0493黒谷上人語灯録巻第十三

厭欣沙門了慧集録

 

和語第二之三 当巻有四篇
 九条殿下の北政所へ進ずる御返事第九
 鎌倉の二位の禅尼へ進ずる御返事第十
 要義問答第十一
 大胡太郎へつかはす御返事第十二

 

九、 九条殿下の北政所へ進ずる御返事

九条殿下の北政所へ進ずる御返事 第九

かしこまりて申あげ候。 さては御念仏申させおはしまし候らんこそ、 よにうれしく候へ。

ま事に往生の行には、 念仏がめでたき事にて候也。 そのゆへは、 弥陀の本0494願の行なれば也。 余行は、 それ真言・止観のたかき行なりといへども、 弥陀の本願にあらず。

又念仏は、 釈迦如来の付属の行也。 余行は、 まことに定散両門のめでたき行也といへども、 釈尊これを付属し給はず。

又念仏は、 六方の諸仏の証誠の行也。 余行は、 顕密事理のやんごとなき行なりといへども、 諸仏これを証誠し給はず。 このゆへに、 様々の行おほしといへども、 往生のみちにはひとへに念仏がすぐれたる事にて候也。

しかるを往生のみちにうとき人の申すやうは、 余の真言・止観の行にたえざる、 やすきまゝのつとめにてこそ念仏はあれと申すは、 きはめたるひが事にて候也。

そのゆへは、 余行をば弥陀の本願にあらずときらひすてゝ、 又釈尊の付属にあらざる行をばえらびとゞめ、 又諸仏の証誠にあらざる行をばとゞめおさめて、 いまたゞ弥陀の本願にまかせ、 釈尊の付属により、 諸仏の証誠にしたがひて、 おろかなるわたくしのはからひをばとゞめて、 これらのゆへ、 つよき念仏の行を信じつとめて、 往生をばいのるべしと申す事にて候也。

されば恵心の僧都の ¬往生要集¼(巻中) に、 「往生の業は、 念仏を本とす」 と申たるは、 この心也。 いまはたゞ余行をとゞめ給て、 一向に念仏にならせ給ふべし。

念仏にとりても、 一向専修の念仏がめでたき事にて候也。 そのむねは三昧発得の善導和尚0495の観経疏にみえて候。

しかのみならず、 ¬双巻経¼(大経巻下) には、 「一向専念无量寿仏」 ととき給へり。 およそ一向のことばゝ、 二向・三向に対して、 ひとへに余の行をえらびすて、 きらひのぞく心也。

君達なんどの御いのりの料なんどにも、 念仏がめでたき事にて候へば、 ¬往生要集¼ に、 余行のなかにも念仏すぐれたるよしみへて候。

又伝教大師の七難消滅の法にも、 「念仏をつとむべし」(七難消滅護国頌) と見えて候。 およそ十方諸仏・三界の天衆の擁護し給ふ行にて候へば、 現世・後生の御つとめ、 何事かこれにすぎ候はん。

いまはたゞ一向専修の但念仏にならせ給ふべく候。

 

十、 鎌倉の二位の禅尼へ進ずる御返事

鎌倉の二位の禅尼へ進ずる御返事 第十

御文くはしくうけ給はり候ぬ。 さては、 念仏の功徳は仏もときつくしがたしとの給へり。 又智恵第一の舎利弗、 多聞第一の阿難も、 念仏の功徳はしりがたしとの給ひし広大善根にて候へば、 まして源空なんどは申つくすべくも候はず。

源空、 この朝にわたりて候聖教を随分にひらき見候へども、 浄土の教文は、 この朝にわたらずとかんがへ候て、 わづかに震旦よりとりわたして候聖教の心をだにも、 一年0496二年なんどには申つくすべくもおぼへ候はず。 さりながらも、 おほせかぶりて候へば、 申のべ候べし。

まづ念仏を信ぜざる人々候ひて申候なる事は、 くまがやの入道・つのとの三郎は无智のものなればこそ余行をばせさせずして、 念仏ばかりをば法然房はすゝめたれと申候なる事、 きわまりなきひが事にて候。

そのゆへは、 念仏の行は、 もとより有智・无智をえらばず。 弥陀のむかしちかひ給ひし本願は、 あまねく一切のためなり。 无智のためには念仏を願とし、 有智のためには余行を願とし給ふ事なし。

十方世界の衆生のため也、 有智・无智、 善人・悪人、 持戒・破壊、 貴も賎も、 男も女もへだてず。 もしは仏在世の衆生、 もしは仏の滅後の衆生、 もしは釈迦の末法万年のゝち三宝みなうせてのちの衆生まで、 たゞ念仏ばかりこそ現当の祈祷とはなり候はめ。

善導和尚は弥陀の化身にて、 ことに一切衆生をあはれみ給ひて、 一切の聖教をかんがへて専修念仏をすゝめ給へるも、 ひろく一切衆生のため也。 方便の時節末法にあたりて、 いまの教これ也。

されば无智の人のみにかぎらず、 ひろく弥陀の本願をたのみて、 あまねく善導の御心にしたがひて、 念仏の一門をすゝめ候はんに、 いかでか无智の人のみにかぎりて、 有智の人をへだてゝ往生させじとはし候はんや。

もししからば、 弥陀の本願にも0497そむき、 善導の御心にもかなふべからず。 しかれば、 この辺にまうできて往生のみちをたづね候には、 有智・无智を論ぜず、 ひとへに専修念仏をすゝめ候なり。

さやうに専修念仏を申しとゞめんとつかまつる人は、 さきの世に念仏三昧得道の法門をきかずして、 のちの世に又さだめて三悪道にかえるべきものゝ、 しかるべくてさやうに申候也。 そのゆへは、 聖教にひろく見えて候也。

これはすなはち、 「修行する事あるをみては毒心をおこして、 方便してきおひてあだをなす。 かくのごときの生盲闡提のともがらは、 頓教を毀滅してながく沈淪す。 大地微塵劫を超過すとも、 いまだ三塗の身をはなれん事得べからず」(法事讃巻下) とゝき給へり。

この文の心は、 浄土をねがひ念仏を行ずる人を見ては、 毒心をおこし、 ひが事をたくみめぐらして、 様々の方便をなして専修念仏の行をやぶり、 あだをなして申とゞむるに候也。 かくのごとくの人は、 むまれてより仏法のまなこしゐて、 善根のたねをうしなへる闡提人のともがらなり。 この弥陀の名号をとなへて、 ながき生死をはなれて常住の極楽に往生すべけれども、 この教法をそしりほろぼして、 このつみによりてながく三悪道にしづむ。 かくのごとくの人は、 大地微塵劫をすぐれども、 ながく三塗の身をはなれん事あるべからずという也。

しかればすなはち0498、 さやうにひが事を申さん人をば、 かへりてあはれみ給ふべき也。 さ程の罪人の申さんによりて、 専修念仏に懈怠をなし、 念仏往生にうたがひをなし不審をいたさん人は、 いふにかひなき事にこそ候はめ。

およそ弥陀に縁あさく往生時いたらぬ物は、 きけども信ぜず、 念仏のものを見てははらだち、 こゑをきゝてはいかりをなして、 あしき事也なんど申すは、 経論にも見へざる事を申す也。 御心をえさせ給ひて、 いかに申すとも御心ばかりは御変改候べからず。

あながちに信ぜざらん人をば御すゝめ候べからず。 ほとけ、 なをちからおよび給はず。 いかにいはんや、 凡夫のちからはおよぶまじく候。

かゝる不信の衆生をおもへば、 過去の父母・兄弟・親類なりとおぼしめし候て、 慈悲をおこして、 念仏申て極楽の上品上生にまいりてさとりをひらきて、 生死に返りいりて誹謗不信の人をもむかえんと、 おぼしめすべき事にて候也。 このよしを御心え候べきなり。

