0853◎至し道どう鈔しょう

 

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一 父母ぶもの菩ぼ提だいのために仏ぶつ事じを修しゅする功く徳どくのすぐれたる事こと。

一切いっさいの恩おんのなかには父母ぶもの恩おん最さい大だいなり。 茎くきは種たねよりきざし、 流りゅうは源げんよりはじまる。 楽らくも栄さかえもこの身みの生しょうじぬるうへのことなるによりて、 生しょう育いくの恩おんといひ教きょう訓くんの恩おんといひ、 報ほうじがたく謝しゃしがたし。

-されば仏ぶっ経きょうのなかには、 父ちちの恩おんをば山やまにたとへたり。 迷めい盧ろ八万はちまんのいたゞきたかしといへども、 もし父ちちの恩おんにならぶればなをたかきにあらず。 母ははの恩おんをば海うみにたとへたり。 滄海そうかい三千さんぜんのそこふかしといへども、 もし母ははの恩おんにくらぶればまたふかきにあらず。

-このゆへに、 いきたるときには孝行こうこうをいたして随分ずいぶんのこゝろざしをはげみ、 没ぼっしぬるのちには追善ついぜんを修しゅして菩ぼ提だいの果かをいのるべきなり。

-孝きょう養ようの行ぎょうを讃さんじ不ふ孝きょうのつみをいましむること、 一代いちだいの正教しょうきょうにその文もんおほきなかに、 まづ浄じょう土どの三さん部ぶ経きょうのうちに、 ¬大だい経きょう¼ には五ご悪あくをとくとき不ふ孝きょうのとがのおもきことをあかし、 ¬観かん経ぎょう¼ には三福さんぷくをとくとき孝きょう養ようの善ぜんのおほきなることをあらはせり。

い1348はゆる ¬大だい経きょう¼ (巻下) の文もんといふは、 五ご悪あくのなかに第だい四しに口く業ごうの悪あくをとくとして、

「両りょう舌ぜつ・悪あっ口く・妄もう語ご・綺語きご、 讒賊せんぞく闘乱とうらんす。 善人ぜんにんを憎嫉ぞうしつし、 賢げん明みょうを敗はい壊えして、 傍かたわらにおいて快喜けきす。 二に親しんに孝きょうせず、 師し長ちょうを軽きょう慢まんし、 朋ぼう友うに信しんなくして、 誠じょう実じつを得えがたし。 尊そん貴き自じ大だいにしておのれに道どうありと謂おもひ、 横よこさまに威い勢せいを行ぎょうじて人ひとを侵しん易いす」 (大経巻下)

-「▲両舌・悪口・妄語・綺語、 讒賊闘乱。 ◆憎↢嫉善人↡、 敗↢壊賢明↡、 於↠傍快喜。 不↠孝↢二親↡、 軽↢慢師長↡、 朋友无↠信、 難↠得↢誠実↡。 尊貴自大謂↢己有↟道、 横行↢威勢↡侵↢易於人↡」

-といひて、 しもにその罪報ざいほうをあかすに、

「殃おう咎ぐ牽引けんいんしてまさにひとり趣向しゅこうすべし。 罪報ざいほう自じ然ねんにして、 捨しゃ離りに従したがふことなし。 ただ前ぜん行ぎょうすることを得えて火か鑊かくに入いる」 (大経巻下)

-「▲殃咎牽引当↢独趣向↡。 罪報自然、 无↠従↢捨離↡。 但得↢前行↡入↢於火鑊↡」

-といへり。 生しょう前ぜん不ふ孝きょうのつみによりて、 後世ごせに地じ獄ごくにいりて火か鑊かくの苦くをうけんこと、 もともかなしむべし。

-第だい五ごに意い業ごうの悪あくをとくとしては、 はじめに

「父母ぶも教きょう誨かいすれば、 目めを瞋いからせ譍こたえを怒いからせて、 言ごん令りょう和やわらかならず、 違い戻るい反ほん逆ぎゃくす」 (大経巻下)

-「▲父母教誨、 瞋↠目怒↠譍、 言令不↠和、 違戻反逆」

-といひ、 つぎに

「父母ぶもの恩おんを惟おもはず、 師友しうの義ぎを存ぞんぜず。 心こころにつねに悪あくを念おもひ、 口くちにつねに悪あくを言いひ、 身みにつねに悪あくを行ぎょうじ、 かつて一善いちぜんもなし。 先せん聖しょう、 諸仏しょぶつの経きょう法ぼうを信しんぜず、 道どうを信しんずれば度世どせを得うべきことを信しんぜず、 死後しごに神じん明みょうさらに生しょうずることを信しんぜず、 善ぜんを作なせば善ぜんを得え、 悪あくを為なせば悪あくを得うることを信しんぜず」 (大経巻下)

-「▲不↠惟↢父母之恩↡、 不↠存↢師友之義↡。 心常念↠悪、 口常言↠悪、 身常行↠悪、 曽无↢一善↡。 ◆不↠信↢先聖、 諸仏経法↡、 不↠信↢行↠道可↟得↢度世↡、 不↠信↢死後神明更生↡、 不↠信↢作↠善得↠善、 為↠悪得↟悪」

-といひ、 後のちに

「父母ぶも・兄きょう弟だい・眷属けんぞくを害がいせんと欲ほっす。 六親ろくしん憎ぞう悪をしそれをして死しせしめんと願がんず。 かくのごときの世せ人にん、 心しn意いともにしかなり。 愚痴ぐち矇昧もうまいにしてみづから智恵ちえありと以おもひて、 生しょうの従じゅう来らいするところ、 死しの趣向しゅこうするところを知しらず。 不ふ仁にん不ふ順じゅんにして、 天てん地ちに悪あく逆ぎゃくす」 (大経巻下)

-「▲欲↠害↢父母・兄弟・眷属↡。六親憎悪願↠令↢其死↡。 ◆如↠是世人、 心意倶然。 愚痴矇昧而自以↢智恵↡、 不↠知↧生所↢従来↡、 死所↦趣向↥。 不仁不順、 悪↢逆天地↡」

-といへる文もん、 これなり。

-一段いちだんのうちに三み所ところまで、 かくのごとく不ふ孝きょうの相そうをときて、 その悪因あくいんによりて苦果くかをうくることむなしからざることをあかす。 下しもに

