二十一0567、 十二箇条問答

じゅうじょう問答もんどう だいじゅういち

といていはく、 念仏ねんぶつすればおうじょうすべしといふことみみなれたるやうにありながら、 いかなるゆへともしらず。 かやうのしょうまでも、 すてられぬことならば、 こまかにおしへさせたまへ。

こたえていはく、 およそしょうをいづるおこなひひとつにあらずといへども、 まづ極楽ごくらくおうじょうせんとねがへ、 弥陀みだねんぜよよいふことしゃ一代いちだいきょうにあまねくすゝめたまへり。

そのゆへは、 弥陀みだ本願ほんがんをおこして、 わがみょうごうねんぜんもの、 わがじょうにむまれずはしょうがくとらじとちかひて、 すでにしょうがくをなりたまふゆへに、 このみょうごうをとなふるものはかならずおうじょうするなり

りんじゅうとき、 もろもろのしょうじゅとゝもにきたりて、 かならずこうしょうたまふゆへに、 悪業あくごうとしてさふるものなく、 えんとしてさまたぐることなし。 男女なんにょせんをえらばず、 善人ぜんにん悪人あくにんをもわかたず、 こころをいたして弥陀みだねんずるに、 むまれずといふことなし。

たとへばおもきいしをふねにのせつれば、 しづむことなくばんのうみをわたるがごとし。 罪業ざいごうのおもきこといしのごとくなれども、 本願ほんがんのふねにのりぬれば、 しょうのうみにしづむことなく、 かならずおうじょうするなり

ゆめゆめわが罪業ざいごうによりて、 本願ほんがん思議しぎをうたがはせたまふべか0568らず。 これをりきおうじょうとはもうなりりきにてしょうをいでんとするには、 煩悩ぼんのう悪業あくごうだんじつくして、 じょうにもまいりだいにもいたるとならふ。 これはかちよりけわしきみちをゆくがごとし。

といていはく、 罪業ざいごうおもけれども、 智慧ちえともしびをもちて、 煩悩ぼんのうのやみをはらふことにてそうろうなれば、 かやうの愚痴ぐちには、 つみをつくることはかさなれども、 つぐのふことはなし。 なにをもてこのつみをけすべしともおぼへずそうろうまたいかん。

こたえていはく、 たゞぶつことばしんじてうたがひなければ、 ぶつおんちからにておうじょうするなり。 さきのたとへのごとく、 ふねにのりぬれば、 しゐたるものあきたるものも、 ともにゆくがごとし。

智慧ちえのまなこあるものも、 ぶつねんぜざれば願力がんりきにかなはず、 愚痴ぐちのやみふかきものも、 念仏ねんぶつすれば願力がんりきじょうずるなり念仏ねんぶつするものをば、 弥陀みだこうみょうをはなちてつねにてらしてすてたまはねば、 悪縁あくえんにあはずして、 かならずりんじゅうしょうねんをえておうじょうするなり。 さらにわが智慧ちえのありなしによりて、 おうじょうじょうじょうをばさだむべからず。 たゞ信心しんじんのふかかるべきなり

といていはく、 をそむきたるひとは、 ひとすぢに念仏ねんぶつすればおうじょうもえやすきことなり。 かやうのには、 あしたにもゆふべにもいとなむことみょうもん昨日きのう今日きょうもおもふこと0569ようなり。 かやうのにてもうさん念仏ねんぶつは、 いかゞぶつおんこころにもかなひそうろうべきや。

こたえていはく、 じょう摩尼まにしゅといふたまを、 にごれるみずぐれば、 たまの用力ゆうりきにて、 そのみずきよくなるがごとし。 しゅじょうこころはつねにみょうにそみて、 にごれることかのみづのごとくなれども、 念仏ねんぶつ摩尼まにしゅぐれば、 こころのみづおのづからきよくなりて、 おうじょうをうること念仏ねんぶつのちからなり

わがこころをしづめ、 このさわりをのぞきてのち、 念仏ねんぶつせよとにはあらず。 たゞつねに念仏ねんぶつして、 そのつみをばめっすべし。 さればむかしより、 ざいひとおほくおうじょうしたるためし、 いくばくかおほき。 こころのしづかならざらんにつけても、 よくよく仏力ぶつりきをたのみ、 もはら念仏ねんぶつすべし。