一 雑行の人々、 余の功徳を修せんには、 財宝をあひ助成しておぼしめすべきやうは、 これはこれ一向専修にて決定して往生すべき身也、 他人のとをきみちをわが近き道ちに結縁せさせんとおぼしめすべき也。 そのうゑに専修をさまたげ候はざらんは、 結縁せんにとがなし。

0499 人々の堂をつくり、 仏をつくり、 経をかき、 僧を供養せんをば、 よくよく心をこたらずして信をおこして、 かくのごとくの雑善根をも修せしめ給へと御すゝめ候べし。

一 この世のいのりに、 念仏の心をしらずして仏神にも申し、 経をも誦し書き、 堂をもつくらば、 それもさきのごとく候べし。 せめては又後世のためにせばこそ候はめ。 その要なしとおほせ候べからず。 専修をさふる行にもあらざりけりと、 おぼしめし候べし。

一 念仏を申す事、 様々の義候へども、 たゞ六字をとなふるばかりに一切はおさまりて候也。 心には願をたのみ、 口には名号をとなへて、 手にはかずをとり、 つねに心にかくるが、 きわめたる決定の業にて候也。 念仏の行は、 もとより行住坐臥・時処諸縁をえらばず、 身口の不浄をもきらはぬ行にて候へば、 楽行往生とは申つたへて候也。

たゞしその中にも心をきよくして申すをば、 第一の行と申候也。 たゞ浄土を心にかくれば、 心浄の行法にて候也。 かやうに御すゝめ候べし。 さやうにつねに申させ給はんをば、 とかく申すべき様候はず。 わが身もしかるべくて、 往生このたびすべしとおぼしめし候べし。 ゆめゆめこの心よくよくつよくならせ給0500べし。

一 念仏の行を信ぜぬ人にあひて論じ、 又あらぬ行の人々にむかひて執論候べか­ら½ず。 あながちに別解・異学の人々を見ては、 あなづりそしる事候まじ。 いよいよ重罪の人にもなさん事、 不便に候。

おなじ心に極楽をねがひ念仏を申さん人をば、 たとひ卑賤の人なりとも父母・師匠にもおとらずおぼしめすべし。 今生の財宝のともしからんにも、 ちからをくわへ給ふべし。

さりながらも、 すこしも念仏に心をかけ候はんをば、 よくよくすゝめ給ふべく候。 これも弥陀如来の御みやづかへとおぼしめし候べし。

釈迦如来滅後よりこのかた、 次第に小智小行にまかりなりて候。 われもわれもと智恵ありがほに申す人々は、 過にて候べし。 せめては録内の経教をだにもきかず見ず、 いかにいはんや、 録のほかの経教を見ざる人の知恵ありがほに申すは、 井のうちのかへるにゝたり。

随分に震旦・日本の聖教をとりあつめて、 ひらきかんがへて候に、 念仏を信ぜぬ人は、 さきの世に重罪をつくりて地獄にひさしくありて、 又地獄へはやく返るべき人也。 たとひ千仏世にいでゝ、 念仏はまたく往生の業にあらずとおしへ給ふとも信ずべからず。

これは釈迦如来よりはじめて、 恒河沙の仏の証誠し給へる事なればとおぼしめして、 御心ざ0501し金剛よりもかたくして、 一向専修は御変改候べからず。

もし論じ申さん人をば、 これへつかはして、 たて申さんやうをきけとおほせ候べし。 様々の要文をかきしるしてまいらすべく候へども、 たゞこれにすぎ候まじ。

又娑婆世界の人は、 余の浄土をねがはん事は、 弓なくして天の鳥をとり、 足なくしてたかき木ずゑのはなをゝらんとせんがごとし。

かならず専修念仏は現当のいのりとなり候也。 これも経の説にて候也。 又御うちの人々には九品の業を、 人にしたがひて、 はじめおわりたへ候ひぬべきやうに御すゝめ候べし。 あなかしこ、 あなかしこ。

 

十一、 要義問答

要義問答 第十一

ま事にこの身には、 道心のなき事と、 やまひばかりや、 なげきにて候らん。 世をいとなむ事なければ、 四方に馳走せず、 衣食ともにかけたりといへども、 身命をおしむ心切ならねば、 あながちにうれへとするにおよばず。 心をやすくせんためにも、 すて候べき世にこそ候めれ。

いはんや、 无常のかなしみは目のまえにみてり、 いづれの月日をかおはりの時に期せん。 さかへあるものもひさしからず、 いのちあるものも又うれへあり。 すべていとふべきは六道生死のさかひ、 ねがふべき0502は浄土菩提也。

天上にむまれてたのしみにほこるといへども、 五衰退没のくるしみあり。 人間にむまれて国王の身をうけて、 一天下をしたがふといへども、 生老病死・愛別離苦・怨憎会苦、 一事もまぬかるゝ事なし。 たとひこれらの苦なからんすら、 三悪道に返るおそれあり。 心あらん人、 いかゞいとはざるべき。

うけがたき人界の生をうけて、 あひがたき仏教にあふ。 このたび出離をもとめさせ給へ。

十一、 要義問答 一

問。 おほかた、 さこそおもふ事にて候へども、 かやうにおほせらるゝことばにつきて、 左右なく出家をしたりとも、 心に名利をはなれたる事もなく、 无道心にて人に謗をなされん事、 いかゞとおぼへ候。 在家にありておほくの輪廻の業をまさんよりは、 よき事にてや候べき。

答。 たわぶれにあまのころもをき、 酒にゑひて出家をしたる人、 みな仏道の因となりきと、 旧き物にもかきつたへられて候。

¬往生十因¼ と申す文には、 「勝如聖人の父母ともに出家せし時、 おとこはとし四十一、 妻は三十三なり。 修行の僧をもて師としき。 師ほめていはく、 衰老にもいたらず、 病患にものぞまず、 いま出家をもとむ、 これ最上の善根也」 とこそはいひけれ。

釈迦如来、 当来導師の慈尊に付属し給ふにも、 「破戒・重悪のともがら0503なりといふとも、 頭をそり、 衣をそめ、 袈裟をかけたらんものをば、 みななんぢにつく」 とこそはおほせられて候へ。

されば破戒なりといへども、 三会得脱なをたのみあり。 ある経の文には、 「在家の持戒には、 出家の破戒はすぐれたり」 とこそは申て候へ。

まことに仏法流布の世にむまれて、 出離の道をしりて、 解脱幢相の衣をかたにかけ、 釈氏につらなりて、 仏法修行せざらんは、 まことにたからの山に入りて、 手をむなしくして返るためし也。

十一、 要義問答 二

問。 まことに出家なんどしては、 さすがに生死をはなれ、 菩提にいたらん事をこそは、 いとなみ候へ。 いかやうにかつとめ、 いかやうにかねがひ候べき。

答。 ¬安楽集¼(巻上意) にいはく、 「大乗聖教によるに、 二種の勝法あり。 一には聖道、 二には往生浄土也」。

穢土のなかにして、 やがて仏果をもとむるは、 みな聖道門也。 諸法の実相を観じて証をえんとし、 法華三昧を行じて六根清浄をもとめ、 三密の行法をこらして即身に成仏せんとおもひ、 あるいは四道果をもとめ、 又三明六通をねがふ、 これみな難行道也。

往生浄土門といふは、 まづ浄土へむまれて、 かしこにてさとりをもひらき、 仏にもならんとおもう也、 これは易行道といふ。 生死をはなるゝみちおほし、 いづれよりもいらせ給へ。

0504十一、 要義問答 三

問。 これはわれらがごときのおろかなるものは、 浄土の往生をねがひ候べきか、 いかん。

答。 ¬安楽集¼(巻上意) にいはく、 「聖道の一種は、 いまの時には証しがたし。 一には大聖をさる事はるかにとをきによる。 二には理はふかくして、 さとりはすくなきによる。 このゆへに ¬大集月蔵経¼ にいはく、 わが末法の時の中の億々の衆生、 行をおこし道を修するに、 いまだ一人もうる物はあらず。

