二七(1043)、要義十三問答

まことにこのには、 道心だうしむのなきことと、 やまひとばかりや、 なげきにてさふらふらむ。 をいとなむことなければ、 はうハシルちやうハシルせず、 じきともにかけたりといゑども、 しんみやうをおしむこゝろせちならぬは、 あながちにうれへとするにおよばぬ。 こゝろをやすくせむためにも、 すてさふらふべきよにこそさふらふめれ。

いはむや、 じやうのかなしみはめのまへにみてり、 いづれのつきおかおはりのときとせむ。 さかへあるものもひ1044さしからず、 いのちあるものもまたうれえあり。 すべていとふべきは六道ろくだうしやうのさかひ、 ねがふべきはじやうだいなり。

てんじやうにむまれてたのしみにほこるといゑども、 すい*退没たいもちのくるしみあり。 人間にんげんにむまれて国王こくわうをうけて、 ゐちてんおばしたがふといゑども、 しやうウマル らうオイタルびやうヤマウシヌル愛別あいべちワカレハナ離苦りくルヽクルシミ おんウラミ ぞうソネム会苦えくクルシミゐちもまぬかるゝことなし。 これらのなからむすら、 さん悪道まくだうにかへるおそれあり。 こゝろあらむひとは、 いかゞいとはざるべき。

うけがたき人界にんがいしやうをうけて、 あひがたき仏教ぶちけうにあひ、 このたびしゆつをもとめさせたまへ。

おほかたは、 さこそはおもふことにてさふらへども、 かやうにおほせらるゝことばにつきて、 さうなくしゆつをしたりとも、 こゝろにみやうをはなれたることもなし。 かい清浄しやうじやうなることなく、 道心だうしむにてひとはうをなされむこと、 いかゞとおぼえさふらふ。 それもざいにありておほくのりんごふをまさむよりは、 よきことにてやさふらふべき。

こた たわぶれにアマのころもをき、 さけにゑいてしゆつをしたるひと、 みな仏道ぶちだういんとなりにきと、 ふるきものにもかきつたえられてさふらふ

¬わうじやう十因じふいん¼ (意)まふすふみには、 「*しようによしやうにん父母ぶもともにしゆつせしときおとこはとしじふゐちさいオメさむじふさんなり。 しゆぎやうそうをもちてとしき。 ほめていはく、 衰老すいらうにもいたらず、 病患びやうぐゑんウレエにものぞまず、 い1045しゆつをもとむ。 これさいじやう善根ぜんごんなり」 とこそはいひけれ。

しや如来によらい当来たうらいだうろくそんぞくしたまふにも、 「かい重悪ぢうあくのともがらなりといふとも、 かしらをそり、 ころもをそめ、 袈裟けさをかけたらむものは、 みななんぢにつく」 とこそはおほせられてさふらへ。

さればかいなりといゑども、 さん得脱とくだちなほたのみあり。 あるきやうもんには、 「ざいかいには、 しゆつかいはすぐれたり」 とこそはまふしさふらへ。

まことに仏法ぶちぽふ流布るふにむまれて、 しゆつみちをえて、 だち幢相どうさうのころもをかたにかけ、 しやくにつらなりて、 仏法ぶちぽふしゆぎやうせざらむ。 まことにたからやまにいりて、 をむなしくしてかへるためしなり。

まことにしゆつなどしては、 さすがにしやうをはなれ、 だいにいたらむことをこそは、 いとなみにてさふらふべけれ。 いかやうにかつとめ、 いかやうにかねがひさふらふべき。

¬安楽あんらくしふ¼ (巻上意)いはく、 「だいじようしやうげうによるに、 しゆしようぼふあり。 ひとつにはしやうだうふたつにはわうじやうじやうなり」。

穢土ゑどなかにして、 やがて仏果ぶちくわをもとむるは、 みなしやうだうもんなり。 諸法しよほふ実相じちさうくわんじてしようをえむと、 法華ほふくゑ三昧ざんまいぎやうじて六根ろくこん清浄しやうじやうをもとめ、 三密さんみちぎやうほふをこらして即身そくしんじやうぶちせむとおもふ。 あるいはだうくわをもとめ、 またさんみやうろくをねがふ、 これみななんぎやうだうなり。

わうじやうじやうもんといふは、 まづじやう1046むまれて、 かしこにてさとりおもひらき、 ほとけにもならむとおもふなり、 これはぎやうだうといふ。 しやうをはなるゝみちみちおほし、 いづれよりもいらせたまへ。

さればわれらがごときのおろかなるものは、 じやうをねがひさふらふべきか、 いかに。

こた ¬安楽あんらくしふ¼ (巻上意)いはく、 「しやうだう一種ゐちしゆは、 いまのときにはしようしがたし。 ひとつにはだいしやうをされることはるかにとおきによる。 ふたつにははふかくして、 さとりはすくなきによる。 このゆへに ¬大集だいじふぐわちざうきやう¼ にいはく、 わが末法まちぽふのときのなか億億おくおくしゆじやうぎやうをおこしだうしゆするに、 一人ゐちにんもうるものはあらず。

