0371慕帰絵ぼきえだい一巻いっかん

 

  第一だいいちだん

それまよへるがゆへに、 かりに*真如しんにょみょうをうしなひ、 さとれるがゆえに、 つゐにもうじょう一念いちねんもなし。 信哉まことなるかな*天臺てんだいだいののたまはく、 「ねんしんしょう諸法しょほうめいないゆい一身いっしん (輔行巻五) 云々うんぬん然者しかれば番々ばんばんしゅっ諸仏しょぶつも、 *てんぼん*だつ方法ほうほうなきことをばあはれみ、 億々おくおくりょう*しゅじょうも、 ざいしょう樊篭ぼんろうてん*だつしがたきことをばかなしむ。 されば*だいしょう一代いちだいせっなれども、 *はっしゅうしゅうはいりゅうあひ​わかれ、 *けんぎょう*みっきょうぎょうがくことなり。

このなかにすべて一代いちだい簡別けんべつするにしゅあり。 いはく、 *しょうどう*じょうもんなり。 しょうどうかたをば*なんぎょうどうといひ、 じょうのかたをば*ぎょうどうづく。 しょうどう諸門しょもん智恵ちえもめでたきひとのさとりをきはめてしゅつせしめ、 じょう一門いちもんどんにつたなきものゝ*おうじょうをとぐるにつきてなんをわかてるにてしりぬべし。

しかるに ¬*楽邦らくほう文類もんるい¼ (巻四) には 「じょうなんなんにん難者なんじゃじょうせきばんしゃしんばんせき」 といへる。 くれぐれと*こうゆい*本願ほんがんをおこし、 はるばる*ちょうさい永劫ようごうしゅぎょうにたへてほねをおりければ、 しかしながら*十方じっぽうしゅじょう懸物かけものにしてぶつにならむと、 われため*0372こうせしめたまへるじゅうはちがん一々いちいちじょうじゅしてしょうがくなり。 *弥陀みだといはれたまうことうたがひなきうへは、 たゞたのむばかりとまずこころべし。

さてこのこうにこたへて*しんぎょうしんおこれば、 やがて*よくしょうしん発得ほっとくして、 だいてんにゅうすればこそ、 *三信さんしんとも*三心さんしんともいはれ、 つゐにはまた一心いっしん一念いちねんにも洛居らっきょすなれ。 かゝればこそ、 しゃ慇懃おんごんぞくも、 諸仏しょぶつ*証誠しょうじょう*ねんも、 弥陀みだどくをほめ、 本願ほんがん*みょうごうしんぜよとをしへたまへども、 にたへばもっとも*真言しんごん*かん観道かんどうあしをむすび、 かいぜん禅菴ぜんあんおもいをこらすべきに、 おそらくは*末法まっぽうときにいたれる今日きょう此比このごろしょうどうしゅぎょうにをきては、 あるいじゅう二位にいかいきゅうをふめるりゃっこう迂廻うえ*ぜんぎょうもあり、 あるいしん即仏そくぶつりょうこととする速疾そくしつとんじょう所談しょだんもあれども、 すべからくをのをの涯分がいぶんをかへりみて、 時機じき相応そうおう法門ほうもんおもむきて、 たゞ*おうちょう安楽あんらくようをねがふべし。

とうしょしゅう祖師そしたちも、 *震旦しんたん名徳めいとくじゅまでも、 弥陀みだをほめたてまつり、 西方さいほうかいをすゝめずといふことなし。 ひろくは勘載かんさいひまなし。 なかにもまずこころうかぶにまかせてみっいっ要文ようもんたり。 「金剛こんごうかい広大こうだい儀軌ぎきぼん」 にいはく、 「十方じっぽうさん一切いっさい諸仏しょぶつちゅう弥陀みだしょうれつぼんしょう十方じっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつじょうちゅうちょう安楽あんらくこくまた ¬みつ神呪じんじゅきょう¼ には、 「さん諸仏しょぶつしゅっ本懐ほんかいせつ弥陀みだぶつみょうごう云々うんぬんある ¬きょう¼ (弥陀秘密神呪経) には、 弥陀みださんをばいみじくと0373きあらはさるゝに、 「阿字あじ十方じっぽうさんぶつ弥字みじ一切いっさいしょさつ陀字だじ八万はちまんしょ聖教しょうぎょうさんちゅうかいそく」 ともみえたり。 めのこたきとかやのぜいこころやすき、 よう明文めいもん少々しょうしょうおもいだすにしたがい書載かきのせはべり。

さいわいめいにあへり。 もとは*法相ほっそう*三論さんろんしゅう兼学けんがくせしかども、 のちにはしょうげん一実いちじつきょうぶくしてさらなし。 されども遁世とんせいをさきとしきょうどうをむねとして、 檀主だんしゅをへつらひ諸人しょにんをほむることはなくして、 はん篭居ろうきょていなれば、 ぞく*緇素しそ一門いちもん他家たけのむつびもたがはず、 雲客うんかく卿相きょうしょう年来ねんらい日来にちらいのまじはりそむかざりけり。 さるうへに代々だいだい寺務じむ管領かんれいごうあるにつきて、 かねしんおうじょうじょうのためばかりにさる止事やんごとなきほうりゅうくみつたうるを、 えんにふれてもききおよぶひと由緒ゆいしょこころあしさに蓬屋ほうおくたずねのぞみて、 このたびしゅつようほうといこゝろみはべりときものがたりあるをちょうもんせしかば、 *宿しゅくぜん開発かいほつしけるにや、 くつきりまけり、 一度ひとたびきくかんをなす。 金林こんりんつきすめり、 おちおちあきらむるにじょうあることなし。

*孔子こうしのことばには、 「ちょう聞道もんどうゆう可矣かい (論語) といへり。 ときあいだもきえやすきつゆいのちをかへりみず、 無後むごしんのおもひにじゅうして、 こととくもまずたづねけるは、 かしこくぞとおもいぞあはせらるゝ。 またこれはつねみみなれ、 にふるゝようにてめずらしからぬもんしょうなれども、 ¬*摩訶まかかん¼ (巻一上) いわく、 「一日いちにち三捨さんしゃ恒沙ごうじゃしんしょう能報のうほういっりききょうりょうけん荷負かぶひゃく千万せんまんごう寧報ねいほう仏法ぶっぽうとく0374きんおう私訶しか提仏だいぶつつかへ、 ぼんだつ珍宝ちんぽう比丘びくたてまつりて、 飲食おんじきぶく臥具がぐやく四事しじようじゅつし、 これみな念仏ねんぶつ三昧ざんまいほうをきかむがためなり。 加之しかのみならず大王だいおうほうもとめきゅう千載せんざいにいたし、 じょうたい般若はんにゃききひゃくじゅんしろにいたるといへる。 ¬大論だいろん¼ (*大智度論巻一発品意) には、 「にゃく信心しんじんすいもんくうしょぎゃく云々うんぬん

ゆえにその厚恩こうおんほうしゅうせむとほっすれば、 泰山たいざんなおひきく、 蒼海そうかいはなをあさし。 せめても平日へいいち行状ぎょうじょう丹青たんせいにあらはして、 高殿こうでん名徳めいとく晨昏しんこんにほめむがために、 じゅう六段ろくだんへんしょうをたてかんじゅうじくわかつことは、 *えんしゅうには十乗じゅうじょうじっきょう観門かんもんあかし十界じっかいじゅうにょいんをさとり、 浄教じょうきょうにはじゅうがん十行じゅうぎょうごうたもち十即じっそくじっしょう往益おうやくをうとだんず。 しょうどうじょうもん、 おほくじゅうをもて規矩きくとするがゆへなり。

さて 「慕帰ぼき」 とだいするこころは、 かのじゃくこうるがゆえに、 この*こうとしはべり。 もとより才学さいがくなければ、 おもいのごとく詞花しかとうにかざることなく、 こころがんなれば、 かたちのごとくことのは筆墨ひつぼくにあやつるばかりなり。 たゞこころざすところこれひとえもうもうちょうたるにや。 于時ときに*観応かんおうさい かのとの 初冬しょとうじゅうがつさんじゅうにちしょせり。

そもそも勘解由かげゆ小路こうじのちゅうごん*法印ほういん *そうしょう 亀山かめやまいんぎょ*文永ぶんえい七年しちねんじゅうがつ廿にじゅう八日はちにちさんじょうとみこうあたりありたんじょう 云々うんぬんぞくしょうほっにて氏祖しそ長岡ながおかしょう 内麿うちまろこう 七代しちだい遺孫ゆいそんひつのさいしょう有国ありくにきょう六代そくだいそん嵯峨さがさん宗業むねなりきょう末葉まつようちゅうごん法印ほういんそうけい*真弟しんてい左衛さえ門佐もんのすけ広綱ひろつなまご0375なりごん上綱うえつなちちそうして一門いちもんちょうじゃ日野ひのちゅうごん家光いえみつきょうとなりて、 大原おおはらぼん親王しんのう 尊助そんじょおん弟子でしとしてさんまんうてなをもてあそび、 *いん七声しちせいきょくたっしけるが、 隠遁いんとんして*かくぼうとよばれき。 母儀ぼぎ周防すおう権守ごんのかみ中原なかはらのなにがしとかやごうしけるそのむすめなり。

つらつらおうおもうに、 宗光むねみつ朝臣あそん白河しらかわ鳥羽とばいんとう聖代せいだいつかへり。 宗業むねなりきょう鳥羽とばつちかどめいにつかへて、 おのおの文道ぶんどう抜群ばつぐんのほまれをほどこし、 儒門じゅもん絶倫ぜつりんあげて、 鳥羽とばいんにはじゅ随一ずいいつたりしかば、 じょうよりとういたるまでも、 どうにふけりがくをたしなむいえ云事いうことを、 ほう讃嘆さんだんせぬはなかりけり。

