きょうぎょうじ 教行寺 ❶大谷派の寺院。 文明年間 (1469-1487) に蓮如が摂津国富田に一寺を建立したことに始まる。 ¬御一代記聞書¼ 第17条等に 「富田殿」 と出るのは教行寺を指す。 蓮芸 (蓮如の第二十子) が住し、 北摂の中心寺院となり、 また大和国に進出した。 ❷大谷派の寺院。 奈良県広陵町菅野。 摂津国富田の教行寺と同じ起源を持つ寺院。 大和国田原本 (現在の奈良県田原本町)、 同国佐味田 (現在の奈良県河合町) などを経て承応2年 (1653) に現在の地に移り、 一時、 富田の教行寺を兼帯所とした。 ❸本願寺派の寺院。 兵庫県西宮市名塩。 名塩教行寺という。 越前国吉崎を退去した蓮如が若狭国小浜 (現在の福井県小浜市) を経て河内国出口に至る中途、 摂津国名塩の人々の求めで、 一寺を建立したことに始まる。 蓮芸が富田教行寺と兼住し、 広教寺と称した。 本願寺東西分派の際、 富田教行寺が大谷派に属すと、 本願寺派に属して寺号を教行寺と改めた。