無量寿経優婆提舎願生偈

婆藪槃頭菩薩造る 後魏の菩提留支訳す

 

【1】^世尊よ わたしは一心に 十方世界にゆきわたって
自在に救いたもう*阿弥陀あみだ如来にょらいを信じて ^*安楽あんらくこくに生まれることを願う

【2】^わたしは*じょうさんぎょうを依りどころとし そこに示されてある真実功徳の法に帰依して

^この願生の偈を説いて 仏の教えと相応しよう

【3】^かの世界のありさまを観ずるに この*三界さんがいの因果に超えすぐれている

^なにものにもさえぎられないことは虚空のごとく 広大であってきわほとりがない

^*ほっしょうかなった*智慧ちえ*慈悲じひ この*無漏むろ*善根ぜんごんによって成就されている

^清らかな*こうみょうをそなえていることは 鏡や日輪やまた月のようである

^法性に契ったあらゆる宝からできていて すぐれた荘厳かざりそなえている

^*煩悩ぼんのうけがれをはなれた光が 浄土のすべての飾りにかがやいている

^いろいろな宝よりできている浄土の荘厳功徳は 柔らかで左右にめぐる

^これに触れるものは浄らかな楽しみを生じて 執着しゅうじゃくを起こさせる*せんりんとは異なっている

^さまざまの宝の華が 池や流れに咲き乱れて

^そよ風は花びらをゆるがせ 光が乱れ交わってきらきらと輝いている

^宮殿楼閣において十方の世界を眺め さえぎられることがない

^いろいろな宝の樹にそれぞれ異なった光があり また宝の欄干がひろくめぐらされてある

^多くの宝からできている網が あまねく虚空そらを覆っている

^さまざまな鈴が声をたてて 妙なる法を説いている

^時に応じて清浄しょうじょうなる華や衣を雨ふらせ 妙なる香りがあまねく薫ずる

^如来の智慧さとりよりあらわれている国土の光明は *しゅじょうの煩悩の闇を除く

^清浄なる浄土の名は 遠く十方世界に響いて人々を悟らせる

^正覚の阿弥陀法王によって よくおさめたもたれている

^浄土のしょうじゅたちは 阿弥陀如来の正覚さとりの華の中より生まれる

^法味の楽しみを受け *ぜん三昧ざんまいを食とする

^とこしえに身の苦しみ心の悩みを離れて 楽しみを受けることは常にたえがない

^*だいじょうの善根によって成就せられた 如来の世界は平等一味であって

^女人や根欠・*じょうのともがらがなく また嫌なそしりの名もない

^衆生の求めるところの すべての願いはよく満足せしめられる

^こういうわけであるからわたしは 阿弥陀如来の浄土に生まれることを願う

【4】^はかり知られぬ宝をもって飾られてある みょう清浄なる華台を仏の座とする

^円光の直径さしわたしは仏の一尋ひとひろであって そのおすがたはあらゆる者に超えている

^如来の妙なる名号みこえは 十方世界に響きわたる

^*すいふう*くうと同じく 平等であって分別がない

^大乗のさとりを開かれた方々は 如来の清浄なる智慧より生ずる

^如来は*しゅせんの如くすぐれて これに超えるものがない

^天人や菩薩などの浄土の聖衆は みな如来を尊敬しこれを仰ぎみる

^阿弥陀如来の*本願ほんがんりきを観ずるに これにうて空しく過ぎるものはなく

^よく速やかに海のごとき大きな功徳を 満足させてくださる

【5】^安楽国には浄らかな如来の説法があり 聖衆はまた十方に現れ それを休みなく説いている

^日輪の天上にあって光が地上にあまねきがごとく 聖衆は浄土を動かずしてゆき また須弥山のように不動である

^浄土の聖衆の*おうしんは 一念同時に

^あまねく十方の世界にって諸仏を供養し またあらゆる衆生をやくする

^清浄なる音楽・華・衣服 妙なる香などをもって供養し

^十方諸仏を讃嘆するのに わけへだての心がない

^仏法僧の*三宝さんぼうのない いずれの世界にも菩薩は往って

^仏法を示すことを 仏のようにしたいと願う

【6】^わたしはこの願生の偈を作って あらゆる衆生と共に

^阿弥陀如来を信じて 安楽国に往生しよう

【7】 ^三部経のおことばを、 わたしは偈文におさめてあらわしおわる。

【8】 ^以上述べた偈の意味を解釈するならば、 ^この願生偈はどういう意味を明すのであるかというと、 かの安楽世界や、 また阿弥陀如来の尊い功徳を観じて、 かの浄土の*おうじょうを願うことを明すのである。

