にきたい 二機対 他力信心の行者と自力諸善の行者とを対比し、 他力信心の勝れていることをあらわすもの。 「行巻」 には十一対を挙げ、 「しかるに一乗海の機を案ずるに、 金剛の信心は絶対不二の機なり」 とある。 ①信疑対 (念仏の行者は仏の智慧を信じ、 諸善の行者は仏の智慧を疑う)、 ②善悪対 (念仏の行者は本願を信じるから善であり、 諸善の行者は本願を疑うから悪である)、 ③正邪対 (念仏の行者は本願を信じるから正であり、 諸善の行者は本願を疑うから邪である)、 ④是非対 (念仏の行者は本願を信じるから是であり、 諸善の行者は本願を疑うから非である)、 ⑤実虚対 (念仏の行者は他力の真実を得、 諸善の行者は自力の虚仮である)、 ⑥真偽対 (念仏の行者は他力の真実を得、 諸善の行者は自力の邪偽である)、 ⑦浄穢対 (念仏の行者は他力清浄の法を得、 諸善の行者は自力ぞうである)、 ⑧利鈍対 (念仏の行者は仏の智慧を信じるから智慧がすぐれ、 諸善の行者は仏の智慧を疑うから智慧が劣る)、 ⑨奢促しゃそく対 (念仏の行者は速やかにさとりに至り、 諸善の行者はおそい)、 ⑩豪賎ごうせん対 (念仏の行者は名号の徳を得るから豊かであり、 諸善の行者は名号の徳を失っているから貧しい)、 ⑪明闇対 (念仏の行者は仏の光明に照らされているから明るく、 諸善の行者は仏の光明をさえぎっているから暗い) の十一。 なお、 ¬愚禿鈔¼ にも二機対があるが、 対比する内容や順序等に異同がある。