まさにいま末法五濁悪世也。 たゞ浄土の一門のみありて通入すべきみち也。 こゝをもて諸仏の大悲、 浄土に帰せよとすゝめ給ふ。 一形悪をつくれども、 たゞよく心をかけて、 ま事をもはらにして、 つねによく念仏せよ。 一切のもろもろのさはり、 自然にのぞこりて、 さだめて往生をう。 なんぞ思ひはからずして、 さる心なきや」 といへり。

永観のいはく、 「真言・止観は、 理ふかくしてさとりがたく、 三論・法相は、 道かすかにしてまどひやすし」(往生拾因) なんど候。

まことに観念にもたへず、 行法にもいたらざらん人は、 浄土の往生をとげて、 一切の法門をもやすくさとらせ給はんは、 よく候ひなんとおぼへ候。

十一、 要義問答 四

十方に浄土おほし、 いづれをかねがひ候べき。 兜率の往生をねがふ人もおほく候、 いかゞ思ひさだめ候べき。

答。 天臺大師 (輔行巻二) のゝ給はく、 「諸教所讃多在弥0505陀故、 以西方而為一順」 と。 又顕密の教法の中に、 もはら極楽をすゝむる事、 称計すべからず。

恵心の ¬往生要集¼ に、 十方に対して西方をすゝめ、 兜率に対しておほくの勝劣をたて、 難易相違の証拠どもをひけり、 たづね御らんぜさせ給へ。

極楽この土に縁ふかし、 弥陀は有縁の教主也。 宿因のゆへ、 本願のゆへ、 たゞ西方をねがはせ給ふべきとぞおぼえ候。

十一、 要義問答 五

まことにさては、 ひとすぢに極楽をねがふべきにこそ候なれ、 極楽をねがはんには、 いづれの行かすぐれて候べき。

答。 善導釈しての給はく、 「行に二種あり。 一には正行、 二には雑行。 正の中に五種あり。 一には礼拝の正行、 二には讃嘆供養の正行、 三には読誦の正行、 四には称名の正行、 五には観察の正行也。

一に礼拝の正行といは、 礼せんには、 すなはちかのほとけを礼して余礼をまじへざれ。

二に讃嘆供養の正行といは、 讃嘆せんには、 すなはちかのほとけを讃嘆供養して余の讃嘆をまじへざれ。

三に読誦の正行といは、 読誦せんには、 ¬弥陀経¼ 等の 「三部経」 を読誦して余の読誦をまじへざれ。

四に称名の正行といは称せんには、 すなはちかのほとけを称して余の称名をまじへざれ。

五に観察の正行といは、 憶念観察せんには、 かの土の二報荘厳等を観察して余の観察をまじへざれ。

この五0506種を往生の正行とす。この正行の中に又二あり。 一には正、 二には助也。 称名をもては正とし、 礼誦等をもては助業となづく。 この正助二行をのぞきて、 自余の修善はみな雑行となづく」(散善義意)

又釈していはく、 「自余の衆善は、 みな善となづくといへども、 念仏にたくらぶれば、 またく比挍にあらず」(定善義) との給へり。

浄土をねがはせ給はゞ、 一向に念仏をこそは申させ給はめ。

十一、 要義問答 六

問。 余行を修して往生せん事は、 かなひ候まじや。 されども ¬法華経¼(巻六薬王品) に 「即往安楽世界阿弥陀仏所」 といひ、 密教の中にも、 決定往生の真言あり。 諸教の中に、 浄土に往生すべき功力をとけり、 又穢土の中にして仏果にいたるといふ。

かたき徳をだに具せらん教を修行して、 やすき往生極楽に廻向せば、 仏果にかなふまでこそかたくとも、 往生はやすく候べきとこそおぼへ候へ。 又おのづから聴聞なんどにうけ給はるにも、 法華・念仏ひとつ物と釈せられ候。 ならべて修せんに、 なにかくるしく候べき。

答。 ¬双巻経¼(大経巻下) に三輩往生の業をときて、 ともに 「一向専念无量壽仏」 との給へり。

¬観无量寿経¼ に、 もろもろの往生の行をあつめてとき給に、 おはりに阿難に付属し給ふところには、 「なんぢこの語をたもて。 このことばをたもてといふは、 无量寿仏の名をたもつ也」 とゝき給ふ。

善導 ¬観経0507¼ を釈しての給ふに、 「定散両門の益をとくといへども、 仏の本願にのぞむれば、 一向にもはら弥陀の名号を称せしむるにあり」(散善義) といふ。

おなじき ¬経¼(観経) の文に、 「一々の光明は、 十方世界の念仏の衆生をてらして、 摂取してすて給はず」 とゝけり。

善導釈しての給はく、 「余の雑業のものをてらし摂取すといふ事をば論ぜず」(観念法門) と候。

余行のものはふつとむまれずといふにあらず、 善導も 「廻向してむまるべしといへども、 もろもろの疎雑の行となづく」(散善義) とこそはおほせられたれ。

¬往生要集¼(巻上) の序にも、 「顕密の教法、 その文ひとつにあらず。 事理の業因、 その行これおほし。 利智精進の人は、 いまだかたしとせず。 豫がごときの頑魯の物、 あにたやすからんや。 このゆへに、 念仏の一門によりて、 経論の要文をあつむ。 これをひらき、 これを修するに、 さとりやすく行じやすし」 といふ。

これらの証拠をあきらめつべし。 教をえらぶにはあらず、 機をはからふ也。 わがちからにて生死をはなれん事、 はげみがたくして、 ひとへに他力の弥陀の本願をたのむ也。

先徳たちおもひはからひてこそは、 道綽は聖道をすてゝ浄土の門にいり、 善導は雑行をとゞめて一向に念仏して三昧をえ給ひき。 浄土宗の祖師、 次第にあひつげり、 わづかに一両をあぐ。

この朝にも恵心・永観なんどいふ、 自宗0508・他宗、 ひとへに念仏の一門をすゝめ給へり。

専雑二修の義、 はじめて申におよばず。 浄土宗の文おほし、 こまかに御らんずべし。

又即身得道の行、 往生極楽におよばざらんやと候は、 ま事にいはれたるやうに候へども、 なにとも宗と申す事の候ぞかし。

善導の ¬観経の疏¼(玄義分意) にいはく、 「般若経のごときは、 空恵をもて宗とす。 ¬維摩経¼ のごときは、 不思議解脱をもて宗とす。 いまこの ¬観経¼ は、 観仏三昧をもて宗とし、 念仏三昧をもて宗とす」 といふがごとき。

¬法華¼ は、 真如実相平等の妙理を観じて証をとる、 現身に五品・六根の位にもかなふ、 これらをもて宗とす。 又真言には、 即身成仏をもて宗とす。

¬法華¼ にもおほくの功力をあげて経をほむるついでに、 「即往安楽」(法華経巻六薬王品) ともいひ、 又 「即往兜率天上」(法華経巻七勧発品) ともいふ。 これは便宜の説也、 往生をむねとするにはあらず。 真言又かくのごとし。

法華・念仏一つなりといひて、 ならべて修せよといはば、 善導和尚は ¬法華¼・¬維摩¼ 等を誦しき。 浄土の一門にいりにしよりこのかた、 一向に念仏して、 あえて世の行をまじふる事なかりき。

