1379べんじゅつみょうたいせう

 

かう親鸞しんらんしやうにんざいしやうのとき、 末代まちだい門弟もんていとうあんのためにさだめおかるゝ本尊ほんぞんあまたあり。 いはゆるろくみやうがう不可ふか思議しぎくわう如来によらい无むげくわうぶちとうなり。 梵漢ぼんかむことなれども、 みな弥陀みだぶち一仏ゐちぶち尊号そんがうなり。 このほか、 あるひは天竺てんぢく震旦しんたむかう、 あるひは我朝わがてう血脈くゑちみやく先徳せんどくとう、 をのをの真影しんゑいをあらはされたり。 これによりて、 面々めんめん本尊ほんぞん一々ゐちゐち真像しんぞうとうを、 一鋪ゐちぷくのうちに図絵づゑして、 これを光明くわうみやうほんとなづく。 けだし、 これ当流たうりう学者がくしやのなかに、 たくみいだされたるところなり。

まづ不可ふか思議しぎくわう如来によらいといふは、 かの如来によらい智慧ちえ光明くわうみやう、 そのとくすぐれたうとくして、 しむをもてもおもひがたく、 ことばをもてもはからずといふことばなり。 この不可ふか思議しぎくわう如来によらいをもて、 中央ちうあうにすゑたてまつらるゝことは、 弥陀みだ如来によらい真実しんじち報身ほうじんとくをほめたてまつる御名みななるがゆへなり。 これすなはちしやうにん弥陀みだしんにをいて真仏しんぶちしんをたてたまふとき、 真仏しんぶちしやくすとして、 「ぶちはすなはちこれ不可ふか思議しぎくわう如来によらいはまたこれりやう光明くわうみやうなり」 (真仏土巻) しやくしたまへり。 こ1380のゆへに、 真仏しんぶちたいなるをもて中尊とさらるゝなり。 そもそもこの不可ふか思議しぎくわう如来によらいといへるは、 しやうにんのわたくしにかまへたるげうか、 また経釈きやうしやくのなかにそのしようありやといふに、 さらしやうにん今案こんあんにあらず。 きやうせちよりいで、 しやくよりをこれり。

まづみなもとをたづぬれば、 ¬だいやう¼ の十八じふはちぐわんのなかに、 光明くわうみやうりやうぐわんじやうじゆしたまへるゆへに、 諸仏しよぶちにすぐれて十方じふぱうにきこゑずといふことなきなり。 その光明くわうみやうそくりやうなるなかに、 ようをとりてこれをいふに、 じふくわうあり。 ひとつにはりやうくわうぶちふたつにはへんくわうぶちみつには无むげくわうぶちよつにはたいくわうぶちいつゝには炎王えむわうくわうぶちむつには清浄しやうじやうくわうぶちなゝつにはくわんくわうぶちやつには智慧ちえくわうぶちこゝのつにはだんくわうぶちとほにはなんくわうぶち十一じふゐちにはしようくわうぶちじふには超日てうにちぐわちくわうぶちなり。 このなかに、 なんくわうぶちしようくわうぶちいへるは、 すなはちいまの不可ふか思議しぎくわう如来によらいのこゝろなり。 こゝろをもてをもふべからざるところをなんくわうぶちといひ、 ことばをもてはかるべからざるしようくわうぶちしようするなり。 このふたつとりあはせ不可ふか思議しぎくわう如来によらいとなづけたてまつるなり。 こゝをもて、 おなじき ¬きやう¼ (大経巻下) のなかに、 あるひは 「りやうじゆぶちじん光明くわうみやう最尊さいそん第一だいゐちにして、 諸仏しよぶち光明くわうみやうのをよばざるところなり」 といひ、 あるひは 「ぶちののたまはく、 われりやうじゆぶち光明くわうみやうじん巍々ぎぎ殊妙しゆめうなるをとかんに、 ちう1381一劫ゐちこうすとも、 なをしいまだつくすことあたはじ」 といへる、 みなこれ不可ふか思議しぎくわうこゝろなり。 またこのゐちきやうせちのみにあらず、 ¬りやう寿じゆ如来によらい¼ に、 おなじく種々しゆじゆみやうをとくなかに、 まさしく不可ふか思議しぎくわうをあげたり。 りやう光明くわうみやうも、 おなじき ¬きやう¼ のせちよりいでたり。 きやうせちかくのごとし。

