(943)、聖人御事諸人夢記

一 しやうにん御事おむこと、 あまた人々ひとびとゆめにみたてまつりけること

ちう大進だいしん兼高かねたかまふすひと、 ゆめにみたてまつるやう、 或人あるひともてのほかにおほきなるさうしをみるを、 いかなるふみぞとたちよりてみれば、 よろづのひと臨終りむじゆをしるせるふみなり。 しやうにんことやあるとみるに、 おくにいりて、 「光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや(観経) とかきて、 このしやうにんは、 このもんじゆしてわうじやうすべきなりとしるせりとみて、 ゆめさめぬ。 このことしやうにんおむ弟子でしどももしらずしてすぐすところに、 このしやうにんさまざまの思議しぎげんじたまふとき、 やまひにしづみて、 よろづぜんもしらずといゑども、 しやうにんこのもん三遍さんべんじゆしたまひけり。 かのひとのむかしのゆめにおもひあわするに、 これ思議しぎといふべし。 かのひとふみをもちて、 かのゆめのことをつげまふしたりけるを、 おむ弟子でしども、 のちにひらきみはべりけり。 くだんふみ、 ことながきゆへに、 これにはかきいれず。

0944 でうきやうごくにすみはべりけるはくあざならうまさいゑとまふすもの、 ことしの正月しやうぐわちじふにち、 ゆめにみるやう、 ひむがしやま大谷おほたにしやうにん御房おむばうだううへより、 むらさきぐもたちのぼりてはべり。 あるひとのいふやう、 あのくもおがみたまへ、 これはわうじやうひとのくもなりといふに、 よろづの人々ひとびとあつまりておがむとおもひて、 ゆめさめぬ。 あくる、 そらはれて、 みのときばかりにかのだううへにあたりて、 そらのなかしきのくもあり。 よろづの人々ひとびと、 ところどころにしてこれをみけり。

一 三条さんでうがわに、 陪従べいじゆ信賢のぶかた後家ごけあまのもとに、 おさなきによあり。 まことに信心しんじむありて、 念仏ねむぶちをまふしはべりけり。 おなじき廿にじふにち、 ことにこゝろをすましてかうしやう念仏ねむぶちしけるに、 乗願じようぐわんばうまふすひじり、 あからさまにたちやどりてこれをきゝけり。 あけてかの小女せうによ、 この乗願じようぐわんばうにかたりていはく、 法然ほふねんしやうにんは、 けう廿にじふにちにかならずわうじやうしたまふべきなりとまふしければ、 このひとまふさく、 なにごとにてかやうにはしりたまへるぞとたづぬるに、 この小女せうによまふすやう、 こよひのゆめに、 しやうにんおむもとにまいりてはべりつれは、 しやうにんのおほせられつるやう、 われはあすわうじやうすべきなり、 もしこよひなむぢきたらざらましかば、 われをばみざらまし、 よくきたれりとのたまひつるなりとまふしけり。 しかるにわがみにとりては、 いさゝかいたみおも0945ことはべり。 そのゆへは、 われいかにしてかわうじやうはべるべきと、 とひたてまつりしかば、 しやうにんおしへたまふことありき。 わがみにとりてたえがたく、 かないがたきことどもありき。 そのゆへは、 まづしゆつして、 ながくけんことをすてゝ、 しづかなるところにて、 一向ゐちかう後世ごせのつとめをいたすべきよしなりとはべりき。 しかるにけふのむまのときしやうにんわうじやうしたまふべきこと、 このゆめにすでにかなへりとまふはべりけり。

一 白河しらかわじゆんごうみやへんはべりけるかわまふ女房によばうのゆめにみるやう、 おなじき廿にじふにちしやうにんもとにまいりておがみければ、 へきにしきちやうをひけり。 いろさまざまにあざやかにして、 ひかりあるうへにけぶりたちみてり。 よくよくこれをみれば、 けぶりにはあらず。 うんといふなるものはこれをいふか、 いまだみざるものをみつるかなどおもひて、 思議しぎのおもひをなすところに、 しやうにんわうじやうしたまへるかとおぼえて、 ゆめさめぬ。 あけてあしたに、 そうじゆん西せいといふものにこのことどもをかたりてのち、 けふのむまのときしやうにんわうじやうしたまひぬときゝけり。