ここにそう祖父そふさん信綱のぶつなきょうとくとしてぎょうをつぎしかば、 祖父そふ広綱ひろつないたるまでは累代るいだいきょうによりて、 さん顕要けんようにもよくすべけれども、 ちからなく俗網ぞくもうだいへだてぼんきょう満月まんげつあおぐべきとなりしかば、 めいいちりゅうながくたえぬるこそうたてけれ。 法印ほういんしゅっのちは、 兼仲かねなか献納けんのうゆうたりしほどに、 かのきょうごうをもて、 一門いちもん他家たけもみな勘解由かげゆこう法印ほういんしょうしけるとぞ。

  だいだん

はちさいりょうねんあいだは、 天臺てんだいしゅう学者がくしゃじゅう*竪者りっしゃていしゅんとしてはべりしが、 遁世とんせいしてしんぼうちょうかいとぞごうしける、 しゅしょう猫間ねこまのちゅうごん光隆みつたかきょうまつりゅうなりかのじんたいして ¬しゃろん本頌ほんじゅ¼ 三十さんじっかんをよみけるが、 たいりゃく暗誦あんじゅしてくらからず。 ちょうかいいはく、 わづかに十歳じっさいうちひと0376しゅうがくこそありとも、 さすがにかん暗誦あんじゅせることたいりょうかなとて、 しょうのあまり天臺てんだいしょ、 ¬初心しょしんしょう¼ じょうぞくするとて、 このしょせん敬日けいにちぼう 円海えんかい ひつぼんなり随分ずいぶんぞうすといへども、 ほうかんあり、 しょうらいにはさだめてぶっとうりょうともなり、 徳海とくかい舟楫しゅうしゅうともいはれたまうべきひとなればとて、 奥書おくがきをしてぞわたしける。

  第三だいさんだん

宇多うだいんざい弘安こうあんねんいうじゅう三歳さんさいとき、 はじめて松房まつぶさ深窓じんそうで、 しばらく竹院ちくいん一室いっしついりはべるべきえんありけむ。 山門さんもん碩徳せきとくといはれしたけなかのさいしょう法印ほういんそうちょうとして天臺てんだいしゅうがくせしめけり。

慕帰絵ぼきえこと不可出当寺内之とうじないをいでざるべからざるところ有不慮之儀ふりょのぎありて数年為将軍家之御物すねんしょうぐんけのぎょぶつたり雖然しかりといえども文明ぶんめいじゅう三年さんねんじゅうがつ四日よっかもって飛鳥井あすかいのちゅうごんにゅうどう 宋世そうせい 依申入事之子細もうしいるることのしさいによりて今度このたび所被返下也かえしくださるるところなりただこのうち第一だいいち第七だいしちかん為紛失之間ふんしつのあいだのためおなじきじゅうねん*ちゅうとう上旬じょうじゅんころ令書加之者也これをかきくわえしむるものなりもっともたいこと可秘ひすべし可秘ひすべし

ことば  黄門こうもんにゅうどう 宋世そうせい
画師えし 掃部助かにもりのすけ藤原ふじわら久信ひさのぶ

 

0377慕帰絵ぼきえだいかん

  第一だいいちだん

かの法印ほういん随逐ずいちくして、 垂髪さげがみながらやうやくきょう五時ごじみょうもくをならひ、 いったい綱網こうもうしかば、 はんほうたえたることをよろこび、 どう提携ていけいものうからずしてすぎゆくほどに、 いつしかりょ転変てんぺん依違いいこといできたりて、 いくばくつきをもをくらざるに、 ぼうのきざみこころならず、 また翌年よくねんじゅうといふはるのころ、 もん南滝なんろういん右府うふそうじょう じょうちんもうすは、 きたこうしょう 道経みちつねこう まご二位にい中将ちゅうじょう基輔もとすけきょうそくにや、 あるところにてかのへんにたばかりとられけるぞ、 ことこつなるもたのまれぬして、 かつはおにじんぜいとはこれをいふにやと思議しぎにぞおぼえける。

  だいだん

さるほどになお同年どうねんことなりけるに、 いちじょういんさきだいそうじょうぼう、 いかなる便たよりにかこのどうぎょうのとしのほどにもず、 はしたなき懸針けんしんすい筆勢ひっせいらんぜられけるとて、 ゆかしくおぼしめしけるにや、 あまたの所縁しょえんにつきてしきりそうおおせられけれども、 *厳親げんしんしょうだくもうさぬゆえは、 さのみ所々しょしょ経歴きょうりゃくもしかるべからざる

其上そのうえじんじょうほうには、 かみ0378さげておおわらわにてひさしくあることほんならず、 たゞとくしゅっとくをもせさせてこそこころやすけれとて、 かたくさいもうしけるに、 或時あるときまた小野おののみや中将ちゅうじょうにゅうどう師具もろとも朝臣あそん 于時ときにじゅう連々れんれんしょういんいんなればくるいさそいてまいらせなむやと懇切こんせつおおせられけるとて、 其旨そのむね度々どど伝説でんせつしけれども、 なをこころづよくぞなんじゅうもうしける。 ききおよぶやからは、 ひとによりことにこそよるに、 是程これほど時々じじめいをいなみもうすはかへりてたいにもあたり、 人倫じんりんほうにもそむくものをやなどいひあふもあり。 あるともがらまたさるめい一族いちぞくなればかどをたおさじと、 いたり古義こぎぞんぜしむるもちからなきこと、 などもうすありけり。 しかるに、

おなじき七月しちがつじゅうにちのことなりけるに、 黄昏たそがれななめなるかげすぐし、 桂月けいげつあきらかなるひかりまちえて、 ほう輿ごしをかゝせ、 ひたものしたる大衆だいしゅ引率いんそつして、 すでうばいとるべき結構けっこうあるよしを仲人なかうどありてひそかにつげしめほどに、 本所ほんしょにもそのよういたさい其時そのときほんとげられず、 さこそこんにもおもいはべりけめ。 さりながらなをなをもあやにくにや、 其後そののちもたゞひたすらに懇心こんしんあさからざれば、 おや本懐ほんかいまかせてやがてこそしゅっをもとげさせめなどこまかに約束やくそくむねありければ、 此上このうえ固辞こじよりどころなしとて、 初参しょざんあるべきにさだまりぬ。

さりながらいささかかずのけるとて、 いとゞおんこころもとなきよしを、 しきなみをうつがごとく*こうにんこれかれをたちかへたちかへさしあげられてせめおおせられけれ0379ば、 まづ西林さいりんいんさん法印ほういんぎょうかんていのよしにて入室にっしつあり。 やがてくだん法印ほういん引導いんどうにて摂津せっつのくに原殿はらどの禅房ぜんぼうへはまいりけり。 其時そのとき門主もんしゅさきだいそうじょうぼう しんしょう 岡屋おかやのせっしょう殿どのそく とぞもうしける。 しかるにあへなくじゅうさいよりはべりつるそうじょうぼうにも、 すぎをくれたてまつりぬ。

かのていそうじょうぼう かくしょうもうすは、 近衛このえの関白かんぱく 基平もとひらこう そくなりせんきゅうこうことなれば、 相続そうぞくきゅうあるべきよしおおせおかれけるにつきて、 いま門主もんしゅにもなおしき快然かいねんにて、 しゅう菅原すがわらゆうしめて、 つねにはげんちゃくをよみしましましけるにも、 光仙こうせん殿どのとてあまたの垂髪さげがみどもほかいちりょうにんこうしけるじょうろう其一そのいちにて、 心操しんそうたち振舞ふるまい幽玄ゆうげんに、 容顔ようげんことがらもじんみょうにおぼしめしければ、 ひるきょうにちに、 もっぱらにしてえいのごとくにつきしたがいたてまつりて、 年月ねんげつおくりける。

なかにもよろづにつけてあぢきなく、 さすがかたほなるこころそこに、 おりおりはこんじょう栄耀えいようもいつまでとのみおもはれ、 らいしょうちょはかりそめにももうけがたくあんぜられけるぞ、 すえほうたるべき芳縁ほうえんのやうやくきざしけるにやとおぼえはべる。

ことば  さんじょうしょう 公忠きみただきょう
画師えし しゃ如心にょしん 因幡いなばのかみ藤原ふじわら隆章たかあき

 

0380慕帰絵ぼきえだい三巻さんかん

  第一だいいちだん

弘安こうあんねんじゅうがつ廿日はつかじゅう七歳しちさいといふに、 かの*いんにしてしゅっ、 やがてその受戒じゅかいありけり。 これは孝恩こうおんいんさんそうじょう印覚いんかく ぎょうかん法印ほういんおい うけたまはりて、 とり沙汰ざたとぞきこえし。

  だいだん

かいとげぬるのちは、 ぎょうかん法印ほういんあいしたがけいいっにおもむき、 法相ほっそうがくせらるれば、 *じゃく*しん*ほうろんあとををはんと、 ほとんど寸陰すんいんきそいけり。 かくて讃仰さんごうやうやくじょうひいで、 めいしばしばてんにきこゆべかりしかども、 しょくちからなければ、 こうしょうにもしたがひがたく、 りゅうとうあゆみをうしなへば、 人望じんぼうありぬべしともおぼえねば、 いつしか*きょうしゅもものうく、 さればがくいさみなくぞおもひける。 さるほどに、 おりおりは門主もんしゅのいとまをもうしけれどもゆるされず、 かいゆえけいのかたこそ退屈たいくつすとも、 離寺りじじょうはしばらく堪忍かんにんすべきよししきりゆるしおほせられけるとなん。 これによりて、 遂業すいごう沙汰さたなどにもをよばず、 じきりっ挙任きょにんせられ0381ければ、 別道べつどう僧綱そうごうにてぞなをぐうちょくしける。

  第三だいさんだん

奈良ならより*偸閑とうかん退たいしゅつことありしついでにおもふよう、 たとひほんきょうしゅなげうちがたくとも、 しゅつ要道ようどうにをいてのぞみたちぬ。 をのれがげんりょうあゆみをうしなへばなり。 西方さいほうごんはたのむにたれり、 ていぼんにいたるまでをすてず。 ねがふらくは南無なもにたよりあればなり。 ただわが法相ほっそうしゅうしょう格別かくべつをたて、 諸法しょほう*しょうぞうしゃくをむねとして決判けっぱんきびしきいえをや。 おほかた法相ほっそうしゅうにかけながら、 かたじょうもんにいれんとす。

