(10月10日)

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ここ3ヶ月、原稿書きに没頭していました。

6月末にはたらきかけを受け、7月から腰を上げて、9月中までには何とかしようと思っていたのが多少ずれ込んで、つい先日草稿の確定稿を提出したところです。今後編集作業ほかが続くでしょうが、わたしの仕事はもう終わった、といった感想です。

とにかく心情的にいろんな場面に出会いました。ものを書く、という作業がこんなに大変な出来事だとは知りませんでした。用語的にわたしが使うととんちんかんながら、魂を抜き出すとでも言えそうな気がします。

今、草稿を提出し終わって、ですから抜け殻状態です。単なる脱力感ならいずれ回復しますからいいのですが、素敵なものは全部吐き出して、後に情けなく見苦しい、徹底的に俗な自分だけが残されてしまったような感覚で、いささかへこんでいます。

書き終えて手を離れてしまった原稿は、すさまじく「他」でした。

そうしてみると、自-他とは、もともと一つであったものが引き裂かれた姿なのでしょう。最初から最後まで没交渉でしかないものは、そもそも他として出会うこともできない。

書き始めた最初は、初めて立った子どもが一歩を踏み出すようなもので、心細くはあったものの楽しかった。はたらきかけてくださった方面からの緻密な企画書がありましたから、何もないところに踏み出していく怖さはありませんでしたし、まさに親(ここでは編集者様の意です)に見守られている子どもさながら、一歩歩いては誇らしげに親の顔を見上げ、ほめてもらって得意になってと、未知なる冒険に心躍らせていたようです。

そうやってしばらく、時間のない世界へ入り込んでいました。そこで遊雲と会い、たっぷり話をしてきました。そのまま戻ってこられなくなっては困りますから、ちゃんと帰り道の道しるべも残してあり(どうやって道しるべを残すか頭を悩ませたときもあるのですが、それはまだ楽しい工夫です)、安心して心ゆくまで語り合うことができました。

そうこうするうち話も次第に熟してきて、もうこれ以上は生身には無理とこちらに引き上げ、消えてしまう前にと急ぎ石を置いて回って縄張りだけすませ、あとで言葉を流し込んでみたら――仕上がっていました。

ここまでは、楽しい作業だった。それなりの苦労もありましたが、幼児がときによろけるくらいのもの、見守ってくれている親のまなざしを疑わず、ひたすら自信と喜びにあふれ、「やったよ!」といった感覚で。

ところが、ここからが悲惨でした。

わたしが産み出したつもりのもの(産みの親の小ささを引きずっていると卑下していたもの)が、みるみる一人前に独り立ちしていくのです。当初は、このことは「作品」になるために求められる最低線をちゃんとクリアできたことで、立派な仕事ができたということなのだろうと楽観視し、舞い上がりもしたのですが。

一時期は、セミが脱皮しているところを見ているような印象も持ちました。脱皮したては真っ白でやわらかくもろく、触れば壊れそうだったのに、やがて色がつき堅くしっかりしてきて、つやまで出てくる。嬉しいような面はゆいような、そんな気持ちで見守っていました。

しかし、そんな蜜月はわずかな間でした。産みの親のわたしの方が、この原稿からどんどん突き放されていくのです。そして、作品が大きく羽ばたけば羽ばたくほど、それに反比例して情けなくもみじめな自分があとに残されている。

昨夜は、「自分の」原稿の独り立ちをねたむかのように、これは大したものではないぞという思いにとらわれてしまって、がっくり落ち込んでみたりもしました。

おそらく、わたしはきちんとした仕事をしたのだと思います。何かをまともに産み出したあとは、多かれ少なかれ避けられない心情を、今たどっているのでしょう。

今はっきり言えることは、今回書き終えた原稿は、わたし自身にはもう二度と書けない、ということです。「手直し」ができるのかどうかさえ(編集作業はこれからです)、自信がありません。

初めて経験してみて言えることですが、ものを書くということが、こんなに書き手にとって残酷なこととは知りませんでした。それまでは自分の内にあったはずのものが、書き切れてしまうと、自分のものではなくなる。わたしは、もうかつてのようには、遊雲と自由に話すことができなくなってしまいました。

多少は、それを悔やむ気持ちもあります。しかしそれでいいのでしょう。これまで遊雲と交わしていたつもりの対話は、「わたしにとって」内的なものでしかなかった。それが独り立ちしたということは、「わたしにとっては」わたしの内面が他とつながったということであるし、読んでなにがしかを受け取っていただける方には、わたしと切り離してそれを喜んでもらえるということであるはずです。

わたしは、「わたし」という他と出会った。

如来は、「わたし(有国智光)」という他と出会わんがために、とうの昔からそのおさとり(=如)を離れて(=来)立ちあがってくださってあった。

「わたし」は、内からはわたしに、外からは如来に、出会われている。おぞましくも、もったいないことです。

合掌。

文頭


遺産 (10月17日)

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報恩講に間に合うようにと、寺の庭の草引きに追われています。

ここ数年こまめに手を入れているので、いつ行事があっても、そんなに大あわてすることはなくなりました。しかし今年は7月末にあった夏法座以来ほったらかしにしており、いつもとは少し勝手が違います。

例年であれば、盆の前後にも一通りざっと手を入れます。まわりの暑さや山の青さとうらはらに、この頃には草の勢いが落ちはじめていて、もう今年の盛りも過ぎたことを実感させられます。ただそうは言っても夏草、この時期のまるまる一回分の巡回が飛んでいるため、あっちもこっちも草だらけになっていました。

ところが腹を据えてとりかかってみると、盆の手入れのときに受ける印象がうそでないことがわかりました。一つひとつの草は大きく育っていても、ぱっと見で感じるほどには密生しておらず、案外簡単にきれいにできるのです。