しかのみならず、 浄土宗の祖師あひついで、 みな一向に名号を称して余業をまじへざれとすゝむ。 これらを案じて専修の一行にいらせ給へと申すなり。

0509十一、 要義問答 七

問。 浄土の法門に、 まづなになにをみて心つき候なん。

答。 経には ¬双巻¼・¬観无量寿¼・¬小阿弥陀経¼ 等、 これを 「浄土三部経」 となづく。 文には善導の ¬観経の疏¼・¬六時礼讃¼・¬観念法門¼、 道綽の ¬安楽集¼、 慈恩の ¬西方要決¼、 懐感の ¬群疑論¼、 天臺の ¬十疑論¼、 わが朝の人師には恵心の ¬往生要集¼ なんどこそは、 つねに人の見るものにて候へ。

たゞしなにを御らんぜずとも、 よく御心えて念仏申させ給ひなんに、 往生なに事かうたがひ候べき。

十一、 要義問答 八

問。 心をば、 いかやうにかつかひ候べき。

答。 三心を具足させ給へ。 その三心と申すは、 一には至誠心、 二には深心、 三には廻向発願心なり。

一に至誠心といふは、 真実の心也。 善導釈しての給はく、 「至といふは真の義、 誠といふは実の義。 真実の心の中に、 この自他の依正二報をいとひすてゝ、 三業に修するところの行業に、 かならず真実をもちゐよ。 ほかに賢善精進の相を現じて、 内に虚仮をいだく物は、 日夜十二時につとめおこなふ事、 かうべの火をはらふがごとくにすれども、 往生をえずといふ。 たゞ内外明闇をえらばず、 真実をもちゐるゆへに、 至誠心となづく。

二に深心といふは、 ふかき信也。 決定してふかく信ぜよ、 自身は現にこれ罪悪生死の凡夫也。 広劫よりこのかた、 つねにしづみつねに流転して、 出0510離の縁ある事なし。

又決定してふかく信ぜよ、 このあみだほとけ、 四十八願をもて、 衆生を摂受して、 うたがひなくうらもひなく、 かの願力にのりてさだめて往生すと。

あふぎねがはくは、 ほとけのことばをば信ぜよ。 もし一切の智者百千万人きたりて、 経論の証をひきて、 一切の凡夫念仏して往生する事をえずといはんに、 一念の疑退の心をおこすべからず。 たゞこたへていふべし、 なんぢがひくところの経論信ぜざるにはあらず。 なんぢが信ずるところの経論は、 なんぢが有縁の教、 わが信ずるところは、 わが有縁の教、 いまひくところの経論は、 菩薩・人・天等に通じてとけり。

この ¬観経¼ 等の三部は、 濁悪不善の凡夫のためにとき給ふ。 しかれば、 かの ¬経¼ をとき給ふ時には、 対機も別に、 所ろも別に、 利益も別なりき。 いまきみ­が½うたがひをきくに、 いよいよ信心を増長す。

もし羅漢・辟支仏、 初地・十地の菩薩、 十方にみち、 化仏・報仏ひかりをかゞやかし、 虚空にしたをはきて、 むまれずとの給はゞ、 又こたへていふべし、 一仏の説は一切仏の説におなじ、 釈迦如来のとき給ふ教をあらためば、 制し給ふところの殺生重悪等のつみをあらためて、 又おかすべしや。

さきのほとけそら事し給はゞ、 のちのほとけも又そら事し給ふべし。 おなじ事ならば、 たゞしそめたる法をば、 あらため0511じといひて、 ながく退する事なかれ。 かるがゆへに深心也。

三に廻向発願心といふは、 一切の善根をことごとくみな廻向して、 往生極楽のためとす。 決定真実の心のうちに廻向して、 むまるゝおもひをなすなり。 この心深信なる事、 金剛のごとくにして、 一切の異見・異学・別行人等に、 動乱破壊せられざれ。

いまさらに行者のために一つのたとへをときて、 外邪・異見の難をふせがん。 人ありて西にむかひて百里・千里をゆくに、 忽然として中路に二つの河あり。 一つはこれ火のかわ、 みなみにあり。 二つにはこれ水のかわ、 きたにあり。 おのおのひろさ百歩、 ふかくしてそこなし。

まさに水火の中間に一つの白き道あり、 ひろさ四五寸ばかりなるべし。 このみちひんがしのきしより西の岸にいたるまで、 ながさ百歩、 そのみづの波浪交過して道をうるをす、 火焔又きたりて道をやく。 水火あひまじはりてつねにやむ事なし。

この人すでに空嚝のはるかなるところにいたるに、 人なくして群賊・悪獣あり。 この人のひとりゆくを見て、 きをひきたりてころさんとす。 この人死をおそれてたゞちにはしりて西にむかふ。

忽然としてこの大河を見るに、 すなはち念言すらく、 南北にほとりなし、 中間に一つの白道を見る、 きわめて狭少也。 二つの岸あいさる事ちかしといへども、 いかゞゆくべき。 今日さだめ0512て死せん事うたがひなし。

まさしく返らんとおもへば、 群賊・悪獣やうやくきたりてせむ。 南北にさりはしらんとおもへば、 悪獣・毒虫きおひきたりてわれにむかふ。 まさに西にむかひて道をたづねて、 しかもさらんとおもへば、 おそらくはこの二つの河におちぬべし。

この時おそるゝ事いふべからず、 すなはち思念すらく、 返るとも死し、 又さるとも死せん、 一種としても死をまぬかれざるもの也。 われむしろこのみちをたづねて、 さきにむかひてさらん。 すでにこのみちあり、 かならずわたるべし。

このおもひをなす時に、 東の岸にたちまちに人のすゝむるこゑをきく。 きみ決定してこのみちをたづねてゆけ、 かならず死の難なけん。 住せば、 すなはち死なん。 西の岸のうゑに人ありてよばひていはく、 なんぢ一心にまさしく念じて、 みちをたづねて直にすゝみて、 疑怯退心をなさゞれと。

あるいは一分二分ゆくに、 群賊等よばひていはく、 きみ返りきたれ、 かのみちははげしくあしきみち也、 すぐる事をうべからず、 死なん事うたがひなし、 われらが衆は悪心なしと。

この人、 よばふこゑをきくといへどもかえりみず。 直にすゝみて道を念じてしかもゆくに、 須臾にすなはち西の岸にいたりて、 ながくもろもろの難をはなる。 善友あひむかひてよろこびやむ事なし。

これはたとへ也。 次にたとへを0513合すといふは、 東の岸といふは、 すなはちこの娑婆の火宅にたとふる也。

群賊・悪獣いつはりちかづくといふは、 すなはち衆生の六根・六識・六塵・五陰・四大也。

人なき空迥の沢といふは、 すなはち悪友にしたがひて、 まことの善知識にあはざる也。

水火の二河といふは、 すなはち衆生の貪愛は水のごとく、 瞋恚は火のごとくなるにたとふる也。

中間の白道四五寸といふは、 衆生の貪瞋煩悩の中に、 よく清浄の願往生の心をなす也。 貪瞋こわきによるがゆへに、 すなはち水火のごとしとたとふる也。 願心すくなきがゆへに、 白道のごとしとたとふる也。

水波つねにみちをうるおすといふは、 愛心つねにおこりて善信を染汚する也。 又火焔つねに道をやくといふは、 瞋嫌の心よく功徳の法財をやく也。

人みちをのぼるに直に西にむかふといふは、 すなはちもろもろの行業をめぐらして、 直に西にむかふにたとふる也。

東の岸に人のこゑのすゝめやるをきゝて、 道をたづねて直に西にすゝむといふは、 すなはち釈迦はすでに滅し給ひてのち、 人見たてまつらざれども、 なを教法ありてたづねつべし。 これをこゑのごとしとたとふる也。

あるいはゆく事一分二分するに群賊等よび返すといふは、 別解・別行・悪見人等みだりに見解をときてあひ惑乱し、 およびみづから罪をつくりて退失するにたとふる也0514

西の岸のうゑに人ありてよばふといふは、 すなはち弥陀の願の心にたとふる也。

須臾ににすなはちにしのきしにいたりて善友あひ見てよろこぶといふは、 すなはち衆生ひさしく生死にしづみて、 曠劫に輪廻し、 迷到し、 みづからまどひて解脱するによしなし。

