往生礼讃偈 一巻

沙門善導集め記す

 

【1】 ^すべての人々に勧めて西方の*極楽ごくらく世界の*弥陀みだぶつの浄土に往生することを願わせる六時礼讃の偈。

 ^謹んで、 «*だいきょう»、 および龍樹・天親や、 この土 (中国) の沙門などの作られた往生礼讃により、 これを一処に集め、 分けて六時とする。 ^これはただ信心を相続して往生の利益を得させたいと思うからである。 また、 願わくは未信の人をさとらせて遠く後の世に利益を得させたいと思うからである。

 ^それは何かというと、

 第一は、 謹んで «大経» に釈尊および十方世界の仏がたが弥陀の十二の光明のみ名を讃嘆して、 「もし人が称礼念すれば、 まちがいなくかの国に往生する」 と勧められるのによって、 十九拝をもって日没の時 (午後四時頃) に礼拝する。

 ^第二は、 謹んで «大経» によって、 その肝要な文を集めて礼讃偈とし、 二十四拝をもって初夜の時 (午後八時頃) に礼拝する。

 ^第三は、 謹んで龍樹菩薩が往生を願われた礼讃偈によって、 十六拝をもって中夜の時 (午後十二時頃) に礼拝する。

 ^第四は、 謹んで天親菩薩が往生を願われた礼讃偈によって、 二十拝をもって後夜の時 (午前四時頃) に礼拝する。

 ^第五は、 謹んで彦琮法師が往生を願われた礼讃偈によって、 二十一拝をもって晨朝の時 (午前八時頃) に礼拝する。

 ^第六は、 沙門善導が往生を願われた礼讃偈で、 謹んで «観経» の十六観により、 二十拝を作ってうまの時 (正午) に礼拝する。

【2】 ^問うていう。 いま、 人を勧めて往生させようと思うならば、 どのように信をいただき、 どのような行をなし、 どういうふうに修行して、 必ずかの浄土に往生することができるのであろうか。

 ^答えていう。 必ずかの浄土に往生しようと思うならば、 «観経» に説かれているとおりである。 まず*三心さんしんを具えて、 まちがいなく往生を得る。 何々を三とするかというと、 ^一つには*じょうしん。 それは身にかの阿弥陀仏を礼拝し、 口にかの仏を讃めたたえ、 意にかの仏を専ら観察するのであるが、 すべてしん口意くいの三つの行業を起すのに、 必ず真実をもってするから、 至誠心という。 ^二つには*深心じんしん。 すなわちこれは真実の信心である。 わが身は、 あらゆる煩悩を具えている凡夫であり、 善根は少なく、 *三界さんがいにさまよって迷いの境界を出ることができないと信知し、 いま弥陀の*本願ほんがんは、 *みょうごうを称えること、 わずか十声・一声などの者に至るまで、 まちがいなく往生を得させてくださると信知して、 一声の称名に至るまで疑いの心がないから深心と名づける。 ^三つには*こう発願ほつがんしん。 自分の修めたすべての善根を、 ことごとくみなふりむけて往生を願うから、 回向発願心という。 ^この至誠心・深心・回向発願心の三心を具えて、 まちがいなく往生を得るのである。 もし一心 (深心) が無かったならば往生ができない。 «観経» にくわしく説かれているとおりである。 よく知るべきである。

【3】 ^また、 天親菩薩の «浄土論» に詳しく説かれているとおりである。 もしかの浄土に生れようと願う人には、 *念門ねんもんを修めることを勧める。 もし五念門が具われば、 必ず往生することができる。 何々を五とするのかというと、 ^一つには身で行ずる*礼拝らいはいもんである。 それは一心に専ら恭敬し合掌し、 香華をもって供養して、 かの阿弥陀仏を礼拝する。 礼拝するには、 専ら阿弥陀仏一仏を礼して、 命終るまで他の仏を礼しない。 それゆえ礼拝門という。 ^二つには口でつとめる*讃歎さんだんもんである。 それは意を専らにして阿弥陀仏の身相おすがたや光明と、 浄土のすべての聖衆がたの身相や光明、 およびかの浄土のすべての宝荘厳や光明などを讃嘆する。 それゆえ讃歎門という。 ^三つには意に憶念し*観察かんざつするの門である。 それは意を専らにしてかの仏およびあらゆる聖衆がたの身相と光明、 および国土の荘厳などを憶念し観察する。 «観経» に説とかれているように、 ただ睡眠の時だけを除く外は、 これらのことをいつも忘れず、 いつも念じ、 いつも想い、 いつも観察するから、 観察門という。 ^四つには*がんもんである。 それは心を専らにして、 もしは昼、 もしは夜、 すべての時、 すべての処で、 身口意の三業に行・住・座・臥の四威儀をもってなすところの功徳は、 いつもつねに、 みな必ず真実まことの心で願を発し、 かの国に生れようと願うのである。 それゆえ作願門という。 ^五つには*こうもんである。 それは心を専らにして自分のなすところの善根、 およびすべての三乗の聖者や五道の凡夫がなすところの善根に深く随喜を起すことが、 諸仏や菩薩がたのされる随喜と同じように、 自分もまた随喜して、 この随喜の善根や自分のなした善根をみなことごとく衆生に与えて、 その人々と共に往生を願うのである。 それゆえ回向門という。 ^また、 浄土に往生しおわって、 六神通を得、 迷いの世界に帰って来て、 衆生を教化し、 いついつまでも続けて心に厭くことがなく、 ついに成仏するのを、 また回向門という。 ^このように五門がすでに具わったならば、 必ず往生することができる。 一々門が上に述べた三心と合して、 その人その人に応じて、 適当に行を起すならば、 行の多い少ないにかかわらず、 みな真実の業と名づけるのである。 よく知るべきである。

【4】 ^また四種の修行の方法により行じさせ、 それによって前の三心や五念の行を励まし、 速やかに往生を得ることを勧める。 何々を四種とするのかというと、 ^一つには恭敬修。 それはかの阿弥陀如来およびかのすべての聖衆がたを恭敬し礼拝するから恭敬修という。 命終るまで誓って中止しない。 これが長時修である。 ^二つには無余修。 それは専ら阿弥陀仏の名号を称え、 かの仏やすべての聖衆がたを専ら念じ、 専ら思い、 専ら礼し、 専ら讃えて他の行をまじえないから無余修という。 命おわるまで、 誓って中止しない。 これが長時修である。 ^三つには無間修。 それは相続して恭敬・礼拝し、 称名・讃歎し、 憶念・観察し、 回向発願するのに、 心々が相続して他の行をもってはさまないから無間修という。 また、 *貪欲とんよく*しんなどの煩悩をもってはさまないようにする。 もしこれを犯せば、 すぐに懴悔して、 念を隔てず、 時を隔てず、 日を隔てずに、 つねに清浄ならしめる。 これもまた無間修という。 命終るまで誓って中止しない。 これが長時修である。 ^また、 菩薩は、 すでに三界の迷いを離れている。 なすところの善根功徳をふりむけて仏の果報を求めるのが、 すなわち*自利じりである。 未来永遠に衆生を済度するのが、 すなわち*利他りたである。 しかしながら、 今頃の衆生は、 すべてが煩悩のために縛られて、 なお悪道生死などの苦しみを免れていない。 そこで、 それぞれの根機に応じて行をつとめ、 そのつとめたすべての善根をことごとく早く往生の因にふりむけて阿弥陀仏の浄土に生れようと願うであろう。 かの国に往生して後、 さらに何の畏れるところもなく、 上にのべたような四修がひとりでにできて、 自利も利他も具わらぬことがないと知るべきである。

