0759せんしょう 

 

一代いちだいしょきょうまちまちわかれて、 しょしゅう所談しょだん各別かくべつなり。 雖↠別べつなりといえどもするところごくいっなり。 いずれしょうはなれはんしょうし、 まよいひるがえしてさとり可↠得うべきがゆえなり。

求那ぐなばつ三蔵さんぞうぶんみるに、

緒論しょろんおのおのたんなれども、 しゅぎょうするに ふたつなし、 へんじゅうすれば是非ぜひあり、 たっするものじょうなし」

「緒論各異端、 修行理無↠二、 偏執有↢是非↡、 達者無↢異諍↡」

へり。 まこと有↢智解↡ちげありて仏法ぶっぽうたい通達つうだつせんひとは、 不↠可↠有↢偏執↡へんじゅうあるべからず然而しかれどもこん万差まんじゃなるがゆえに、 ぶっきょうまた万別まんべつなり。 おのおのえんきょうよりしゅぎょうせば、 すみやかだつ可↠得うべきなり。

其中そのなか四家しけだいじょういうは、 法相ほっそう三論さんろんごん天臺てんだいなり。 此外このほか真言しんごんしゃじょうじつりっしゅうくわえはっしゅうとす。 また仏心ぶっしんしゅうくわえしゅうとす。 またじょうしゅうくわえじっしゅういうべし。 これ日本にっぽん流布るふせるしゅうなり。 これしょしゅうみな一仏いちぶつ所説しょせつよりいでて、 ことごとじょうだい可↠至いたるべきもんなり。

・法相宗

一 法相ほっそうしゅうこころくうちゅうさんきょうたてて、 くうきょうをば方便ほうべんとし、 ちゅうどうきょうとり真実しんじつとす。 きょういうは、 にんくうにしてほうなりとだんず。 ごんとう小乗しょうじょうきょう所説しょせつこれなり。 くうきょういうは、 人法にんぽうともにくうなりとく。 しょ般若はんにゃには此旨このむね0760あかす。 ちゅうどうきょういうは、 非有ひうくうじんあらわす。 ¬ごん¼・¬深密じんみつ¼ とうしょだいじょうきょう是也これなり

かのちゅうどうじんいうは、 唯識ゆいしき唯心ゆいしんしゅうなり。 所謂いわゆる ¬ごんぎょう¼ (意) には 「三界さんがいゆい一心いっしんしん別法べっぽう」 ととき、 ¬深密じんみつきょう¼ (唐訳巻三分別瑜伽品) には 「諸仏しょぶつ所縁しょえん唯識ただしき所現しょげんなり」 とける、 こころなり。

この唯識ゆいしきつきじゅう唯識ゆいしき云事いうことあり。 じゅういうは、 ひとつにはけん存実ぞんじつしきふたつには捨濫しゃらんじゅんしきみつにはしょうまつほんしきよつには隠劣おんれつけんしょうしきいつつには遣相けんそう証性しょうしょうしきなり。 ひ、 らん まつ れつ そういうみな心法しんぽうほか諸法しょほうす。 じつひ、 じゅん ほん しょう しょうふは、 ことごとしん一法いっぽうすなり。 さればいうところじゅうは、 そうじて唯識ゆいしき唯心ゆいしんいちじょうずるなり。

如↠此かくのごとく唯識ゆいしきかんじて真観しんかんくらいかなひぬれば、 「心仏しんぶつぎゅうしゅじょうさん差別しゃべつ (晋訳華厳経 巻一〇夜摩説品) ゆえに、 転迷てんめいかいしてじょうぶつ得道とくどうすとさんずるなり。

そのしゅぎょうくらいおい五位ごいあり。 五位ごいいうは、 ひとつにはりょうふたつにはぎょうみつには通達つうだつよつにはしゅじゅういつつにはきょうなり。 この五位ごいすなわち菩薩のじゅういちなり。 じゅういちいうは、 じゅうなか等覚とうがく不↠立たてざるなり。

りょういうは、 だいじょうじゅんだつぶんくらいなり。 じゅういちうちには、 十信じっしん十住じゅうじゅう十行じゅうぎょうじゅうこうじゅうなり。

ぎょういうは、 だいじょうじゅんけっちゃくぶんくらいなり、 これじゅうこうしんなり。 これまではぜんなり。

通達つうだついうは、 これよりじょうじょう0761り。 すなわ見道けんどうくらいなり、 じゅうなかにはしょなり。

しゅじゅういうは、 修道しゅどうくらいなり、 これだい二地にじよりだいじゅういたるまでのくらいこれなり。

きょういうは、 ぶっなり、 これみょうがくなり。

しゅうは ¬瑜伽ゆがろん¼・¬唯識ゆいしきろん¼ をもっ本論ほんろんとし、 おんしゅう濮陽ぼくようさんしゃくもっひょうとして、 智解ちげきわ観門かんもんしゅしてしゅつもとむなり。

しかる五位ごいなかいりぬれば、 どうなり、 それよりぜんみなぼんなり。 たと一分いちぶんきょうもんがくして唯識ゆいしきかんなすとも、 りょうくらいにもかなはんこと不↠輒たやすからずいわんや、 ぎょう通達つうだつとうくらい難↠登のぼりがたし

さればかのしゅうこう天親てんじんさつならびにおんだい西方さいほうもっしょとし、 おのおの念仏ねんぶつすすたまへり。 所謂いわゆる天親てんじんは ¬じょうろん¼ をせいして、 いっしゅうがんなり。 おんは ¬西方さいほう要決ようけつ¼ をしるして、 あんにょうおうじょうねがへり。

これほんしゅうこころなんぎょうにしてりゃっこうしゅぎょう叵↠成じょうじがたきがゆえに、 おうぎょうえらび自利じり利他りたようとしたまへり。 まして末代まつだい無智むち道俗どうぞくぎょう叵↠及およびがたくどう難↠進すすみがたければ、 ひとえ弥陀みだ本願ほんがんして念仏ねんぶつおうじょうせんは、 たしかなるしゅつ可↠道みちなるべし

・三論宗

一 三論さんろんしゅうこころは、 ぞうきょうをたてゝ一代いちだい決判けっぱんす。 ぞういうは、 ひとつにはしょうもんぞうふたつにはさつぞうなり。 しょうもんぞういう小乗しょうじょうなり、 さつぞういうだいじょうなり。 小乗しょうじょうにはじょう断惑だんわくしゅにゅうどうあかし、 だいじょうにはさつじょうぶつとくそうしめすなり。

このしゅう得道とくどうもんにははっしょうかんをもてにゅう真要しんようとす。 はっいうは、 しょうめつらいいち0762だんじょうけんはなるるなり。 所謂いわゆるしょうめつ不去ふこらいいち不異ふいだんじょうこれなり。 じん観達かんだつして、 まことはっしょうかんかなひなば、 しょうとしててんほう無↠可↠招まねくべきもなくらいとして善悪ぜんあくしょうじょ無↠可↠趣おもむくべきもなくいちとしてしょう無↠可↠隔へだつべきもなくだんじょうとしてくう無↠可↠迷まようべきもなきなり。

おおよすこのしゅうこころいちもっさんす。 さんそくしぬればいちもうずといいて、 いちじょうとくさんじょうしゅうせんがためなり。 さんじょうしゅうもうじなばいちじょう不↠可↠有あるべからずまたくうとくやらんためなり。 もうじなば、 くう不↠可↠存ぞんずべからず

さればじょうしゃくにはあるい

「わずかに一念いちねんおこさば、 すなはちだんじょうす」 (註論疏巻三意)

「纔起↢一念↡、 即堕↢断常↡」

ともひ、 あるい

「すこしきしんせんとほっすれば、 すなはちぶつそむやぶる」 (法華遊意)

「微欲↠寄↠心、 即乖↢傷仏↡」

ともしゃくして、 善悪ぜんあく情量じょうりょうわすれて、 一念いちねん一念いちねんなるところ観達かんだつせんとするなり。

しゅぎょうどうろんずることは、 さき五位ごいこのしゅうにもだんずれども、 位々いいしゅぎょうたつるはきょうもんせつなり。 一念いちねん五位ごいこゆるもっそのごくとするなり。

三論さんろんいうひとつには ¬ちゅうろん¼、 かんあり、 りゅうじゅさつぞうなり。 ふたつには ¬ひゃくろん¼、 かんあり、 だいさつぞうなり。 みつには ¬じゅう門論もんろん¼、 一巻いっかんあり、 またりゅうじゅぞうなり。

さんろん一代いちだい通申つうしんろんなり。 いま三論さんろんしゅうこころは、 一代いちだいしょきょうおい浅深せんじんしょうれつろんぜず。

しょだいじょうきょうどうることべつなし」 (大乗玄論巻四意)

「諸大乗経、 見↠道無↠別」

とも

だい小乗しょうじょうきょう見道けんどうべつなし」 (大乗米論巻五意)

「大小乗経、 見道無↠別」

ともいいて、 しょきょうみなしょうどうあらわことひとつなりとりょうし、

「たっとぶことはさとりるにあり、 さだまりなし」 (法華遊意)

「貴在↠得↠悟、 義無↠定也」

0763いいて、 かれごんとしこれじつとすることなし、 ただ一代いちだい所説しょせついちなりとこころうるなり。

さればりゅうじゅ論判ろんぱんじょうしゃくをよくがくして、 はっしょうかんこらし、 しょうみなもとだんじてすみやかじょうぶつすべし。 然而しかれどもわれ無始むし曠劫こうごうより以来このかたらいしょうあいだひさしく煩悩ぼんのうため被↢纏縛↡てんばくせられて一念いちねんめつかん叵↠成じょうじがたく不来ふこらいしょうけん難↠住じゅうしがたし

