゅつ離りの道みちを思おもひ定さだめず、 ゆゑにこの由よしを告つぐ、 すなはち弟子でし三さん十じゅう余よ人にんを具ぐして来きたる。 この衆しゅうを具ぐして大原おおはらに参まいる。 源空げんくうの方かたには東大とうだい寺じの上しょう人にん居い流ながれ、 座主ざすの御方おんかたには大原おおはらの上しょう人にん居い流ながれて、 浄じょう土どの法門ほうもんを述のぶ。

◇此時東大寺上人南无阿弥陀仏ハ、未↣思ヒ↢定メ出離ノ道ヲ↡、故ニ告グ↢此由ヲ↡、即具シテ↢弟子三十余人ヲ↡而来ル。具テ↢此衆↡参↢大原ニ↡。源空之方ニハ東大寺上人居流、座主御方ニハ大原上人居流テ、述↢浄土法門↡。

座主ざす一々いちいちに領りょう解げして、 談だん義ぎおはりて座主ざす一ひとつの大願だいがんを発おこしたまへり。 この寺てらに五ご坊ぼうを立たてて一向いっこう専念せんねんの行ぎょうを相続そうぞくす、 称名しょうみょうのほかにさらに余よ行ぎょうを交まじへず。 その行ぎょう一ひとたび始はじまりてすでにこのかた今いまに退転たいてんせず。 尋たずねてこの門もんに入いりて後のち、 妹いもうとの尼あま御ご前ぜんを勧すすめんがために、 念仏ねんぶつ勧進かんじんの消しょう息そくを書かかる。 世せ間けんに流布るふする ¬顕真けんしん消しょう息そく¼ といふこれなり。

◇座主一々ニ領解シテ、談義畢テ座主発シ↢一0699ノ大願↡給ヘリ。此寺ニ立タテ↢五坊ヲ↡相↢続ス一向専念行ヲ↡、称名之外ニ更不↠交↢余行ヲ↡。其行一ビ始テ已来 タ于今不退転。尋入↢此門ニ↡後、為↠勧↢妹ノ尼御前ヲ↡、被ル↠書↢念仏勧進之消息ヲ↡。流↢布スル世間ニ↡¬顕真消息ト¼云是也。

大仏だいぶつ上しょう人にん一ひとつの意い楽ぎょうを発おこしていはく、 わが国くにの道俗どうぞく、 閻えん魔ま宮ぐうに跪ひざまずかん時とき、 校名きょうみょうを問とはるれば、 その時とき仏号ぶつごうを唱となへしめんがために、 阿あ弥陀みだ仏ぶつの名なをつく。 わが名なはすなはち南无なも阿あ弥陀みだ仏ぶつなりといふ。 わが朝ちょうに阿あ弥陀みだ仏ぶつの名なを流布るふする事こと、 この時ときより始はじまるなりと 云々。

◇大仏上人発シテ↢一ノ意楽ヲ↡云ク、我国道俗、跪ヅカン↢閻魔宮ニ↡之時、被↠問↢校名↡者バ、其時為↠令↠唱↢仏号ヲ↡、付ク↢阿弥陀仏名ヲ↡。我名ハ即南无阿弥陀仏也云。我朝ニ流↢布コト阿弥陀仏名ヲ↡事、自此時始也 云云。

三

▼ある時とき物語ものがたりていはく、 当世とうせいの人ひとは法門ほうもんの分斉ぶんざいに迷まよひて、 たやすく生しょう死じを解げ脱だつすべしといふなり。

○或時物語云ク、当世人ハ迷テ↢法門分斉ニ↡、云フ↤輒可↣解↢脱生死ヲ↡也。

わが師しに肥後ひごの阿あ闍じゃ梨りといふ人ひとあり、 智恵ちえ深遠じんのんの人ひとなり。 つらつら自じ身しんの分斉ぶんざいを顧かえりみるに、 このたび生しょう死じを解げ脱だつすべからず。 もしこのたび生しょうを改あらたむれば、 隔きゃく生しょう即忘そくもうのゆゑにさだめて仏法ぶっぽうを忘わすれんか。 しかれば長命じょうみょうの報ほうを受うけて、 慈じ尊そんの出しゅっ世せを待まつべし。 大蛇だいじゃこれ長じょう寿じゅのものなり、 吾われまさに大蛇だいじゃとなるべし。 ただしもし大海だいかいに住じゅうせば、 中ちゅう夭ようの恐おそれあるべし。

◇我師ニ有↢肥後阿闍梨云人↡、智恵深遠ノ人也。倩ラ顧ルニ↢自身ノ分斉ヲ↡、此ノ度 ビ不可解脱生死。若此度改生者、隔生即忘マウノ故ニ定テ忘仏法歟。然バ受テ↢長命報↡、待ベシ↢慈尊ノ出世ヲ↡。大蛇是 レ長寿者也、吾当 ベ ニシ↢大蛇ト↡。但シ若住↢大海↡者バ、可↠有↢中夭ノ恐↡。

これによりて遠江とおとうみの国くに笠原かさはら庄しょうの内うちに桜さくら陀だの池いけ、 領りょう家けの放文はなちぶみを取とりてこの池いけに住じゅうせんと願がんず、 死期しごに水みずを乞こひ掌中しょうちゅうに入いれて死しにおはりぬ。 かの池いけにおいて風かぜ吹ふかざるに、 にはかに大浪おおなみおのづから起おこり、 池いけのなかの塵ちりを払はらひ上あぐ。 諸人しょにん奇き特どくを作なし注しるして、 この由よしを領りょう家けに申もうす。 その日ひ比ごろを勘かんがふにかの阿あ闍じゃ梨り逝去せいきょの日にち時じに当あたる。

◇依↠此遠江国笠原庄ノ内ニ桜陀之池、取↢領家ノ放文ヲ↡願↠住↢此池ニ↡、死期ニ乞水入↢掌中ニ↡死畢ヌ。於↢彼池↡不↢風吹↡、率ニ大浪自ラ起、払ヒ↢上アグ池ノ中ノ塵ヲ↡。諸人作↢奇特↡注テ、此由申↢領家↡。勘↢其日比↡当ル↢彼阿闍梨逝去日時ニ↡。

智恵ちえあるがゆゑに生しょう死じの出いでがたきを知しり、 道心どうしんあるがゆゑに仏ぶっ世せに値あはんと願ねがふ。 しかれども浄じょう土どの法門ほうもんを知しらざるがゆゑにかくのごとき意い楽ぎょうを発おこす。