つぎにしやくのなかには、 曇鸞どんらんくわしやうの ¬さんわあ弥陀みだぶちのげ¼ に、 まさしく 「南無なも不可ふか思議しぎくわう一心ゐちしむくゐみやう稽首けいしゆらい」 としやくしたまへる、 これなり。 しやうにんこれらの経釈きやうしやくによりて、 をたてをあらはしたまへるなり。

これすなはちかのわあ弥陀みだ如来によらいは、 ぢうぎやく罪人ざいにんなれども、 しむすればことごとくわうじやうをゑ、 しやうさんしよう女人によにんなれども、 しようねむすればかならずさいにあづかる。 一毫ゐちがう煩悩ぼんなうをもだんぜず、 一分ゐちぶんぼんをもしようせざるぼん、 たゞちにかい無漏むろほうにいたるといふことは、 一代ゐちだい諸教しよけうだんぜず。 たゞ弥陀みだ一仏ゐちぶち超絶てうぜちしやうなるがゆへに、 このしやうのきはまりをもて不可ふか思議しぎくわう如来によらいとなづけたてまつるなり。

つぎに南无なもわあ弥陀みだぶちみやうがうは、 まさしき所帰しよくゐぎやうたいなり。 これをもて、 もとも中尊ちうそんあんぜらるべしといへども、 あみだぶちといへるは天竺てんぢくのことばなるがゆへに、 たゞこのろくにむかふときは、 そのきこゑず。 このゆへに、 不可ふか思議しぎくわう如来によらいなかにすへたてまつりて、 まづやくのとおきこと、 こゝろもことばもをよばざるだうをし1382らせて、 其後そののちこのみやうがうむかひたてまつるとき、 かの不可ふかしよう不可ふかせつなるたいは、 南無なもわあ弥陀みだぶちにてましましけりと、 しらせんためなり。

つぎに无むげくわう如来によらいは、 これも弥陀みだ尊号そんがうそんがうなり。 これすなはちさきにいだすところのじふくわうぶちのなかの无むげくわうなり。 じむ十方じふぱう无むげくわうといふは、 十方じふぱうをつくしてさはりなきひかりといふ。 これ天親てんじんさちの ¬じやうろん¼ よりいでたり。 さはりにつきてないしやうしやうあり。 しやうといふは、 さんりんのかげ、 くもきりのへだてとうなり。 ないしやうといふは、 貪瞋とんじん三毒さんどくをよび一切ゐちさい邪業じやごふとうなり。 弥陀みだ光明くわうみやうはこれらの一切ゐちさいしやうをはなれて、 あまねく十方じふぱうかいをてらしてやくをほどこしたまふがゆへに无むげくわう如来によらいまうすなり。 そのやくといふは、 念仏ねむぶちしゆじやうをおさめとりてすてたまはざるなり。 善導ぜんだうくわしやうしやくに、 「ゆいくわん念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや (礼讃) といへる、 これなり。

しかれば、 南无なもわあ弥陀みだぶちといへるも、 不可ふか思議しぎくわう无むげくわうといへるも、 みな弥陀みだ一仏ゐちぶち御名みななり。 そのなかに、 まづ不可ふか思議しぎくわうといへる震旦しんたむのことばのさとりやすきをさきとしてこゝろをえさせてのちに、 この不可ふか思議しぎたいすなはち南无なもわあ弥陀みだぶちなりとしらせ、 この南無なもわあ弥陀みだぶちとくを、 または无むげくわうぶちともなづけたてまつることをあらはさんがために、 かくのごとくだいしてすゑたてまつらるゝなり。 みやうがう1383まさしきぎやうたいなるがゆへにみぎにすゑたてまつられ、 无むげくわうはそのとくをあらはすことばなるがゆへにひだりあんぜらる。 しやうにんぎょは、 内典ないてんにはみぎしやうすべしとおぼしめすがゆへなり。

つぎにそんぎやうざうをもてまへにあんぜられたり。 まづ弥陀みだぎやうざうは、 ¬観経くわんぎやう¼ のざうくわんのこゝろなり。 かの ¬きやう¼ に十三じふさんぢやうぜんをとくなかに、 第八だいはちくわんざうくわんなり、 これぎやうざうなり。 だいくわん真身しんしんくわんなり、 これじやう如来によらいなり。 これすなはちしゆじやうさはりをもくして、 はじめより六十ろくじふ万億まんおくしんりやうくわんずることかなうべからざるがゆへに、 まづこゝろをぎやうざうにとゞめて、 だい転入てんにふしてじやう如来によらいくわんぜしめんとなり。 これあさきよりふかきをしへ、 よりしんにいるもんなり。 かるがゆへにかの説相せちさうにまかせて、 まづぎやうざうたいとして、 そのわあ弥陀みだぶち真実しんじちたい不可ふか思議しぎくわう无むげくわうたいなりとさとらしめんがためなり。