したがいこのしゅうこうりゅうじゅさつは ¬じゅうらい¼ をなして 「故我おがちょうらい弥陀みだそん」 とさんじ、 ¬十住じゅうじゅう毘婆びばしゃろん¼ をのべぎょうようおしえたまへり。 是故このゆえに、 じょうたいとせり。 じょうだいまた ¬かんぎょうしょ¼ をつくりて、 安楽あんらくおうじょうすすめたまへり。

いわんや末代まつだいれっをや、 いわんや、 辺国へんこくこんをや。 観難かんなんじょうじゅ乱想らんそうをもてはっ甚深じんじんしゅうかがわんよりは、 念仏ねんぶつぎょうどうして一念いちねんおうじょう安心あんじんもっぱらにすべきものなり。

・華厳宗

一 ごんしゅうこころは、 きょうたて一切いっさいぶっきょうせっす。 きょういうは、 ひとつには小乗しょうじょうきょうごんとうもろもろ小乗しょうじょうきょうこころなり。 ふたつにはきょう、 ¬深密じんみつ¼ とうしょだいじょうきょうならびに ¬瑜伽ゆが¼・¬唯識ゆいしき¼ とうしょだいじょうろんこころなり。 みつには終教じゅうきょう、 ¬はんぎょう¼ とうこころなり。 よつにはとんぎょうこれべつなし。 ただしょだいじょうきょうなか即身そくしんぶつ頓説とんぜつこれなり。 いつつにはえんぎょう、 ¬ごん¼・¬ほっ¼ のこころなり。

きょうなかに、 とんぎょうえんぎょうもっいちじょうきょうきょうとす。 きょうこころ三界さんがい唯心ゆいしんぜんじゃく同体どうたいもっほんとす。 これすなわちかの ¬きょう¼ (唐訳華厳経巻一七梵行品意) の文に、 あるい0764

一切いっさいほうはすなはちしんしょうなりとる、 そくするしんは、 によりてさとらず」

「知↢一切法即心自性↡、 具↢足恵↡身、 不↢由↠他悟↡」

き、 あるい

「もしひとさん一切いっさいぶつりょうせんとおもはば、 まさにかくのごとくかんずべし、 しんもろもろの如来にょらいつくる」 (晋訳華厳経巻一〇夜摩説偈品)

「若人欲↣了↢知三世一切仏↡、 応↢当如↠是観↡、 心造↢諸如来↡」

ひ、 あるい

三界さんがいはただ一心いっしんなり、 しんほかべつほうなし、 しんぶつとおよびしゅじょうと、 このさん差別しゃべつなし」 (華厳経意)

「三界唯一心、 心外無↢別法↡、 心仏及衆生、 是三無↢差別↡」

ける、 そのこころなり。

是皆これみな仏界ぶっかいしゅじょうかいたいしょう同体どうたいにして、 ただ一心いっしんしょなることあかせる文なり。 この一心いっしんたずぬるに、 そのたいしょうにして、 しかぜんじゃく諸法しょほうたいとなる。 所謂いわゆるしゅじょう諸法しょほうは、 衆縁しゅえんよりしょうずれば、 そのたいしょうなり。 しんまたりょうえんより顕現けんげんするがゆえに、 そのたいしょうなり。 ともえんよりしょうずるによりて、 えんしょう同体どうたいにしてしょうたいとす。 ¬法華ほけきょう¼ (巻一方便品)

諸仏しょぶつりょうぞくそんほうつねにしょうなるとる。 仏種ぶっしゅえんよりおこる。 このゆへにいちじょうく」

「諸仏両足尊、 知↢法常無性↡。 仏種従↠縁起。 是故説↢一乗↡」

へる、 そのこころなり。

ゆえに、 しんみずからしょう不↠知しらざるをばみょうひ、 またまよいとなづく。 しゅじょうまよいよりごうつくり、 ごうよりほううくゆえに、 ひさししょうてんす。 しかるにはじめりょうえんふて、 このしんみずからしょうなりとるをしんひ、 またさとりとなづく。 このさとり依止えじしてつくところごうさつぎょうとなづく。 このぎょうついにこうみて無始むしもうじゅうたちまちきぬれば、 本覚ほんがくえんみょうたいかなふをみょうがくまんくらいと名くるなり。

だいじょうきょうみょうだんまこと可↠欣ねがうべしへども、 しょうさとり無始むしくんじゅうまよいひるがえさんこと、 おぼろげのせん叵↠叶かないがたしざいこんともがらおもいよらことなり。 されば弥陀みだじょうしょうじてかのみょう0765ほっせんことは、 もとも可↠巧たくみなるべししょうさとりひらきなば、 なん法門ほうもんをかたっせざらん。

したがいて ¬ごんぎょう¼ (般若訳巻四〇行願品) にもげんがんぎょうときて、 極楽ごくらくおうじょうすすめたり。

ねがはくはわれ命終みょうじゅうせんとほっせんときのぞみて、 一切いっさいのもろもろのしょう尽除じんじょして、 まのあたりにかのぶつ阿弥陀あみだたてまつりて、 すなはち安楽あんらくこくおうじょうすることをん」

「願我臨↧欲↢命終↡時↥、 尽↢除一切諸障↡、 面見↢彼仏阿弥陀↡、 即得↣往↢生安楽国↡」

とらへる文、 これなり。 かのしゅう祖師そしがんぎょうも ¬遊心ゆうしん安楽あんらくどう¼ というもんなして、 念仏ねんぶつしん西方さいほうたんぜり。 いわんや、 末代まつだいぼんただ弥陀みだしょうあおぐべきなり。

・天台宗

一 天臺てんだいしゅうこころは、 一代いちだいりょうけんするに、 きょうあり五時ごじあり。 きょういうは、 ひとつには三蔵さんぞうきょうふたつにはつうきょうみつにはべっきょうよつにはえんぎょうなり。 五時ごじいうは、 ひとつにはごんふたつにはごんみつには方等ほうどうよつには般若はんにゃいつつにはほっはんなり。 五時ごじとくところきょうは、 かみきょう不↠出いでざるなり。 所謂いわゆる五時ごじうちごんにはべつえんきょうき、 ごんにはただ三蔵さんぞうきょうとき方等ほうどうしょきょうにはつぶさきょうき、 般若はんにゃにはつうべつえんさんきょうき、 ほっにはただえんぎょうき、 はんにはまたきょうくなり。

なかに、 ただだい五時ごじほっもって、 諸仏しょぶつしゅっ本懐ほんかいとし、 円頓えんどんえんにゅうみょうほうなづく。 さればきょうなかに、 さんきょうえんぎょうたいすれば非↢真実↡しんじつにあらず五時ごじなかに、 ぜん四味しみみなほっ一実いちじつ調熟じょうじゅくせんがため方便ほうべんなりといいて、 ただ一大いちだいえんぎょうのみしゅじょうしゅつ直道じきどうなりとだんずるをこのしゅう大綱たいこうとするなり。

然者しかればさんきょう四味しみ方便ほうべんをば、 しばら閣↠之これをさしおくほっえん0766ぎょうこころつき云↠之これをいうに一念いちねん三千さんぜん三諦さんたいえんにゅうかんこらして、 煩悩ぼんのうそくだいしょうそくはんたっするをもっしゅうとす。 一念いちねん三千さんぜんいうは、 ぜんじゃく諸法しょほういうに、 三千さんぜん不↠過すぎず。 此三千さんぜん諸法しょほう宛然えんぜんとして、 しゅじょうしんしょうすと云事いうことなり。 すなわちいまの ¬きょう¼ (法華経巻一) の 「方便ほうべん品」 に、 「唯仏ゆいぶつぶつ乃能ないのうじん諸法しょほう実相じっそう」 ととける、 これなり。

三千さんぜん諸法しょほういうは、 ぼんしょう合論ごうろんするに十界じっかいあり。 十界じっかいいうは、 ひとつにはごくふたつには餓鬼がきみつにはちくしょうよつにはしゅいつつにはにんむつにはてんななつにはしょうもんやつには縁覚えんがくここのつにはさつとおにはぶつなり。 此内このうちはじめむつ六凡ろくぼんひ、 のちよつしょうごうす。 そうじてこれ十界じっかいいうなり。

十界じっかい一界いっかいごとにおのおのじゅうにょそくせり。 じゅうにょいうは、 おなじき次下つぎしももんに 「所謂いわゆる諸法しょほうにょそうにょしょうにょたいにょりきにょにょいんにょえんにょにょほうにょ本末ほんまつきょうとう (法華経巻一方便) へるこれなり。 所謂いわゆるにょそう」 をはじめとし 「にょ本末ほんまつきょうとう」 をおわりとして、 そうじてじゅうにょあるなり。にょいうは、 いうところそうしょうたいしきいんえんほう本末ほんまつほうとして不↠動どうぜざるなり。 「本末ほんまつきょうとう」 というは、 そうしょうとう本末ほんまつきょうしてひとしというなり。 これすなわちにょなり。

如↠此かくのごとく十界じっかいしゅじょうおのおのじゅうにょすれば十界じっかいひゃくにょなり。 しかる十界じっかいたがい十界じっかいそくして、 ごくにもかいし、 餓鬼がきにもかいし、 ない仏界ぶっかいにも0767かいすれば、 ひゃくかいとなる。 かるがゆえひゃくかいせんにょあり、 これひゃくかい千如せんにょふ。 ひゃくかい千如せんにょ三種さんしゅけんやくすれば、 三千さんぜんなるなり。

三種さんしゅけんいうは、 ひとつにはおんけんふたつにはしゅじょうけんみつにはこくけんなり。 おんうんなり。 うんいうは、 ひとつには色薀しきうんこれこんきょうとう一切いっさい色法しきほうなり。 ふたつには受薀じゅうんこれらくしゃ三受さんじゅなり。 みつには相薀そううんこれこくびゃくじょうたん男女なんにょ方円ほうえんとうそうとるなり。 よつにはぎょううんこれ色心しきしんほうのぞきて、 一切いっさい有為ういほうなり。 ぎょういうは、 ぞうせんなり。 いつつには識薀しきうんこれ心王しんのうなり。 じょうこれおんけん けんけんきゃくなり。 しゅじょうけんいうは、 かのおんぞうするところじょうなり。 こくけんいうは、 かのじょう依止えじするところほうなり。