きょうしゅのため外聞がいぶん時宜じぎいかゞなどためらひおぼゆるに、 かつはまづれいしょうほかにもとむべからず。 そうにはせんろんといはれたまふしんさつすら、 もはら無むげこうみょうして*安楽あんらくこくがんしょうすとこそつたへうけたまはれ。 ましてやいはん、 われぼんおもへばしゅつのはかりごとにはこれこそ所愛しょあいほうなれ。 きょう覆載ふくさいし、 函蓋かんがいそうじゅんしてようにおもひきざすもしかるべき宿しゅくえんか。 いまきく、 もんにもあらでしゅうにをいてまぢかきためしあるかな。 さしもめいしょうといはれし三蔵さんぞういん範憲はんけんそうじょうすら、 弥陀みだをたのみてちゅう称名しょうみょうもっぱらにし、 ちょうせきしゅへんはげみけりと 云々うんぬん

かしこかりけり、 所詮しょせんそう進退しんたいによるべからず、 内心ないしん工案こうあんこそあらまほしけれとて、 *弘安こうあんじゅう0382ねん春秋しゅんじゅうじゅうはちといふじゅういちがつなかの九日ここのかひがしやま*如信にょしんしょうにんもうし賢哲けんてつにあひ​てしゃ弥陀みだ教行きょうぎょう面授めんじゅし、 *りきせっしょうしんしょうでんす。 所謂いわゆるけちみゃく叡山えいざん黒谷くろだに*源空げんくうしょうにん本願ほんがん*親巒しんらんしょうにんだいちゃくなり。 本願ほんがん祖師そし先徳せんどくぞくしょう*日野ひのぐう啓令けいれい有範ありのり息男そくなん真諦しんたい山門さんもん*しょうれんいん*ちんしょうおん弟子でしなれば、 たゞじょういっしゅうをきはめたまふのみにあらず、 ほんしゅうまたはん黒谷くろだにせんしょうあいおなじいっ天臺てんだい源底げんていをうかゞひ、 上乗じょうじょうみつもんりゅうをもくみたまひけり。 しかれば、 しんにつけてもやむごとなく、 ぞくにつけてもいやしからざることをや くわしく見于彼別伝かのべつでんにみゆ

将又はたまた*安心あんじんをとりはべるうへにも、 なを自他じたりょうほどけっせんがために、 *しょうおう元年がんねんふゆのころ、 常陸ひたちのくに河和田かわだ*唯円ゆいえんぼうごうせし法侶ほうりょじょうらくしけるとき、 対面たいめんして日来にちらいしん法文ほうもんにをいて善悪ぜんあくごうけっし、 今度このたびあまたの問題もんだいをあげて、 自他じたへんだんにをよびけり。 かの唯円ゆいえん大徳だいとくらんしょうにん面授めんじゅなり。 *鴻才こうざい弁説べんぜつめいありしかば、 これにたいしてもますますとうりゅう気味きびそえけるとぞ。

ことば  いちじょうさき黄門 実材じつざいきょう
画師えし 摂津せっつのかみ藤原ふじわら隆昌たかあき

 

0383慕帰絵ぼきえだいかん

  第一だいいちだん

*おなじき三年さんねんには、 法印ほういんそのとき廿にじゅういちのことにや、 本願ほんがんせんかんたまもんゆかしくおぼゆるに、 さることのたよりあることをよろこびて、 しばらくいとまを*なんしょもうしたまいて、 東関とうかんじゅんけんしけるに、 くにはもしそうしゅうにや、 りょう山中やまなかといふところにして、 *ふうぎゃくをいたはることはべるに、 しんぼう もとないきょうこう*善鸞ぜんらん にゅうらいありて、 退たいのためにわがなどぞ、 さだめてしるしあらんとしょうしあたへんとせらる。 真弟しんてい如信にょしんひじりもせられけるに、 法印ほういんもうさば、 いまだじゃくれいぞかし。 そのうへびょうくつなかけん所存しょぞんありければ、 おもひけるよう、 おとさばわれとこそおとさめ、 この受用じゅゆうせんことしかるべからず。

ゆへはしょうのまさしきげんにてせらるれば、 もどしがたきにはたれども、 この禅襟ぜんきんとしひさしく田舎いなかほうとなりはべれば、 あなづらはしくもおぼえ、 しかるべくもおもはぬうへ、 おほかたもんりゅうにをいてしょうにんおんじゅんぜず。 あまさへけんあらぬさまに邪道じゃどうをことゝする御子みこになられて、 *べつべつぎょうひとにてましますうへは、 いまこれを許容きょようしがたく、 しゅくせい所存しょぞんありければしんしゃくす。 まづこいとりての0384しきにもてなして掌中しょうちゅうにをさめけり。 それをさすがみとがめられけるにや、 にちこんありけるとなん。

このしんぼう安心あんじんなどこそはんいちならぬとはもうせども、 さる一道いちどう先達せんだつとなられければ、 今度このたび東関とうかんこうのとき、 法印ほういん常陸ひたちむらといふあたりを折節おりふしゆきすぎけるに、 たゞいま大殿おおとのおんはまいでとて、 おとこほうあまおんなたなびきて、 むしといふものをたれて、 さんびゃくにて鹿しまへまいらせたまふとて、 おびたゞしくのゝめくところをとおりあひ​けり。 大殿おおとのごうしけるも、 へんながらかのさかいなれば、 先代せんだい守殿しゅでんをこそさもしょうすべけれども、 すこぶるこくちゅうぶくのいたりにやと思議しぎにぞあざみける。 かゝるとき本尊ほんぞんをばもちゐず、 無礙むげこう如来にょらいみょうごうばかりをかけて、 一心いっしん念仏ねんぶつせられけるとぞ。

下野しもつけのくにたかだの*けんぼうしょうするは、 かべ*真仏しんぶつひじりのけつをえ、 らんしょうにんには孫弟そんていたりながら、 ざいにあひ​たてまつりて面授めんじゅもうすこともありけり。 あるふゆことなりけるに、 へんにして対面たいめんありて、 しょうにんしんほうと、 かおかおとさしあはせ、 御手みてとゝりくみ、 おんひたいさしあわせ何事なにごともの密談みつだんあり。 其時そのときしもけんふとまいりたれば、 りょうほうへのきたまひけり。 けん大徳だいとくにち法印ほういんかたりしめしけるは、 かゝることをまさしくまいりあひ​てみたてまつりし。 それよりしてなにともあれ、 しん御房おんぼうさいある御事おんことなりと 云々うんぬん

これをおもふ0385に、 何様いかようにもないしょうゆうとくほどこして、 融通ゆうずうたまふむねありけるにやとごうはべり。 天竺てんじくには*びんしゃおう*だいにん*じゃたい*だっ尊者そんじゃ*耆婆ぎば大臣だいじんとう金輪こんりん婆羅ばらもんしゅしょうまでも、 あひ猿楽さるがくをしてつゐには仏道ぶつどういんにゅうせしめ、 ちょうには*じょうぐうおう*もりやのおおむらじちゅうばつしたまひしも、 仏法ぶっぽう怨敵おんてきたりしぎゃくそく退しりぞけむがために、 君臣くんしんたたかいにおよびしにいたるまでも、 みなぶつへんなれば、 ぎょう方便ほうべんをめぐらして、 かへりて邪見じゃけんぐんしゅう化度けどせんとしたまふへんあれば、 かのしんぼうおほよそはしょうにん使せつとして板東ばんどうさしむかいたてまつられけるに、 真俗しんぞくにつけて、 もんりゅうにちがひてこそふるはれけれども、 神子かんなぎ巫女みこしゅりょうとなりしかば、 かゝるごうふかきものにちかづきて、 かれらをたすけんとにや、 あやしみおもふものなり。

  だいだん

かくて板東ばんどうはちこくおうしゅうしゅうえんきょうにいたるまで、 処々しょしょ露地ろじじゅんけんして、 しょうにんかんのひろくをよびけることをも、 いよいよずいし、 面々めんめん後弟こうてい*しゅうえつして、 そうじょうしゅうあやまりなきむねなどたがひにだんしけるほどに、 はからざるに、 りょう三年さんねん星霜せいそうをぞおくりける。

さて*しょうおうすゑのとし、 *ようしゅんなかばころにや、 ふたゝびらくにかへりて、 まづこのよしをなんもうしければ、 門主もんしゅよろこびおおせられて、 いそぎ帰寺きじをぞ0386すゝめたまひける。 しかるにぎょうかん法印ほういんにゅうめつのよし、 かつがつしめされければ、 ねん*提撕ていぜいおんもわすれがたく、 *しょう変滅へんめつかなしみもいまさらきもめいじけるまゝに、 しょう再会さいかいしょうみちへだゝりぬれば、 いんさんもなにかせん。 さだめなきには、 いつまでかさすらふべきとあんぜられつゝ、 たちまちに*なんきょうほん厳砌げんせいをのがれて、 いまよりはひたすらに、 ひがしやま大谷おおたに禅室ぜんしつをのみぞ、 しめはべりける。

 

ことば  いちじょう黄門こうもん 実材じつざいきょう
画師えし 摂津せっつのかみ藤原ふじわら隆昌たかあき

 

0387慕帰絵ぼきえだいかん

  第一だいいちだん

鎌倉かまくら*唯善ゆいぜんぼうごうせしは、 ちゅういん少将しょうしょう具親ともちか朝臣あそんまご*禅念ぜんねんぼう真弟しんていなり幼年ようねんのときは少将しょうしょう輔時すけときゆうとし、 成人せいじんのちしょう雅忠まさただきょうたりき。 にん相応そうおういん守助もりすけそうじょう門弟もんていにて、 だいごんじゃ弘雅ひろまさとて、 しばらく山臥やまぶしどうをぞうかゞひける。