あふぎて釈迦発遣して、 西方にむかはしめ給ふ。 弥陀の悲心まねきよばひ給ふによりて、 二尊の心に信順して、 水火の二河をかへりみず、 念々にわするゝ事なく、 かの願力の道に乗じて、 いのちをすておはりてのち、 かのくににむまるゝ事をえて、 ほとけを見たてまつりて、 慶喜する事きはまりなからん。

行者、 行住坐臥の三業に修するところ、 昼夜時節を問ことなく、 つねにこのさとりをなし、 このおもひをなすがゆへに廻向発願心といふ。

又廻向といふは、 かのくにゝむまれおはりて、 大悲をおこして生死に返りいりて、 衆生を教化するを廻向となづく。

三心すでに具すれば、 行として成ぜずといふ事なし。 願行すでに成じて、 もしむまれずといはゞ、 このことはりある事なけん」(散善義意) ­と。½ 已上善導の釈の文なり。

十一、 要義問答 九

問。 ¬阿弥陀経¼ の中に、 「一心不乱」 と候ぞかしな。 これ阿弥陀仏を申さん時、 余事をすこしもおもひまぜ候まじきにや。 一こゑ念仏申さん程、 物をおもひまぜざら0515ん事はやすく候へば、 一念往生にもるゝ人候へじとおぼへ候。 又いのちのおはるを期として、 余念なからん事は、 凡夫の往生すべき事にても候はず。 この義いかゞ心え候べき。

答。 善導この事を釈しての給はく、 ひとたび三心を具足してのち、 みだれやぶれざる事金剛のごとくにて、 いのちおはるを期とするを、 なづけて一心といふに候。

阿弥陀仏の本願の文に、 「設我得仏、 十方衆生、 至心信楽、 欲生我国、 乃至十念、 若不生者、 不取正覚」(大経巻上) といふ。 この文に 「至心」 といふは、 ¬観経¼ にあかすところの三心の中の至誠心にあたれり。 「信楽」 といふは、 深心にあたれり。 「欲生我国」 は、 廻向発願心にあたれり。 これをふさねて、 いのちおはるを期として、 みだれぬものを一心とは申す也。

この心を具せんもの、 もしは一日・二日、 乃至十声・一声に、 かならず往生する事をうといふ。 いかでか凡夫の心に、 散乱なき事候べき。 さればこそ易行道とは申す事にて候へ。

¬双巻経¼(大経巻下) の文には、 「横截五悪趣、 悪趣自然閉、 昇道无窮極、 易往而无人」 とゝけり。 ま事にゆきやすき事、 これにすぎたるや候べき。

劫をつみてむまるといはゞ、 いのちもみじかく、 身もたへざらん人、 いかゞとおもふべきに、 本願に 「乃至十念」(大経巻上) といふ、 願成就の文に 「乃至一念もかのほとけを念じて、 心をいたして廻向す0516れば、 すなはちかの国にむまるゝ事をう」(大経巻下意) といふ。

造悪のものむまれずといはゞ、 ¬観経¼ の文に、 「五逆の罪人むまる」 とゝく。

もし世もくだり、 人の心もおろかなる時は、 信心うすくしてむまれがたしといはゞ、 ¬双巻経¼(大経巻下) の文に、 「当来之世経道滅尽、 我以慈悲哀愍、 特留此経止住百歳。 其有衆生値此経者、 随意所願皆可得度。

その時の衆生は三宝の名をきく事なし、 もろもろの聖教は竜宮にかくれて一巻もとゞまる物なし。 たゞ邪悪无信のさかりなる衆生のみあり、 みな悪道におちぬべし。 弥陀の本願をもて、 釈迦の大悲ふかきがゆへに、 この教をとゞめ給へる事百年也。 いはんや、 このごろはこれ末法のはじめ也。 万年のゝちの衆生におとらんや。 かるがゆへに 「易往」 といふ。

しかりといへども、 この教にあふ物はかたし。 又おのづからきくといへども、 信ずる事かたきがゆへに、 しかも 「无人」 といふ、 ま事にことはりなるべし。

¬阿弥陀経¼(意) に、 「もしは一日、 もしは二日、 乃至七日、 名号を執持して一心不乱なれば、 その人命終の時に、 阿弥陀仏もろもろの聖衆と現にその人のまえにまします。 おはる時、 心顛倒せずして、 阿弥陀仏の極楽世界に往生する事をう」 といふ。

この事をとき給ふ時に、 釈迦一仏の所説を信ぜざらん事をおそれて、 「六方の如来、 同心同時におのおの0517広長の舌相をいだして、 あまねく三千大千世界におほひて、 もしこの事そら事ならば、 わがいだすところの広長の舌やぶれたゞれて、 口にいる事あらじ」(観念法門) とちかひ給ひき。

経文・釈文あらは也。 又大事を成し給ひし時は、 みな証明ありき。 法華をとき給ひし時は、 多宝一仏証明し、 般若をとき給ひし時は、 四方四仏証明し給ふ。 しかりといへども、 一日七日の念仏のごとく証誠のさかりなる事はなし。 ほとけもこの事をま事に大事におぼしめしたるにこそ候めれ。

十一、 要義問答 十

問。 信心のやうはうけ給はりぬ、 行の次第いかゞ候べき。

答。 四修をこそは本とする事にて候へ。 一には長時修、 乃至四には无余修也。

一に長時修といふは、 慈恩の ¬西方要決¼(意) にいはく、 「初発心よりこのかた、 つねに退転なき也」。 善導は、 「いのちのおはるを期として、 誓て中止せざれ」(礼讃) といふ。

二に恭敬修といは、 極楽の仏法僧宝において、 つねに憶念して尊重をなす也。 ¬往生要集¼ にあり。

又 ¬要訣¼(西方要決意) にいはく、 「恭敬修、 これにつきて五あり。 一には有縁の聖人をうやまふ。 二には有縁の聖教をうやまふ。 三には有縁の善知識をうやまふ。 四には同縁の伴をうやまふ。 五には三宝をうやまふ。

一に有縁の聖人をうやまふといふは、 行住坐臥に西方をそむかず、 涕唾便利に西方にむかはざれといふ。

二に有縁0518の像と教とをうやまふといふは、 阿弥陀仏の像をつくりもかきもせよ。 ひろくする事あたはずは、 一仏二菩薩をつくれ。 又教をうやまふといふは、 ¬弥陀経¼ 等を五色のふくろにいれて、 みづからもよみ他をおしへてもよませよ。 像と経と室のうちに安置して、 六時に礼讃し、 香花を供養すべし。

三に有縁の善知識をうやまふといふは、 浄土の教をのべんものをば、 もしは千由旬よりこのかた、 ならびに敬重し親近・供養すべし。 別学のものをも総じてうやまふ心をおこすべし。 もし憍慢をなさば、 罪をうる事きわまりなし。 すゝみても衆生のために善知識となりて、 かならず西方に帰するをもちゐよ。 この火宅に住せば、 退没ありていでがたきがゆへ也。 火界の修道はなはだかたかるべきがゆへに、 西方に帰せしむ。 ひとたび往生をえつれば、 三学自然に勝進して、 万行ならびにそなはるがゆへに、 弥陀の浄国は造罪の地なし。

四に同縁のともをうやまふといふは、 おなじく業を修する物也。 みづからはさはりおもくして独業成ぜずといへども、 かならずよきともによりて、 まさに行をなす。 あやうきをたすけ、 あやうきをすくふ事、 同伴の善縁也。 ふかくあひたのみておもくすべし。

