1117法然上人御消息

一、 熊谷入道への御返事

おむふみくはしくうけたまはりさうらひぬ。 かやうにまめやかに、 だいにおぼしめしさうらふ返々かへすがへすありがたくさうらふ。 まことにこのたび、 かまへてわうじやうしなんと、 おぼしめしきるべくさうらふ

うけがたき人身にんじんすでにうけたり、 あひがたき念仏ねむぶちわうじやう法門ほふもんにあひたり。 しゃをいとふこゝろあり、 極楽ごくらくをねがふこゝろおこりたり。 弥陀みだほんぐわん□□□□□□たゞおむこゝろにあるたひなり。 ゆめゆめおむ念仏ねむぶちおこたらず、 くゑちじやうわうじやうのよしをぞんぜさせたまふべくさうらふ。 なにごともとゞめさうらひぬ。

ぐわちじふ六日ろくにち  ぐゑん

でう殿どのきた政所まどころおむかへりごと

1118、 上野大胡太郎実秀の妻への御返事

上野かうづけのおほごの女房にょばうへん

おむふみくはしくうけたまはりさうらひぬ。 まづはるかなるほどに、 念仏ねむぶちこときこしめさむために、 わざとおむつかひをのぼせさせたまひてさうらふでう、 まことに念仏ねむぶちおむこゝろざしのほど、 かへすがへすあはれにこそさうらへ。

たづねおほせさうらふ念仏ねむぶちことわうじやう極楽ごくらくのためには、 たとひいかなるぎやうなりといへども、 念仏ねむぶちにすぎたることそうらはぬなり。 そのゆへは、 念仏ねむぶちはこれ弥陀みだほんぐわんぎやうなるがゆへなり。

ほんぐわんとまふすは、 弥陀みだぶちの、 いまだほとけになりたまはざりしむかし、 法蔵ほふざうさちとまふしゝいにしへ、ほとけこくをきよめ、 しゅじやうじやうじゆせしめむがために、 ざいわう如来にょらいもうしゝほとけのみまへにして、 じふはちだいぐわんをおこしたまひしそのなかに、 一切ゐちさいしゅじやうわうじやうせしめむがために、 ひとつぐわんをおこしたまひける。 これを念仏ねむぶちわうじやうだいぐわんとはまふしさうらふなり。

すなはち ¬りやう寿じゆきやう¼ じやうくわんいは

「たとひわれぶちたらむに、 十方じふぱうしゆじやうしんいた信楽しんげうしてわがくにむまれむとおもひて、 ない十念じふねむせむ。 もしむまれずは、 しやうがくらじ」 と。

「設我得↠仏、 十方衆生、 至↠心信楽欲↠生↢我国↡、 乃至十念。 若不↠生者、 不↠取↢正覚↡。」

ぜん1119だうくわしやうこのぐわんしやくしていは

「もしわれじやうぶちせむに、 十方じふぱうしゆじやう、 わがみやうがうしようすることしもじふしやういたるまで、 もしむまれずはしやうがくらじと。 かのぶちいまげんましましてじやうぶちしたまへり。 まさにるべし、 本誓ほんぜいぢうぐわんむなしからず、 しゆじやうしようねむすればかならずわうじやうむ」 と。 (礼讃)文

「若我成仏、 十方衆生、 称↢我名号↡下至↢十声↡、 若不↠生者不↠取↢正覚↡。 彼仏今現在成仏。 当↠知、 本誓重願不↠虚、 衆生称念必得↢往生↡。」

念仏ねむぶちは、 ほとけ法身ほふしんくわんずるにもあらず、 ほとけ相好さうがうくわんずるにもあらず、 たゞこゝろをひとつにして、 もはら弥陀みだみやうがうしようするを、 これを念仏ねむぶちとはまふすなり。 かるがゆへに称名しようみやうとはなづけてさうらふなり。