これそうじて三千さんぜん諸法しょほういうこの三千さんぜん諸法しょほうしゅじょう一念いちねんしんしょうして、 本来ほんらいどうなるを一念いちねん三千さんぜん法門ほうもんいうなり。 ¬かん¼ のだい (巻五上)

「この三千さんぜん一念いちねんしんにあり、 もししんなからんのみ、 介爾けににもしんあればすなはち三千さんぜんす」

「此三千在↢一念心↡、 若無↠心而已、 介爾有↠心即具↢三千↡」

ふ。 ¬けつ¼ (輔行) だいこれうけて、

介爾けにといふはいはくせつしんなり、 けん相続そうぞくしていまだかつて断絶だんぜつせざれば、 わづかにいちせつにも三千さんぜんそくす」

「言↢介爾↡者謂刹那心、 無間相続未↢曽断絶↡、 纔一刹那三千具足」

へる、 このこころなり。

三千さんぜんかんを修するにくうちゅう三諦さんたいかんあり。 空諦くうたいいうは、 三千さんぜん諸法しょほうなりとかんじ、 ちゅうたいいうは、 この三千さんぜん諸法しょほう非有ひうくうかんずるなり。 おなじ0768き ¬けつ¼ (輔行巻五) しゃく

しんしょうどうぜざるに、 かりちゅうて、 三千さんぜん亡泯もうみんするに、 かりくうしょうて、 もうずといへどもしかもぞんずるに、 かり

「心性不↠動、 仮立↢中名↡、 亡↢泯三千↡、 仮立↢空称↡、 雖↠亡而存、 仮立↢仮号↡」

へる、 そのもんなり。 もんこころは、 「もう三千さんぜん」 は空観くうかん、 「すいもうぞん」 はかんなり、 そのこころやすし。 ちゅうどうかん非有ひうくうのぶるに、 「しんしょうどう」 というは、 しゅじょうしんしょう本来ほんらい非有ひうくうたいにて不可ふか思議しぎなるがゆえに、 如↠此かくのごとくしゃくするなり。 ¬しゃくせん¼ の第一だいいち (巻二)

りといはんとすれば、 すなはち一念いちねんすべてし、 いはんや十界じっかい質像しつぞうあらんや。 しといはんとすれば、 すなはちまた三千さんぜんりょそうおこ、 いはんや一界いっかい念慮ねんりょをや。 この有無うむおもいをもつてすべからず、 かるがゆへにすなはち一念いちねんしんちゅうどうりょうねんなり」

「言↠有、 即一念都無、 況有↢十界質像↡耶。 言無、 則復起↢三千慮想↡、 況一界念慮耶。 不↠可↠以↢此有無思↡、 故則一念心中道冷然」

へる、 このこころなり。

三諦さんたいたがいそうそうしょうゆうあり。 そういうは、 くうし、 くうし、 ちゅうどうくうするなり。 そうしょういうは、 三諦さんたいたがいすれども、 しか宛然えんぜんとしてぞんずれば、 可↠破はすべきところく、 可↠取とるべきところく、 えんにゅう無むげにして不可ふか思議しぎなり。 これえんにゅう三諦さんたい 三諦さんたい一諦いったいさんいちいいて、 三諦さんたいにしてしか一諦いったいなり、 三諦さんたいにもあらず、 また一諦いったいにもあらざるなり。 しゅじょう三諦さんたいri不↠知しらざるゆえに、 無始むしより以来このかたしょうりんせり。 三諦さんたいriいうは、 すなわち真如しんにょ法界ほっかいいちなり。 真如しんにょいうぶっしょうなり。 またほっしょうとも法身ほっしんとも第一だいいちたいとも如来にょらいぞうともへる。 みなこれ一法いっぽうみょうなり。

真如しんにょ法界ほっかいriは、 とおほか不↠可↠求もとむべからずただ三千さんぜん諸法しょほうなれば、 ごく真如しんにょなり、 餓鬼がき真如しんにょなり、 真如しんにょまことぶつなづくれば、 十界じっかいことごと0769仏界ぶっかい云事いうことあきらかなり。 かの六道ろくどう千如せんにょなかに、 「にょいん」 は業道ごうどうなり、 「にょえん」 は煩悩ぼんのうどうなり、 「にょ」 はどうなり。 是皆これみな真如しんにょ実相じっそうたいなれば、 煩悩ぼんのうごっ三道さんどうすなわ法身ほっしん般若はんにゃだつ三徳さんどくなり。 また法報ほうほうおう三身さんしんなり。 如↠此かくのごとく観達かんだつすれば煩悩ぼんのうそくだいしょうそくはんなり。

円頓えんどんぎょうじゃ、 此三諦さんたいかんしゅぎょうするに、 はくぼんよりみょうがくごくいたるまで、 六即ろくそく次位じいあり。 六即ろくそくいうは、 ひとつにはそくふたつにはみょうそくみつにはかんぎょうそくよつにはそうそくいつつには分真ぶんしんそくむつにはきょうそくなり。

そくいうは、 三諦さんたいri一心いっしんそくしたれども、 その不↠知しらざるくらいなり。 これすなわちぼんなり。 ¬かん¼ の第一だいいち (巻一下) くらいしゃくするに、

一念いちねんしんすなはち如来にょらいぞうなり。 にょゆえにすなはちくうなり、 ぞうゆえにすなはちなり、 ゆえにすなはちちゅうなり、 さん一心いっしんうちして不可ふか思議しぎなり」

「一念心即如来蔵理。 如故即空、 蔵故即仮、 理故即中、 三智一心中具不可思議」

へり。 ていぼんみなこのくらいなり。

みょうそくいうは、 三諦さんたいみょうききいささすれども、 未↠至↢観↡いまだかんげにいたらざるくらいなり。 おなじしゃく

「あるひはしきしたがひ、 あるひはきょうかんしたがかみくところの一実いちじつだいきて、 みょうなかにおいて通達つうだつりょうして、 一切いっさいほうはみなこれ仏法ぶっぽうなりとる」 (止観巻一下)

「或従↢知識↡、 或従↢経巻↡、 聞↢上所↠説一実菩提↡、 於↢名字中↡通達解了、 知↢一切法皆是仏法↡」

へる、 これなり。 しゅうがくせんひとなかにも、 くらいいたるは可↠叵↠有ありがたかるべきなり。

かんぎょうそくいうは、 すなわち三諦さんたいかんぎょうしゅするくらいなり。 於↠之これにおいてぼんくらいあり。 ぼんいうは、 第一だいいちには十心じっしんそくくらいなり。 十心じっしんいうは、 ひとつにはかん不思議ふしぎきょうふたつには慈悲じひしんみつにはぎょうあんかんよつには法遍ほうへんいつつにはしき通塞つうそくむつにはしゅ0770道品どうぼんななつにはたい助開じょかいやつには次位じいここのつにはのう安忍あんにんとおには法愛ほうあいなり。 第二だいにには読誦どくじゅきょうてんくらいなり、 所謂いわゆる ¬法華ほけきょう¼ を読誦どくじゅするなり。 第三だいさんにはきょう説法せっぽうくらいなり。 だいにはけんぎょうろくくらいなり。 第五だいごには正行しょうぎょうろくくらいなり。 これぼんくらいなり。

そうそくいうは、 六根ろっこん清浄しょうじょうくらいなり。

「もろもろのくところのほう、 そのしゅしたがひて、 みな実相じっそうとあひはいせず」 (法華経巻六法師功徳品)

「諸所↠説法、 随↢其義趣↡、 皆与↢実相↡不↢相違背↡」

いうくらいそうなり。 じゅう二位にい配当はいとうせば十信じっしんくらいなり、 これ内凡ないぼんなり。 未↠至↢証位↡いまだしょういにいたらずそう智慧ちえはっするがゆえに、 そうそくいうなり。

分真ぶんしんそくいうは、 だんみょうしょうちゅうどうくらいなり。 これ十住じゅうじゅう十行じゅうぎょうじゅうこうじゅう等覚とうがくじゅういちなり。 いちごとにおのおの一品いちぼんみょうだんじて一分いちぶんちゅうどうriあらわす、 これしょうなり。 未↠登↢究竟↡いまだくきょうのごくいにのぼらずぶんほっしょうしんしょうするがゆえに、 分真ぶんしんつるなり。

きょうそくいうは、 みょうがくくらいなり。 元品がんぼんみょうだんじてきょうちゅうどうしょうす。 くらいとしてうえ可↠登のぼるべきなく、 とくとしてうえ可↠証しょうすべきなし、 かるがゆえきょうそくいうなり。

きょうもんやくしてしゅにゅうどうろんずるときは、 如↠此かくのごとく六即ろくそく次位じいあれども、 観道かんどうこころもっ一念いちねんとんじょうだんずるときは、 一々いちいちこのかいきゅうるとははざるなり。 かみいうところ三千さんぜん諸法しょほうは、 しゅじょうあるときぶっときも、 そのたいひとつなり。 ただまよいさとりとの差別しゃべつよりて、 ぜんじゃく諸法しょほうことなれども、 そのしょうたずぬればびょうどうにしてなし。 ¬しゃくせん¼ の第六だいろく (巻一四) に、

三千さんぜんにあるをばおなじくみょうづく、 三千さんぜんじょうずるをばことごとくじょうらくしょうす。 三千さんぜんあらたまることなければ、 みょうすなはちみょうなり」

