(4月7日)

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『遊雲さん 父さん』が、とうとう形になりました。(→本願寺出版社

忙しかったのが半分、本のことが宙ぶらりんで気持ちが落ち着かなかったのがもう半分で、ここ数ヶ月、まとまった思考ができていません。しかしもう言い訳は通らなくなりましたし、本にこのサイトのURLを出していることもあって、そろそろ再始動を本気で考えなくてはならなくなりました。

尻切れトンボになっているテーマがたくさんあるのですが、それにこだわると腰が重くなるので、安直ながら形になったばかりの本のことから腰を上げます。

原稿を出したのは昨年秋、それから編集や校正などの地味な作業が続いていました。しかし、根っこの部分では「わたしの仕事は終わった」といった感覚で、どこか人ごとのような思いで眺めていました。

編集作業の中、ページのレイアウトが決まり、表紙のデザインが提案され、さらに案内のチラシや本の帯などが次々に出来上がっていきました。ですから、細部に至るまで、この本のことについては「知って」いた。しかし、先月末、いよいよ製本が終わって形になった本が届いてみると、「そこに実在するもの」はわたしの想像していた以上のものだったのです。

本の大きさや厚さは、ある意味、想像していた通りでした。本を開いたときのレイアウト(本を入手された方から、「リーダーズフレンドリー」で「心の行き届いたレイアウト」と喜んでいただいています)も、ゲラ刷りで目にしていますから、今さら驚くことはなかった。が、ページの紙の色から、出会ってみて初めて「こうなるんだ」と知らされるものでした。

校正作業をしたときの「ゲラ刷り」は、漂白された真っ白のコピー用紙だったのです。しかも2頁分がひとつの平面に印刷されていますので、まったく奥行きがありませんでした。

ところが、製本された本を開いてみると、紙そのものが、厚みのあるややざらついた質感の、強く漂白されていない黄味がかったものでした。さらに、開いた本なりに起伏を作り、それに伴って陰影までできています。その「ある」という感覚に、まず圧倒されました。

もちろん、どの本でも同じことです。しかし、これまでそんなことを考えてみたこともなかった。そして気がついていろいろ比べてみると、紙質は本によって驚くほど違います。つまり、この「紙」は、装丁を担当してくださった方(桂川潤氏)が、慎重に選んでくださったものなのです。

その時点で、かなり感動し、同時に少しびびってしまいました。少し及び腰になりながら本を閉じてみると、デザインとしては「知って」いた表紙に、内容は知っていたのですがこのように「重なる」とまでは想像することをさぼっていた帯のかかった『本』が、目の前にありました。

表紙の「デザイン」も、真っ白なコピー用紙で、しかも小さくプリントアウトしたもののみで見ていました。実際に本の顔として少し銀粉を散らしたような(?)テクスチャの紙に印刷されていると、印象としては、まったく別物です。帯がかかることも当然計算されていた文字のレイアウトも、手に取ってみて初めてわかりました。帯の紙質と色、さらにカバー(?)を取って裸にしたときの表紙(と、しおり)の「青」も視野に入る中で座っている表紙は、変な話を承知で、どこか思わず拝みたくなるものでした。

それに何より、わたしは本となった「重さ」を想像できずにいました。「あんたはこの重さに耐えて、踏ん張っているんだね」と、恥ずかしい話ながら、ついつい表紙をなでなでしてしまったようなことです。

この表紙については、小さな裏話があります。初めてデザインが提示されてきたとき、実は、うちの家族は好意的とばかりではなかったのです。わたし自身、デザインを目にしたときの第一印象は「あはは。やっぱりこうきたか」といったものでした。これにはさらに裏の話が関わるのですが、「遊雲」の名前から孫悟空の觔斗雲(きんとうん)を連想なさる方があって、それをうちの家族が逆連想していたのです。

そんな感想を編集担当の方に伝えたところ、あわてて(?)もう少し「硬質な」イメージの案もと依頼されたようで、最終的に2案が提示されてきました。そして、家族は全員、追加の硬質な案の方を支持したのです。わたしも、「どちらが好みか」と問われれば、追加案の方でした。グラデーションのかかった青一色の、凛とした気分のデザインでした。

しかし、自分の好みを離れて、「(わたしや遊雲のことを直接ご存じではない方が)初めてこの本を読んでくださったとして、読み終えたあと本を閉じたとき、どちらがしっくりするだろう」と思ってみると、硬質な案では抽象的すぎるような気がしたのです。それに、まわりからの雑音が入る前、最初につかんだイメージの方がより本質に触れていることはよくあることです。そんなこんなで、「個人的な好みとしては『青』に1票だが、本の表紙としては『雲』の方がよさそうな気がする」と伝えて、あとは編集担当の方の判断に任せました。