まことにいま末法まちぽふじよくあくなり。 たゞじやう一門ゐちもんのみありてにふすべきなり。 こゝをもて諸仏しよぶちだいじやうくゐせよとすゝめたまふ。 ゐちぎやうあくをつくれども、 たゞよくこゝろをかけて、 まことをもはらにして、 つねによく念仏ねむぶちせよ。 一切ゐちさいのもろもろのさはり、 ねんにのぞこりて、 さだめてわうじやうをう。 なむぞおもひはからずして、 さるこゝろなきや」 といふ。

ゐやうくわんののたまはく、 「真言しんごんくわんは、 ふかくしてさとりがたく、 三論さんろん法相ほふさうは、 みちかすかにしてまどひやすし」 (往生拾因) なむどさふらふ

まことにくわんねむもたえず、 ぎやうほふにもいたらざらむひとは、 じやうわうじやうをとげて、 一切ゐちさい法門ほふもんおもやすくさとらせたまはむは、 よくさふらふなむとおぼえさふらふ

1047 十方じふぱうじやうおほし、 いづれおかねがひさふらふべき。 そち上生じやうしやうをねがふひともおほくさふらふ、 いかゞおもひさだめさふらふべき。

こた 天臺てんだいだいののたまはく、

諸教しよけうむるところおほ弥陀みだいますがゆへに、 西方さいはうをもてゐちじゆんとす」 (輔行巻二)

諸教しよけうしよさんざい弥陀みだ西方さいはうゐちじゆん↡」

と。 また顕密けんみち教法けうぼふなかに、 もはら極楽ごくらくをすゝむることは、 しようすべからず。

しむの ¬わうじやう要集えうしふ¼ に、 十方じふぱうたいして西方さいはうをすゝめ、 そちたいしておほくのしようれちをたて、 なんさうしようをひけり、 たづねらんぜさせたまへ。

極楽ごくらくこのえんふかし、 弥陀みだえん教主けうしゆなり、 宿因しういんのゆへ、 ほんぐわんのゆへ。 たゞ西方さいはうをねがはせたまふべきとこそおぼえさふらへ。

まことにさては、 ひとすぢに極楽ごくらくをねがふべきにこそさふらふなれ、 極楽ごくらくをねがはむには、 いづれのぎやうかすぐれてさふらふべき。

こた 善導ぜんだうしやくしてのたまはく、 「ぎやうしゆあり。 ひとつには正行しやうぎやうふたつにはざふぎやうなり。 しやうなかしゆ正行しやうぎやうあり。 ひとつには礼拝らいはい正行しやうぎやうふたつには讃嘆さんだんやう正行しやうぎやうみつには読誦どくじゆ正行しやうぎやうよつにはくわんざち正行しやうぎやういつゝには称名しようみやう正行しやうぎやうなり。

ひとつ礼拝らいはい正行しやうぎやうといふは、 らいせむには、 すなわちかのほとけらいしてらいをまじえざれ。

ふたつ讃嘆さんだんやう正行しやうぎやうといふは、 讃嘆さんだんやうして讃嘆さんだんやうをまじえざれ。

みつ読誦どくじゆ正行しやうぎやうといふは、 読誦どくじゆせむには、 ¬弥陀みだきやう¼ とうさんきやう読誦どくじゆして読誦どくじゆをまじえざれ。

よつくわんミソナハス ざちカヾミルしやうぎやうといふは、 憶念おくねむくわんざちせむには、 か1048ほうしやうごむとうくわんざちしてくわんざちをまじえざれ。

いつゝ称名しようみやう正行しやうぎやうといふは、 しようせむには、 すなわちかのほとけしようして称名しようみやうをまじえざれ。

このしゆわうじやう正行しやうぎやうとす。 この正行しやうぎやうなかにまたふたつあり。 ひとつにはしやうふたつにはじよ称名しようみやうをもてはしやうとし、 礼誦らいじゆとうをもちては助業じよごふとなづく。 このしやうじよぎやうをのぞきて、 自余じよ衆善しゆぜんはみなざふぎやうとなづく」 (散善義意)

またしやくしていはく、 「自余じよ衆善しゆぜんは、 ぜんとなづくといゑども、 念仏ねむぶちにくらぶれは、 またくけうナラブルト あらず」 (定善義) とのたまへり。

じやうをねがはせたまはゞ、 一向ゐちかう念仏ねむぶちをこそはまふさせたまはめ。

ぎやうしゆしてわうじやうせむことは、 かなひさふらふまじや。 されども ¬法華ほふくゑきやう¼ (巻六薬王品) には 「即往そくわう安楽あんらくかい弥陀みだぶち」 といひ、 密教みちけうなかにも、 決定くゑちぢやうわうじやう真言しんごん滅罪めちざい真言しんごんあり。 諸教しよけうなかに、 じやうわうじやうすべきりきをとけり、 また穢土ゑどなかにして仏果ぶちくわにいたるといふ。

かたきとくをだにせらむけうしゆぎやうして、 やすきわうじやう極楽ごくらくかうせば、 仏果ぶちくわにかなうまでこそかたくとも、 わうじやうはやすくやさふらふべきとこそおぼえさふらへ。 またおのづからちやうもんなどにうけたまはるにも、 法華ほふくゑ念仏ねむぶちひとつものとしやくせられさふらふ。 ならべてしゆせむに、 なにかくるしくさふらふべき。

こた ¬そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下)三輩さんぱいわうじやうごふをときて、 ともに 「一向ゐちかう専念せんねむりやう寿じゆぶち」 とのたまへり。

