裁断さいだん申明しんめいしょ

 

【1】 そもそも、 *とうりゅう*安心あんじん*いちといふは、 「もんみょうごう 信心しんじんかん ない一念いちねん(*大経・下) をもつて*りき安心あんじん*ひょうとはするなり。

このことわりをやすくらしめんがために、 ちゅうこうしょうにん (*蓮如)*さしよせて、 「もろもろの*ぞうぎょう*雑修ざっしゅ*りきこころをふりすてて、 一心いっしん*弥陀みだ如来にょらい、 われらがいちだい*しょう*おんたすけそうらへとたのめ」 とはおしへたまへり。

よりて、 「弥陀みだをたのむものはけつじょう*おうじょうし、 たのまぬものはおうじょうじょうなり」 と、 前々ぜんぜんじゅうしょうにん (*法如)おおせられたり。

またぜんじゅうしょうにん (*文如) も、 「みづからたしかに弥陀みだをたのみたる*一念いちねんりょうなきこと」 をふかくいましめたまへり。

この一念いちねんといふは、 *宿しゅくぜん開発かいほつ、 その*みょうごうもんするときなり。 このたのむ一念いちねん*信心しんじんなくは、 こん*ほうおうじょうはかなふべからずとそうじょうしはべりき。

一義 根本義。
依憑 よりどころ。
さしよせて 短くまとめて。 簡潔にわかりやすくして。
おんたすけ候へとたのめ 「おんたすけ候へ」 は 「たすけたまへ」 に同じ。 →たすけたまへたのむ

【2】 しかるに近来きんらい*門葉もんようのなかに、 このたのむ一念いちねんにつきて*三業さんごうそく穿鑿せんさくし、 あるいは*おく有無うむ沙汰さたし、 ことに*ぼん妄心もうじんをおさへて金剛こんごうしん*つのり、 あるいは*ねんをかり、 *義解ぎげなどいふめずらしきみょうもくて、 種々しゅじゅ妄説もうせつをなして*道俗どうぞくまどはしむること、 *ごん道断どうだんあさましきだいならずや。

これきょうあまねからざるところにして、 とくのしからしむるにやと、 あしたゆうべしんしょくわすれてふかくこころをいたましむるところなり。 おのおのいかがこころられそうろふや。

三業の儀則を穿鑿し しん口意くいの三業についてのきまりをとかくいいたてて。 三業さんごう安心あんじんの異義を指す。 身口意の三業に願生帰命の相をあらわして、 救いをがんしょうしなければならないというもの。
記憶の有無を沙汰し 信心ぎゃくとくの日時の記憶があるかないかを論じ。 その記憶の有無によって信心の有無を論じようとする異義。
募り 言い立てて。 主張して。
自然の名をかり 自然三業というみょうもくを名のり。 自然三業とは、 信心獲得の時、 おのずとしん口意くいの三業に帰命の相がととのうという異義。
義解などいふ… 義解三業などという奇妙な名目を立てて。 義解三業とは、 三業帰命は教法の解釈のうえで成立するのであり、 安心あんじんにおいて強調するものではないとする説。

【3】 うえしめすがごとく、 弥陀みだ*たのむといふは、 りき信心しんじんをやすくらしめたまふきょうなるがゆゑに、 *たすけたまへといふは、 ただこれだいちょくえいしんじゅんするこころなり。

されば*善導ぜんどうは、 「ふかしんじ、 ふかほうしんぜよ」 (*散善義・意)おしへたまへり。

まづわが極悪ごくあくじんじゅうのあさましきものなれば、 *ごくならではおもむくべきかたもなきなりとるを、 ふかくしんずるとはいふなり。 またかかるいたづらものをあはれみましまして、 がんぎょう仏体ぶったいじょうじゅしてすくはんとちかひたまへるおんすがた、 すなはち弥陀みだ如来にょらいなりとおもひて、 わがおうじょう*願力がんりきにまかせたてまつるこころすこしもうたがいなきを、 ほうしんずるとはいふなり。

さればいたづらにしんじ、 いたづらにたのむにはあらず。 ぞうぎょう雑修ざっしゅりきをすてて、 *ふたごころなくしんずるが、 すなはちたのむなるがゆゑに、 そのこころあらわて、 たすけたまへと弥陀みだをたのめとはおしへたまふなりき。 さらにぼんじょうめいじょうおもひかたむる一念いちねんを、 おうじょうしょういんおしへたまへるにはあらずとるべし。

この*べっにもそうらへども、 なほまどひのとけざらんともがらもあるらめと、 かさねてふでむるものなり。 *かまへて末学まつがくしょしょうとうによりて、 いちりゅう真実しんじつをとりまどふべからず。

二心なく 一心に。 疑いなく。
別紙 ¬裁断さいだん御書のごしょ¼ を指す。
かまへて 決して。

【4】 さればことだいしょうあり、 ごうかんきゅうあり。 いましめすところはとうりゅう肝要かんよう、 われひと*しょう*しゅつだいなれば、 これよりいそぐべきはなく、 またこれよりおもきはあらざるべし。 もしなほ*しゅうつのりて、 あやまちをあらためずは、 なが開山かいさんしょうにん (*親鸞)もんたるべからざるものなり。

こひねがはくは、 こころまどひたる人々ひとびと今日こんにちよりのちはいよいよもうじょうをひるがへして、 そうじょうしょうにもとづかるべきことこそ肝要かんようそうらへ。

古語こごにも 「*其愚ごぐだい わく大惑だいわく(*荘子) といへり。 さればみづからまどふとりてまどふものあらじ。 まどふはまどひをらざるがゆゑなり。 かかるひとめいしゃなんにあらずは、 たれかそのまどひをとかんや。 このむねよくよく分別ふんべつあるべくそうろふ。 「*一息いっそくつい千載せんざいじょうおう(*摩訶止観) ˆのˇ ならひなれば、 いそぎて信心しんじん決得けっとくあるべくそうろふ。

我執を募りて 自己の考えにますます強く執着して。
知其愚非… 「その愚を知るは大愚にあらざるなり、 その惑を知るは大惑にあらざるなり」
一息不追千載長往 「一息がざれば千載に長く往く」 人の命が無常であることについていう。

【5】 さて信心しんじんけつじょうのうへには、 *行住ぎょうじゅう座臥ざが*南無なも弥陀みだぶつ南無なも弥陀みだぶつ仏恩ぶっとん報謝ほうしゃしたてまつり、 *王法おうぼう国法こくほうらいなく、 *じんみちをあひたしなみ、 *如法にょほうほう相続そうぞくありて、 こんおうじょうちうるばかりのとなられそうらはば、 本懐ほんがいこれに*すぐべからずそうろふなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

如法に 教法の通りに。
すぐ まさる。

  *ぶんさんひのえとらのとしじゅう一月いちがついつ

                      りゅうこくだいじゅうせいしゃく*本如ほんにょ (花押)

文化三 1806年。