げのぶんしょう

 

(1)

 そもそも、 今日こんにち*聖教しょうぎょうちょうもんのためにとて、 みなみな*これへおんよりそうろふことは、 *信心しんじんのいはれをよくよくこころえられそうらひて、 今日こんにちよりはおんこころをうかうかとおんもちそうらはで、 *ききわけられそうらはでは、 なにの所用しょようもなきことにてあるべくそうろふ。 そのいはれをただいまもうすべくそうろふ。 *御耳おんみみをすましてよくよくきこしめしそうろふべし。

これ 山科やましな本願ほんがんを指す。
ききわけられ ここでの 「ききわく」 は、 信心のいわれをはっきりと聞きひらいて信をとること。
御耳をすまして 余念をまじえずに。 専心に。

 それ、 *安心あんじんもうすは、 もろもろの*ぞうぎょうをすてて一心いっしん*弥陀みだ如来にょらいをたのみ、 こんのわれらが*しょう*たすけたまへともうをこそ、 安心あんじんけつじょうしたるぎょうじゃとはもうそうろふなれ。 このいはれをしりてのうへの*仏恩ぶっとん報謝ほうしゃ*念仏ねんぶつとはもうすことにてそうろふなり。

さればしょうにん (*親鸞) の ¬さん¼ (*正像末和讃) にも、 「*智慧ちえ念仏ねんぶつうることは *法蔵ほうぞう*願力がんりきのなせるなり」 (35)*信心しんじん智慧ちえにいりてこそ 仏恩ぶっとんほうずるとはなれ」 (34)おおせられたり。 このこころをもつてこころえられそうらはんこと肝要かんようにてそうろふ。

それについては、 まづ 「念仏ねんぶつぎょうじゃ*南無なも弥陀みだぶつ*みょうごうをきかば、 ªあは、 はやわが*おうじょうじょうじゅしにけり、 *十方じっぽう*しゅじょうおうじょうじょうじゅせずは*しょうがくらじとちかひたまひし法蔵ほうぞうさつしょうがく*みょうなるがゆゑにº とおもふべし」 (*安心決定鈔・本) といへり。

また 「*極楽ごくらくといふをきかば、 ªあは、 わがおうじょうすべきところをじょうじゅしたまひにけり、 しゅじょうおうじょうせずはしょうがくらじとちかひたまひし法蔵ほうぞう比丘びくじょうじゅしたまへる極楽ごくらくよº とおもふべし」 (安心決定鈔・本)

また 「*本願ほんがんしんみょうごうをとなふとも、 *よそなるぶつどくとおもひて*みょうごうこうをいれなば、 などかおうじょうをとげざらんなんどおもはんは、 かなしかるべきことなり。 *ひしとわれらがおうじょうじょうじゅせしすがたを南無なも弥陀みだぶつとはいひけるといふ信心しんじんおこりぬれば、 *仏体ぶったいすなはちわれらがおうじょうぎょうなるがゆゑに、 いっしょうのところにおうじょうけつじょうするなり」 (安心決定鈔・本)

このこころは、 安心あんじんをとりてのうへのことどもにてはんべるなりとこころえらるべきことなりとおもふべきものなり。

*あなかしこ、 あなかしこ。

智慧の念仏 ¬正像末和讃¼ (異本) の左訓には 「弥陀のちかひをもってほとけになるゆゑに、 智慧の念仏と申すなり」 とある。
信心の智慧 ¬正像末和讃¼ (異本) の左訓には 「弥陀のちかひは智慧にてましますゆゑに、 信ずるこころの出でくるは智慧のおこるとしるべし」 とある。
よそなる仏の功徳… しゅじょうの往生とは無関係に阿弥陀仏の功徳があるようにおもって。
名号に功をいれなば 称名のどくを積んだならば。
仏体すなはち… 南無阿弥陀仏という仏体 (名号) には、 衆生を往生させるはたらきがあるということ。
(2)

