七、 念仏大意

▲念仏ねんぶつ大たい意い 第七だいしち

●末代まつだい悪あく世せの衆しゅ生じょう、 往おう生じょうの心こころざしをいたさんにおきては、 又また他ほかのつとめあるべからず、 たゞ善導ぜんどうの釈しゃくについて一向いっこう専修せんじゅの念仏ねんぶつ門もんにいるべき也なり。 しかるを一向いっこうに信しんをいたして、 その門もんにいる人ひとはきわめてありがたし。 そのゆへは、 あるいは他ほかの行ぎょうに心こころをそめ、 あるいは念仏ねんぶつの功く徳どくをおもくせざるなるべし。 つらつらこれをおもふに、 ま事ことしく往おう生じょう浄じょう土どの願がんふかき心こころをもはらにする人ひと、 ありがたきゆへか。 まづこの道どう理りをよくよく心こころべき也なり。

○すべて天臺てんだい・法相ほっそうの経きょう論ろんも教おしえも、 そのつとめをいたさんに、 一ひとつとしてあだなるべきにはあらず。 たゞし仏道ぶつどう修しゅ行ぎょうは、 よくよく身みをはかり、 時ときをはかるべきなり。 仏ぶつの滅めつ後ご第だい四しの五ご百ひゃく年ねんにだに、 智恵ちえをみがきて煩悩ぼんのうを断だんずる事ことかたく、 心こころをすまして禅ぜん定じょうをえん事ことかたきがゆへに、 人ひとおほく0463念仏ねんぶつ門もんにいりけり。 すなはち道どう綽しゃく・善導ぜんどう等とうの浄じょう土ど宗しゅうの聖しょう人にん、 この時ときの人ひとなり。 いはんや、 このごろは第だい五ごの五ご百ひゃく年ねん、 闘とう諍じょう堅けん固ごの時とき也なり、 他ほかの行ぎょう法ほうさらに成じょう就じゅせん事ことかたし。 しかのみならず、 念仏ねんぶつにおきては、 末法まっぽうのゝちなを利り益やくあるべし。

○いはんや、 いまの世よは末法まっぽう万年まんねんのはじめ也なり、 一念いちねんも弥陀みだを念ねんぜんに、 なんぞ往おう生じょうをとげざらんや。 たとひわれこそ、 そのうつは物ものにあらずといふとも、 末法まっぽうのすゑの衆しゅ生じょうには、 さらにゝるべからず。

○かつうは又また釈しゃく尊そん在ざい世せの時ときすら、 即身そくしん成じょう仏ぶつにおきては、 龍りゅう女にょのほかは、 いとありがたし。 たとひ又また即身そくしん成じょう仏ぶつまでにあらずといふとも、 この聖しょう道どう門もんをおこなひあひ給たまひけん菩ぼ薩さつ・声しょう聞もんたち、 そのほかの権者ごんじゃ・ひじりたち、 そのゝちの比丘びく・比丘びく尼に等とういまにいたるまで経きょう論ろんの学者がくしゃ、 ¬法花ほけ経きょう¼ の持じ者しゃ、 い­く½そばくぞや。 こゝにわれら、 なまじゐに聖しょう道どうをまなぶといふとも、 かの人々ひとびとにはさらにおよぶべからず。

○かくのごときの末法まっぽうの衆しゅ生じょうを、 阿あ弥陀みだほとけかねてさとり給たまひて、 五ご劫こうのあひだ思し惟ゆいして四し十じゅう八願はちがんをおこし給たまへり。 そのなかの第だい十じゅう八はちの願がんにいはく、 「十方じっぽうの衆しゅ生じょう、 心こころをいたして信しん楽ぎょうして、 わがくにゝむまれんとねがひて、 乃ない至し十じゅう念ねんせんに、 もしむまれずといはば、 正しょう覚がくをとらじ」 (大経巻上) とちかひ給たまひて、 すでに正しょう覚がくをなり給たまへり。