五に三宝をうやまふといふは、 絵像・木仏、 三乗の教旨、 聖僧・破戒のともがらまでうやまひをおこし、 慢を0519生ずる事なかれ。 木のかたぶきたるは、 たうるゝに、 まがれるによるがごとし。 事のさはりありて、 西にむかふにおよばずは、 たゞ西にむかふおもひをなすべし」。

三に无間修といふは、 ¬要訣¼(西方要決意) にいはく、 「つねに念仏して往生の心をなせ。 一切の時において、 心につねにおもひたくむべし。 たとへばもし人他に抄掠せられて、 身下賎となりて艱辛をうく。 たちまちに父母をおもひて、 本国にはしり返らんと思ふ。 ゆくべきはかり事、 いまだわきまへずして他郷にあり、 日夜に思惟する。 くるしみたへしのぶべからず、 時として本国をおもはずといふ事なし。 はかり事をなす事をえて、 すでに返りて達する事をえて、 父母に親近し、 ほしきまゝに歓娯するがごとし。 行者も又しか也。 往因の煩悩に善心を壊乱せられて、 福智の珍財ならびに散失して、 ひさしく生死にしづみて、 六道に駆馳し、 くるしみ身心をせむ。 いま善縁にあひて、 弥陀の慈父をきゝて、 まさに仏恩を念じて、 報尽を期として、 心につねにおもふべし。 心々相続して余業をまじへざれ」。

四に无余修といふは、 ¬要訣¼(西方要決) にいはく、 「もはら極楽をもとめて礼念する也。 諸余の行業を雑起せざれ。 所作の業は日別に念仏すべし」。 善導のゝ給はく、 「もはらかのほとけの名号を念じ、 もはらかのほとけおよびかの土の一切の聖衆等をほ0520めて、 余業をまじへざれ。 専修のものは百はすなはち百ながらむまれ、 雑修のものは百が中にわづかに一二也。 雑縁にちかづきぬれば、 みづからもさへ、 他の往生の正行をもさふる也。 われみづから諸方を見きくに、 道俗の解行不同にして、 専雑こと也。 たゞ心をもはらになすは、 十は十ながらむまる。 雑修のものは、 千が中に一つもえず」(礼讃意) といふ。

又善導の御弟子釈しての給はく、 「西方浄土の業を修せんとおもはん物は、 四修おつる事なく、 三業まじわる事なくして、 一切の諸願・諸行を廃して、 たゞ西方の一行・一願を修せよ」(群疑論巻四意) とこそ候へ。

十一、 要義問答 十一

問。 一切の善根は魔王のためにさまたげらる。 これはいかゞして退治し候べき。

答。 魔界といふ物は、 衆生をたぶろかす物也。 一切の行業は、 自力をたのむゆへ也。 念仏の行者は、 身をば罪悪生死の凡夫とおもへば、 自力をたのむ事なくして、 たゞ弥陀の願力にのりて往生せんとねがふに、 魔縁たよりをうる事なし。

観恵をこらす人にも、 なを九境の魔事ありといふ。 弥陀の一事には、 もとより魔事なし、 果人清浄なるがゆへにといへり。 仏をたぶろかす魔縁なければ、 念仏のものをばさまたぐべからず、 他力をたのむによるがゆへ也。 百丈の石を船におきつれば、 万0521里の大海をすぐるがごとし。

又念仏の行者のまへには、 弥陀・観音つねにきたり給ふ。 二十五の菩薩、 百重千重に囲繞護念し給ふに、 たよりをうべからず。

十一、 要義問答 十二

問。 阿弥陀仏を念ずるに、 いかばかりのつみをか滅し候。

答。 「一念によく八十億劫の生死の罪を滅す」(観経意) といひ、 又 「但聞仏名二菩薩名、 除无量劫生死之罪」(観経) なんど申候ぞかし。

十一、 要義問答 十三

問。 念仏と申候は、 仏の色相を念じ候か。

答。 仏の色相・光明を念ずるは、 観仏三昧なり。 報身を念じ同体の仏性を観ずるは、 智あさく心すくなきわれらは境界にあらず。

善導の給はく、 「相を観ぜずして、 たゞ名字を称せよ。 衆生さはりおもくして、 観成ずる事かたし。 このゆへに大聖あはれみをたれて、 称名をもはらにすゝめ給へり。 心かすかにして、 たましゐ十方にとびちるがゆへ也」(礼讃意) といへり。

又本願の文を、 善導釈しての給はく、 「若我成仏、 十方衆生願生我国、 称我名号、 下至十声、 乗我願力、 若不生者不取正覚。 彼仏今現在世成仏。 当知、 本誓重願不虚、 衆生称念必得往生」(礼讃) とおほせられて候。

とくとく安楽浄土に往生せさせおはしまして、 弥陀・観音を師として、 法華の真如実相平等の妙理、 般若の第一義空、 真言の即身成仏、 心のまゝにさとrせおはしますべし 云云

 

0522十二、 大胡太郎へつかはす御返事

大胡太郎へつかはす御返事 第十二

さきの便にはさしあふ事候て、 御返事こまかに申さず候き、 さだめて不信のおぼしめし候らんと思給候。

さてはたづねおほせられ候し事ども、 御文なんどにて、 たやすく申ひらきがたき事にて候。 あはれ京にひ­さ½しく御逗留候し時、 こまかに御沙汰候ましかばよく候ひなまし。

大方は念仏して往生すと申事ばかり、 わづかにうけ給はりて候。 わが心一つにふかく信じたるばかりにてこそ候へども、 人までつばひらかに申きかせなんどする程の身にて候はねば、 ましてたちいりたる事どもの不審なんど、 御文にて申ひらくべしともおぼへ候はねども、 わづかに見および候はん程の事を、 はゞかりまいらせて、 ともかくも御返事申候はざらん事のおそれにて候へば、 心のおよぶ程は、 かたのごとく申候はんと存じ候也。

まづ三心具足して往生すと申候事は、 ま事にその名目ばかりをうちきく時には、 いかなる心を申やらんと、 事々しくおぼへ候ひぬべけれども、 善導の御心にては、 心えや­す½き事にて候也。 かならずしもならひ沙汰せざらん无智の人や、 さとりなからん女人なんどの、 え具せぬ程の心ばへにては候はぬ也。 たゞまめやかに往生0523せんとおもひて念仏申さん人は、 自然に具足しぬべき心にて候物を。

そのゆへは、 三心と申すは、 ¬観无量寿経¼ にとかれて候やうは、 「もし衆生ありて、 かのくにゝっまれんとねがはんものは、 三種の心をおこしてすなはち往生すべし。 何等をか三とする。 一には至誠心、 二には深心、 三には廻向発願心也。 この三心を具するものは、 かならずかのくにゝむまる」 とゝかれたり。

しかるに善導和尚の御心によらば、 はじめに 「至誠心」 といふは真実の心也。 真実といふは、 いはく内はむなしくして、 外をかざる心のなきを申也。 すなはち ¬観経疏¼(散善義) に釈していはく、 「外には賢善精進の相を現じ、 内には虚仮をいだく事をえざれ」 といへり。

この釈の心は、 内はおろかにして、 外にはかしこき人とおもはれんとふるまひ、 内には悪をつくり、 外には善人のよしをしめし、 内には懈怠の心を懐きて、 外には精進の相を現ずるを、 真実ならぬ心とは申也。 外も内もありのまゝにてかざる心のなきを、 至誠心となづくるにこそ候めれ。

二に 「深心」 といふは、 すなはちこれ深く信ずる心也。 何事をふかく信ずるぞといふに、 まづもろもろの煩悩を具足し、 おほくのつみをつくりて、 余の善根なんどなからん凡夫、 あみだほとけの大悲本願をあふぎて、 そのほとけの大悲の名号をと0524なへて、 もしは百年にても、 もしは四、 五十年にても、 もしは十、 二十年にても、 乃至一、 二年にてもあれ、 すべて往生せんとおもひはじめたらん時よりして、 最後臨終の時にいたるまで懈怠せず。 もしは七日・一日、 十声・一声にても、 おほくもすくなくも、 称名念仏の人は決定して往生すべしと信じて、 乃至一念もうたがふ心なきを、 深心とは申也。