「三千在↠理同名0771↢無明↡、 三千果成咸称↢常楽↡。 三千無↠改、 無明即明」

へる、 このこころなり。

さればみょうすなわみょうなるがゆえに、 煩悩ぼんのうすなわだいなりとたっし、 煩悩ぼんのうすなわだいなるがゆえに、 しゅじょうすなわぶつなりとるを本来ほんらいじょうぶつふ。 本来ほんらいじょうぶつを了するを、 即身そくしんじょうぶつともいうなり。 如↠実じつのごとくri契当かいとうせば、 しょうとること可↠如↠反↠掌たなごころをかえすがごとくなるべしともしゅじょう無始むしよりひさし塵労じんろうおおはれたるゆえに、 実相じっそうかんなすこと難↠成じょうじがたくほんぶっしょう叵↠顕あらわしがたしゆえに、 しゅうにも、 うるわしく即身そくしんじょうぶつすることはありがたし。 いっしょう六根ろっこんじょうくらいうるもっ速疾そくしつやくとせり。

¬しょ¼ の第七だいしち (法華文句記巻八釈迦城喩品)

六根ろっこんのきはめておそきはさんしょういでず」

「六根極遅不↠出↢三生↡」

いうゆえに、 じょうこんものげんしょうくらいのぼり、 鈍根どんこんものしょうさんしょうこのくらい可↠至いたるべしえたり。 六根ろっこんじょうくらいいうは、 六即ろくそくなかだいそうそくくらいなり。

南岳なんがくだいくらいいたり、 天臺てんだいだいいまくらいいたらずして、 かんぎょうぼんくらいたまへり。

はくぼんたやすじょう難↠進すすみがたきこと、 以↠是これをもって可↠知しるべし然者しかれば難↠成じょうじがたき三諦さんたいかんこらさんとはげん叵↠得えがたき現身げんしんしょう従↠求もとめんよりは、 ぎょうやす念仏ねんぶつしゅしてやすじょうしょうぜんとがんぜんは、 けつじょうしゅつ用心ようじん速疾そくしつだつ直道じきどうなるべし。

といいわくたと三諦さんたいえんにゅうかんなし即身そくしんぶつさとりとること不↠叶かなわずとも、 ただ ¬法華ほけきょう¼ をじゅ読誦どくじゅしてじょうぶつせんことは、 いかなるこんなりとも、 などか不↠叶かなわざらんきょうもん0772ごときは、 あるい

「わがめつのちにおいて、 このきょうじゅすべし、 このひと仏道ぶつどうにおいて、 けつじょうしてうたがひあることなり」 (法華経巻六如来神力品)

「於↢我滅度後↡、 応↣受↢持此経↡、 是人於↢仏道↡、 決定無↠有↠疑」

ともひ、 あるいは 「にゃく聞法もんぼうしゃいちじょうぶつ (法華経巻一方便品) ともときたれば、 このきょうよりしゅぎょうせば速疾そくしつやくんこと不↠難かたからざるものをや。

こたへていわくまことに ¬法華ほけきょう¼ をじゅ読誦どくじゅせんことどく莫大ばくだいなり、 の益不↠可↠虚むなしかるべからずただ天臺てんだいこころよりおもふに、 かんもっほんとして、 うえしゅぎょういたすをほんとす。 ¬きょう¼ (法華経) に 「如説にょせつしゅぎょう」 とけるは、 すなわぎょうそくあらわすなり。 ただもん読誦どくじゅせんばかりは、 遠因えんいんとはなるともただちじょうぶついんとは難↠定さだめがたし

されば天親てんじんさつの ¬ほっろん¼ (巻上) には、

「いはくだいしんおこさつぎょうぎょうずるものしょ善根ぜんごんよくだいしょうす、 もろもろのぼんおよびけつじょうしょうもんもとよりこのかたいまだだいしんおこさざるもののよくるところにあらず」

「謂発↢菩提心↡行↢菩薩行↡者、 所作善根能証↢菩提↡、 非↧諸凡夫及決定声聞本来未↠発↢菩提心↡者之所↦能得↥」

へり。 「ほつだいしんぎょうさつどう」 というは、 ぎょうことばなり。 三諦さんたいえんにゅうだいしんおこさざらんぼんは、 たと随分ずいぶん善根ぜんごんしゅすとも、 だい難↠得えがたしえたり。

また南岳なんがくだいしゃくには、

そう安楽あんらくぎょうは、 甚深じんじんみょうぜんじょうなり、 ろくじょうこん観察かんざつす、 そう安楽あんらくぎょうは、 これ勧発かんぽつぼんによりて、 散心さんしんに ¬ほっ¼ をじゅす、 ぜん三昧ざんまいらず、 りゅうぎょう一心いっしんに、 ¬ほっ¼ のもんねんず、 ぎょうもしじょうじゅすれば、 すなはちげんしんる、 これまた一往いちおうにんわかつ、 きょうしてしかもろんずればぎょうたがひにあらはる」 (安楽行義意)

「無相安楽行、 甚深妙禅定、 観↢察六情根↡、 有相安楽行、 此依↢勧発品↡、 散心誦↢¬法華¼、 不↠入↢禅三昧↡、 坐立行一心、 念↢¬法華¼文字↡、 行若成就者、 即見↢普賢身↡、 此亦一往分↢二人↡、 究竟而論二行互顕」

といへり。 そうぎょうじゃそう一往いちおうことなれども、 きょうしてろんずるに、 ぎょうそくすべき顕然けんぜんなり。

またたとかんくしてじゅ0773読誦どくじゅすとも、 ¬きょう¼ に安楽あんらくぎょうじゃそくとくに、 そのぎょうあいはなは難↠守まもりがたし其相そのそうくわしく ¬安楽あんらくぎょうぼん¼ (法華経巻五) 説↠之これをとけり

「つねに国王こくおうおよび国王こくおう大臣だいじんちょうかんけんしゃ、 およびせん陀羅だらどうぼんはなれ、 またぞうじょう慢人まんにん小乗しょうじょうとんじゃくせる三蔵さんぞう学者がくしゃかい比丘びくみょうかん、 および比丘びくと、 こうしょうしゃ親近しんごんせざれ、 ふかよくじゃくして、 めつげんぜんともとむると、 もろもろの優婆うばとみな親近しんごんすることなかれ」

「常離↢国王及国王子、 大臣官長、 凶験戯者、 及旃陀羅、 外道梵士↡、 亦不↧親↦近増上慢人、 貪↢著小乗↡三蔵学者、 破戒比丘、 名字羅漢、 及比丘尼、 好戯笑者↥、 深著↢五欲↡、 求↠現↢滅度↡、 諸優婆夷皆勿↢親近↡」

とらへるもんこれなり。

またいっこころるに、 ¬かん¼ にしゃくするがごときは、 きょうしゅぎょうするにえんそくすべきことあかせり。 えんいうは、 ひとつにはじきそくふたつにはかい清浄しょうじょうみつにはじょう閑処げんしょよつにはそく諸縁しょえんいつつにはとくぜんしきなり。 えんうちひとつけなば、 どうぎょう難↠成じょうじがたくどく叵↠得えがたきものなり。

就中なかんずくほっ念仏ねんぶつとは、 ともぶっいちじょうほうなるがゆえに、 たいひとつなり。 然而しかれどもしょうためにはほっき、 ぼんためには念仏ねんぶつく。 ぼんしょう二機にきたいするところ各別かくべつなるがゆえに、 なんぎょうぎょうどうあいわかれたり。 障重しょうじゅう根鈍どんこんともがらそうかんこらしがたく、 如説にょせつぎょうしゅ不↠得えずは、 もとぎょう念仏ねんぶつすすめて、 はやくおうじょう可↠生しょうずべし

いわんや、 天臺てんだいだいも、 あるいは ¬かんぎょうしょ¼ をせいし、 あるいは ¬じゅう¼ をなして、 弥陀みだしょうひとにもすすめ、 あんにょうおうじょうがんたまへり。 されば天臺てんだいきょうもんがくせんにつきても弥陀みだねんじ、 ほっやくあおがんにつきても本願ほんがんしんずべきなり。

 

 

0774せんしょう 

 

・真言宗

一 真言しんごんしゅういうは、 しょきょうさいちょうみつ上乗じょうじょうなり。 かみあぐところしょしゅうは、 みなしゃけん所説しょせつなり。 いま真言しんごんきょうは、 大日だいにち如来にょらいじゅ法楽ほうらくないしょうほうなるがゆえに、 せんぎょうともがら受職じゅしきかんじょうくらい不↠至いたらずしてはじんつたふることし。 たと伝↠人ひとにつたうるも、 けん無↠説↠之これをとくことなし説↠之これをとけばおつ三昧さんまいいいて、 じゅうざいまねゆえにみだりくこと不↠能あたわずいわんや、 もとみずから不↠知しらず不↠伝つたえざらんともがらおいてをや。 能説のうせつ所説しょせつともたやすからぬことなり。

然而しかれどもさきにのぶところえんこころじゅんしていささ一端いったんしめさば、 このきょうおいそうきょうそう差別しゃべつあり。

そういうは、 大日だいにち如来にょらい金剛こんごうさっよりそうじょうせるしゅぎょうだい師資ししそうじょうして、 印契いんげい誦呪じゅじゅ以下いげほういちとしてせず、 学↠之これをまなんでしゅぎょうするなり。 これ義理ぎりりょうせざれども、 そくまかせ如↠法ほうのごとくごんぎょうすれば、 そのしつじょうじゅして現当げんとうやくるなり。 ¬大日だいにちきょう¼ (第七真言行学処品) に、

「このしょうにおいてしつらんとおもはば、 その所応しょおうしたがひてこれをねんせよ。 したしくそんところにおいてみょうほうけて、 観察かんざつ相応そうおうすればじょうじゅす」