【5】 ^また «*文殊もんじゅ般若はんにゃきょう» に説かれているとおりである。

一行三昧を明かそうと思う。 ただ、 ひとりしずかな処にいて、 一切の乱れ心をとどめ、 心を一仏にかけ、 おすがたを観ぜず、 専らみ名を称えることを勧める。 そうすれば、 念仏の中において、 かの阿弥陀仏および一切の仏たちを見たてまつることができる。

 ^問うていう。 どうして観察の行を勧めないで、 ただ、 専ら名号を称えさせられるのか、 これにはいかなる意味があるのか。

 ^答えていう。 それは、 衆生は障りが重く、 観ずるところが細やかであるのに、 心はあらく、 想いが乱れ飛んで、 観察の行が成就しがたいからである。 そういうわけで釈尊はこれを哀れみくださって、 ただ専ら名号を称えることを勧められたのである。 これはまさしく称名の行がたやすいから、 これを相続して往生することができるのである。

 ^問うていう。 すでにただ一仏のみ名を称えさせられるのに、 なぜ、 あらわれたもう仏が多いのか。 これは、 邪観・正観があい交わり、 一仏・多仏が雑じって現れるのではないか。

 ^答えていう。 仏と仏とは同じようにさとりを開いて、 また相好の円満なことも別はない。 たとい一仏を念じて多くの仏たちを見たてまつっても、 どうして大道理に背こうか。 ^また «観経» に説かれているとおりである。 仏は、 観察や礼拝や念仏などする際には、 みな西方に向かうのがもっとも勝れていると、 勧められる。 ちょうど樹が倒れる場合には、 かならずさきよりその傾いている方向に随うようなものである。 ゆえに、 どうしても西方に向かうことができないような妨げのある場合には、 ただ西方に向かう想をするだけでもよい。

 ^問うていう。 すべての仏たちには法・報・応の三身を同じように証得せられ、 慈悲と智慧とをまどかにそなえていられることは区別がないはずであろう。 いずれの方によってでも、 一仏を礼拝し観察し称念するなら、 また往生することができるであろう。 なにがゆえに、 ただ、 ひとえに西方のみを讃嘆して、 専ら弥陀一仏を礼拝し観察し称念するように勧められるのは、 どういうわけがあるのであろうか。

 ^答えていう。 諸仏が三身をそなえていられることは平等で一つであるけれども、 もし、 その*いんの願行をもって考えてみると因縁がないわけではない。 ^ところで阿弥陀仏は、 *法蔵ほうぞうさつのとき深重の誓願をおこされ、 光明と名号とをもって十方の衆生を済度なさるのである。 衆生は、 ただ信じて、 長いことをいえば一生を終るまで念仏する者から、 わずかなところをいえば十声・一声などの者に至るまで、 いずれも仏の願力によって、 やすく往生することができる。 こういうわけで、 釈尊および諸仏は西方に向かわしめられるのである。 これを違いとするだけである。 これはまた他の仏たちを称念しても障りを除き、 罪を滅することができないというのではない。 よく心得るべきである。

【6】 ^もし、 よく上に述べたように生涯念仏を相続するものは、 十人は十人ながら往生し、 百人は百人ながら往生する。 なぜならば、 外部からのさまざまな妨げがなくて、 正しい信心に安住するからであり、 弥陀の本願にかなうからであり、 釈迦仏の教にたがわないからであり、 諸仏の言葉に随うからである。

 ^もし、 念仏を専修することを捨てて自力の雑行を修める者は、 百人の中で希に一・二の人が往生を得、 千人の中で希に三・五の人が往生を得るにとどまる。 ^なぜかというと、 つまり、 いろいろな他の縁に乱されて信心を失うからであり、 阿弥陀仏の本願に相応しないからであり、 釈迦仏の教に違うからであり、 諸仏の教に順じないからであり、 浄土におもいをかけることが相続しないからでり、 如来を想う心がとだえるからであり、 回向願生の心が真実でないからであり、 貪欲・瞋恚や邪見などの煩悩がまじわって隔てるからであり、 慚愧・懴悔の心がないからである。 懴悔には三種類がある。 一つには要につき、 二つには略につき、 三つには広につく。 これは後にくわしく説明するとおりであるが、 思うところに随って用いるならば、 いずれでもよい。 また相続してかの仏恩を念報しないからであり、 心に軽慢を請じて行を修めても名聞利養を伴うからであり、 我執に覆れて同行善知識に親しく近づかないからであり、 このんで雑縁に近づいて自分および他人の往生の正行をさまたげるからである。

 ^なぜこのように言うかというと、 わたしは、 このごろ諸方の僧俗に人たちを見たり聞いたりするのに、 その了解も行も同じでなく、 *専修せんじゅ*雑修ざっしゅの違いがある。 ただ、 こころを専らにして念仏を修めるならば、 十人は十人ながらみな往生する。 *ぞうぎょうを修めて、 心がまことでない者は、 千人の中で一人も往生するものがない。 この専修・雑修の二行の得失は前にすでに述べたとおりである。

 ^仰ぎ願わくは、 すべての往生を願う人たちは、 よくみずから考えよ。 すでによく今、 この世において浄土の往生を願う者は、 *行住ぎょうじゅう坐臥ざがに、 心を励まし、 己を責めて、 昼も夜も念仏を捨てることなく命終るまでつとめよ。 一生のあいだ行ずることは、 すこしく苦しみのようであるけれども、 この世の命終わって後、 ただちに浄土に生れて、 とこしえにいつも変らぬさとりの楽しみを受け、 ついに成仏して、 もはや迷いを受けないのである。 なんと楽しいことではないか。 知るべきである。

【7】 ^第一に謹んで «大経» に釈迦仏が、 阿弥陀仏の十二光のみ名を礼拝し讃嘆して、 往生を願えと勧められるのによって、 十九拝をもって日没の時に礼拝する。 中の懴悔 (略の懴悔) や下の懴悔 (広の懴悔) をしてもよい。

【8】 ^釈迦牟尼仏などの一切の三宝に南無したてまつる。 わたしはいま礼拝して、 阿弥陀仏の浄土に往生することを願う。

^この一仏 (釈尊) は、 現にこれ、 いまのときの僧俗たちの教主である。 *三宝さんぼうというのは、 すなわち善根功徳を生ずる無量の*福田ふくでんである。 もし、 これをよく礼して一拝するならば、 すなわちこれは師恩を念報することになり、 もっておのが行を成ずる。 この一行をもって往生を願うのである。

 ^十方三世の虚空を尽し、 *法界ほうかいにあまねき微塵の国土の一切の三宝に南無したてまつる。 わたしはいま礼拝して、 阿弥陀仏の浄土に往生することを願う。

^ところで、 十方の虚空はほとりなく、 三宝の数も尽しがたい。 もしこれを礼拝すること一拝するならば、 善根を生ずる無量の福田であり、 得るところの功徳もまた際限きわまりがない。 よく心からこれを礼拝すること一拝すれば、 一々の仏において、 一々の法において、 一々の菩薩・聖僧において、 一々の仏舎利において、 みな身口意の三業に、 さとりをひらく善根を得ることができ、 行者を利益し、 もってその人の行業を成ずる。この一行をもって往生することを願うのである。