◇有智恵故ニ知↢生死難出↡、有↢道心↡故ニ願フ↠値ト↢仏世ニ↡。然而不↠知↢浄土法門ヲ↡故発↢如此意楽0700ヲ↡。

われその時ときこの法ほうを得えたらましかば、 信しん不ふ信しんを顧かえりみずこの法門ほうもんに指し授じゅせまし。 当世とうせいの仏法ぶっぽうにおいては、 道心どうしんあるもの遠おん生しょうの縁えんを期ごし、 道心どうしんなきものはしかしながら名みょう聞もんの思おもいに住じゅうす。 自じ身しんをもつてたやすく生しょう死じを出いづべしといふは、 これ機き縁えんの分斉ぶんざいを知しるがゆゑなり。

◇我其時為↠得↢此法↡者、不↠顧↢信不信ヲ↡指↢授マシ此法門ニ↡。於↢当世ノ仏法ニ↡者、有↢道心↡者期↢遠生ノ縁ヲ↡、無キ↢道心↡者ハ併住↢名聞思ニ↡。以↢自身↡輒ク言↠可↠出↢生死ヲ↡者、是知↢機縁分斉ヲ↡故也。

四

ある時ときいはく、 われ浄じょう土ど宗しゅうを立たつる意い趣しゅは、 凡ぼん夫ぶの往おう生じょうを示しめさんがためになり。 もし天台てんだいの教きょう相そうによらば、 凡ぼん夫ぶの往おう生じょうを許ゆるすに似にたりといへども、 浄じょう土どを判はんずることいたりて浅薄せんぱくなり。 もし法相ほっそうの教きょう相そうによらば、 浄じょう土どを判はんずること甚深じんじんなりといへども、 まつたく凡ぼん夫ぶの往おう生じょうを許ゆるさざるなり。 諸しょ宗しゅうの所談しょだん異ことなりといへども、 総そうじて凡ぼん夫ぶの浄じょう土どに生しょうずるといふ事ことを許ゆるさず。 善導ぜんどうの釈しゃく義ぎによりて浄じょう土ど宗しゅうを興おこす時とき、 すなはち凡ぼん夫ぶ報ほう土どに生しょうずるといふ事こと顕あらわるるなり。

○或時云、我立↢浄土宗↡意趣者、為ニ↠示メムガ↢凡夫ノ往生ヲ↡也。若依↢天臺教相↡者、雖↠似ト↠許↢凡夫往生ヲ↡、判コト↢浄土↡至浅薄也。若依↢法相教相ニ↡者、判コト↢浄土↡雖甚深、全ク不↠許↢凡夫ノ往生ヲ↡也。諸宗所談雖↠異、総テ不↠許↧凡夫ノ生↢浄土↡云事↥。依↢善導釈義ニ↡興↢浄土宗ヲ↡時、即凡夫生ト↢報土ニ↡云事顕也。

ここに人ひと多おおく誹ひ謗ほうしていはく、 宗しゅう義ぎを立たてずといへども、 念仏ねんぶつ往おう生じょうを勧すすむべし。 今いま宗しゅう義ぎを立たつる事こと、 ただ勝しょう他たのためなりと 云々。 もし別べっ宗しゅうを立たてずは、 なんぞ凡ぼん夫ぶ報ほう土どに生しょうずる義ぎを顕あらわさん。 もし人ひと来きたりていひて念仏ねんぶつ往おう生じょうとは、 これいづれの教きょう・いづれの宗しゅう・いづれの師しの意こころぞと問とはば、 天台てんだいにもあらず、 法相ほっそうにもあらず、 三論さんろんにもあらず、 花け厳ごんにもあらず、 いづれの宗しゅう・いづれの師しの意こころとか答こたえんや。 このゆゑに道どう綽しゃく・善導ぜんどうの意こころによりて浄じょう土ど宗しゅうを立たつ、 これまつたく勝しょう他たにあらざるなりと 云々。

◇爰人多ク誹謗シテ云、雖↠不↠立↢宗義ヲ↡、可↠勧↢念仏往生ヲ↡。今立ル↢宗義ヲ↡事、唯為勝他也 云云。若不立別宗者、何顕ム↧凡夫生ズル↢報土ニ↡之義ヲ↥。若人来テ言念仏往生者、是問↢何教・何宗・何師意ゾト↡者、非↢天臺ニモ↡、非↢法相↡、非↢三論↡、非↢花厳↡、答↢何宗・何師ノ意トカ↡乎。是故ニ依テ↢道綽・善導ノ意ニ↡立ツ↢浄土宗ヲ↡、是全ク非↢勝他ニ↡也 云云。

五

ある時とき上しょう人にん瘧おこり病やみすることありて、 種々しゅじゅの療りょう治じに一切いっさいに叶かなはず。 時ときに月輪つきのわの禅ぜん定じょう殿でん下か、 おほいにこれを歎なげきていはく、 われ善導ぜんどうの御ご影えいを図絵ずえし、 上しょう人にんの前まえにおいてこれを供く養ようせんと。 この由よしを仰おおせられ安あん居ごの僧そう都ずの許もとへ遣つかはし、 御ご返へん事じにいはく、 聖覚せいかくも同日どうにち同どう時じに瘧おこり病やみつかまつる事こと候そうろふ。 しかりといへども御ご師し匠しょう報恩ほうおんのため勤つとめつかまつり参まいるべしと。 ただ早旦そうたん御おん仏ぶつ事じを始はじめらるべしと 云々。 辰たつの時ときより説法せっぽうを始はじめ、 未ひつじの時ときに説法せっぽうおはりぬ。 導どう師しならびに上しょう人にん、 共ともに瘧おこり病やみ落おちおはりぬ。

○或時上人有↢瘧病コト↡、種々ノ療治ニ一切ニ不叶。于時月輪禅定殿下、大ニ歎↠之云、我図↢絵善導御影ヲ↡、於↢上人ノ前ニ↡供↢養之↡。此由被仰遣↢安居僧都許↡、御返事云ク、聖覚モ同日同時ニ瘧病仕事候。雖然為↢御師匠報恩↡可↠参0701↢勤仕↡。但早旦可↠被↠始↢御仏事ヲ↡ 云云。自辰時始↢説法ヲ↡、未時ニ説法畢ヌ。導師并ニ上人、共ニ瘧病落畢ヌ。