ざうにかき、 木像もくざうにつくれるは、 ちゐさくかけばちゐさきかたち、 おほきにつくればおほきなるすがたなり。 たゞそのぶんをまもるがゆへに真実しんじちにあらず。 不可ふか思議しぎくわう如来によらいとも、 无むげくわう如来によらいともいひて、 もんにあらはせるときは、 すなはちぶんりやうをさゝざるゆへに、 これじやう真実しんじち仏体ぶちたいをあらはせるなり。 しかれども、 ぼんはまどひふかく、 さと1384りすくなきがゆへに、 あさきによらずは、 ふかきをしるべからず。 方便はうべんをはなれては、 真実しんじちをさとるべからざれば、 ふかきもあさきも、 みな如来によらい善巧ぜんげう真実しんじち方便はうべんも、 ともにぎやうじや依怙えこなり。 このゆへに、 あるひはぎやうざうし、 あるひはもんをあらはして、 しんともにしめし、 梵漢ぼんかむならべてぞんずるなり。 いづれも弥陀みだ一仏ゐちぶちたいなりとしりて、 ふかくくゐきやうしたてまつるべきなり。

つぎにしやぎやうざうをのせらるゝことは、 一代ゐちだいほんもん教主けうしゆなるがゆへなり。 そのゆへは、 弥陀みだ如来によらいだいのちかひをたれたまふとも、 しやくそんこれをときたまはずは、 しゆじやういかでかしんすることをゑん、 弥陀みだねんぜんひと、 ことにしやくそん恩徳おんどくほうずべきなり、 しかれば善導ぜんだうくわしやうの ¬わうじやう礼讃らいさん¼ のはじめに、 まづほんしや如来によらいらいし、 つぎに一切ゐちさい諸仏しよぶちらいしたまふ。 これすなはちしや能説のうせちおんほうじ、 諸仏しよぶち証誠しようじやうとくしやせんがためなり。 さればとて、 念仏ねむぶちにならべてこれをしようねむせんことは、 専修せんじゆのこゝろにあらず。 しやくそん弥陀みだみやうがうをとなへて西方さいはうにむまれよとをしへ、 諸仏しよぶちはこれをしんぜよとしたをのべて同心どうしむ証誠しようじやうしたまひたれば、 かのをしへにしたがひて、 ふたごゝろなく弥陀みだくゐしたてまつるならば、 しや諸仏しよぶちほんにもかなふべきなり

1385ぎにさんさちのなかに、 せいじやうさち等覚とうがくくらひなり。 かるがゆへに中尊ちうそんとす。 龍樹りうじゆ天親てんじん龍樹りうじゆえど穢土のさちなり。 それにとりてしゆちぜんにより、 地位ぢゐかうにつきて、 左右さうしたまへり。 まづせいさちは、 弥陀みだ如来によらいけふ弟子でしなり。 弥陀みだ慈悲じひをつかさどれるをくわんをんとなづけ、 弥陀みだ智恵ちえをつかさどるをせいがうす。 かるがゆへに十方じふぱうかい念仏ねむぶち三昧ざんまいのひろまることは、 これせいのちからなり。 このゆへに ¬しゆりようごんぎやう¼ (巻五) には 「念仏ねむぶちのひとをせふしてじやうくゐせしむ」 ととけり。 ぐゑんくうしやうにんも、 すなはちせいしんなりとしめしたまふ。 かるがゆへにことさらにこれをのせたてまつらるゝなり。

つぎに龍樹りうじゆさちは、 新訳しんやくにはりうみやういふ八宗はちしゆかうせんろんなり。 しやくそんめちひゃくねんにあたりてしゆちしたまへり。 かの ¬りようきやう¼ (魏訳巻九総品意 唐訳巻六偈頌品意) の、 しや如来によらいかねてときたまへるやうは、 「なん天竺てんぢくのうちに、 龍樹りうじゆさちにいでゝ、 有无うむ邪見じやけんすべし。 だいじようじやうほふをとき、 くわんしようして、 安楽あんらくこくわうじやうせん」 とらいしたまへり。 「だいじようじやうほふ」 といふは、 いまのじやうだいそくなり。 「安楽あんらくしやうぜん」 といふは、 すなはち弥陀みだじやうにむまれんとなり。 これによりて、 ¬じふらい¼・¬十住じふぢゆ毘婆びば娑論しやろん¼ とうをつくりて、 もつぱ弥陀みだみやうがうをほめ、 ぎやう一道ゐちだう1386すゝめたまへり。 しかれば、 もとはこれ真宗しんしゆかう、 いまはまたじやうゐちしやうなり。 かるがゆへにこれをのせたまへり。