といていはく、 念仏ねんぶつ数遍しゅへんもうせとすゝむるひともあり、 またさしもなくともなんどもうひともあり。 いづれにかしたがひそうろうべき。

こたえていはく、 さとりもあり、 ならふ[む]ねもありてもうさんことは、 そのこころのうちしりがたければ、 さだめにくし。

ざいひとの、 つねに悪縁あくえんにのみしたしまれ、 には数遍しゅへんもうさずして、 いたづらにをくらし、 むなしくをあかさんことこうりょうことにやそうらはんずらん。 ぼんえんにしたがひて退たいしやすきものなれば、 いかにもいかにもはげむべきことなり。 されば、 処処しょしょにおほく 「念念ねんねん相続そうぞくしてわすれざれ」 といへり。

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といていはく、 念念ねんねんにわすれざるほどことこそ、 わがにかなひがたくおぼへそうらへ。 またには念珠ねんじゅをとれども、 こころにはそゞろことをのみおもふ。 この念仏ねんぶつは、 おうじょうごうにはかなひがたくやそうらはんずらん。 これをきらはれば、 このおうじょうじょうなるかたもありぬべし。

こたえていはく、 念念ねんねんにすてざれとおしふることは、 ひとのほどにしたがひてすゝむることなれば、 わがにとりて心のおよび、 のはげまんほどは、 こころにはからはせたまうべし。

また念仏ねんぶつとき悪業あくごうおもはるゝことは、 一切いっさいぼんのくせなり。 さりながらもおうじょうこころざしありて念仏ねんぶつせば、 ゆめゆめさわりとはなるべからず。 たとへばおや約束やくそくをなすひと、 いさゝかそむくこころあれども、 さきの約束やくそく改変かいへんするほどこころなければ、 おなじおやなるがごとし。 念仏ねんぶつしておうじょうせんとこころざして念仏ねんぶつぎょうずるに、 ぼんなるがゆへに貪瞋とんじん煩悩ぼんのうおこるといへども、 念仏ねんぶつおうじょう約束やくそくをひるがへさゞれば、 かならずおうじょうするなり

といていはく、 これほどにやすくおうじょうせば、 念仏ねんぶつするほどのひとはみなおうじょうすべきに、 ねがふものもおほく、 ねんずるものもおほきなかに、 おうじょうするもののまれなるは、 なにのゆへとかおもそうろうべき。

こたえていはく、 ひとこころはほかにあらはるゝことなければ、 そのじゃしょうさだめがたしといへども、 ¬きょう¼ (観経意) には 「三心さんしんしておうじょうす」 とみへてそうろうめり0571。 このこころせざるがゆへに、 念仏ねんぶつすれどもおうじょうをえざるなり三心さんしんもうすは、 いちにはじょうしんには深心じんしんさんにはこう発願ほつがんしんなり

はじめにじょうしんといふは真実しんじつしんなりしゃくするは、 ないとゝのほれるこころなり何事なにごとをするにも、 まことしきこころなくてはじょうずることなし。 ひとなみなみのこころをもちて、 穢土えどのいとはしからぬをいとふよしをし、 じょうのねがはしからぬをねがふしきをして、 ないとゝのほらぬをきらひて、 まことこころざしをもて、 穢土えどをもいとひじょうをもねがへとおしふるなり

つぎ深心じんしんといふは、 ぶつ本願ほんがんしんずるこころなり。 われは悪業あくごう煩悩ぼんのうなれども、 ほとけの願力がんりきにて、 かならずおうじょうするなりといふどうをきゝて、 ふかくしんじて、 つゆちりばかりもうたがはぬ心なりひとおほくさまたげんとして、 これをにくみ、 これをさへぎれども、 これによりてこころのはたらかざるを、 ふかきしんとはもうすなり

つぎこう発願ほつがんしんといふは、 わがしゅするところのぎょうこうして、 極楽ごくらくにむまれんとねがふこころなり

わがぎょうのちから、 わがこころのいみじくておうじょうすべしとはおもはず、 ほとけの願力がんりきのいみじくおはしますによりて、 むまるべくもなきものもむまるべしとしんじて、 いのちおはらばぶつかならずきたりてむかへたまへとおもこころを、 金剛こんごう一切いっさいものにやぶられざるがごとく、 このこころをふかくしんじて、 りんじゅうまでもとおりぬれば、 じゅうにんじゅうにんながら0572むまれ、 ひゃくにんひゃくにんながらむらるゝなり