念仏ねむぶちのほかの一切ゐちさいぎやうは、 これ弥陀みだほんぐわんにあらず。 かるがゆへに、 たとひたえなるぎやうなりといふとも、 念仏ねむぶちにはおよびさうらふまじきなり。 おほかたそのくにゝむまれむとおもはむものは、 そのほとけせいぐわんにしたがふべきものなり。 しかればすなはち、 弥陀みだじやうにむまれむことは、 かならずほんぐわんにあり。 ぎやうはこれたくらぶべからず。 かるがゆへにわうじやう極楽ごくらくのためには、 念仏ねむぶちぎやうにすぎたることはさらにさふらはず。

わうじやうのみちにあらざるぎやう、 またおのおのかたどるかたもあり。 しかるにしゆじやうしやうをはなるゝみちは、 ほとけおしへやうやうにさふらふといへども、 このごろのひとの三界さんがいをいでしやうをはなるゝみちは、 たゞわうじやう極楽ごくらくばかりなり。 このしゆのおほきなるこゝろなり。

極楽ごくらくわうじやうするに、 そのぎやうやうやうにおほくさふらへども、 われらがわうじやうせむことは、 たゞ念仏ねむぶちにあらずは1120かなひがたくさふらふなり。 そのゆへは、 念仏ねむぶちはこれ弥陀みだほんぐわんぎやうなるがゆへに、 ほんぐわんにすがりてわうじやうすることいとやすくさうらふ

しかればすなわち、 ねむずるところ、 極楽ごくらくにあらずはしやうをはなるべからず、 念仏ねむぶちにあらずは極楽ごくらくにむまるべからざるものなり。 しかれば、 ふかくこのむねをしんじたまひて、 一向ゐちかう極楽ごくらくをねがひ、 ひとすぢに念仏ねむぶちしゆして、 このたびしやうをはなれ極楽ごくらくにむまれむとおぼしめすべきなり。

また一一ゐちゐちぐわんのおはりに、 「にやくしやしゆしやうがく」 とちかひたまへり。 しかるに弥陀みだぶちじやうぶちしたまひてよりこのかた、 すでに十劫じふこふをへたまへり。 まさにしるべし、 ほんぐわんむなしからず、みなことごとくじやうじゆしたまへり。 そのなか念仏ねむぶちわうじやうだいぐわん、 ひとりむなしかるべからず。 しかればすなわち、 しゆじやうしようねむすれば、 一人ゐちにんもむなしからず、 みなかならずわうじやうす。 たれかじやうぶちしたまへること、 しんぜざるべき。

三宝さんぽう滅尽めちじんのときなりといへども、 一念ゐちねむすればかならずわうじやうす。 ぐゐやく深重じむぢうひとなりといへども、 十念じふねむすればまたわうじやうす。 いかにいはむや、 三宝さんぽうのましますよにむまれて、 ぐゐやくおもつくらず。 われら弥陀みだみやうがうをとなえむに、 わうじやううたがふべからず。

いまこのぐわんにあひたてまつることは、 おぼろげのえんにあらず。 たとひあえりといへども、 しんぜざればまたあはざるがごとし。 いまふかくこのぐわんしんぜし1121めたまはゞ、 わうじやうのうたがひおぼしめすべからず。 かならずかならずふたごゝろなく、 よくよくおむ念仏ねむぶちさふらひて、 このたびしやうをはなれ極楽ごくらくにむまれむとおぼしめすべし。

また ¬くわんりやう寿じゆきやう¼ いは光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい↡、 念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや」 とは、 この弥陀みだこうみょう念仏ねむぶちのひとをのみをてらして、 一切ゐちさいぎやうにんをばてらさずといふなり。 たゞし、 ぎやうなりといふとも極楽ごくらくをねがはむものおば、 ほとけ光明くわうみやうてらして摂取せふしゆしたまふべきに、 なんぞたゞ、 かならずしも念仏ねむぶちひとばかりをてらしたまはむや。

善導ぜんだうくわしやうののたまはく、

弥陀みだ真色しんじきこがねやまのごとし。 相好さうがう光明くわうみやう十方じふぱうらしたまふ。 たゞ念仏ねむぶちのものゝみあてくわうせふかぶる。 まさにるべし、 ほんぐわんもともかたしとす」 と (礼讃)文