またその説法せっぽうの大たい旨しは、 大だい師し・釈しゃく尊そんも衆しゅ生じょうに同どうずる時ときの、 つねに病びょう悩のうを受うけてたまひき、 いはんや凡ぼん夫ぶ血肉けつにくの身み、 いかんぞその憂うれいなからん。 しかりといへども浅せん智ち愚ぐ鈍どんの衆しゅ生じょうは、 この道どう理りを顧かえりみず、 さだめて不ふ信しんの思おもいを懐いだかんか。 上しょう人にんの化け導どうすでに仏ぶつ意いに称かなひて、 まのあたり往おう生じょうを遂とげたまふは千万せんばん千万せんばん。 しかれば諸仏しょぶつ・菩ぼ薩さつ、 諸天しょてん・竜りゅう神じん、 いかでか衆しゅ生じょうの不ふ信しんを歎なげかざらん。 四し天てん大王だいおう仏法ぶっぽうを守まもるべくは、 かならずわが大だい師し上しょう人にんの病びょう悩のうを癒いやしたまふべきなり。 善導ぜんどうの御ご影えいの前まえ、 異い香きょう薫くんずと 云々。

◇又其ノ説法大旨ハ、大師・釈尊モ同ル↢衆生↡時ノ者、恒ニ受テ↢病悩ヲ↡給キ、況ヤ凡夫血肉身、云何无↢其憂ヘ↡。雖然浅智愚鈍衆生者、不↠顧↢此道理↡、定テ懐↢不信之思ヲ↡歟。上人化導已ニ称テ↢仏意ニ↡、面リ遂↢往生↡者千万千万。然者諸仏・菩薩、諸天・竜神、争不↠歎↢衆生ノ不信↡。四天大王可↠守↢仏法ヲ↡者、必可↧癒シ↢我ガ大師上人ノ病悩ヲ↡給↥也。善導ノ御影ノ前、異香薫 云云。

僧そう都ずゆゑに法印ほういんは雨あめを下くだして名なを挙あぐ聖覚せいかくが身みはこの事こともつとも奇き特どくなりといふと 云々。 世せ間けんの人ひとおほいに驚おどろきて不ふ思議しぎの思おもいを生しょうずと 云々 。

◇僧都云↢故法印ハ下雨挙名聖覚ガ身ハ此事尤奇特↡ 云云。世間ノ人大驚テ生↢不思議思ヲ↡ 云云

六

ある時ときいはく、 われ一向いっこう専念せんねんの義ぎを立たつ、 人ひと多おおく謗そしりていはく、 たとひ諸しょ行ぎょう往おう生じょうを許ゆるすといへども、 まつたく念仏ねんぶつ往おう生じょうの障さわりとなるべからず。 なんがゆゑぞあながちに一向いっこう専念せんねんの義ぎを立たつるや、 これおほいに偏へん執しゅうの義ぎなりと。

○或時云、我立↢一向専念義ヲ↡、人多ク謗云、縦ヒ雖↠許ト↢諸行往生ヲ↡、全ク不↠可↠成↢念仏往生ノ障ト↡。何故ゾ強ニ立ル↢一向専念ノ義↡耶、此大偏執ノ義也。

答こたふ。 この難なんはこれこの宗しゅうを知しらざる限かぎりのゆゑなり。 ¬経きょう¼ (大経巻下) にすでに 「一向いっこう専念せんねん無む量りょう寿仏じゅぶつ」 といふがゆゑに、 釈しゃく (散善義) に 「一向いっこう専せん称しょう弥陀みだ仏ぶつ名みょう」 といふ。 経釈きょうしゃくを離はなれてわたくしにこの義ぎを立たてては、 まことに所責しょせき去さりがたし。 この難なんを致いたさんと欲ほっするものは、 まづ釈しゃく尊そんを謗ほうずべく、 次つぎに善導ぜんどうを謗ほうずべし。 その過とがまつたくわが身みの上うえにあらず。

◇答。此ノ難ハ是不ル↠知↢此宗ヲ↡限故也。¬経ニ¼已云↢「一向専念无量寿仏ト」故、釈ニ云↢「一向専称弥陀仏名ト」↡。離↢経釈↡私ニ立テ↢此義↡者、誠ニ所責難シ↠去リ。欲↠致↢此難ヲ↡者ハ、先可↠謗↢釈尊↡、次ニ可↠謗↢善導↡。其過全ク非↢我身上↡。

そのかみ弟子でしの過とがによりて讃岐さぬきの国くにに流ながさるる事ことあり、 その時とき一人いちにんの弟子でしに対たいして一向いっこう専念せんねんの義ぎを述のぶ。 西さい阿あ弥陀みだ仏ぶつといふ弟子でし推参すいさんしていはく、 かくのごとき御おん義ぎ、 ゆめゆめあるべからざる事ことに候そうろふ、 おのおの御おん返へん事じを申もうせしめたまふべからずと 云々。 上しょう人にんいはく、 汝なんじ経釈きょうしゃくの文もんを見みずやと。 西さい阿あ弥陀みだ仏ぶついはく、 経釈きょうしゃくの文もんはしかりといへども、 世せ間けんの譏き嫌げんを存ぞんずるばかりなりと。 上しょう人にんいはく、 われ頚くびを截きらるるといへども、 この事ことをいはずはあるべからずと 云々。 御おん気け色しきもつとも至し誠じょうなり、 見みまてまつる人々ひとびと涙なみだを流ながして随ずい喜きすと 云々。

◇当初依↢弟子ノ過ニ↡有↧被↠流↢讃岐国↡事↥、其時対↢一人弟子↡述↢一向専念義ヲ↡。西阿弥陀仏0702ト云弟子推参シテ云、如此御義、努々不↠可↠有事ニ候、各不↠可↧令↠申↢御返事ヲ↡給↥ 云云。上人云、汝不↠見↢経釈ノ文ヲ↡哉。西阿弥陀仏云、経釈文ハ雖然、存ズル↢世間ノ譏嫌ヲ↡計也。上人云ク、我雖↠被↠截↠頚、不↠可↠不↠云↢此事ヲ↡ 云云。御気色尤至誠也、奉見人々流涙随喜 云云。

七

ある時とき鎮西ちんぜいより来きたれる修しゅ行ぎょう者しゃ、 上しょう人にんに問とひたてまつりていはく、 称名しょうみょうの時とき、 心こころを仏ぶつの相好そうごうに係かくる事ことは、 いかやうにか候そうろふべしと。 上しょう人にんいまだ言説ごんぜつせざる前さきに、 かたはらの弟子でししかるべしと 云々。