いにしへ法印ほういん唯公ゆいこうとはかりなき法門ほうもん相論そうろんことありけり。 法印ほういんは、 おうじょう宿しゅくぜん開発かいほつこそ*ぜんしきあいてきけば、 すなわち*信心しんじんかんするゆへに*ほうとくしょうすれと 云々うんぬん善公ぜんこうは、 十方じっぽうしゅじょうとちかひたまへばさらに宿しゅくぜん有無うむ沙汰さたせず、 仏願ぶつがんにあへばかならずおうじょうをうるなり、 さてこそ思議しぎ大願だいがんにてははべれと。

こゝに法印ほういんかさねしめすやう、 ¬*だいりょう寿じゅきょう¼ (巻下) には 「にゃくにん善本ぜんぽん得聞とくもんきょう清浄しょうじょうかいしゃないぎゃくもんしょうぼうぞうきょうけんそんそく能信のうしんほうけんきょうもんぎょうやくだいかんきょうまんへいだいなんしんほう宿しゅくけん諸仏しょぶつ楽聴ぎょうちょうにょきょう」 とゝかれたり。 宿しゅくぜん深厚じんこうはすなはちよくこのことしんじ、 宿しゅくぜんのものは*きょうまん*へい*だいにして此法このほうしんじがたしといふことあきらけし。 したがい*こうみょうしょうこのもんをうけて 「にゃくにん善本ぜんぽん得聞とくもんぶつみょうきょうまんへいだいなんしん0388ほう宿しゅくけん諸仏しょぶつそく能信のうしんけんきょうもんぎょうやくだいかん (礼讃) しゃくせらる。 経釈きょうしゃくとも歴然れきねん、 いかでかこれらの明文めいもんけし宿しゅくぜん有無うむ沙汰さたすべからずとはのたまふやと。

其時そのときまた唯公ゆいこう、 さては念仏ねんぶつおうじょうにてはなくて宿しゅくぜんおうじょういうべしや、 如何いかんと。 また法印ほういん宿しゅくぜんによておうじょうするとももうさばこそ宿しゅくぜんおうじょうとはもうされめ。 宿しゅくぜんゆえしきにあふゆへに、 もんみょうごう信心しんじんかんない一念いちねんするぶんおうじょう決得けっとくし、 *じょうじゅじゅう*退転たいてんにいたるとは相伝そうでんはべれ、 これをなんぞ宿しゅくぜんおうじょうとはいふべきと。 そのゝちはたがい言説ごんぜつをやめけり。

伊勢いせにゅうどうぎょうがんとてじょうだいごん邦綱くにつなきょう遺孫ゆいそんなりしは、 真俗しんぞくたいにつけかんりょうどうにむけてもさる*しきじんといはれしが、 にち此事このことつたえききかの相論そうろんのむねを是非ぜひしけり。 伊勢いせにゅうどうことばいわく北殿きたどの法文ほうもん経釈きょうしゃくをはなれず、 どうのさすところごんぜっおわりぬ。 またみなみ殿どのせいにゅうどう法文ほうもんなりとてあざわらひけりと 云々うんぬんむかし大谷おおたに一室いっしつしゅうとおいりょうほうきょじゅうせしにつきて南北なんぼくごうありければ、 ぎょうがんはかくいひけるにこそ。

  だいだん

*永仁えいにん三歳さんさいふゆ*おうしょう中旬ちゅうじゅんこうにや、 報恩ほうおん謝徳しゃとくのためにとて本願ほんがんしょうにんいち行状ぎょうじょう草案そうあんし、 かんえん図画とがせしめしより以来このかたもんりゅうともがら遠邦えんぽう近郭きんかくたっとびしょう0389がんし、 じゃくれい老者ろうしゃかかせてあんす。 将又はたまた往年おうねんにや、 ¬*報恩ほうおんこうしき¼ といへるをさくせり。 これ祖師そししょうにん嘆徳たんどくたてまつれば、 せん月々つきづきれいとしていまもかならずいちもうけ三段さんだんのぶるものなり。

  第三だいさんだん

すでに人間にんげん栄耀えいようをばみみそとにとをざかり、 林山りんせん幽閑ゆうげんをのみこころなかにたのしみければ、 極楽ごくらくおうじょうをねがひて念仏ねんぶつてんぎょういとなみをもはらにすといへども、 先哲せんてつ往跡おうせきをしたひてえん風月ふうげつきょうをもおりにふれてはこころにぞそめける。 およそ日野ひの宦学かんがくりょうもっけんしょくにも温宦おんかんにもよくしてたついえなりといふこと、 ほゞさきにたれども、 かねてはかんりょうへんをもあいならべてたしなみ公宴こうえんにもしたがふじょう代々だいだい*芳躅ほうたく勿論もちろんなり。

しかりといへども、 さんじゅういち和語わごにはなおこころをいたましめ、 ようのむかしのより老体ろうたいのいまのとしにいたるまで、 はるあけぼのあきゆうべにつけてもきょうもよおし、 つきゆきあしたまちてもうたげもうけ、 きょうせつをたがへぬこころづかひにて、 みづからもたちゐにつけてことばかずおほくつもり、 賓客ひんかくきたりこころざしおなじくするも、 したしきうとき、 そのまじわりたえずなむありける。

かゝりければ、 *しょうのとし、 ¬閑窓かんそうしゅう¼ といふ打聞うちききをするに、 おもいのほかにかのせん*仙洞せんとうにまいりて叡覧えいらんにをよびしより、 諸所しょしょにきこえ0390だんせらる。 じょうじょうにわけて千首せんじゅ廿にじっかんとせり。 そのしゅう奥書おくがきかきとどむ畜懐ちっかいうたにいはく、

かずならで かぜなさけも くらきに ひかりをゆるせ たましまひめ
あつめをく 和歌わかうらわの たまゆへに なみのしたくさ あらはれやせむ

のうしょうこう 有国ありくにきょう、 「ようしょうどうかいちょうしゅそんようびょうもんじん」 とをつくりてきたののせいびょうにたてまつりけるに、 ちょうていにつかへけむいえをいでゝ仏道ぶつどうにおもむくとなりにたれば、 ふじ末葉まつよう片枝かたえだまでも、 いまはをよびがたく、 いばら下露したつゆひとしたゝりともいひがたきに、 さすがなをくちざるのうのことのをしたひて、 あらたなる霊神れいじんによみてまいらせけるとて、

わすれじな きけとをしへし ふたより しろにかゝれる やどの藤浪ふじなみ 入 ¬閑窓集¼

ことば  ろくじょうさき黄門こうもん 有光ありみつきょう
画師えし しゃ如心にょしん 因幡いなばのかみ藤原ふじわら隆章たかあき

 

0391慕帰絵ぼきえだい六巻ろっかん

  第一だいいちだん

元亨げんこう初年しょねんせん九日ここのか宿しゅくがんによて法楽ほうらくため詩歌しかすすめてかのびょうもんにたてまつりしには、 親王しんのう権女ごんじょより月卿げっけい雲客うんかくどう僧侶そうりょにいたるまで、 をのをのはくじゅうにんせん廿にじゅうにん 云々うんぬんしんみなじゅうしてしょし、 かんともにあいかね結縁けちえんするもありけり。 うた三首さんしゅだいいんす。 およそはい英傑えいけつをえらびりょうへん序者じょしゃもうけき。 ことさらこうとげむとては面々めんめんびょうだんもうで、 とうにもうたをよみをつくりはべりしなり。 そのとき詩歌しかにいはく、

 しゅんじつばいきたののせいびょうどう春色しゅんしょく属松しょくしょうぜん一首いっしゅ だいちゅう取韻しゅいん

しょうべん有正ありまさ 于時ときにさき甲斐かいのすけ序者じょしゃ

請看せいかんれいしょくしょく芳辰ほうしん 沙壖しゃぜんすいしょうきゅうしゅん 累葉るいよう垂隣すいりんせいりん たい禱運とううんさん斑身はんしん
さいれいきゅうぶんしょうしゅ 天暦てんれきらいちんしん 神鑑しんかん無私むしめい祐白ゆうはく へんぎょう明信めいしんはん

ぎょうきょう顕盛あきもり 于時ときにさきないしょう

りょうしき霊壖れいぜん松色しょうしょくきゅう 陰陽いんようぞうしょくしゅん びょうてい梅信ばいしんにん嵐問らんもん 社樹しゃじゅ栄生えいせいちく日新にっしん
0392倩算せいさんねん垂跡すいせき じゅう天暦てんれきそく同塵どうじん ごうゆうさん斑質はんしつ みんうんへん仰神ごうしん

法印ほういんそうしょう

せんそうしょう蒼翠そうすいえい 載陽さいよう春色しゅんしょくしょく沙壖しゃぜん さんけい篭夕ろうせき びょう瞻望せんぼう発天はつてん
明徳めいとく月朧げつろう仙樹せんじゅ れいふうだんずいぜん たんがんしん垂愍すいみん せき末忘まつぼうばい宴筵えんえん

法印ほういん光玄こうげん 于時ときにりっうた序者じょしゃ

韶春しょうしゅんけいしょくしょ 松色しょうしょく添栄てんえいざいびょうぜん *勁節けいせつちゅうせいりょう宿しゅくせつ 貞心ていしんうんそう芳年ほうねん
神林しんりんふうきょうかんぜい れいうんれん しゅうてつばい宴席えんせき おく曩跡のうせきけんへん

法印ほういんしゅん 同前どうぜん

けいしょくしょくしゅんとうしょ 此時しじきょうしゅざいしょうぜん しょうどうしょうちゅうみょう じょ台林だいりんせつせん
りゅういんずい偃蓋えんがい おうこうびょうげん 尊崇そんそう曩跡のうせきぞん其志ごし ゆうぎょう神恩しんおん宿しゅくえん

