十八(551)、 正如房へつかはす御文

しょうにょぼうへつかはす御文おんふみ だいじゅうはち

しょうにょぼう御事おんことこそ、 返々かえすがえすあさましくそうらへ。 そのゝちは、 こころならずうときやうになりまいらせて、 念仏ねんぶつしんもいかゞと、 ゆかしくおもひまいらせそうらいつれども、 さしたることそうらはず。

またもうすべきたよりもそうらはぬやうにて、 おもいながら、 なにとなく、 むなしくまかりすぎそうらいつるに、 たゞれいならぬ御事おんことだいになんどばかりうけたまはりそうらはんだにも、 いま一度ひとたびまいらせたく、 おはりまでのおん念仏ねんぶつことも、 おぼつ[か0552]なくこそおもひまいらせそうろうべきに、 ましておんこころにかけて、 つねにたづねそうろうらんこそ、 まことにあはれにもこころぐるしくも、 おもひまいらせそうらへ。

左右さうなくうけたまはりそうろうまゝに、 まいりそうらいまいらせたくそうらへども、 おもひきりてしばしゐでありきそうらはで、 念仏ねんぶつもうしそうらはゞやとおもひはじめたることそうろうを、 ようにこそよることにてそうらへ。

これをば退たいしてもまいるべきにてそうろうまたおもそうらへば、 せんじては、 この見参けんざんとてもかくてもそうらいなん。 しかばねをしゅうするまどひにもなりそうらひぬべし。 たれとてもとまりはつべきにもそうらはず、 われもひともたゞおくれさきだつかわりめばかりにてこそそうらへ。

そのたえまをおもそうろうも、 またいつまでぞとさだめなきうへに、 たとひひさしともうしそうろうとも、 ゆめまぼろしいくほどかはそうろうべきなれば、 たゞかまえてかまえておなじぶつくににまいりあひて、 はちすのうえにてこののいぶせさをもはるけ、 ともに過去かこ因縁いんねんをもかたり、 たがひにらいどうをもたすけんことこそ、 返々かえすがえすせんにてそうろうべきと、 はじめよりももうしおきそうらいしが、 返々かえすがえす本願ほんがんをとりつめまいらせて、 一念いちねんもうたがふおんこころなく、 じっしょう南無なも弥陀みだぶつもうせば、 わがはたとひいかにつみふかくとも、 ほとけの願力がんりきによりていちじょうおうじょうするぞとおぼしめして、 よくよくひとすぢに念仏ねんぶつそうろうべきなり

われらがおうじょうはゆめゆめわがのよしあしきにはよりそうろう0553まじ。 ひとへにほとけのおんちからばかりにてそうろうべきなり。 わがちからばかりにてはいかにめでたくたっときひともうすとも、 末法まっぽうのこのごろ、 たゞちにじょうにむまるゝほどことはありがたくぞそうろうべき。

またぶつおんちからにてそうらはんには、 いかにつみふかくおろかにつたなきなりとも、 それにはよりそうろうまじ。 たゞぶつ願力がんりきを、 しんしんぜざるにぞよりそうろうべき。

されば ¬かんりょう寿じゅきょう¼ にとかれてそうろうは、 むまれてよりこのかた、 念仏ねんぶつ一遍いっぺんもうさず、 それならぬ善根ぜんごんもつやつやなくて、 あさゆふものころしぬすみし、 かくのごときのもろもろのつみのみつくりて、 としつきをゆけども、 一念いちねんさんこころもなくて、 あかしくらしたるものゝ、 おはりのときぜんしきのすゝむるにあひて、 たゞいっしょう南無なも弥陀みだぶつもうしたるによりて、 じゅう億劫おくこうがあひだしょうにめぐるべきつみめっして、 ぶつさつ三尊さんぞん来迎らいこうにあづかりて、 ぶつをとなふるがゆえにつみめっせり、 われきたりてなんぢをむかふとほめられまいらせて、 すなはちかのくにおうじょうすとそうろう