そして結局、この表紙です。

結果論として、いい表紙にしてもらったなあと喜んでいます。特に背表紙の雲が大好きです。2つの雲がアイコンタクトをとっているようで。小さい方の雲が遊雲のようにも見えるし、逆にそっちがわたしのようにも思えるし、見ているといろんなところへ思いが拡がります。

ついでに言うと、口絵の最初、わたしと2歳の(実は、これはこちらのミスで正確には3歳だったのですが)遊雲とがいっしょに写っている写真に、提案時には「遊雲さん 父さん」とキャプションがついていました。ずいぶん悩んだあげくに、これははずしてもらいました。『遊雲さん 父さん』というタイトルは、必ずしも、わたしの息子有国遊雲とその父親のみを指していない。写真のキャプションと重なると、どこか窮屈になってしまう。あえて言えば、そんな思いが根拠です。

最初、『雲』の表紙にひっかかった(?)のも、同じと言えば同じ理由でした。しかし2つの錦の雲は、何にでもなれる。ひとつ間違うと抽象的でヘソのつかみにくい印象になりかねない内容に、こんな親しみやすくて素敵な顔をつけてくださったことで、『遊雲さん 父さん』は安心して世に出て行くことができたのです。

本を「作る」という作業は、単に本を「書く」ということとはまったく違う出来事でした。原稿を書いたのはわたし(と遊雲)ですが、それは本を作ることの一部分でしかありません。編集者、著者、原稿入力のオペレータ、装丁者、それぞれが対等に力を合わせての共同作業であって、しかも形になるのは宙に浮いた「思想」ではなく、具体的な「物」としての本なのです。

装丁してくださった桂川氏はクリスチャンでいらっしゃるのですが、上のような思いを込めてお礼を伝えたところ、装丁の作業を「受肉」になぞらえたお返事をいただきました。まさにそうなのだろうなあとうなづいています。

この本は、もう完全にわたしの手を離れて、独り立ちしています。わたしはあらためて一読者としてこの本と出会っていかなくてはならない。一番大きなところで、この本は、わたしと遊雲が書いたものという以上に、最初に企画を持ちかけてくださった編集委員様の「作品」です。

今、わたし自身が『遊雲さん 父さん』というタイトルに照れないよう努力しているところです。ぱっと見、わかりにくいタイトルかもしれないという臆病な気持ちがまだ残っているのですが、このタイトルはやはりこれ以外にありません。何よりまず、このタイトルがきちんと受け入れられ根を張るまで、照れずに見守ろう。必要ならば出しゃばってでも支えよう。

タイトルの響きは、読んでいただけたらつかんでいただけるものと信じます。

合掌。

文頭


 (4月14日)

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答を知っていてはいけないのだ。

突然そう気がついて、いろんなことに気が楽になりました。いったい何の話か、と問われると、そこがまだうまく説明できないのですが。

直接には、法話をしているときの心掛けのようなものです。しかし本当に言いたい(というか、そこにこそ触れてくるのではないかという気がしている)のは、楽に楽しく生きる生き方の秘訣です。

遊雲のことを通じて、ビハーラが身近になってきました。ビハーラとは「安らぎの場所~寺院」といった意味をもつサンスクリット語で、「仏教ホスピス」という木に竹を接いだような用語(ホスピスはキリスト教系の伝統をもつ)に代わって使われるようになった言葉です。仏教内部でもまだ十分に定着しているとはいいにくい状況ですから、一般の方には縁遠いことでしょう。とりあえずは「仏教ないし浄土真宗的な立場からのターミナルケア」と受け止めておいてください。

わたし自身も、正直なところ、まだよくつかめていません。これまでただ「知らなかった」だけならば、きちんと調べて勉強すれば、現場でのノウハウなどは別にしても、少なくとも「輪郭」ははっきりできるはずです。ところが、簡単に片付けられない面が否応なく関わってくるのです。

浄土真宗的に、どうも、ビハーラ活動は座りがよくない。実は、わたしも何となく感じられる違和感にひっかかって、知らなくはなかったのですがこれまで積極的な関わりはもたずにいました。