 しゅんじつばいきたののせいびょう同詠どうえい三首さんしゅ和歌わか

法印ほういんそうしょう

  さん

はかくて はるのよそなる やまざくら なにとこころの はなにそむらん

  がん

0393おぼつかな あまとぶかりの たまづさの かすみにきゆる くものうはかき

  じん

ふたこそ あとはへだつれ かんがきや ちりとなりこし かずにもらすな

法印ほういん光玄こうげん

あらしふき やままたやまの をのづから はななきかたも はなのかぞする

たちまよふ かすみのはては こしのうみの なみもひとつに かへるかりがね

つかへけむ あとこそたゆれ ゆふだすき かくるたのみは いまもかはらず

法印ほういんしゅん

うつろはむ のちのかたみの みねくも しばしもはなに たちなはなれそ

あまつかり くもはさすが たどるらむ はなにわかるゝ 心まよひに

かずならぬ をうらむとも あはれみに もらさむかみの こそをしけれ

 一門いちもん他家たけ緇素しそ自余じよかいとう ならびに 社参しゃざんときとう短冊たんざく詩歌しかはんあいだこれをのするにあたはず。

  だいだん

むかし蓬屋ほうおくじきはべりしかば、 日野ひのしょう、 ひんがしのやまりん瞻望せんぼうのためとて、 ほう0394いんぼうにゅうらいありてくるゝまで交遊こうゆう其時そのときしもむかいでらそくじょうじゅいんしょうろうしたりんあいだよりいりあひのこえのきこえはべるを、 とうけいきょうかなへることよとて、 衆人しゅにんみなかんきょう。 すなはち尊者そんじゃごんしゅつだいあれば、 続歌つぎうた面々めんめん同題どうだいにてよめる。

  かんしょう

にゅうどうさきだいごん 俊光としみつきょう于時ときにさきちゅうごん

くれかゝる こずえそらに ひゞくなり はなよりいづる いりあひのかね

くれやらぬ ゆふのかげは かすみこめて はなにたかき 入逢いりあいかね

法印ほういん頼宣らいせん

いとはしき かぜのよそなる はなざかり またをとたてゝ いりあひのかね

法印ほういんそうしょう

ながむとて はなにくらせる ほどしるく いりあひのかねを このにぞきく

   此外このほかにんりゃくするところなり。

  第三だいさんだん

いにしへあきころ、 あづまのかた*そうしけるに、 まつしまにまうでゝのち、 としへてまたこと0395のたよりありて、 ひとにともなひてみちのくにゝくだりけるに、 なをゆかしくてそのあたりにやどりて、 面々めんめんじょうせんしつゝのふくるもしらず浦々うらうら島々しまじまこぎわたりたちかえりけるに、

またもみつ いまはいつをか まつしまや さへをしまに つきぞかたぶく

ことば  ろくじょうさき黄門こうもん 有光ありみつきょう
画師えし しゃ如心にょしん 因幡いなばのかみ藤原ふじわら隆章たかあき

 

0396慕帰絵ぼきえだい七巻しちかん

  第一だいいちだん

なにねんといふことはいとさだかならず、 数寄すきのあまりにもよおされて、 かたへのひとなどにさそはれともにもおよばず、 たゞ一身いっしんゆういでたいむちうちしゅうたましまみょうじんにまいりて、 まずほうをさゝげてのち詠吟えいぎんにをよびけるひとり十首じっしゅ和語わごとてきゝはべり其中そのなかに、 吹上ふきあげはまといふだいにて、

またやみぬ わすれもやらぬ 浦風うらかぜの ふきあげのせとの あきのおもかげ

  かのうら

わすれじな わかのうらなみ たちかへり こころをよせし たまつしまひめ

  だいだん

じょうねん ひのえのいぬ うるうがつ朔日ついたちことなりしに、 そのいにしへしゅう菅原すがわらしょそいてあそびしことも、 おいのちはいとゞわするあいだなく、 またいえをいでにしなれども、 しんずいほんきゅうせいもゆかしく、 なんこうまず寺々じじ社々しゃしゃ一々いちいちじゅんれいせしに、 春日かすがしゃ宝前ほうぜんにて、

0397春日かすがやま われひとかたの あとたえて かみわざしらぬ をしこそとへ

これよりかのさんしょうへまいりければ、 しゅうでんえだをまじふる紅葉もみじもろくなり、 秦郡しんぐんくさむらこんずるこうもはなかしげ、 またなかにも御苑ぎょえんにつゞくわたり殿どののきすたれへきなけれどもはしらはたてり。 くろをまするたけいずみ殿どのすいたえて、 せきあれどもこけのみむしてしにもあらねども、 むかしにたるふうりゅういまにのこれるけいこころをいたましめずといふことなし。 とかくしてくれなんとす。 もとのやどへかへるべくもなくて、 なおもんのほとりある竹中たけなか庵室あんしつあるにたちいりそのをこめはべり。 しかる黄径こうけいあゆみをはこべば、 みぎりにあたれるそうしょうはいにしへをのこす風琴ふうきんおとひき藍渓らんけいこころざしをよすれば、 宿しゅくをへたるあんゆめをやぶる月杵つききねあだをつたふ。 まずひるのほど所々しょしょ瞻望せんぼうするに、 砌間せいかんをもみぢのちりうづみつゝをしはかりになおこえて、 けしからぬこうけいきょくのありさまなるにつけても、 すゞろにあわれをそへつゝ、 すこぶるおなじことがちなるようなれども、 おもいつゞくるにまかせてよめりけるとおぼえ、 うたのかずもにこれおほけれども、 しるしをきけるをわざとはたらかさずしてかきのせはべる、

ふまでいく かたみもやあると をしめども ちりてぞうづむ にわ紅葉もみじ

0398あれはてゝ にかはる 菅原すがわらや ふしみのゆめに なるむかしかな

おいはてゝ 八十やそさかに むかふまで いきてむかしの あとをこそ

其夜そのよるのたびしょにては、

ゆめさむる おいのまくらに きこえけり うちおどろかす あさのさごろも

なきひとの 面影おもかげのみは にそへて なさけをかくる をとづれもなし

ことば  黄門こうもんにゅうどう 宋世そうせい
画師えし 掃部助かにもりのすけ藤原ふじわら久信ひさのぶ

 

0399慕帰絵ぼきえだい八巻はっかん

  第一だいいちだん

当年とうねんかんづきちゅう六日むいか迎講げいこう結縁けちえんのために大原おおはら別業べつごうこしはべりしに、 しょうりんいんぼうたずねゆきてしばらくそくしけり。 このぼうといふは、 じょうじゃきゅうせき顕真けんしん座主ざすほっにて、 りょうごんいん安楽あんらくたにをこゝにうつしてしん安楽あんらくとなづけられけるとぞ。 くだんのぼうめいない第一だいいちばんごうなれば、 しょうぼうとていまいちしょう円覚えんがくきょじゅうはべるにや、 それよりたちかえるときかのしょうにかきつけをきける、

すまばやと こゝろとゞめて やまふかみ しぐれてかへる そらぞものうき

  だいだん

おなじきとし朧月ろうげつ中旬ちゅうじゅんこう郭内かくないにをいて一室いっしつをかまへちくじょうあんとなづけて、 辺畔へんぱん塵外じんがいしてほうじょうのきをさゝげつゝつねには間居かんきょせり。 そのいほりのしょうかきのこはべえいいわく

ながらへて のうきふしに たへもせじ たけのいほりを なにむすぶらむ

  第三だいさんだん

0400なじき三年さんねんひのとのにあたる、 八月はちがつ一日ついたちすいしょう念珠ねんじゅげん法印ほういんにをくりつかはすとて、

法印ほういんしゅん

きみのみぞ かぞへもしらむ 崑崙こんりんの もしらたまの かずをつくして

  かえしに

崑崙こんりんの たまのひかりも わがあとに のこらむきみが をぞてららむ

さきのじゅのかへしにさいをつかはすとてそへける、

おいまじる よもぎがしまの 白麻しらあさは におふ 不死ふしきみがくすりぞ

つぎのとしはじょうちゃくよう困敦こんとんれきにや、 きさらぎしも四日よっかのこととぞさくらびんにたてゝ部屋へやにおきつゝ、

伯耆ほうきのかみ宗康そうこう 于時ときにだいどうみょう光養こうよう

ふくかぜに しらせじとたてゝ をくはなに ちらぬをひさに みむとおもへば

とよみて花枝はなえだにつけたるをみて、

法印ほういん

たをりをく はなのあるじの 行末ゆくすえは さかゆくべしと はるぞしるらむ

0401たのむぞよ おいはなは ちるとても さきつゞくべき よろずはる

ことば  少将しょうしょう為重ためしげ朝臣あそん
画師えし しゃ如心にょしん 因幡いなばのかみ藤原ふじわら隆章たかあき

 

0402慕帰絵ぼきえだいかん

  第一だいいちだん

じょうねんづきはじめのころ法印ほういんみやこいでいささか路次ろじとうりゅうのことありて、 おなじきなか四日よっか年来ねんらいゆかしくもまほしくおもひわたりはべたんうみ橋立はしだておもむくに、 みちに雲原くもはらといふ深山しんざんなかにて郭公かっこうをきゝて、

はるばると やまのすそに わけいれば しげきかたに なく時鳥ほととぎす

おなじきかのこくちゃくしけるに、 人々ひとびとさそひともにもおよばず、 少々しょうしょうわかきそうなどあいしてこころもとなさのあまりに、 まづなりあひのふもとおおたにのあたりじゅんけんはべれば、 そうなにりっとやらむきゝしかどもぼうきゃくはべり、 そうぎょうふときたりみちをきりゆきむかひ、 さんぜいもうけり。 けしかる便びん堂舎どうしゃかたわらひきいれ種々しゅじゅにもてなしければ、 ことのほかになさけなさけしくおぼえて、 つぎ早晨そうしん藤花ふじばなかきたるおうぎ張箱はりばこていものとりて、 いづこよりともなくのこしはべるとて、

