1379◎弁べん述じゅつ名みょう体たい鈔せう

 

◎高かう祖そ親鸞しんらむ聖しやう人にん御ご在ざい生しやうのとき、 末代まちだいの門弟もんてい等とう、 安あん置ちのためにさだめおかるゝ本尊ほんぞんあまたあり。 いはゆる六ろく字じの名みやう号がう、 不可ふか思議しぎ光くわう如来によらい、 无むげ光くわう仏ぶち等とうなり。 梵漢ぼんかむことなれども、 皆みな弥陀みだ一仏ゐちぶちの尊号そんがうなり。

-このほか、 あるひは天竺てんぢく・震旦しんたむの高かう祖そ、 あるひは我朝わがてう血脈くゑちみやくの先徳せんどく等とう、 をのをの真影しんゑいをあらはされたり。 これによりて、 面々めんめんの本尊ほんぞむ、 一々ゐちゐちの真像しんざう等とうを、 一鋪ゐちぷくのうちに図絵づゑして、 これを光明くわうみやう本ほんとなづく。 けだし、 これ当流たうりうの学者がくしやのなかに、 たくみいだされたるところなり。

まづ不可ふか思議しぎ光くわう如来によらいといふは、 かの如来によらいの智慧ちえの光明くわうみやう、 その徳とくすぐれたうとくして、 心しむをもてもおもひがたく、 ことばをもてもはからずといふことばなり。 この不可ふか思議しぎ光くわう如来によらいをもて、 中央ちうあうにすゑたてまつらるゝことは、 弥陀みだ如来によらいの真実しんじち報身ほうじむの徳とくをほめたてまつる御名みななるがゆへなり。

-これすなはち聖しやう人にん、 弥陀みだの身しん土どにをいて真仏しんぶち土ど・化くゑ身しん土どをたてたまふとき、 真仏しんぶち土どを釈しやくすとして、 「▲仏ぶちはすなはちこれ不可ふか思議しぎ光くわう如来によらい、 土どはまたこれ無む量りやう光明くわうみやう土どなり」 (真仏土巻) と釈しやくしたまへり。 こ1380のゆへに、 真仏しんぶちの体たいなるをもて中尊ちうそんとせらるゝなり。

-そもそもこの不可ふか思議しぎ光くわう如来によらいといへるは、 聖しやう人にんのわたくしにかまへたる意い巧げうか、 また経釈きやうしやくのなかにその証しようありやといふに、 更さらに聖しやう人にんの今案こんあんにあらず。 経きやう説せちよりいで、 釈しやく義ぎよりをこれり。

-まづみなもとをたづぬれば、 ¬大だい経きやう¼ の四し十八じふはち願ぐわんのなかに、 光明くわうみやう無む量りやうの願ぐわん成じやう就じゆしたまへるゆへに、 諸仏しよぶちにすぐれて十方じふぱうにきこゑずといふことなきなり。 その光明くわうみやうの功く徳そくの无む量りやうなるなかに、 要ようをとりてこれをいふに、 十じふ二に光くわうの名なあり。 一ひとつには无む量りやう光くわう仏ぶち、 二ふたつには无む辺へん光くわう仏ぶち、 三みつには无むげ光くわう仏ぶち、 四よつには无む対たい光くわう仏ぶち、 五ゐつゝには炎王えむわう光くわう仏ぶち、 六むつには清浄しやうじやう光くわう仏ぶち、 七なゝつには歓くわん喜ぎ光くわう仏ぶち、 八やつには智慧ちゑ光くわう仏ぶち、 九こゝのつには不ふ断だん光くわう仏ぶち、 十とほには難なん思じ光くわう仏ぶち、 十一じふゐちには无む称しよう光くわう仏ぶち、 十じふ二にには超日てうにち月ぐわち光くわう仏ぶちなり。

-このなかに、 難なん思じ光くわう仏ぶち、 无む称しよう光くわう仏ぶちと云いへるは、 すなはちいまの不可ふか思議しぎ光くわう如来によらいのこゝろなり。 心こゝろをもてをもふべからざるところを難なん思じ光くわう仏ぶちといひ、 ことばをもてはかるべからざる義ぎを无む称しよう光くわう仏ぶちと称しようするなり。 この二ふたつの名なを取とり合あはせて不可ふか思議しぎ光くわう如来によらいとなづけたてまつるなり。