数年がかりできちんと手を入れているせいもあります。落ちる種が少なくなった分、生えてくる草も少ない道理です。笹なども心がけて根から引いているので、いきなり藪になるほどではありませんでした。

いつもは、年に3回の法座(春法座:4月初旬、夏法座:7月下旬、報恩講:11月初旬)の前に徹底的にきれいにし、そのほかの期間は適宜見回って、目についたものだけ、実をつける前に引くようにしています。今年抜けた盆前後の一巡も、徹底的にというほどのものではなくて、一通り隅から隅まで目を配るといった程度の巡回です。

それが抜けているため、大きくなりたいだけ大きくなったあげく、種を落として、すでに枯れている草もたくさんありました。

今生えている草は、去年、あるいはそれ以前の種が芽吹いたものです。去年までの精進(?)のおかげで、今年は楽ができる。しかし今年はしっかり種を残してしまいました。そのつけは、来年以降に精算していかなくてはなりません。

今のこのわたしは、いったいいつの種なのでしょう。

生物学的にもたどれる卵子や精子といった話にとどまらず、仏教では、すべての行為、すべての思いに、その直接の因を問い、そしてそれが現実に開花した環境としての縁を考えます。しかも、「今」のわたしはそのまま、明日のわたしの因であり、周囲の数え切れない衆生への縁の一部となっています。

それを思うだけでも気が遠くなりそうですが、さらにわたしは、仏と出会わせてももらっている。

いったいその種はどこからきたのか。

とんでもない遺産の上に、今この瞬間に多くの種を落としつつ、わたしは生き生かされているようです。

合掌。

文頭


充電 (10月26日)

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本を書く作業が一段落し通常の生活に戻ってこようとしているのですが、なかなかうまくいきません。

報恩講へ向けての寺の庭の掃除は、何とかめどがつきました。隅から隅まで手を入れる時間はありませんでしたが、手抜きになっていると気になっていたところは一通り遅れが取り戻せました。冬の薪の準備も、まだ作業にやっと手を着けたというところながら、本気でかかればそれほど心配するほどではないなという感触で、春に竹やぶを整理したときの竹がたき付け用に加工してあるものもしばらく使えますから、プレッシャーではなくなりました。

さらに11月は出講が続くのでその準備も気がかりでしたが、後は風邪さえひかなければ何とかなるだろうというところまではこぎつけました。

そうやってやっと気持ちの上での重しが取れて、さていつもの毎日へと思ってみたら――足元がすかすかなのです。

昨夜、久しぶりに「あれをしておかなければ」ということのない時間がとれ、それまでコツコツと続けていた聖典の資料整備の続きにかかろうとしたところ、間がながく空いたために気持ちの流れが切れてしまっていて、入っていけません。あらためて集中し直さなくてはならないのですが、そちらに集中しすぎると出講の際にポカをしてしまいそうなので、しばらく立ちあがるのを待つことにしました。

それならばと、映画でも観るか本でも読むかと思ったのですが、まったく気持ちが動かない。どこか、おなかがすきすぎて空腹感を感じなくなってしまったときのような感覚です。

結局、この住職の部屋の記事を、最初から読み直して時間をつぶしました。「時間をつぶす」というのはさみしい表現だなあと思いつつも、実際、時間を持て余しているというのが実感でした。

思えば、ここ2年ばかり、聖典を除けばほとんど本を読んでいません。ろくに充電もしていないところへ、今回の本で、自分の持っているものをすべて放電してしまったようです。

充電と放電は、原理的に最低1ステップずれます。今取り込んだものを今吐き出すことはできない。今語れることはすべて、いつかの昔に蓄えてきたものです。

それで言うと、今回の本に、遊雲が入院するよりも前に考えていたことが深く反映されていたのに驚きました。自分ではまったく気づいておらず、遊雲のことがあってそれで初めて考えさせられたことのように意識していたのですが、そうではなくて、むしろ遊雲のことは触媒のようなはたらきをしただけのようです。

それに気づけたことは、ある意味、わたしにとって救いでした。これまではどこか、遊雲のことを語りつつ、わたしは遊雲の死を食い物にしているのではないかといった後ろめたさがあって、それが早く遊雲を離れて「元に」戻らなくてはいけないとあせっていた理由の一つでもあります。その心配がなくなりました。遊雲が常に遊雲であったように、わたしも、最初からわたしであって、そして常にわたしでしかなかったのでした。

遊雲の死という強烈な触媒に出会って、さらにそこに本を書くという縁が重なって、自分の内にたまっていたものがすべて反応を起こしてわたしの「外」に出てしまった。しかも悪いことに、今を支えてくれるはずのある期間、ほとんど充電をしていません。というか、1ステップずれて今を支えるはずであったものまで、前倒しで放電してしまったのかもしれない。みごとなバーン・アウト状態です。

ここまでは世俗の話です。ご法義の味わいの点からすれば、すっからかんになれるというのは得難いことです。しかしそれを喜べるためにも、最低限のエネルギーは残っている必要があるような気さえします。

今日はちょうど雨、庭の掃除も薪作りもできないので、これから本屋へ行くことにしましょう。いくつか気になる本もありますし。とにかく充電を考えよう。

ほんとうは、一番いいのは(というか、必要なのは)、本を読むことではなくて、お聴聞だろうという気がします。いや、そう書いてみて、素朴に強烈にお聴聞がしたくなりました。残念なことに今日近隣のお寺で法座はなく、法座のあるときにはわたしの方が出講のご縁をいただいていて、聞きたいわたしが話さなくてはならないという皮肉な状況ですが、ご法義話のできる友達はいる。押しかけていってお聴聞させてもらうことにします。

合掌。

文頭