1371さい解記げき

 

一 ¬だいきょう¼ のじょうに 「そくこうゆい摂取せっしゅしょうごん仏国ぶっこく清浄しょうじょうぎょう」 といへり。 これはざい王仏おうぶつひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつこくのありさまをとき、 すなはちそのそうげんじたまひしに、 法蔵ほうぞう比丘びくこれをきゝ、 これをみてのち、 そのなかにあくをすてぜんをとりて、 がんをおこすべきようを、 さまざまにゆいたまいぶんを 「こう」 ととくなり。 たゞしこれに二義にぎあり。 いちには、 「このこうゆいのみならずしゅぎょうせつなり」 といふ。 じょうようきょうごうとうはこのぞんぜり。 じゃくは 「たゞかのがんゆいじょうじゅするせつなり」 (大経義記巻中) といへり。 これは ¬きょう¼ の説相せっそうじゅんぜり。 かくのごとくゆいしてがんをたてゝのちに、 仏所ぶっしょにまうでゝたつるところのがんを、 一々いちいちにとききかせたてまつらるゝは、 すなはちいまのじゅう八願はちがんなり。 しかうしてのちにしゅぎょうしたまへるぶんちょうさい永劫ようごうなり。 そのをのべたるは、 願文がんもんののちに、

ときにかの比丘びくそのぶつみもと諸天しょてんぼんりゅうじんはち大衆だいしゅなかにおいてこのぜいおこしこのがんておはりて、 一向いっこうこころざしをもつぱらにしてみょうしょうごんす。 所修しょしゅ仏国ぶっこく恢廓かいかく広大こうだいにして超勝ちょうしょうどくみょうなり。 こんりゅうじょうねんにして、 すいなくへんなし。 不可ふか思議しぎちょうさい永劫ようごうにおいて、 さつりょうとくぎょうしゃくじきす」 (大経巻上)

「時彼比丘於↢其仏所、 諸天・魔・梵・龍神八部・大衆之中↡発↢斯弘誓↡建↢此願↡已、 一向専↠志荘↢厳妙土↡。 所修仏国、 恢廓広大超勝独妙。 建立常然、 无衰无変。 於不可思議兆載永劫、 積↢殖菩薩无量徳行1372↡」

といへる、 これなり。

一 どうについて、 じゅう六種ろくしゅともいひ、 じゅうしゅともいへり。 ともに ¬はんぎょう¼ のせつなり。 まづじゅう六種ろくしゅといへるは、 ぶつざいろくとて六人ろくにんだいどうあり。 その六人ろくにんといふは、 いはゆるいちにはらんしょうには末伽まか梨拘りくしゃ梨子りしさんには刪闍さんじゃ毘羅びらていには阿耆あぎ舎欽しゃきん婆羅ばらには迦羅から鳩駄くだ旃延せんえんろくにはけんにゃだいなり。 このろくいづれもみなじゅうにんづゝの弟子でしあり。 されば六人ろくにんじゅうにんづゝの弟子でしをあはすれば、 じゅう六人ろくにんなり。 これをじゅう六種ろくしゅどうといふなり。 つぎにじゅうしゅといふは、 仏道ぶつどうほか諸道しょどうはみなどうなりといふ。 それをこまかにかぞへば、 じゅうしゅなるべしといへり。 されば神道しんとうせんじゅつほうおんみょう天文てんもんぼくとう諸道しょどう、 みなこのうちなるべし。

一 じょうしゅうのこゝろは、 一心いっしん弥陀みだねんじたてまつれば、 一切いっさい諸仏しょぶつねんぜられたまふといふいはれあり。 「弥陀みだたてまつれば、 十方じっぽう一切いっさい諸仏しょぶつをみる」 と ¬かんぎょう¼ (意) にとけるは、 このなり。 これすなはち一切いっさい諸仏しょぶつは、 みな弥陀みだぶっより出生しゅっしょうするがゆへなり。

しょうどうしょしゅうにも、 をのをの、 あるひはぶつにつけ、 あるひはきょうにつけて、 みなたつるところあり。

いはゆる真言しんごんしゅうには、 一切いっさい諸仏しょぶつなか1373には、 大日だいにち如来にょらいほんとす。 これ諸仏しょぶつ大日だいにちとうしんなるがゆへなり。 したがひて、 陀羅だら法身ほっしんどくなるがゆへに、 三密さんみつりきならではじょうぶつせずとならふなり。

天臺てんだいしゅうには、 しゃをもてほんとす。 ¬げんぎょう¼ に 「しゃ牟尼むにみょう毘盧びるしゃ」 ととくがゆへに、 大日だいにちしゃみょうなりといふ。 このぶつしゅっほんなるがゆへに、 ¬ほっ¼ はしょきょうおうなりといふなり。

ごんしゅうにも、 しゃほんとす。 たゞしそれはつう応身おうじんにあらず、 遮那さなきょうしゅとす。 そのかたちをげんじてときたまへる ¬ごんぎょう¼ は、 頓大とんだいきょうなるがゆえに、 これさいちょうなりといふなり。

三論さんろんしゅうには、 諸仏しょぶつみな平安へいあんなり、 しょきょうもみないちなりといふ。 観門かんもんにははっしょうかんをたつ。 いはゆるしょうめつ不去ふこらいいつ不異ふいだんじょうなり。 これ一代いちだい聖教しょうぎょう深奥じんおうなりといふなり。

法相ほっそうしゅうには、 唯識ゆいしき観門かんもんをもてごくとす。 このことはりをとけるは、 きょうのなかにはもはら ¬ごん¼ なり、 ろんにはすなはちこのじんをとけるを ¬唯識ゆいしきろん¼ となづく。 唯識ゆいしきといふは、 しん一法いっぽうのほかはみな妄法もうほうなり。 しんしょういちのみ真実しんじつなりとかんずるなり。

りっしゅうのこゝろは、 一切いっさいどく善根ぜんごんなかにはかいほんとす。 さればかいはこれ仏法ぶっぽうだいなりといへり。 これすなはちもろもろの草木そうほんのたねあれども、 にうへざれば生長しょうちょうせず。 一切いっさいどくかいをたもたざれば、 生長しょうちょうすることなしとな1374り。

ぜんしゅうには、 一切いっさい仏法ぶっぽうきょうぜんとをいでず。 しかるにしょしゅうだんずる分斉ぶんざいはみなきょうなり、 つきをさすゆびのごとし。 ぜん一法いっぽうきょうによらずして、 みづからしるみちなり。 たとへば、 をしふるひとのゆびにをかけずして、 じきくうなるつきをみるべし。 きょうにかゝはらずして、 われとしんしょうをあきらむべしといふなり。

此三箇条、 依乗智房望楚忽書与了。
*康安二歳 壬寅 七月廿八日        存覚 御判

 

底本は◎大谷大学蔵江戸時代中期恵空写伝本。 ただし訓(ルビ)は有国が補完し、 表記は現代仮名遣いとしている。