いっこういっき 一向一揆 本願寺門徒を中心とした一揆のこと。 文明年間から天正年間にかけて、 畿内・東海・北陸各地で勢力を持ち、 当時の政治・社会に大きな影響を与えた。 なかでも加賀一向一揆は、 文明6年 (1474) に守護富樫氏の争いに介入し、 さらに長享2年 (1488) に富樫政親を討って以降、 およそ100年間、 加賀国を支配した。 ¬御一代記聞書¼ 第262条に 「加州一国の一揆」 とあるのは長享2年の一向一揆を指す。 本願寺と一向一揆の関係は時期や地域により様々で、 加賀一向一揆の場合、 その主導権は享禄4年 (1531) におこった享禄の錯乱 (大小一揆) により加賀三箇寺から本願寺に移った。 このほか、 一向一揆による大規模な武装蜂起に、 永正3年 (1506) の畿内や北陸での一揆、 天文元年 (1532) 前後の畿内での一揆、 元亀元年 (1570) からおよそ10年に及ぶ石山合戦や、 それに呼応して蜂起した伊勢国長島 (現在の三重県桑名市) 一向一揆などがある。