つぎに天親てんじんさちは、 新訳しんやくにはしんいふ。 これもおなじくせんろんなり。 めちひやくねんにあたりてしゆちしたまふ。 ¬じやうろん¼ をつくり、 あきらかにさんぎやうたいをのべたまへり。 このゆへに、 じやうしやうきやうろんをさだむるとき、 きやうにはさん妙典めうでんをとり、 ろんにはこの一論ゐちろんをもちゐる。 すでにこれじやうたいなり。 ぎやうじやもともあがめたてまつるべきがゆへに、 これをのせたまへり。

これについてしんあり。 せいしやけふにあらず、 龍樹りうじゆせいほふにあらず、 天親てんじんまた龍樹りうじゆ弟子でしにあらず。 なんぞかくのごとくつらねらるゝやと、 おぼつかなし。 これをこゝろうるに、 いま図絵づゑせらるゝところは、 かならず血脈くゑちみやくさうじようだいにあらず。 さきにのぶるがごとく、 せい弥陀みだ智慧ちえもんをつかさどりたまふがゆへに、 弥陀みだ如来によらいより念仏ねむぶち三昧ざんまいさうじようしたまへるへんをもて、 これをのせらるゝなり。 龍樹りうじゆ天親てんじんさちは、 これもあながちに師資ししさうじようにあらずといへども、 ともに西天さいてんかうとして、 おなじくせん論主ろんじゆにてまします。 をのをのこのけうをもはらにせらるゝゆへに、 いづれもいかでかへうしたてまつらん。 ならべてすえたてまつらるゝにさうなし。

1387はんや、 さちともにめちろんとしてしやくそんをうけたまへりといへども、 龍樹りうじゆより天親てんじんにつたふといふこゝろ、 ひとすぢに、 またなかるべきにもあらず。 そのゆへは、 このさちをのをのめちぶちをたすけて、 だう邪執じやしふせらる。 じやう一門ゐちもんぎやうわたくしなし。 だいしゆち天親てんじん、 なんぞじやうだいしゆち龍樹りうじゆをもちゐたまはざらんや。 しかれば曇鸞どんらんくわしやう天親てんじんの ¬じやうろん¼ によりてちうをくはへらるゝとき、 まづはじめに龍樹りうじゆの ¬十住じふぢゆ毘婆びばしやろん¼ をひきて、 なんだうをあかされたり。 これすなはちかの龍樹りうじゆはんたまへるだうのなかに、 しばらくぎやう一道ゐちだうによりて、 天親てんじんさちいまの ¬じやうろん¼ をつくりたまへることをあらはさんがためなり。

しかのみならず、 善導ぜんだうくわしやうの ¬わうじやう礼讃らいさん¼ にも、 日没にちもちしよとは ¬だいやう¼ のこゝろにより、 ちうは ¬じふらい¼ のもんじゆし、 後夜ごやは ¬じやうろん¼ のせつをぬきいでられたり。 しやくそん龍樹りうじゆ天親てんじんだいせんこと、 これまたそのしようなるべし。

これらのをもて、 かくのごとくせらるゝかとぞんずるところなり。

つぎにまたしんあり。 せいじやうしやうじゆなれば、 さちのかたちにせらるゝことしかるべし。 龍樹りうじゆ天親てんじんはこの高僧かうそうなり、 なんぞせいとおなじくまさしくさちのかたちならんやと、 おぼへたり。 これをこゝろうるに、 龍樹りうじゆしよさちなり、 またじやうゐちしやうにつらな1388れり。 天親てんじんもまたじふかう向満かうまんさちなれば、 すでにしようにとなれり。 いづれもないしようをいふに、 さちのかたちならんことさうあるべからざるゆへに、 かくのごとくあらはしのせらるゝなり。

つぎにだい流支るし天竺てんぢく高僧かうそうほんぎやう三蔵さんざうなり。 ことにじやうをねがひて、 もはら ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ をたもちたまへり。