それが、6月に「東京ビハーラ」という団体の活動の一環である「がん患者・家族語らいの会」で、話をしなくてはならなくなったのです。最初はかなり強く辞退したのですが、逃げていてばかりではいけないという申し訳なさと、ひょっとしたらわたしの発想のどこかに新鮮なものがあるかもしれないという楽天的な気持ちとから、結局引き受けてしまいました。

資料なども送ってもらって、少しずつ勉強させてもらっています。が、混乱はむしろ増すばかりでした。

わたしも漠然と感じていた「問題点」は、整理されてみると、以下の3点で尽きるようです。

①浄土真宗では「臨終」を重視しない。毎日の生活の中でこそ、「救い」の確かさを味わっていくべきであって、「安楽な死」という発想とは相容れない。

②尊厳な死などというとらえ方も、要はヒューマニズム(人間中心主義)的な「自分」尊重ではないのか。浄土への往生という浄土真宗的な宗教的要件とのつながりがわかりにくい。

③現行の真宗ビハーラは、教団としての社会的なポーズであり、偽善だ。わたしたち凡夫に、純粋な利他行などなし得ない。

(どれも、まともに浄土真宗に向き合っている者であれば、当然出てくるものです。ただ、最初漠然と感じていた違和感はもっと大きな広がりをもっているような気がして、え、3つだけ? という印象でした。しかしその後吟味を重ねても、これからはずれているものは、少なくともわたしの内には見つかりませんでした。)

ところが一方、「現実に苦悩する者によりそい、そこで互いに育てられていくビハーラ活動こそ、真宗伝道のあるべき姿だ」といった抽象的なトーンでは、だれもが支持しているのです。この次元で反対している人はいない。

さらに、上の批判への再批判として、「教団として一貫した理念を打ち出せ」「机の上でつべこべ言わず現場に出てこい」といった声もきちんと上がっている。現実に、現場で大きな安らぎと出会い共有して、そこで日々「育てられている」方々の声も拾い上げられている。

つまり、「問題」はすべて昔からきちんと指摘されているのです。にもかかわらず、事態が改善され、少しずつなりとも求心力を持ち始めているような気配はありません。

とすれば、本当の問題は何なのだろう。これに加えてわたしが何かを発言するとして、それはどこへどのように響いていくのだろう。仮に何かを提言しようとする場合、何を仮想敵国と設定して、どう攻めればよいのだろう。あるいはただ無策に口を開いたとして、言葉はどこへ消えていくのだろう。

まるで見えてきません。しかし、おぼろげに、「要するに、だれも『生きて』いないということだな」といった感触はありました。

教学を振りかざし、それとの食い違いを問題にしている人は、単に身の安全をはかっているのに過ぎまい。ヒューマニズムに足をすくわれてしまうこと自体、結局は自分の殻を壊されていないということだろう。偽善うんぬんを言い出した時点で、この人に生きる覚悟などはない。

一方、抽象的なレベルでならば何でも綺麗事で片付く。そこに痛みはない。痛みを伴わない生などあるか。

かと言って現場にすがっている人も、逆に生に埋もれているだけだろう。現実に「育てられた」感動さえ、このスケールではせいぜい打ち上げ花火だ。それが大きく響いていってはいないという事実から推す限り、最終的に個人の小さな生の重力圏を抜け出せていない。

ところで、そんな物言いをしているわたしはいったい仏さまか?

あえて不遜な言い方をすれば、問題すべてを見通す視点が持てないわけではありません。が、それはまさに仏の眼であって、そこでこのわたしが生きることなどできるわけがないではないですか。

完全に行き詰まっていました。

小さなきっかけは、思いがけないところから降ってきました。

まったく別の文脈で、わたしの問題意識としては「現代という時代において、仏教をどう受け止め、どう生きるか」といった研修会の講師をしたのです。これまた悩みに悩んで、結局最初に「現代」を概観する視点を提示するという、ご参加の方々を思えば無茶な、大上段から振り下ろすようなアプローチをしてしまいました。

その引け目ないしおびえから、現代とは「人間が賢くなりすぎた時代」というキルケゴールの言葉を、「少しはとらえやすくなるだろう」というだけの思いで、言わばキャッチコピー的に紹介したのです。

ところがこの言葉が、ごく一般の、素朴に仏教を学ぼうとしていらっしゃるおじさん・おばさん・おじいさん・おばあさん方に、理屈を超えて響いたのです。そこで共鳴し増幅された響きに引き出されて、「賢く振る舞おうとする限り、『現代に特有の問題』に足をすくわれてしまうのは避けられない、わたしたちが触れているご法義は丸ハダカになることのできる教えなのだ、そして『ハダカになれる』ということは『西欧近代』からは出てこない貴重な財産に違いない」といった結論(?)に流れ着きました。