「欲↧於↢此生↡入↦悉地↥、 随↢其所応↡思↢念之↡。 親於↢尊所↡受↢明法↡、 観察相応作↢成就↡」

へる、 こころなり。

つぎきょうそういうは、 このきょうつるところしゅうりょうして、 さんみょうでん深奥じんのうし、 かのしょ以下いげきょうがく0775けつうくるなり。 おおよこのしゅうこころは、 大日だいにち如来にょらいりょうしゅとして諸尊しょそんちょうたることだんず。 りょういうは、 胎蔵たいぞうかい金剛こんごうかいなり。 胎蔵たいぞうなり、 金剛こんごうなり。 これすなわちじょうほうなり。 胎蔵たいぞうかいには、 八葉はちよう蓮台れんだいじゅうさん大院だいいん塵刹じんせつしょうじゅあり。 金剛こんごうかいにはさんじゅう七尊しちそん九会くえまん荼羅だら諸尊しょそんあり。 くわしくろんずれば、 胎蔵たいぞうにはひゃくしちじゅうそん金剛こんごうかいにはひゃくそんあり。 これすなわち十方じっぽう法界ほっかいじん無余むよ一切いっさい諸尊しょそんこのりょうかいなかしょうじnす。

しかるにこれ諸尊しょそんいずこたまうぞというに、 とおほか非↠可↠討たずぬべきにあらずただ一切いっさいしゅじょうしんちゅうしょして歴然れきぜんたり。 然而しかれどもしゅじょうわくしょう被↠礙さえられてどう不↠知しらざるを、 三密さんみつかんぎょうしゅすれば、 かんぎょうちからよりほんぶっしょうあらわすとだんずるなり。 くち真言しんごんじゅし、 印契いんげいむすび、 こころ観念かんねんして、 三業さんごう相応そうおうするなり。

¬れん三昧ざんまいきょう¼ に甚深じんじん明文めいもんあり。

本覚ほんがくしん法身ほっしんみょうす。 つねにみょうほうしん蓮台れんだいじゅうせり。 本来ほんらい三身さんしんとくそくし、 さんじゅう七尊しちそんしんじょうじゅうす」

「帰↢命本覚心法身↡。 常住↢妙法心蓮台↡。 本来具↢足三身徳↡、 三十七尊住↢心城↡」

へる、 これなり。 こころは、 本覚ほんがくしん法身ほっしんは、 つねみょうほうしん蓮台れんだいして、 さんじゅう七尊しちそんしんじょうじゅうせりとなり。

しん法身ほっしん」 とはしゅじょうしんしょうなり。 これみょうほうなりこれまたしんじょうなり。 むねうちなる八分はちぶん肉団にくだんは、 すなわち八葉はちよう蓮台れんだいかたれり、 これを 「しん蓮台れんだい」 というなり。 このしん蓮台れんだいうえしん法身ほっしんあり。 しん法身ほっしん三身さんしんどくし、 さんじゅう七尊しちそんじゅうせりというなり。

さんじゅう七尊しちそん」 というは、 大日だいにち如来にょらいぶつ波羅はらみつじゅうろくだいさつはちしょうさつこれなり。

一一いちいちげば、 大日だいにち如来にょらいちゅうおうしょせり、 五智ごち配当はいとうせば、 法界ほっかいたいしょうなり。 しゅくぶつ東方とうほうしょせり、 大円だいえんきょうなり。 ほうしょうぶつ南方なんぽうしょせり、 びょうどうしょうなり。 弥陀みだぶつ西方さいほうしょせり、 みょう観察かんざつなり。 くうじょうじゅぶつ北方ほっぽうしょせり、 じょうしょなり。 じょうこれ五智ごち如来にょらいいう

波羅はらみついうは、 東方とうほう金剛こんごう波羅はらみつ南方なんぽうほう波羅はらみつ西方さいほうほう波羅はらみつ北方ほっぽうかつ波羅はらみつなり。

じゅうろくだいさついうは、 東方とうほうさつあり、 さつおうあいとなり。 南方なんぽうさつあり、 ほうこうどうしょうとなり。 西方さいほうさつあり、 ほういんとなり。 北方ほっぽうさつあり、 ごうとなり。

はちさついうは、 まんこうとうとなり。 しょうさついうは、 しゃくれいとなり。

このさんじゅう七尊しちそんは、 無始むしらいわれしんちゅうむねあいだたまへり。 なか大日だいにち如来にょらいもっほんとす。 ¬大日だいにちきょうしょ¼ (大日経疏巻一 大日経義釈巻一) に、 ことあらわして、

一切いっさいしゅじょう色身しきしん実相じっそう本際ほんざいよりこのかた、 つねにこれ毘盧びるしゃびょうどうしんなり。 これだいとき、 あながちに諸法しょほうくうじてはじめて法界ほっかいすにあらず」

「一切衆生色身実相、 従↢本際↡来、 常是毘盧遮那平等智身。 非↧是得↢菩提↡時、 強空↢諸法↡始成↦法界↥」

へり。 一仏いちぶつうちましまする、 なおそのゆう不可ふか思議しぎなり。 いわんや、 わがうちさんじゅう七尊しちそんましますしりなば、 しょうだいだい転迷てんめいかいやく不↠可↠有↠疑うたがいあるべからずただことば如↠此かくのごとくくというとも、 しゅぎょう薫修くんじゅなくは、 その不↠可↠有あるべからず

おおよこのきょうは、 即身そくしんじょうぶつをもてしゅうとす0777れども、 ただち即身そくしんじょうぶつしょうだんずるもんもあり、 また即身そくしんにゅうやくあかせるせつもあり。 くう三蔵さんぞうさく、 ¬金剛こんごう頂経ちょうきょうけつ¼ (巻上) しゃくするがごときは、 いっしょうごく可↠至いたるべしえたり。 所謂いわゆる

「この ¬きょう¼ にくところは、 じきにゅう直修じきしゅ直法じきほう直説じきせつなり、 すなはちこのしょうにおいて、 如来にょらいぜんぎょうるがゆへに」

「此¬経¼所↠説、 直入直修、 直法直説、 即於↢此生↡、 得↢如来地善巧智↡故」

へる、 これなり。 ¬即身そくしん義¼ (毘盧遮那三摩地法) もんごときはげんしょう初地しょじにいるあかす所謂いわゆる

「もししゅじょうありてこのきょうひて、 ちゅう四時しじしょうじんしてしゅすれば、 げんかんしょうとくし、 のちじゅうろくしょうしょうがくじょうず」

「若有↢衆生↡遇↢此教↡、 昼夜四時精進修、 現世証↢得歓喜地↡、 後十六生成↢正覚↡」

へるもんこれなり。 「ちゅう四時しじしょうじんす」 とへるは、 其功そのこうおぼろげの薫修くんじゅにては不↠可↠叶かなふべからずぎょう如法にょほうならずは、 たやすやく不↠可↠得うべからざるものなり。

即身そくしんじょうぶつつき三種さんしゅあり。 ひとつには理具りぐふたつには加持かじみつには顕得けんとくなり。 理具りぐ即身そくしんじょうぶついうは、 かみのぶるがごとく、 一切いっさいしゅじょうしんうち金剛こんごう胎蔵たいぞうりょうまん荼羅だら法然ほうねんとしてするなり。 加持かじ即身そくしんじょうぶついうは、 三密さんみつ加持かじよりて、 しんちゅう諸尊しょそん顕現けんげんするなり。 顕得けんとく即身そくしんじょうぶついうは、 三密さんみつしゅぎょうじょうじゅしぬれば、 即身そくしんまんぎょうして、 如↠実じつのごとくしんしり真実しんじつしょうかなふなり。

なか理具りぐじょうぶつひとごとに可↠有↠之これあるべしいまじゅうじょうぶつは、 三密さんみつゆうこたへ、 ぎょうごう薫修くんじゅよるべきがゆえに、 せんぎょうれっには難↠成じょうじがたきなり。 然者しかれば、 ¬だいしんろん¼ (金剛頂発菩提心論) には、

「もしじょうこんじょうひとありてどうじょうほうねがはず、 おほきにたくりょうありてえいにしてわくなからんもの、 よろしくぶつじょうしゅすべし」

「若有↢上根上智之人↡不↠楽↢外道二乗法↡、 有↢大度量↡勇鋭無↠惑者、 宜↠修↢仏乗↡」

0778判じ、 ¬大日だいにちきょうの義しゃく¼ (巻三) には、

「もしすでにこん智恵ちえじょうじゅせば、 すなはちまさにみつえんちょうしてしかもこれをかいすべし」

「若已成↢就利根智恵↡、 即当↧演↢暢秘密↡而開↦示之↥」

しゃくし、 ぜん無畏むい三蔵さんぞう

とんなければそのらず」 (大日経疏巻七 大日経義釈巻七)

「無↢頓悟機↡不↠入↢其手↡」

ひ、 くう三蔵さんぞう

だいしゅしょうひと法縁ほうえんすでにじゅくすれば、 さんみつほうせつまさにいたる」 (出生義)

「大種性人法縁已熟、 三秘密法説時方至」

のべたり。

こん無智むちともがらきょうあらずときこえたり。 らんぎょうじょうひとまたのぞみへだてたり。 されば山門さんもん三井みい小野おの広沢ひろさわ高僧こうそうみっきょうしゅうとするはみな清浄しょうじょうひとなり。 悪縁あくえんちかづきらくひとは、 たちまちきょうしゅぎょうさしおくなり。 放逸ほういつじょうにしてみだりに行↠之これをぎょうぜんはもとおそれあり、 ふか可↠慎つつしむべしほういたりさいじょうなれば、 こんともがら叵↠及およびがたし

就中なかんずくみっしゅうたいりゅうじゅさつかみ如↠記きするがごとく ¬じゅうらい¼・¬十住じゅうじゅう毘婆びばしゃろん¼ とうなして、 念仏ねんぶつもっぎょう化他けたようぎょうとし、 おうじょうもっぼんしゅつ依怙えことせり。 みっきょうしゅぎょう不↠絶たえざらんひとすみやかぎょう念仏ねんぶつしゅすべし。