○或時自↢鎮西↡来レル修行者、奉問上人云、称名之時、係↢心ヲ於仏ノ相好ニ↡事ハ、如何様ニカ可候。上人未ダル↢言説↡前ニ、傍弟子可然 云云。

上しょう人にんいはく、 源空げんくうはしからず、 ただ 「若にゃく我が成じょう仏ぶつ、 十方じっぽう衆しゅ生じょう、 称しょう我が名みょう号ごう下至げし十じっ声しょう、 若にゃく不ふ生しょう者じゃ不ふ取しゅ正しょう覚がく。 彼ひ仏ぶつ今こん現在げんざい世せ成じょう仏ぶつ。 当とう知ち、 本誓ほんぜい重じゅう願がん不虚ふこ、 衆しゅ生じょう称しょう念ねん必得ひっとく往おう生じょう」 (礼讃) と思おもふばかりなり。 わが分斉ぶんざいをもつて仏ぶつの相好そうごうを観かんずとも、 さらに説せつのごとく観かんずるにあらず。 深ふかく本願ほんがんを憑たのみて口くちに名みょう号ごうを唱となふる、 ただこの一いち事じのみ仮け令りょうの行ぎょうにあらざるなりと。 修しゅ行ぎょう者しゃ悦よろこびて退たい出しゅつしおはりぬと。

◇上人云、源空ハ不然、唯思フ↢「若我成仏、十方衆生、称我名号下至十声、若不生者不取正覚。彼仏今現在世成仏。当知、本誓重願不虚、衆生称念必得往生ト」↡計也。以↢我分斉ヲ↡観トモ↢仏ノ相好ヲ↡、更非↢如ク↠説観ニ↡。深ク憑テ↢本願↡口ニ唱ル↢名号ヲ↡、唯是一事ノミ不↢仮令行↡也。修行者悦テ退出畢ヌ。

八

ある時とき人ひと問とひていはく、 本願ほんがんを釈しゃくするに安心あんじんを略りゃくする、 なんの意こころかあらんや。 上しょう人にん答こたへていはく、 「衆しゅ生じょう称しょう念ねん必得ひっとく往おう生じょう」 (散善義礼讃) と知しるに、 自じ然ねんに三心さんしんを具ぐ足そくするなり。 この理りを顕あらわさんがために、 かくのごとく釈しゃくするなりと 云々。

○或時人問云、釈ニ↢本願ヲ↡略スル↢安心ヲ↡、有↢何意カ↡耶。上人答云、知ルニ↢「衆生称念必得往生ト」↡、自然ニ具↢足スル三心ヲ↡也。為顕此理、如此釈也 云云。

九

ある人ひと問とひていはく、 毎日まいにちの所しょ作さに六万ろくまん・十じゅう万まん等とうの数返しゅへんを配あてて不ふ法ほうなると二に万まん・三万さんまんを配あてて如法にょほうならんと、 いづれをか正しょうとなすべきやと。

○或人問云、毎日所作配↢六万・十万等ノ数返ヲ↡而不法ナル与配テヽ↢二万・三万ヲ↡如法ムト、何ヲカ可↠為↠正ト耶。

答こたへていはく、 凡ぼん夫ぶの習ならい、 二に万まん・三万さんまんの数遍しゅへんを配あつといへども、 如法にょほうの義ぎあるべからず。 ただ数返しゅへん多おおきにはしかず、 所詮しょせん心こころをして相続そうぞくせしめんがためなり。 ただしかならず数かずを定さだむを要ようとするにはあらず、 ただ常じょう念ねんのためなり。 数返しゅへんを定さだめざるは懈け怠だいの因縁いんねんなれば、 数返しゅへんを勧すすむるなりと 云々。

◇答云、凡夫ノ習ヒ雖↠配↢二万・三万数遍ヲ↡、不可有如法ノ義0703。唯不↠如↢数返多ニハ↡、所詮為↠令↢心ヲシテ相続↡也。但必ズ定ヲ↠数ヲ非↠為ニハ↠要ト、只為↢常念↡也。不↠定↢数返ヲ↡者懈怠ノ因縁ナレバ、勧ル↢数返ヲ↡也 云云。

十

ある時とき問とひていはく、 智恵ちえもし往おう生じょうの要かなめの事ことたるべくは、 正しょう直じきに仰おおせを蒙こうむりて修学しゅがくを営いとなむべし。 またもつて但たん称名しょうみょう、 足たらざるにあるべからずは、 その旨むねを存ぞんずべし。 ただ今いまの仰おおせをもつて、 如来にょらいの金言きんげんと存ぞんずべく候そうろふと。

○或時問云、智恵若可↠為↢往生ノ要事↡、正直ニ蒙↠仰可↠営↢修学ヲ↡。又以但称名、不可有不足者、可↠存↢其旨↡。以只今仰、可↠存↢如来金言ト↡候。

答こたへていはく、 往おう生じょうの正しょう業ごうはこれ称名しょうみょうといふ事こと、 釈しゃく文もん分ぶん明みょうなり。 有智うち・無智むちを簡えらばずといふ事ことまた顕然けんねんなり。 しかれば往おう生じょうのためには称名しょうみょう足たれりとす。 もし学問がくもんを好このまんと欲ほっせば、 しからず、 ただ一向いっこうに念仏ねんぶつして往おう生じょうを遂とぐべし。 弥陀みだ・観音かんのん・勢せい至しに値あひたてまつる時とき、 何なんの法門ほうもんか達たっせざる。 かの国くにの荘しょう厳ごん、 昼ちゅう夜や朝ちょう暮ぼに甚深じんじんの法ほうを説とく、 その時ときの見仏けんぶつ・聞法もんぼうを期ごすべきなり。 念仏ねんぶつ往おう生じょうの旨むねを知しらざる程ほどはこれを学がくせ。 もしこれを知しらばいくばくの智恵ちえを求もとむ、 称名しょうみょうの暇いとまを嫌きらはざれと 云々。

◇答云、往生ノ正業ハ是称名ト云事、釈文分明也。不↠簡↢有智・無智ヲ↡云事又顕然也。然者為往生者称名為足。若欲好学問、不、只一向ニ念仏シテ可↠遂↢往生↡。奉↠値↢弥陀・観音・勢至ニ↡之時、何ノ法門カ不達。彼国荘厳、昼夜朝暮ニ説↢甚深ノ法↡、可↠期↢其時之見仏・聞法ヲ↡也。不↠知↢念仏往生ノ旨ヲ↡之程可↠学↠之ヲ。若知↠之者求↢不幾之智恵ヲ↡、不↠嫌↢称名ノ暇ヲ↡也 云云。