-こゝをもて、 同おなじき ¬経きやう¼ (大経巻上) のなかに、 あるひは 「▲無む量りやう壽じゆ仏ぶちの威ゐ神じん光明くわうみやう、 最尊さいそん第一だいゐちにして、 諸仏しよぶちの光明くわうみやうのをよばざるところなり」 といひ、 あるひは 「▲仏ぶちののたまはく、 われ无む量りやう壽じゆ仏ぶちの光明くわうみやう、 威ゐ神じん巍々ぎぎ殊妙しゆめうなるをとかんに、 昼ちう1381夜や一劫ゐちこうすとも、 なをしいまだつくすことあたはじ」 といへる、 みなこれ不可ふか思議しぎ光くわうの心こゝろなり。

-またこの一ゐち経きやうの説せちのみにあらず、 ¬無む量りやう寿じゆ如来によらい会ゑ¼ に、 同おなじく種々しゆじゆの異ゐ名みやうをとくなかに、 まさしく▲不可ふか思議しぎ光くわうをあげたり。 ▲无む量りやう光明くわうみやう土どの名なも、 同おなじき ¬経きやう¼ の説せちよりいでたり。 経きやう説せちかくのごとし。

つぎに解げ釈しやくのなかには、 曇鸞どんらん和くわ尚しやうの ¬讃さん阿わあ弥陀みだ仏ぶち偈のげ¼ に、 まさしく 「▲南無なも不可ふか思議しぎ光くわう、 一心ゐちしむ帰くゐ命みやう稽首けいしゆ礼らい」 と釈しやくしたまへる、 これなり。

-聖しやう人にんこれらの経釈きやうしやくによりて、 義ぎをたて名なをあらはし給たまへるなり。

-是これ則すなはちかの阿わあ弥陀みだ如来によらいは、 四し重ぢう五ご逆ぎやくの罪人ざいにんなれども、 廻ゑ心しむすればことごとく往わう生じやうをゑ、 五ご障しやう三さん従しようの女人によにんなれども、 称しよう念ねむすればかならず済さい度どにあづかる。 一毫ゐちがうの煩悩ぼんなうをも断だんぜず、 一分ゐちぶんの智ち品ぼんをも証しようせざる凡ぼん夫ぶ、 たゞちに界かい外げ無漏むろの報ほう土どにいたるといふことは、 一代ゐちだいの諸教しよけうに談だんぜず。 たゞ弥陀みだ一仏ゐちぶちの超絶てうぜちの利り生しやうなるがゆへに、 この利り生しやうのきはまりをもて不可ふか思議しぎ光くわう如来によらいとなづけたてまつるなり。

つぎに南无なも阿わあ弥陀みだ仏ぶちの名みやう号がうは、 まさしき所帰しよくゐの行ぎやう体たいなり。 これをもて、 もとも中尊ちうそむに案あんぜらるべしといへども、 あみだ仏ぶちといへるは天竺てんぢくのことばなるがゆへに、 たゞこの六ろく字じにむかふときは、 その義ぎきこゑず。 このゆへに、 不可ふか思議しぎ光くわう如来によらいを中なかにすへたてまつりて、 まづ利り益やくのとおきこと、 心こゝろもことばもをよばざる道だう理りをし1382らせて、 其後そののちこの名みやう号がうに向むかひたてまつるとき、 かの不可ふか称しよう不可ふか説せつなる体たいは、 南無なも阿わあ弥陀みだ仏ぶちにてましましけりと、 しらせんためなり。

つぎに无むげ光くわう如来によらいは、 これも弥陀みだの尊号そんがうなり。 是これ則すなはちさきにいだすところの十じふ二に光くわう仏ぶちのなかの无むげ光くわうなり。 尽じむ十方じふぱう无むげ光くわうといふは、 十方じふぱうをつくしてさはりなきひかりといふ。 これ天親てんじむ菩ぼ薩さちの ¬浄じやう土ど論ろん¼ よりいでたり。