しかるのもろもろの往生をねがふ人、 本願の名号をたもちながら、 なを内に妄念のおこるをおそれ、 外に余善のすくなきによりても、 ひとへにわが身をかろしめて往生を不定におもはゞ、 すでに本願をうたがふ也。

されば善導は、 はるかに未来の行者のこのうたがひをのこさん事をかゞみて、 その疑心をのぞきて決定の心をすゝめんがために、 煩悩を具足して罪業をつくり、 善根すくなく智解なからん凡夫、 十声・一声までの念仏によりて、 決定して往生すべきことはりを、 くはしく釈しおしへ給へる也。

たとひおほくのほとけ、 空の中に充満ちて、 光をはなち舌をのべて、 造罪の凡夫、 念仏して往生すといふ事はひが事なり、 信ずべからずとの給ふとも、 それによりて一念もおどろきうたがふ心あるべからず。

そのゆへは、 阿弥陀ほとけいまだ仏になり給はざりしむかし、 もし我仏になりたらん時、 十方の衆生わが名号を十たびとなへ、 一こゑもとな0525へむ。 となふる事、 かみ百年よりしも十声・一声までにせんに、 もしわがくにゝむまれずといはゞ、 われほとけにならじとちかひ給ひたりしに、 その願むなしからずして、 ほとけになりてすでにひさしくなり給へり。 知るべし、 その名号をとなへむ人は、 かならず往生すべしといふ事を。

又釈迦ほとけ、 この娑婆世界にいで給ひて、 一切衆生のために、 かの弥陀の本願をときて、 念仏往生をすゝめ給へり。

又六方恒沙の諸仏、 おのおの広長の舌をいだして、 釈迦の念仏して往生すとゝき給ふは決定也。 もろもろの衆生、 ふかく信じてすこしもうたがふ心あるべからずと、 爾許のほとけたちの一仏ものこらず一味同心に証誠し給へり。

すで­に½阿弥陀ほとけは、 その願を立給ふ。 釈迦ほとけは、 その願のむなしからざる事をときすゝめ給ふ。 六方恒沙の諸仏は、 その説の真実なる事を証誠し給へり。

このほかいづれのほとけの、 又これらの諸仏にたがひて、 凡夫念仏して往生せずとはの給ふべきぞといふことはりをもて、 おほくのほとけ現じての給ふとも、 それにおどろきて、 さては念仏往生かなふまじきかと、 信心をやぶり疑心をおこすべからず。 いはんや、 菩薩たちのの給はんをや。 いはんや、 羅漢・辟支仏等をやと、 釈し給ひて候也。

いかにいはんや、 近来の凡夫のいひさまたげんをや。 いか0526にめでたき人と申すとも、 善導和尚にまさりたてまつりて往生の道をしりたらん事もありがたく候。

善導は又たゞの凡夫にはあらず、 すなはち阿弥陀仏の化身也。 かのほとけ、 わが本願をひろめて、 あまねく一切衆生にしらしめて、 決定して往生せさせん料に、 かりそめに凡夫の人とむまれて善導和尚といはれ給ふ也。 いはばその教は仏説にてこそ候へ。

いかにいはんや、 垂迹のかたにても現身に念仏三昧をえて、 まのあたり浄土の荘厳を見、 仏にむかひたてまつりて、 たゞちにほとけのおしへをうけ給はりての給へる詞共也。 本地をおもふにも垂迹をたづぬるにも、 かたがたあふいで信ずべし。

されば、 たれもたれも煩悩のこきうすきをかへりみず、 罪障のかろきおもきをも沙汰せず、 たゞ口に南無阿弥陀仏ととなへむ­こ½ゑにつきて、 決定往生のおもひをなすべし。 その決定の心を、 やがて深心とはなづくる也。 その深心を具しぬれば、 決定して往生する也。

詮ずるところは、 とにもかくにも深心、 念仏して往生すといふ事をふかく信じてうたがはぬを、 深心とはなづけて候なり。

三に 「廻向発願心」 といふは、 これ又別の心には候はず、 わが所修の行業を、 一向に極楽に廻向して往生をねがふ心也。

「かくのごときの三心を具してかならず往生0527すべし。 この心一つもかけぬれば、 往生せず」(礼讃意) と、 善導は釈し給へる也。

たとひ真実の心ありて、 うゑをかざらずとも、 ほとけの本願をうたがはゞ、 すでに深心かけたる念仏也。 たとひ疑心なくともほかをかざりて、 内にま事の心なくは、 至誠心かけたる­心½なるべし。 たとひこの二心を具して、 かざる心も疑心もなくとも、 極楽にむまれんとおもふ心なくは、 廻向発願心かけぬべし。

三心を心えわかつ時には、 かくのごとく別々なる様なれども、 詮ずるところは、 真実の心をおこして、 ふかく本願を信じて往生をねがふ心を、 三心具足の心とは申也。 ま事にこれほどの心だにも具足せずしては、 いかゞ往生ほどの大事をばとげ給ふべきや。

この心は申せば、 又やすき事にて候也。 これをかやうに心えしらねばとて、 又え具足せぬ心にては候はぬ也。 その名をだにもしらぬものも、 この心をばそなへつべく候。 又よくよくしりたらん人のなかにも、 そのまゝに具せぬも候ひぬべき心ばへにて候也。

さればこそ、 いふに甲斐なき人ならぬものどもの中よりも、 たゞひらに念仏申すばかりにて往生したりといふ事は、 むかしより申つたへたる事にて候へ。 それらはみなしらねども、 三心を具したる人にてありけりと、 心えらるゝ事にて候也。

0528としごろ念仏申たる人の、 臨終のわろき事の候は、 さきに申つるやうに、 うゑばかりをかざりて、 たうとき念仏者と人にいはれんとのみ思ひて、 したにはふかく本願をも信ぜず、 まめやかに往生をもねがはぬ人にてこそは候らめと、 心えられ候也。

さればこの三心を具せざるゆへに、 臨終もわろく、 往生もせぬ事­に½て候也としろしめすべき也。 かく申候へば、 さては往生は大事の事にこそとおぼしめす事、 ゆめゆめ候まじき也。 一定往生すべしと思ひとらぬ心を、 やがて深心かけて往生せぬ心とは申候へば、 いよいよ一定の往生とこそおぼしめすべき事にて候へ。

まめやかに往生の心ざしありて、 弥陀の本願をうたがはずして、 念仏を申さん人は、 臨終のわろき事は大方は候まじき也。 そのゆへは、 ほとけの来迎し給ふ事は、 もとより行者の臨終正念のためにて候也。 それを心えぬ人は、 みなわが臨終正念にして念仏申たらん時に、 ほとけはむかへ給ふべき也とのみ心えて候は、 仏の願をも信ぜず、 経の文をも心えぬ人にて候也。

そのゆへは、 ¬称讃浄土経¼ にいはく、 「ほとけ慈悲をもて加へ助けて、 心をしてみだらしめ給はず」 とゝかれて候へば、 たゞの時によくよく申をきたる念仏によりて、 臨終にかならずほとけは来迎し給ふべし。 ほとけの来迎し給ふを見たてまつりて、 行者正念に住すと申す義0529にて候也。

しかるにさきの念仏を、 むなしくおもひなして、 よしなく臨終正念をのみいのる人なんどの候は、 ゆゝしき僻胤にいりたる事にて候也。 さればほとけの本願を信ぜん人は、 かねて臨終をうたがふ心あるべからずとこそおぼへ候へ。