【9】 ^どのように観じ、 どのように信心を起こすのかというと、 もし仏法を求める男女の人たちが、 *ねんもんの行を修めてそれが成就すれば、 ついに安楽国土に往生して、 かの阿弥陀如来を見たてまつることができる。

 ^五念門とは何々であるかというと、 一つには*礼拝らいはいもん、 二つには*讃嘆さんだんもん、 三つには*がんもん、 四つには*観察かんざつもん、 五つには*こうもんである。 ^どのように礼拝するのか。 からだをもって無上のさとりを得ておられる阿弥陀如来を礼拝するのである。 それはかの浄土に生まれるためである。 ^どのように讃嘆するのか。 口をもってかの阿弥陀如来の*みょうごうを称えるのである。 かの如来の智慧の相たる光明のいわれ、 またかの名号のいわれをよく信じて、 この法の実義に契って修行するのである。 ^どのように作願するのか。 いつも一心にもっぱら、 ついに安楽浄土に往生しようと願って、 如実に*しゃ摩他また () を修行しようとおもうのである。 ^どのように観察するのか。 乱れぬ心をもって、 正しくかの阿弥陀如来や浄土を観察する。 如実に*毘婆びばしゃ (かん) を修行しようとするのである。 かの観察に三種がある。 何がその三種であるかというと、 一つには浄土の荘厳功徳を観察する。 二つには阿弥陀如来の荘厳功徳を観察する。 三つにはかの土に往生した菩薩の荘厳功徳を観察する。 ^どのように回向するのか。 すべての苦しみ悩む衆生を救うために、 心にいつも願って、 衆生に利益を施すことを第一として、 大悲心を成就することを得るのである。

【10】^どのようにかの浄土の荘厳功徳を観察するのか。 かの安楽国土の荘厳功徳には、 不可思議な力を成就されているのである。 あたかも、 かの*摩尼まに宝珠ほうしゅのごとくである。 しかもこれはかの如意宝珠の一面の義をかってあらわすのであって、 浄土の荘厳はさらにすぐれている。

 ^かの阿弥陀仏の浄土の荘厳功徳が成就されているのを観察するというのは、 十七種あると知るべきである。 十七種とは何々であるのか。 ^一つには清浄しょうじょう功徳の成就、 ^二つにはりょう功徳の成就、 ^三つにはしょう功徳の成就、 ^四つにはぎょうそう功徳の成就、 ^五つには種々しゅじゅ功徳の成就、 ^六つにはみょうしき功徳の成就、 ^七つにはそく功徳の成就、 ^八つには三種さんしゅ功徳の成就、 ^九つには功徳の成就、 ^十にはこうみょう功徳の成就、 ^十一には妙声みょうしょう功徳の成就、 ^十二にはしゅ功徳の成就、 ^十三には眷属けんぞく功徳の成就、 ^十四には受用じゅゆう功徳の成就、 ^十五には諸難しょなん功徳の成就、 ^十六にはだいもん功徳の成就、 ^十七には一切いっさいしょ満足まんぞく功徳の成就である。