・律宗

一 りっしゅういうは、 三蔵さんぞうなか毘尼びにぞう三学さんがくなか戒品かいぼんなり。 もろもろ戒品かいぼんたもちて三業さんごうぼうし、 一切いっさいあくせいして、 威儀いぎ不↠犯ぼんせざるなり。 ¬じゅうじゅりつ¼・¬分律ぶんりつ¼・¬そうりつ¼ とうなか明↠之これをあかす

そのかいぎょうしゅあり、 所謂いわゆるそくかい十戒じっかい八戒はっかいかいとうなり。 そくかいいうは、 苾芻びっしゅかいなり。 苾芻びっしゅいうは、 比丘びくなり。 付↠之これにつきて男女なんにょ差別しゃべつあり、 比丘びくひゃく十戒じっかい比丘びくひゃくかいなり。 女人にょにん障重しょうじゅうなるがゆえに、 戒品かいぼんばいせるな0779り。 その一一いちいち戒品かいぼんりつなかあかすがごとし。

十戒じっかいいうは、 ごんしゃくかいなり。 ひとつには不↢殺生↡せっしょうせずふたつには不↢偸盗↡ちゅうとうせずみつには不↢行婬↡ぎょういんせずよつには不↢妄語↡もうごせずいつつには不↢酤酒↡こしゅせずむつには不↠坐↢高広大床↡こうこうのだいしょうにざせずななつには不↠塗↢脂粉↡しふんをぬらずやつには不↢歌舞作楽及往観聴↡かぶさぎょうしおよびゆきてかんちょうせずここのつには不↢過↠中食↡ちゅうをすぎてじきせずとおには金銀こんごんのしょうぞう不↠取↠手てにとらざるなり。 八戒はっかいいうは、 ごんじゅうかいなり、 十戒じっかいなかのちふたつをのぞくなり。 かいいうは、 ごんかいなり、 八戒はっかいなかのちつをのぞくなり。

これ戒品かいぼんたもち一分いちぶんせず、 ぶつ威儀いぎまもるなり。

しゅうたいは、 遮悪はいあくぜんもっほんとし、 滅罪めつざいしょうぜんもっむねとす。 されば ¬だいろん¼ (瓔珞経巻下大衆受学品) には、

ぶっじゅうざいするにはかいをもつてほんとなす」

「住↢在仏家↡以↠戒為↠本」

いいて、 そうことかいたもつによることあかし、 天臺てんだいしゃくには、

諸道しょどうちんしょうかい持毀じきあるによる」 (法華文句巻二下 釈序品)

「諸道昇沈由↠有↢戒持毀↡」

いいて、 善悪ぜんあくしょううくることは、 戒品かいぼん持破じはによることはんぜり。 ぶつ弟子でしとなり、 かたち沙門しゃもんにからんともがらもと戒品かいぼんたもりつもっぱらにすべきなり。

ただ末代まつだいに及びこんいたりて、 かいぎょう叵↠持たもちがたしどうしゃくぜんの ¬安楽あんらくしゅう¼ にはかいぎょうとくするひと可↠希まれなるべきむねはんじ、 でんぎょうだいの ¬末法灯明記¼ (意) には 「まっかいひとあらば、 いちとらあらんがごとし」 とへり。 さればかいそうなおしゅじょう依怙えこなり。 いわんや、 じつとくせんひとは、 こと可↠貴たふとむべきにたれり。 ざいざんともがらおいては、 さら叵持之これをたもちがたきものなり。

いまりっしゅうごうするは、 小乗しょうじょうなり。 0780ほかだいじょうかいあり、 ¬梵網ぼんもうかい¼ にとくところ一戒いっかいこうみょう金剛こんごう宝戒ほうかいこれなり。 それとりて、 十重じゅうじゅうきんあり、 じゅうはちきょうかいあり。 天臺てんだいだいは ¬義記ぎき¼ をせいして、 じゅつし、 せいきゅう太賢たいけんは ¬せき¼ をつくりもんしゃくせり。 じつにはかいおいて、 だいしょう差別しゃべつなけれども、 受者じゅしゃこころよりだいじょうかいとも小乗しょうじょうかいともつたはるゝなり。

われごときはじゅうあくなれば、 だいしょうかいぎょうとももっぶんえたり。 人天にんでんほうなおもっ不↠可↠得うべからず、 ましてしゅつのぞみたてるたぐいなり。 しかるに念仏ねんぶつぎょうじゃは、 かいかいひとしくしょうじ、 弥陀みだ本願ほんがん善人ぜんにん悪人あくにんおなじせっす。 「けんもんじょうかいけんかい罪根ざいこんじん (五会法事讃巻本) へり。 かいぎょう不↠全まったからざらんけても、 ただぶっ強縁ごうえん可↠仰あおぐべきなり。

・倶舎宗

一 しゃしゅういうは、 小乗しょうじょうなり。 本論ほんろん天親てんじんさつぞうなり、 さん十巻じっかんあり。 釈↠之これをしゃくするにこうほうとうしゃくあり。 またえんしゃくあり、 ¬頌疏じゅしょ¼ これなり。 この ¬ろん¼ にはさんじょう断惑だんわく修道しゅどうそうあかせり。 所謂いわゆるしょうもんたいかんじ、 さんしょう六十ろくじっこうしゅぎょうこう四果しかくらいうるなり。 縁覚えんがくじゅう因縁いんねんかんじ、 しょうひゃっこうしゅぎょうじょうるなり。 さつろくぎょうじ、 さんひゃっこうしゅぎょういたして八相はっそうじょうどうするなり。

其中そのなかじょう修道しゅどうおいては、 しばらく閣↠之これをさしおくさつしゅぎょうあかもんるに、

じょうだいははなはだべきことかたし。 がんぎょうにあらずはじょうずることべきことなし。 さつはかならず三劫さんごうしゅて、 だい福徳ふくとく智恵ちえりょう0781ろっ波羅ぱらみつ多々たたひゃくせんぎょうしゅして、 まさにじょうしょうとうだいしょうす」 (玄奘訳倶舎論巻一二世品)

「無上菩提甚難↠可↠得。 非↢多願行↡無↠容↠得↠成。 菩薩要経↢三劫無数↡、 修↢大福徳智恵資糧0781、 六波羅蜜多々百千苦行↡、 方証↢無上正等菩提↡」

へり。 なんぎょうぎょうそう難↠及およびがたし

おおよ論蔵ろんぞうは、 諸法しょほうしょうそうけんきゃくし、 ぶっきょうもん決判けっぱんす。 如↠教きょうのごとくさんじょうどう不↠修しゅせずはすみやかしょう不↠出いでずとも、 がくせばしゅっいんしり智慧ちえ開発かいほつすべし。 智恵ちえ開発かいほつせば、 りょういんしゅう可↠成なるべし。 されどもしゅがく不↠輒たやすからず得益とくやくまたじょうおんなり。

これ小乗しょうじょうなかにはもんあかせり。 さん十巻じっかんうちはじめかんにはかいあかす、 かいいうじゅう八界はっかいとうなり。 つぎかんにはこんあかす、 こんいう六根ろっこんとうなり。 つぎかんにはけんあかす、 けんいうは、 じょうけんけんなり。 つぎ六巻ろっかんにはごうあかす、 ごういう善悪ぜんあく業因ごういんなり。 つぎ三巻さんかんには随眠ずいめんあかす、 随眠ずいめんいう煩悩ぼんのうなり。 つぎかんにはげんじょうあかす、 げんじょういう七賢しちけんしちしょうどうなり。 つぎかんにはあかす、 いうじっとうなり。 つぎかんにはじょうあかす、 じょういうとうとうとうじょうなり。 のち一巻いっかんには、 破我はがじんあかせり。 これどうじゃくするなり。

・成実宗

一 じょうじつしゅうは、 しゃおなじさんじょうどうあかす。 ただし ¬しゃ¼ には、 しょうもんおい七賢しちけんしちしょうくらいはんず。 ¬じょうじつろん¼ にはじゅうしちげんじょうくらいを立たり。 じゅうしちげんじょういうは、 じゅうはちがくがくとなり。

ろんには小乗しょうじょうなか空門くうもんあかせり。 このしゅうとうしゅがくすでにたえたるがごとし。 いわんや、 しゅしょうひとさら無↠之これなきなり。

じょうはっしゅうたい略してのぶる0782如↠之かくのごとし

・仏心宗

一 仏心ぶっしんしゅういうは、 だるだいことば

きょう別伝べつでんにしてもんてず、 ただち人心にんしんしてけんしょうじょうぶつす」

「教外別伝不↠立↢文字↡、 直指↢人心↡見性成仏」

へる、 これしゅうなり。

教宗きょうしゅうには思議しぎだんずれども、 ごんもっしめところ思議しぎあらず。 実相じっそうかんずれども、 なお善悪ぜんあくりょう不↠離はなれざれば悟解ごげ不↠叶かなはずぶっことばもっ不↠説↠之これをとかずこころもっこころつたふるところ源底げんていあかすなり

さればもんかりその不↠可↠述のぶべからずただしんしゅぎょうしておのれ可↠得うべきみちなり。 一物いちもつ不↠見みざるをなづけて見道けんどうとし、 一物いちもつ不↠行ぎょうぜざるをなづけてぎょうどうとす。 ただ本来ほんらい面目めんもくまもり自己じこ本分ほんぶんあらわすなり。

一切いっさい善悪ぜんあくすべてりょうすることなかれ」 (六祖壇経)

「一切善悪都莫↢思量↡」

へる。 これすなわちきょうえんぜずして、 しょうくうじゃくなるしんなり。 如↠此かくのごとくしんしょうじゅうなるりょうするをば、 解悟げごとなづく。 よりしゅぎょうして、 こころ分別ふんべつわすれてくうじゃくriあらわるゝをしょうとす。 しょうしょう一念いちねんを 「けんしょうじょうぶつ」 というなり。

