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夫人間の体たらくをしづかに案ずるに、 老少不定といひながら、 つれなきものはわれらごときの凡夫なり。 これによりて身体は芭蕉葉におなじ、 たゞいまも无常のかぜにあひなば、 すなはちやぶれなんことはたれのひとかのがるべき。 たゞふかくいとふべきは娑婆世界なり、 またねがふべきは安養世界なり。 このたび信心決定して仏法を修行せずは、 いつの世にかはうかむことをえんや。 それについてはこゝにすぎぬる秋のころ、 多屋人数のなかに松長の道林等、 郷の公慶順は、 としを0294いへば二十二歳なりしが、 老少不定のいはれにやのがれがたきによりて、 つゐに死去す。 あはれなること中々いふばかりもなし。 ことに仏法をこゝろにいれしあひだ、 おしまぬひとこれなしとおもふところに、 今月四日にまた福田の乗念も往生す。 かの道林寺も同日にあひあたりて往生せしこと、 まことに信心のとをりも一味せるいはれともおもひはんべるなり。 抑乗念は満六十なり、 松長の慶順は二十二歳なり。 これすなはちわかきはおひたるにさきだついはれなれば、 あら道林寺やな、 かれもこれもおくれさきだつ人間界のならひは、 たれものがれがたきなり。 さりながら 「同一念仏无別道故」 (論註巻下) の本文にまかせて、 まことに一仏浄土の往生をとげんこと、 本願あやまりあるべからず。 あら殊勝哉、 殊勝哉。

文明五年十二月廿三日