さん宗康そうこう 于時ときにどうぎょう光養こうようこれなり

きのふこそ おもひもかけね ふぢなみの このはなさかば あともわすれじ

こと0403ごとしげにしょうほんびょうひょうりっぎょうせんしょみょうかきのせかえしに、

おもひきや こころにかけし ふぢなみの わすられがたき はなをみむとは

そのあめにさはりて帰路きろにもおよばず、 またみるべきほんじょうそうにもいまだのぞまず。 よりてつぎじゅう六日ろくにち彼寺かのてらもうどうしょうめんたいようなるところはしらかきつけはべりける法印ほういんえい

くものなみ いくへともなき すさきより ながめをとおす あまはしだて

しゅうけん宗康そうこう

をとにのみ きゝわたりつる すゑありて なみまにみゆる あまのはしだて

このてらていたらく、 のち葱嶺そうれい峨々ががとしてじんあいだをへだて、 さき蒼海そうかい漫々まんまんとして雲涛うんとうまなこにさへぎる。 万物ばんぶつこゝにいき繁栄はんえいをのづからそなわれり。 別当べっとうぼう金剛こんごうさっいんとなづけて厳麗げんれいしゅうとしみょうせんとす。 ゆうじゅんたくにしてどっかいせり。 堂舎どうしゃかざりしゅぎょく瓔珞ようらくをもてかゞやかし、 牀石ゆかいしもちいるりょう錦繻きんしゅよそおいてことゝす。 こゝに垂髪さげがみいちりょうにんあいともないはべれば、 みやこよりなどきゝて心悪こころあしくおもいけむ、 寺務じむなにがしのそうといふしちじゅうゆうたけたるが、 まことにとくたうとく体法たいほうかしこき老者ろうしゃいであいて、 ひたすらやがてしょうじいれ、 ちゃをけたみ八珍はっちんさかなをまうけ三清さんせいさけをすゝめつゝ、 どう宿しゅくどももそのこととなくぼうちゅうはしりまわり、 すゞろにていじょうたおれふしておかしきさまにちょうすれば、 そ0404ゞろはしさかぎりなし。 さんじょうをとかくのがれいで面白おもしろ遠望えんぼうしつるくしぞ、 当所とうしょめい骨目こつもくしょう遊覧ゆうらん肝心かんじんおもへば、 おなじくはまぢかくてまほしさにこゝろざしてみちをへふもとへくだる。 それまでは路次ろじりょうじっちょうばかりもやらむともうす、 そのあひに大谿おおたにといひてきこゆる迎講げいこうのところにいたれり。 このところまことにゆゝしげにみえて仏閣ぶっかくぼんむねをならべ、 第宅ていたくしょうもんちまたにあふる。 こゝをとおり島崎しまざきほどなくゆきつき、 しばらくしょうようしてさんしゃくおよ万年まんねんのぶるに、 あとをはるばるとねがえば、 すぎつる大谷おおたにあたりてかすみたるこうふねいちそうありとみるところに、 酒盛さかもりみぎりくしこぎけり。 たれなるらむとおもへば、 昨日きのうあしたおうぎををくりやりはべりしぎょうせんりっとぞみなしける。 どう宿しゅく六人ろくにんあいともない玉樽たまだる随身ずいしんぎんしょうかいちゅうするもあり。 あるそう山臥やまぶしづつをぬきいだし、 あるやから田楽でんがくぶしをうたひかけつゝ垂髪さげがみしょうがんしければ、 おもいほかなるとう遊宴ゆうえんをそへて面白おもしろともいふばかりなし。 じゃくはいどもとりどりにてきげいほどこきょくのうつくす。 きょうかなへるふえのねゝたかく、 うたこえごゑすみ、 廻雪かいせつすぎひるがえし、 易水えきすいきょくえいず。 このしょうじゅそこ蘋蘩ひんぱんみぎわなれば、 かみとおりきゝにめでゝ、 天人てんにんもやらいすらむ。 若又もしまたみょうしゅなどもや影向ようこうたまふらむとまでおぼえしんおよばれず、 かんめいぜしめけり。 さるほどすで日映にちえいもすぎ晡時ほじになりければ、 ようもうけたるそうふね0405むかえものども、 あながちにあいはべるきけば、 さしもさけがたきせきなれども、 こゝをたちこんのとまりみやをさしてぞゆく。 ありつるそうしばしばなぎさふねをとめて、 そうきょうをおしみ余波よはそでをしぼりながら、 かいしのちょうこえつゝ、 さのみはいかでかその面影おもかげものこるべき。 これかのゆくほどをそしと、 かいふねよびけれども、 なをろくうまたたかさせてしょう八音はっとんをふきうたろくをのべ、 ことばあらわなさけうごかすこと、 ふでにつくしがたくかんにしるしがたし。 からくしてをかぎりにしょうこくいたりみやへはおちつきはべりにけり。

  だいだん

なを第六だいろくねんかのえのとら*もうしゅん廿にじゅう一日いちにちじゅう三歳さんさいにしてまかれしこうちょうどうしょ七日なのかにあたるあした、 ゆきのいたうふりけるにも、 おりにふれことにふれつゝ人々ひとびとれんしあふなかに、 りゅうぞんじゃ一首いっしゅをよみていだしければ、 とうにをのをのごうはべりし。 だいどう

だいほっりゅうぞん

あとつけむ ひと昨日きのうの わかれにて こゝろのまゝに つもるあわゆき

筑後ちくごのかみたいらの胤清つぐきよ

とはるべき ひとはあとなく なりぬるに たれゆへかぶる けさのあわゆき

法印ほういんよめる

0406あけくれは いまいまやと おもふを のこしをきても きゆるあわゆき

法印ほういんしゅん

あわゆきの きゆるよりなお あだなるは あとをもとめぬ いのちなりけり

藤原ふじわら宗康むねやす

あはれやな あわゆきよりも きえやすき ひといのちぞ あとかたもなき

  第三だいさんだん

かのとらのとしがつ にち改元かいげんして観応かんおうごうするに、 かよひどころ西山にしやじゃおんにまうでつゝ、 としごろどう宿しゅくぜんしょにてこころしづかに仏像ぶつぞうむかひ、 ねむごろにみょうごうなどかききょうのうらにれんのこゝろざしをしるしつけはべりける。

こゝにのみ こころをとめし あとぞとて きてすむわれも あはれいつまで

おりにふれ ことにつけつゝ きしかたを おいのこゝろに わすれかねぬる

     已下いげ画図えずりゃくす。

りゃくおう元載がんさい杪秋びょうしゅう廿にじゅうにちじょうらく法印ほういん 光玄こうげん、 むろにてよみはべとうさん十首じっしゅのなかに、

老法ろうほう

  原月げんげつ

あだなりな しめぢがはらの あきかぜに させもみだれて つきぞこぼるゝ

  0407しゅう紅葉こうよう

あきはゝや くれなゐふかく たつたひめ もみぢのにしき きてやゆくらむ

おなじきのとし八月はちがつじゅうにちりょうしん大谷おおたにのいへにてこうはべちゅうに、

  閑庭かんていげつ

よもぎふの しげるをつきの かごとにて つゆわけわふる かげのさびしさ

そのさいよせじゅっかいだいにてよめる、

なな十地そじに はみつしほの すゑのまつ このとしなみも またやこえなむ

なおさんとしかのえのたつはるやよひはじめつかたには、 いさゝかまぢかきじょうがいおもいたちはべるに、 おなじき九日ここのかことなりけるとぞ、 こく宗康そうこう、 そのとしだいとて八歳はっさいになりはべるみやこにおもひをきければ、 おなじくともなひくだりける偕老かいろうぜん

ながきを いかにしのびて くらせども はるしもひとの こいしかるらむ

  かえして

法印ほういん

こひしさは おとらぬものを ながきに おもひくらすと ひとのいふらん

くだんのつき中旬ちゅうじゅんにたよりをえてまつしょうこうこえはべる。 ついでかのそうしょうしきかたち所望しょもうし、 ことさらふでそめてあたふべきよしもうしければ、 ふるき詩歌しかなどかきはべるに、 のう0408御作ぎょさくに 「りんこうしょうなんぎょう えいうんしょう」 といふしてかきはべるうたとて、

ことのの つゆもろくなる くらゐやま のぼりかぬれば はなもはづかし

かの大歳おおとしだい荒落こうらく季夏きか九日ここのかといふに、 しんくま滝後たきのちちゅうごんぜん、 いまだ光徳こうとくごうせしどうぎょうにて備前びぜんのくにこうのあひだ、 れいをのぼせはべかえしにつかはしける、

ろう法印ほういん

ながらへば またといひても なにかせむ おいいのちの たのみなければ

  へん 後時のちのとき送之これをおくる云々うんぬん

でんちょうまんぼうそう

いくたびか なをもあひ​みん ちよふべき きみがよはひの かぎりなければ

年来としごろちくころよりれんのごとくもうしかよはすしょうじゅ来迎らいごういんちょうろう くうしょうにん のもとより、 なやむことはべるこころよからぬなどしめす鴈書がんしょのついてにしゅおくりけるに、

けふまでは ともなひきつる おいのみち われさきだゝば あはれとやみぬ

なれきつる ひとのなごりの おほえやま にしにいくの みちまでもとへ

  へん

寺務じむ法印ほういん

むかしより ともにおいきて わかれちも たれかさきにと なみだをちけり

うきことは さぞなこのに おほえやま こえていくの 西にしもかはらじ

いち0409じょうさきみなもとの黄門こうもん 雅康まさやすきょうあずまやしちひゃくばんうたあわせに、

  らっ

ちるはなに たぐふなみだの もろさこそ おいぬるはるの しるしなりけれ

またすぎにしじょういぬとしじょうとうみそか日野ひのべんにゅうどう 房光ふさみつ朝臣あそんほうみょう明寂みょうじゃく、 いへの月次つきなみ三首さんしゅなかに、

  冬月とうげつ

しぐれつる くもものこらぬ たかねより あらしにいずる つきぞさやけき

  しょ逢恋ほうれん

さこそまた おもひしづまめ 恋々こいごいて あひ​そめかわの ふちせかはらは

そのころ壬生みぶないきょうにゅうどう冬隆ふゆたか朝臣あそんもとへうたてんのためにふみをつかはしはべれば、 こぞの八月はちがつそっしぬとこたうとて、 むなしくもちかえりけるはかなさ、 今更いまさらあはれにかなしくて、 すなはちきょうりょうもちいはべらうとてかのしょうそくかきそえけるだいしょううた

