子離れ (4月3日)

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1日の夜から、家で一人です。

長女のめぐみは大学生活を始めに大阪へ出発、遊雲は入院中、母親と末っ子の想は里(香川県の観音寺)へ寄った後東京へ向かって(順調に行けば)7日に遊雲と一緒に帰ってくる予定です。

私の収入がどうなるかはっきりしなかったため、うちでは子供たち3人ともに、生まれた時点で額面 500 万円の学資保険をかけました。高校卒業時に全額渡し、どのように使ってもよいからとにかくこれで一人前になれ、というつもりだったのです。大学に行きたいなら行けばよいし、金が尽きるまで放浪の旅に出るのならばそれもよし、と思っていました。私立の医・歯学部や芸術系の大学でなければ、大学の授業料はまかなえるでしょうし、あるいは、たとえばヘリコプターの操縦資格くらいは取得できるはずです。

めぐみが、その先鞭を切りました。去年の夏に満期になり、全額本人に渡しました。大学のダの字もこちらからは言わなかったのですが、自分で行きたい大学を決め、受験料も受験のための宿代も自分で負担して(母親と交渉して多少はせびっていたようです)、合格していってくれたのですから親としては楽でした。大学は一つしか受験していません。本人にしてみれば受験料が惜しかったようです。万一だめだったら宅浪するつもりだったと、後になって言っていました。

大学では寮に入り、授業料免除の申請もしたそうです。親が言ったことではなく、また親には関係もしません。「本人」の負担がそれだけ軽くなるだけです。(もっとも、最低限の生活費は仕送りしてやるつもりでいます。) 浮いた費用で、留学しようと考えているようです。

私自身は 30 過ぎまで親のすねをかじっていたのですから、えらい違いです。親がちゃらんぽらんだと、かえって子供はしっかりするのかもしれません。もう立派に巣立っていったなぁと思うと、嬉しさ半分さみしさ半分といったところです。

遊雲は遊雲で、入院するために上京したときは子供料金だったのに、帰ってくるときは大人料金です。入院中に声変わりしてしまい、これまで以上に話す一言一言に迫力が出てきました。退院後しばらく、骨に負担をかけないために補助の装具を使うのですが、装具用の靴のサイズは私よりも大きくなりました。

それに何より、罹患・入院という貴重な経験を通じて、とんでもなくしっかりしてきました。赤ん坊のときからマイペースで、離乳の頃にも親が食べさせようとするのには見向きもせず、五本箸(要するに、手づかみ)で自分で食べていたような子がさらに黙々と思う道を歩き始めたようなところがあって、気を抜くと気合で負けてしまいそうです。

末っ子の想にしても、これまでお兄ちゃんに頼りっぱなしだったのが突然お兄ちゃんがいなくなり、この4ヶ月で随分成長しました。とは言っても小五ですから、まだまだあどけないですけれど。後はこれからの楽しみです。

さてそうなると、私は私で、子供を引き合いに出さなくてもすむような生き方を、あらためて問わなくてはなりません。我が子に追い抜かれるのならば本望としても、あまり安易に降参したのでは、子供たちも面白くなかろう。

といいつつ、私自身に注がれている親様、如来様の眼差しを思います。如来はついぞ――子離れなど思ってもいらっしゃらない……。もったいないことです。

合掌。

文頭


行動しないという行動 (4月12日)

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一語法話で、「トッポジージョ」のことに触れました。もうちょっと正確に言うとトポジージョに近いのですが。今日も半日トポジージョの声を聞きながら庭の草引きをしていて、トポジージョがふと「おかしーよ」と聞こえました。

そう聞こえ始めてみると、その方がすんなり聞き取れます。家に帰ってその話を遊雲にしたら、遊雲もその鳴き声を聞いて知っているので、「おかしーよ」の方がいいと賛成でした。ということで、今年のウグイスは名前はトッポジージョで鳴き声は「おかしーよ」ということに落ち着きました。

「ん~、おかしーよ」「え~、おかしーよ」と言われ続けているうち、次第に、「ほんとうにそうだなぁ」 という気がしてき始めました。

今、書き急がずにゆっくり、「穴」について考えをまとめてみようとしており、山寺の更新を積極的にはしていません。実のところを言うと、山寺の更新ノルマにどこかすがって自分を支えていたようなところがあり、それをはずしてしまうと、しばらくは随分心細かったのです。このところ少しずつそれに慣れてきて、ようやく考えたいと思っていたことに気持ちを集めることができ始めてきたところでした。

表現するのを止めてみることは、表現をしなくなることではない。そのように実感します。

茶室の方では、この度の在イラク邦人人質事件のことを受けて、「今しばらく私は、政治的・社会行動的な文脈においては一切を傍観する」という旨の態度表明をしました。このように言明しておかなくては何もせずにいることの「やましさ」に引っ張られて、かえって自己弁護めいたことばかりに気持ちが向いてしまいそうだったからなのですが、私自身にとってはきちんと態度表明をしたことの効果は大きかった。