つぎに曇鸞どんらんくわしやうはもとはろんしゆのひとなり。 ろんといふは三論さんろんに ¬ろん¼ をくはふるなり。 三論さんろんといふは、 ひとつには ¬中論ちうろん¼、 ふたつには ¬ひやくろん¼、 みつには ¬じふ門論もんろん¼ なり。 またたう隠居いんきよといふひとにあひて、 仙方せんぱうがくせられき。 いのちながくて、 よく仏法ぶちぽふのそこをならひきはめんがためなり。 しかるにだい流支るしにあひて、 このせんぎやうにまさる仙方せんぱうやあるとたづねたまひしとき、 かの ¬観経くわんぎやう¼ をあたへたまひしによりて、 たちまちにじふくわん仙方せんぱうをやきすてゝ、 じやうもんいりたまひき。 それよりこのかた、 たちまちにろん講説かうせちをすてゝ、 一向ゐちかうじやうくゐたまひけり。 すなはち天親てんじんの ¬じやうろん¼ をちうしたまふ。 また ¬さんわあ弥陀みだぶち¼ といへるふみも、 このくわしやうのつくりたまへるなり。

つぎにだうしやくぜんは、 もとはんしゆ学者がくしやなり。 これは曇鸞どんらんくわしやう面授めんじゆにあらず、 そのだいゐちぴやくねんをへたり。 しかれども、 らんもんをみて、 じやうもんにいりたま1389しがゆへに、 かの弟子でしたり。 これもつゐにはんくわうごふをさしをきて、 ひとへに西方さいはうぎやうをひろめたまひき。 ¬安楽あんらくしふ¼ くわんをつくりたまへり。

つぎに善導ぜんだうくわしやうは、 だうしやくぜん面授めんじゆ弟子でし、 もはらこれ真宗しんしゆしゆなり。 あるひは弥陀みだしんといひ、 あるひはしやくそん再誕さいたんといふ。 五部ごぶくわんもんをのべて、 ぼんわうじやうぢきををしへたまふ。 いはゆる弥陀みだじやうほうとさだめて、 しかべちぐわん強縁がうゑんたくして、 断惑だんわくぼんわうじやうをとぐる善導ぜんだうくわしやうれうくゑんよりいでたり。 この諸仏しよぶちしようをこふてさだめたまへり。 あふいでこれをしんずべし。

つぎにかんぜんは、 法相ほふさうしゆのひとなり。 善導ぜんだうくわしやうにあひたてまつりて、 じやうくゐたまひき。 ¬ぐんろん¼ しちくわんをつくりたまへり。

つぎにしよふかふほふは、 もとはこれも法相ほふさうしゆのひとなり、 またきやうしやなり。 むかしはくきやうざうにいたりたまふに、 よるひかりをはなつ経巻きやうくわんあり。 これをさぐりとりたまふに、 善導ぜんだうくわしやうしやくなり。 またちやうあんじやう善導ぜんだうくわしやう影堂ゑいだうにまうでたまふに、 影像ゑいざうして仏身ぶちしんとなりて、 かふのために説法せちぽふしたまひき。 それよりふかくじやうをねがひて、 ひとへに弥陀みだくゐしたまふ。 ¬瑞応ずいおう刪伝さんでん¼ をしるしたまへり。 ひとつたへてくわしやうしんなりといへり。 このゆへに善導ぜんだうがうす。 これまたくわしやうめち弟子でし1390なり。 かつはくわしやうとくぎやうをあらはさんがため、 かつは諸宗しよしゆとくじやうくゐすることをしめさんがために、 これをのせられたり。

つぎにほふしよふぜんは、 これも善導ぜんだうくわしやうしんなり。 かるがゆへにおなじく善導ぜんだうまうす。 またざん弥陀みだくわしやうともなづけたてまつる。 清涼しょうりょうせんだいしやう竹林ちくりんにまうでゝ、 しやうじん文殊もんじゆにあひたてまつりて、 らいしゆじやうはいかなるぎやうしゆしてかしやうをはなるべきと、 とゐたてまつりたまひければ、 わあ弥陀みだぶちしようねむすべしとをしへたまひけり。 ¬五会ごゑほふさん¼ ゐちくわんをつくりたまへり。 これも善導ぜんだうくわしやうめち弟子でしなり。 いまこれをのせらるゝこと、 さいさきにおなじ。