○これを又また釈しゃく尊そんとき給たまへる ¬経きょう¼、 すなは0464ち ¬観かん无む量りょう寿じゅ¼ 等とうの 「三さん部ぶ経きょう」 なり。 しかれば、 たゞ念仏ねんぶつ門もん也なり。たとひ悪業あくごうの衆しゅ生じょう等とう、 弥陀みだのちかひばかりに、 なを信しんをいたさずといふとも、 釈しゃ迦かのこれを一々いちいちにとき給たまへる 「三さん部ぶ経きょう」、 あにひとことばもむなしからんや。 そのうゑ又また、 六方ろっぽう・十方じっぽうの諸仏しょぶつの証誠しょうじょう、 この ¬経きょう¼ に見みえたり。 他ほかの行ぎょうにおきては、 か­く½のごときの証誠しょうじょう見みえず。

○しかれば、 時ときもすぎ、 身みもこたふまじからん禅ぜん定じょう・智恵ちえを修しゅせんよりは、 利り益やく現在げんざいして、 しかもそこばくのほとけたち証誠しょうじょうし給たまへる弥陀みだの名みょう号ごうを称しょう念ねんすべき也なり。

○そもそも後世ごせ者しゃのなかに、 極楽ごくらくはあさく弥陀みだはくだれり、 期ごするところ密厳みつごん・花け蔵ぞうの世せ界かいなりと心こころをかくる人ひとも侍はべるにや、 それはなはだおほけなし。 かの土どは、 断だん无む明みょうの菩ぼ薩さつのほかはいる事ことなし。 又また一向いっこう専修せんじゅの念仏ねんぶつ門もんにいるなかにも、 日別にちべつに三萬さんまん遍べん、 もしは五ご万まん遍べん・六万ろくまん遍べん乃ない至し十じゅう万まん遍べんといふとも、 これをつとめおはりなんのち、 年来ねんらい受じゅ持じ読誦どくじゅの功こうつもりた­る½諸しょ経きょうをもよみたてまつらん事こと、 つみ­に½なるべきかと不ふ審しんをなして、 あざむくともがらもまじはれり。 それはつみになるべきにては、 いかでかは侍はべるべき。

○末代まつだいの衆しゅ生じょう、 その行ぎょう成じょう就じゅしがたきによりて、 まづ弥陀みだの願力がんりきにのりて、 念仏ねんぶつ往おう生じょうをとげてのち、 浄じょう土どにて阿あ弥陀みだ如来にょらい・観音かんのん・勢せい至し0465にあひたてまつりて、 もろもろの聖教しょうぎょうをも学がくし、 さとりをもひらくべきなり。 又また末代まつだいの衆しゅ生じょう、 念仏ねんぶつをもはらにすべき事こと、 その釈しゃくおほかる中なかに、 かつうは十方じっぽう恒沙ごうじゃのほとけ証誠しょうじょうし給たまふ。

○又また ¬観かん経ぎょうの疏しょ¼ の第三だいさん (定善義) に善導ぜんどうの給たまはく、 「自余じよ衆しゅ行ぎょう雖すい名みょう是ぜ善ぜん、 若にゃく比し念仏ねんぶつ全ぜん非ひ比ひ挍きょう也や。 是故ぜこ諸しょ経きょう中ちゅう処々しょしょ広讃こうさん念仏ねんぶつ功く能のう。 如にょ ¬无む量りょう寿じゅ経きょう¼ 四し十じゅう八願はちがん中ちゅう、 唯ゆい明みょう専念せんねん名みょう号ごう得とく生しょう。 又う如にょ ¬弥陀みだ経きょう¼ 中ちゅう、 一日いちにち七日しちにち専念せんねん弥陀みだ名みょう号ごう得とく生しょう。 又う十方じっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつ証誠しょうじょう不虚ふこ也や。 又う此し ¬経きょう¼ 定じょう散さん文もん中ちゅう、 唯ゆい標ひょう専念せんねん名みょう号ごう徳とく生しょう。 此し例れい非ひ一いち也や。 広顕こうけん念仏ねんぶつ三昧ざんまい竟きょう」 とあり。