十一

ある時ときいはく、 浄じょう土どの人にん師し多おおしといへども、 みな菩ぼ提だい心しんを勧すすめて、 観察かんざつを正しょうとなす。 ただ善導ぜんどう一いっ師しのみ菩ぼ提だい心しんなくしての往おう生じょうを許ゆるす、 観察かんざつをもつては称名しょうみょうの助業じょごうと判はんずと。 当世とうせいの人ひと、 善導ぜんどうの意こころによらず、 たやすく往おう生じょうを得えず。 曇鸞どんらん・道どう綽しゃく・懐え感かん等とう、 みな相そう承じょうの人にん師しなりといへども、 義ぎにおいてはいまだかならずしも一いち准じゅんならず、 よくよくこれを分別ふんべつすべし。 この旨むねを辨わきまへずは、 往おう生じょうの難なん易いにおいて存ぞん知じしがたきものなりと 云々。

○或時云、浄土ノ人師雖↠多ト、皆勧テ↢菩提心ヲ↡、観察ヲ為↠正ト。唯善導一師ノミ許↧无シテ↢菩提心↡之往生ヲ↥、以テハ↢観察ヲ↡判ト↢称名ノ助業ト↡。当世之人、不ズ↠依↢善導ノ意ニ↡、輒ク不↠得↢往生ヲ↡。曇鸞・道綽・懐感等、皆雖↠為↢相承ノ人師↡、於↠義者未↢必一准ナラ↡、能々可分別之。不辨此旨者ハ、於↢往生ノ難易ニ↡難存知者也 云云。

十二

ある時とき問とひていはく、 人ひと多おおく持じ斉さいを勧すすむ、 この条じょういかんと。 答こたふ。 僧そう尼にの食じき作さ法ほうはもつともしかるべきなり。 しかりといへども当世とうせいは機きすでに衰おとろへ、 食じきすでに滅めっす。 この分斉ぶんざいをもつて、 一食いちじきは心こころひとへに食じき事じを思おもひ、 念仏ねんぶつの心こころ静しずかならず。 ¬菩ぼ提だい心しん経ぎょう¼ にいはく、 「食じきは菩ぼ提だい心しんを妨さまたげず、 心こころよく菩ぼ提だいを妨さまたぐ」 と。 そのうへは自じ身しんをあひ計はからふべきなりと 云々。

○▼或時問云、人多勧ム↢持斉↡、此条如何。答。僧尼ノ食作法ハ尤可然也。雖然当0704世ハ機已衰ヘ、食已滅ス。以↢此分斉↡、一食者ハ心偏ニ思↢食事ヲ↡、念仏ノ心不静。¬菩提心経¼云、「食ハ不↠妨↢菩提心↡、心能妨↢菩提ヲ↡。」其上ハ自身ヲ可↢相計↡也 云云。

十三

ある時とき問とひていはく、 菩ぼ提だいの業ごうにおいてすでに思おもひ定さだめおはりぬ。 ただ一いち期ごの身みのありやう、 いかんが存ぞんずべく候そうろふと。 答こたへていはく、 僧そうの作さ法ほうは大だい小しょうの戒律かいりつにあり。 しかりといへども末法まっぽうの僧そうはこれに随したがはず。 源空げんくうこれを禁きんずるに、 たれひとかこれに随したがはん。 ただ所詮しょせん念仏ねんぶつの相続そうぞくするやうにあひ計はからふべきなり。 往おう生じょうのためには、 念仏ねんぶつをすでに正しょう業ごうとなす。 ゆゑにこの旨むねを守まもりてあひ励はげむべきなり。 持じ斎さいまつたく正しょう業ごうにあらざるなりと。

○或時問云、於↢菩提業ニ↡已思定畢ヌ。但一期ノ身之有様、云何ガ可存候。答云、僧ノ作法ハ在↢大小ノ戒律ニ↡。雖然末法僧ハ不↠随↠之。源空禁↠之、誰人随ム↠之。只所詮念仏ノ相続スル様ニ可↢相計↡也。為↢往生ノ↡者、念仏ヲ已為↢正業ト↡。故ニ守テ↢此旨ヲ↡可↢相励↡也。持斎全ク非↢正業↡也。

十四

ある時とき教きょうを受うくると発心ほっしんとはおのおの別べつなるべきなり。 なかごろ一ひとりの住じゅう山者ざんしゃあり。 内々ないない浄じょう土どの法門ほうもんを学がくしていはく、 われすでにこの教きょうの大たい旨しを得う。 しかりといへどもいまだ信心しんじんを発おこさず、 いかなる方法ほうほうをもつてか信心しんじんを建こん立りゅうすべしと 云々。

○或時受ルト↠教与トハ↢発心↡可↢各別↡也。中比ナカゴロ有一ノ住山者。内々学テ↢浄土法門ヲ↡云ク、我已ニ得↢此ノ教ノ大旨ヲ↡。雖然未↠発↢信心ヲ↡、以カ↢何ナル方法ヲ↡建↢立信心↡ 云云。

予よ教おしへていはく、 三宝さんぼうに祈き精しょうせしめたまふべしと。 それよりこのかた、 慇懃おんごんにこれを祈き精しょうす。

◇豫教テ云、可↧令↣祈↢精三宝ニ↡給↥。自爾以降、慇懃ニ祈↢精之↡。

ある時とき東大とうだい寺じに参まいりて念誦ねんじゅす。 たまたま棟むな木ぎを上あぐる日ひに当あたりて、 つらつらこれを見みるに、 たちまちに信心しんじん開発かいほつす。 匠たくみなる計けい略りゃくにあらざるよりは、 かのおほいなる物ものいかんが棟とう上じょうに居こす。 いかにいはんや如来にょらいの善ぜん巧ぎょう不ふ思議しぎ力りきをや。 われ願がん生しょうの志こころざしあり、 仏ぶつに引いん接じょうの願がんまします、 もつとも往おう生じょうすべし。 一ひとたびこの道どう理りを得えて後のちに、 ふたたび疑ぎ心しんなし。

◇或時参↢東大寺↡念誦ス。適当テ↧上↢棟木ヲ↡之日ニ↥、倩見↠之、忽ニ信心開発ス。自↠非↢匠計略ニ↡、彼ノ大物云何ガ居↢棟上↡。何況如来ノ善巧不思議力哉。我有↢願生ノ志↡、仏ニ有ス↢引接ノ願↡、尤可↢往生↡。一ビ得テ↢此道理↡之後ニ、再無↢疑心↡。

