本書の著者は天親菩薩とされる。 天親菩薩は、 梵名をヴァスバンドゥといい、 婆薮槃豆・婆薮槃頭・婆薮般豆などと音訳され、 天親 (旧訳) あるいは世親 (新訳) と意訳される。 生存年代は、 400年から480年頃とする説が有力で、 この頃に活躍したとされる。 天親菩薩はガンダーラのプルシャプラ (現在のペシャワール) のバラモンの家に次男として生まれ、 出家後は部派仏教の説一切有部や経量部に学び、 ¬阿毘達磨倶舎論¼ を著した。 このように天親菩薩は部派の学僧として研鑽を積むが、 大乗仏教の宣揚に尽力していた兄の無着 (アサンガ) の導きによって大乗仏教に帰依した。 その後、 大乗の論書を多数著し、 瑜伽行唯識教学を大成するなど、 大乗仏教の宣揚に重要な役割を果たした。 天親菩薩は 「千部の論師」 と呼ばれ、 多くの著作がある。 教理に関する ¬阿毘達磨倶舎論¼ ¬釈軌論¼ ¬成業論¼ ¬五薀論¼ ¬唯識二十論¼ ¬唯識三十頌¼ などや、 弥勒や無着の著作に対する註釈書である ¬大乗荘厳経論¼ ¬中辺分別論¼ ¬法法性分別論註¼ ¬摂大乗論釈¼ など、 経典の註釈書である本書や ¬縁起経釈¼ ¬宝髻経四法憂波提舎¼ ¬転法輪経憂波提舎¼ ¬十地経論¼ などがあり、 漢訳以外にもサンスクリット本も現存している。
 本書は、 具名を 「無量寿経優婆提舎願生偈」 といい、 「往生論」 や 「浄土論」、 「無量寿論」 とも略称されるが、 経録では 「無量寿経論」 と記される場合が多い。 本書の題名にある 「無量寿経」 については、 ¬無量寿経¼ または ¬阿弥陀経¼ を指すのか、 「浄土三部経全体」 を指すのかなど古くから議論されてきた。 近年では本書とサンスクリット文献との比較研究から、 本書は共に 「スカーヴァティー・ヴューハ」 との題名を持つサンスクリット本の ¬無量寿経¼ ¬阿弥陀経¼ との記述と合致するとされる。 「優婆提舎」 (ウパデーシャの音訳) とは、 「経典の意味をすべての衆生に分かりやすく近付けて説く」 との意味である。
 本書の内容は、 二十四行九十六句の 「願偈」 と呼ばれる偈頌 (詩句) と、 「論」 と呼ばれる三千字たらずの長行 (散文) とからなる。 長行は偈頌に対する註釈であるが、 別個に成立した偈頌と長行とが、 後に一連のものとして扱われるようになったとする見解もある。
 偈頌では、 天親菩薩自身による阿弥陀仏への帰依と願生浄土の思念が帰敬頌として述べられ、 本書作成の意図、 国土荘厳十七種、 仏荘厳八種、 菩薩荘厳四種の三厳二十九種の讃嘆が続き、 結びとしてすべての衆生と共に往生することを願う回向の意が示される。 長行では、 浄土往生の実践行として五念門 (礼拝門・讃嘆門・作願門・観察門・回向門) が示され、 五念門の果徳として五果門 (近門・大会衆門・宅門・屋門・園林遊戯地門) が説かれる。
 本書の思想内容については、 瑜伽行派の立場からの註釈とする見解と、 浄土教の立場からの註釈とする見解とがある。 瑜伽行派の立場からの註釈とする見解は、 ¬摂大乗論釈¼ の十八円浄と三厳二十九種荘厳との一部が対応すること、 ¬大乗荘厳経論¼ 「教授品」 と五念門との内容が一致することなどが理由である。 浄土教の立場からの註釈とする見解は、 本書によって大乗仏教の実践道としての往生浄土の行が明確化されたと見るところに根拠があり、 この理解は本書を初めて註釈した曇鸞大師の ¬往生論註¼ の影響が顕著である。 なお、 曇鸞大師は未だ瑜伽行派の文献がほとんど翻訳されていない時代の在世であったことも、 曇鸞大師の ¬浄土論¼ 理解に影響を与えたともされる。 また、 本書に帰敬頌が置かれることが天親菩薩の根本論とする根拠とされるが、 天親菩薩の他の著作にも帰敬頌が置かれているとの指摘もある。
 本書は、 北魏の菩提留支による漢訳本が一本現存するのみである。 菩提留支による訳出年代は、 ¬開元釈教録¼ などには永安二 (529) 年、 ¬歴代三宝記¼ などには普泰元 (531) 年と記され、 僧辯が筆受したとされる。 僧辯は、 菩提留支訳の ¬深密解脱経¼ の他、 天親菩薩の著作である ¬十地経論¼ ¬伽耶頂経論¼ も筆受している。 なお、 本書の本文については、 「大蔵経」 所収の系統と流布本系統との二系統に大別される。 ここにいう流布本とは、 ¬往生論註¼ 所引の ¬浄土論¼ を指し、 これが日本で流布したことから流布本と名付けた。 これら系統の相違については、 例えば、 「大蔵経」 所収の系統では 「功徳荘厳」 「上首荘厳」 とある箇所が、 流布本系統では 「荘厳功徳」 「荘厳上首功徳成就」 とあるなど、 全体にわたって流布本系統の方が文言が付加される傾向にある。