○又また善導ぜんどうの ¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ (意) のなかの専修せんじゅ雑修ざっしゅの文もん等とうにも、 「雑修ざっしゅのものは往おう生じょうをうる事こと、 万まんがなかに一いち、 二になをかたし。 専修せんじゅのものは、 百ひゃくに百ひゃくながらむまる」 といへり。 これらはすなはち、 何事なにごともその門もんにいりなんには、 一向いっこうにもはら他ほかの心こころあるべからざるゆへなり。

○たとへば今こん生じょうにも主君しゅくんにつかへ、 人ひとをあひたのむみち、 他ほかの人ひとに心こころざしをわくると、 一向いっこうにあひたのむと、 ほちしからざる事こと也なり。 たゞし家いえゆたかにして、 のり物もの、 僮僕どうぼくもかなひ、 面々めんめんに心こころざしをいたすちからもたへたるともがらは、 かたがたに心こころざしをわくといへども、 ­そ½の功こうむなしからず。 かくのごときの­ちか½らにたへざるものは、 所々しょしょをかぬるあひだ、 身みはつかるといへども、 そのしるしをえがたし。 一向いっこうに人ひと一人いちにんをたのめば、 ま0466づしき物ものも、 かならずそのあはれみをうる也なり。

○すなはち末代まつだい悪あく世せの无智むちの衆しゅ生じょうは、 かのまづしき物もののごときなり。 むかしの権者ごんじゃ聖しょう人にんは、 家いえゆたかなる衆しゅ生じょうのごとき也なり。 しかれば、 无智むちの身みをもて智ち者しゃの行ぎょうをまなばんにおきては、 まづしき物ものの得人とくにんをまなばんがごとき也なり。

○又またなをたとへととらば、 たかき山やまの、 人ひともかよふべくもなからん巌石がんせきを、 ちからたらざらんもの、 いしのかど木きの根ねにとりすがりてのぼらんとはげまんは、 雑ぞう行ぎょうを修しゅして往おう生じょうをねがはんがごときなり。 かの山やまのみねより、 つよきつなをおろしたらんにすがりて­の½ぼらん­は、½ 弥陀みだの願力がんりきをふかく信しんじて、 一向いっこうに念仏ねんぶつをつとめば、 往おう生じょうせんがごときなるべし。

○又また一向いっこう専修せんじゅには、 ことに三心さんしんを具ぐ足そくすべき也なり。 三心さんしんといふは、 一いちには至し誠じょう心しん、 二にには深心じんしん、 三さんには廻え向こう発願ほつがん心しん也なり。

○至し誠じょう心しんといふは、 余よ仏ぶつを礼らいせず弥陀みだを礼らいし、 余よ行ぎょうを修しゅせず弥陀みだを念ねんじて、 もはらにしてもはらならしむる也なり。

○深心じんしんといふは、 弥陀みだの本願ほんがんをふかく信しんじて、 わが身みは无始むしよりこのかた罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶとして、 生しょう死じをまぬかるべきみちなきを、 弥陀みだの本願ほんがん不可ふか思議しぎなるによりて、 かの名みょう号ごうを一向いっこうに称しょう念ねんして、 うたがひをなす心こころなければ、 一念いちねんのあひだに八はち十じゅう億劫おくこうの生しょう死じのつみを滅めっして、 最さい後ご臨りん終じゅうの時とき、 かならず弥陀みだの来迎らいこうにあづかる也なり。

○廻え向こう発願ほつがん心しんといふ0467は、 自他じたの行ぎょうを真実しんじつの心こころの中なかに廻え向こう発願ほつがんする也なり。

○この三心さんしん、 一ひとつもかけぬれば、 往おう­生じょう½をとげがたし。 しかれば、 他ほかの­行ぎょう½をまじえんによりて罪つみになるべからずといへども、 なを念仏ねんぶつ往おう生じょうを不ふ定じょうに存ぞんじていさゝかのうたがひをのこして、 他事たじをくわふるにて侍はべるべき也なり。