一 かまくらのものにて、 らい弥陀みだぶちまふすあまの、 信心しんじむことにふかくて、 にんにすみける。 おなじき廿にじふにち、 ゆめにみるやう、 よにたうときひじりきたれり。 そのかたち、 ゑざうの善導ぜんだうおむすがたににたりけり。 それを善導ぜんだうかとおもふほどに0946、 つげてのたまふやう、 法然ほふねんしやうにんはあすわうじやうしたまふべし、 はやくゆきておがみたてまつれとのたまふとみて、 ゆめさめぬ。 かのあま、 やがておきゐで、 あかつきくゐものなどいとなみて、 わりごといふものもたせて、 いそぎいそぎいでたちて、 しやうにんおむもとへまいるところに、 にんどもおのおのまふすやう、 けうはさしたるだいはべり、 これをうちすてゝいづかたへありきたもふぞ。 はやくけうはとまりたまふべしといひけれども、 かゝるゆめをみつれば、 かのしやうにんわうじやうをおがみにまいらむとて、 よろづをふりすてゝいそぐなり。 さらにとゞまるべからずといひて、 にんよりほのぼのにいでゝ、 ひむがしやま大谷おほたにばうにまいりてみたてまつれば、 げにもそののむまのときわうじやうしたまへり。 このゆめは、 しやうにんいまだわうじやうのさきにきゝおよべる人々ひとびと、 あまたはべりけり。 さらにうたがひなきことなり。 かへすがへすこのことふしぎのことなり。 おほよそ廿にじふにちに、 しやうにんわうじやうをおがみたてまつらむとてまいりあつまりたるひと、 さかりなるいちのごとくはべりけり。 そのなかにあるひとのいふやう、 廿にじふ三日さんにちのゆめにみるやう、 しやうにんきたりて、 われは廿にじふにちのむまのときわうじやうすべきなりとのたまふとおもひて、 ゆめさめぬ。 このことのまことをあきらめむとて、 まいりたるよしまふしけり。 これならず、 あるいはきのふの、 このつげあ0947りといふものもあり。 あつまりたる人々ひとびとなかに、 かやうのことどもいふひとおほくはべり。 くわしくしるしまふしはべらず。

一 ひむがしやま一切ゐちさいきやうたにに、 大進だいしんまふすそう弟子でしに、 とし十六じふろくなるちご といふゆめに、 おなじき廿にじふにちみるやう、 西にしひむがしへすぐにとおりたるおほぢあり、 いさごをちらして、 むしろをみちのうちにしけり。 左右さうにものみるひととおぼしくて、 おほくあつまれり。 ゆゝしきことのあらむずるぞとおぼえて、 それもともにみはべらむとて、 みちのかたわらにたちよりてはべるほどに、 天童てんどうにんたまのはたをさして西にしへゆきたまへり。 そのうしろにまた法服ほふぶくきたるそうども千万せんまんにんあつまりゆきて、 ひだりかうをもち、 みぎのてにはけさのはしをとりて、 おなじく西にしへゆくを、 ゆめのうちにとふやう、 これはいかなるひとのおはしますぞといふに、 あるひとこたへていふやう、 これはわうじやうしやうにんのおはしますなりといふを、 またとふやう、 しやうにんとはたれびとぞととへば、 これはおほたにのしやうにんなりとみて、 ゆめさめぬ。 このちごそのあかつきそうにかたりはべりけり。 このちごしやうにんことおもしらず、 またわうじやうのよしおもきゝおよばざりけるに、 そらにこのつげありけり。

一 けんりやくねんぐわち十三じふさんにち惟方これかた別当べちたう入道にふだうまご、 ゆめにみるやう、 しやうにん0948葬送さうそうしたてまつるをおがみければ、 しやうにん清水きよみづのたうのうちにいれたてまつるとみて、 のちまた二日ふつかばかりすぎて、 ゆめにみるやう、 となりのばうひときたりていふやう、 しやうにん葬送さうそうにまいりあはぬことのゐこむにさふらへども、 おなじことなり、 はかどころへまいりたまへとまふすに、 よろこびてかのはかどころへあひしてまいりぬとおもふほどに、 八幡はちまんみやとおぼしきやしろの、 みとあくるところをみれば、 しやうたいおはします。 そのときはかどころへまいるに、 はたしやうたいとはなにおかまふすべきといふに、 かのとなりのひといふやう、 このしやうにん御房おむばうこそはしやうたいよといふあひだ、 いよだちて、 あせたりて、 ゆめさめぬ。

一 おなじき正月しやうぐわち廿にじふにちたつときに、 ねん弥陀みだぶちまふすあまの、 ゆめうつゝともなくてみるやう、 はるかにうしとらのかたをみやれば、 しやうにんすみぞめのころもをきて、 そらにゐたまへり。 そのかたはらにすこしさがりてしらさうぞくして、 唐人たうじんのごとくなるひとゐたり。 おほたににあたりて、 しやうにん俗人ぞくにんと、 みなみにむかひてゐたまへるほどに、 ぞくのいふやう、 このしやうにん通事つじにておはすといふとおもふほどに、 ゆめさめぬ。