「善悪ぜんあく報応ほうおうし、 禍か福ふく相そう承じょうす、 身みみづからこれに当あたる。 誰たれも代かわる者ものなし。 数ことわりの自じ然ねんなり。 その所しょ行ぎょうに応おうじて、 殃おう咎ぐ命みょうを追おひ縦じゅう捨しゃを得うることなし。 善人ぜんにんは善ぜんを行ぎょうじて、 楽らくより楽らくに入いり、 明みょうより明みょうに入いる」 (大経巻下)

-「▲善悪報応、 禍福相承、 身自当↠之。 无↢誰代者↡。 数之自然。 応↢其所行↡、 殃咎追↠命无↠得↢縦捨↡。 ◆善人行↠善、 ↓従1349↠楽入↠楽、 ↓従↠明入↠明」

-といへる、 これなり。

-「↑従じゅう楽らく入にゅう楽らく」 といふは、 生しょうをあらため形かたちをかふといへども、 生々しょうしょう世々せせに富貴ふきの身みとむまれて楽らくにほこるべきこゝろなり。

-「↑従じゅう明みょう入明にゅうみょう」 といふは、 これまた在々ざいざい処々しょしょに智恵ちえをきはめて、 さとりをひらくべき義ぎなり。 これらはみな孝きょう養よう父母ぶものこゝろありて、 天てん地ちのこゝろに違い逆ぎゃくせざる人ひとの果か報ほうなり。

-これにはひきかへて 「▲従じゅう苦く入にゅう苦く」 (大経巻下) といふは、 劫こうををくり生しょうをふといへども、 三さん悪道まくどうをはなれずして重じゅう苦くをうくべし。 たとひまた人間にんげんにきたるときも、 下げ賎せんの身みとして、 或あるいは乞丐こつがい・孤こ独どく・聾盲ろうもう・瘖おん瘂あ等とうの報ほうをうくるなり。 これみな父母ぶもに孝きょうせず、 ほしゐまゝに悪あく逆ぎゃくをつくる果かをあかすなり。

つぎに ¬観かん経ぎょう¼ の説せつといふは、 世せ戒かい行ぎょうの三福さんぷくをとくに、 世せ善ぜんのはじめに孝きょう養よう父母ぶもをのせたり。 総そうじて三福さんぷくの行ぎょうを嘆たんずるに、 「▲三さん世ぜの諸仏しょぶつの浄じょう業ごうの正しょう因いんなり」 ととけり。 もともこれをたふとむべき行ぎょうなり。

-これによりて、 ¬梵網ぼんもう経きょう¼ (巻下) に円頓えんどん一実いちじつの大だい乗じょう戒かいをとくには、 「師し僧そう父母ぶもに孝順きょうじゅんするを戒かいとなづく」 といひ、

-¬花け厳ごん経ぎょう¼ (般若訳巻一二行願品) に地じ神じんの如来にょらいに申もうすことばには、 「大だい地ち須しゅ弥みをおふておもしとせず、 不ふ孝きょうの人ひとをばいたゞくにたへず」 ととき、

-¬増一ぞういつ阿あ含ごん経ぎょう¼ (巻一一知識品意) には 「父母ぶもを供く養ようする功く徳どくは、 一いっ生しょう補ふ処しょの菩ぼ薩さつを供く養ようするにひとし」 といひ、

-¬心しん地じ観かん経ぎょう¼ (巻二報恩品意) には 「父母ぶもに孝きょう養ようす1350る功く徳どくは、 仏ぶつを供く養ようするにことならず」 といへり。

-欲界よくかい六天ろくてんのなかに、 下したより第だい二にの天てんをばとう利り天てんといふ。 かの天てんの主しゅは帝たい釈しゃくなり。 閻えん浮ぶ提だいの衆しゅ生じょうの善ぜんをつくるをも悪あくをつくるをも、 かの帝たい釈しゃくの札ふだにしるすとみえたり。 父母ぶもに孝きょう養ようするをみては、 善業ぜんごうの帳ちょうに記きして善趣ぜんしゅに生しょうずべきにさだめ、 父母ぶもに孝きょうせざるをみては、 悪業あくごうの帳ちょうにのせて悪趣あくしゅに堕だすべきに判はんず。 いかでかこれをつゝしまざらんや。

-かの天てんに波利はり質しっ多羅たら樹じゅといふ木きあり、 娑しゃ婆ば世せ界かいの衆しゅ生じょう父母ぶもに孝きょう養ようするときにはこの花はなひらく。 天人てんにんこれをみてよろこびたのしむ。 もし父母ぶもに孝きょう養ようせざればこの花はなしぼむ。 天人てんにんこれをみてなげきかなしむ。

-これによりて、 父母ぶもに孝きょう養ようすれば諸天しょてん・善神ぜんじんも納受のうじゅし、 諸仏しょぶつ・菩ぼ薩さつも随ずい喜きしたまふなり。 諸天しょてんもゑみをふくみ、 仏ぶつ・菩ぼ薩さつの照しょう覧らんにもかなひぬれば、 いのちもながく福ふくもきたるなり。

また玄げん奘じょう三蔵さんぞうの ¬抖と擻そうの記き¼ に一ひとつの因縁いんねんをいだせることあり。 三蔵さんぞう、 渡と天てんのとき、 ある寺てらをみたまふに、 眼目げんもく寺じと額がくをうちたる寺てらあり。 本尊ほんぞんを拝はいしたまふに、 弥陀みだの三尊さんぞんなり。 左右さうの脇きょう士じの御手みてにおのおのひとつづゝ眼まなこをもちたまへり。

-その因縁いんねんをたづねとひたまふに、 寺じ僧そうこたふるやう、 昔むかし大王だいおうありき、 目めしゐたり。 医師いしをめして療りょう治じをくわへんとするに、 医師いしまふしていはく、 うちまかせたる薬くすりをもち1351ていやすことあるべからず、 そのちからをよびがたきところなり。 たゞし一ひとつの薬くすりあり、 一いっ生しょう涯がいのあひた、 一いち度どもはらをたて、 いかりをなさゞる人ひとの両りょう眼げんをとりて、 はいにやきて合薬ごうやくし、 これをつけたてまつらばいゑたまふべし。 このほかは治ち術じゅつあるべからずとまふしゝあひだ、 京中きょうちゅう・辺へん土ど、 手てをわけ使つかいをつかはしてたづねられしかども、 貪瞋とんじん痴ちの三毒さんどくは欲界よくかい根本こんぽんの煩悩ぼんのうなれば、 聖しょう果かをえざらんよりほかは嗔しん恚にをはなれたる人ひとあるべきならねば、 一いち期ごのあひだ生しょうじてよりこのかた、 はらをたてずといふ人ひとをもとめいださず。

