ぎなきをぎとす 義なきを義とす 「本願他力に対しては、 行者のはからいをまじえないことを本義とする」 という意。 前の 「義」 は 「宜」 と同意で、 行者が自分の考えでよろしきように判断する 「はからい」 のこと。 後の 「義」 は本義のことである。 また、 「行者のはからいをまじえないのが、 そのまま如来のはからいである」 「行者のはからいを捨てるのが、 往生におけるよいはからいである」 などと解する説もある。 なお、 ¬御消息¼ 第6通には 「他力には義なきを義とすと、 聖人の仰せごとにてありき」、 第19通には 「また弥陀の本願を信じ候ひぬるうへには、 義なきを義とすとこそ、 大師聖人の仰せにて候へ」 等とあり、 法然が用いていた言葉であると示されている。 →他力。