 ^清浄功徳の成就とは、 偈文に

かの世界のありさまを観ずるに この三界の因果に超えすぐれている

というてある。

^量功徳の成就とは、 偈文に

なにものにもさえぎられないことは虚空のごとく 広大であってきわほとりがない

というてある。

^性功徳の成就とは、 偈文に

法性に契った智慧と慈悲 この無漏の善根によって成就されている

というてある。

^形相功徳の成就とは、 偈文に

清らかな光明をそなえていることは 鏡や日輪やまた月のようである

というてある。

^種々事功徳の成就とは、 偈文に

法性に契ったあらゆる宝からできていて すぐれた荘厳を具えている

というてある。

^妙色功徳の成就とは、 偈文に

煩悩の垢れをはなれた光が 浄土のすべての飾りに曜いている

というてある。

^触功徳の成就とは、 偈文に

いろいろな宝よりできている浄土の荘厳功徳は 柔らかで左右にめぐる

これに触れるものは浄らかな楽しみを生じて 執着を起こさせる迦栴隣陀とは異なっている

というてある。

^三種功徳の成就とは、 三種のものがらのあることを知るべきである。 何が三種であるか。 一つには水上の功徳、 二つには地上の功徳、 三つには虚空の功徳である。

^水上の功徳の成就とは、 偈文に

さまざまの宝の華が 池や流れに咲き乱れて

そよ風は花びらをゆるがせ 光が乱れ交わってきらきらと輝いている

というてある。

^地上の功徳の成就とは、 偈文に

宮殿楼閣において十方の世界を眺め さえぎられることがない

いろいろな宝の樹にそれぞれ異なった光があり また宝の欄干がひろくめぐらされてある

というてある。

^虚空の功徳の成就とは、 偈文に

多くの宝からできている網が あまねく虚空を覆っている

さまざまな鈴が声をたてて 妙なる法を説いている

というてある。

^雨功徳の成就とは、 偈文に

時に応じて清浄なる華や衣を雨ふらせ 妙なる香りがあまねく薫ずる

というてある。

^光明功徳の成就とは、 偈文に

如来の智慧よりあらわれている国土の光明は 衆生の煩悩の闇を除く

というてある。

^妙声功徳の成就とは、 偈文に

清浄なる浄土の名は 遠く十方世界に響いて人々を悟らせる

というてある。

^主功徳の成就とは、 偈文に

正覚の阿弥陀法王によって よくおさめ持たれている

というてある。

^眷属功徳の成就とは、 偈文に

浄土の聖衆たちは 阿弥陀如来の正覚の華の中より生まれる

というてある。

^受用功徳の成就とは、 偈文に

法味の楽しみを受け 禅三昧を食とする

というてある。

^無諸難功徳の成就とは、 偈文に

とこしえに身の苦しみ心の悩みを離れて 楽しみを受けることは常に絶間がない

というてある。

^大義門功徳の成就とは、 偈文に

大乗の善根によって成就せられた 如来の世界は平等一味であって

女人や根欠・二乗のともがらがなく また嫌な譏りの名もない

というてある。

^浄土の果報は二種の嫌な譏りを離れている。 一つにはものがら、 二つには名である。 ^体に三種がある。 一つには声聞・縁覚の人、 二つには女人、 三つには諸根の不具な人である。 この三つの過失がないから体の譏りを離れるという。 ^名にもまた三種がある。 ただ、 これら三つの体がないばかりではなく、 声聞・縁覚と女人と諸根不具という三種の名もまた聞かないから、 名の譏りを離れるというのである。 「等」 とは、 浄土へ往生した者は平等で一つのさとりとなるからである。 ^一切所求満足功徳の成就とは、 偈文に

衆生の求めるところの すべての願いはよく満足せしめられる

というてある。

【11】^略してかの阿弥陀如来の国土の十七種の荘厳功徳成就を説いて、 阿弥陀如来には、 自身の上に大きな功徳利益を具え、 また他を利益する功徳を成就せられていることをあらわすからである。

【12】^かの無量寿仏の国土の荘厳の、 *真如しんにょほっしょうに契っている不思議な境界の相を、 量功徳以下の十六種功徳と、 および最初の清浄功徳の一句との次第で説いた。

【13】^どのように仏の荘厳功徳の成就を観ずるかというと、 これに八種の相がある。 八種とは何々であるか。 ^一つには功徳の成就、 ^二つには身業しんごう功徳の成就、 ^三つにはごう功徳の成就、 ^四つには心業しんごう功徳の成就、 ^五つには大衆だいしゅ功徳の成就、 ^六つにはじょうしゅ功徳の成就、 ^七つにはしゅ功徳の成就、 ^八つには虚作こさじゅう功徳の成就である。

^何が座功徳の成就であるか、 偈文に

はかり知られぬ宝をもって飾られてある 微妙清浄なる華台を仏の座とする

というてある。

^何が身業功徳の成就であるか、 偈文に

円光の直径は仏の一尋であって そのお相はあらゆる者に超えている

というてある。

^何が口業功徳の成就であるか、 偈文に

如来の妙なる名号は 十方世界に響きわたる

というてある。

^何が心業功徳の成就であるか、 偈文に

地・水・火・風や虚空と同じく 平等であって分別がない

というてある。

^「分別がない」 とは、 別けへだての心がないことである。

^何が大衆功徳の成就であるか、 偈文に

大乗のさとりを開かれた方々は 如来の清浄なる智慧より生ずる

というてある。

^何が上首功徳の成就であるか、 偈文に

如来は須弥山の如くすぐれて これに超えるものがない

というてある。

^何が主功徳の成就であるか、 偈文に

天人や菩薩などの浄土の聖衆は みな如来を尊敬しこれを仰ぎみる

というてある。

^何が不虚作住持功徳の成就であるか、 偈文に

阿弥陀如来の本願力を観ずるに これに遇うて空しく過ぎるものはなく

よく速やかに海のごとき大きな功徳を 満足させてくださる

というてある。

^すなわち浄土に生まれて阿弥陀仏を見たてまつれば、 まだ平等法身をさとらない初地以上七地までの菩薩も、 ついには平等法身をさとって、 八地以上、 さらにそれ以上の菩薩たちと、 ついに同じように*じゃくめつびょうどうをさとることができるからである。