-こゝに大王だいおうに太たい子しあり。 くだんの太たい子しのたまふやう、 われ生しょうをうけてよりのち、 いまだ嗔しん恚にをおこさず。 はやく眼まなこをぬきて父ちちの王おうの御目おめをいやすべしと命めいず。 医師いしこのおもむきを大王だいおうに奏そうするところに、 大王だいおうおほきに啼てい泣きゅうしてのたまひけるは、 われはとしおとろへ、 よはひかたぶきぬれば、 病びょう眼げんしゐたりといへども、 いたみとするにたらず。 太たい子しはわかくさかりにしておしむべき身みなり。 われこの世よをすてなんのちも、 継体けいたいの君くんとして国くにの位くらいをたもちたまふべし。 されば太たい子しのためにこそいかなる病やまいもあらばわが眼まなこもぬかめ。 わが身みこの病やまいをうけたればとて、 朕ちんがために太たい子しの眼まなこをぬかんことさらにおもひよらずとて、 制せいしおほせられしかば、 さては術じゅつ計けいなしといひて、 医師いしすでに1352まかりいでなんとするところに、

-太たい子しひそかにみづから両りょう眼げんをぬきて医師いしにあたへたまひしかば、 医師いしおどろき存ぞんじながら、 このうへはもだすべからざるゆへに、 これを合薬ごうやくして大王だいおうの御目おめにつくる。 両りょう眼げんすなはちひらきて、 あきらかなること日ひごろにこえたり。 眼まなこひらいてのち、 薬くすりの効験こうけんを感かんじて、 いかなる薬くすりをもて治ちするぞとたづねたまふに、 かくれあるべきことならねば、 医師いしありのまゝにしかじかと申もうしけり。

-このとき大王だいおうかなしみなげきたまふこと、 なのめならず。 しかれども、 後悔こうかいさきにたゝざれば、 おもひのほのほむねをこがしたまへども益やくなく、 うれへのなみだ袖そでをしぼりたまへども詮せんなし。

-悲ひ嘆たんのあまり阿あ弥陀みだ如来にょらいにいのりまうしたまふところに、 観音かんのん・勢せい至し二に菩ぼ薩さつの御手みてに両りょう眼げんをもちきたりて、 太たい子しの御目おめのあとにいれたまふあひだ、 すなはち本もとに復ふくせり。 もとのまなこは肉眼にくげんなり、 いまの眼まなこは天眼てんげんなるがゆへに、 はるかに他た方ほう世せ界かいのことをもみたまひしかば、 大王だいおうのよろこびたとへをとるにものなし。

-大王だいおうよろこびにたえず、 かの三尊さんぞんの像ぞうをうつしつくりたてまつり、 二に菩ぼ薩さつの御手みてに眼まなこをもたせたてまつれり。 そのとき、 この堂どうを造ぞう立りゅうしてその像ぞうを安あん置ちせりとこたへけり。 むかしの大王だいおうといふは浄じょう飯王ぼんのうなり、 かの太たい子しといふは釈しゃく尊そんなり。 忍辱にんにく太たい子しといへる、 すなはち嗔しん恚にをおこしたま1353はざりし名ななり。

-しかれば、 釈しゃ迦か如来にょらいの因いん行ぎょうも孝きょう養ようのつとめをもはらにし、 弥陀みだ如来にょらいの大だい悲ひも孝きょう養ようのこゝろざしを感かんじたまふとみえたり。

また聖しょう徳とく太たい子しは観音かんのんの垂すい迹じゃく、 和わ国こくの教きょう主しゅなり。 守もり屋やの逆臣げきしんを追伐ついばつして釈しゃく尊そんの遺ゆい教きょうを末代まつだいにひろめ、 六斎ろくさいの殺せっ生しょうを禁断きんだんして善悪ぜんあくの因いん果がを道俗どうぞくにおしへたまふ。

-しかるに太たい子し三歳さんさいの御おんとき、 用明ようめい天皇てんのう愛あいしていだきたてまつりたまひしかば、 児こが父ちちの御手みてにいらんこと、 百ひゃく丈じょうのいはほにのぼり千せん尺しゃくのなみにうかぶがごとし。 はなはだおそろし、 はなはだあやうしとのたまひ、

-十じゅう六歳ろくさいのとき、 父ちちの王おうやまひのゆかにふしたまひしに、 太たい子し衣え帯たいをとかずして昼ちゅう夜やに看かん病びょうしたてまつりたまふ。 大王だいおう一飯いちぼんしたまへば太たい子しも一飯いちぼんしたまひ、 大王だいおう再飯さいぼんしたまへば太たい子しも再飯さいぼんしたまふ。 すなはち无む常じょうの道どう理りをのべ、 弥陀みだの名みょう号ごうをすゝめしかば、 天皇てんのう正しょう念ねんに住じゅうし仏号ぶつごうをとなへておはりをとりたまひき。

-其時そのときにあたりて、 一ひとつには往おう生じょうの御ご願がんのたがはざることを喜よろこび、 一ひとつには今こん生じょうの再会さいかいのながくへだゝりぬることをなげき給たまいき。 是これみな大だい聖しょうも大権だいごんも親おや子このよしみのあさからざることを表あらわし、 二に親しんの恩おんのかろきにあらざることをあらはしたまふなり。

父ちちは能のう生しょうの本もととして提撕ていぜい教きょう訓くんの恩おんをほどこし、 母ははは所しょ生しょうの源みなもととして乳にゅう哺ほ生しょう養ようの徳とくを1354あたふ。 恩おんのおもきことは、 そのあたひ千せん顆か万まん顆かのたまにもまさり、 こゝろざしのふかきことは、 そのいろ一いち入にゅう再さい入にゅうのくれなゐにもすぎたり。

-なかんづくに ¬心しん地じ観かん経ぎょう¼ (巻三報恩品) のなかに、 人ひとのおやなる人ひとは、 子このためにつみをつくりて悪道あくどうにおもむくことをとけり。 仏説ぶっせつのあらはすところ、 そのかなしみもとも肝きもに銘めいず。

「世せ人にん子このために諸罪しょざいを造つくり、 三さん途ずに堕だ在ざいしてながく苦くを受うく。 男女なんにょ聖しょうにあらざれば神通じんずうなく、 輪りん回ねを見みず報ほうずべきことかたし」