 そもそも、 今日こんにち*影前えいぜんおんまゐりそうろ面々めんめんは、 聖教しょうぎょうをよみそうろふをちょうもんのためにてぞおんそうろふらん。 さればいづれのところにても聖教しょうぎょうちょうもんせられそうろふときも、 *その義理ぎりをききわけらるるぶんもさらにそうらはで、 ただ*ひとばかりのやうにみなみなあつまられそうろふことは、 *なにの篇目へんもくもなきやうにおぼえそうろふ。

それ、 聖教しょうぎょうをよみそうろふことも、 *りき信心しんじんをとらしめんがためにこそよみそうろふことにてそうろふに、 さらにそのいはれをききわけそうらひて、 わがしんのあさきをもなおされそうらはんことこそ仏法ぶっぽうほんにてはあるべきに、 毎日まいにち聖教しょうぎょうがあるとては、 *しるもしらぬもよられそうろふことは、 *所詮しょせんもなきことにてそうろふ。

今日こんにちよりしては、 *あひかまへてそのいはれをききわけられそうらひて、 *もとの信心しんじんのわろきことをもひとにたづねられそうらひてなおされそうらはでは、 かなふべからずそうろふ。 そのぶんをよくよくこころえられそうらひてちょうもんそうらはば、 *ぎょう化他けたのため、 しかるべきことにてそうろふ。 そのとほりをあらましただいまもうしはんべるべくそうろふ。 御耳おんみみをすましておんききそうらへ。

それ、 安心あんじんもうすは、 いかなる*つみのふかきひとも、 もろもろのぞうぎょうをすてて一心いっしん弥陀みだ如来にょらいをたのみ、 こんのわれらがしょうたすけたまへともうすをこそ、 安心あんじんけつじょうしたる念仏ねんぶつぎょうじゃとはもうすなり。 このいはれをよくけつじょうしてのうへの仏恩ぶっとん報謝ほうしゃのためといへることにてはそうろふなれ。

さればしょうにん (親鸞) の ¬さん¼ (正像末和讃(35)) にもこのこころを、 「智慧ちえ念仏ねんぶつうることは 法蔵ほうぞう願力がんりきのなせるなり 信心しんじん智慧ちえなかりせば いかでか*はんをさとらまし」 とおおせられたり。

この信心しんじんをよくよくけつじょうそうらはでは、 仏恩ぶっとん報尽ほうじんもうすことはあるまじきことにてそうろふ。 なにとおんこころえそうろふやらん。 *このぶんをよくよくおんこころえそうらひて、 みなみなおんかへりそうらはば、 *やがて宿々やどやどにても*信心しんじんのとほりをあひたがひに*沙汰さたせられそうらひて、 信心しんじんけつじょうそうらはば、 こんおうじょう極楽ごくらくいちじょうにてあるべきことにてそうろふ。

あなかしこ、 あなかしこ。

御影前 親鸞聖人の像 (えいぞう) の前。
その義理 ぼんが他力によって救済されるという本願の道理。
人目 世間体。
なにの篇目もなき なんの役にもたたない。
しるもしらぬも 聖教に示されている道理を知る人も知らない人も。
所詮もなきこと かいもないこと。 益もないこと。
もとの信心 十劫じっこう秘事ひじ、 物取り安心あんじんぜんしきだのみなどの異安心を指す。
この分 ぼんが他力によって救済されるという本願の道理。
やがて さっそく。 すぐさま。
信心のとほり 自分が聞いて信じているまま。
沙汰 話し合うこと。

(3)

 そもそも、 今月こんがつはすでに*ぜんじゅうしょうにん (*存如)しょうにてわたらせおはしますあひだ、 安心あんじん人々ひとびと信心しんじんをよくよくとらせたまひそうらはば、 すなはち今月こんがつぜんじゅう報謝ほうしゃともなるべくそうろふ。

さればこのんぬるなつころよりこのあひだにいたるまで、 毎日まいにち*かたのごとく*みみぢかなる聖教しょうぎょうのぬきがきなんどをえらびいだして、 あらあらよみまうすやうにそうろふといへども、 来臨らいりん道俗どうぞく男女なんにょをおほよそみおよびまうしそうろふに、 *いつもていにて、 さらにそのいろもみえましまさずとおぼえそうろふ。