○たゞしこの三心さんしんのなかに、 至し誠じょう心しんをやうやうに心こころえて、 ことにまことをいたす事ことを、 かたく申もうしなすともがらも侍はべるにや。 しからば、 弥陀みだの本願ほんがんの本ほん意いにもたがひて、 信心しんじんはかけぬるにてあるべき也なり。

○いかに信力しんりきをいたすといふともがらも、 造悪ぞうあくの凡ぼん夫ぶの身みの信力しんりきにて、 願がんを成じょう就じゅせんほどの信力しんりきは、 いかでか侍はべるべき。 たゞ一向いっこうに往おう生じょうを決けつ定じょうせんずればこそ、 本願ほんがんの不ふ思議しぎにて侍はべるべけれ。

○さやうに信力しんりきもふかく、 よからん人ひとのためには、 かくあながちに不ふ思議しぎの本願ほんがんをおこし給たまふべきにあらず、 この道どう理りをば存ぞんじながら、 ま事ことしく専修せんじゅ念仏ねんぶつの一いち行ぎょうにいたる人ひとはいみじくありがたき也なり。

○しかるを道どう綽しゃく禅ぜん師じは決けつ定じょう往おう生じょうの先達せんだつなり、 智恵ちえふかくして講説こうぜつを修しゅし給たまひき。 曇鸞どんらん法ほっ師しの三さん世ぜ已下いげの弟子でし也なり。 かの曇らん師しは智恵ちえ高遠こうおんなりといへども、 四し論ろんの講説こうぜつをすてゝ、 ひとへに往おう生じょうの業ごうを修しゅして、 一向いっこうにもはら弥陀みだを念ねんじて、 相続そうぞく无む間けんにして、 現げんに往おう生じょうし給たまへり。

○かくのごとき道どう綽しゃくは、 講説こうぜつをやめて念仏ねんぶつを修しゅし、 善導ぜんどうは雑修ざっしゅをきらひて専修せんじゅをつとめ給たま0468ひき。 又また道どう綽しゃく禅ぜん師じのすゝめによりて、 へい州しゅうの三県さんけんの人ひと、 七歳しちさい已後いご一向いっこうに念仏ねんぶつを修しゅすといへり。

○しかれば、 わが朝ちょうの末法まっぽうの衆しゅ生じょう、 なんぞあながちに雑修ざっしゅをこのまんや。 たゞすみやかに弥陀みだ如来にょらいの願がん、 釈しゃ迦か如来にょらいの説せつ、 道どう綽しゃく・善導ぜんどうの釈しゃくをまなぶに、 雑修ざっしゅを修しゅして極楽ごくらくの果かを不ふ定じょうに存ぞんぜんよりは、 専修せんじゅの業ごうを行ぎょうじて往おう生じょうののぞみを決けつ定じょうすべきなり。

○かの道どう綽しゃく・善導ぜんどう等とうの釈しゃくは、 念仏ねんぶつ門もんの人々ひとびとの事ことなれば、 左右さうにおよぶべからず。

○法相ほっそう宗しゅうにおきては、 専修せんじゅ念仏ねんぶつ門もんをば信向しんこうせざるかと存ぞんずるところに、 慈じ恩おん大だい師しの ¬西方さいほう要決ようけつ¼ にいはく、 「末法まっぽう万年まんねん余よ経きょう悉滅しつめつ。 弥陀みだ一いっ教きょう利り物もつ偏増へんぞう」 と釈しゃくし給たまへり。 又またおなじき ¬書しょ¼ (西方要決意) にいはく、 「三空さんくう九く断だん之し文もん、 十じゅう地じ・五ご修しゅ之し訓くん、 生しょう期ご分促ぶんそく死路しろ非ひ運うん、 不ふ如にょ暫息ぜんそく多た聞もん之し広学こうがく、 専せん念仏ねんぶつ之し軍修ぐんしゅ」 といへり。