¬くわんりやう寿じゆきやう1049¼ に、 もろもろのわうじやうぎやうをあつめてときたまふおはりに、 なんぞくしたまふところには、 「なむぢこのことばをたもて。 このことばをたもてといふは、 りやう寿じゆぶちのみなをたもてとなり」 とときたまふ。

善導ぜんだう ¬観経くわんぎやう¼ をしやくしてのたまふに、 「ぢやうさんりやうもんやくをとくといゑども、 ぶちほんぐわんをのぞむには、 一向ゐちかうにもはら弥陀みだみやうがうしようせしむるにあり」 (散善義) といふ。

おなじき ¬きやう¼ (観経)もんに、 「一一ゐちゐち光明くわうみやう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやうをてらして、 摂取せふしゆしてすてたまはず」 ととけり。

善導ぜんだうしやくしてのたまふには、 「ろんぜず、 雑業ざふごふのものをてらし摂取せふしゆす」 (観念法門) といふことおばとかずさふらふ

ぎやうのものふつとむまれずとはいふにはあらず、 善導ぜんだうも 「かうしてむまるべしといゑども、 もろもろのざふぎやうとなづく」 (散善義) とこそはおほせられたれ。

¬わうじやう要集えうしふ¼ (巻上)じよにも、 「顕密けんみち教法けうぼふ、 そのもんひとつにあらず。 事理じり業因ごふいん、 そのぎやうこれおほし。 利智りちしやうじんひとは、 いまだかたしとせず。 がごときのぐわんカタクナのもの、 たやすからむや。 このゆへに、 念仏ねむぶち一門ゐちもんによりて、 きやうろん要文えうもんをあつむ。 これをひらき、 これをしゆするに、 さとりやすくぎやうじやすし」 といふ。

これらのしようあきらめつべし。 けうをえらぶにはあらず、 をはからふなり。 わがちからにてしやうをはなれむこと、 はげみがたくして、 ひとへにりき弥陀みだほんぐわんをた1050のむなり

先徳せんどくたちおもひはからひてこそは、 だうしやくしやうだうをすてゝじやうもんにいり、 善導ぜんだうざふぎやうをとゞめて一向ゐちかう念仏ねむぶちして三昧さんまいをえたまひき。 じやうしゆ祖師そしだいにあひつげり、 わづかにゐちりやうをあぐ。

このてうにもしむゐやうくわんなどいふ、 しゆしゆ、 ひとへに念仏ねむぶち一門ゐちもんをすゝめたまへり。

専雑せんざふしゆ、 はじめてまふすにおよばず。 じやうしゆのふみおほくさふらふ、 こまかにらんさふらふべし。

また即身そくしん得道とくだうぎやうわうじやう極楽ごくらくにおよはざらむやとさふらふは、 まことにいわれたるやうにさふらへども、 なかにもしゆまふすことのさふらふぞかし。

善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうしよ¼ (玄義分意) にいはく、 「般若はんにやきやうのごときは、 空慧くゑをもてしゆとす、 ¬ゆいきやう¼ のごときは、 思議しぎだちをもちてしゆとす。 いまこの ¬観経くわんぎやう¼ は、 くわんぶち三昧ざんまいをもちてしゆとし、 念仏ねむぶち三昧ざんまいをもちてしゆとす」 といふがごとき。

¬法華ほふくゑ¼ は、 真如しんによ実相じちさうびやうどうめうくわんじてしようをとり、 現身げんしんぼむ六根ろくこんくらゐにもかなふ、 これをもちてしゆとす。 また真言しんごんには、 即身そくしんじやうぶちをもちてしゆとす。

¬法華ほふくゑ¼ にもおほくのりきをあげてきやうをほむるついでに、 「即往そくわう安楽あんらく(法華経巻六薬王品) ともいひ、 また 「即往そくわうそちてんじやう(法華経巻七勤発品) ともいふ。 これは便びんせちなり、 わうじやうしゆとするにはあらず。 真言しんごんもまたかくのごとし。

法華ほふくゑ念仏ねむぶちひとつなりといひて、 ならべてしゆせよといはゞ、 善導ぜんだうくわしやうは ¬法華ほふくゑ¼・¬ゆい¼ とう読誦どくじゆしき。 じやう一門ゐちもん1051にいりにしよりこのかた、 一向ゐちかう念仏ねむぶちして、 あえてぎやうをまじふることなかりき。

しかのみならず、 じやうしゆ祖師そしあひつぎて、 みな一向ゐちかうみやうがうしようしてごふをまじへざれとすゝむ。 これらをあんじて専修せんじゆゐちぎやうにいらせたまへとはまふすなり。

じやう法門ほふもんに、 まづなになにをみてこゝろつきさふらふなむ。

こた きやうには¬さうくわん¼・¬くわんりやう寿じゆ¼・¬せう弥陀みだきやう¼ とう、 これをじやうさんきやうとなづく。 ふみには善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうしよ¼・¬ろく礼讃らいさん¼・¬くわんねむ法門ぼふもん¼、 だうしやくの ¬安楽あんらくしふ¼、 おんの ¬西方さいはうえうくゑち¼、 かむの ¬ぐんろん¼、 天臺てんだいの ¬じふろん¼、 わがてうにんしむの ¬わうじやう要集えうしふ¼ なむどこそは、 つねにひとのみるものにてさふらへ。