そうだったのです。わたしは、「生きよう」とする必要すらなかった。ただわたしの姿をさらけ出すだけで十分だったのです。それがどう響こうとあるいは消されてしまおうと、そんなことはわたしの知ったことではない。

しかも、このタイミングで、本が形になりました。本が「形」になることの重さは、つい先日記事にしたばかりです。そしてそのときはそこまで書きませんでしたが、わたしはこの本を「書いた」のではありません。わたしは、ただ正直におびえおののき、言葉を聞き逃さないよう追いかけただけです。

ただ、そんな本が形になったということは、おそらくとんでもないことでしょう。

そしてさらにそれに続いて、2日連続、激しく落ち込みました。しかも出来事としては裏表の形で。

まず、ほんとうに久しぶりに、お聴聞をさせてもらいました。自分が話す側に回ってばかりいると、渇きを覚えます。聞きたい。潤されたい。とうとう耐え切れなくなって、少し無理をして、ご縁に合わせていただきました。

立派なご法話でした。経験、技術、知識、完成度、どれを取っても、そのまま法話の教科書に載せても悪くないくらい、見事なお話でした。少なくとも形式的には。

満たされなかったのです。そのご法話を聴聞して。聞いている最中は、心を込めて調理された料理のもてなしを受けているような気分で、喜んで聞かせていただいていました。ところがしばらく経ってみると、余計に空腹感が募っているのです。何なんだこれは! と、うろたえました。

わたしは最初、「落ち込んだ」と書いたはずです。わたしが聞かせていただいたご講師の批判をしているのではありません。そもそも、お聴聞の批判をすることは誹謗正法そのもので、わたしたちがもっとも恐れるものなのです。わたしはですから、満たされていない、渇きを募らせている自分に気がついて、まず落ち込まざるを得なかったのです。

よくよく考えてみて、やっと、このご講師は、「浄土真宗の教義を理解しようとなさっているのだ」と納得できました。だから、ご法話のすべてが、どれほど緻密に準備されていようとも、すべて「説明」だったのです。

わたしは説明が聞きたかったのではない。まさに生きている方の姿に触れて、ただ一息、わたし自身が息がつきたかった。しかしそれは、裏切られました。(裏切られたと感じたことに、もっとも激しく、落ち込んだのですが。)

続いて翌日、今度は自分が出講してきました。県内のお寺のご法縁です。詳細はもう省略してしまいますが、今度はわたし自身が自分を裏切ったのです。変な言い方ですが、お聴聞くださった方にとって、そんなにひどい法話ではなかったと思います。そうそう聞ける話ではない、くらいの形容をされても、間違っているとは思いません。今問題にしているのは、どこまでもわたし自身の性根です。

わたしには、自分自身が話している話すら、楽しめなかった。

わたしは、通常、自分が話していることを、新鮮に感動しながら、楽しんで聞いています。というか、自分に楽しく聞けないような話はそもそもしない。それについてはかなりの自負があります。技術的な課題や問題点はいつも山のようにありますが、開き直ってしまえば、はなからそんなことは気にしていないのです。上手な、完成された話などしたくもない。わたしは驚き続けていたいだけなのです。

その点に関しては、正直、いつもはらはらです。しかし、これまでは、たとえ自分を言いくるめるためだけのウソであったとしても、踏み外してはいないと、か細い自信を育てていたのです。

初めて、踏み外してしまいました。あっけないくらい簡単に。

最初、激しく落ち込んだ、と書きました。そう思っていました。上の文を書いてから二呼吸くらい経って、踏み外したことで満たされている自分に気がつきました。

結論が、来てしまっていたようです。「答えを知っていてはいけない」と気づいたとき、言いたかったことはこのことです。

合掌。

文頭


陽気 (4月21日)

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昨日の日曜日、風もなく暖かい日でした。

県内ではありますが 120km ばかり離れたお寺で一昨日から続けてご縁をいただいていて、法座は午後からですから時間にも余裕があり、高速を使わずに下道だけで行ってみようという気になりました。高速を使えば正味1時間半で着けます。下道でも2時間半、余裕をみて2時間45分というところでしょう。