-さはりにつきて内ない障しやう・外げ障しやうあり。 外げ障しやうといふは、 山さん・林りんのかげ、 雲くも・霧きりのへだて等とうなり。 内ない障しやうといふは、 貪瞋とんじん痴ちの三毒さんどくをよび一切ゐちさいの邪業じやごふ繋け等とうなり。 弥陀みだの光明くわうみやうはこれらの一切ゐちさいの障しやうげをはなれて、 あまねく十方じふぱう世せ界かいをてらして利り益やくをほどこし給たまふがゆへに无むげ光くわう如来によらいと申まうすなり。

-その利り益やくといふは、 念仏ねむぶちの衆しゆ生じやうをおさめとりてすてたまはざるなり。 善導ぜんだう和くわ尚しやうの釈しやくに、 「▲唯ゆい観くわん念仏ねむぶち衆しゆ生じやう摂取せふしゆ不ふ捨しや」 (礼讃) といへる、 これなり。

-しかれば、 南无なも阿わあ弥陀みだ仏ぶちといへるも、 不可ふか思議しぎ光くわう・无むげ光くわうといへるも、 みな弥陀みだ一仏ゐちぶちの御名みななり。 そのなかに、 まづ不可ふか思議しぎ光くわうといへる震旦しんたむのことばのさとりやすきをさきとして心こゝろをえさせて後のちに、 この不可ふか思議しぎの体たいは即すなはち南无なも阿わあ弥陀みだ仏ぶちなりとしらせ、 この南無なも阿わあ弥陀みだ仏ぶちの徳とくを、 または无むげ光くわう仏ぶちともなづけたてまつることをあらはさんがために、 かくのごとく次し第だいしてすゑたてまつらるゝなり。 名みやう号がうは1383まさしき行ぎやう体たいなるがゆへにみぎにすゑたてまつられ、 无むげ光くわうはその徳とくをあらはすことばなるがゆへに左ひだりに安あんぜらる。 聖しやう人にんの御ぎょ意いは、 内典ないてんには右みぎを賞しやうすべしとおぼしめすがゆへなり。

つぎに二に尊そんの形ぎやう像ざうをもてまへに安あんぜられたり。 まづ弥陀みだの形ぎやう像ざうは、 ¬観経くわんぎやう¼ の像ざう観くわんのこゝろなり。 かの ¬経きやう¼ に十三じふさん定ぢやう善ぜんをとくなかに、 第八だいはちの観くわんは像ざう観くわんなり、 これ形ぎやう像ざうなり。 第だい九くの観くわんは真身しんしむ観くわんなり、 これ浄じやう土どの如来によらいなり。 これすなはち衆しゆ生じやうさはりをもくして、 はじめより六十ろくじふ万億まんおくの身しむ量りやうを観くわんずることかなうべからざるがゆへに、 まづこゝろを形ぎやう像ざうにとゞめて、 次し第だいに転入てんにふして浄じやう土どの如来によらいを観くわんぜしめんとなり。

-これあさきよりふかきをしへ、 仮けより真しんにいる義ぎ門もんなり。 かるがゆへにかの説相せちさうにまかせて、 まづ形ぎやう像ざうを体たいとして、 その阿わあ弥陀みだ仏ぶちの真実しんじちの体たいは不可ふか思議しぎ光くわう・无むげ光くわうの体たいなりとさとらしめんがためなり。

-絵え像ざうにかき、 木像もくざうにつくれるは、 ちゐさく書かけばちゐさきかたち、 おほきにつくればおほきなるすがたなり。 たゞその分ぶんをまもるがゆへに真実しんじちにあらず。 不可ふか思議しぎ光くわう如来によらいとも、 无むげ光くわう如来によらいともいひて、 文もん字じにあらはせるときは、 すなはち分ぶん量りやうをさゝざるゆへに、 これ浄じやう土どの真実しんじちの仏体ぶちたいをあらはせるなり。

-しかれども、 凡ぼん夫ぶはまどひふかく、 さと1384りすくなきがゆへに、 あさきによらずは、 ふかきをしるべからず。 方便はうべんをはなれては、 真実しんじちをさとるべからざれば、 ふかきもあさきも、 みな如来によらいの善巧ぜんげう、 真実しんじちも方便はうべんも、 ともに行ぎやう者じやの依怙えこなり。

-このゆへに、 あるひは形ぎやう像ざうを図づし、 あるひは文もん字じをあらはして、 真しん仮けともにしめし、 梵漢ぼんかむならべて存ぞんずるなり。 いづれも弥陀みだ一仏ゐちぶちの体たいなりとしりて、 ふかく帰くゐ敬きやうしたてまつるべきなり。