一 おなじき廿にじふ三日さんにちときに、 ねん弥陀みだぶち、 またゆめに、 そらはれて西にしのかたをみれば、 し0949ろきひかりあり。 あふぎのごとくして、 すゑひろくもとせばくして、 やうやくおほきになりて虚空こくにみてり。 ひかりうちに、 わらだばかりなるうんあり。 ひかりあるくもとおなじくひむがしやま大谷おほたにのかたにあたりて、 さむじたる人々ひとびとあまたこれをおがみけり。 いかなるひかりぞととふに、 あるひとのいふやう、 法然ほふねんしやうにんわうじやうしたまふよとまふすによりて、 おがみたてまつれば、 人々ひとびとうちに、 よにかうばしきかなといふひともありとおもふて、 これを信仰しんかうしておがむとおもへば、 ゆめさめぬ。

一 しやうにんわうじやうしたまへる大谷おほたにばうひむがしきしうへに、 たいらかなるところあり。 そのを、 けんりやくねんじふぐわちのころ、 かのぬししやうにんにまいらせたりければ、 そのしよとさだめて葬送さうそうしたてまつりはべりけり。 そののきたに、 またひとばうあり。 それにやどりゐたるあまの、 先年せんねんのころゆめにみるやう、 かのはかどころのを、 天童てんどうありてぎやうだうしたまふとみはべりけり。 またおなじき房主ばうしゆ去年きよねんコゾトイフ十一じふゐちぐわちじふにちのゆめにみるやう、 このみなみのはかどころに、 しやう蓮華れんぐゑおいてかいせり。 そのはなかぜにふかれて、 すこしづゝこのばうへちりかゝるとみて、 ゆめさめぬ。 またおなじばうおむなはべりけるも、 去年きよねんじふぐわちのころみるやう、 みなみにいろいろさまざまの蓮華れんぐゑさきひらけてありとみおはりてのち、 ことしの正月しやうぐわち十日とおか、 かの0950しよとさだめて、 あなをほりまうくるとき、 このばうはじめておどろきていふやう、 ひごろのゆめどものたびまでありしが、 たゞいまおもひあはするに、 あひたるよといひて、 ふしぎがりけり。

一 けんりやくぐわんねんのころ、 しやうにんつのくにのかちといふところにおはしけるとき祇陀ぎだりむゐちじやうにてはべりける西さいじやうばうといふそうの、 ゆめにみるやう、 祇陀ぎだりむひむがしやまにあたりて金色こむじきひかりをさしたりけるを、 あまたひとこれをみて、 あやしみとひたづねければ、 そばなるひとのいふやう、 これこそ法然ほふねんしやうにんわうじやうしたまふよといふとおもふほどに、 ゆめさめぬ。 そのゝちしやうにんかちより大谷おほたににうつりゐたまふてわうじやうしたまひぬときゝて、 このそう人々ひとびとにかゝりしゆめをこそみたりしかとまふしけり。

一 華山くわざんゐんさき大臣だいじんいゑさぶらひに、 江内かうないといふものゝしたしき女房によばう三日みつかがあひだ、 うちつゞきさんまでゆめにみるやう、 まづ正月しやうぐわち廿にじふ三日さんにちのゆめに、 西山にしやまよりひむがしやまにいたるまで、 しきくもゐちちやうばかりになおくたなびきてはべりけり。 大谷おほたにしやうにん御房おむばうにまいりておがみたてまつりければ、 すみぞめのころも・けさをきたまへるが、 袈裟けさのおほはむすびたれて、 如法によほふきやうのけさのおのやうにて、 しやう0951ようかとおぼえて、 しやうにんいでたちたまふとみて、 ゆめさめぬ。 またおなじき廿にじふにちみるやう、 昨日きのふしきくもすこしもちらずして、 おほいかだのやうにおほまわりにまわりて、 ひむがしがしらなるくも、 西にしがしらになりて、 なほくたなびけり。 しやうにんもさきのごとくしておはしますとみて、 ゆめさめぬ。 またおなじき廿にじふにちにみるやう、 くだんくも西にしへおもむきて、 しやうにん七条しちでう袈裟けさをかけて、 臨終りむじゆほふのやうにてかのくもにのりて、 とぶがごとくして西にしへゆきたまひぬとみて、 ゆめさめぬ。 むねさわぎておどろきたるに、 わがくちも、 ころもゝ、 あたりまでも、 よにかうばしくはべりける。 よのつねのにもにず、 よにめでたくぞはべりける 。

一 あるひとぐわち二日ふつかのゆめにみるやう、 しやうにんわうじやうしたまひてのち、 七日しちにちにあたりけるのゆめに、 あるそうきたりていふやう、 しやうにん御房おむばうは、 わうじやうでんいらせたまひたるおば、 しるやいなやととひはべりければ、 このひといふやう、 たれびとのいかなるでんいりたまへるにかとまふしはべりければ、 ゆびをもちて、 まへなるふみをさして、 このふみにいらせたまふなりとみて、 ゆめさめぬ。 そのゆびにてさしつるふみをみれは、 善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうしよ¼ なりけり。 これはちやうらくりち りうくわんゐちちう念仏ねむぶちまふしけるときのゆめなり。