【9】 ^西方極楽世界の阿弥陀仏に南無したてまつる。

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それゆえにわたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

^問うていう。 どういうわけで阿弥陀と申しあげるのか。

^答えていう。 «阿弥陀経» および «観経» に説かれてある。 「かの仏の光明は量りなく、 十方の国々を照らして礙げられるところがない。 ただ念仏の衆生だけをみそなわして摂め取って捨てたまわぬから、 阿弥陀仏と名づけたてまつる。 かの仏の寿命は、 その往生人の寿命と共に無量無辺阿僧祇劫である。 それゆえ阿弥陀仏と名づけたてまつる。」

^また、 釈尊および十方諸仏が、 阿弥陀仏の光明に十二種の功徳のみ名があることを讃嘆して、 人々に、 称名礼拝を相続して断えないならば現世にはかりしれぬ功徳を得、 命終った後にはまちがいなく往生することができるであろうと勧めていられる。

^«無量寿経» に説かれているとおりである。 「¬それ、 人々の中で、 この光に遇うものは、 *三毒さんどくの煩悩が消え去って、 身心ともにやわらぎ、 歓喜満ちみちて、 善心がおのずから生ずるであろう。 また、 もし*さんの苦悩の中にあっても、 この光明を拝むならば、 再び苦しみ悩むことなく、 命終の後にはことごとく迷いを離れることができよう。 無量寿仏の光明は、 あかあかとして十方の世界に輝きわたり、 その名声の聞こえぬところはない。 ひとりわたしが今その光明をたたえるばかりでなく、 すべての仏たちも、 声聞・縁覚やもろもろの菩薩たちも、 みなともにこのとおり讃嘆されるのである。 もしその光明のはかり知られない功徳を聞いて、 日夜それをほめたたえ、 至心まごころこめて相続するものは、 願いのままに浄土に往生することができて、 つねに多くの菩薩や声聞たちにその功徳をほめたたえられるであろう。¼ 世尊が仰せられる。 ¬まことに無量寿仏の光明の気高く尊いことは、 わたしが一劫のあいだ昼夜説きつづけても、 なお説き尽すことができぬくらいである。¼」

^もろもろの行者に告げる。 阿弥陀仏の身相おすがたの光明は、 釈迦如来が一劫のあいだ説き述べても説き尽すことができないものと知らねばならぬ。 ^«観経» に 「一々の光明があまねく十方世界を照らし、 念仏の衆生を摂め取って捨てたまわない」 と説かれてあるとおりである。 ^今、 すでに «観経» には、 このような不思議のすぐれた力があって、 行者を摂め護ってくださることが示されてあるのだから、 どうして相続して称名し観察し礼拝し憶念して往生を願わないでおられようか。 よく知るべきである。

【10】^西方極楽世界の無量光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の無辺光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の無礙光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の無対光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の炎王光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の清浄光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の歓喜光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の智慧光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の不断光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の難思光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の無称光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の超日月光仏に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

【11】^西方極楽世界の阿弥陀仏に南無したてまつる

わたしを哀れみ護って

菩提心を育て

この世も 後の世も

願わくは仏つねに摂めとりたまえ

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の観世音菩薩に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

 ^西方極楽世界の大勢至菩薩に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

この二菩薩は、 あらゆる人々の命終の時に、 ともに蓮台を持って行者に授ける。 阿弥陀仏は大光明を放って行者の身を照らされる。 また無数の化仏・菩薩や声聞大衆たちと一緒に手を授けられて、 指を弾く程の間に、 すなわち浄土に往生することができる。 仏恩を報ずるために、 心からこれを礼拝すること一拝するのである。

 ^西方極楽世界の数多あまたの菩薩・清浄衆に南無したてまつる

願わくは人々と共にことごとく帰依しよう

それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる

これらのもろもろの菩薩がたも、 また阿弥陀仏に従って来て、 行者を迎えとってくださる。 報恩のために心から礼拝すること一拝するのである。

【12】^あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懴悔したてまつる。

 ^心から懴悔したてまつる。

十方の仏がたに帰依し懴悔したてまつる

願わくは もろもろの罪を滅ぼしたまわんことを

いま 以前より修めた善根をもって

ふりむけて自分や他人の安楽浄土に生れるたねとする

つねに願わくは一切の人の命終の時に

すぐれた因縁すぐれた境界がことごとく眼前に現れんことを

願わくは阿弥陀仏の大悲主

観音・勢至の二菩薩や十方の諸仏を見たてまつらんことを

仰ぎ願わくは不可思議の光明に照らされみ手を授けられて

阿弥陀仏の本願によってかの浄土に往生せんことを

^懴悔し回向し発願しおわって心から阿弥陀仏に帰依したてまつる。

【13】^次に讃歌をとなえ、 偈を作って発願する。 «究竟一乗宝性論» に出ている

礼拝・懴悔のすべての功徳をもって

願わくは命終の時に

無量寿仏のはかりなき

功徳の御身を見たてまつらんことを

われおよび他の信者たちはともに

かの仏を見たてまつりおわり

願わくは煩悩を離れた智慧の眼をえて

安楽世界に往生し

無上のさとりを成就せんことを

【14】^礼拝し懴悔しおわって、 すべての三宝を恭敬したてまつる。

菩提を得られた仏に帰依して

仏道を求める心がつねに退転しないようにしよう

 ^願わくは もろもろの人々と共に阿弥陀仏の浄土に往生することを願いたてまつる

一切智の方に帰依して

涅槃さとりに入る智慧の門を得しよう

 ^願わくは もろもろの人々と共に阿弥陀仏の浄土に往生することを願いたてまつる

諍いのない僧に帰依して

同じく和合のなかまに入ろう

 ^願わくは もろもろの人々と共に阿弥陀仏の浄土に往生することを願いたてまつる

 ^願わくは もろもろの人々が身口意の三業を清浄にして仏教をたもち一切の賢聖がたを敬礼せんことを

 ^願わくは もろもろの人々と共に阿弥陀仏の浄土に往生することを願いたてまつる

【15】^もろもろの人々よ聴け

いま日没の無常偈を説こう

人間はいそがしくいろいろな務めにかかわって

いのちの日夜に去ることを知らぬ

あたかも風中の灯がいつ消えるとも期しがたいがようである

いそがしく六道を経めぐってさだまれる所がない

いまだに解脱して苦海を出ることができない

どうして安閑としていて驚かずにおられようか

おのおの聞かれよ 強健すこやかにして力ある時に

自らつとめ自ら励んでさとりを求めよ

【16】^この偈を説きおわって、 さらに口に述べ心に念じて発願せよ。

 願わくは、 われら弟子たち、 命が終ろうとする時、 心顛倒せず、 心錯乱せず、 心失念せず、 身心にいろいろの苦しみなく、 そのたのしみは禅定に入るがようで、 聖衆がたが前に現れ、 如来の本願力によって、 阿弥陀仏の浄土に上品の往生をとげよう。 その浄土に往生し終って、 六種の神通を得て十方の迷いの世界に入り、 苦しみの衆生を救おう。 虚空あらゆる法界せかいの迷いの衆生が尽きるならば、 わたしの願いも尽きるであろう。 発願しおわって心から阿弥陀仏に帰依したてまつる。