さればこのこころなきものは、 ぶつねんずれどもじゅんおうじょうをばとげず、 遠縁とおえんとはなるべし。 このこころのおこりたることは、 わがにしるべし、 ひとはしるべからず。

といていはく、 おうじょうをねがはぬにはあらず、 ねがふといふとも、 そのこころゆうみょうならず。 また念仏ねんぶつをいやしとおもふにはあらず、 ぎょうじながらおろそかにしてあかしくらしそうらへば、 かゝるなれば、 いかにもこの三心さんしんしたりともうすべくもなし。 さればこのたびのおうじょうをばおもひたへそうろうべきにや。

こたえていはく、 じょうをねがへどもはげしからず、 念仏ねんぶつすれどもこころのゆるなることをなげくは、 おうじょうこころざしのなきにはあらず。 こころざしのなきものは、 ゆるなるをもなげかず、 はげしからぬをもかなしまず、 いそぐみちにはあしのおそきをなげく、 いそがざるみちにはこれをなげかざるがごとし。

またこのめばおのづから発心ほっしんすともうこともあれば、 漸漸ぜんぜん増進ぞうしんしてかならずおうじょうすべし。 ごろじゅうあくぎゃくをつくれるものも、 りんじゅうにはじめてぜんしきにあひておうじょうすることあり。 いはんや、 おうじょうをねがひ念仏ねんぶつもうして、 わがこころのはげしからぬことをなげかんひとをば、 ぶつもあはれみ、 さつもまぼりて、 さわりをのぞき、 しきにあひて、 おうじょうをうべきなり

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といていはく、 つねに念仏ねんぶつぎょうじゃいかやうにかおもひそうろうべきや。

こたえていはく、 あるときにはけんじょうなることをおもひて、 こののいくほどなきことをしれ。

あるときにはぶつ本願ほんがんをおもひて、 かならずむかへたまへともうせ。

あるときには人身にんじんのうけがたきにことはりをおもひて、 このたびむなしくやまんことをかなしめ。 六道ろくどうをめぐるに、 人身にんじんをうることは、 梵天ぼんてんよりいとをくだして、 大海たいかいのそこなるはりのあなをとをさんがごとしといへり。

あるときはあひがたき仏法ぶっぽうにあへり。 このたびしゅつごうをうゑずは、 いつをかすべきとおもふべきなり。 ひとたび悪道あくどうにおちぬれば、 そうこうをふれども、 三宝さんぼう御名みなをきかず、 いかにいはんや、 ふかくしんずることをえんや。

あるときにはわが宿しゅくぜんをよろこぶべし。 かしこきもいやしきも、 ひとおほしといへども、 仏法ぶっぽうしんじょうをねがふものはまれなりしんずるまでこそかたからめ、 そしりにくみて悪道あくどういんをのみきざす。 しかるにこれをしんじこれをたっとびて、 ぶつをたのみおうじょうこころざす、 これひとへに宿しゅくぜんのしからしむるなり。 たゞこんじょうのはげみにあらず、 おうじょうのいたれるなりと、 たのもしくよろこぶべし。

かやうのことを、 おりにしたがひことによりて、 おもふべきなり。

といていはく、 かやうの愚痴ぐちには聖教しょうぎょうをもず、 悪縁あくえんのみおほし。 いかなる方法ほうほう0574をもてか、 わがこころをまぼり、 信心しんじんをももよをすべきや。

こたえていはく、 そのやうひとつにあらず。 あるいはひとにあふをて、 さんをおもひやれ。 あるいはひとのしぬるをて、 じょうのことわりをさとれ。 あるいはつねに念仏ねんぶつして、 そのこころをはげませ。 あるいはつねによきともにあひて、 こころをはぢししめられよ。 ひとこころは、 おほく悪縁あくえんによりてあしきこころのおこるなり。 されば悪縁あくえんをばきり、 善縁ぜんえんにはちかづけといへり。 これらの方法ほうほうひとしなならず、 ときにしたがひてはからふべし。