わずか義理ぎりりょうするをもっきわまりぬとおもいて、 此外このほかしょう不求もとめざるをばぞうじょうまんなづけて、 祖師そしふか誡↠之これをいましめたりりょうくらいは、 教宗きょうしゅうにはもんしゅうさんたつなかもんくらいなり。 依↠文もんによりてしるをばもんづけ、 よりゆいするをば思恵しえひ、 えんもうしょうじゃくするをばしゅうるなり。 このしゅうもっしょうかなくらいとするなり。

ぜんしゅうには、 もんくらいをば、 深浅じんせんあれどもひとつの解悟げご0783づけ、 しゅうくらいしょういうなり。 祖師そししょうて、 見聞けんもんかくふれしんながじゃくはなれ、 分別ふんべつもうじてほう実相じっそうしんあらわるゝところを、 たいしてかいするを考案こうあんなづく。

えん相応そうおうひとききすなわちかいすることあり。 もししんかいせずして、 古師こしようみょうことばまなん説↠之これをとかばせつちょうとも禅門ぜんもんほんあらず。 然者しかればいよいことばもっ不↠及↠述のぶるにおよばずこころざしあらんひとしゅぎょうして可↠知しるべきなり。 ことばそくしてことばもう そうそくしてそうもうじて、 一言いちごんしたすなわかいするはじょうこんひとなり。 ちゅうこんくわししんきょう本末ほんまつしゅじゃしょうわきまへて、 れんぎょうしてこれを可↠得うべきなり。

しゅうこうだるだいは、 しょうりんにしてねんあいだばんてて面壁めんぺきすとへり。 工夫くふこうなくしてしょう不↠可↠得うべからざること以↠之これをもって可↠知しるべしまた馬祖ばそぜんほんじょうだいとうごときは、 ひろきょうろんつうじてしんえんすとえたり。 ことばもっきょうもんじゅして、 未↠得いまだえずして謂↠得えたりとおおわばしん伝心でんしんほん可↠非あらざるべし

されば無始むしらい惑染わくぜんへいせられたるこんぼん、 よくしょうしてしんしょう本分ほんぶんあらわさんこと、 まっには可↠難↠有ありがたかるべしただ法身ほっしん同体どうたい弥陀みだみょうがんして、 捨身しゃしん他世たせしょうしょうんことは、 末代まつだい可↢相応↡そうおうすべきものなり

・浄土宗

一 じょうしゅうこころは、 なんぎょうぎょうどうたて一代いちだい分別ふんべつす。 なんぎょうどういうは、 此土しどにっしょうとくりきしゅにゅうどうなり、 だい小乗しょうじょうしょきょうあかところこれなり。 ぎょうどういうは、 しゃ0784しん他世たせおうじょう極楽ごくらくどうなり、 さんみょうでんあらわところこれなり。

さればかみにはいうところしょしゅうは、 だいしょう権実ごんじつ顕密けんみつきょうぜんことなれども、 みななんぎょうどうなり。 どうみょうもくりゅうじゅさつの ¬十住じゅうじゅう毘婆びばしゃろん¼ よりいでたり。 所謂いわゆる曇鸞どんらんしょうの ¬ちゅうろん¼ (巻上) に、 ろんひきなんどうあげたり。

さつ阿毘あびばっもとむるにしゅどうあり。 いちなんぎょうどうぎょうどうなり。 なんぎょうどうとは、 いはくじょくぶつときにおいて阿毘あびばっもとむるをなんとす。 このなんにいまし多途たずあり。 ほぼさんひて、 もつてしめさん。 いちどうしょうぜんさつほうみだる。 しょうもん自利じりにしてだい慈悲じひふ。 さん無顧むこ悪人あくにんしょうとくす。 顛倒てんどうぜんよくぼんぎょうす。 はただこれりきにしてりきたもつなし。 かくのごときらのことるるにみなこれなり。 たとへばろくぎょうはすなはちくるしきがごとし。 ぎょうどうとは、 いはくただ信仏しんぶつ因縁いんねんをもつてじょうしょうぜんとがんず、 仏願ぶつがんりきじょうじて、 すなはちかの清浄しょうじょうおうじょうすることを仏力ぶつりきじゅう、 すなはちだいじょう正定しょうじょうじゅれたまふ。 正定しょうじょうはすなはちこれ阿毘あびばっなり。 たとへばすいじょうせんはすなはちたのしきがごとし。」

「菩薩求↢阿毘跋致↡有↢二種道↡。 一者難行道、 二者易行道。 難行道者、 謂五濁之世於↢無仏時↡求↢阿毘跋致↡為↠難。 此難乃有↢多途↡。 粗言↢五三↡、 以示↢義意↡。 一者外道相善乱↢菩薩法↡。 二者声聞自利障↢大慈悲↡。 三者無顧悪人破↢他勝徳↡。 四者顛倒善果能壊↢梵行↡。 五者唯是自力無↢他力持↡。 如↠斯等事、 触↠目皆是。 譬如↢陸路歩行則苦↡。 易行道者、 謂但以↢信仏因縁↡願↠生↢浄土↡、 乗↢仏願力↡、 便得↣往↢生彼清浄土↡、 仏力住持、 即入↢大乗正定之聚↡。 正定即是阿毘跋致。 譬如↢水路乗船則楽↡。」

へるもんこれなり。

らん ¬じょうろん¼ のちゅうくわうときもんひきいっしゅうきょうそうとせり。 すなわいまろんして 「じょうえんごく退たい風航ふうこうなりしゃくするは、 ぎょうしゅうあかすなり。

¬じょうろん¼ はさんぎょう通申つうしんろんなるがゆえに、 さんぎょう所説しょせつぎょうどうなることあらわして、 そのなんぎょうどうなりとしめすなり。 らんのみにあらず、 自他じたしゅう祖師そし一代いちだいりょうけんするに、 おおこころぞんぜり。 所謂いわゆるどうしゃくの ¬安楽あんらくしゅう¼ にしょうどうじょうたてたるは、 いまなんどうなり。

おんの ¬西方さいほう要決ようけつ¼ に0785さんじょう」・「じょう」 とへるも、 またしょうどうじょうもんなり。 ぎょうつきわかつときなんぎょうぎょう ぼんしょうつきろんずるときしょうどうじょうなづくるなり。

また天臺てんだいだいの ¬じゅう¼ にも、 りゅうじゅ論判ろんぱんよりて、 穢土えどしゅぎょうじょうがたことあらわし、 じょうしょうけつじょうなるはんぜり。 づ、 なんぎょうどうそうしゃくすとして、 ¬智度ちどろん¼ に

ばくぼんは、 だいしんありといへども、 すなはちがんじてあくしょうじてしゅじょうすくふといはば、 このことわりあることなけん」

「具縛凡夫、 雖↠有↢大悲心↡、 則願生↢悪世↡求↢苦衆生↡者、 无↠有↢是処↡」

へるもんひきて、 しもわたくししゃくくわへられていわく、

「なにをもつてのゆへに、 あくかいなかには、 煩悩ぼんのうきょうこわくして、 みづから忍力にんりきなし。 えんしたがひててんぜられ、 しょうしきばくせられて、 みづからさnつ。 よくしゅじょうすくはん。 たとひにんちゅうしょうずることをれどもしょうどうがたし。 あるひはかい修福しゅふくによりてにんちゅうしょうじて、 国王こくおう大臣だいじんちょうじゃになることを富貴ふきざいなり。 たとひぜんしきあれどもあへて信用しんようせず、 貪瞋とんじん放逸ほういつのゆへにひろくおほくのつみつくる。 この悪業あくごうじょうじてひとたびさんりぬれば、 りょうこうごくよりいでては、 貧賎びんせん人身にんじんく。 もしぜんしきはざれば、 かえりてごくつ。 かくのごとくりんして、 今日こんにちいたるまで人々ひとびとみなかくのごとし。 これをなんぎょうどうづく」 (十疑)

「何以故、 悪世界中、 煩悩境強、 自無↢忍力↡。 随↠縁所↠転、 声色所↠縛、 自墜↢三塗↡。 能救↢衆生↡。 縦令得↠生↢人中↡聖道難↠得。 或因↢施戒修福↡生↢人中↡、 得↠作↢国王・大臣・長者↡富貴自在。 縦有↢善知識↡不↢肯信用↡、 貪瞋・放逸故広造↢衆罪↡。 乗↢此悪業↡一入↢三塗↡、 経↢無量劫↡。 従↢地獄↡出、 受↢貧賎人身↡。 若不↠逢↢善知識↡、 還堕↢地獄↡。 如↠此輪廻、 至↢於今日↡人々皆如↠是。 此名↢難行道↡也」

へり。

つぎぎょうどうしゃくするもんいわく

ぼんちからなければ、 ただすべからくもつぱら弥陀みだぶつねんじて、 すなはち三昧さんまいべし。 ごうじょうずるをもつてのゆへに、 りんじゅうねんおさめてしょうることけつじょうしてうたがはず。 弥陀みだぶつしょうにんしょうしおはりて三界さんがいかえきたりて、 しょうにんじょうじて、 しゅじょうすくひ、 ひろぶつほどこすこと、 こころまかせてざいなり。 ゆへに ¬ろん¼ にいはく、 ごくもん遊戯ゆげするは、 かのくにしょうじおはりて、 しょうにんおはりてしょうくにかえりて、 ごくきょうしてしゅじょうすくふ。 この因縁いんねんをもつてじょうしょうぜんともとめば、 ねがはくはそのきょうれ。 かるがゆへに ¬十住じゅうじゅう毘婆びばしゃろん¼ にいひてぎょうどうづく」 (十疑論)