かの人ひと来きたりてこの由よしを語かたる、 三年さんねんを経へて後のちに往おう生じょうを遂とぐ。 かたがた霊瑞れいずいを現げんず、 不可ふか思議しぎなり。 学問がくもんによりて発心ほっしんせずといへども、 境きょう界がいを見みる縁えんによりて信しんを起おこす。 ただ慇懃おんごんに心こころに係かけてつねに思し惟ゆいすべし、 また三宝さんぼうに祈いのるべきなりと 云々。

◇彼人来テ語↢此由ヲ↡、経テ↢三年↡之後ニ遂グ↢往生ヲ↡。旁現ズ↢霊瑞↡、不可思議也。依↢学問↡雖↠不↢発心↡、依↧見↢境界ヲ↡之縁↥起↠信ヲ。唯慇懃ニ係テ↠心ニ常ニ思惟スベシ、又可↠祈↢三宝ニ↡也 云云。

十五

ある人ひと問とひていはく、 真言しんごんの阿あ弥陀みだの供く養よう法ほう、 これ正行しょうぎょうなるべきやいかんと。 答こたふ。 しかるべからざるなり。 一いちに似にたりといへども、 教きょうに随したがはばその意こころ不ふ同どうなり。 真言しんごん教きょうに阿あ弥陀みだは、 これ己こ心しんの如来にょらいなり、 ほかに尋たずぬべからず。 この教きょうの弥陀みだは、 法蔵ほうぞう比丘びくの成じょう仏ぶつなり、 西方さいほうに居こす。 その意こころおほいに異ことなり。 かれは成じょう仏ぶつの教きょうなり、 此これは往おう生じょうの教きょうなり。 さらにもつて同どうずべからずと 云々。

○或0705人問云、真言ノ阿弥陀供養法、是可↢正行ナル↡哉云何。答。不可然也。雖似一、随↠教其意不同也。真言教ニ阿弥陀ハ、是己心ノ如来ナリ、不↠可↠尋↠外ノ。此教弥陀ハ、法蔵比丘之成仏也、居ス↢西方↡。其意大ニ異ナリ。彼ハ成仏教也、此ハ往生ノ教也。更以不↠可↠同 云云。

十六

ある時ときいはく、 法門ほうもんの善悪ぜんあくは宗しゅう義ぎにあるなり、 学者がくしゃ多おおしといへども、 宗しゅう義ぎを分別ふんべつするものきはめて希まれなり。 わが朝ちょうの真言しんごんに二ふたつの流ながれあり、 いはゆる東とう寺じ・天台てんだいこれなり。

○或時云、法門ノ善悪ハ在↢宗義↡也、学者雖多、分↢別宗義↡者極テ希也。吾朝ノ真言ニ有↢二ノ流↡、所謂東寺・天臺是也。

そのなかに天台てんだいの真言しんごんは、 その宗しゅう義ぎ東とう寺じのごとくにあらず。 ゆゑは、 一山いちざんの内うちに顕密けんみつの二に教きょうを兼学けんがくす、 そのなかに法ほっ花け宗しゅうを本ほん意いとなす。 ゆゑに天台てんだいの奥おう旨しはこれすなはち真言しんごんなりといへり。 このゆゑに顕けん宗しゅうの分ぶんを出いでざる真言しんごんなり。

◇其中ニ天臺ノ真言ハ、其宗義非↠如↢東寺ノ↡。所以者、一山ノ内ニ兼↢学ス顕密ノ二教ヲ↡、其中ニ法花宗ヲ為↢本意↡。故天臺ノ奥旨ハ是即真言也ト云ヘリ。是故ニ不ザル↠出デ↢顕宗ノ分ヲ↡之真言也。

東とう寺じの真言しんごんは、 顕けん宗しゅうにおいてあへて肩かたを双ならぶることなきなり。

◇東寺ノ真言ハ、於↢顕宗↡敢テ无↠双コト↠肩ヲ也。

われ諸しょ宗しゅうの教きょう相そうを闚うかがふに、 真言しんごん・仏心ぶっしんの両宗りょうしゅうは、 諸しょ宗しゅうを取とりて自じ宗しゅうの教きょう相そうとして諸しょ宗しゅうを廃はいして自じ定じょうを立たつ。 諸しょ宗しゅうのなかに宗しゅう義ぎに至いたりては、 この両宗りょうしゅうに等ひとしきなきなりと 云々。

◇我闚ニ↢諸宗ノ教相ヲ↡、真言・仏心ノ両宗ハ、取↢諸宗ヲ↡為↢自宗ノ教相ト↡而廃シテ↢諸宗ヲ↡立↢自定ヲ↡。諸宗ノ中ニ至テ↢宗義ニ↡者、无↠等↢此両宗ニ↡也 云云。

わたくしにいはく、 この言ことばの下しもにいささか所存しょぞんあるか。 ¬選せん択じゃく集しゅう¼ にすでに真言しんごん・仏心ぶっしんをもつて聖しょう道どう門もんに入いるを、 浄じょう土ど宗しゅうの教きょう相そうとす。 聖しょう道どう門もんをもつて浄じょう土ど門もんに対たいしこれを廃はいしたまふ。 その智恵ちえ深遠じんのんなる事こと、 言ごん語ご道断どうだんか。

◇私云、此言ノ下 タニ聊有↢所存↡歟。¬選択集ニ¼已ニ以↢真言・仏心↡入↢聖道門ニ↡、為↢浄土宗ノ教相ト↡。以↢聖道門↡対↢浄土門ニ↡而廃之給。其智恵深遠ナル事、言語道断歟。

十七

あるがいはく、 上しょう人にん在ざい生しょうの時とき、 三井みい寺でらの貫首かんしゅ大だい貳に僧そう正じょう公胤こういん、 三巻さんかんの書しょを作つくりて ¬選せん択じゃく集しゅう¼ を破はす、 ¬浄じょう土ど決けつ疑ぎ抄しょう¼ と名なづく。 その書しょにいはく、 「¬法ほっ花け¼ に即往そくおう安楽あんらくの文もんあり、 ¬観かん経ぎょう¼ に読誦どくじゅ大だい乗じょうの句くあり。 ¬法ほっ花け¼ を転読てんどくして極楽ごくらくに生しょうずるになんの妨さまたげかあらん。 しかるに読誦どくじゅ大だい乗じょうを廃はいし、 ただ念仏ねんぶつを付ふ属ぞくす 云々。 これおほいなる錯あやまりなり」 と。 取意