といていはく、 念仏ねんぶつのほかのぜんをば、 おうじょうごうにあらずとて、 しゅすべからずといふことあり。 これはしかるべしや。

こたえていはく、 たとへばひとのみちをゆくに、 主人しゅじん一人いちにんにつきて、 おほくの眷属けんぞくのゆくがごとし。 おうじょうごうのなかに、 念仏ねんぶつ主人しゅじんなりぜん眷属けんぞくなり。 しかりといひて、 ぜんをきらふまではあるべからず。

十一

といていはく、 本願ほんがん悪人あくにんをきらはねばとて、 このみて悪業あくごうをつくることはしかるべしや。

こたえていはく、 ほとけは悪人あくにんをすてたまはねども、 このみてあくをつくること、 これぶつ弟子でしにはあらず。 一切いっさい仏法ぶっぽうあくせいせずといふことなし。 あくせいするに、 かならずしもこれをとゞめざるものは、 念仏ねんぶつしてそのつみをめっせよとすゝめたるなり

わがのたへねばとて、 ぶつにとがをかけたてまつらんことは、 おほきなるあやま0575なり。 わがあくをとゞむるにあたはずは、 ほとけ慈悲じひをすてたまはずして、 このつみをめっしてむかへたまへともうすべし。 つみをばたゞつくるべしといふことは、 すべて仏法ぶっぽうにいはざるところなり

たとへばひとのおやの、 一切いっさいをかなしむに、 そのなかによきもあり、 あしきもあり。 ともに慈悲じひをなすとはいへども、 あくぎょうずるをば、 をいからし、 つえをさゝげて、 いましむるがごとし。 ぶつ慈悲じひのあまねきことをきゝては、 つみをつくれとおぼしめすといふさとりをなさば、 ぶつ慈悲じひにももれぬべし。

悪人あくにんまでをもすてたまはぬ本願ほんがんとしらんにつけても、 いよいよほとけのけんをば、 はづべし、 かなしむべし。 父母ぶも慈悲じひあればとて、 父母ぶものまへにてあくぎょうぜんに、 その父母ぶもよろこぶべしや。 なげきながらすてず、 あはれみながらにくむなり。 ほとけもまたもてかくのごとし。

十二

といていはく、 ぼんこころあくをおもはずといふことなし。 このあくをほかにあらはさゞるは、 ぶつをはぢずしてひとをはゞかるといふことあり。 これはこころのままにふるまふべしや。

こたえていはく、 ひと帰依きえをえんとおもひてほかをかざらんは、 とがあるかたもやあらん。 あくをばしのばんがために、 たとひこころにおもふとも、 ほかまではあらはさじとおもひておさへんことは、 すなはちほとけにはじこころなり。 とにもかくにもあく0576しのびて、 念仏ねんぶつこうをつむべきなり

ならひさきよりあらざれば、 りんじゅうしょうねんもかたし。 つねにりんじゅうのおもひをなして、 すごとにじゅうねんをとなふべし。 されば、 ねてもさめてもわするゝことなかれといへり。 おほかたはけんしゅっも、 どうはたがはぬことにてそうろうなり

こころあるひと父母ぶももあはれみ、 主君しゅくんもはぐゝむにしたがひて、 あくをばしりぞき、 ぜんをばこのまんとおもへり。 あくをもすてたまはぬ本願ほんがんときかんにも、 まして善人ぜんにんをば、 いかばかりかよろこびたまはんとおもふべきなり一念いちねんじゅうねんをもむかへたまふときかば、 いはんやひゃくねん千念せんねんをやとおもひて、 こころのおよび、 のはげまれんほどははげむべし。

さればとてわがりょうのかなはざらんをばしらず、 ぶついんじょうをばうたがふべからず。 たとひしちはちじゅうのよはひをすとも、 おもへばゆめのごとし。 いはんや、 ろうしょうじょうなれば、 いつをかぎりとおもふべからず。 さらにのちをするこころあるべからず。 たゞとすぢに念仏ねんぶつすべしといふこと、 そのいはれいちにあらず。

これをんおりおりごとにおもひでゝ、 南無なも弥陀みだぶつとつねにとなへよ。