「凡夫无↠力、 唯須↧専念↢阿弥陀仏↡、 便得↦三昧↥。 以↢業成↡故、 臨終斂↠念得↠生決定不↠疑。 見↢阿弥陀仏↡証↢無生忍↡已還↢来三界↡、 乗↢無生忍↡、 救↢苦衆生↡、 広施↢仏事↡、 任↠意自在。 故¬論¼云、 遊↢戯地獄門↡者、 生↢彼国↡已、 得↢無生忍↡已還↢入生死国↡、 教↢化地獄↡救↢苦衆生↡。 以↢此因縁↡求↠生↢浄土↡者、 願識↢其教↡。 故¬十住0786毘婆娑論¼云名↢易行道↡」

へり。

就↠中なかんずくしょう ¬かんぎょう¼ をけつりょうたまうときぜんほっべつたてたる、 これもんこころなり。さればしゅうしゅうとも一代いちだいもん分別ふんべつするうえはしょうどう諸門しょもんしょうじゃしゅぎょうかなひ、 念仏ねんぶついちぎょうぼん所修しょしゅおうぜること、 ろんあるべからず。 然者しかればぶんはからんときさんじょうぶん不↠預あずからずはぼんぎょうゆうへたるぎょうせんこと、 けつじょうしゅつ要道ようどうたるべきものなり。 ぜんほっべついうは、 一代いちだいぜんしょきょうしょうにんやくし、 ¬かんぎょう¼ 所説しょせつ念仏ねんぶつは、 ぼんせっすと云事いうことなり。

これすなわちしゃくそんしゅっして八万はちまんせん法門ほうもんときたまうことは、 さんじょうじょうをしておなじ一実いちじつ真如しんにょriしょう令↠覚さとらせしめんがためなり。 しかるにこんじょうなるものみなやくしかども、 鈍根どんこん無智むちもの難↢開悟↡かいごしがたきゆえに、 れっためじょうもんひらきて、 ぶつ願力がんりきじょうじてじょうしょうじ、 じょうにしてしょうさとり可↠得うべしとしめすなり。

このげん (玄義分) 序題じょだいもんみえたり。 すなわ

真如しんにょ広大こうだいにしてじょうそのほとりはからず。 ほっしょう深高じんこうにしてじっしょうもそのきわきわむることなし」

「真如広大五乗不↠測↢其辺↡。 法性深高十聖莫↠窮↢其際↡」

いいて、 しかも 「真如しんにょriしょうは、 蠢々しゅんしゅんしん不↠出いでずぼんしょう斉円さいえんなり (玄義分意) しゃくして後、

「ただししょうじんなるをもつて、 じょうたいけんしょうするによしなし」

「但以↢垢障覆深↡、 浄体無↠由↢顕照↡」

いいて、 じょうたいあらわさんがために、

だい西さいかくして、 おどろきてたくもんる」

「大悲隠↢於西化↡、 驚入↢火宅門↡」

いう以下いげは、 しゃくそんしゅっがんじょし、 一代いちだいじょうせっきょうあぐるなり。

えんしたがものは、 すなはちみなだつこうむる」 (玄義分)

「随↠縁者、 即皆蒙↢解脱↡」

いういたるまでは、 じょう八万はちまん0787きょうやくあかすなり。 これしょうどうもんこころなり。

つぎ

「しかるにしゅじょう障重しょうじゅうにして、 さとりものあきらめがたし」 (玄義分)

「然衆生障重、 取↠悟之者難↠明」

いうよりは、 ¬かんぎょう¼ 起化きけしゅうべんず。 これしゃくそんじょうさん要門ようもん開説かいせつして、 息慮そくりょしん廃悪はいあく修善しゅぜんどうしめし、 弥陀みだべつがんけんしょうして、 善悪ぜんあくぼんかいじょう大願だいがんやくほどこせり。 これじょうもんこころなり。

如↠此かくのごとくもん分別ふんべつしてこころるに、 「じょうたい無由むゆけんしょう」 のもっれば、 「随縁ずいえんしゃそく皆蒙かいもうだつ」 のやく随分ずいぶんやくなり、 真実しんじつじょうたいけんしょうするしょうくらいにはあらずときこえたり。 これ末代まつだいおよび、 ひとこんなるがゆえなり。

また ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のしゃくに、

しゃしゅつげんして、 じょくぼんせんがために、 すなはち慈悲じひをもつて、 じゅうあくいんさんほうすることをかいして、 またびょうどう智恵ちえをもつて、 人天にんでんして弥陀みだ仏国ぶっこくしょうずることをにゅうせしむ」

「釈迦出現、 為↠度↢五濁凡夫↡、 即以↢慈悲↡、 開↣示十悪之因、 報↢果三塗之苦↡、 又以↢平等智恵↡、 悟↣入人天廻生↢弥陀仏国↡」

へる。 しゃくそんしゅっがんぼんせんがため弥陀みだきょうたまうみえたり。

といいわく。 ¬もん¼ の第一だいいち (法華文句第一上 釈序品) しゃくごときは

さんじょうこんじょうぶつしゅっかんず、 かんずることあたはず」

「三乗根性感↢仏出世↡、 余不↠能↠感」

へり。 しかるにぼんためしゅっすと云事いうこと如何いかん

こたえいわくしゅっがんをさぐることしょうどうじょう両宗りょうしゅうだんずるところあいことなるべし。 天臺てんだいしゃくしょうどうもん所見しょけんなり、 じょうもんこころもっときは、 ぼんおいしょうどうさんじょうぎょうしゅせばしょうりがたきゆえに、 一代いちだい八万はちまんきょうやくるゝところ障重しょうじゅう根鈍どんこんせっするは、 念仏ねんぶついちぎょうなりとれば、 このもんほんなりとるなり。

今の ¬観念かんねんぼう0788もん¼ のしゃくならびにげん」 のしゃくとうこのこころなり。

諸仏しょぶつだいしゃにおいてす、 こころひとへにじょうもつしゅじょう愍念みんねんす。 これをもつてすすめてじょうす。 またみずおぼれたるひとのごときは、 きゅうにすべからくへんすべし、 がんじょうもの、 なにをもてかさいせん」

「諸仏大悲於↢苦者↡、 心偏愍↢念常没衆生↡。 是以勧帰↢浄土↡。 亦如↢溺↠水之人↡、 急須↢偏救↡、 岸上之者、 何用済為」

といへる、 これなり。 されば一代いちだいおいもんこころみずからぶんかえりみ念仏ねんぶつ可↠帰きすべきなり。

しかるになんぎょうどうひ、 しょうどうもんいうは、 りきもっしゅにゅうすれば、 あるいこんじょうどんにより、 あるいしゅぎょう浅深せんじんよりて、 しゅするにじょうあり、 さとりるにそくあり。 然而しかれども浅深せんじんともりきなり、 そくおなじなんぎょうなり。 しょうじゃおいてはしゅぎょう非↠可↠難かたかるべきにあらずぼんのぞむればみななんぎょうなり。 しょうじゃぎょうずるどうなるがゆえしょうどういうは、 ぼんにはなんぎょうなるべきことそのあきらかなり。

ぎょうどうじょうもんいうは、 此土しど修道しゅどうさしおきおうじょうじょうがんずるなり。 しょうどうなんぎょうなるにたいしてぎょうどうひ、 現身げんしんしゅにゅうどうひるがえしておうじょうじょうもんいう是皆これみなぼんかぶらしむることばなり。 然者しかればぼん相応そうおうきょうつきて、 末代まつだいれっもと可↠行↠之これをぎょうずべし

このじょうもんつきしょぎょう念仏ねんぶつとも一往いちおうおうじょうやくときたれども、 其中そのなか念仏ねんぶつもっ本願ほんがんとし、 みょうごうもっしょういんとす。 所謂いわゆる ¬だいきょう¼ (巻下) には三輩さんぱい差別しゃべつときて、 しかつうじてみな、 「一向いっこう専念せんねんりょう寿仏じゅぶつ」 とひ、 ¬かんぎょう¼ にはじょうさんがん三門さんもんあらわして、 しかみょうごう一法いっぽうぞくし、 ¬小経しょうきょう¼ にはえらび念仏ねんぶついちぎょうときて、 諸仏しょぶつこれ証誠しょうじょうす。 かるがゆえに、 さんぎょう所説しょせつ、 皆念仏ねんぶつせんとし、 おうじょうしょう0789いんひとえ専修せんじゅほんとす。 専修せんじゅいうは、 こころしょきょうしゅつ不↠係かけずねん念仏ねんぶついちぎょうりゅうして、 ただふか本願ほんがんしんじ、 一心いっしんみょうごうしょうして、 一念いちねんしんまじへざるなり。

しゅうつぶさなるおもむきは、 さんみょうでんならびにしょうしゃくとうみえたり。 いま委↠之これをくわしくするに不↠及およばずこころざしあらんひとは、 かれひらき可↠知しるべし

¬さんきょう¼ のなかに、 ¬だいきょう¼ にはじょうかんに、 六八ろくはちぜいときいんがんあかし、 かん深広じんこうぶったんじて果地かじどくあらわすがゆえに、 あきらかに弥陀みだしょうあらわすことはこのきょうにあり。 かるがゆえに、 しょうじょうさんがん三門さんもん分別ふんべつするときがんしゃくすとしては、

がんといふは ¬だいきょう¼ にくがごとし」 (玄義分)

「言↢弘願↡者如↢¬大経¼説↡」

いいて、 善悪ぜんあくかいじょうようべたり。 ¬かんぎょう¼ には煩悩ぼんのう賊害ぞくがいさだめて、 じょうさんもんなかしかしなが念仏ねんぶつひょうせり。 ¬弥陀みだきょう¼ にはじょうさんしょぎょう方便ほうべん不↠交まじえずひとえ称名しょうみょういちぎょうけり。 かるがゆえにこのときおいて、 諸仏しょぶつ同心どうしん証誠しょうじょういたし、 しゃくそんぼんほんぎょうなることけり。 然者しかればさんぎょう所説しょせつよりいっきょうじんじょうずるなり。

 

底本は◎兵庫県毫摂寺蔵乗専書写本。 ただし訓(ルビ)は有国により、 表記は現代仮名遣いとした。