所詮しょせんそれをいかんともうそうろふに、 毎日まいにち聖教しょうぎょうになにたることをたふときとも、 またしゅしょうなるとももうされそうろ人々ひとびと一人いちにん*おんそうらはぬときは、 *なにの諸篇しょへんもなきことにてそうろふ。 信心しんじんのとほりをもまた*ひとすぢめをおんききわけそうらひてこそ*連々れんれんちょうもん*ひとかどにてもそうらはんずるに、 うかうかとおんそうろ*ていたらく、 *ごん道断どうだんしかるべからずおぼえそうろふ。

たとへば聖教しょうぎょうをよみそうろふともうすも、 りき信心しんじんをとらしめんがためばかりのことにてそうろふあひだ、 初心しょしん方々かたがたはあひかまへて今日こんにちのこの影前えいぜんおんたちいでそうらはば、 やがてしんなることをももうされて、 ひとびとにたづねまうされそうらひて、 信心しんじんけつじょうせられそうらはんずることこそ肝要かんようたるべくそうろふ。 そのぶんよくよくおんこころえあるべくそうろふ。

それにつきそうらひては、 *なにまでもいりそうろふまじくそうろふ。 弥陀みだをたのみ信心しんじんとりあるべくそうろふ。 その安心あんじんのすがたを、 ただいまめづらしからずそうらへどももうすべくそうろふ。 おんこころをしづめ、 ねぶりをさましてねんごろにちょうもんそうらへ。

前住上人の御正忌 本願寺第七代、 存如ぞんにょ上人は長禄元年 (1457) 六月十八日にじゃくした。
かたのごとく しきたりどおりに。
耳ぢかなる 聞きなれてわかりやすい。
いつも体にて… いつもと同じように、 心して仏法を聞こうとする様子がみえない。
御入り候はぬ いらっしゃらない。
なにの諸篇もなきこと 何のかいもないこと。
ひとすぢめを御ききわけ 唯一の正しい法義の筋道を聞いてりょうすること。
連々の ひきつづいての。
一かどにても候はんずるに かいがあることでもありましょうが。
なにまでも… 信心を領受するには自力のはからいはいらない。

 それ、 親鸞しんらんしょうにんのすすめましましそうろりき安心あんじんもうすは、 *なにのやうもなく一心いっしん弥陀みだ如来にょらいをひしとたのみ、 しょうたすけたまへともうさん人々ひとびとは、 じゅうにんひゃくにんも、 のこらず極楽ごくらくおうじょうすべきこと、 さらにそのうたがいあるべからずそうろふ。 このぶん面々めんめん各々かくかくおんこころえそうらひて、 みなみな*本々ほんぼんかへりあるべくそうろふ。

あなかしこ、 あなかしこ。

本々へ 各自の元の宿へ。

(4)

 そもそも、 今月こんがつじゅう八日はちにちのまへに、 安心あんじんだい*あらあらおんものがたりもうそうろふところに、 面々めんめんちょうもん*人数にんじゅ方々かたがたいかがおんこころえそうろふや、 おんこころもとなくおぼえそうろふ。

いくたびもうしてもただおなじていおんききなしそうらひては、 毎日まいにちにおいて随分ずいぶん*勘文かんもんをよみまうしそうろふその甲斐かいもあるべからず、 ただひとすぢめの信心しんじんのとほりおんこころえのぶんそうらはでは、 *さらさら所詮しょせんなきことにてそうろふ。 されば安心あんじんおんすがた、 ただひとばかりのおんしんちゅうおんもちそうろ方々かたがたは、 毎日まいにち聖教しょうぎょうには*なかなかちょうもんのことやくかとおぼえそうろふ。