つぎに釈しや迦かの形ぎやう像ざうをのせらるゝことは、 一代ゐちだいの本ほん師し、 二に門もんの教主けうしゆなるがゆへなり。 そのゆへは、 弥陀みだ如来によらい大だい悲ひのちかひをたれたまふとも、 釈しやく尊そんこれをときたまはずは、 衆しゆ生じやういかでか信しん知ちすることをゑん、 弥陀みだを念ねんぜんひと、 ことに釈しやく尊そんの恩徳おんどくを報ほうずべきなり、 しかれば善導ぜんだう和くわ尚しやうの ¬往わう生じやう礼讃らいさん¼ のはじめに、 ▲まづ本ほん師し釈しや迦か如来によらいを礼らいし、 ▲つぎに一切ゐちさい諸仏しよぶちを礼らいしたまふ。 これすなはち釈しや迦かは能説のうせちの恩おんを報ほうじ、 諸仏しよぶちは証誠しようじやうの徳とくを謝しやせんがためなり。

-さればとて、 念仏ねむぶちにならべてこれを称しよう念ねんせんことは、 専修せんじゆのこゝろにあらず。 釈しやく尊そんは弥陀みだの名みやう号がうをとなへて西方さいはうにむまれよとをしへ、 諸仏しよぶちはこれを信しんぜよと舌したをのべて同心どうしむに証誠しようじやうしたまひたれば、 かのをしへにしたがひて、 ふたごゝろなく弥陀みだに帰くゐしたてまつるならば、 釈しや迦か・諸仏しよぶちの本ほん意いにもかなふべき也なり。

つ1385ぎに三さん菩ぼ薩さちのなかに、 勢せい至しは浄じやう土どの菩ぼ薩さち、 等覚とうがくの位くらひなり。 かるがゆへに中尊ちうそんとす。 龍樹りうじゆ・天親てんじむは穢土えどの菩ぼ薩さちなり。 それにとりて出しゆち世せの前ぜん後ごにより、 地位ぢゐの高かう下げにつきて、 左右さうに居こしたまへり。

-まづ勢せい至し菩ぼ薩さちは、 弥陀みだ如来によらいの右う脇けふの弟子でしなり。 弥陀みだの慈悲じひをつかさどれるを観くわん音をんとなづけ、 弥陀みだの智恵ちゑをつかさどるを勢せい至しと号がうす。 かるがゆへに十方じふぱう世せ界かいに念仏ねむぶち三昧ざんまいのひろまることは、 これ勢せい至しのちからなり。 このゆへに ¬首しゆ楞りよう厳ごん経ぎやう¼ (巻五) には 「念仏ねむぶちのひとを摂せふして浄じやう土どに帰くゐせしむ」 ととけり。 源ぐゑん空くう聖しやう人にんも、 すなはち勢せい至しの化くゑ身しんなりとしめし給たまふ。 かるがゆへにことさらにこれをのせたてまつらるゝなり。

つぎに龍樹りうじゆ菩ぼ薩さちは、 新訳しんやくには龍りう猛みやうと云いふ、 八宗はちしうの高かう祖そ、 千せん部ぶの論ろん師じなり。 釈しやく尊そんの滅めち後ご五ご百ひゃく余よ年ねむにあたりて出しゆち世せしたまへり。 かの ¬楞りよう伽が経きやう¼ (魏訳巻九総品意 唐訳巻六偈頌品意) の、 釈しや迦か如来によらいかねてときたまへるやうは、 「南なん天竺てんぢく国こくのうちに、 龍樹りうじゆ菩ぼ薩さち世よにいでゝ、 有无うむの邪見じやけんを破はすべし。 大だい乗ぜう无む上じやうの法ほふをとき、 歓くはん喜ぎ地ぢを証しようして、 安楽あんらく国こくに往わう生じやうせん」 と未み来らい記きしたまへり。