またぎゃくざいもうして、 現身げんしんちちをころし、 ははをころし、 悪心あくしんをもてぶつをころし、 しょしゅうし、 かくのごとくおもきつみをつくりて、 一念いちねんさんこころもなからん、 そのつみによりてけんごくにおちて、 おほくのこうをおくりてをうくべからんもの、 おはりのときに、 ぜんしきのすゝめによりて、 南無なも弥陀みだぶつ0554じっしょうとなふるに、 いっしょうにおのおのはちじゅう億劫おくこうがあひだしょうにめぐるべきつみめっして、 おうじょうすとゝかれてそうろうめれば、 さほどの罪人ざいにんだにもたゞじっしょういっしょう念仏ねんぶつにておうじょうはしそうらへ。 まことぶつ本願ほんがんのちからならでは、 いかでかさることそうろうべきとおぼへそうろう本願ほんがんむなしからずといふことは、 これにてもしんじつべくこそそうらへ。

これはまさしき仏説ぶっせつにてそうろうぶつことばゝ、 一言いちごんもあやまらずともうしそうらへば、 たゞあふぎてもしんずべきにてそうろう。 これをうたがはゞ、 ぶつおんそらごともうすにもなりぬべくそうろうかえりてはまたそのつみもそうらひぬべしとこそおぼへそうらへ。 ふかくしんぜさせたまふべくそうろう

さておうじょうせさせおはしますまじきようにのみもうしきかせまいらする人々ひとびとそうろうらんこそ、 返々かえすがえすあさましくこころぐるしくそうらへ。 いかなるしゃめでたき人々ひとびとおほせらるとも、 それになおどろかせおはしましそうらいそ。 おのおののみちにはめでたくたっとひとなりとも、 さとりあらずぎょうことなるひともうしそうろうことは、 おうじょうじょうのためには、 中々なかなかゆゝしき退縁たいえんあくしきとももうしぬべきことどもにてそうろう

たゞぼんのはからひをばきゝいれさせおはしまさで、 ひとすぢにぶつおんちかひをたのみまいらせおはしますべくそうろう

さとりことなるひとおうじょういひさまたげんによりて、 一念いちねんもうたがふこころあるべからずといふことはりは、 善導ぜんどうしょうのよくよくこまかにおほせられおきたることにてそうろうなり

たと0555ひおほくのほとけ、 そらのなかにみちみちて、 ひかりをはなちしたをのべて、 あくをつくりたるぼんなりとも、 一念いちねんしてかならずおうじょうすといふことはひがごとぞ、 しんずべからずとのたまふとも、 それによりて一念いちねんもうたがふこころあるべからず。

そのゆへは、 弥陀みだぶつのいまだぶつになりたまはざりしむかし、 はじめて道心どうしんをおこしたまひしとき、 われほとけになりたらんに、 わがをのなふることじっしょういっしょうまでせんもの、 わがくにゝむまれずは、 われほとけにならじとちかひたまひたりしそのがんむなしからず、 すでにぶつになりたまへり。

またしゃぶつ、 このしゃかいにいでゝ、 一切いっさいしゅじょうのために、 かの本願ほんがんをとき、 念仏ねんぶつおうじょうをすゝめたまへり。

また六方ろっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつ、 この念仏ねんぶつしていちじょうおうじょうすとしゃぶつのときたまへるはけつじょうなり、 もろもろのしゅじょう一念いちねんもうたがふべからず。 ことごとく一仏いちぶつものこらず、 あらゆる諸仏しょぶつみなことごとく証誠しょうじょうたまへり。