つぎにわがてう先徳せんどくのなかに、 まづしやうとくたいをつらねたまへり。 これもひとへにしゆ祖師そしにあらず、 血脈くゑちみやくさうじようにあらずといへども 、 この日本にちぽんこく仏法ぶちぽふをひろめたまひし恩徳おんどくをしらせんがために、 ことさらこれをのせたてまつらるゝなり。 なかにつくに、 しやうにん六角ろくかくだうしやうによりて、 みづからもこのほふをたもち、 ひとををしへてもあまねくひろめたまふがゆへに、 ことにたいをあがめたまへり。

つぎにしむ先徳せんどくは、 天臺てんだい碩徳せきとくりやうぜんちやうしゆなり。 しかるにじやう一門ゐちもんをきめてぢよく末代まちだいをすゝめたまふ。 ¬わうじやう要集ようしふ¼ さんくわんをつくりたまへり。 かのしふにひきもち1391ゐらるゝところ、 おほくは善導ぜんだうくわしやうしやくなり。 くわしやうしゆをつたへらるゝとみえたり。

つぎにぐゑんくうしやうにんは、 もとは天臺てんだいがく、 のちには真宗しんしゆたいたり。 しゆをたてぎやうをもはらにすること、 わがてうだう、 これよりことにさかりなり。 はじめにはしむの ¬わうじやう要集ようしふ¼ をみたまひて、 みづから真門しんもんにいり、 のちにはくわしやうの ¬観経くわんぎやう¼ をひらきて、 しゆをゑたまへり。 ¬せんぢやくしふ¼ ゐちくわんをつくりたまへり。 かのしふにのべらるゝがごとくは、 くわしやうをもてしようをさだめらるとみゑたり。

つぎに親鸞しんらんしやうにんは、 ぐゑんくうしやうにん面授めんじゆ弟子でしなり。 これももとは天臺てんだい学者がくしやなり。 さいにしてちんくわしやうもんにつらなりて、 くゑんみちりやうしゆくゑんがくし、 廿にじふさいにしてぐゑんくうしやうにん禅室ぜんしちにいりて、 じやう一門ゐちもん受学じゆがくたまひき。 それよりこのかた、 ひとへに一向ゐちかう一心ゐちしむ深信じんしんをたくはへ、 ことに専修せんじゆ専念せんねんゐちぎやうをひろめたまへり。 くわんのあまねきこと、 ちかきよりとをきにいたり、 だうのひろきこと、 たかきよりいやしきをかねたり。 ¬くゑんじやう真実しんじちけうぎやうしよう文類もんるい¼ ろくくわんをあつめたまへり。 相伝さうでんようかのしよにあきらかなり。 そのゝちのしようだいさうじようして、 みなかのをしへをうけ、 をのをのその信心しんじむをつたへたまへり。 このゆへに、 うくるところ1392りう門葉もんようにつたへてたゆることなく、 ひろむるところのめうたうにいたりてますますさかりなり。

このほか信空しんくうしやうにん聖覚せいかく法印ほふいんは、 ぐゑんくうしやうにん弟子でしとして、 親鸞しんらんしやうにんには一室ゐちしち等侶とうりよなり。 信空しんくうは、 もと叡空ゑいくうしやうにん弟子でしにして、 真言しんごんならびにだいじようりちとうぎやうがくしたまひしが、 じやう信心しんじむにいたりては、 くうしやうにんのをしへをうけてもんじやうそくたりき。 聖覚せいかくは、 天臺てんだい一流ゐちりうめいしやう論説ろんせちだう達者たちしやにて、 てうにももちゐられ、 ひとにもゆるされたまひしが、 これもくうくわんをうけて、 ふかく真門しんもんくゐたまひけるなり。 ¬唯信ゆいしんせう¼ といへる仮名かなしよは、 このひとのつくりたまへるなり。 くだんにん同学どうがくのなかに、 ことにらんしやうにん安心あんじむゐちしたまひけり。 このゆへに、 かゝるやんごとなき人々ひとびとの、 かの門葉もんようにつらなれることをあらはして、 かつはめいしやうにんとくをしらしめんがため、 かつは安心あんじむゐちぶんをしめされんがために、 これをのせたまへるなり。

応永廿四歳 丁酉 四月廿九日、 以或本令書写之、 先老御草歟、 不分明。 雖然依為最要写之。 是又為後才可全之秘蔵云々。

愚昧沙門光覚 (花押)

 

底本は◎京都府常楽寺蔵応永二十四年光覚写伝本。