「世人為↠子造↢諸罪↡、 堕↢在三途↡長受↠苦。 男女非↠聖无↢神通↡、 不↠見↢輪回↡難↠可↠報」

といへる文もん、 これなり。 この文もんのこゝろをきかんに、 人ひとの子ことして争いかでか悲ひ情じょうにたえんや。

-或あるいは撫ぶ育いく教きょう示じの恩おんをかぶり、 或あるいは慈悲じひ哀愍あいみんのこゝろざしをになひ、 或あるいは財宝ざいほう田園でんえんをゆづりえ、 或あるいは才さい智ち芸能げいのうの業わざをつぎて、 そのうるところの恩おんはあつく、 報謝ほうしゃのつとめはすくなければ、 たとひ報ほうずといふとも、 一滴いってきをもて大海たいかいにくはへ、 微み塵じんをもて須しゅ弥みにそふるがごとくなれば、 たやすく報ほうじつくさんことはあるまじきに、 まして子こをおもふ妄念もうねんによて、 おやとしてその為ためにつみをつくり、 そのつみにひかれて悪道あくどうにおちんこと、 いのちをすつるおやのため、 あとにのこる子このため、 かなしみのなかのかなしみ、 なげきの中なかのなげきなり。

-人ひとごとにかゝるべきにはあらねども、 子こをおもふ愛あい執しゅうはふかく、 仏法ぶっぽうを信しんずるこゝろなからん人ひとは、 かならずのがれがたきことなり。 不ふ孝きょうのつみせめてもあまりあり、 いか1355にしてかこのとがをつぐのふべき。 さればそれにつけても、 ひとすぢに滅めつ後ごの孝きょう養ようをいたして、 その報謝ほうしゃにそのふべきなり。

そもそも人ひとの後世ごせをとぶらふにとりて、 まづ中ちゅう有うのあひだ善悪ぜんあくの生しょう所じょさだまらざるさきに、 よく功く徳どくを修しゅして、 悪道あくどうにおとさず善所ぜんしょに生しょうぜしめんと回え向こうする時じ分ぶんあり。 つぶさにその生しょう所じょさだまりつる後のちも、 悪趣あくしゅならば善趣ぜんしゅにも生しょうぜしめ、 また善趣ぜんしゅなりとも三界さんがいのうちをはなれて極楽ごくらくに生しょうじ仏ぶっ果かを証しょうせしめんがためにこれをとぶらふべきなり。

-中ちゅう有うといふは、 この生しょうの命いのちはつき、 つぎの生しょうの報むくいはいまだうけざる二有にうの中ちゅう間げんなり。 この間あいだに十じゅう王おうの裁断さいだんにあふて生しょうをさだめらるゝなり。

-いはゆる初しょ七日なのかは、 秦広しんこう王おうの裁断さいだんにあふ。 まづ人ひとの命いのち終おわらんとするとき、 閻えん魔ま法王ほうおう、 奪魂だっこん鬼き・奪だっ精せい鬼き・奪魄だっぱく鬼きといふ三人さんにんの獄率ごくそつをつかはし、 罪人ざいにんをしばりて冥めい途どにゐてゆく。 はじめて罪門ざいもん関樹かんじゅのもとにいたるに、 その木きの枝し葉ようときことやいばのごとし。 かの樹きのもとをすぎて死出しでの山やまの南門なんもんにいたる。 そのところに又またふたつの樹きあり、 両りょう茎けい身みをせめてはだゑをさき骨ほねをくだく。 かやうに苦くをうけて死出しでの山やまをこゆるなり。 かの山やまのありさま、 坂さかはげしく路みちとをくして、 たゑがたきことまたいふべからず。 この死出しでの山やまといふは、 すなはち俗ぞくにいひならはしたる死し天てんの山やま1356なり。 山やまをこゑをはれば、 七日しちにちを満まんずるとき秦広しんこう王おうのまへにいたり、 善悪ぜんあくの業因ごういんを勘かん定じょうせらるゝなり。

-二ふた七日なのかは、 初江しょこう王おうにあふ。 この王おうの所ところにいたるとき奈ない河がをわたる。 奈ない河がといふは葬そう頭ず河かなり、 初江しょこう王おうの官かん庁ちょうタビヤのまへにながれたり。 この河かわをわたるに三みつのみちあり、 一ひとつには山水さんすいの瀬せ、 二ふたつには江深こうじんの淵ふち、 三みつには橋はしなり。 微み善ぜんの人ひとは橋はしをわたり、 軽きょう罪ざいの人ひとは山水さんすいの瀬せをわたり、 重じゅう罪ざいの人ひとは江深こうじんの淵ふちにむかふ。 七日しちにち七しち夜やのあひだながれて、 かの官かん庁ちょうのまへにいたるに、 かの所ところに大おおきなる樹きあり。 かの樹きのもとに二ふたりの鬼おにあり、 一ひとりをば奪だつ衣え婆ばとなづく、 二ふたりをば懸けん衣え翁おうとなづく。 奪だつ衣え婆ば衣きぬをぬがすれば、 懸けん衣え翁おうえだにかけてつみの軽重きょうじゅうを校量きょうりょうするなり。 日ひごろ著ちゃくキル するところの衣え装しょう、 今日こんにちうばゝれて裸ら形ぎょうになる。 恥はじをあらはし憂うれえをいだくこと、 このときいまひときわまさる。 これ生しょう前ぜんにしてほしゐまゝに悪業あくごうをつくり、 善根ぜんごんを修しゅせざりし无む慚ざん无愧むぎのとがをあらはすなり。

-三み七日なのかには、 宋帝そうてい王おうの所ところにいたる。 このとき悪あく猊みょう群くん集じゅうし、 大蛇だいじゃきほひきたりて身体しんたいをきりさき、 或あるいは支し節せつを繋け縛ばくす。 これまた前ぜん生しょうの罪悪ざいあくを罰ばっする相そうなり。

-四よ七日なのかには、 五ご官かん王おうにあふて、 また造罪ぞうざいの軽重きょうじゅうを称量しょうりょうハカリハカルせらる。 かの官かん庁ちょうに二ふたつのいへあり。 左ひだりにあるをば秤量ひょうりょう舎しゃといふ、 これは業ごうをかくるはかりをかけたる所ところなり。 右みぎにあるをば勘録かんろく舎しゃといふ、 これ1357は所しょ作さの業ごうを記き録ろくする所ところなり。