○或云、上人在生ノ時、三井寺貫首大貳僧正公胤、作↢三巻書ヲ↡破↢¬選択集0706ヲ¼↡、名↢¬浄土決疑抄ト¼↡。其書ニ曰ク、「¬法花ニ¼有↢即往安楽ノ文↡、¬観経ニ¼有↢読誦大乗句↡。転↢読シテ¬法花ヲ¼↡生↢極楽ニ↡有↢何妨カ↡。然ニ廃↢読誦大乗ヲ↡、唯付↢属念仏ヲ↡ 云云。是大ナル錯也。」取意

上しょう人にんこれを見みて、 見み終おわらずに指さし置おきていはく、 この僧そう正じょうはこれ程ほどの人ひととは思おもはず、 無下むげの分斉ぶんざいかな。 浄じょう土どの宗しゅう義ぎを言いふと聞きかば思おもふべし。 教きょうの権実ごんじつを定じょう判はんせんとは、 権ごんを廃はいし実じつの義ぎを立たつらんと思おもふべし。 宗しゅう義ぎを立たつと聞ききながら、 理りに枉まがりて ¬法ほっ花け¼ をもつて ¬観かん経ぎょう¼ の往おう生じょうの行ぎょうのなかに入いれんと望のぞむ事こと、 宗しゅう義ぎの廃はい立りゅうを忘わするるに似にたり。

◇上人見之、不↢見終ラ↡指置テ云、此僧正ハ此程之人トハ不↠思ハ、無下ノ分斉哉。聞カバ↠言ト↢浄土宗義ヲ↡者可↠思フ。定↢判ムト教ノ権実ヲ↡者、可↠思↧廃↠権立↢実義ヲ↡覧ト↥。乍↠聞↠立ト↢宗義ヲ↡、枉テ↠理以↢¬法花¼↡望ム↠入ト↢¬観経¼往生ノ行ノ中ニ↡事、似タリ↠忘ルニ↢宗義ノ廃立ヲ↡。

もし能のうあり学道がくどう者しゃをば、 おもふべし、 ¬観かん経ぎょう¼ はこれ爾に前ぜんの教きょうなり、 かの経きょうのなかに ¬法ほっ華け¼ を摂せっすべからずと。 今いま浄じょう土ど宗しゅうの意こころは、 ¬観かん経ぎょう¼ 前ぜん後ごの諸しょ大だい乗じょう経きょうを取とりて、 みなことごとく往おう生じょう行ぎょうの内うちに摂せっす、 なんぞ ¬法ほっ華け¼ 独ひとりこれを残のこさんや。 事こと新あたらしく ¬観かん経ぎょう¼ の内うちに入いるることを望のぞむべからず。 あまねく摂せっする意こころは、 教きょうの念仏ねんぶつに対たいしてこれを廃はいさんがためなりと 云々。

◇若シ能アリ学道者ヲバ、可↠謂、¬観経ハ¼是爾前教也、彼経ノ中不可摂¬法華¼。今浄土宗ノ意者、取↢¬観経¼前後之諸大乗経ヲ↡、皆悉ク摂↢往生行ノ内↡、何ゾ¬法華¼独残之哉。事新ク不↠可↠望↠入↢¬観経ノ¼内ニ↡。普ク摂意者、教ノ為↧対↢念仏ニ↡廃ガ↞之ヲ也 云云。

使し者しゃの学仏がくぶつ房ぼう、 還かえりてこの由よしを語かたる、 僧そう正じょう口くちを閉とじて言説ごんぜつせず。

◇使者学仏房、還語↢此由↡、僧正閉口不言説。

かの僧そう正じょう来きたりて説法せっぽうの次ついで、 前さきの ¬浄じょう土ど決けつ疑ぎ抄しょう¼ の由ゆ来らいを語かたらる。 われ今日こんにちこの砌みぎりに臨のぞむ事こと、 ひとへにこの事ことを懺さん悔げせんがためなりと 云々。 聴ちょう聞もんの道俗どうぞく貴き賎せん、 随ずい喜きせざるなし。 その後のち僧そう正じょう同おなじく往おう生じょうの素そ懐かいを遂とげおはりぬ、 瑞相ずいそう奇き特どくにあらずかたがた多おおしと 云々。

◇彼僧正来テ説法之次、被↠語↢於前ノ¬浄土決疑抄¼之由来ヲ↡。我今日臨↢此砌↡事、偏ニ為懺悔此事也 云云。聴聞ノ道俗貴賎、無↠不↢随喜↡。其後僧正同ク遂↢往生ノ素懐ヲ↡畢、瑞相非奇特旁多シ 云云。

十八

ある時ときいはく、 源空げんくう月輪つきのわの禅ぜん定じょう殿でん下かへ参まいりし時とき、 住じゅう山者ざんしゃ一人いちにん参まいり会あへり。 いささか憚はばかりあるがゆゑにその名なを載のせず 問とひていはく、 まことなるや、 浄じょう土ど宗しゅうを立たてたまふと。 答こたへていはく、 しかなりと。

○或時云、源空参↢月輪禅定殿下↡之時、住山者一人参会ヘリ。聊有憚故不載其名 問云0707、誠耶、立浄土宗給。答云、然也。

また問とひていはく、 いづれの文もんにつきてこれを立たてたまふやと。 答こたへていはく、 善導ぜんどうの ¬観かん経ぎょう疏しょ¼ 付ふ属ぞくの釈しゃくにつきてこれを立たつるなりと。

◇又問云、何文ニ付テ立↠之給フ耶。答云、就↢善導¬観経疏¼付属ノ釈ニ↡立↠之也。

またいはく、 宗しゅう義ぎを立たつる程ほどの事こと、 なんぞただ一文いちもんによりてこれを立たてたまふやと。 微み笑しょうして物ものいはず。

◇又云、立宗義之程ノ事、何唯タヾ依↢一文↡立↠之給耶。微笑シテ不↢物言↡。

山やまに還かえりて法ほう地じ房ぼう法印ほういんの前まえにおいてこの事ことを語かたる、 総そうじて返答へんとうに及およばずといふ。 法印ほういんいはく、 かの上しょう人にんの物もの言いはざるは、 不ふ足そく言ごんのところのゆゑなり。 かの上しょう人にんはわが宗しゅうにおいてすでに達者たっしゃたり、 あまつさへ諸しょ宗しゅうに亘わたりあまねく宗しゅう学がくせり、 智恵ちえ深厚じんこうなること常じょう人にんに超ちょう過かせり。 ゆゑに返答へんとうに及およばずと思おもひ、 物もの言いはざるなり。 ゆめゆめ僻見へきけんに住じゅうすべからずと。

