お酒 (6月3日)

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突然、お酒の飲み方が変わりました。

わたしは日本酒党で、焼酎は自分から進んでは飲みません。ビールも「取りあえず」程度、洋酒はもらったときだけです。わざわざ飲みに出かけることはありませんし、つぶれるまで飲むこともない。もっぱら一人でちびちびと、夜の勉強の間の片手間に飲んでいるのがふつうです。

というより、これまでは結局「ついで」だったようです。特に好みもなくて、安くてそこそこ飲めるものならば何でもよかったのでしょう。

先日、気のおけない友人と、ゆっくり飲みました。話が主で、酒肴は伴です。その話が楽しかった。ただの世間話ではなくて、誇張すれば狂うか正気に留まるかといった真剣のやり取りだったのですが、互いに激高するでなく沈み込むでなく、ある大らかなくつろいだ気分の内に、ひたむきに心開き合いました。

あの味が忘れられません。そのせいか、ゆっくりと、味わいながらお酒を飲むようになりました。


 

 

 

 


 (6月12日)

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梅の実が大きくなっています。

「桜切るばか、梅切らぬばか」とは昔から知っていたのですが、どう手を入れてよいのか今ひとつわからず、ずっと手を出していませんでした。それをとうとう思い立って、去年随分大胆に枝をはねたのです。

気持ちの上では、枝を半分にしました。重なっていて日の当たらないものがないように、上に伸びすぎないように、そして見かけがさっぱりするようにというあたりのことだけ考えて、小さなことにはこだわらず、同じやるなら違いがわかった方が面白いと、とにかくバッサリ刈り込みました。

切った直後は「さすがにやり過ぎたかな」とも思ったのですが、結果オーライだったようです。今年が当たり年ということもあるようながら、取りやすいところに、文字通り鈴なりになっています。どこか「やったぁ」といった気分です。

「群生」という言葉を連想しました。どんぐりの背比べではないのですが、大して違いのない丸っこい実が、もぶれつくように枝に群がっている。梅酒にするならもうそろそろ採りどき、梅干しにするならもう半月ばかり熟らした方がよかろう、さてどうするか。どちらにころんでも、そのままでは食べられない酸っぱい梅の実です。

阿弥陀様は、わたしたちをどのようにご覧になっているのやら。