-五いつ七日なのかには、 閻えん魔ま王おうにいたる。 この所ところは閻えん浮ぶ提だいのした五ご百ひゃく由ゆ旬じゅんにあり、 大だい城じょうの四し面めんには鉄てつのかき周しゅう帀そうして四し方ほうにおのおの鉄てつの門もんをひらけり。 官かん庁ちょうのうちに双童そうどうあり、 一人ひとりは善ぜんを記きし、 一人ひとりは悪あくを記きす。 又またこの所ところに一ひとつの鏡かがみあり、 これを浄じょう頗梨はりの鏡かがみといふ、 又または王おう鏡きょうといふ。 閻王えんおうこの鏡かがみのななにおひて十方じっぽう三さん世ぜ遠近おんごんの諸しょ事じをかゞみ、 有う情じょう・非ひ情じょう、 善悪ぜんあくの諸相しょそうをしる。 また八方はっぽうにおひておのおの一ひとつの鏡かがみをかけたり、 あはせて八やつの鏡かがみなり、 これを業ごう鏡きょうといふ。 一切いっさい衆しゅ生じょうの所しょ造ぞうの業因ごういん、 悉ことごとくこれにうつるなり。 微み悪あくもうつらずといふことなく、 小しょう善ぜんもかくるゝことなし。 善悪ぜんあくともにかげをうかべて、 たゞ眼まなこに対たいするが如ごとし。 一ひとつの鏡かがみにだにもかくれあるまじきに、 八やつの鏡かがみに一同いちどうに是これをうつせば、 娑しゃ婆ばにして犯おかす所ところの悪業あくごうさらにあらがふべき所ところなし。 双童そうどうの筆ふでのはしにしるし、 浄じょう頗梨はりの鏡かがみの面おもてにうつして、 大王だいおうことごとくこれをしり、 明々めいめいたる八やつの業ごう鏡きょうにうつりて罪人ざいにんまたこれを論ろんぜず。 微み塵じんの業ごうまでも、 さらにのがれがたし。 このときにあたりて、 前ぜん生しょうの罪業ざいごうをはぢてかなしみくゆといへども、 かつて益やくなし。 こゝろあらん人ひと、 いかでかこれをおそれざらんや。

-六む七日なのかには、 変へん成じょう王おうのまへにいたる。 中ちゅう有う嶮けん路ろのかなしみいよいよふかく、 獄率ごくそつ呵か責しゃくのうれへますます切せつなり。

-七なな々日なのかには、 太山たいざん1358王おうの所ところにいたる。 この所ところにも赤しゃく紫しの冥みょう官かん、 黄緑こうろくの司し侯こうあて、 小しょう悪あく・微み善ぜんをのぞかず、 これを録ろくして王おうに奏そうすれば、 王おうこれをみて染ぜん浄じょうの二に因いんを勘決かんけつし、 善悪ぜんあくの生しょう処じょを定じょう判はんするなり。

-百ひゃっ箇か日にちには、 平びょう等どう王おうのまへにひざまづきて、 枷かクビカセ械かいのアシカセいましめにあひ、 鞭べん傷しょうの苦くをうく。

-一いっ周しゅう忌きには、 都市とし王おうの所ところにいたりて、 重かさねて辛しん苦くをなし、 ねんごろに斎福さいふくをもとむ。

-第だい三年さんねんには、 五ご道どう転輪てんりん王おうのまへにして、 また所しょ作さの業因ごういんを勘かんがへ、 昇しょう沈ちんの果か報ほうをさだむるなり。 これは十じゅう王おうのおはり、 裁断さいだんのきはまりなり。

-この十じゅう王おう裁断さいだんの間あいだは中ちゅう有うなり。 この中ちゅう有うのありさま、 こゝろぼそくかなしきことなり。 飢き寒かん身みをせめ、 衣え食じきともにかけたり。 衣ころもは葬そう頭ず河かの岸きしにしてぬぎしかば、 肌はだえをかくすものなくして寒かん気け身みをとほす。 食じきは香かおりを食じきするよりほか口くちにいるものなければ、 飢き渇かつしのびがたし。 日月にちがつの天てんにかゝるもなければ、 闇あん冥みょうとしてみちにまよひ、 朋ぼう友うのことばをまじふるもなければ、 孤こ独どくにしてなくなくゆく。 たゞあひしたがふものとては、 罪業ざいごうと鬼き神じんとなり。 ¬宝ほう積しゃく経きょう¼ (大宝積経巻九六勤授長者会) には

「死しし去さりぬれば一ひとりとして来きたりてあひ親したしむものなし、 ただ黒業こくごうのみありてつねに随逐ずいちくす」

-「死去无↢一来相親↡、 唯有↢黒業↡常随逐」

-ととき、 ¬摩訶まか止し観かん¼ (巻七上) には

「冥々みょうみょうとして独ひとり行ゆく、 誰たれか是非ぜひを訪とぶらはん」

-「冥々独行、 誰訪↢是非k」

-といへる、 このこゝろなり。

-十と度たびの断罪だんざいのあひだに、 業ごうの強ごう弱にゃくによりて生しょう処じょにおもむくこと遅ち速そくあり。 或あるいは初しょ七日なのか、 秦広しんこう王おうの裁断さいだんにあふて1359地じ獄ごく・鬼き・畜ちくにおもむくものもあるべし。 或あるいは二ふた七日なのか、 初江しょこう王おうの断罪だんざいを蒙こうむりて人にん中ちゅう・天てん上じょうにむまるゝたぐひもあるべし。 三み七日なのかにさだまらずは、 四よ七日なのかにいたるもあるべし。 五いつ七日なのかにもなほ得脱とくだつせずは、 六む七日なのか、 七なな々日なのかにあふもあるべし。 乃ない至し百ひゃっヶ日にち・一いっ周しゅう忌き・第だい三年さんねんにいたり当来とうらいの果かをうくるものもあるべしとなり。