◇還↠山於法地房法印前語↢此事↡、総テ不↠及↢返答ニ↡云フ。法印云ク、彼上人ノ不↢物言↡者、処↢不足言↡故也。彼上人ハ於↢我宗↡已ニ為達者、剰ヘ亘↢諸宗ニ↡普宗学セリ、智恵深厚ナルコト超↢過セリ常人↡。故思↠不↠及↢返答↡、不↢物言↡也。努力努力不↠可↠住↢僻見ニ↡。

上しょう人にんこの事ことを聞ききていはく、 かの法印ほういん殊ことに親近しんごんして法問ほうもんを談だんじたてまつる、 ゆゑに智恵ちえ分涯ぶんがいを知しりてかくのごとくいふなり。 ことにわが法門ほうもんにおいては、 源空げんくうに相そう承じょうの事こと顕然けんねんなりと。

◇上人聞此事云、彼法印殊ニ親近シテ奉ニ↠談↢法問↡、故ニ知テ↢智恵分涯ヲ↡如此云也。殊ニ於↢我法門↡者、相↢承于源空ニ↡之事顕然也。

一九

ある人ひと問とひていはく、 つねに廃悪はいあく修善しゅぜんの旨むねを存ぞんじて念仏ねんぶつせんとつねに本願ほんがんの旨むねを思おもひ念仏ねんぶつすると、 いづれが勝まさりたるやと。 答こたふ。 廃悪はいあく修善しゅぜんはこれ諸仏しょぶつの通誡つうかいといへども、 当世とうせいのわれらはことごとくく違い背はいせり。 もし別べっ意ちの弘ぐ願がんに乗じょうぜずは、 生しょう死じを出いでがたきものかと 云々。

○或人問云、常ニ存テ↢廃悪修善ノ旨ヲ↡念仏ムト与↧常思↢本願旨ヲ↡念仏スル↥、何ガ勝タル哉。答。廃悪修善ハ是雖↢諸仏通誡↡、当世ノ我等ハ悉ク違背セリ。若不↠乗↢別意弘願ニ↡者、難↠出↢生死ヲ↡者歟 云云。

二〇

ある時ときいはく、 汝なんじ ¬選せん択じゃく集しゅう¼ といふ文もんありと知しりたりやいなや。 知しらざる由よし、 この文もんはわれ作つくれる文もんなり、 汝なんじこれを見みるべし。 われ存ざい生しょうの間あいだは流布るふすべからざる由よしこれを禁いましむゆゑに人々ひとびとにこれを秘かくすと。 これによりて成じょう覚かく房ぼうの本ほんをもつてこれを写うつす。

○或時云、汝有ト↢¬選択集¼云文↡知リヤ否ヤ。不知之由、此文ハ我作レル文也、汝可↠見↠之。我存生之間ハ不可流布之由禁ム↠之故ニ人々秘之。依↠之以↢成覚房ノ本ヲ↡写之。

そのかみに上しょう人にん、 御ご不ふ例れいの気け出いで来きたまへり。 いささか御ご平へい癒ゆの時とき、 月輪つきのわの禅ぜん定じょう殿でん下かより、 御おん形かた見みのために要文ようもんを集あつめこれを給たまふべき由よし仰おおせらる。 これによりてこの ¬書しょ¼ を造つくりて進覧しんらんせしめたまふ、 この ¬書しょ¼ のなかにあるいは浄じょう土ど門もんの諸しょ行ぎょうに約やくして比ひ論ろんするところなりといふなり。 あるいはいはく、 浄じょう土ど宗しゅうの ¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ の意こころなりと。 云々

◇当初ニ上人、御不例気出来給ヘリ。聊御平癒之時、従↢月輪禅定殿0708下↡、為↢御形見↡集↢要文↡可給之由被↠仰。依↠之造↢此¬書¼↡令進覧給、此ノ¬書ノ¼中ニ或云↧約シテ↢浄土門ノ諸行ニ↡所リト↦比論↥也。或云、浄土宗ノ¬観無量寿経¼意也。 云云

上しょう人にんこの意こころを述のべていはく、 この ¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ は、 もし天台てんだい宗しゅうの意こころによらば爾に前ぜんの教きょうなり。 ゆゑに ¬法ほっ華け¼ の方便ほうべんとなる。 もし法相ほっそう宗しゅうの意こころによらば、 別べつ時意じいを演のぶるになる。 しかるに浄じょう土ど宗しゅうの意こころによらば、 一切いっさいの教行きょうぎょうはことごとく念仏ねんぶつの方便ほうべんとなる。 ゆゑに浄じょう土ど宗しゅうの ¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ の意こころといふなり。

◇上人述↢此意ヲ↡云、此¬観无量寿経ハ¼、若依↢天臺宗ノ意ニ↡爾前教也。故成ル↢¬法華ノ¼方便ト↡。若依↢法相宗意↡者、成↠演↢別時意ヲ↡。然ニ依↢浄土宗意↡者、一切ノ教行ハ悉成↢念仏ノ方便ト↡。故浄土宗ノ¬観無量寿経ノ¼意ト云也。

またいはく、 聖しょう道どう門もんの諸しょ行ぎょうは、 みな四し乗じょうの因いんを修しゅして四し乗じょうの果かを得う。 ゆゑに念仏ねんぶつに比ひ挍きょうするに及およばず。 浄じょう土ど門もんの諸しょ行ぎょうは、 これ念仏ねんぶつに比ひ挍きょうする時とき、 弥陀みだの本願ほんがんにあらず、 光こう明みょうこれを摂取せっしゅせず、 釈しゃく尊そん付ふ属ぞくしたまはず。 ゆゑに (定善義) 「全ぜん非比ひひ挍きょう」 といふなり。

◇又云、聖道門諸行ハ、皆修↢四乗ノ因ヲ↡得↢四乗果ヲ↡。故不↠及↣比↢挍念仏ニ↡。浄土門ノ諸行者、是比↢挍念仏ニ↡之時、非↢弥陀ノ本願ニ↡、光明不↢摂取↡之、釈尊不↢付属↡。故云↢「全非比挍」也。

しかれば道どう綽しゃく・善導ぜんどうの宗しゅう義ぎはおほいに異ことなるなり。 よくよく一々いちいちに分別ふんべつすべし。 これを知しるに、 聖しょう道どう・浄じょう土どの二に門もん異ことなりといへども、 行ぎょう体たいこれ一いちなり。 義意ぎい知しるべしと 云々。

◇然道綽・善導ノ宗義ハ大異也。能々一々ニ分別ベシ。知↠之、聖道・浄土二門雖異、行体是一也。義意可知 云云。▽