-「大だい乗じよう无む上じやうの法ほふ」 といふは、 いまの无む上じやう大だい利りの功く徳そくなり。 「安楽あんらくに生しやうぜん」 といふは、 すなはち弥陀みだの浄じやう土どにむまれんとなり。 これによりて、 ¬十じふ二に礼らい¼・¬十住じふぢゆ毘婆びば娑論しやろん¼ 等とうをつくりて、 専もはら弥陀みだの名みやう号がうをほめ、 易い行ぎやうの一道ゐちだうを1386すゝめたまへり。 しかれば、 もとはこれ真宗しんしうの高かう祖そ、 いまはまた浄じやう土どの一ゐち聖しやうなり。 かるがゆへにこれをのせたまへり。

つぎに天親てんじむ菩ぼ薩さちは、 新訳しんやくには世せ親しんと云いふ。 これもおなじく千せん部ぶの論ろん師じなり。 滅めち後ご九く百ひやく年ねむにあたりて出しゆち世せしたまふ。 ¬浄じやう土ど論ろん¼ をつくり、 あきらかに三さん経ぎやうの大たい意いをのべたまへり。 このゆへに、 浄じやう土どの正しやう依ゑ経きやう論ろんをさだむるとき、 経きやうには三さん部ぶの妙典めうでんをとり、 論ろんにはこの一論ゐちろんをもちゐる。 すでにこれ浄じやう土どの大たい祖そなり。 行ぎやう者じやもともあがめたてまつるべきがゆへに、 これをのせたまへり。

-これについて不ふ審しんあり。 勢せい至しは釈しや迦かの脇けふ士じにあらず、 龍樹りうじゆは勢せい至しの附ふ法ほふにあらず、 天親てんじむまた龍樹りうじゆの弟子でしにあらず。 なんぞかくのごとくつらねらるゝやと、 おぼつかなし。

-これをこゝろうるに、 いま図絵づゑせらるゝところは、 かならず血脈くゑちみやく相さう承じようの次し第だいにあらず。 さきにのぶるがごとく、 勢せい至しは弥陀みだの智慧ちえ門もんをつかさどり給たまふがゆへに、 弥陀みだ如来によらいより念仏ねむぶち三昧ざんまいを相さう承じようしたまへる篇へんをもて、 これをのせらるゝなり。 龍樹りうじゆ・天親てんじむの二に菩ぼ薩さちは、 これもあながちに師資しし相さう承じようの義ぎにあらずといへども、 ともに西天さいてんの高かう祖そとして、 おなじく千せん部ぶの論主ろんじゆにてまします。 各をのをのこの教けうをもはらにせらるゝゆへに、 いづれもいかでか依ゑ憑へうしたてまつらん。 ならべてすえたてまつらるゝに相さう違ゐなし。

い1387はんや、 二に菩ぼ薩さちともに滅めち後ごの論ろん師じとして釈しやく尊そんの化くゑをうけたまへりといへども、 龍樹りうじゆより天親てんじむにつたふといふこゝろ、 ひとすぢに、 またなかるべきにもあらず。 そのゆへは、 この二に菩ぼ薩さちをのをの滅めち後ごの仏ぶち化くゑをたすけて、 外げ道だうの邪執じやしふを破はせらる。 浄じやう土どの一門ゐちもん、 解げ行ぎやうわたくしなし。 後ご代だい出しゆち世せの天親てんじむ、 なんぞ上じやう代だい出しゆち世せの龍樹りうじゆをもちゐたまはざらんや。

-しかれば曇鸞どんらん和くわ尚しやう、 天親てんじむの ¬浄じやう土ど論ろん¼ によりて註ちうをくはへらるゝとき、 まづはじめに龍樹りうじゆの ¬十住じふぢゆ毘婆びば娑しや論ろん¼ をひきて、 難なん易いの二に道だうをあかされたり。 是これ則すなはちかの龍樹りうじゆの判はんじ給たまへる二に道だうのなかに、 しばらく易い行ぎやうの一道ゐちだうによりて、 天親てんじむ菩ぼ薩さちいまの ¬浄じやう土ど論ろん¼ をつくりたまへることをあらはさんがためなり。

-しかのみならず、 善導ぜんだう和くわ尚しやうの ¬往わう生じやう礼讃らいさん¼ にも、 日没にちもちと初しよ夜やとは ¬大だい経きやう¼ の心こゝろにより、 中ちう夜やは ¬十じふ二に礼らい¼ の文もんを誦じゆし、 後夜ごやは ¬浄じやう土ど論ろん¼ の説せちをぬきいでられたり。 釈しやく尊そん・龍樹りうじゆ・天親てんじむと次し第だいせんこと、 これまたその証しようなるべし。