-この十じゅう王おうにをひて、 或あるいは実類じつるいの有う情じょうといひ、 或あるいは仏ぶつ・菩ぼ薩さつの化け現げんといふ二義にぎあり。 権ごん化けといふにとりて、 本ほん地じまた異い説せつあり。 ▼詮せんずるところ、 本ほん地じは経きょう論ろんのたしかなる説せつなきによりて一いち准じゅんならざるなり。 秦広しんこう王おうは不ふ動どう尊そん。 初江しょこう王おうは薬やく師し如来にょらい、 または釈しゃ迦か如来にょらいといふ。 宋帝そうてい王おうは釈しゃ迦か如来にょらい、 また弥み勒ろく菩ぼ薩さつといふ。 五ご官かん王おうは普ふ賢げん菩ぼ薩さつ、 又または薬やく師し如来にょらいといふ説せつあり、 或あるいは聖しょう観かん世ぜ音おん菩ぼ薩さつといふ説せつあり。 閻えん羅ら王おうは地じ蔵ぞう尊そん。 変へん成じょう王おうは弥み勒ろく菩ぼ薩さつ、 一説いっせつには観音かんのん、 一説いっせつには釈しゃ迦かなり。 太山たいざん王おうは阿あ弥陀みだ如来にょらい。 平びょう等どう王おうは文殊もんじゅ師利しり菩ぼ薩さつ、 又または毘び沙門しゃもんといふ説せつあり。 都市とし王おうは観音かんのん、 又または不ふ動どうなり。 五ご道どう転輪てんりん王おうは大だい勢せい至し菩ぼ薩さつ、 または阿あ弥陀みだなり。

-¬倶く舎しゃ論ろん¼ (玄奘訳巻九世品意) に中ちゅう有うの住じゅう持じを判はんずるに、 あまたの義ぎあり。

-一いち義ぎには

「一切いっさいの中ちゅう有うは、 生しょうを楽ぎょう求ぐするがゆへに、 すみやかに往ゆきて生しょうを受うけかならずひさしく住じゅうせず」

-「一切中有、 楽↢求生↡故、 速往受↠生必不↢久住↡」

-といへり、 この釈しゃくは時じ分ぶんをさゝず、 たゞ早速そうそくなる義ぎをあかせり。

-一いち義ぎには 「極ごく多た七しち々日しちにち」 といへり。 この義ぎのごとくならば、 中ちゅう陰いん五ご旬じゅんのほどに定さだまるべしとみえ1360たり。

-一いち義ぎには

「時ときに定じょう限げんなし、 生しょう縁えんいまだ合あはずは、 中ちゅう有うつねに存ぞんず」

-「時无↢定限↡、 生縁未↠合、 中有恒存」

-といへり。 この釈しゃくのごとくならば、 時じ分ぶんさだまらず、 かつは当とう生しょうの託たく生しょうの縁えんの和わ合ごうするをまち、 かつは過去かこの親族しんぞくの追善ついぜんによりて生しょう処じょにおもむくゆへに、 その時じ節せつに遅ち速そくあるなり。

-おほよそ人ひとの死しせるあとには、 閻王えんおうもつかひをつかはして娑しゃ婆ばにいかなる追福ついふくをか修しゅすると検けん知ちし、 亡者もうじゃも肝きもをくだきて遺跡ゆいせきにいかなる善根ぜんごんをかいとなむとこれを悕けネガヒ望もうすノゾム 。 もしこれを修しゅせず、 これをとぶらはざれば、 いたづらになきいたづらにかなしみて、 憂うれえをそへ悲かなしみをますなり。 あとにとゞまる人ひと、 いかでか仏ぶつ事じを修しゅせざらんや。

-さればこゝろざしの厚薄こうはくにより、 修善しゅぜんの浅深せんじんにこたへて、 十じゅう王おうのうち一王いちおう二に王おうの裁断さいだんにあふて出しゅつ離りするものもあるべし、 乃ない至し一いっ周しゅう忌き第だい三年さんねんの断罪だんざいを蒙こうむりて得脱とくだつする人ひともあるべきなり。 第だい三年さんねんまで十じゅう王おうにあひぬるのちも、 或あるいは十じゅう三年さんねん、 或あるいは三さん十じゅう三年さんねんなどまでもその追善ついぜんをいたすことは、 聖教しょうぎょうのなかにあきらかなる説せつなしといへども、 わが朝ちょうの風俗ふうぞくとして人ひとこれを修しゅしきたれり。 せめてもその恩おんを報ほうじ、 いくたびも生しょう処じょを訪とぶらわんがためなり。 これまたいまの 「生しょう縁えん未み合ごう中ちゅう有う恒存ごうぞん」 といふ義ぎならば、 時じ節せつをさゝざるうへはもとも道どう理りにかなへり。

-なかんづくに、 死し亡もうの日ひにとりて一年いちねんに一いち度どの正しょう忌きをば忌き日にちといひ、 一月ひとつきに一いち度どの忌き辰しんをば月がっ忌きといふ。 月がっ1361忌きなをもて等閑とうかんナヲザリなるべからず、 いはんや忌き日にちをや。 さればたとひ年としをふといふとも、 亡日もうにちをむかへては世せ間けんの万ばん事じをさしをきて必かならず菩ぼ提だいをかざるべきなり。

-かの死しする日ひを、 或あるいは忌き日にちともいひ、 或あるいは月がっ忌きともなづけて忌きと称しょうすることは、 忌きといふ文もん字じの訓くんはいみなり。 是これ則すなわちその亡日もうにちにをひて、 かの徳とくを謝しゃするほかに他事たじをいみて禁断きんだんする義ぎなり。

-外げ典てんの書しょに ¬礼らい記き¼ といふ文ふみにこの義ぎをあかせり。 また内典ないてんの書しょに ¬梵網ぼんもう経きょう¼ に、 もし父母ぶも・兄きょう弟だい死し亡もうの日ひは法ほう師しを請しょうじて追福ついふくを修しゅすべきむねをとけり。 二に親しん並ならびに兄きょう弟だい等とうの亡日もうにちには、 諸しょ事じをなげすてゝ仏ぶつ事じ報恩ほうおんをいとなむべきこと、 内ない外げの両りょう典てんにすゝむる所ところ一ひとつなり。

-その追善ついぜんにおひて、 かの亡者もうじゃ今こん生じょうに悪業あくごうもふかく、 修しゅしたる善因ぜんいんもなくして死しせん人ひとは、 六道ろくどう四し生しょうをはなれずして流る転てんの報ほうをうけんこと疑うたがいなければ、 それがためにはことにいそぎて善根ぜんごんを修しゅし、 ねんごろに功く徳どくを行ぎょうじて追福ついふくをいたすべし。 追善ついぜんの分斉ぶんざいによりて善悪ぜんあくの生しょうを定さだむべきがゆへなり。

