1419裁断さいだん申明しんめいしょ

 

【1】 そもそも、 *とうりゅう安心あんじん*いちといふは、 「もんみょうごう 信心しんじんかん ない一念いちねん(*大経・下) をもつてりき安心あんじん*ひょうと​は​する​なり。

この​ことわり​を​やすくら​しめ​んがため​に、 ちゅうこうしょうにん (*蓮如)*さしよせて、 「もろもろのぞうぎょう雑修ざっしゅりきこころを​ふりすて​て、 一心いっしん弥陀みだ如来にょらい、 われら​がいちだいしょう*おんたすけそうらへとたのめ」 とはおしへ​たまへ​り。

よりて、 「弥陀みだを​たのむ​もの​はけつじょうおうじょうし、 たのま​ぬ​もの​はおうじょうじょうなり」 と、 前々ぜんぜんじゅうしょうにん (*法如)おおせ​られ​たり。

またぜんじゅうしょうにん (*文如) も、 「みづから​たしかに弥陀みだを​たのみ​たる一念いちねんりょうなき​こと」 をふかくいましめ​たまへ​り。

この一念いちねんといふは、 宿しゅくぜん開発かいほつ、 そのみょうごうもんするときなり。 この​たのむ一念いちねん信心しんじんなく​は、 こんほうおうじょうは​かなふ​べから​ず​とそうじょうし​はべり​き。

【2】 しかるに近来きんらい*門葉もんようの​なか​に、 この​たのむ一念いちねんにつきて*三業さんごうそく穿鑿せんさく1420、 あるいは*おく有無うむ沙汰さたし、 ことにぼん妄心もうじんを​おさへ​て金剛こんごうしん*つのり、 あるいは*ねんを​かり、 *義解ぎげなど​いふめずらしきみょうもくて、 種々しゅじゅ妄説もうせつを​なし​て道俗どうぞくまどは​しむる​こと、 *ごん道断どうだんあさましきだいならず​や。

これきょうあまねから​ざる​ところ​にして、 とくの​しから​しむる​にや​と、 あしたゆうべしんしょくわすれ​て​ふかくこころを​いたま​しむる​ところ​なり。 おのおの​いかがこころられそうろふ​や。

【3】 うえしめす​が​ごとく、 弥陀みだを​たのむ​といふは、 りき信心しんじんを​やすくら​しめ​たまふきょうなる​がゆゑに、 たすけ​たまへ​といふは、 ただ​これだいちょくえいしんじゅんするこころなり。

されば*善導ぜんどうは、 「ふかしんじ、 ふかほうしんぜよ」 (*散善義・意)おしへ​たまへ​り。

まづ​わが極悪ごくあくじんじゅうの​あさましき​もの​なれば、 ごくならでは​おもむく​べきかたも​なきなり​とる​を、 ふかくしんずる​と​は​いふ​なり。 また​かかる​いたづらもの​を​あはれみ​ましまし​て、 がんぎょう仏体ぶったいじょうじゅし​て​すくは​ん​とちかひ​たまへるおんすがた、 すなはち弥陀みだ如来にょらいなり​と​おもひ​て、 わがおうじょう願力がんりきに​まかせ​たてまつるこころすこし​もうたがいなき​を、 ほうしんずる​と​は​いふ​なり。

されば​いたづらにしんじ、 いたづらに​たのむ​には​あらず。 ぞうぎょう雑修ざっしゅりきを​すて​て、 *ふたごころなくしんずる​が、 すなはち​たのむ​なる​がゆゑに、 そのこころあらわし​て1421、 たすけ​たまへ​と弥陀みだを​たのめ​と​はおしへ​たまふ​なり​き。 さらにぼんじょうめいじょうおもひ​かたむる一念いちねんを、 おうじょうしょういんおしへ​たまへ​る​には​あらず​とる​べし。

この*べっにもそうらへ​ども、 なほまどひ​の​とけ​ざらん​ともがら​も​ある​らめ​と、 かさね​てふでむる​ものなり。 *かまへて末学まつがくしょしょうとうに​より​て、 いちりゅう真実しんじつを​とりまどふ​べから​ず。

【4】 さればことだいしょうあり、 ごうかんきゅうあり。 いましめす​ところ​はとうりゅう肝要かんよう、 われひとしょうしゅつだいなれば、 これ​よりいそぐ​べき​は​なく、 また​これ​より​おもき​は​あら​ざる​べし。 もし​なほ*しゅうつのり​て、 あやまち​を​あらため​ずは、 なが開山かいさんしょうにん (*親鸞)もんたる​べから​ざる​ものなり。

こひねがはくは、 こころまどひ​たる人々ひとびと今日こんにちよりのちは​いよいよもうじょうを​ひるがへし​て、 そうじょうしょうに​もとづかる​べき​こと​こそ肝要かんようそうらへ。

古語こごにも 「*其愚ごぐだい わく大惑だいわく(*荘子) といへり。 されば​みづからまどふ​とり​てまどふ​もの​あら​じ。 まどふ​はまどひ​をら​ざる​がゆゑなり。 かかるひとめいしゃなんに​あらず​は、 たれ​か​そのまどひ​を​とか​ん​や。 この​むね​よくよく分別ふんべつある​べくそうろふ。 「*一息いっそくつい千載せんざいじょうおう(*摩訶止観) ˆのˇ ならひ​なれば、 いそぎ​て信心しんじん決得けっとくある​べくそうろふ。

14225】 さて信心しんじんけつじょうの​うへには、 行住ぎょうじゅう座臥ざが南無なも弥陀みだぶつ南無なも弥陀みだぶつ仏恩ぶっとん報謝ほうしゃし​たてまつり、 *王法おうぼう国法こくほうらいなく、 *じんみちを​あひたしなみ、 *如法にょほうほう相続そうぞくあり​て、 こんおうじょうち​うる​ばかり​のと​なら​れそうらは​ば、 本懐ほんがいこれ​に*すぐ​べから​ずそうろふなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

*ぶんさんひのえとらのとしじゅう一月いちがついつ

りゅうこくだいじゅうせいしゃく*本如ほんにょ (花押)

 

底本は本派本願寺蔵本。
一義 根本義。
おんたすけ候へとたのめ 「おんたすけ候へ」 は 「たすけたまへ」 に同じ。 →たすけたまへたのむ
三業の儀則を穿鑿し しん口意くいの三業についてのきまりをとかくいいたてて。 三業さんごう安心あんじんの異義を指す。 身口意の三業に願生帰命の相をあらわして、 救いをがんしょうしなければならないというもの。
記憶の有無を沙汰し 信心ぎゃくとくの日時の記憶があるかないかを論じ。 その記憶の有無によって信心の有無を論じようとする異義。
募り 言い立てて。 主張して。
自然の名をかり 自然三業というみょうもくを名のり。 自然三業とは、 信心獲得の時、 おのずとしん口意くいの三業に帰命の相がととのうという異義。
義解などいふ… 義解三業などという奇妙な名目を立てて。 義解三業とは、 三業帰命は教法の解釈のうえで成立するのであり、 安心あんじんにおいて強調するものではないとする説。
二心なく 一心に。 疑いなく。
別紙 ¬裁断さいだん御書のごしょ¼ を指す。
我執を募りて 自己の考えにますます強く執着して。
知其愚非… 「その愚を知るは大愚にあらざるなり、 その惑を知るは大惑にあらざるなり」
一息不追千載長往 「一息がざれば千載に長く往く」 人の命が無常であることについていう。
如法に 教法の通りに。
すぐ まさる。