なきあとと しらでをくるも はかなきは ありしまゝかと たのむたまづさ

おなじき三年さんねんがつまかれしにゅうどう黄門こうもん 雅康まさやすきょう せんあととぶらはむとて、 さきみなもとのしょうこう 雅顕まさあききょう法印ほういんにすゝめし一品いちぼんきょうに、 ¬法華ほけきょう¼ 「ほっぼん (巻四) めつあくのうきょうしゃ」 のこゝろを、

0410にごるの のりのながれを むすぶの しづくまでをも いかゞもらさむ

そのとしちょうようとうちゅうべん 時光ときみつ朝臣あそん于時ときに蔵人くろうど右衛うえもんごん もとよりおくりける、

しらぎくの はなもてはやす きみがやどよ さかへむ千代ちよの すゑぞひさしき

  へん

法印ほういんしょうこう

いとゞなを きみがさかへと きくのはな かさねてちよの すゑひさしかれ

ぐらしょうこうはねばやし じつみょうきょうすすめはべる ¬ほっ¼ 「かんぼん」 に、

はかくて あだしうきに さすらへど こゝろまことの みちにいりぬる

しん別法べっぽう (華厳経意) だいして、

なにとたゞ はじめもはても なしときく こころひとつを おさめかぬらむ

仏心ぶっしんしゃだい慈悲じひ (観経) のこゝろを、

あはれみを ものにほどこす こころより ほかにほとけの すがたやはある

しょうはん猶如ゆうにょさく」 をよめる、

かはらじな 弥陀みだくにに むまれなば 昨日きのうゆめも けふのうつゝも

法印ほういん往年おうねんつきのはじめ、 しょうおくるついでにしょう拝任はいにんあるべきしゅうをそへけるとくへのうた

0411のぼるべき わがいえきみの くらゐやま はるのひかりの 日野ひのぞかゞやく

  へん

にゅうどうさきだいごん 俊光としみつきょう于時ときにざいげん

このはるの ひかりは日野ひのに あらはれて ゆかりのくさも ときにあふらし

宗匠しゅうしょうじょうにゅうどうさきしょう ためきょう、 ¬言葉ことのはしゅう¼ をいえせんせしは、 ちょくせんしてかつはのぞまむともがらこう作者さくしゃしたたるべしなど、 しょさまも沙汰さたあるよしきこえしかば、 その打聞うちきき法印ほういんくわえはべりける、

ふゆきぬと いふよりやがて かんづき おいなみだぞ まづしぐれける

ちかごろ ¬藤葉とうようしゅう¼ とてぐらにゅうどうさきしょう 実教じつのりきょう せんする打聞うちききぞうしゅんにゅう

やまのはに ちかきよはひや くらべまじ くるゝやよひの けふの春日かすが

これおなじき ¬しゅう¼ ぞうはべる、

つたひくる かけひのすゑを せきためて みずこころを まかせてぞすむ

かのしょうのもとへ、 法印ほういんある土産みやげかえしごとはべへんじょうにそへてやりけるとて、

にゅうどうさきだいごん 実教じつのりきょう

おもはずよ おいのいのちの ながらへて いままたひとの なさけみむとは

  へん

法印ほういんそうしょう

0412きえかゝる つゆのいのちの うちにまた このことのを みるぞうれしき

ひとゝせじょうつちのとのうしのとし、 みなつき一日ついたち母儀ぼぎちゅういんにゅうどうちゅうごん 雅康まさやすきょう 後室こうしつもとよりしょうそくして、 黄門こうもんにわかれてもはや三年さんねんになり、 高堂こうどうにをくれてもすでに七日なのかはすぎぬ。 つながぬつきひのうつりやすさ、 ことにおやのおんなごりのみ、 すゞろにかなしくて、 かつは都護とごちゃくなん頭辨とうべん 宗光むねみつ朝臣あそんこくせしを、 しょうれんいんぼん大王だいおうおんなさけふかくものためしをもて、 ねむごろになぐさめつかはさるゝときおくりせしめたまちんしょうぎょには、 けんきゅうねんだい兼光かねみつきょう最愛さいあいそうそく基長もとながをうしなひて、 なげきのなみだがわにをぼれ日野ひのべっしょうにこもりゐはべるかのきょうもとへ、 しょうたびたびの音書いんしょありけるせんしょう御目おめにふるゝあひだ、 もくがたくてこれをつかわさると 云々うんぬん。 その一巻いっかんそえらるゝ*竹園ちくえんぎょたまわりひのさきしょうもうしけるへん、 むかしいまの贈答ぞうとうまでもいみじくをよばぬながら、 ふとこころうかぶなどゝてあまたうたよみげん親老しんろう法印ほういんおくりはべりければ、 まことかの父子ふしあいしょうもあひおなじく、 このじょべつことならざるにやとにもしられて、 いとゞていきゅうにたへぬなかにも、 もんこんしょうたくをおもふに宦学かんがくもくだんにあらずや。 かの後室こうしつえいのなかに、

さめやらぬ とせのゆめの うちにまた ゆめよりゆめを みるぞかなしき

  0413法印ほういんへん

ゆめぞとは おもひなせども わかれにし つらさばかりは なおうつゝかは

この詠篇えいへんかの頭辨とうべんことをおもひてそへはべる、

法印ほういんしゅん

とをからぬ あはれにたえぬ みなつきに うきわかれそふ ころぞかなしき

おなじきとしには法印ほういんまんはちじゅうなりしに、 いさゝかやまいのゆかにふしはべことありしとき、 おもひつゞけゝるとて、

かぞふれば しゃ祖師そしとの よはひまで いける八十やその さへたうとし

うごきなき こころをもとの あるじぞと しるこそやがて さとりなるらめ

この和歌わかどもはすこぶるきょうげん綺語きごなれば、 しるしのするにあたはざれども、 かつは讃仏さんぶつじょういんてん法輪ぽうりんえんともいへるうへ、 亡者もうじゃあさゆふもてあそびしことゝおもふばかりをぞんじて、 あながちに年月としつきにちぜんをまもらず、 自他じた僧俗そうぞくかんをたゞさず、 ただおよぶぶんもっ便びんのうしたがいてその段々だんだんかんにまかせこの処々しょしょすみをつく。 かきちらせればさだめてしどけなきことおおくはべらむ。

ことば  桓信かんしんじゃ
画師えし 摂津せっつのかみ藤原ふじわら隆昌たかあき

 

0414慕帰絵ぼきえだい十巻じっかん

  第一だいいちだん

いにしへ元弘げんこうはじめのれきとうちゅうじゅんことだいしょうろくじゅうにて丹波たんばのくに一人いちにん僧侶そうりょ*清範せいはん法眼ほうげんごうするあり。 さんしゅうのうち*きょう別伝べつでんしゅうもんはいり、 かねては ¬ほっ¼ 読誦どくじゅこんこらしめけり。 そのしょう岐疑きぎにして一代いちだいぶっきょうぞうさがししらばやとこころにかけ、 りょうない典籍てんせき博覧はくらんせんとこころざしをはこびつゝ、 採用さいようするにゆうべんにしてりんはなをさかせ、 清談せいだんするにさん妙述みょうじゅつにして学海がっかいうしおのたゝへたらむもあくやと、 かつは尾羽おはそろひたるとりのそらをかけるにおそれなく、 そうかたきうまいしめどもをそくれざるように、 たゞよろづに数寄すきほけはべるあひだ、 尊像そんぞう座下ざげじょうずいきゅう往日おうじつ宿しゅくいん純熟じゅんじゅく善縁ぜんえん相応そうおうせるにや、 かの法眼ほうげん同心どうしんしてとんぎょうのひとつのりものにこそともないたてまつらめと、 *だくのあまりけつりょうのうへは、 *さんぎょう一論いちろん伝受でんじゅ*五部ごぶかん提携ていけいす。

其外そのほか本願ほんがん先徳せんどくしゅうしたまふ ¬教行きょうぎょうしょう¼ 六帙ろくちつ大綱たいこうをもしょうやくするのみにあらず、 をりをり所望しょもうしければ、 かの歳序さいじょあたりひつせしめて ¬*でんしょう¼ とだいするさんじょうもん制作せいさくす。 これはらんしょうにんより随分ずいぶんひんじょう如信にょしん御房おんぼうじゅ法要ほうようたるによりじゅ 云々うんぬん

しかるにまた0415其後そののちかさねてもうしはじはべるとて、 *けんねんがつ にち春秋しゅんじゅうろくじゅうはちにして ¬*改邪がいじゃしょう¼ といふ一巻いっかんしょをつくれるは、 まつをつりとうりゅうごうをかる花夷かいのあひだせんのたぐひ、 大抵たいてい僻見へきけんまかしてほしいまま放逸ほういつざん振舞ふるまいいたし、 邪法じゃほう張行ちょうぎょうおうつき外聞がいぶんじつしかるべからず。 ことさらほんとして禁遏きんあつ厳制ごんせいのむね、 条々じょうじょう篇目へんもくをたてゝこれひつせらる。 かつはもはらこう傍輩ぼうはいのために張文はりぶみじゅんするところなり 云々うんぬん

さてこの法眼ほうげんしょうそうはべたんしゅう仏閣ぶっかくをも、 本願ほんがん寄附きふとして*ごうしょう題額だいがくごうもうしなづけ、 おなじく筆生ひっせいかきくだしけり。 就中なかんずくねん懇念こんねんしゃしょうらい素意そいひょうせむがためにとて、 そん存日そんじつより、 あるいぞう丹青たんせいあらわあるい木像もくぞうちょうこくせしめて、 居所きょしょらくちゅうにしても渇仰かつごうし、 管領かんれいじょうがいにもあんす。 すなはちこの行状ぎょうじょう画図えずほっもかの法僧ほうそう張行ちょうぎょうしょなり。 これによて、 随分ずいぶん連々れんれんこんぎょくもだしがたき所望しょもうなれば、 しゅ段々だんだん右筆ゆうひつかたのごとくしるしつけおわりぬ本文ほんもんりょうけんに、 「とくほうごんしゅう」 とへる