○しかのみならず、 又また ¬大だい聖しょう竹林ちくりん寺じの記き¼ にいはく、 「五ご台たい山ざん竹林ちくりん寺じの大だい講堂こうどうの中なかにして、 普ふ賢げん・文もん殊じゅ東西とうざいに対たい座ざして、 もろもろの衆しゅ生じょうのために妙みょう法ほうをとき給たまふ時とき、 法ほっ照しょう禅ぜん師じひざまづきて、 文もん殊じゅに問といたてまつりき。 未み来らい悪あく世せの凡ぼん夫ぶ、 いづれの法ほうをおこなひてか、 ながく三界さんがいをいでゝ浄じょう土どにむまるゝ事ことをうべきと。 文もん殊じゅこたへての給たまはく、 往おう生じょう浄じょう土どのはかり事こと、 弥陀みだの名みょう号ごうにすぎたるはなく、 頓とん証しょう菩ぼ提だいのみち、 たゞ称しょう念ねんの一門いちもんにあり。 これによて、 釈しゃ迦か一代いちだいの聖教しょうぎょうにおほくほむるところみな弥陀みだにあり0469。 いかにいはんや、 未み来らい悪あく世せの凡ぼん夫ぶをやとこたへ給たまへり」。

○かくのごときの要文ようもん等とう、 智ち者しゃたちのおしへを見みても、 なを信心しんじんなくして、 ありがたき人界にんがいをうけて、 ゆきやすき浄じょう土どにいらざらん事こと、 後悔こうかいなに事ごとかこれにしかんや。

○かつうは又また、 かくのごときの専修せんじゅ念仏ねんぶつのともがらを、 当世とうせいにもはら難なんをくわえて、 あざけりをなすともがらおほくきこゆ。 これ又またむかしの権者ごんじゃたち、 かねてまづさとりしり給たまへる事こと也なり。

文もん殊じゅの給たまはく、 「於お未み来らい世せ悪あく衆しゅ生じょう、 称しょう念ねん西方さいほう弥陀みだ号ごう、 依え仏ぶつ本願ほんがん出しゅつ生しょう死じ、 以い直心じきしん故こ生しょう極楽ごくらく。」云云 ○善導ぜんどうの ¬法ほう事じ讃さん¼ にいはく、 「世せ尊そん説法せっぽう時じ将了しょうりょう、 慇懃おんごん付ふ嘱ぞく弥陀みだ名みょう、 五ご濁じょく増ぞう時じ多た疑ぎ謗ほう、 道俗どうぞく相嫌そうけん不ふ用よう聞もん、 見けん有う修しゅ行ぎょう起き瞋毒しんどく、 方便ほうべん破壊はえ競生きょうしょう怨おん、 如にょ此し生しょう盲もう闡提せんだい輩はい、 毀き滅めつ頓とん教ぎょう永よう沈淪ちんりん、 超ちょう過か大だい地じ微み塵じん劫ごう、 未可みか得とく離り三さん塗ず身しん、 大衆だいしゅ同心どうしん皆かい懺さん悔げ、 諸しょ有う破は法ほう罪ざい因縁いんねん。」云云

○又また ¬平びょう等どう覚がく経きょう¼ にいはく、 「もし善ぜん男なん子し・善ぜん女人にょにんありて、 かくのごときらの浄じょう土どの法門ほうもんをとくをきゝて、 悲喜ひきをなして身みの毛けいよだつ事ことをしてぬきいだすがごとくするは、 しかるべし、 この人ひと過去かこにすでに仏道ぶつどうをなしてきたれる也なり。 もし又またこれをきくといふとも、 すべて信しん楽ぎょうせざらんにおきては、 しるべし、 この人ひとはじめて三さん悪道まくどうのなかよりきたれる也なり」。