すでに弥陀みだぶつがんにたて、 しゃぶつはそのがんをとき、 六方ろっぽう諸仏しょぶつはそのせつ証誠しょうじょうたまへるうゑ、 このほかはなにほとけの、 またこれらの諸仏しょぶつにたがひて、 ぼんおうじょうせずとはのたまふべきぞといふことはりをもて、 ぶつげんじてのたまふとも、 それにおどろきて信心しんじんをやぶりうたがふこころあるべからず。 いはんや、 さつたちののたまはんをや、 またびゃくぶつをやと、 こまごまと善導ぜんどうしゃくたまひてそうろうなり

ましてこのごろのぼんのいか0556もうしそうらはんによりて、 げにいかゞあらんずらんなんど、 じょうにおぼしめすおんこころ、 ゆめゆめそうろうまじくそうろう。 いかにめでたきひともうすとも、 善導ぜんどうしょうにまさりておうじょうみちをしりたらんこともかたくそうろう

善導ぜんどうまたぼんにあらず、 弥陀みだぶつしんなり弥陀みだぶつのわが本願ほんがんひろくしゅじょうおうじょうせさせんりょうに、 かりにひととむまれて善導ぜんどうとはもうしそうろうなり。 そのおしへは、 もうせば仏説ぶっせつにてこそそうらへ。 あなかしこ、 あなかしこ。 うたがひおぼしめすまじきにてそうろう

またはじめよりぶつ本願ほんがんしんをおこさせおはしましてそうらいおんこころほどまいらせそうろうに、 なにしにかはおうじょうはうたがひおぼしめしそうろうべき。 きょうにとかれてそうろうごとく、 いまだおうじょうみちもしらぬひとにとりてのことにてそうろう。 もとよりよくよくきこしめししたゝめて、 そのうゑおん念仏ねんぶつこうつもりたることにてそうらはんには、 かならずまたりんじゅうぜんしきにあはせおはしまさずとも、 おうじょういちじょうせさせおはしますべきことにてこそそうらへ。

中々なかなかあらぬさまなるひとは、 あしくそうろうなん。 たゞいかならんひとにても、 あまにょうぼうなりとも、 つねにおんまへにそうらはんひとに、 念仏ねんぶつもうさせて、 きかせおはしまして、 おんこころひとつをつよくおぼしめして、 たゞ中々なかなか一向いっこうに、 ぼんぜんしきをおぼしめしすてゝ、 ぶつぜんしきにたのみまいらせさせたまふべくそうろう

もとよりほとけの来迎らいこうは、 りんじゅうしょうねんのためにてそうろうなり。 それをひとの、 みなりんじゅうしょうねんにてねん0557ぶつもうしたるに、 ぶつはむかへたまふとのみこころえてそうろうは、 ぶつがんしんぜず、 きょうもんしんぜぬにてそうろうなり

¬しょうさんじょうきょう¼ には、 「慈悲じひをもてくわへたすけて、 こころをしてみだらしめたまはず」 とゝかれてそうろうなり。 たゞのときによくよくもうしおきたる念仏ねんぶつによりて、 ぶつ来迎らいこうたまときに、 しょうねんにはじゅうすともうすべきにてそうろうなり

たれもぶつをたのむこころはすくなくして、 よしなきぼんぜんしきをたのみ、 さきの念仏ねんぶつをばむなしくおもひなして、 りんじゅうしょうねんをのみいのることどもにてそうろうが、 ゆゝしきひがゐんのことにてそうろうなり

これをよくよくおんこころえて、 つねに御目おめをふさぎ、 たなごころをあはせて、 おんこころをしづめておぼしめすべくそうろう。 ねがはくは弥陀みだぶつ本願ほんがんをあやまたず、 りんじゅうときかならずわがまへにげんじて、 慈悲じひをもてくわへたすけて、 しょうねんじゅうせしめたまへと、 おんこころにもおぼしめして、 くちにももうさせたまふべくそうろう。 これにすぎたることそうろうまじ。 こころよはくおぼしめすことそうろうまじきなり