【14】^略して八種の功徳を説いて、 阿弥陀如来が*自利じり*利他りたの荘厳を、 こういう次第に成就されたことをあらわした。

【15】^どのように浄土の菩薩の荘厳功徳の成就を観察するのであるか。 菩薩の荘厳功徳を観察すると、 かの菩薩には、 四種の真如に契った自利利他の功徳が成就されてある。 ^四種とは何々であるかというと、 ^一つには、 一つの仏土において、 その身を動かさずに、 あまねく十方世界にゆきわたっていろいろのすがたをあらわし、 法性に契って修行して、 つねに衆生利益のことをする。 偈文に

安楽国には浄らかな如来の説法があり 聖衆はまた十方に現れそれを休みなく説いている

日輪の天上にあって光が地上に遍きがごとく 聖衆は浄土を動かずしてゆきまた須弥山のように不動である

というてある。

^あらゆる衆生の煩悩の心の上に信の華を開かせるからである。 ^二つには、 かの菩薩の応化身は、 あらゆるとき前後することなく、 一心一念に大光明を放って、 よくあまねく十方世界に行って衆生を済度する。 いろいろに方便し修行して一切の衆生の苦しみを除くからである。 偈文に

浄土の聖衆の応化身は 一念同時に

あまねく十方の世界に往って諸仏を供養し またあらゆる衆生を利益する

というてある。

^三つには、 かの菩薩はすべての世界を余すところなく諸仏会の大衆のところに往って、 余すところなく広大無量に如来を供養し恭敬し、 諸仏の功徳を讃嘆するのである。 偈文に

清浄なる音楽・華・衣服 妙なる香などをもって供養し

十方諸仏を讃嘆するのに わけへだての心がない

というてある。

^四つには、 かの菩薩は十方のすべての世界の三宝のない処において、 仏法僧の三宝をうち建てて、 あまねく衆生に知らせ、 如実に法をりょうさせるのである。 偈文に

仏法僧の三宝のない いずれの世界にも菩薩は往って

仏法を示すことを 仏のようにしたいと願う

というてある。

【16】^また、 さきに説いた浄土の荘厳功徳と、 阿弥陀仏の功徳と、 浄土に往生した菩薩の功徳と、 この三種は法蔵菩薩の願心によって成就されたのである。

【17】^略していえば一法の句におさまる。 一法の句というのは清浄功徳のことであり、 清浄功徳というのは真実智慧*無為むい法身ほっしんのことである。 ^この清浄功徳の中に二種があると知るべきである。 ^二種とは何々であるかというと、 一つには*けんすなわち国土の荘厳の清浄であり、 二つには*しゅじょうけんすなわち如来および聖衆の荘厳の清浄である。 ^器世間清浄とは、 さきに説いたような浄土の荘厳十七種功徳の成就されてあるのを器世間清浄と名づける。 ^衆生世間清浄とは、 さきに説いたような如来の荘厳八種功徳の成就されてあるのと、 浄土の聖衆の荘厳四種功徳の成就されてあるのとを、 衆生世間清浄と名づける。 ^このとおり、 一法句の清浄功徳の中に器世間と衆生世間との二種の清浄の義がおさまっている。

【18】^このように菩薩 (浄土の往生を願う人) は、 奢摩他の止と毘婆舎那の観とをもって広観略観を修行して、 法性に順じた心を成就する。 広の三厳二十九種、 略すれば一法句に入るという広略の義に達して、 ^利他の*ぎょう方便ほうべんこうを成就するのである。 ^巧方便回向とは何であるか。 菩薩の巧方便回向というのは、 さきに説いた礼拝門などの五念門を修行して積んだすべての善根功徳で、 自分の楽しみを求めるのではなく、 すべての衆生の苦しみを救うことである。 そこで、 すべての衆生を勧めて共々に安楽浄土に生まれることを願うのである。 これを菩薩の巧方便回向成就と名づける。

【19】^菩薩は、 このように*実相じっそうを知る智慧と利他回向の慈悲を成就すれば、 よく*だいと相違する三種の法を遠く離れる。 三種とは何々であるかというと、 ^一つには、 智慧門によって、 自分の楽しみを求めず、 わが心が自分に執着することを離れるのである。 ^二つには、 慈悲門によって、 一切衆生の苦しみを除いて、 人を安らかにすることのない心を遠く離れるのである。 ^三つには、 方便門によって、 一切衆生をあわれむ心で、 自分をようあいちょうする心を遠く離れるのである。 ^これを菩提と相違する三種の法を遠く離れるという。

