りゅうかん 隆寛 (1148-1227) 法然の門弟。 浄土宗長楽寺流の祖。 藤原少納言資隆の三男。 比叡山で範源、 慈円に師事して天台教学を学び、 権律師となる。 そののち山を下りて洛東長楽寺に住し、 法然から念仏の教えを受ける。 法然の示寂後、 専修念仏教団の指導的地位にあったが、 天台僧定照の ¬弾選択¼ に対して ¬顕選択¼ を著して反論したため、 嘉禄3年 (1227) に念仏弾圧 (嘉禄の法難) が起こり、 隆寛は奥州に流罪となった。 しかし、 門弟西阿 (毛利季光) の斡旋で相模国飯山 (現在の神奈川県厚木市飯山) に留り、 同年示寂した。 著書に ¬自力他力事¼ ¬一念多念分別事¼ ¬具三心義¼ などがある。 なお、 親鸞は隆寛を 「劉官」 とも記している。 →一念多念文意。