○しかれば、 かくのごときの謗難ほうなんのともがらは、 左右さうなき罪人ざいにんのよしをしりて、 論談ろんだんにあたふべ0470からざる事こと也なり。

○又また十じゅう善ぜんかたくたもたずして、 とう利り・都と率そつをねがはん、 きはめてかなひがたし。 極楽ごくらくは五ご逆ぎゃくのもの念仏ねんぶつによりてむまる。 いはんや、 十じゅう悪あくにおいてはさわりとなるべからず。 又また慈じ尊そんの出しゅっ世せを期ごせんにも、 五ご十じゅう六億ろくおく七千しちせん万歳まんさい、 いとまちどを也なり、 いまだしらず。 他た方ほうの浄じょう土どそのところどころにはかくのごときの本願ほんがんなし、 極楽ごくらくはもはら弥陀みだの願力がんりきはなはだふかし、 なんぞほかをもとむべき。

○このたび仏法ぶっぽうに縁えんをむすびて、 三さん生しょう・四し生しょうに得脱とくだつせんとのぞみをかくるともがらあり、 この願がんきわめて不ふ定じょう也なり。 大通だいつう結縁けちえんの人ひと、 信しん楽ぎょう慚ざん愧ぎのころものうらに、 一いち乗じょう无価むげの玉たまをかけて、 隔かく生しょう即亡そくもうして、 三千さんぜん塵点じんでんがあひだ六趣ろくしゅに輪りん廻ねせしにあらずや。 たとひ又また、 三さん・四し生しょうに縁えんをむすびて、 必ひつ定じょう得脱とくだつすべきにても、 それをまちつけん輪りん廻ねのあひだのくるしみ、 いとたへがたかるべし、 いとまちどをなるべし。

○又またかの聖しょう道どう門もんにおいては、 三さん乗じょう・五ご乗じょうの得道とくどう也なり。 この行ぎょうは多た百ひゃく千劫せんこう也なり。 こゝにわれら、 このたびはじめて人界にんがいの生しょうをうけたるにてもあらず、 世々せせ生々しょうじょうをへて、 如来にょらいの教きょう化けにも、 菩ぼ薩さつの弘ぐ経きょうにも、 いくそばくかあひたてまつりたりけん。 たゞ不ふ信しんにして教きょう化けにもれきたれるなるべし。

○三さん世ぜ諸仏しょぶつ・十方じっぽう菩ぼ薩さつ、 思おもへばみなこれむかしのとも也なり。 釈しゃ迦かも五ご百ひゃく塵点じんでんのさき、 弥陀みだも十劫じっこう成じょう道どうのさきは、 かたじけなく父母ぶも・師し0471弟ていともたがひになり給たまひけん。 ほとけは前仏ぜんぶつの教おしえをうけ、 善ぜん知ぢ識しきのおしへを信しんじて、 はやく発心ほっしん修しゅ行ぎょうし給たまひて、 成じょう仏ぶつしてひさしくなり給たまいにける。 われらは信心しんじんおろかなるゆへに、 いまに生しょう死じにとまれるなるべし。

○過去かこの輪転りんでんをおもへば、 未み来らいも又またかくのごとし。 たとひ二に乗じょうの心こころをおこすといふとも、 菩ぼ提だい心しんをばおこしがたし。 如来にょらいは勝しょう方便ほうべんとしておこなひ給たまへり。 濁じょく世せの衆しゅ生じょう、 自じ力りきをはげまさんには、 百ひゃく千万せんまん億劫おくこう難なん行ぎょう苦く行ぎょうをいたすといふとも、 その勤つとめおよぶところにあらず。

○又またかの聖しょう道どう門もんは、 よく清浄しょうじょうにして、 そのうつは物ものにたれらん人ひとのつとむべき行ぎょう也なり。 懈け怠だい不ふ信しんにしては、 中々なかなか行ぎょうぜざらんよりも、 罪業ざいごうの因いんとなるかたもありぬべし。 念仏ねんぶつ門もんにおいては、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがねてもさめても持じ念ねんするに、 そのたよりとがなくして、 そのうつは物ものをきらはず、 ことごとく往おう生じょうの因いんとなる事ことうたがひなし。