【17】^初夜の偈にいう。

煩悩は深くして底がなく

迷いの海はほとりがない

苦海をわたす船はいまだ立たないのに

どうして睡眠を楽しんでおられようか

勇猛につとめはげみ

心を摂めて いつも念仏三昧におけ

【18】^中夜の偈にいう。

なんじらは臭いかばねのような身を持って臥していてはならぬ

いろいろな不浄の集まりを仮に人と名づける

重病を得たり また矢が体に入ったように

多くの苦痛が集まるのにどうして眠られようか

【19】^後夜の偈にいう。

光のように時はうつり流れて

たちまち五更 (午前四時) のはじめに至る

無常は刻々に至り

つねに死王と共にいる

もろもろの行ずる者に勧める

勤め修めてさとりに至れ

【20】^平旦 (晨朝) の偈にいう。

さとりの楽しみを求めようと思うならば

沙門の法を学ばねばならない

衣・食は身命を支えるものだから

よいものでも そまつなものでも人より与えられるままにしたがえ

もろもろの人々は、 今日の晨朝において、 おのおの六念をとなえよ。

【21】^日中の偈にいう。

人が生れて仏道を修めないならば

あたかも木に根がないようである

花をとって日中におくならば

よくどれほどの時か鮮かであることができようか

人の命もまたこのようである

無常はたちまちの間にある

もろもろの道を修める人たちに勧める

勤め修めてついにさとりに至れよ

【22】^第二に沙門善導、 謹んで «大無量寿経» によって、 肝要な御文を集めて礼讃偈とし、 二十四拝をもって初夜の時に礼拝する。 懴悔は前後に述べるところと同じ。

【23】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

阿弥陀仏の智慧の誓願海は

深く広くして涯もなく底もない

名号を聞いて往生を願えば

みなことごとくかの国に至る

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

この娑婆世界の中には

六十七億の

不退のもろもろの菩薩がたがあって

みなまさに浄土に往生することができよう

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

行の劣った菩薩たちや

わずかな功徳を修めた人々は

数えきれないほどいるが

いずれもみなまさにかの国に往生を得るであろう

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

十方にある仏国の

菩薩や比丘たちの数は

一劫をついやしても数え尽すことができないが

いずれもみなかの国に往生を得るであろう

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

あらゆるもろもろの菩薩がたは

それぞれ清浄にして妙なる華や

宝香やあたいの知れぬきぬを捧げて

阿弥陀仏を供養したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

みな同じように清浄の音楽をかなで

みやびやかで調和のとれた音を出して

最勝の仏を歌歎したてまつり

阿弥陀仏を供養したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

「智慧は日輪のごとく世間の闇をてらし

迷いの雲を除き去る」 とたたえ

敬って回ること三帀し

阿弥陀仏を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

かの厳かな浄土の

微妙ではかりがたいありさまを身たてまつることによって

菩薩がたはこの上ない心をおこし

わが国もまたそうありたいと願う

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

その時にあたって阿弥陀仏は

よろこびのお姿をあらわして微笑みを起し

お口より無数の光りを出して

あまねく十方の国を照らされる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

その光はかえって仏の御身をめぐり

三帀して頂に入る

すべての天人たちは

こおどりして皆喜ぶ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

弥陀如来の浄らかなみ声は雷震いかずちのようで

八徳をそなえた音声は妙なる響きを立てて

「十方より集まった菩薩たちの

かれらの願いをわたしはことごとく知っている」 とのべられる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

かの浄土に至るならば

速やかに神通力を得て

かならず阿弥陀仏から

記別を授けられてさとりをひらく

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

多くの如来につかえんがために

あまねく諸仏の国に行って

これを敬い歓喜して去り

また安養の浄土に帰る

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

もし人宿世の善根がなかったならば

仏のみ名を聞くことができない

憍慢と邪見と懈怠のものは

このみ法を信ずることがむずかしい

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

宿世に諸仏を見たてまつったものは

よくこの法を信じ

謙敬にこの法を聞いて行じ

踊躍して大いに喜ぶ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【24】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

かの阿弥陀仏の

名号のいわれを聞いて

歓喜してわずか一声するものまで

皆まさにかの国に往生することができよう

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

たとい大千世界に満ちみちる火の中も

ひるまず過ぎいて仏のみ名を聞け

み名を聞いて喜び讃えるならば

皆まさにかの国に往生することができよう

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

末法万年の後ほかの教が滅しても

この経だけはいつまでもとどまるであろう

そのとき名号を聞いて僅か一声する者まで

皆まさにかの国に往生することができよう

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

仏の出世にははなはだいがたく

人が信心の智慧を得ることもむずかしい

たまたますぐれた尊い法を聞くことは

これまた最もむずかしい

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

みずから信じそして人に教えることは

難しい中にさらに難しい

あまねく大悲を伝えて人を*やくすることが

まことに仏恩を報ずることである

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【25】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

わたしを哀れみ護って

菩提心を育て

この世も後の世も

願わくは仏つねに摂めとりたまえ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の観世音菩薩を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の大勢至菩薩を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の数多あまたの菩薩・清浄衆を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【26】^あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懴悔したてまつる

【27】^第三に謹んで龍樹菩薩の往生を願う礼讃偈によって、 十六拝をもって中夜の時に礼拝する。 懴悔は前後に述べるところと同様である。

【28】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

浄土の聖衆たちに恭敬せられたもう

阿弥陀仏を礼拝したてまつる

かの清浄にして妙なる安楽国におわしまして

多くの菩薩たちにかこまれたもう

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

金色の御身は浄らかで須弥山のようであり

*しゃ摩他またの行は象の歩みのごとく

御目の浄らかなことは青蓮華のようである

それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

浄くうるわしきかんばせは満月のごとく

けだかき光は なお千の日月のようであり

み声は天鼓や*倶翅くしのようである

それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

観音のいただく冠の中にとどまりたまい

種々のたえなる宝でかざられている

よく外道や悪魔の憍慢を降伏させる

それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

けがれなく広大清浄なることはたぐいなく

おおくの徳があきらかでいさぎよいことは虚空のようである

すべてのものを利益されるはたらきは自在を得たもう

それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

十方の世界の名のきこえた菩薩たちや

数知れぬ魔王もつねにほめたたえる

衆生済度のために弥陀は願力をもってとどまりたもう

それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

金沙を底とし宝をまじえた池に生じた蓮華は

きよき善根によって成る妙なる台座である

その座上に須弥山のように坐したもう

それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

十方より集まる菩薩たちは

神通をもって安楽国に到り

尊顔を仰ぎみて常に恭敬する

それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

「あらゆるものの常なく我の体がないことは

水にうつる月影や露・いなずまのようである」 と

衆のために諸法の*くうなることをときたもう

それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

かの仏の浄土には悪の名さえもなく

また女人・悪道の怖れもない

すべての人は心からかの仏を敬いたてまつる

それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

かの阿弥陀仏のはかりなき自利利他成就の浄土には

もろもろの迷いの境界や悪知識はない

往生して不退に入り仏のさとりに至る

それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

わたしはいま阿弥陀仏の功徳を説きたてまつる

多くの善根の無辺にましますことは海水のようである

みずから得たこの清浄の善根を

衆生にも知らせて共にかの国に往生しよう

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【29】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

わたしを哀れみ護って

菩提心を育て

この世も 後の世も

願わくは仏つねに摂めとりたまえ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の観世音菩薩を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の大勢至菩薩を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の数多あまたの菩薩・清浄衆を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【30】^あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懴悔したてまつる