よう念仏ねんぶつをかきこもりてもうしそうらはんなんどおもひそうろうも、 ひとへにわがひとつのためとのみは、 もとよりおもひそうらはず。 おりしもこの御事おんことをかくうけたまはりそうらいぬれば、 いまよりは一念いちねんものこさず、 ことごとくそのおうじょうおんたすけになさんとこそこうしまいらせそうらはんずれば、 かまへてかまへておぼしめすさまにとげさせまいらせそうらはゞやとこそは、 ふかくねんじまいらせそうらへ。

もしこの0558こころざしまことならば、 いかでかまたおんたすけにもならでそうろうべき、 たのみおぼしめさるべきにてそうろう

おほかたはもうしいでそうらいひとことばにおんこころをとゞめさせおはしますことも、 このひとつのことにてそうらはじと、 さきのもゆかしくあはれにこそおもひしらるゝことにてそうらへば、 うけたまはることは、 このたびまことにさきだゝせおはしますにても、 またおもはずにさきだちまいらせそうろうことになるさだめなさにてそうろうとも、 つゐに一仏いちぶつじょうにまいりあひまいらせそうらはんは、 うたがひなくおぼへそうろう

ゆめまぼろしのこのにて、 いま一度ひとたびなんどおもひもうしそうろうことは、 とてもかくてもそうらひなん。 これをばひとすぢにおぼしめしすてゝ、 いとゞもふかくねがふおんこころをもまし、 念仏ねんぶつをもはげましおはしまして、 かしこにてまたんとおぼしめすべくそうろう

返々かえすがえすもなをなをおうじょうをうたがふおんこころそうろうまじくそうろうぎゃくじゅうあくのおもきつみつくりたる悪人あくにん、 なをじっしょういっしょう念仏ねんぶつによりて、 おうじょうをしそうらはんに、 ましてつみつくらせおはします御事おんことは、 何事なにごとそうろうべき。 たとひそうろうべきにても、 いくほどことかはそうろうべき。 このきょうにとかれてそうろう罪人ざいにんには、 いひくらぶべくやはそうろう

それにまづこころをおこし、 しゅっをとげさせおはしまして、 めでたきのりにもえんをむすび、 ときにしたがひにしたがひて、 善根ぜんごんのみこそはつもらせおはしますことにてそうろうらめ。 そのうゑふかくけつじょうおうじょう法文ほうもん0559しんじて、 一向いっこう専修せんじゅ念仏ねんぶつにいりて、 ひとすぢに弥陀みだ本願ほんがんをたのみて、 ひさしくならせおはしましてそうろう何事なにごとかは、 いちおうじょうをうたがひおぼしめしそうろうべき。

専修せんじゅひとひゃくにんひゃくにんながら、 じゅうにんじゅうにんながらおうじょうす」 (礼讃) 善導ぜんどうはのたまひてそうらへば、 ひとりそのかずにもれさせおはしますべきかはとこそおぼへそうらへ。 善導ぜんどうをもかこち、 ぶつ本願ほんがんをもせめまいらせさせたまふべくそうろうこころよはくは、 ゆめゆめおぼしめすまいくそうろう。 あなかしこ、 あなかしこ。

ことはりをやもうしひらきそうろうとおもひそうろうほどに、 よにおほくなりそうらひぬる。 さやうのおりふし、 ほねなくやとおぼへそうらへども、 もしさすがのびたる御事おんことにてもまたそうろうらん。 えしりそうらはでは、 いつをかまちそうろうべき。 もしのどかにきかせおはしまして、 一念いちねんおんこころをすゝむるたよりにやなりそうろうと、 おもひそうろうばかりにとゞめえそうらはで、 これほどこまかになりそうらいぬ。

げんをしりそうらはねば、 はからひがたくてわびしくこそそうらへ。 もし无下むげによはくならせおはしましたる御事おんことにてそうらはゞ、 これはことながくそうろうべくそうろうようをとりてつたへまいらせさせおはしますべくそうろう

うけたまはりそうろうまゝに、 なにとなくあはれにおぼへそうらいて、 おしかえまたもうしそうろうなり