○「彼ひ仏ぶつ因いん中ちゅう立りゅう弘ぐ誓ぜい聞もん名みょう念ねん我が総そう来迎らいこう
不ふ簡けん貧びん窮ぐ将しょう富ふう貴き不ふ簡けん下智げち与よ高才こうざい
不ふ簡けん多た聞もん持じ浄じょう戒かい不ふ簡けん破は戒かい罪根ざいこん深じん
但たん使し廻え心しん多た念仏ねんぶつ能のう令りょう瓦が礫りゃく変へん成じょう金こん」 (五会法事讃巻本)

といへり。

○又またいみじき経きょう論ろん・聖教しょうぎょうの智ち者しゃといへども、 最さい後ご臨りん終じゅうの時とき、 その文もんを暗誦あんじゅ0472するにあたはず。 念仏ねんぶつにおいては、 いのちをきわむるにいたるまで、 称しょう念ねんするにそのわづらひなし。

○又またほとけの誓願せいがんのためしをひかんにも、 薬やく師しの十じゅう二にの誓願せいがんには不ふ取しゅ正しょう覚がくの願がんなく、 千手せんじゅの願がんは不ふ取しゅ正しょう覚がくとちかひ給たまへるも、 いまだ正しょう覚がくなり給たまはず。 弥陀みだは不ふ取しゅ正しょう覚がくの願がんをおこして、 正しょう覚がくなりて、 すでに十劫じっこうをへ給たまへり。 かくのごときのちかひに信しんをいたさゞらん人ひとは、 又また他ほかの法門ほうもんをも信仰しんこうするにおよばず。

○しかれば、 返々かえすがえすも一向いっこう専修せんじゅの念仏ねんぶつに信しんをいたして、 他ほかの心こころなく、 日にち夜や朝ちょう暮ぼ、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがに、 おこたる事ことなく称しょう念ねんすべき也なり。 専修せんじゅ念仏ねんぶつをいたすともがら、 当世とうせいにも往おう生じょうをとぐるきこへ、 そのかずおほし。 雑修ざっしゅの人ひとにおいては、 そのきこへきわめてありがたし。

○そもそもこれを見みても、 なをよこさまのひがゐんにいりて、 物もの難なんぜんとおもはんともがらは、 さだめていよいよいきどをりをなして、 しからば、 むかしよりほとけのときをき給たまへる経きょう論ろん・聖教しょうぎょう、 みなもて无む益やくのいたづら物ものにて、 うせなんとするにこそなんど、 あざけり申もうさんず­ら½ん。

○それは天臺てんだい・法相ほっそうの本ほん寺じ・本山ほんざんに修学しゅがくをいとなみて、 名なをも存ぞんじ、 おほやけにもつかへて、 官かん位いをものぞまんとおもはんにおいては、 左右さうにおよぶべからず。 又また上じょう根こん利智りちの人ひとは、 そのかぎりにあらず。 この心こころをえてよく了りょう見けんする人ひとは、 あやまりて聖しょう道どう門もんをことにおも0473くするゆへと存ぞんずべき也なり。

○しかるを、 なを念仏ねんぶつにあひかねてつとめをいださん事ことは、 聖しょう道どう門もんをすでに念仏ねんぶつの助じょ行ぎょうにもちゐるべきか。 その条じょうこそ、 返々かえすがえす羞しゅう悪あく同門どうもんをうしなふにては侍はべりけれ。

○たゞこの念仏ねんぶつ門もんは、 返々かえすがえすも又また他ほかの心こころなく後世ごせを思おもはんともがらの、 よしなき僻胤ひがいんにおもむきて、 時ときをも身みをもはからず、 難なん行ぎょう­をも½修しゅして、 このたび­たま½たまありがたき人界にんがい­に½むまれて、 さば­か½りあひがたかるべき弥陀みだのちかひをすてゝ、 又また三さん塗ずの旧きゅう界かいに返かえりて、 生しょう死じに輪転りんでんして、 多た百ひゃく千劫せんこうをへんかなしさを思おもひしらん人ひとの身みのためを申もうす也なり。

○さらば、 諸しょ宗しゅうのいきどほりにはおよぶべからざる事こと也なり。