 ^心から懴悔したてまつる

始めもわからぬときに身を受けてよりこのかた

つねに十悪をもって他の衆生に加え

父母に孝養を尽さず三宝を謗り

五逆の不善業をつくった

この多くの罪の因縁によって

妄想顛倒してまよいに縛られ

まさに量りなき生死まよいの苦しみを受けるであろう

うやうやしく頂礼懴悔して罪の除かれることを願う

 ^懴悔し終って心から阿弥陀仏を礼拝したてまつる

 ^心から勧請したてまつる

大慈非無上尊である諸仏がたは

つねに諸法の空なることをさとりたもう智慧をもって三界を照らされる

衆生は心がくらくてこれらをさとらず

とこしえに迷いの大苦海にしずむ

この群生の迷いのもろもろの苦しみを離れさせるために

如来を勧請したてまつり いつまでもとどまりて法を説かれることを願う

 ^勧請し終って心から阿弥陀仏を礼拝したてまつる

 ^心から随喜したてまつる

無始よりこのかた懐いている嫉妬や

我慢・放逸は愚痴より生ずる

いつも瞋恚いかりの毒害の火をもって

智慧・慈悲の善根を焼いて来た

今日 思惟して始めてこの事をさとり知った

大いに精進して随喜の心をおこす

 ^随喜し終って心から阿弥陀仏を礼拝したてまつる

 ^心から回向したてまつる

三界のうちにさまようて

痴愛をもって迷いの母体にやどり

生れては遂に老死に帰し

生死まよいの苦海に沈む

わたしは今この福徳を修め

これをもって安楽浄土に往生しよう

 ^回向し終って心から阿弥陀仏を礼拝したてまつる

 ^心から発願したてまつる

願わくは迷いの身を捨てて

安楽国に往生し

すみやかにきわみなき功徳の

阿弥陀仏の御身を見たてまつり

また十方の諸仏如来につかえ

賢聖がたもまた見たてまつり

六神通の力を得て

苦しみの衆生を済度し

十方*法界ほうかいの衆生が尽きるまで

わが願いをもちつづけたい

 ^発願し終って心から阿弥陀仏を礼拝したてまつる

 ^その他はことごとく上の作法と同じ。

【31】^第四に謹んで天親菩薩の往生を願う礼讃偈によって、 二十拝をもって後夜の時に礼拝する。 懴悔は前後に述べるところと同じ。

【32】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

世尊よ わたしは一心に

十方世界にゆきわたって

自在に救いたもう阿弥陀如来を信じ

仏の教と相応しよう

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

かの世界のありさまを観ずるに

この三界の因果に超えすぐれている

なにものにもさえぎられないことは虚空のごとく

広大であってきわほとりがない

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

法性に契った智慧と慈悲

この無漏の善根によって成就されている

浄らかな光明をそなえていることは

鏡や日輪やまた月のようである

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

法性にかなったあらゆる宝からできていて

すぐれた荘厳かざりを具えている

煩悩の汚れをはなれた光が

浄土のすべての飾りに輝いている

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

さまざまな宝の華が

池や流れに咲き乱れて

そよ風は花びらをゆるがせ

光が乱れ交わってきらきらと輝いている

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

宮殿楼閣において十方の世界を眺め

さえぎられる事がない

いろいろな宝の樹にそれぞれ異なった光があり

また宝の欄干がひろくめぐらされている

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

多くの宝からできている網が

あまねく虚空そらを覆っている

さまざまの鈴が声をたてて

妙なる法を説いている

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

清浄なる浄土の名は

遠く十方世界に響いて人々を悟らせる

正覚の阿弥陀法王によって

よくおさめたもたれている

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

浄土の聖衆がたは

阿弥陀如来の正覚の華の中より生れる

法味の楽しみを受け

禅三昧を食とする

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

とこしえに身の苦しみ心の悩みを離れて

楽しみを受けることは常に絶間がない

大乗の善根によって成就せされた如来の世界は

平等一味であって嫌な謗りの名もない

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

女人および根欠や

二乗のともがらがなく

衆生の求めるところの

すべての願いはよく満足せしめられる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

はかりしられぬ宝をもって飾られている

微妙清浄なる華台を仏の坐とする

円光の直径さしわたしは仏の一尋であって

そのおすがたはあらゆる者に超えている

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

大乗のさとりを開かれた方々は

如来の清浄なる智海より生ずる

如来は須弥山のごとくすぐれて

これに超えるものがない

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

天人や菩薩などの浄土の聖衆は

みな如来を尊敬し これを仰ぎみる

清浄なる音楽・華・衣服

妙なる香などをもって供養する

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

安楽国には清らかな如来の説法があり

聖衆はまた十方に現れそれを休みなく説いている

一念同時に

あらゆる衆生を利益する

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

仏のもろもろお功徳をたたえるのに

はからいの心がない

よく速やかに海のごとき大きな功徳を

満足させてくださる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【33】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

わたしを哀れみ護って

菩提心を育て

この世も 後の世も

願わくは仏つねに摂めとりたまえ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の観世音菩薩を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の大勢至菩薩を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の数多の菩薩・清浄衆を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【34】^あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懴悔したてまつる