たゞなにをらんずとも、 よくおむこゝろえて念仏ねむぶちまふさせたまはむに、 わうじやうなにかうたがひさふらふべき。

こゝろおば、 いかやうにかつかひさふらふべき。

こた 三心さんしむそくせさせたまへ。 その三心さんしむまふすは、 ひとつにはじやうしむふたつには深心じむしむみつにはかうほちぐわんしむなり。

ひとつじやうしむといふは、 真実しんじちしむなり。 善導ぜんだうしやくしてのたまはく、 「といふはしんじやうといふはじち真実しんじちのこゝろのなかに、 この自他じたしやうほうをいとひすてゝ、 三業さんごふしゆするところのきやうごふに、 かならず真実しんじちをもちゐよ。 ほかに賢善けんぜんしやうじんさうげんじて、 うちに虚仮こけをいだくものは、 にちじふにつとめおこなふこと、 かうべの1052をはらふがごとくにすれども、 わうじやうをえずといふ。 たゞ内外ないぐゑみやうあむおばえらばず、 真実しんじちをもちゐるゆへに、 じやうしむとなづく。

ふたつ深心じむしむといふは、 ふかきしんなり。 決定くゑちぢやうしてふかくしんぜよ、 しんげんにこれ罪悪ざいあくしやうぼむなり。 くわうごふよりこのかた、 つねにしづみつねにてんして、 しゆつえんあることなし。

また決定くゑちぢやうしてふかくしんぜよ、 かの弥陀みだぶち十八じふはちぐわんをもて、 しゆじやうをうけおさめて、 うたがひなくうらもひなく、 かのぐわんりきにのりてさだめてわうじやうすと。

あふぎてねがはくは、 ほとけのみことおばしんぜよ。 もし一切ゐちさいしやひやくせん万人まんにんきたりて、 きやうろんしようをひきて、 一切ゐちさいぼむ念仏ねむぶちしてわうじやうすることをえずといはむに、 一念ゐちねむウタガフ 退たいシリゾクのこゝろをおこすべからず。 たゞこたえていふべし、 なむぢがひくところのきやうろんしんぜざるにはあらず。 なむぢがしんずるところのきやうろんは、 なむぢがえんけう、 わがしんずるところは、 わがえんけう、 いまひくところのきやうろんは、 さちにんてんとうじてとけり。

この ¬観経くわんぎやう¼ とうさんは、 ぢよくあくぜんぼむのためにときたまふ。 しかれば、 かの ¬きやう¼ をときたまふときには、 たいべちに、 ところべちに、 やくべちなりき。 いまきみがうたがひをきくに、 いよいよ信心しんじむぞうマシぢやうマストナリ

もしはかんびやくぶちしよじふさち十方じふぱうにみちみち、 化仏くゑぶち報仏ほうぶちひかりをかゞやかし、 虚空こくにみしたをはき1053て、 むまれずとのたまはゞ、 またこたえていふべし、 一仏ゐちぶちせち一切ゐちさい仏説ぶちせちにおなじ、 しや如来によらいのときたまふけうをあらためば、 せいしたまふところのせちしやう十悪じふあくとうつみをあらためて、 またおかすべからむや。

さきのほとけそらごとしたまはゞ、 のちのほとけもまたそらごとしたまふべし。 おなじことならば、 たゞしんじそめたるほふおば、 あらためじといひて、 ながく退たいすることなかれ。 かるがゆへに深心じむしむなり。

みつかうほちぐわんしむといふは、 一切ゐちさい善根ぜんごんをことごとくみなかうして、 わうじやう極楽ごくらくのためとす。 決定くゑちぢやう真実しんじちのこゝろのなかかうして、 むまるゝおもひをなすなり。 このこゝろ深信じむしんなること金剛こむがうのごとくにして、 一切ゐちさいけんがくべちべちぎやうにんとうに、 動乱どうらん破壊はゑせられざれ。

いまさらにぎやうじやのためにひとつのたとひをときて、 外邪ぐゑじやけんなんをふせがむ。 ひとありて西にしにむかひてひやくせんをゆくに、 忽然こつねんタチマチニ してちうにふたつのかわあり。 ひとつにはこれかわみなみにあり。 ふたつにはこれみづかわきたにあり。 おのおのひろさひやくモヽアユミ、 ふかくしてそこなし、 南北なむぼくにほとりなし。

まさにしゐくわ中間ちうげんひとつびやくだうあり、 ひろさ四五しごすんばかりなるべし。 このみちひむがしきしより西にしきしにいたるに、 ながさひやく、 そのみづらうまじオナミコナミトイフわりすぎてみちをうるおす、 火炎くわえむまたきたりてみちをやく。 水火しゐくわあひまじわりてつねにやむことなし。

このひとすでにムナシク くわうハルカナリのはるかな1054るところにいたるに、 ひとなくして群賊ぐんぞく悪獣あくじゆあり。 このひとひとりありくをみて、 きおいきたりてころさむとす。 このひとをおそれてたゞちにはしりて西にしにむかふ。

忽然こつねんとしてこのたいをみるに、 すなわち念言ねむごんすらく、 南北なむぼくにほとりなし、 中間ちうげんひとつびやくだうをみる、 きわめてけちセバクせうセバシなり。 ふたつのきしあいさることちかしといゑども、 いかゞゆくべき。 今日こむにちさだめてせむことうたがひなし。