-念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃは、 信心しんじんをうるとき横よこさまに四流しるを超ちょう断だんし、 この穢え身しんをすつるときまさしく法ほっ性しょうの常じょう楽らくを証しょうすれば、 十じゅう王おうのまへにいたるべきにあらず。 地じ獄ごくにおつる人ひとと浄じょう土どに往おう生じょうする人ひととは中ちゅう有うの位くらいをへざれば、 かくのごとくの人ひとのためには、 あながちに善根ぜんごんを修しゅせずといふとも不ふ足そくあるべからずといへども1362、 自じ心しんの行ぎょう業ごうのうへに他たの功く用ゆうをくわへ、 極楽ごくらくに生しょうずる人ひともなをその位くらいもすゝみ、 いよいよ衆しゅ生じょう得とく度どのちからも自じ在ざいにならんこと疑うたがいなし。

-そのうへ恩おんをいたゞき恩おんを報ほうぜざれば、 わが冥みょう加がもなく、 徳とくをになひて徳とくを謝しゃすれば、 わが福分ふくぶんともなるゆへに、 たとひ真実しんじつ念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃなりとも報恩ほうおんのつとめをろそかにすることはあるまじきことなり。

一 道どう場じょうをかまへて念仏ねんぶつを勤ごん行ぎょうすべきこと。

おほよそ仏法ぶっぽう修しゅ行ぎょうのところはみな道どう場じょうといふ、 いはゆる真言しんごんをおこなふ所ところをば三密さんみつ瑜伽ゆがの道どう場じょうといひ、 妙みょう法ほうを行ぎょうずるみぎりをば法ほっ花け三昧ざんまいの道どう場じょうといふ。 念仏ねんぶつ三昧ざんまいの道どう場じょうもその義ぎおなじかるべし。 されば念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃ、 うちに信心しんじんをたくはへて心しんを浄じょう土どの如来にょらいにかくといふとも、 道どう場じょうをかまへて功こうを安あん置ちの本尊ほんぞんにつむべし。 自じ行ぎょう化他けたの利り益やくこれにあるべきなり。

-このゆへに、 和か尚しょうの解げ釈しゃくをみるに、 ¬法ほう事じ讃さん¼ (巻上) には行ぎょう法ほうの道どう場じょうを讃さんじて 「道どう場じょうの荘しょう厳ごんきはめて清浄しょうじょうなり」 といひ、 ¬観念かんねん法門ぼうにん¼ には ¬般舟はんじゅ経きょう¼ によりて入にゅう道どう場じょう念仏ねんぶつ三昧ざんまいの法ほうをあかせり。 このゆへに、 穢土えどをもて浄じょう土どに准じゅんじ、 私し宅たくをもて道どう場じょうに擬ぎしナゾラヘて、 本尊ほんぞんを安あんずる浄場じょうじょうとし、 念仏ねんぶつを会座えざとするなり。

そ1363もそも道どう場じょうといふは、 堂どう舎しゃの名ななり。 天竺てんじくには僧そう伽が藍らんといふ。 こゝには堂どうともいひ寺てらともいふ、 又または道どう場じょうともいふなり。 しかるに堂どうともいひ寺てらとも称しょうするときは、 そのかまへ厳ごん重じゅうにして人屋にんおくの一例いちれいにあらず。 如来にょらいつねにましまして僧衆そうしゅ鎮とこしなえに住じゅうし、 講堂こうどうにして経きょうを講こうじ、 食堂じきどうにして斎さいを行ぎょうじ、 経きょう藏ぞうにおひて仏ぶっ経きょうを安あんじ、 洪こう鐘しょうをたゝきて衆しゅ会えをおどろかす。 かやうの儀ぎ式しきをとゝのふるをもて、 堂どうとも寺てらともなづくるなり。

-されば ¬弘ぐ決けつ¼ (輔行巻一位) に寺てらを釈しゃくするに

「法度ほうたくある処ところの名ななり」

-「有↢法度↡処名也」

-といへり。 道どう場じょうといふときは、 あながちにこれらの作さ法ほうを具ぐ足そくせざれども、 或あるいは長じょう時じの持じ仏ぶつ堂どう、 或あるいは一いち時じの会座えざ仏法ぶっぽうを勤ごん行ぎょうするところ、 みな道どう場じょうなり。 この道どう理りによるがゆへに、 道どう場じょうをかまへて本尊ほんぞんを安あん置ちし、 同どう行ぎょうを会え合ごうして念仏ねんぶつを勤ごん行ぎょうすべきなり。

道どう場じょうの二字にじをこゝろうるに、 道どうといふは仏道ぶつどうなり、 場じょうといふは庭にわなり。 庭にわといふはみぎりなり、 みぎりといふはところなり。 諸しょ教きょうの道どう場じょうの義ぎをばこれをさしをく。 いま念仏ねんぶつ修しゅ行ぎょうの道どう場じょうについて料りょう簡けんせば、 このところにして念仏ねんぶつを修しゅすれば、 弥陀みだ如来にょらい、 遍へん照じょうの光こう明みょうをはなちて称名しょうみょうの行ぎょう者じゃをてらしたまふがゆへに、 これ光こう明みょう摂取せっしゅのにわなり。 このところにして念仏ねんぶつをとなふれば、 光触こうそくを蒙こうむるものは、 心しん不ふ退たいをえて往おう生じょうの益やくを決けつ定じょうするが故ゆえに、 これ往おう生じょう浄じょう土どのところなり。

ま1364た堂どうにはおほくの名なあり。 或あるいは浄住じょうじゅう舎しゃといひ、 或あるいは出しゅっ世せ間けん舎しゃといひ、 或あるいは遠おん離り悪処あくしょといひ、 或あるいは親近しんごん善処ぜんしょといふ等とう、 これなり。 一々いちいちの名みょう義ぎ、 またいまの道どう場じょうの義ぎにかなへり。

-まづ浄住じょうじゅう舎しゃといふは、 仏ぶつをば清浄しょうじょう人にんといへば、 清浄しょうじょう人にんの住じゅう処しょなるがゆへに浄住じょうじゅう舎しゃといふ。 弥陀みだ如来にょらいに清浄しょうじょう光仏こうぶつの名なあり、 これすなはちこの仏ぶつの光こう明みょうにふるれば、 煩悩ぼんのうの業ごっ垢くをのぞくがゆへなり。 しかるに ¬観かん経ぎょう¼ の弥陀みだの三尊さんぞん、 つねに行ぎょう人にんのところに来らい至ししたまへば、 これ浄住じょうじゅう舎しゃの義ぎなり。