【35】^第五に謹んで*彦琮げんそう法師の往生を願う礼讃偈によって、 二十一拝をもって晨朝の時に礼拝する。 懴悔は前後に述べるところと同じ。

【36】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

法蔵の因はいよいよ遠く

極楽の果もまた深い

珍しい宝がいり交わって地面となり

多くの宝を交えて林とする

華は開いてすぐれた色をあらわし

波は実相の声を揚げている

いずれの時か仏の授手をこうむって

もっぱら往生の願いを遂げることができようか

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

濁った世には還り入ることをこのまず

浄土往生の願いはいよいよ深い

金の縄が真直ぐに道をさかいし

珠をちりばめた網がゆるく林に垂れている

その色を見ればみな汚れを離れた色であり

音を聞けばことごとくみな法を説く声である

西方浄土は遠いと言ってはならぬ

ただ十念の心をおこせよ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

すでに真如の理をきわめた仏となられて

まことに虚空にあまねき威徳を持っていられる

西方に在って小を示現するのは

ただこれ暫く根機に随うからである

葉と珠と互いに映り合い

砂も水も共に澄みとおって輝く

無生さとりの果を得ようと思うならば

必ずかの土に依らねばならぬ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

白毫は須弥山を五つ合わせたようにひときわあざやかで

御手の印文もようはいつもあきらかである

地も水も共に鏡のように透きとおり

香と華と同じく雲となる

業因が深ければ往生はしやすく

宿因が浅ければ実に聞き難い

必ず疑いを除いて

超然として他の者と同じでないことを望む

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

心はまことの慈悲をもって満ち

光はあまねく法界をおさめ

無縁の慈悲はよく衆生を済度する

有相の凡夫も定んで往生できぬのではない

華はその心のままにあらわれ

宮殿は移っても身は安らかである

さとりの境界を知りたいと願うならば

必ずみな禅定に入って見るべきである

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

回向の功徳が漸く成れば

西方浄土の路はやや通ずる

宝幢は厚い浄土の地をうけて

きよらかな香りは遠い風に乗る

開いた華が重なって水に布き

覆える網は細かく虚空を分つ

切に浄土に生れようと願うのは

まさしく浄土の楽がきわまりないためである

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

まさに往生すべき処を選ぼうと思うならば

西方浄土が最も帰すべきところである

樹をへだてて重閣たかどのがひらき

道の全体に鮮かなきぬをしく

香ばしい食物は思いのままにあらわれ

宝殿はその身を逐うて飛ぶ

有縁の人はみな往生できるが

まさしく往く人は希である

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

十劫の昔に正覚を成就せられ

浄土を荘厳して十方の衆生を引く

こがねの砂は水をとおして照らし

玉のように美しい葉は枝に満ちて光を放つ

鳥は元来もともと 如意珠の中から出て

人はただ華の上に生れる

あえて請う 西方の聖者がたよ

いつかまちがいなく迎えたまわんことを

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

十方諸仏の国は

すべてこれ如来の浄土である

ひとえに有縁のところを求めて

こいねがわくは速やかに邪を離れんことを

如意宝より出たる八功徳の水

七宝の自然の華

かしこに心をよく係けるならば

必ずまさに往生できること遠くはない

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

浄土には衰変なく

一たび成就して古今に変りがない

光台は千の宝を合して成り

音楽は八風に乗って法音を出す

池には法を説く鳥が多くおり

空には散華の天人が満ちている

往生を得るならば退く畏れはなく

心のままにすでに蓮華はちすが開く

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

華に坐すのは一仏の像ばかりではない

聖衆の数もまた量り難い

開いたはちすに往生人は独りいる

波がおこっておのずから法を説く

災のないのは国土が涅槃の世界だからであり

仏道を求めて後戻りしないのは朋良ともがよいからである

かの先に生れた人たちに尋ねる

「ここに来てから幾劫ほどでしょうか」 と

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

光明を放っては毘舎離国の人々を救い

空中に立っては韋提を導く

諸天人が来て香蓋を捧げ

人は去きて また宝衣をもたらす

昼夜六たびに鳥の声の調和するのを聞き

華の敷かれた地上を歩くと四寸ほどさがる

るところのありさまは一として正しくないものはない

どうしてまた長い迷いがあろうか

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

あまねく人に勧めて三福の行を弘め

ことごとく五焼の苦を滅せしめる

発心すればすでに功徳を成就し

念ずると罪は消える

美しい鳥は珠の光よりあらわれてさえずり

風はよく楽声をととのえる

ただ行道の易きをねがえ

どうして浄土の果報が遥かであると憂えることがあろうか

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

宝珠の色はすなわちこれ水であり

金光は空にかかってうてなとなる

時が来ると華がおのずから散り

聖衆の願いに随ってまた華が開く

池に遊んでは かわるがわるに出没し

空を飛んでは互いに往き来している

正直まことの心はよくかの国に向う

もし善根があるならばあわせて浄土へふり向けよ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

心を甘露水に洗い

目を妙華の雲に悦ばす

同じく浄土に生れたものは識りやすく

寿命は等しくて区別しがたい

楽しみは多いが仏道を廃することがなく

説法の声は遠くともよく聞くことができる

どうして五濁の世をむさぼって

平然として煩悩の火に自らをいておられようか

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

台のうちには天人があらわれ

光明の中には侍者がみられる

空には四宝のたかどのがかかり

七重の欄干きざはしがとりかこんでいる

疑いの多い人は辺地に久しくとどまり

功徳の少ないものは上品の往生がむずかしい

かりそめにも他の願いをもってはならない

西方にわが心をかけねばならぬ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

六根は常にさとりにそむかず

三途はとこしえにその名も絶えている

一念の間にあまねく十方仏国に遊び

かえる時には無生忍を得る

地面は平かで極まりなく広く

徳風はのどかにして この国土は清浄である

心ある人々に告げる

もろともにこの苦しみの境界を出よ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【37】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

わたしを哀れみ護って

菩提心を育て

この世も 後の世も

願わくは仏つねに摂めとりたまえ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の観世音菩薩を礼拝したてまつる

足のうらには千輻輪相があきらかで

光明の中には五道のすがたが現れる

衆生を済度することつねに絶えることなく

人の帰依することもまた数えきれぬほどである

口には法を説いてなお禅定にあり

禅定にありながら十方にゆく

そのみ名を聞いて皆往生を願え

日々にどれほど多くの華が開くであろうか

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の大勢至菩薩を礼拝したてまつる

智慧の力は無上をあらわし

身の光は有縁の者をてらしまもる

十方の宝国を動揺うごか

身は金蓮に坐して仏のそばにはべ

鳥の群は実の鳥ではない

天人の類はどうして実の天人であろうか

よろしくこれを知って浄土の妙なる楽を求めよ

そうすれば必ず戒を全うする

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の数多あまたの菩薩・清浄衆を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【38】^あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懴悔したてまつる

【39】^第六は沙門善導の往生を願う礼讃偈。 謹んで «観無量寿経» に説かれた十六の観法に依って作ったもので、 二十拝をもって日中の時に礼拝する。 懴悔は前後に述べるところと同じ。

【40】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

かの阿弥陀仏の極楽世界を観るに

広く平らかで多くの宝からできている

四十八願によって荘厳されたので

数多あまたの諸仏の国土に超えて最もすぐれている

本国や他方仏国より集まる聖者たちは

劫を尽して数えてもこれを知ることはできない

あまねく勧める 西方に帰してかの大会の中に入らんことを

無数の三昧が自然に成就するからである

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【41】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