まさしくかへらむとおもへば、 群賊ぐんぞく悪獣あくじゆやうやくにきたりせむ。 南北なむぼくにさりはしらむとおもへば、 悪獣あくじゆ毒虫どくちうきおひきたりてわれにむかふ。 まさに西にしにむかひてみちをたづねて、 しかもさらむとおもへば、 おそらくはこのふたつのかわにおちぬべし。

このときおそるゝこといふべからず、 すなわちねむすらく、 かへるともし、 またさるともしなむ、 一種ゐちしゆとしてもをまぬかれざるものなり。 われむしろこのみちをたづねて、 さきにむかひてしかもさらむ。 すでにこのみちあり、 かならずわたるべしと。

このおもひをなすときに、 ひむがしきしにたちまちにひとのすゝむるこゑをきく。 きみ決定くゑちぢやうしてこのみちをたづねてゆけ、 かならずなんなけむ。 ぢゆせば。 すなわちしなむ。 西にしきしうへひとありてよばひていはく、 なむぢ一心ゐちしむにまさしくねんじて、 身心しんしむいたりて、 みちをたづねてぢきにすゝみて、 かう退心たいしむをなさず。

あるいは一分ゐちぶんぶんゆくに1055群賊ぐんぞくよばいていはく、 きみかへりきたれ、 このみちはけあしくあしきみちなり、 すぐることをうべからず、 しなむことうたがひなし、 われらがしゆあしきこゝろなし。

このひとあひむかふに、 よばふこゑをきくといゑどもかへりみず。 ぢきにすゝみてみちねんじてしかもゆくに、 しゆにすなわち西にしきしにいたりて、 ながくもろもろのなんをはなる。 ぜんあひむかひてよろこびやむことなし。

これはこれたとひなり。 つぎたとひがふすといふは、 ひむがしきしといふは、 すなわちこのしや火宅くわたくにたとふるなり。

群賊ぐんぞく悪獣あくじゆいつわりちかづくといふは、 すなわちしゆじやう六根ろくこん六識ろくしき六塵ろくぢんおむだいなり。

ひとなきくわうさわといふは、 すなわちあくにしたがひて、 まことのぜんしきにあはざるなり。

水火しゐくわ二河にがといふは、 すなわちしゆじやう貪愛とむあいみづのごとく、 瞋憎しんぞうのごとくなるにたとふるなり。

中間ちうげんびやくだう四五しごすんといふは、 しゆじやう貪瞋とむじん煩悩ぼむなうなかに、 よく清浄しやうじやうぐわんわうじやうしむをなすなり。 貪瞋とむじんこはきによるがゆへに、 すなわち水火しゐくわのごとしとたとふるなり。

しゐつねにみちをうるおすといふは、 愛心あいしむつねにおこりて善心ぜんしむぜむするソメケガストナリ なり。 また火炎くわえんつねにみちをやくといふは、 すなわち瞋嫌しんけむのこゝろよくどく法財ほふざいノリノタカラ やくなり。

ひとみちをのぼるにぢき西にしにむかふといふは、 すなわちもろもろのきやうごふをめぐらして、 ぢき西にしにむ1056かふにたとふるなり。

ひむがしきしに人のこゑのすゝめやるをきゝて、 みちをたづねてぢき西にしにすゝむといふは、 すなわちしやはすでにめちしたまひてのち、 ひとみたてまつらざれども、 なほ教法けうぼふありてすなわちたづぬべし。 これをこゑのごとしとたとふるなり。

あるいは一分ゐちぶんぶんするに群賊ぐんぞくよばひかへすといふは、 べちべちぎやう悪見あくけんにんみだりにけんをときてあひ惑乱わくらんし、 およびみづからつみをつくりて退失たいしつするなり。

西にしきしうへひとありてよばふといふは、 すなわち弥陀みだぐわんのこゝろにたとふるなり。

しゆにすなわち西にしきしにいたりてぜんあひみてよろこぶといふは、 すなわちしゆじやうのひさしくしやうにしづみて、 くわうごふよりりんし、 メイマドフたうタフルヽづからまどふだちするによしなし。

あふぎて*発遣はちけんして、 西方さいはうにむかへしめたまふ。 弥陀みだしむまねきよばひたまふに、 そんおむこゝろしんじゆんして、 水火しゐくわ二河にがをかへりみず、 念念ねむねむにわするゝことなく、 かのぐわんりきじようじて、 このみちにいのちをすておはりてのち、 かのくににむまるゝことをえて、 ほとけとあひみて、 きやうらくするヨロコビタノシマムこときわまりなからむ。

ぎやうじやぎやうぢゆぐわ三業さんごふしゆするところ、 ちうせちをとふことなく、 つねにこのさとりをなし、 このおもひをなすがゆへにかうほちぐわんしむといふ。

またかうといふは、 かのくにゝむまれおはりて、 だいをおこしてしやうにかへりいりて、 しゆじやう1057教化けうくゑするをかうとなづく。

三心さんしむすでにすれば、 ぎやうじやうぜざることなし。 願行ぐわんぎやうすでにじやうじて、 もしむまれずといはゞ、 このことわりあることなけむ」 (散善義意) と。 じやう善導ぜんだうしやくもんなり。

