無量寿経 二巻。 そうこう僧鎧そうがいの訳と伝えられている。 ¬だいりょう寿じゅきょう¼ ともいい、 略して ¬だいきょう¼ とも呼ばれる。 浄土三部経の一。 王舎おうしゃじょうしゃ崛山くっせんにおいて、 すぐれた比丘びくさつたちに対して、 釈尊がひときわ気高く尊い姿をあらわして説かれたものであり、 諸仏がこの世にお生まれになる目的は、 苦悩のしゅじょうに阿弥陀仏の本願を説いて救うためであるといわれている。
 上巻には法蔵ほうぞう菩薩が発願ほつがんし修行して阿弥陀仏となられたことが説かれる。 まず 「讚仏さんぶつ」 には、 師の世自せじ在王ざいおうぶつ讚嘆さんだんしつつ、 みずからの願いを述べ、 ついで諸仏の国土の優劣をみてすぐれたものを選び取り、 それによってたてられた四十八願が説かれるが、 なかでも、 すべての衆生を救おうと誓われた第十八願が根本の願である。 次に四十八願の要点を重ねて誓う 「じゅうせい」 が、 さらにちょうさい永劫ようごうにわたる修行のさまが説かれ、 この願と行が成就して阿弥陀仏となられてから十劫じっこうを経ているといい、 その仏徳と浄土のありさまがあらわされている。
 下巻には仏願の成就していることが説かれ、 衆生は阿弥陀仏の名号を聞いて信じ喜び、 念仏して往生が定まると述べ、 さらに浄土に往生した聖者たちの徳が広く説かれる。 次に釈尊はろく菩薩に対して、 人の世の悪をいましめ、 仏智を信じて浄土往生を願うべきであると勧められる。 最後に無上どくの名号をじゅせよと勧め、 将来すべての教えが滅び尽きても、 この経だけは留めおかれ人々を救いつづけると説いて終っている。
 親鸞しんらんしょうにんは ¬教行きょうぎょうしんしょう¼ 「きょう文類もんるい」 に、 「それ真実の教を顕さば、 すなはち ¬大無量寿経¼ これなり」、 また 「如来の本願を説きて経の宗致とす、 すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり」 と示され、 如来の本願が説かれ名号のいわれがあらわされた真実の教えであるといわれている。 浄土真宗の根本聖典である。
 なお無量寿経は、 古来 「ぞん七欠しちけつ」 といわれ、 十二訳があったと伝えられているが、 ¬仏説無量寿経¼ のほかには次の四訳が現存する。
 一、 ¬仏説ぶっせつ阿弥陀あみださん三仏さんぶつ薩樓さるぶつだん過度かど人道にんどうきょう¼ 二巻 (¬だい阿弥陀あみだきょう¼ と通称。 けん訳。 222-228年あるいは222 ˆまたは223ˇ -253年の訳出。 ただしかん支婁迦しるかせん訳とする説もある)
 二、 ¬仏説ぶっせつりょう清浄しょうじょうびょう等覚どうがくきょう¼ 四巻 (¬びょう等覚どうがくきょう¼ と略抄。 後漢の支婁迦讖訳。 ただし、 帛延はくえんによる258年頃の訳出とする説や西晋せいしんじくほう訳とする説などがある)
 三、 ¬りょう寿じゅ如来にょらい¼ 二巻 (¬だいほう積経しゃくきょう¼ 巻第十七・十八。 ¬如来にょらい¼ と略抄。 とうだい留支るし訳。 706-713年の訳出)
 四、 ¬仏説ぶっせつだいじょうりょう寿じゅしょうごんきょう¼ 三巻 (¬しょうごんきょう¼ と略抄。 そう宝賢ほうけん訳。 991年の訳出)
 なお、 ¬無量寿経¼ の訳者について、 実際はぶつばつ陀羅だら (覚賢かくけん) と宝雲ほううんとの共訳で、 421年頃の訳出であると推定されている。 また、 西晋の竺法護訳であって308年の訳出であるとみる説もある。