【20】^菩薩は、 このような菩提と相違する三種の法を離れて、 菩提に順ずる三種の法を満足することができるのである。 三種とは何々であるかというと、 ^一つには、 けがれなき清浄心である。 これは自分のためにいろいろの楽しみを求めないからである。 ^二つには、 人を安らかにする清浄心である。 一切衆生の苦しみを除くからである。 ^三つには、 人に楽しみを与える清浄心である。 一切衆生に大乗の菩提さとりを得させるからである。 また衆生を勧めて阿弥陀如来の浄土に往生させるからである。 ^これを菩提に順ずる三種の法が満足するというのである。

【21】^さきに説いた智慧門・慈悲門・方便門の三種は、 実相にかなう*般若はんにゃの智慧を摂める。 またその般若は利他方便の慈悲を摂めると知るべきである。 ^さきに説いたわが心が自分に執着する心を離れ、 人を安らかにすることのない心を離れ、 自分を利養愛重する心を離れるというこの三種の法は、 菩提をさまたげる心を遠く離れる。 ^さきに説いたけがれなき清浄心、 人を安らかにする清浄心、 人に楽しみを与える清浄心というこの三種の心は、 総じていえばただ一つの*みょうらくしょう真心しんしんを成就する。

【22】^このように菩薩は法性にかなった智慧心、 利他回向の方便心、 菩提をさまたげる心を離れた無障心、 菩提に順ずるすぐれた勝真心の徳を成就してよく浄土に往生するのであると知るべきである。 ^これを、 菩薩大士が五念門の法相にかなって、 浄土に至って自利利他が意に随って自在にできる因が成就したものという。 さきに説くところのように、 *身業しんごうの礼拝、 *ごうの讃嘆、 *ごうの作願、 *ごうの観察、 *方便ほうべんごうの回向は、 往生浄土の法門に随順するからである。

【23】^また五種 (五果) の門があって、 次第に五種 (五因) の功徳を成就することを知るべきである。 何がその五門であるかというと、 一つには*近門ごんもん、 二つには*だいしゅもん、 三つには*宅門たくもん、 四つには*屋門おくもん、 五つには*園林おんりん遊戯ゆげもんである。 ^この五種の門は、 初めの四種の門ににゅうの功徳すなわち自利の徳を成就し、 第五門にしゅつの功徳すなわち利他の徳を成就するのである。

 ^入の第一門というのは、 浄土に生まれるために阿弥陀仏を礼拝することによって、 安楽世界に生まれることができる。 これを入の第一門と名づける。

 ^入の第二門というのは、 阿弥陀仏を讃嘆するのに、 名号のいわれにかなって如来のみ名を称え、 如来の智慧の相たる光明のいわれにしたがって行ずることにより、 大会衆すなわち阿弥陀如来の説法の会座につらなる大衆の数に入る。 これを入の第二門と名づける。

 ^入の第三門というのは、 一心専念にかの浄土に生まれようと願って、 散乱の心をとどめ*寂静じゃくじょう三昧ざんまいの行を修めることによって、 浄土に至って八地以上の菩薩のさとりに入ることができる。 これを入の第三門と名づける。

 ^入の第四門というのは、 専らかの浄土の不思議な荘厳を念じて観察の行を修めることにより、 浄土に往生していろいろなほうらくを受け楽しむことができる。 これを入の第四門と名づける。

 ^出の第五門というのは、 大きな慈悲をもって、 すべての苦しみ悩む衆生を見て、 それに応ずる済度の身をあらわし、 迷いの世界にかえって来て、 *神通じんずうりきをもって自在に衆生やくの事をする。 これは本願力の回向すなわち五念門中の第五門の利他回向の功徳によるからである。 これを出の第五門と名づける>。

 ^菩薩は、 五念門の中の前の四念門によって自利の行が成就する。 ^またこれらの菩薩は、 第五門の功徳によって利他回向の行が成就する。

【24】^菩薩は、 このように因の五念門の行を修めて、 浄土に至って自利利他のやくが満足し、 速やかに無上仏果を成就するのである。

【25】^三経の意味を論じた願生の偈について、 略してその義を解釈しおわる。

無量寿経優婆提舎願生偈

 

禅三昧 精神を統一し、 安定させること。
寂静三昧 禅定のこと。