0952 先年せんねんのころ、 ぢきしやうばうといふひとくままいりはべりけるに、 しやうにんいさゝかのことによりて、 さぬきへくだりたまふときゝてかうせむとするほどに、 ことにふれて、 はゞかりのみありて、 やまひがちにはべりければ、 このこと権現ごんげんにいのりまふしはべりけるに、 ぢきしやうばうがゆめにみるやう、 なむぢいづべからず、 臨終りむじゆのときすでにちかしとはべりければ、 かのそうまふすやう、 しやうにんことのきわめておぼつかなくさふらふなり。 はやくかうさふらひて、 さいをうけたまはりさふらはばやとおもひたまふとまふしければ、 権現ごんげんのしめしたまふやう、 かのしやうにんせいさち化現くゑげんなり、 なむぢしむすべからずと。 みおわりてのち、 いくほどをへずしてかのそうわうじやうはべりけること、 めをおどろかさずといふことなし。 このありさま、 よの人々ひとびとみなしれり。

一 天王てんわう松殿まつどの法印ほふいん御坊おむばう じやうそんたかでらにこもりゐて、 ひごろ法然ほふねんしやうにんといふひとありとばかりしりて、 いまだ対面たいめんにおよばず。 しかるに正月しやうぐわち廿にじふにちむまときばかりに、 ある貴所くゐしよより ¬弥陀みだきやう¼ をあつらえて、 かゝせらるゝことありて、 いだしふんづくえにて書写しよしやのあひだに、 しばらく脇息けふそくによりかゝりてそくするほどに、 ゆめにみるやう、 けんもてのほかに、 諸人しよにんのゝしるおとのするにおどろきて、 えむのはしにたちいでゝそらをみあげたれば、 普通ふつののりぐるまのわほどなるはち輻輪ふくりん八方はちぱうのさき0953ごとに雑色ざふしきはたをかけたるが、 ひむがしより西にしへとびゆくに、 金色こむじきひかりありてはうをてらすに、 すべてのものみえずして、 金色こむじきひかりのみてんにみちみちて、 にちくわう弊覆へいふくせられたり。 これをあやしみて、 ひとにこれをとふとおぼしきに、 かたわらのひとつげていはく、 法然ほふねんしやうにんわうじやうさうなりといふ。 くゐみやう渇仰かちがうのおもひをなすほどに、 ゆめさめぬ。 そのゝち、 しらかわのおむめのとのもとより、 おなじき廿にじふ七日しちにちおむふみをおくらるゝついでに、 おととひ廿にじふにちのむまのときにこそ、 法然ほふねんしやうにんわうじやうせられてさふらへとまふされたるときさうすでにがふして、 いよいよずいのおもひをなしおはりぬといへり。

一 たむくにしらふのしやうに、 別所べちしよゐちじやうそうありけり。 むかし天臺てんだいさんがく遁世とむせいのちしやうにんくゐしたてまつりて弟子でしになりけるほどに、 たむよりのぼりて、 きやうでう坊門ばうもんとみのこうなるところぢゆしけり。 あるひるねしたるゆめに、 そらうんそびきたるうちに、 アマ一人ゐちにんありて、 うちゑみていはく、 法然ほふねんしやうにんおむおしえによりて極楽ごくらくわうじやうさふらひぬるを、 にんさふらひつるとつげける。 そのゝちゆめさめて、 しやうにんでうにおはしましけるに、 やがてまいりて、 妄想まうざうにてやさふらひつらむ、 かゝるゆめをみてさふらふまふしければ、 しやうにんうちあむじて、 さるひともあるらむとて、 ひとにんへつかはさむ0954としけるが、 もくれければ、 つぎあしたにかのところへつかはして、 便びんになにごとさふらふとたづぬべきよし、 使つかひにおほせられけるに、 くだんこう昨日きのふむまときわうじやうせられさふらひぬとまふしたりけるを、 しやうにんまふされていはく、 かのこうは ¬法華ほふくゑきやう¼ せんどくせむとぐわんをおこしてさふらふが、 しちひやくばかりはよみてさふらふが、 のこりをいかにしてはたしとぐべしともおぼへさふらはぬとまふしさふらひしを、 としよりたるおむに、 めでたくよませたまひてさふらへども、 のこりおば一向ゐちかう念仏ねむぶちにならせたまへかしとて、 みやうがうどくをときゝかせられけるより、 ¬きやう¼ おばおきて一向ゐちかうせんしようして、 としつきをへてわうじやう極楽ごくらくくわいをとげけるにやとぞ、 おほせありけると。