-これらの義ぎをもて、 かくのごとく図づせらるゝかと存ぞんずるところなり。

-つぎにまた不ふ審しんあり。 勢せい至しは浄じやう土どの聖しやう衆じゆなれば、 菩ぼ薩さちのかたちに図づせらるゝことしかるべし。 龍樹りうじゆ・天親てんじむはこの土どの高僧かうそうなり、 なんぞ勢せい至しとおなじくまさしく菩ぼ薩さちのかたちならんやと、 おぼへたり。

-これをこゝろうるに、 龍樹りうじゆは初しよ地ぢの菩ぼ薩さちなり、 また浄じやう土どの一ゐち聖しやうにつらな1388れり。 天親てんじむもまた十じふ廻ゑ向かうの向満かうまむの菩ぼ薩さちなれば、 すでに証しよう位ゐにとなれり。 いづれも内ない証しようをいふに、 菩ぼ薩さちのかたちならんこと相さう違ゐあるべからざるゆへに、 かくのごとくあらはしのせらるゝなり。

つぎに菩ぼ提だい流支るしは天竺てんぢくの高僧かうそう、 翻ほん経ぎやうの三蔵さんざうなり。 ことに浄じやう土どをねがひて、 もはら ¬観くわん無む量りやう寿じゆ経きやう¼ をたもちたまへり。

つぎに曇鸞どんらん和くわ尚しやうはもとは四し論ろん宗しふのひとなり。 四し論ろんといふは三論さんろんに ¬智ち論ろん¼ をくはふるなり。 三論さんろんといふは、 一ひとつには ¬中論ちうろん¼、 二ふたつには ¬百ひやく論ろん¼、 三みつには ¬十じふ二に門論もんろん¼ なり。 また陶たう隠居いんきよといふひとにあひて、 仙方せんぱうを学がくせられき。 いのちながくて、 よく仏法ぶちぽふのそこを習ならひきはめんがためなり。

-しかるに菩ぼ提だい流支るしにあひて、 この土どの仙せん経ぎやうにまさる仙方せんぱうやあると尋たづね給たまひしとき、 かの ¬観経くわんぎやう¼ をあたへ給たまひしによりて、 たちまちに十じふ巻くわんの仙方せんぱうをやきすてゝ、 浄じやう土ど門もんに入いり給たまひき。 それよりこのかた、 たちまちに四し論ろんの講説かうせちをすてゝ、 一向ゐちかふに浄じやう土どに帰くゐし給たまひけり。 即すなはち天親てんじむの ¬浄じやう土ど論ろん¼ を註ちう解げしたまふ。 また ¬讃さん阿わあ弥陀みだ仏ぶち偈げ¼ といへるふみも、 この和くわ尚しやうのつくり給たまへるなり。

つぎに道だう綽しやく禅ぜん師じは、 本もとは涅ね槃はん宗しふの学者がくしやなり。 これは曇鸞どんらん和くは尚しやう面授めんじゆにあらず、 その時じ代だい一ゐち百ぴやく余よ年ねんをへたり。 しかれども、 鸞らん師しの文もんをみて、 浄じやう土ど門もんにいり給たまひ1389しがゆへに、 かの弟子でしたり。 これもつゐに涅ね槃はんの広くわう業ごふをさしをきて、 ひとへに西方さいはうの行ぎやうをひろめ給たまひき。 ¬安楽あんらく集しふ¼ 二に巻くわんをつくり給たまへり。

つぎに善導ぜんだう和くは尚しやうは、 道だう綽しやく禅ぜん師じ面授めんじゆの弟子でし、 もはらこれ真宗しんしふの宗しふ師しなり。 あるひは弥陀みだの化くゑ身しんといひ、 あるひは釈しやく尊そんの再誕さいたんといふ。 五部ごぶ九く巻くわんの文もん義ぎをのべて、 凡ぼん夫ぶ往わう生じやうの直ぢき路ろををしへたまふ。 いはゆる弥陀みだの浄じやう土どを報ほう土どとさだめて、 而しかも別べち願ぐわんの強縁がうゑんに託たくして、 未み断惑だんわくの凡ぼん夫ぶ往わう生じやうをとぐる義ぎ、 善導ぜんだう和くわ尚しやうの料れう簡くゑんよりいでたり。 この義ぎ、 諸仏しよぶちに証しようをこふてさだめ給たまへり。 あふいでこれを信しんずべし。