にはおんいただきてかつてほうぜざるひとのみあり、 とくにないてすべてむくいざることのみおほきに、 ようただしくししんまもるにをいてはむべなれや。 過去かこ*かいをよくたもちければこそ、 はたしてこんじょう*じょうをかしこくはしれゝとおぼゆ。 かさねておもへらく、 「りゅうちょうそく難竭なんけつ根深こんじんそくなんきゅう」 ともみえたり。 しかれば、 あおぐべきかの福田ふくでん0416みょうおういんむなしからず、 たしなむべきこの比丘びく生計せいけいねんにともしからざるかななどもうしつたえはべれば、 ありがたく感嘆かんたんずいせらるゝものなり

また製草せいそうあり、 じゅうはちがん簡要かんよう願々がんがんえらびてめのこたきに註釈ちゅうしゃくせり。 これせいするねん*りゃくおう三歳さんさい かんかのえのたつ がつ廿にじゅうにち 云々うんぬん。 すなはちみょうありてしちじゅういち奥書おくがきあり。 願主がんしゅこうしゅう伊香いかべっしょう崇光すうこう管領かんれいじょうしんごうする*苾芻びっしゅのぞみもうすよりかきたびけりとみえたり。 ほんみょうのあひだ、 いま ¬*願々がんがんしょう¼ と題号だいごうはべるはこれなり

いまひとむかしにもおほくあまれるらん、 *りゃくはじめひのえのとらとしその*しょうせつ上旬じょうじゅんころ飛騨ひだのくに*がんぼうえいしょうといふぜんもうしこいければ、 ¬*しゅうしょう¼ となづけたるふみをつくりてあたえけり。

あるい¬*最要さいようしょう¼ とて小帖しょうじょうあり先年せんねん法印ほういんふうおかされしとき目良めらじゃくえんぼう道源どうげん 関東かんとう駿する法印ほういん栄海えいかい舎兄しゃけいたずねきたれりしついでふしながらしめしゝほうひつだいじゅうはちがんしゃくするもんなり。 この目良めらねん先代せんだい所属しょぞくとして沙汰さたかねといはれ、 右筆ゆうひつかたにも達者たっしゃほまれありけり。 そのうへ真諦しんたいもんのぞみしょしゅう通達つうだつ法愛ほうあい第一だいいちなるのみにあらず、 俗諦ぞくたいもんありてもばん*宏才こうさい*名望めいぼうそうなり。 在洛ざいらくのちたいりゃく弊房へいぼう経廻けいかいねんどう宿しゅくほうなれば、 とも老体ろうたいながら日来にちらいしんぎょうごうはかりおうじょうじょう願念がんねんたくわふ。 あはれなることわがほうしょうその太簇たいそうはるはちじゅうにしてわかれをつげ、 くだんの老者ろうしゃおなじき大呂たいりょふゆはちじゅうはち0417してめつにいる。 しょうぜん芳契ほうけい同心どうしんなりさいしゅうえん同年どうねんなり思議しぎといふべし、 果而はたしてこれ今度このたびいちだい本懐ほんかいそうなくとげはべりけり。

また ¬*本願ほんがんしょう¼ となづけひつそむるは、 みょう各別かくべつなれども、 義理ぎりたいさきの ¬最要さいよう¼ におなじきもの

このほかに ¬ほっ念仏ねんぶつ同体どうたいみょうこと¼ といへるはくそう有之これあり

ちかくはまた*じょう三歳さんさい ひのとの じゅうがつ廿にじゅう八日はちにちことなりしに、 らんしょうにんさくせしめたまふ ¬じょう¼・¬高僧こうそう¼ とうさんじょうさんない肝要かんよう選抜せんばつはべいちじょうを ¬そんさんしょう¼ とごうするもあり。 ことしげければさのみはぞんりゃくするところなり。

ここに先段せんだんちゅうげんおいて、 年号ねんごういささかもってだいまもるといへども、 これしゅうとういたり歳序さいじょたちかえりまた錯乱さくらんおよぶ。 しかれども聖教しょうぎょうじゅつさくをゝなじく一所いっしょによせて、 真俗しんぞく混合こんごうをなを分別ふんべつせんがためのゆえなり。

およそまた聞法もんぼうけちみゃくみょうつるともがらは、 ゆうしょうぜんきょうかくじょうきょうえんじょうじょうしんぎょうにょしょうにん唯縁ゆいえん道慶どうけい寂定じゃくじょうとうなり。 斯外このほか自余じよ修学しゅがくもんたりといへども、 そのこころざしありて遠国おんごくよりもじょうらく随逐ずいちくして、 しょなりけいいた提撕ていせいたえたるもあり、 所謂いわゆる如導にょどう助信じょしん善範ぜんはん想賢そうけん順教じゅんきょうくうしょう宗元そうげんせんごときのたぐいをや。 なおこれあれどもくわしくするにあたはず。

  だいだん

*かん0418おうさいかのとの しょうがつじゅう七日しちにちくれより、 いさゝかれいとて心神しんじんいたわしくしはべれば、 たゞはくにおもひなすうへ、 てんさわぎもいまだをちゐぬるほどなれば、 りょうたずぬべきぶんもなきに、 じゅう八日はちにちあしたよりなをおもりたるけいなるに、 世事せじはいまよりくちにものいはざれども、 念仏ねんぶつばかりはたえずいきのしたにぞきこゆる。

さりながらをはなれぬそうのむかへるに、 このしゅをかたりける。

南無なも弥陀みだぶつ ちからならぬ のりぞなき たもつこころも われとおこさず

八十やそあまり をくりむかへて 此春このはるの はなにさきだつ ぞあはれなる

おもひつけたる数寄すきにて、 さいまでもよはよはしきここいちりょうしゅをつゞけらるよと、 安心あんじんのむねもいまさらたうとくおぼゆるなかに、 はなのなさけをなおわすれずやとまことあわれにぞおぼゆる。

おほよすこのたびはこんじょうのはてなるべし、 あへてりょう沙汰さたあるべからずとしめせども、 さてしもあるべきならねば、 あくる*じゅうにちふつぎょう医師いし招請しょうしょうするに、 みゃくどうぞんほかにや指下しげにもあたりけむ。 なむるところのりょうやくしるしなくはべれば、 面々めんめんたゞあきれはてゝまぼあおぐよりほかのことぞなき。 つゐにとりのこくのすゑほどに、 あたまきたにしおもて西にしにし、 ねむるがごとくしてめつとなうるぞこころうき。

つらつら頓卒とんそつをおもふ0419に、 ことこつなるだいのさかひとはいひながら、 今更いまさらじょうのならひにまよひはべれば、 じょうずいきゅう僧侶そうりょべつたん男女なんにょたとえをとるにものあらむや。 しゃ如来にょらいはんにわには、 きんじゅうちゅうるいまでも啼哭ていこくしたてまつりけり。 だいしょうえんみぎりには、 上下かみしもじょまでもしょうすることかぎりなし。

さても思議しぎげんぜしは、 はつびょうよりしゅうえんときいたるまで中終ちゅうじゅうさんにちがほど、 蒼天そうてんのぞむうんはいするよし所々しょしょよりつげしめす。 そもそも三日みっか彩雲さいうん旧蹤きゅうしょうたずぬるに、 いにしへこうしょうにん芳躅ほうたくにかなひ、 いまはせん霊魂れいこんどくをあらはすこれなり。

事切こときれぬれども、 つきせぬ名残なごりといひ、 かはらぬ姿すがたをもなをむとて、 りょう三日さんにち殯送ひんそうをもいそがねども、 かくてもあるべきとて、 *だいにちくれおんいん沙汰さたとして彼寺かのてらちょうろう衆僧しゅそうをたなびきむかえとりて、 延仁えんにんにしてむなしきけむりとなしけるはあはれなりしことなかにも、 *廿にじゅうにちがいひろへりしに、 そうするところの白骨はっこつ一々いちいちたまなりぶっしゃのごとくしきぶんす。 これをみるひとしんともに渇仰かつごうして信伏しんぶくし、 これをきくひと都鄙とひみなこいとりあんす。 まのあたりこの神変じんぺんあえるはなげきなかよろこびともいひつべく、 まよいまえやくともいひつべし。

むべなるかな弥陀みだ本願ほんがんをたのむほかには、 純浄じゅんじょうゆうみょうしゅぎょうもなにゝかはせん。 極楽ごくらくおうじょうをねがふまへには賢善けんぜんしょうじん威儀いぎもいつはれるにや、 法印ほういん平生へいぜい0420振舞ふるまいもたゞよのつねにじゅんじて、 安心あんじんじょうもそゝぐべきならねば、 まめやかにひとためならず念仏ねんぶつしていちだいほんとげぬるに、 としごろへんしゅうせしひともこのたびかいし、 ごろえんせしやからもいまさらきょうす。 もともありがたきことどもなるべし。

 

みぎ十帙じっちつ篇目へんもくいち旨趣しいしゅ記先師之行迹せんしのぎょうしゃくをきし課当時之画匠とうじのがしょうにかすひとえに依中懐之難黙ちゅうかいのもくしがたきにより不顧外見之所嘲者がいけんのあざけらるるものをかえりみざるなり可慚はずべし可慚はずべし可憚はばかるべし可憚はばかるべし矣。

辺山へんざん老襟ろうきんだいしょうしゅんきす

ことば  さきひょうえのすけ伊兼これかね朝臣あそん
画師えし 摂津せっつのかみ藤原ふじわら隆昌たかあき

 

底本は本派本願寺蔵南北朝時代書写本。 ただし訓(ルビ)は有国によるˆ表記は現代仮名遣いにしたˇ。