そのいはれはいかんともうそうろふに、 はやこのちゅうもなかばはすぎてじゅう四五しごにちのあひだのことにてそうろふ。 またじょうらい毎日まいにち聖教しょうぎょう勘文かんもんをえらびよみまうしそうらへども、 たれにても一人いちにんとして、 今日こんにち聖教しょうぎょうになにともうしたることのたふときとも、 またしんなるともおおせられそうろ人数にんじゅ一人いちにんおんそうらはずそうろふ。 このちゅうもうさんもいまのことにてそうろふあひだ、 みなみなひとばかり*みょうもんていたらく、 ごん道断どうだんあさましくおぼえそうろふ。

これほどに毎日まいにちみみぢかに聖教しょうぎょうのなかをえらびいだしまうしそうらへども、 *つれなくおんわたりそうろふこと、 まことにことのたとへに鹿しかつのはちのさしたるやうにみなみなおぼしめしそうろふあひだ、 *千万せんばん千万せんばん*勿体もったいなくそうろふ。

ひとつは*道心どうしんひとつは*こうりゅうともおぼえそうろふ。 この聖教しょうぎょうをよみまうしそうらはんも、 いまさんじゅうにちのうちのことにてそうろふ。 いつまでのやうにつれなくしんちゅうおんなおそうらはでは、 真実しんじつ真実しんじつ道心どうしんそうろふ。 まことにたからやまりて、 をむなしくしてかへりたらんにひとしかるべくそうろふ。

さればとて*とうりゅう安心あんじんをとられそうらはんにつけても、 なにのわづらひかおんわたりそうらはんや。 今日こんにちよりしてひしとみなみなおぼしめしたちそうらひて、 信心しんじんけつじょうそうらひて、 このたびのおうじょう極楽ごくらくをおぼしめしさだめられそうらはば、 まことにしょうにん (親鸞)*素意そいにもほんとおぼしめしそうろふべきものなり。

あらあら だいたい。 ざっと。
人数 人々。 顔ぶれ。
勘文 肝文のこと。 肝要な聖教の文。
さらさら所詮なきこと 全くかいのないこと。 全く益のないこと。
なかなか かえって。
つれなく御わたり候ふ 何の反応もなさらない。
千万 はなはだしく。
勿体なく候ふ もってのほかである。 ふとどきである。 不都合である。
無道心 仏道を求める心のないこと。
無興隆 仏法興隆の心のないこと。

(5)

 このなつのはじめよりすでにひゃくにちのあひだ、 かたのごとく安心あんじんのおもむきもうそうろふといへども、 まことにおんこころにおもひいれられそうろふすがたも、 *さのみみえたまひそうらはずおぼえそうろふ。

すでにちゅうもうすも今日こんにちみょうにちばかりのことにてそうろふ。 こののちもこのあひだのていたらくにて*おんりあるべくそうろふや、 あさましくおぼえそうろふ。 よくよく安心あんじんだいひとにあひたづねられそうらひてけつじょうせらるべくそうろふ。 はやみょうにちまでのことにてそうろふあひだ、 かくのごとくかたくもうそうろふなり。 よくよくおんこころえあるべくそうろふなり。

あなかしこ、 あなかしこ。

御入りある いらっしゃる。

 このだいしょうまつ文勢ぶんせいおだやかならざるにたり。 *先哲せんてつじゅつはかりがたしといへども、 ひそかにかんがふるに、 これ後人こうじんだいしょうをもつて、 あやまりてだいしょうこんぜるものか。 かるがゆゑにあらためて*りょうじくとなす。 いまよりくものをしてまどひなからしむ。 *りんわざにふけるにあらず。 じつもん*道俗どうぞくをして*金剛こんごうしんじゅうし、 しょう*あんにょうせしめんとほっするがため、 ことさらに*をあやとりてこころをここにつくすのみ。

先哲 昔の賢人。
両軸となす ふたつに分ける。
臨池の技 習字、 てならいのこと。 かんちょうが池にのぞんで一心不乱に習字のけいこを続けたため、 池の水が墨で黒くなったという故事による。
觚をあやとりて 觚は四角の木札。 昔、 中国でこれに文字を記したところから、 筆をあやつって文章を作ること。 また文筆に携わることをいう。

  *安永あんえいしちつちのえいぬはるこれをく。

安永七 1778年。

                           *法如ほうにょしちじゅうさい