つぎに懐ゑ感かん禅ぜん師じは、 法相ほふさふ宗しうのひとなり。 善導ぜんだう和くわ尚しやうにあひたてまつりて、 浄じやう土どに帰くゐし給たまひき。 ¬群ぐん疑ぎ論ろん¼ 七しち巻くわんをつくりたまへり。

つぎに少しよふ康かふ法ほふ師しは、 もとはこれも法相ほふさう宗しふのひとなり、 また持ぢ経きやう者しやなり。 昔むかし白はく馬ば寺じの経きやう藏ざうにいたり給たまふに、 よるひかりをはなつ経巻きやうくわんあり。 これをさぐりとり給たまふに、 善導ぜんだう和くは尚しやうの釈しやくなり。 また長ちやう安あん城じやうの善導ぜんだう和くわ尚しやうの影堂ゑいだうにまうでたまふに、 影像ゑいざう化くゑして仏身ぶちしんとなりて、 康かふ師しのために説法せちぽふしたまひき。 それよりふかく浄じやう土どをねがひて、 ひとへに弥陀みだに帰くゐしたまふ。 ¬瑞応ずいおう刪伝さんでん¼ をしるし給たまへり。 ひとつたへて和くは尚しやうの化くゑ身しんなりといへり。 このゆへに後ご善導ぜんだうと号がうす。 これまた和くは尚しやうの滅めち後ごの弟子でし1390なり。 かつは和くは尚しやうの徳とく行ぎやうをあらはさんがため、 かつは諸宗しよしふの智ち徳とくの浄じやう土どに帰くゐすることをしめさんがために、 これをのせられたり。

つぎに法ほふ照しよふ禅ぜん師じは、 これも善導ぜんだう和くは尚しやうの後ご身しんなり。 かるがゆへに同おなじく後ご善導ぜんだうと申まうす。 また廬ろ山ざんの弥陀みだ和くは尚しやうともなづけたてまつる。 清涼しやうりやう山せんの大だい聖しやう竹林ちくりん寺じにまうでゝ、 生しやう身じんの文殊もんじゆにあひたてまつりて、 未み来らいの衆しゆ生じやうはいかなる行ぎやうを修しゆしてか生しやう死じをはなるべきと、 問とゐたてまつり給たまひければ、 阿わあ弥陀みだ仏ぶちを称しよう念ねむすべしとをしへ給たまひけり。 ¬五会ごゑ法ほう事じ讃さん¼ 一ゐち巻くわんをつくり給たまへり。 これも善導ぜんだう和くは尚しやう滅めち後ごの弟子でしなり。 いまこれをのせらるゝこと、 子し細さいさきにおなじ。

つぎにわが朝てうの先徳せんどくのなかに、 まづ聖しやう徳とく太たい子しをつらね給たまへり。 これもひとへに自じ宗しふの祖師そしにあらず、 血脈くゑちみやく相さう承じようの儀ぎにあらずといへども 、 この日本にちぽん国こくに仏法ぶちぽうをひろめ給たまひし恩徳おんどくをしらせんがために、 ことさらこれをのせたてまつらるゝなり。 なかにつくに、 聖しやう人にん、 六角ろくかく堂だうの利り生しやうによりて、 みづからもこの法ほふをたもち、 ひとををしへてもあまねくひろめたまふがゆへに、 ことに太たい子しをあがめたまへり。

つぎに恵ゑ心しむの先徳せんどくは、 天臺てんだいの碩徳せきとく、 霊りやう山ぜんの聴ちやう衆しゆなり。 而しかるに浄じやう土どの一門ゐちもんをきめて濁ぢよく世せ末代まちだいをすゝめたまふ。 ¬往わう生じやう要集ようしふ¼ 三さん巻くわんをつくり給たまへり。 かの集しふにひきもち1391ゐらるゝところ、 おほくは善導ぜんだう和くわ尚しやうの釈しやくなり。 和くわ尚しやうの宗しう旨しをつたへらるゝとみえたり。