¬弥陀みだきやう¼ のなかに、 「一心ゐちしむらん」 とさふらふぞかしな。 これ弥陀みだぶちまふさむとき余事よじをすこしもおもひまぜさふらふまじきにや。 ゐちしやう念仏ねむぶちまふさむほど、 ものをおもひまぜざらむことはやすくさふらへば、 一念ゐちねむわうじやうにはもるゝひとさふらはじとおぼえさふらふ。 またいのちのおはるをとして、 ねむなからむことは、 ぼむわうじやうすべきことにてもさふらはず。 このいかゞこゝろえさふらふべき。

こた 善導ぜんだうこのことしやくしてのたまはく、 ひとたび三心さんしむそくしてのち、 みだれやぶれざること金剛こむがうのごときにて、 いのちのおはるをとするを、 なづけて一心ゐちしむといふとさふらふ

弥陀みだぶちほんぐわんもんに、

「たとひわれほとけむに、 十方じふぱうしゆじやうしんいた信楽しんげうして、 わがくにむまれむとおもふて、 ない十念じふねむせむ。 もしむまれずは、 しやうがくらじ」 (大経巻上)

「設我得↠仏、 十方衆生、 至↠心信楽、 欲↠生↢我国↡、 乃至十念。 若不↠生者、 不↠取↢正覚↡」

といふ。 このもんに 「しん」 といふは、 ¬観経くわんぎやう¼ にあかすところの三心さんしむなかじやうしむにあたれり。 「信楽しんげう」 といふは、 深心じむしむにあたれり。 これをふさねて、 いのちのおはるをとして、 みだれぬものを一心ゐちしむとはまふすなり。

このこゝろをせらむもの、 もしは一日ゐちにちもしはにちないゐちしやうじふしやうに、 かならずわうじやうすることをうといふ。 いかでかぼむ1058のこゝろに、 散乱さんらんなきことさふらふべき。 さればこそぎやうだうとはまふすことにてさふらへ。

¬そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下)もんには、

わう悪趣あくしゅる、 悪趣あくしゅねんづ、 だうのぼるにごくなし。 きやすくしてひとなし」

「横截↢五悪趣↡悪趣自然閉昇↠道無↢窮極↡易↠往而無↠人」

ととけり。 まことにゆきやすきこと、 これにすぎたるやさふらふべき。

こふをつみてむまるといはゞ、 いのちもみじかく、 みもたえざらむひと、 いかゞとおもふべきに、 ほんぐわんに 「ない十念じふねむ(大経巻上) といふ、 ぐわんじやうじゆもんに 「ない一念ゐちねむもかのほとけねんじて、 こゝろをいたしてかうすれば、 すなわちかのくににむまるゝことをう」 (大経巻下意) といふ。

造悪ざうあくのものむまれずといはゞ、 ¬観経くわんぎやう¼ のもんに、 ぐゐやく罪人ざいにんむまるととく。

もしよもくだり、 ひとのこゝろもおろかなるときは、 信心しんじむうすくしてむまれがたしといはゞ、 ¬そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下)もんに、

当来たうらいきやうだう滅尽めちじんせむに、 われ慈悲じひ哀愍あいみんをもて、 ことにこのきやうとゞめてぢゆすることひやくさいせむ。 それしゆじやうあてこのきやうまうあはむものこゝろしよぐわんしたがてみなとくすべし。」

当来たうらい之世しせきやうだう滅尽めちじん慈悲じひ哀愍あいみん↡、 どくきやうぢゆひやくさい其有ごうしゆじやうきやうしやずいしよぐわんかいとく↡。」

そのときしゆじやう三宝さんぽうをきくことなし、 もろもろのしやうげうりうにかくれてゐちくわんもとゞまることなし。 たゞ悪邪あくじやしんのさかりなるしゆじやうのみあり、 みな悪道あくだうにおちぬべし。 弥陀みだほんぐわんをもちて、 しやだいふかきゆへに、 このけうをとゞめたまひつることひやくねんなり。 いはむや、 このごろはこれ末法まちぽふのはじめなり。 万年まんねんのゝちのしゆじやうにおとらむや。

かるがゆへに 「わう」 といふ。 しかりといゑども、 このけうにあふものはかたく、 また1059おのづからきくといゑども、 しんずることかたきがゆへに、 しかれば、 「にん」 といふ、 まことにことわりなるべし。

¬弥陀みだきやう¼ (意) に、 「もしは一日ゐちにちもしはにちない七日しちにちみやうがうしふして一心ゐちしむらんなれば、 そのひとみやうじゆときに、 弥陀みだぶちもろもろのしやうじゆげんにそのひとのまへにまします。 おはるときしむ顛倒てんだうして、 タフレタフルヽコトナシトナリ弥陀みだぶち極楽ごくらくこくわうじやうすることをう」 といふ。

このことをときたまふときに、 しや一仏ゐちぶち所説しよせちしんぜざらむことをおそれて、 「六方ろくぱう如来によらい同心どうしんどうにおのおの広長くわうぢやう舌相ぜちさうをいだして、 あまねく三千さんぜん大千だいせんかいにおほいて、 もしこのことそらごとならば、 わがいだすところの広長くわうぢやうしたやぶれたゞれて、 くちにかへりいることあらじ」 (観念法門) とちかひたまひき。