「弥陀真色如↢金山↡相好光明照↢十方↡
唯有↢念仏↡蒙↢光摂↡当↠知、 本願最為↠強」

念仏ねむぶちはこれ弥陀みだほんぐわんぎやうなるがゆへに、 じやうぶち光明くわうみやうかへてほんせいぐわんしんずる真実しんじち信心しんじむをえたる信者しんじやをてらしたまふなり。 ぎやうはまたほんぐわんにあらざるがゆへに、 弥陀みだ光明くわうみやうきらふててらしたまはず。

かるがゆへに、 いま極楽ごくらくをもとめむひとは、 ほんぐわん念仏ねむぶちぎやうじて、 摂取せふしゆ光明くわうみやうにてらされむとおもふべし。 これにつけても念仏ねむぶち大切たいせちさふらふ、 よくよくまふしたまふべし。

またしや如来によらい、 このぎやうなかぢやうさんしよぎやうをときてのち、 まさしくわあなんぞくしたまふしときは、 かみにとくところの1122散善さんぜん三福さんぷくごふぢやうぜん十三じふさんぐわんおばぞくしたまはずして、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうぞくしたまへり。 ¬きやう¼ (観経) いは

ぶちわあなんげたまはく、 なんぢよくこのたもて。 このたもてといふは、 すなわちこれりやう寿じゆぶちみなたもてとなり。」

「仏告↢阿難↡、 汝好持↢是語↡。 持↢是語↡者、 則是持↢无量寿仏名↡。」

善導ぜんだうこのもんしやく していは

仏告ぶちがうわあなんによかう是語ぜごより已下いげは、 まさしく弥陀みだみやうがうぞくして、 だい流通るづせることをあかす。 かみよりこのかたぢやうさんりやうもんやくとくといへども、 ぶちほんぐわんこゝろのぞむには、 しゆじやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだぶちみなしようするにあり」 と。 (散善義)文

「仏告阿難汝好持是語已下、正明↫付↢嘱弥陀名号↡、流↪通於↩遐代↨。上来雖↠説↢定散両門之益↡、望↢仏本願意↡、在↣衆生一向専称↢弥陀仏名↡。」

このぢやうさんしよぎやうは、 弥陀みだほんぐわんにあらざるがゆへに、 しや如来によらいわうじやうぎやうぞくしたまふしとき、 ぢやうぜん散善さんぜんおばぞくしたまはずして、 念仏ねむぶちはこれ弥陀みだほんぐわんぎやうなるがゆへに、 まさしくえらびてぞくしたまふしなり。

いましやのおしえにしたがふてわうじやうをもとめむもの、 ぞく念仏ねむぶちしゆして、 しやおむこゝろにかなふべし。 これにつけてもまたよくよくおむ念仏ねむぶちさふらひて、 ほとけほんぐわんにかなひたまふべし。

また六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶち、 みしたをのべて、 三千さんぜん大千だいせんかいにおほひて、 もはらたゞ弥陀みだみやうがうをとなへてわうじやうすといふは、 これ真実しんじちなりと証誠しようじやうしたまふなり。 これまた念仏ねむぶち弥陀みだほんぐわんなるがゆへに、 六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶち証誠しようじやうしたまへり。 ぎやうほんぐわんにあらざるがゆへに、 諸仏しよぶち証誠しようじやうしたまはざるなり。 これにつけてもなほ1123なほよくよくおむ念仏ねむぶちさふらいて、 六方ろくぱう諸仏しよぶちねむをかぶりたまふべし。

弥陀みだほんぐわんしやぞく六方ろくぱうねん一一ゐちゐちにむなしからず。 このゆへに、 念仏ねむぶちぎやうしよぎやうにすぐれたり。

善導ぜんだうくわしやう弥陀みだ化身くゑしんなり。 じやう祖師そしおほしといへども、 三昧さんまい発得ほちとくす。 それおほきにわかちてふたつとす。 ひとつには専修せんじゆ、 いはゆる念仏ねむぶちなり。 ふたつには雑修ざふしゆなり、 いはゆる一切ゐちさいしよぎやうなり。 かみにいふところのぢやうさんとうこれなり。