直後は、「傍観」という以上、傍観する立脚点をはっきりしなくてはいけないのだろうか、A にも与(くみ)せずかといって反 A とも距離を取るというのは、結局卑怯な成り行き任せではなかろうか、といったようなことを考えました。ところが、そうでもないんだ、まさに傍観しているということそのことが、大げさに言えば第三の道になり得ると気付いたのです。

一つ心細さがむけてみると、これまで掬い取れなかったいろいろなことが言葉としてつかまえられるようになってきました。これまでは、何かがおかしいという以上、それに反論しなくてはいけない、きちんと問題点の指摘ができなくてはならないと思い込んでいたのでしょう。そうではなくて、ただ、何か変だと立ちすくむだけでよかった。実際に立ちすくんでみれば、立ちすくんでいるなりに出来事が私を包んでおり、様々な思いが心を通り抜けていって、しかも立ちすくんでいることが出来事とちゃんと呼応しているのがわかるようになってきたのです。

みんなが私と同じように立ちすくまなくてはいけない、などという気は毛頭ありません。ただ、私自身においてはそうする必然性が感じられるし、今は動かずにいる方がかえって道は早く開けるに違いないという根拠のない確信のようなものもあります。

今まで自分に縁遠かった語彙が少しずつ堆積しつつあるのは実感できるにしても、それがまとまった思いになるにはまだまだ時間がかかりそうです。「おかしーよ」と言い続けてくれるトッポジージョについて、じっくり草引きをしてみましょう。

合掌。

文頭


存在 (4月24日)

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存在は自明ではなかった。やっとそれが腑に落ちました。

ものを考えるときの姿勢というか方向性に、本質へ根本へと還っていこうとする向きと、具体的な現れや差異を慈しむ向きとを区別するとします。便宜的に、前者を(哲学で言うところの)存在論、後者を認識論と呼んでおきましょう。

仏教で言うならば、龍樹は存在論、世親は認識論ということになります。あるいは物理学では、アインシュタインやシュレーディンガーが存在論的で、ボーアやハイゼンベルクは認識論的ということになるでしょうか。大雑把な話、とにかく一切の背後に或る根源的な何かが「ある」と信じて疑わない立場が存在論で、そんなことよりも実際上ものごとをどう理解し実践するかの方が気になる立場を認識論と分類しようとしているのです。存在論者は「要するに」とか言いたがる理屈屋、認識論者は「現実を見ろ」がモットーのおせっかい屋といった感覚です。

私はこれまで、自分のことを「存在論」タイプだと思っていました。というよりも、上のように勝手に分類した上で、「認識論」タイプの思考を軽蔑していたきらいがあります。

ところが、ふと、「私がいない」光景がリアルに感じられたのです。私が「死んで」しまって、そのあとも物事がさほど大きな変化もなかったかのように続いていく、などといった想像とはまったく違い、むしろ、私を含めた一切の「存在」物が「存在」するのをちょっと止めてみた、とでも言った方が少しは近いかなという感覚なのですが、重要なことは、それが虚無とは感じられなかったということです。

瞬間、「存在は虚構だったのか」とうなりました。しかしそれはとっさに出てきた私の語彙の問題で、虚構というのはいかにもまずい。あえて言うならば恩寵とか奇蹟とかの方が近いような気がしますが、どちらも使い慣れた言葉でなく、かつそれらが背景に抱えているものを追体験し切れないので、積極的に使うのは怖い。

存在は自明ではない、をひねって、存在は他明である、という言い回しも考えてみましたが、これもね。

「われ思う、ゆえにわれあり」というのはやっぱり間違っているというか舌足らずです。そこ(われ思う)において存在がよりくっきりと立ち上がっているのは認めてよいし、また「われ生く、ゆえにわれあり」でないのはさすがにデカルトだと言うべきでしょうが、cogito(1人称単数現在形、「われ思う」)を cogitare(不定形、「思う」)まで戻してもなお存在はすでに存在になり始めている。(実際の語感としては、おそらく cogito の方が先にあって、cogitare はそこから何がしかの抽象を経てできたのだろうという気がしますから、ここで実際には cogit- (定型になる語尾 -o がつく前の「未」定型)でイメージしています。)

存在は自明でも与えられたものでもなく、生まれた、あるいは生まれてしまったものである。とすれば、冒頭で仮に分類した存在論と認識論とは、事実上区別できない。

ここの話の肝(きも)は、存在が生まれるには私が不可欠だということです。

最後の詰めを仏教内での言論に逃げて締めくくるとして、無限定の「深信」は実はナンセンスで、機の深信と法の深信がセットになったところにしか深信は現れない、如来の本願力に出会わない私が存在以前だとするならば、私を見つけ損ねた如来も未如来でしかない、ということなのでしょう。

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。(『歎異抄』後序)

合掌。

文頭