念のためにナビをセットし、「一般道優先」でルート検索したら、思いがけない道を選びました。所要時間は約3時間となっています。信号のほとんどない田舎道が中心ですから、ゆっくり目に走っても30分は短縮できると思うのでほぼ計算通り、ナビの言う通りに行ってみることにしました。

2日続きのご縁の「途中」ですので、どうせ家にいてもほかのことはできません。庭を見ながらぼーっとご法話の準備をさせていただくのも好きなのですが、車を運転しながら思いを遊ばせるのもまた好きです。万が一にも時間に遅れては大変なので到着時間のことは常に意識していないといけませんが、ナビがあるとリアルタイムで到着予想時刻を表示していてくれますから気楽です。荷物もみんな先方に置いたままにさせてもらっており、忘れ物の心配もない。安気に走り出しました。

ナビの案内してくれた道は、ほとんど主要な国道を使わず、山間(やまあい)の地方道をたどる経路でした。一区間を除いて初めての道はなく、通ったことのある道ばかりなのですが、こういう風につないで考えたことはありません。それも新鮮で、とにかく気持ちが緩み、いつか「何もかもおまかせ」のような気分に浸っていきました。

ツーリングを楽しんでいるバイクの集団にいくつも出会いました。むやみに飛ばすでなく無用に滞るでなく、どこか小魚の群れのように、ときに濃くなったり薄くなったりしながら、道に添って動いていく。その後ろを、邪魔にならないよう少し距離をおいてついていっている間に、ツーリングのバイクの集団が、わたし自身の思いのような気がしてきました。

実際、法話をしている最中、見失わないよう気持ちを集中しているある「感じ」に、よく似ているのです。

わたしは、法話の前、細かい準備をしません。お讃題(法話の主題となる聖典中のご文。親鸞聖人のご和讃や教行信証中のご自釈が多い)だけ決め、後はそこから連想されることをあれやこれや断片的に考えてみておくだけで、話の順序や時間配分、ないし具体的に口にする言葉などは「その場まかせ」にしています。

一時期は、出す話題の順番くらいまでは考えていました。確かに、より効果的な提示の仕方というのはありますし、この話を踏み台にしてあの話を、というようなことはあり得ます。しかし、論理的な構成に頼ると、どうも「結果(結論)」に気持ちをとられてしまうようで、途中がつまらなくというか、無機的になってしまうようです。

「その時」を楽しめばよい。法話は、理解を目指す講義や研修などではなくて、常に、断片的でかつその断片が全体でもあるような、ある「気分」です。その時ふと出会った話題を、ただ丁寧にたどる(大きな声では言えませんが、その場で「作った」でたらめ話を、「こんなことがありましてね」とさも見てきたかのように話すこともあります)ことを心掛けていればよい。

道のないところは走れないのです。道に、道なりに添う。道が細かったり傾斜がきつかったり、カーブが多くて見通せなかったりするところでは、自然にゆっくり慎重に走ることになり、そういうときにはツーリングバイクの集団は前後が詰って、短く濃くなります。いい道に入ると、全体がくつろいで、だら~んと細長く薄くなってくる。

そうやって道をたどっていると、ある時には必然的に、ある時には思いがけなく、交差点あるいは分岐点に差し掛かります。そこで道を変わる。道は、必ずあります。目的地がはっきりしていて到着時刻が決められているのならば、迷子にならないよう気をつけなくてはなりませんが、ツーリングならば、気持ちよく走っていられさえすればそれで十分でしょう。

一番「楽」な生き方は、ひとのせいにせず、言い訳もせず、その時そのときに出会ったご縁をそのままに迎え入れて楽しむことです。もっと言うならば、どのようなご縁であれ、そのご縁に信頼することです。

実は、これまでは逆に考えていました。「信頼したら」楽になりますよ、と。ところが、今回、お話をさせていただいている最中に、話が勝手に「楽だなあ。そうか、わたしは今、信頼してまかせているんだ」という気分になっていたときがあるのです。「楽になるために」信頼するのではない。ただ、楽に「なれば」よい。そのときの姿を信頼と呼ぶだけのことだ。

心地よいご法話のご縁にはさまれて、ツーリングバイクの一行との出会いの中で、わたしも楽しいツーリングをさせてもらったことでした。

合掌。

文頭


真実 (4月29日)

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本堂の裏、これまでは刈るのが精一杯だったところの笹やカヤを引いています。

もともと(わたしが子供のころ)は赤土がむき出しの崖で、父は崩れて建物を壊してしまうのを心配し、防災の工事がしてもらえないものか研究していました。しかし今では、せめて土がボロボロ落ちてくるのを止めようと(わたしが大学生くらいのころに?)植えたツツジがかなり大きくなり、草も広がって、ほおっておいても崩れてしまいそうな気配ではなくなっています。