¬わうじやう礼讃らいさん¼ いは

「もしよくかみのごとく念念ねむねむ相続そうぞくして、 ひちみやうとするものは、 じふはすなわちじふながらしやうず、 ひやくはすなわちひゃくながらしやうず。 なにをもてのゆへに。 ほか雑縁ざうえんなし。 しやうねむるがゆへに、 ぶちほんぐわん相応さうおうるがゆへに、 けうせざるがゆへに、 ぶちずいじゆんするがゆへに。 もしせんてゝ雑業ざふごふしゆせむとほつするものは、 ひやくときまれゐちせんときまれさん。 なにをもてのゆへに。 いまし雑縁ざふえん乱動らんどうす、 しやうねむしちするによるがゆへに、 ぶちほんぐわん相応さうおうせざるがゆへに、 けうさうするがゆへに、 ぶちじゆんぜざるがゆへに、 ねむ相続さうぞくせざるがゆへに」 と。

「若能如↠上念念相続、畢命為↠期者、十即十生、百即百生。何以故。无↢外雑縁↡。得↢正念↡故、与↢仏本願↡得↢相応↡故、不↠違↠教故、随↢順仏語↡故。若欲↣捨↠専修↢雑業↡者、百時希得↢一二↡、千時希得↢三五↡。何以故。乃由↣雑縁乱動、失↢正念↡故、与↢仏本願↡不↢相応↡故、与↠教相違故、不↠順↢仏語↡故、係念不↢相続↡故。」

これは専修せんじゆ雑修ざふしゆとの得失とくしちなり。

とくといふは、 わうじやうすることをうるなり。 いはゆる念仏ねむぶちのひとは、 じふはすなわちじふながらしやうじ、 ひやくひやくながらしやうずるこれなり。 しちといふは、 いはゆるわうじやうをうしなふなり。 雑修ざふしゆのものは、 ひやくにんなかにまれにゐちにんわうじやうすることをう。 その千人せんにんなかにわづかににんむまる、 のこりはむまれず。

専修せんじゆはみなむまる、 なんがゆへぞ。 弥陀みだほんぐわん相応さうおうするがゆへに、 しやのお1124しえにずいじゆんするがゆへなり。 雑業ざふごふのものはむまるゝことのすくなきは、 なんがゆへぞ。 弥陀みだほんぐわんにあひたがふがゆへに、 しやのおしえにしたがはざるがゆへなり。 念仏ねむぶちしゆしてじやうをもとむるものは、 しや弥陀みだおむこゝろにあひかなへり。 雑業ざふごふしゆしてじやうをもとむるものは、 しや弥陀みだおむこゝろにそむけり。

善導ぜんだうくわしやう得失とくしちはんずること、 これのみにあらず。 ¬観経くわんぎやうしよ¼ とまふすふみのなかに、 おほく得失とくしちをあげたり。 おほくしげきがゆへにいださず。 これをもちてしるべし。

おほよそ念仏ねむぶちはうずるものはごくにおちてこふをうくることきわまりなし。 念仏ねむぶちしんずるものはじやうにむまれてりやうこふらくをうくることきわまりなし。 このむねをふかくしんじむじたまふて、 ふたごゝろなくおむ念仏ねむぶちまうさせたまふべきものなり。

くはしきことは、 おむふみにまふしてさふらふうへ、 このおむ使つかいまふしあげさふらふべし。 あなかしこ、 あなかしこ。

南无なも阿弥陀あみだぶち

おほごの女房にょばうへん

そうぐゑん

けんちやう きのとの ぐわち廿にじふさんにち書之これをしよす

 

底本は高田派専修寺蔵親鸞聖人真筆。 ただし訓(ルビ)は一部有国が補完している。
底本は高田派専修寺蔵真仏上人書写。 ただし訓(ルビ)は一部有国が補完している。