きやうもんしやくもんあらはにさふらふ、 たゞよくおむこゝろえさふらへ。 まただいじやうじたまひしときは、 みな証明しようみやうありき。 法華ほふくゑをときたまひしときは、 ほう一仏ゐちぶち証明しようみやうし、 般若はんにやをときたまひしときは、 はうぶち証明しようみやうしたまふ。 しかりといゑども、 一日ゐちにち七日しちにち念仏ねむぶちのごときに証誠しようじやうのさかりなることはなし。 ほとけもこのことをことにだいにおぼしめしたるにこそさふらふめれ。

信心しんじむのやうはうけたまはりぬ。 ぎやうだいいかゞさふらふべき。

こた しゆをこそはほんとすることにてさふらへ。 ひとつにはぢやうしゆふたつには慇重いんぢうしゆ、 またぎやうしゆとなづく、 みつ1060にはけんしゆよつには无余むよしゆなり。

ひとつぢやうしゆといふは、 おんの ¬西方さいはうえうくゑち¼ (意) にいはく、 「しよ発心ほちしむよりこのかた、 つねに退転たいてんなきなり」。 善導ぜんだうは、 「いのちのおはるをとして、 ちかふちうにとゞまステズウシナハヌナリ らざれ」 (礼讃) といふ。

ふたつぎやうしゆといふは、 極楽ごくらくぶちぽふそうぼうにおいて、 つねに憶念おくねむして尊重そんぢうをなすなり。 ¬わうじやう要集えうしふ¼ にあり。

また ¬えうくゑち¼ (意) にいはく、 「ぎやうしゆ、 これにつきていつゝあり。 ひとつにはえんしやうにんをうやまふ、 ふたつにはえんざうけうとをうやまふ、 みつにはえんぜんしきをうやまふ、 よつには同縁どうえんともをうやまふ、 いつゝには三宝さんぽうをうやまふ。

ひとつえんしやうにんをうやまふといふは、 ぎやうぢゆぐわ西方さいはうをそむかず、 ていツワキハキ便べんダイベン西方さいはうにむかはざれといふ。

ふたつえんざうけうとをうやまふといふは、 弥陀みだざうをあまねくつくりもかきもせよ。 ひろくすることあたはずは、 一仏ゐちぶちさちをつくれ。 またけうをうやまふといふは、 ¬弥陀みだきやう¼ とうしきふくろにいれて、 みづからもよみをおしへてもよませよ。 ざうきやうとをしちのうちイヱノウチナリ あんして、 ろく礼讃らいさんし、 香華かうぐゑやうすべし。

みつえんぜんしきをうやまふといふは、 じやうけうをのべむものおば、 もしはせんじゆんよりこのかた、 ならびにきやうぢう親近しんごんやうすべし。 別学べちがくのものおもそうじてうやまふこゝろをおこすべし。 もしまんをなさば、 つみをうることきわまりなし。 すゝめてもしゆじやうのために1061ぜんしきとなりて、 かならず西方さいはうくゐすることをもちゐよ。 この火宅くわたくぢゆせば、 退たいシリゾキ もち シヅムありていでがたきがゆへなり。 火界くわかい修道しゆだうはなはだかたきがゆへに、 すゝめて西方さいはうくゐせしむ。 ひとたびわうじやうをえつれば、 三学さんがくねんしようしんしぬ。 まんぎやうならびにそなわるがゆへに、 弥陀みだじやうこく造悪ざうあくなし。

よつ同縁どうえんともをうやまふといふは、 おなじくごふしゆするものなり。 みづからはさとりおもくしてひとりごふじやうぜりといゑども、 かならずよきともによりて、 まさにぎやうをなす。 あやうきをたすけ、 あやうきをすくふこと同伴どうはん善縁ぜんえんなり、 ふかくあひたのみておもくすべし。

いつゝのかたぶきたるが、 たうるゝには、 まがれるによるがごとし。 ことのさわりありて、 西にしにむかふにおよばずは、 たゞ西にむかふおもひをなすにはしかず」。

みつけんしゆといふは、 ¬えうくゑち¼ (意)いは 「つねに念仏ねむぶちしてわうじやうのこゝろをなせ。 一切ゐちさいときにおいて、 こゝろにつねにおもひたくむべし。 たとへばもしひとせうトラレりやうカスメラレテ れて、 せんとなりて艱辛かむしむカラキメヲミルうく。 たちまちに父母ぶもをおもひて、 本国ほんごくにはしりかへらむとおもふて、 ゆくべきはかりこと、 いまだわきまへずしてきやうにあり、 にちゆいす。 くるしみたえしのぶべからず、 ときとしても本国ほんごくをおもはずといふことなし。 はかりごとをなすことえて、 すでにかへりてたちすることをえて、 父母ぶもしんシタシミ ごんチカヅクナリて、 ほ1062しきまゝにくわん ヨロコブ するがごとし。 ぎやうじやまたしかなり。 往因わういん煩悩ぼむなう善心ぜんしむらんせられヤブラレミダラルヽナリて、 ふく珍財ちんざいならメヅラシキタカラびにさんチラシ しちウシナフして、 ひさしくしやうにしづみて、 六道ろくだう駈馳くちしてカリツカワレハシルくるしみ身心しんしむをせむ。 いま善縁ぜんえんにあひて、 弥陀みだ慈父じふをきゝて、 まさに仏恩ぶちおんねんじて、 報尽ほうじんムクヒツキテト として、 こゝろにつねにおもふべし。 こゝろにあひつぎてごふをまじへざれ」。

