浄土三部経
 本経は浄土三部経の一であり、 ¬無量寿経¼ を 「大経」 と呼ぶのに対して、 「小経」 と略称される。 また仏弟子の問いを待たずに、 釈尊が自ら説き始めていることから 「無問自説の経」 といわれ、 釈尊一代の説法の結びの経という意味で 「一代結経」 ともいわれる。
 本経は、 ¬出三蔵記集¼ に鳩摩羅什が弘始三 (401) 年に長安に来て訳出した三十五部の経論を列挙する中に 「無量寿経一巻 或云阿弥陀経」 と記すのが最古の記録である。 ここでは訳出年時は記されず、 また経名が 「無量寿経」 とあり 「阿弥陀経」 は別名として示される。 これが ¬開元釈教録¼ になると ¬二秦録¼ に依って、 本経の訳出を弘始四 (402) 年二月八日と記し、 また経名も 「阿弥陀経」 が本名で 「無量寿経」 が別名であると示されるようになる。
 訳者の鳩摩羅什は、 後秦代の訳経僧で羅什と略称される。 亀茲国 (現在の新疆ウイグル自治区のクチャ付近) の王族の出身で、 仏教に精通し、 特に語学にすぐれ、 弘始三 (401) 年後秦の王姚興に国師の礼をもって迎えられて長安に入り、 没するまでに三百巻余りの経論を訳出した。 その主なものに ¬大品般若経¼ ¬小品般若経¼ ¬法華経¼ ¬阿弥陀経¼ ¬維摩経¼ や ¬中論¼ ¬百論¼ ¬十二門論¼ ¬大智度論¼ ¬十住毘婆娑論¼ などがある。
 本経は、 舎衛国の祇樹給孤独園において舎利弗等の声聞をはじめ、 諸々の菩薩および無量の諸天大衆に対して説かれたものである。
 本経の正宗分は大きく三段に分けられる。 一は極楽の国土 (依報) と仏及び聖衆 (正報) の妙なる功徳荘厳を説く一段で、 依正段と呼ばれている。 二は往生の因果を明かす一段で、 因果段または修因段と呼ばれている。 三は六方諸仏が阿弥陀仏の不可思議功徳を証誠する一段で、 証誠段または六方段と呼ばれている。
 初めの依正段では、 釈尊が舎利弗に対して、 この娑婆世界より西方十万億の仏土を過ぎたところに極楽と名づけられる国土があり、 阿弥陀仏という仏が今現に説法していると説き始められる。 その国土の衆生には諸々の苦がなく、 ただ諸々の楽のみを承けるからその国土を極楽と名づけると言い、 以下、 極楽国土のうるわしい荘厳相が示される。 すなわち、 その国土には金・銀・瑠璃・玻璃で飾られた垣や網、 七重の並木があり、 また七宝の池には八つの功徳のある水が充ち満ちている。 池の周りには宝でできた階段があり、 その上には七宝で飾られた楼閣がある。 池の中には青・黄・赤・白色の大輪の蓮華がそれぞれの色で光り輝く等と説かれる。 続いて、 阿弥陀仏及び聖衆の功徳が示される。 すなわち、 彼の仏の光明は限りがなく何ものにも妨げられず、 また彼の仏とその国の衆生の寿命も限りがなくはかり知れない。 それ故に彼の仏を阿弥陀と名づけると説かれる。 そして阿弥陀仏が成仏してより今まで十劫という時を経ており、 阿弥陀仏のもとには、 阿羅漢果を得た声聞や一生補処の菩薩が無数にいると説かれている。
 次の因果段では、 極楽国土に往生する因果が示される。 ここでは先ず、 極楽の荘厳や阿弥陀仏及び聖衆の功徳を聞くものは、 極楽に生れたいと願うべきことを勧め、 そしてその土には少善根の福徳によっては往生できないとし、 一日乃至七日、 一心に名号を執持することによって、 臨終にあみだぶつと聖衆が前に現れ、 心が顛倒することなく極楽に往生できる旨が説かれる。
 最後の証誠段では、 釈尊のみが阿弥陀仏の功徳を称讃するのではなく、 六方の諸仏方も証誠し護念されている旨を説き、 それらの諸仏の所説の名及び経の名を聞けば一切諸仏に護念せられるとして、 それを信受し、 発願して彼の国に生ずべきであると示される。 また、 釈尊がこの娑婆の五濁悪世においてさとりを得て、 この難信の法を説いた不可思議功徳を、 諸仏が称讃している旨が述べられる。
 この証誠段については内容的な問題から、 別に成立した経説が接合された可能性が指摘されている。 すなわち、 証誠段になると讃嘆の対象が阿弥陀仏から次第に諸仏へ移行し、 さらには釈尊を讃嘆する内容となっており、 経の主題が変化しているように見える。 また西方仏の第一に無量寿仏の名が挙げられ、 阿弥陀仏が自らを讃嘆するという形になっており、 全体的に経典としての一貫性を欠いているように思われるのである。 これに就いては、 菩提留支訳の ¬仏名経¼ 巻六に、 六方諸仏の名にほぼ相当するものがあることが指摘され、 この証誠段は、 「仏名経類」 の先駆をなすと考えられる 「仏名パリヤーヤ」 ともいうべきものが付加されたのではないかという見方が有力となっている。
 最後に、 本経に関係あるものとして、 襄陽龍興寺の石経の ¬阿弥陀経¼ に見られる異文について触れておく。 王日休の ¬龍舒浄土文¼ によると、 襄陽龍興寺の石経の ¬阿弥陀経¼ には 「執持名号……一心不乱」 の後に、 「専持名号以称名故諸罪消滅即是多善根福徳因縁」 という、 本経にはない二十一字の異文が挿入されているという (元照 ¬阿弥陀経義疏¼ には 「専持名号以称名故諸罪消滅即是多功徳多善根多福徳因縁」 の二十五字の異文を示す)。 この異文については、 唐代以降の加筆と考えられているが、 源空 (法然) 聖人は ¬阿弥陀経釈¼ ¬逆修説法¼ ¬選択集¼ などで、 この異文にある 「多善根」 という語に注目して ¬龍舒浄土文¼ の文を引用し、 念仏が多善根である証文としている。 また宗祖は ¬教行信証¼ 「化身土文類」 に元照の示す異文の中の 「多功徳多善根多福徳因縁」 の文を引用し、 ¬阿弥陀経¼ 顕説の証文としている。
異訳小経