たゞ当時申さん念仏をば、 いよいよも心を至して申べきにて候。 いつかはほとけの本願にも、 臨終の時念仏申たらん人をのみ迎へんとはたて給ひて候。

臨終の念仏にて往生すと申事は、 日比往生をもねがはず、 念仏をも申さずして、 ひとえにつみをのみつくりたる悪人の、 すでに死なんとする時、 はじめて善知識のすゝめにあひて、 念仏して往生すとこそ、 ¬観経¼ にもとかれて候へ。

もとよりの行者は、 臨終の沙汰をばあながちにすべき様は候はぬ也。 仏の来迎一定ならば、 臨終の正念も又一定とおぼしめすべき也。 この大意をもて、 よくよく御心をとゞめて、 心えさせ給ふべく候。

又罪をつくりたる人だにも念仏して往生す、 まして ¬法華経¼ なんどうちよみて、 念仏申さんは、 なにかはくるしかるべきと人々の申候らん事は、 京辺にもさやうに申候人々おほく候へば、 まことにさぞ候らん。 それは余宗の心にてこそ候らめ。 よしあしをさだめ申すべきに候はず、 僻事と申さば、 おそれあるかたおほく候。

0530ゞし浄土宗の心、 善導の御釈には、 往生の行に大きにわかちて二つとす。 一には正行、 二には雑行也。

はじめに正行といふは、 これにあまたの行あり。 はじめに読誦正行といふは、 これは ¬无量寿経¼・¬観経¼・¬阿弥陀経¼ 等の 「三部経」 を読誦する也。 つぎに観察正行といふは、 これはかのくにの依正二報のありさまを観ずる也。 つぎに礼拝正行といふは、 これは阿弥陀ほとけを礼拝する也。 つぎに称名正行といふは、 南無阿弥陀仏とゝなふる也。 つぎに讃嘆供養正行といふは、 これは阿弥陀仏を讃嘆したてまつる也。 これをさして五種の正行となづく。 讃嘆と供養とを二つの行とする時は、 六種の正行とも申也。

「この正行に付てふさねて二つとす。 一には一心にもはら弥陀の名号をとなへたてまつりて、 立居・起伏、 昼夜にわするゝ事なく、 念々にすてざる物を、 これを正定の業となづく、 かのほとけの本願に順ずるがゆへに」(散善義意) と申て、 念仏をもてまさしくさだめたる往生の業と立てゝ、 「もし礼誦等におるをばなづけて助業とす」(散善義) と申て、 念仏のほかの礼拝や読誦や讃嘆供養なんどをば、 かの念仏をたすくる業と申て候也。

さてこの正定業と助業とをのぞきて、 そのほかのもろもろの業をば、 みな雑行となづく。 布施・持戒・忍辱・精進等の六度万行も、 ¬法華経¼ をもよみ、 真言をもおこ0531なひ、 かくのごとくのもろもろの行をば、 みなことごとく雑行となづく。 さきの正行を修するをば、 専修の行者といひ、 のちの雑行を修するをば、 雑修の行者と申て候也。

この二行の得失を判ずるに、 「さきの正行を修するには、 心つねにかのくにゝ親近して憶念ひまなし。 のちの雑行を行ずるには、 心つねに間断す、 廻向してむまるゝ事をうべしといへども、 すべて疎雑の行となづく」(散善義意) といひて、 極楽にうとき行といへり。

又専修のものは、 十人は十人ながらむまれ、 百人は百人ながらむまる。 なにをもてのゆへに。 外の雑縁なくして、 正念をうるがゆへに、 弥陀の本願とあひ叶ふるゆへに、 釈迦のおしへにたがはざるがゆへに。

雑行のものは、 百人が中に一、 二人むまれ、 千人が中に四、 五人むまる。 なにをもてのゆへに。 雑縁乱動して、 正念をうしなふがゆへに、 弥陀の本願と相応せざるがゆへに、 釈迦のおしへにしたがはざるがゆへに、 係念相続せざるがゆへに、 憶念間断するがゆへに、 みづからも往生の業をさへ、 仏の往生をもさふるがゆへに」(礼讃意) なんど釈せられて候めれば、 善導和尚をふかく信じて、 浄土宗にいらん人は、 一向に正行を修すべしと申す事にてこそ候へ。

そのうゑは善導のおしへをそむきて、 余行をくわへんと思はん人は、 おのおのならひたる様どもこそ候らめ。 そ0532れをよしあしとはいかゞ申候べき。 善導の御心にて、 すゝめ給へる行どもをおきながら、 すゝめ給はぬ行をすこしにてもくはふべき様なしと申事にてこそ候へ。 すゝめ給へる正行ばかりだにもなを物うき身にて、 いまだすゝめ給はぬ雑行を加えん事は、 ま事しからぬかたも候ぞかし。

又つみをつくる人だにも念仏して往生す。 まして善なれば、 ¬法華経¼ なんどをよまんは、 なにかくるしからんなんど申候らんこそ、 无下にけぎたなくおぼへ候へ。 往生をたすけばこそ、 いみじくも候はめ。 さまたげにならぬばかりを、 いみじき事とてくわへおこなはん事は、 なにかは詮にて候べき。

されば悪をば、 仏の心に、 つくれとやすゝめさせ給ふ。 かまへてとゞめよとこそいましめ給へども、 凡夫のならひ、 当時のまよひにひかれて、 罪をつくるはちからおよばぬ事にてこそ候へ。 ま事に悪をつくる人の様に、 しかるべく経もよみたく、 余行もくわへたからん事は、 ちからおよばず。

たゞし ¬法華経¼ なんどをよまん事を、 一と言ばなりとも悪をつくらん事にいひならべて、 それもくるしからねば、 ましてこれはなんど申すらん事こそ、 不便の事にて候へ。 ふかき御のりもあしく心うる人にあひぬれば、 返りて物ならずきこへ候事こそ、 あさましくおぼへ候へ。

これをかやうに申候へば、 余行の人々は腹たつ事にて候に0533、 御心一つに心えて、 ひろくちらさせ給まじく候。 あらぬさとりの人のともかくも申候はん事をば、 耳にきゝいれさせ給はで、 たゞ一筋に善導の御すゝめにしたがひて、 いますこしも一定往生する念仏の数遍を申そえんとおぼしめすべき事にて候也。

たとひ往生のさわりとこそならずとも、 不定の往生とはきこへて候めれば、 一定往生の正行を修すべき。 行のいとまをいれて、 不定の往生の業をくわへん事は、 且うは損にては候はずや。 よくよく心えさせ給ふべき事にて候也。

たゞし、 かく申候へば、 雑行をくわへん人は、 ながく往生すまじなんど申事にては候はず。 いかさまにも余行の人なりとも、 すべて人をくだし人をそしる事は、 ゆゝしきとがおもき事にて候也。 よくよく御つゝしみ候て、 雑行の人なればとて、 あなづる御心の候まじく候也。 よかれあしかれ、 人のうゑのよしあしをおもひいれぬが吉き事にて候也。

又心ざし本よりこの門にありて、 進みぬべからんをば、 こしらへ、 すゝめさせ給ふべく候。 さとりたがひて、 あらぬさまならん人々なんどに論じあはせ給ふ事は、 あるまじき事にて候。

よくよくならひしり給ひたる聖りたちだにも、 さやうの事をばつゝしみておはしましあひて候ぞ。 まして殿原なんどの御身にては、 一定僻事にて候はんずるに候。

たゞ御身一つに、 まづよくよく往0534生をねがひて、 念仏をはげませ給ひて、 位たかき往生をとげて、 いそぎ娑婆に返りて、 人をばみちびかせ給へ。 かやうにくはしくかきつけて申候事も、 返々はゞかりおもふ事にて候也。 あなかしこ、 あなかしこ。

御披露候まじく候。 あなかしこ、 あなかしこ。

三月十四日  源空

 

黒谷上人語灯録巻第十三

 

底本は龍谷大学蔵元亨元年刊本。