こうさい 幸西 (1163-1247) 成覚房幸西のこと。 法然の門弟。 出家して比叡山の西塔南谷に住したが、 36歳の時、 弟子 (または愛児ともいう) の死によって比叡山を離れ、 法然の門に入った。 承元の法難で阿波国に流罪となり (¬歎異抄¼ の流罪記録△では慈円が身柄を預かるとする)、 嘉禄の法難で再び流罪となった。 一念義の代表的人物とされる。 著書に ¬唐朝京師善導和尚類聚伝¼ ¬玄義分抄¼ (以上の二書は現存) ¬略料簡¼ ¬一渧記¼ ¬称仏記¼ (以上の三書は現存しないが凝然の ¬浄土源流章¼ に引文が残る) などがある。