にゅうしん 入信 親鸞の門弟。 ¬御消息¼ 第17通、 第28通、 第33通にその名が見える。 親鸞直弟子の入信には次の二者がいたとされるが、 ¬御消息¼ 各通に出る入信との異同は明らかではない。 「交名きょうみょうちょう」 には常陸国奥郡の住とする1名が見える。 ❶ (生没年未詳) 二十四輩の第十六。 穴沢の入信。 奥郡の豪族佐竹氏の出身で佐竹義繁と称したという。 常陸国那珂西郡穴沢 (現在の茨城県城里町) に隠棲していたところ、 夢告により稲田きょうしていた親鸞のもとを訪れ、 その門弟となったという。 寿命寺 (茨城県常陸大宮市) の開基とされる。 ❷ (生没年未詳) 二十四輩の第十八。 八田の入信。 もと常陸国久慈西郡八田 (現在の茨城県常陸大宮市) の武士で、 八田知朝と称したという。 一説に高沢信昌という武士で、 念信の子であるともいう。 親鸞が八田の太子堂で教化した時に門弟となり、 その帰洛に際して後を追ったが、 尾張国日比野 (現在の愛知県一宮市) で没したという。 常福寺 (茨城県つくば市) の開基とされる。