地下荘厳の七宝のはしら

その数 無量無辺無数億である

八方の八面は百宝よりできている

それを見るものは自然に無生を悟る

無生さとり宝国くにはとこしえに常住である

一々の宝は無数の光を放つ

この土の行者は心をかたむけて常に観じ

心を躍らして喜んで西方に生れよ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

地上の荘厳はいよいよきわまりがなく

金縄をもって道をさかいして工匠たくみの細工ではない

弥陀の願力によってみごとに荘厳されている

菩薩や人・天は華を散じて供養する

宝地には宝色があって宝光を放ち

一々の光は無数の台となる

台の中には千万億の宝楼があり

台のほとりを百億の宝幢がとりかこんでいる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

一々の台上の虚空の中の荘厳には

宝の楽器があってまたきわまりがない

八種の清風が光明にそうて出で

時に随って音楽をかなで根機に応じた声を出す

根機に応ずる声を観じて知ることはたやすいことではない

行住坐臥に心をひきしめて観じ

ただ睡る時を除いてつねに憶念せよ

三昧成就すればすなわち涅槃である

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

浄土には宝の林宝の樹があり

宝華・宝葉・宝根茎がある

あるいは千宝をもって別々に林を分け

あるいは百宝をもって共に列をなしている

列と列がそろって葉と葉は順序よく連なり

色もみな異なっていて光もまた異なる

樹の高さは皆ひとしく三十万里である

枝やこえだが互いに触れあって無生さとりの法を説く

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

虚空には七重の羅網あみや七重の宮殿があり

その色彩いろどりが光を出して互いにうつりあっている

化現の天童子がその中に充満し

その瓔珞の輝きは日月にこえすぐれている

ならぶ樹の葉の色はさまざまであり

開いた華はいずれも金の輪が旋るようである

菓実このみが光を出して多くの宝の蓋となり

多くの仏国を現すことが無辺である

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

宝池には宝の岸や宝の金沙があり

宝のみぞには蓮華の葉や華がある

花の大きさは十二由旬でみな等しい

池には宝羅・宝網がおおい 宝欄がめぐっている

八功徳水が流れを分けて宝樹をつたい

波のかなでる音楽を聴いて無為のさとりをひらく

有縁の行者に告げる

努めて迷いを翻えしてさとりの本家にかえれよ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

一々の金縄が道をさかい

その上には千万億の宝楽や宝楼閣がある

もろもろの天童子は香や華を散じ

他方の菩薩が雲のように集まる

その数は無量無辺ではかることができない

阿弥陀仏を礼拝し敬って立つ

風に鳴る鈴や樹のひびきが虚空にあまねく

三尊をたたえることがきわまりない

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

弥陀の本願によって成就された蓮華の座は

あらゆる宝をもって飾られている

蓮台の上の四つの幢には宝の幔幕ひきまくがはりめぐらされ

阿弥陀仏が独り坐して尊い姿を現しておられる

おすがたの光明は十方法界にゆきわたり

光に触れたものはその心が退転しない

昼夜六たびに専らこれを観想すれば

命終の時の楽しみは三昧に入るようである

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

阿弥陀仏の身も心も十方世界にゆきわたるから

衆生の観想の心の中にうつりたもう

こういうわけで そなたに常に観察することを勧める

心に観想して如来のお姿をあらわせ

仏のお姿が蓮華の台に座したもうのを見れば

心眼が開けて浄土の荘厳を見たてまつる

宝樹のもとに三尊の坐せられる華が国中にみちている

風に鳴る鈴や楽の響きは経文と同じである

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

弥陀の御身のすぐれた色は黄金の山のようである

相好から放たれる光明は十方を照らす

しかしただ念仏の行者だけが光の中に摂めとられる

まさに本願を最もすぐれた力とすることを知るべきである

六方の仏は広長の舌相を示して証明される

もっぱら弥陀の名号を称えて西方の浄土に生れる

かしこに至れば華ひらけて尊い法を聞き

菩薩の十地の願行が自然に成就する

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

観音菩薩は大慈悲の心から

すでに菩提を得られてもこれにとどまらず

あらゆる迷いの五道を身光の中におさめて

いつも観察して三業をもって応じたもう

その応じたもう御身の光は紫金色であり

お姿の気高いことはまことに極まりがない

いつも百億の光明のみ手をのべて

あまねく有縁の者を摂めて弥陀の本国に帰らせる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

勢至菩薩の威光は思いはかりがたく

あまねく照らされることはほとりがない

有縁の衆生が光明のお照らしを蒙るならば

智慧を増して迷いの三界を出る

十方法界が動くことは風によもぎがひるがえるようであり

化仏が雲のように集って虚空に満ちる

あまねく有縁の者に勧める 常に憶念して

とこしえに迷いを離れて六神通を証せよ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

足をくみ正しく坐して三昧に入るならば

観想の心が想念によって西方に至る

阿弥陀仏の極楽世界を見るに

地上も虚空も七宝でかざられている

弥陀の御身の大きさは無辺であるから

釈尊は重ねて衆生を勧めて小身を観ぜさせる

一丈六尺や八尺など根機に随って現れ

円光の化仏はさきの真仏に等しい

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【42】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

上輩は上行を修める上根の人である

浄土に生れることを願って貪・瞋の煩悩を断つ

行の差別によって三品に分ける

五念門を相続して三心を助ける

一日あるいは七日専ら精進し

命終って蓮台に乗り六塵まよいの世界を出る

慶ばしいことには逢いがたくして今遇うことをえた

永くさとりの身を得よう

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

中輩は中行を修める中根の人である

一日の斎戒をたもって金蓮華に乗る

父母に孝養する善を回向させて

西方に往生する因と説く

仏が声聞衆と共に来たり迎え

ただちに弥陀の蓮華座のほとりにいたる

百宝の華に包まれて七日を経る

三品ともに華が開けて小乗のさとりをひらく

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

下輩は悪を行う下根のものである

十悪・五逆などの貪欲・瞋恚

四重禁の罪を犯し僧物をぬすみ仏法を謗る

いまだかつて慚愧して前の罪を悔いることがない

臨終には苦しいありさまが雲のように集まって

地獄の猛火が罪人の前にあらわれる

そのとき往生の善知識が

急いで専ら弥陀の名号を称えさせるのに遇うと

化仏・化菩薩が称名の声を尋ねて来たり

臨終の一念に心を傾けて浄土の宝蓮華に入る

下輩の三品は障が重く多劫を経て華が開く

その時に当たって始めて菩提心を発す

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【43】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

阿弥陀仏の成就された

西方の極楽ははかり難い

智慧のみのりを聞いて漿のみものを思う心を絶ち

無生さとりを念じてすなわち飢えを断つ

一切の荘厳はみな法を説き

心のうごきを用いずして自然に知る

七覚の華の池に重いのままに入り

心を凝せば八解脱が一枝に集まる

無数の菩薩は同学となり

すべての如来はことごとくこれ師である

弥陀如来が智慧の水をその頂にそそぎ

観音・勢至は衣を与えてせてくださる

たちまちに空にのぼって法界に遊び

しばしの間に仏となる記別を授けられる

かくのごとく逍遥として極まりない処に

わたしは今行かないでいつの時を待つべきであろうか

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【44】^心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる

わたしを哀れみ護って

菩提心を育て

この世も 後の世も

願わくは仏つねに摂めとりたまえ

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

 ^心から帰依して西方極楽世界の観音・勢至数多の菩薩・清浄衆を礼拝したてまつる

 願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう

【45】^あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懴悔したてまつる

【46】^上の要と略の二つの懴悔と発願などは前に述べたものと同じである。 要中の要を用いるならば、 初めの懴悔 (日没に明かすもの) を取れ。 略中の略を用いるならば、 中の懴悔 (中夜に明かすもの) を取れ。 広中の広を用いるならば、 下の懴悔 (下に述べるもの) を取れ。 ^その広というのは、 実に往生を願う者に就いて勧める。 あるいは四衆に対し、 あるいは十方の諸仏に対し、 あるいは仏舎利や尊像や大衆に対し、 あるいは一人に対し、 もしは自分独りなど、 または十方の虚空に満ちる三宝およびすべての衆生などに対して、 つぶさにそれに向かって口にあらわして懴悔せよ。

^懴悔には三品の種類がある。 すなわち上・中・下の三品である。 ^上品の懴悔というのは、 身の毛孔から血を流し眼の中から血が出る、 これを上品の懴悔という。 ^中品の懴悔というのは、 全身の毛孔から熱い汗を出し眼の中から血が流れる、 これを中品の懴悔という。 ^下品の懴悔というのは、 身体中に熱気を催し眼の中から涙が出る。 これを下品の懴悔という。 ^これらの三品は差別があるけれども、 これをよくするものは、 過去ながらくのあいだ出離解脱のために善根を積んだ人である。 今生で法を敬い、 説く人を重んじて身命を惜しまず、 僅かな罪でも、 もし懴悔すれば心髄に徹る。 よくこのように懴悔すれば、 時節の長短を問わず、 持っている重罪はみな滅してしまうのである。 もしこのように懴悔しなかったならば、 たとい昼夜休みなく急いで求めても、 すべて利益がない。 ^もし作さざる者はよく涙を流し血を流すなどというような懴悔はできなくても、 ただよく信心をいただいた人は、 上の三品の懴悔をした者と同じであると知るべきである。

【47】^敬って申しあげる。 十方の諸仏、 十二部経、 諸大菩薩、 すべての賢聖、 および一切の天・竜などの八部、 法界の衆生、 現前の大衆たちよ、 わたしをしろしめされよ。 口にあらわして懴悔する。