つぎに源ぐゑん空くう聖しやう人にんは、 もとは天臺てんだいの学がく徒と、 のちには真宗しんしふの大たい祖そたり。 宗しふをたて行ぎやうをもはらにすること、 わが朝てうの化くゑ導だう、 これよりことにさかりなり。 はじめには恵ゑ心しむの ¬往わう生じやう要集ようしふ¼ をみたまひて、 みづから真門しんもんにいり、 のちには和くわ尚しやうの ¬観経くわんぎやう義ぎ¼ をひらきて、 宗しふ旨しをゑたまへり。 ¬選せん択ぢやく集しふ¼ 一ゐち巻くわんをつくり給たまへり。 かの集しふにのべらるゝがごとくは、 和くわ尚しやうをもて師し承せうをさだめらるとみゑたり。

つぎに親鸞しんらん聖しやう人にんは、 源ぐゑん空くう聖しやう人にんの面授めんじゆ弟子でしなり。 これももとは天臺てんだいの学者がくしやなり。 九く歳さいにして慈じ鎮ちん和くは尚しやうの門もん下かにつらなりて、 顕くゑん密みちの両りやう宗しふを兼くゑん学がくし、 廿にじふ九く歳さいにして源ぐゑん空くう聖しやう人にんの禅室ぜんしちにいりて、 浄じやう土どの一門ゐちもんを受学じゆがくし給たまひき。 それよりこのかた、 ひとへに一向ゐちかう一心ゐちしんの深信じんしんをたくはへ、 ことに専修せんじゆ専念せんねむの一ゐち行ぎやうをひろめたまへり。 勧くわん化くゑのあまねきこと、 ちかきよりとをきにいたり、 化くゑ導だうのひろきこと、 たかきよりいやしきをかねたり。 ¬顕くゑん浄じやう土ど真実しんじち教けう行ぎやう証しよう文類もんるい¼ 六ろく巻くわんをあつめたまへり。 相伝さうでんの要よふ義ぎかの書しよにあきらかなり。

-そのゝちの師し承しよう、 次し第だいに相さう承じようして、 みなかのをしへをうけ、 をのをのその信心しんじんをつたへたまへり。 このゆへに、 うくるところ1392の余よ流りう、 門葉もんようにつたへてたゆることなく、 ひろむるところの妙めう義ぎ、 当たう時じにいたりてますますさかりなり。

-このほか信空しんくう聖しやう人にん・聖覚せいかく法印ほういんは、 源ぐゑん空くう聖しやう人にんの弟子でしとして、 親鸞しんらん聖しやう人にんには一室ゐちしちの等侶とうりよなり。 信空しんくうは、 もと叡空ゑいくう聖しやう人にんの弟子でしにして、 真言しんごんならびに大だい乗じよう律りち等とうを行ぎやう学がくしたまひしが、 浄じやう土どの信心しんじむにいたりては、 空くう聖しやう人にんのをしへをうけて門もん徒との上じやう足そくたりき。 聖覚せいかくは、 天臺てんだい一流ゐちりうの名めい匠しやう、 論説ろんせち二に道だうの達者たちしやにて、 朝てう家かにももちゐられ、 ひとにもゆるされたまひしが、 これも空くう師しの勧くわん化くゑをうけて、 ふかく真門しんもんに帰くゐし給たまひけるなり。 ¬唯信ゆいしん鈔せう¼ といへる仮名かなの書しよは、 この人ひとのつくり給たまへるなり。 件くだんの二に人にんは同学どうがくのなかに、 ことに鸞らん聖しやう人にんと安心あんじむ一ゐち揆きしたまひけり。

-このゆへに、 かゝるやんごとなき人々ひとびとの、 かの門葉もんようにつらなれることをあらはして、 かつは明めい師し聖しやう人にんの徳とくをしらしめんがため、 かつは安心あんじむ一ゐち味みの分ぶんをしめされんがために、 これをのせたまへるなり。

 

*応永廿四歳 丁酉 四月廿九日、 以或本令書写之、 先老御草歟、 不分明。 雖然依為最要写之。 是又為後才可全之秘蔵云々。

愚昧沙門光覚 (花押)

 

底本は京都府常楽寺蔵応永二十四年光覚写伝本。