よつ无余むよしゆといふは、 ¬えうくゑち¼ にいはく、 「もはら極楽ごくらくをもとめて礼念らいねむするなり。 しよきやうごふざふマジヘオコサズざれ。 しよごふ日別にちべち念仏ねむぶちすべし」。 善導ぜんだうののたまはく、 「もはらかのほとけみやうがうねんじ、 もはららいし、 もはらかのほとけおよびかの一切ゐちさいしやうじゆとうをほめて、 ごふをまじえざれ。 専修せんじゆのものはひやくはすなわちひやくながらむまれ、 雑修ざふしゆのものはひやくなかにわづかにゐちなり。 雑縁ざふえんにねがひつきぬれば、 みづからもさえ、 わうじやう正行しやうぎやうおもさうるなり。 なにをもてのゆへに。 われみづから諸方しよはうをみきくに、 道俗だうぞくぎやうどうにして、 専雑せんざふことなり。 たゞこゝろをもはらになさば、 じふはすなわちじふながらむまる。 雑修ざふしゆのものは、 ゐちもえず」 (礼讃意) といふ。

また善導ぜんだうしやくしてのたまはく、 「西方さいはうじやうごふしゆせむとおもはむものは、 しゆおつることなく、 三業さんごふまじわることなくして、 一切ゐちさいしよぐわんはいステツ て、 たゞ西方さいはうゐちぎやうゐちぐわんとをしゆせよ」 (群疑論巻四意) とこそさふらへ。

十一1063 一切ゐちさい善根ぜんごんわうのためにさまたげらる。 これはいかゞしてたいムカヘタスクルさふらふべき。

こた かいといふものは、 しゆじやうをたぶろかすものなり。 一切ゐちさいきやうごふは、 りきをたのむがゆへなり 念仏ねむぶちぎやうじやは、 みおば罪悪ざいあくしやうぼむとおもへば、 りきをたのむことなくして、 たゞ弥陀みだぐわんりきにのりてわうじやうせむとねがふに、 えんたよりをうることなし。

くわんをこらすひとにも、 なほかい魔事まじありといふ。 弥陀みだゐちには、 もとより魔事まじなし、 くわんにん清浄しやうじやうなるがゆへにといへり。 ほとけをたぶろかすえんなければ、 念仏ねむぶちのものおばさまたぐべからず、 りきをたのむによるがゆへに、 ひやくぢやういしをふねにおきつれば、 まん大海だいかいをすぐといふがごとし。

または念仏ねむぶちぎやうじやのまへには、 弥陀みだくわんおむつねにきたりたまふ。 廿にじふさちひやくぢう千重せんぢうねむしたまふに、 たよりをうべからず。

十二 弥陀みだぶちねむずるに、 いかばかりのつみおかめちさふらふ

こた一念ゐちねむによく八十はちじふ億劫おくこふしやうつみめちす」 (観経意) といひ、 また 「但聞たんもんぶちみやうさちみやうじよりやう億劫おくこふしやうざい(観経) などまふしさふらふぞかし。

十三 念仏ねむぶちまふしさふらふは、 ほとけ色相しきさう光明くわうみやうねむずるは、 観仏かむぶち三昧ざんまいなり。 報身ほうじんねん同体どうたいぶちしやうくわんずるは、 あさくこゝろすくなきわれらがきやうがいにあらず。

こた ぜん1064だうののたまはく、 「相をくわんぜずして、 たゞみやうしようせよ。 しゆじやうさわりおもくして、 くわんじやうずることかたし。 このゆへにだいしやうシヤカ仏ナリ はれみて、 称名しようみやうをもはらにすゝめたまへり。 こゝろはかすかにして、 たましひ十方じふぱうにとびちるがゆへなり」 (礼讃意) といふ。

ほんぐわんもんを、 善導ぜんだうしやくしてのたまはく、

「もしわれじやうぶちせむに、 十方じふぱうしゆじやうわがくにむまれむとがんじて、 わがみやうがうしようすること、 しもじふしやういたるまで、 わがぐわんりきじようじて、 もしむまれずは、 しやうがくらじと。 かのぶちいまげんましましてじやうぶちしたまへり。 まさにるべし、 本誓ほんぜいぢうぐわんむなしからず、 しゆじやうしようねむせばかならずわうじやうむ」 (礼讃)

にやくじやうぶち十方じふぱうしゆじやうがんしやうこく↡、 しようみやうがう↡、 下至げしじふしやう↡、 じようぐわんりき↡、 にやくしやうじやしゆしやうがく↡。 ぶちこむ現在げんざいじやうぶちたう本誓ほんぜいぢうぐわんしゆじやうしようねむ必得ひちとくわうじやう↡」

とおほせられてさふらふ

とくとく安楽あんらくじやうわうじやうせさせおはしまして、 弥陀みだくわんおむとして、 法華ほふくゑ真如しんによ実相じちさうびやうどうめう般若はんにや第一だいゐち義空ぎく真言しんごん即身そくしんじやうぶち一切ゐちさいしやうげう、 こゝろのまゝにさとらせおはしますべし。

 

退没 左 シリゾキオツルナリ イルトモイフ
発遣 左 シヤカノスヽメツカハストナリ