-つぎに出しゅっ世せ間けん舎しゃといふは、 六道ろくどう四し生しょうことごとく世せ間けん、 有漏うろの舎宅しゃたくなり、 欲よく・色しき・无む色しきまたく出しゅっ世せ无漏むろの舎宅しゃたくにあらず。 或あるいは衆しゅ苦くの充じゅう満まんせるによりて火か宅たくといひ、 或あるいは出しゅつ離りの期ごなきを牢獄ろうごくといへる、 みな三界さんがいの依え報ほうを世せ間けんの舎しゃとする義ぎなり。 しかるにこの道どう場じょうは、 念仏ねんぶつを修しゅして極楽ごくらくを願がんずる庭にわなるがゆへに、 かくのごとく輪りん回ねの果か報ほうをはなれ、 浄じょう土どの无む生しょうをさとるべきところなり。 凡ぼん夫ぶの眼見げんけんに穢土えど世せ間けんの舎宅しゃたくなれども、 仏ぶっ陀だの照しょう覧らんには浄じょう土ど出しゅっ世せの舎宅しゃたくなるべし。

-つぎに金剛こんごう浄じょう刹せつといふは、 仏法ぶっぽう修しゅ行ぎょうの道どう場じょうとして堅けん固ご不壊ふえの宝刹ほうせつなるがゆへなり。 また念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃは金剛こんごうの信心しんじんをえて業ごっ障しょうを浄じょう除じょするがゆへに、 金剛こんごう浄じょう刹せつの義ぎに順じゅんずべきなり。

-遠おん離り悪処あくしょといふは、 このところにいたるひとみな仏ぶつを礼らいするおもひををこし、 この庭にわにきたる人ひとをのづから1365法ほうをきくこゝろざしあり。 仏ぶつを礼らいするときは善心ぜんしん随したがいてをこり、 法ほうをきくときは妄心もうしんまた息そくするがゆへに、 遠おん離り悪処あくしょといふなり。

-親近しんごん善処ぜんしょといふは、 その義ぎまたあひおなじ。 悪あくに遠おん離りすれば善ぜんに親近しんごんする義ぎあるなり。 いま建こん立りゅうするところの道どう場じょうは、 そのかまへをいふに、 仏閣ぶっかくにあらずといへどもこの所ところにをひて仏像ぶつぞうを安あんじ、 その体たいをいふに、 人屋にんおくたりといへどもこの所ところにをひて念仏ねんぶつを勤ごん行ぎょうす。 念仏ねんぶつの中なかには、 衆悪しゅあくを遠おん離りして衆善しゅぜんに親近しんごんし、 世せ間けん舎しゃをいでゝ出しゅっ世せ間けん舎しゃに住じゅうする功く力りきをそなへたり。 かるがゆへに念仏ねんぶつを行ぎょうずる所ところは道どう場じょうなり。 道どう場じょうのなかにはまた種々しゅじゅの利り益やくを具ぐ足そくせりとしるべきなり。

また道どう場じょうといふは、 或あるいは浄じょう土どをさし、 或あるいは仏ぶっ果かにかたどれる名ななり。

-¬大だい経きょう¼ (巻上) の正宗しょうしゅうに弥陀みだ如来にょらいの因いん中ちゅうの願がんをとくには

「その衆しゅ奇き妙みょうにして道どう場じょう超ちょう絶ぜつせられ」

-「▲其衆奇妙道場超絶」

-といひ、 ¬観かん経ぎょう¼ の流る通ずうに念仏ねんぶつの行ぎょう人にんの生しょう後ごの益やくをあかすには

「まさに道どう場じょうに坐ざして諸仏しょぶつの家いえに生しょうずべし」

-「▲当↧坐↢道場↡生↦諸仏家↥」

といへり。

-いま道どう場じょうと号ごうするは、 所信しょしんの法ほうにより所しょ帰きの仏ぶつについてその行ぎょうを行ぎょうずるところなるがゆへに、 穢土えどなれども浄じょう刹せつに准じゅんじて道どう場じょうといふなり。

されば自作じさ・教きょう他たともに最さい上じょうの善根ぜんごんなれば、 誠じょう心しんをぬきんでゝ道どう場じょうをかまへ、 同どう行ぎょうを会えして念仏ねんぶつを行ぎょうずべきなり。 念仏ねんぶつは无む上じょうの功く徳どく超ちょう絶ぜつの勝行しょうぎょうなるがゆへに、 諸仏しょぶつ1366も哀納あいのうし諸天しょてんも歓かん喜ぎしたまふ。 諸仏しょぶつの照しょう覧らんにかなひ諸天しょてんの守しゅ護ごにあづからば、 恩所おんじょの得脱とくだつも疑うたがいなく、 自じ身しんの往おう生じょうも決けつ定じょうし、 二世にせの所願しょがん一々いちいちにおもひの如ごとくして、 自利じり々他りたの願がん行ぎょう円満えんまんし、 自他じた平びょう等どうの利り益やくを獲ぎゃく得とくすべきなり。

-¬法ほう事じ讃さん¼ の下げ巻かんに、 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ を称しょう讃さんする所願しょがんの句くには

「願ねがはくはこの法輪ほうりん相続そうぞくして転てんじ、 道どう場じょうの施せ主しゅますます長じょう年ねんならん。 大衆だいしゅことごとく同おなじく安楽あんらくを受うけん、 見聞けんもん随ずい喜きまたみなしかなり」

-「▲願此法輪相続転、 道場施主益長年。 大衆咸同受↢安楽↡、 見聞随喜亦皆然」

-といへり。

-「法輪ほうりんを転てんず」 といふは、 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ を読誦どくじゅ宣説せんぜつするなり。 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ のこゝろは念仏ねんぶつの一いち行ぎょうをあらはすにあり。

-しかれば、 道どう場じょうをかまへん人ひと、 長じょう年ねんの報ほうをえ、 同心どうしん助じょ成じょうの人ひと勝しょう利りをうべし。 現げん世ぜなをしかなり、 いはんや後世ごせにをひてをや。 ふかくこれを信しんずべし、 あへてうたがふべからざるものなり。

 

  或一本云
   此鈔は存覚上人の御作なり

 

底本は大谷大学蔵江戸時代中期恵空写伝本。 ただし訓(ルビ)は有国が補完し、 表記は現代仮名遣いとしている。