 ^わたしは無始よりこのかた此の身に至るまで、 一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生を殺害したことは数を知ることができない。 ^一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生の物を盗み取ったことも数を知ることができない。 ^一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生に対して邪な心をおこしたことも数を知ることができない。 ^いつわりの言葉をもって一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生をたぶらかしたことも数を知ることができない。 ^言葉を飾って一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生を嘲弄したことも数を知ることができない。 ^悪口をもって一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生をののしりそしり、 こぼったことも数を知ることができない。 ^両舌をもって一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生をたたかわせ破ったことも数を知ることができない。 ^あるいは五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒、 菩薩の三聚戒、 十無尽戒をはじめ、 一切の戒および一切の威儀戒などを破り、 自ら破ることをなして人にも教えて作さしめ、 それを見て喜んだことは数を知ることができない。

 ^かようなすべての罪は、 また、 十方の大地が無辺で、 微塵が無数であるように、 わたしたちの作した罪もまた無数である。 虚空が無辺であるように、 わたしたちの作した罪もまた無辺である。 仏の衆生済度の方便が無辺であるように、 わたしたちの作した罪もまた無辺である。 法性が無辺であるように、 わたしたちの作した罪もまた無辺である。 法界が無辺であるように、 わたしたちの作した罪もまた無辺である。

 ^衆生が無辺であるから、 わたしたちのおびやかして奪い殺害したこともまた無辺である。 三宝が無辺であるから、 わたしたちが損ないおびやかして奪い殺害したこともまた無辺である。 戒の種類は無辺であるから、 わたしたちがそれをこぼち犯したこともまた無辺である。

 ^このような罪は、 上は菩薩より下は声聞・縁覚に至るまで知ることができない。 ただ仏と仏とだけがよくわが罪の多少を知られる。

 ^今、 三宝の前、 法界の衆生の前において、 口にあらわして懴悔し、 敢て覆さない。 ただ願わくは十方の三宝、 法界の衆生がわたしの懴悔を受けて、 わたしが清浄になることを念じたまえ。 今日より始めて、 願わくは法界の衆生と共に邪を捨てて正に帰し、 菩提心をおこして、 慈心をもってあい向かい、 やさしい眼であい見て、 仏道の仲間となり、 真の善知識となって、 同じく阿弥陀仏の国に生れ、 それより成仏するまで、 これらの罪はとこしえに断じてさらに作るまい。

 ^懴悔しおわって心から阿弥陀仏に帰依したてまつる。

 ^礼拝・懴悔おわる。

【48】^もし観想に入ろうとする時および眠ろうとする時には、 まさにこの願いをおこすべきである。 もしは坐り、 もしは立って、 一心に合掌し正しく面を西に向け 「阿弥陀仏・観音・勢至・諸菩薩・清浄大海衆」 と十辺称え、 称え終って、 ^弟子 は、 今現にこれ迷いの凡夫であって、 罪障深く六道をさまようている。 その苦しみはいい尽しがたい。 いま善知識に遇うて阿弥陀仏の本願の名号を聞くことができた。 一心に称念して往生を願う。 願わくは、 仏のお慈悲が本願の誓いに違わず、 わたしを摂め取ってくだされよ。 ^わたしは阿弥陀仏の身相光明を識らない。 願わくは、 仏の慈悲をもってわたしに阿弥陀仏の身相や観音・勢至・諸菩薩等およびかの世界の清浄なる荘厳光明などのありさまを見せてくだされよ」 と。 ^この語をいいおわって一心に念じ、 意に随って観察に入り、 または眠れ。 あるいはまさしく発願した時に即ちこれを見ることもある。 あるいは睡眠のときにこれを見ることもある。 至心でないものは除く。 この願いは比の頃大いに現にしるしがある。

【49】^問うていう。 阿弥陀仏のみ名を称え、 あるいは礼拝・観察すれば、 現世にどのような功徳利益があるか。

 ^答えていう。 もし阿弥陀仏のみ名を一声称えるならば、 よく八十億劫の迷いの重罪が除かれる。 礼拝や念仏などもまた同様である。 ^«十往生経» に説かれている。

もし衆生があって、 阿弥陀仏を念じて往生を願えば、 かの仏は二十五菩薩を遣わして行者を護られ、 もしは歩むも、 もしは坐るも、 もしはとどまるも、 もしは臥すも、 もしは昼、 もしは夜、 あらゆる時、 あらゆる処において、 悪鬼・悪神にその手がかりを得させないのである。

 ^また、 «観経» に説かれているとおりである。

もし阿弥陀仏のみ名を称え、 礼拝・憶念して、 かの国に往生しようと願えば、 かの仏はすぐさま無数の化仏や無数の観音・勢至の化身を遣わして行者を護ってくださる。

と。 また前の二十五菩薩などと共に行者を百重千重にとりかこんで、 歩むも住まるも坐すも臥すも、 いずれの時・処でも昼夜を問わず、 常に行者の身辺から離れたまわぬ。

 ^今すでにこのすぐれた利益があるから信ずべきである。 願わくは多くの行者たちよ、 心から往生を求めよ。

 ^また、 «無量寿経» に説かれているとおりである。

もし、 わたしが仏になったとき、 十方の衆生がわが名号を称えること、 わずか十声にいたるまでも往生させよう。 もしそうでなければ仏にまるまい。

と。 かの仏はいま現に成仏しておられる。 よって深重の誓願はうたがうことなく、 衆生が念仏すれば必ず往生できると知るべきである。

 ^また、 «阿弥陀経» に説かれているとおりである。

「もし衆生あって、 阿弥陀仏のいわれを説かれるのを聞くならば、 すなわちまさに名号を信ぜよ。 もしは一日もしは二日、 さらには七日に至るまで一心に仏のみ名を称えて乱れてはならぬ。 命の終ろうとする時、 阿弥陀仏は多くの聖衆たちと共にその人の前に現れてくださる。 そこでこの人は、 臨終に心をとり乱すことなくして、 すなわちかの国に往生することができる。」 さらに世尊が舎利弗に仰せられる。 「わたしは、 このような利益のあることを知っているから、 かように説くのである。 もし衆生の中でこの法を聞く者があれば、 信を発してかの国に生れようと願うべきである。」

と。 ^次下に説かれている。

東方の恒河の沙の数ほどの諸仏や、 南・西・北および上・下のそれぞれにおられる恒河の沙の数ほどの諸仏は、 おのおのその国で、 あまねく三千大千世界を覆う広長の舌相を示し、 まことの言葉で、 「おんみら衆生よ、 みなこの ª一切諸仏に護念せられる経º を信ぜよ」 と説いていられる。 どうして ª護念º というのであるか。 衆生が、 もしは七日、 もしは一日、 あるいは下って十声・一声などに至るまで、 阿弥陀仏のみ名を称念するならば、 必ず往生することができる。 このことを証明してくださるから ª護念経º と名づけられるのである。

と。 ^さらにその次下の文に説かれる。

もし、 仏のみ名を称えて往生する者は、 つねに六方の恒河の沙の数ほどの諸仏に護られるから ª護念経º と名づける。

 ^今、 すでにこのすぐれた誓願があるのだから、 信ぜよ。 多くの仏弟子らよ、 どうして一生懸命に往生を願わないでおられようか。

 

往生礼讃偈