急な斜面で足場が悪く、はしごをかければ何とかできそうなもののわたしは高いところが苦手で、たまに人を頼んで刈ってもらうくらいのこと、事実上ほったらかしにしていました。ところが去年きちんと見てみると、藪の中に種が落ちて勝手に増えた小さなツツジが思いのほか多く、ちゃんと手を入れたらきれいなツツジの山にできるぞという気になったのです。

さっそく、大きくなりすぎて藪になっていたツツジをばっさり刈り込んで、ツツジの根元に広がっていた笹を引き始めました。一回できれいにしてしまうのは無理ですが、引けるところから間引くように手を入れていけば、いずれ絶やせるでしょう。笹だけでなく、カヤもすぐに茂ってむさ苦しいので、心掛けて引きました。去年の初夏のことです。

その続きです。

まだ春先ですからいきなり入り込めないほどの大藪にはなっていませんが、ぱっと見、ツツジが刈り込まれていること以外、それまでとさほど変りません。去年取り切れなかった笹やカヤがしっかりと株をはり直し、根元からていねいに切っておいたツツジ以外の低木もこんもりとした小さな塊に育っていて、去年の苦労は一体何だったの? と言いたくなってしまうような有り様です。

しかし、もう何度も経験したことで、さすがにそんなことくらいではうろたえません。見えにくいところで確実に違うのはわかっていますから。

というより、自然が数十年をかけてたどりついたバランスを、人間はたった数度の働きかけで壊してしまえます。しかも、重機などは使わず事実上「素手」だけで踏み込んだのに。

案の定、上辺は同じ広さに同じように芽を吹いている笹も、網の目のように広がっていた根があちこちで切られているので、これまでよりは簡単に引けます。もちろん、今年すべてを取り切ることはできません。去年はこれ以上広がるのにブレーキをかけただけのこと、今年勢いを落として、こちらが先手を取れるのは来年以降でしょう。何より、出ていない芽は引くことができず、芽が出ないことにはどこにどれだけのものが残っているのかわからないのです。

思いとしては、やる以上、徹底的にきれいにします。引ける限りのものは、すべて、根から引く。笹に限らず根の強いものには、ペンチを使います。だいぶ要領がよくなってきており、うまくするとズルズルっと 30cm 四方くらいの一株をまるまる「根こそぎ」にできることもあります。しかしうまく地下茎にまで力を伝えられないと、結局土の上に出ているところをちょん切るだけになってしまうことも少なくありません。そんなこんなで妥協せざるを得ない場合は、(自分を納得させる以外あまり意味はないのですが)上辺のごまかしをして、とにかく地上からは見えないようにしてしまいます。

しかしそこまでやっても、しばらく経つと見かけ上は元とあまり違わないくらいにまで、確実に戻ります。

今年の作業に取りかかったのは2週間ほど前、その間いろんな用事や雨の日もあったので、今日で実際の作業は5日目でした。やっと「進んでいる」と言えるくらいにまではかどってきたのですが、最初に「徹底的にきれい」にしたところには、もう立派な笹が生えていました。

ふつうならば「やれやれ」と思うところです。ところが、なぜかそれを見たとき、嬉しくなりました。「これこそ真実だ!」と。

最近、ふとしたことから、「事実」と「真実」という2つの言葉を、わたしなりの思いでくっきりと区別して使い分けるようになっています。詰るところ「人ごと」でしかないものを、ひっくるめて事実と呼びます。それに対して、このわたしがまさにそこにおいて生きることのできる、あるいは生きざるを得ない、抜き差しならない事態を真実と呼び分けるのです。

事実上(少なくともわたしは)数十年ほったらかしにしていた本堂の裏に、しっかりとツツジが根付き、同時に笹やカヤなども広がって、藪になっていたのは厳然とした「事実」です。去年、これはちゃんと手を入れたらきれいなツツジ山にできるぞと思ったときから話が変わりました。

しかし、「きれいなツツジ山にすること」が目的であるのならば、方法はいくらでもあります。人を頼んでもいいし、極端な話、一度斜面全体を「整地(あるいは造園?)」して、立派なツツジをきちんと計画的に植樹したっていい。

そんなお金がないことも事実(ひょっとしたら真実?)ですが、そんなことは最初からまったく考えていません。一番重要なことは、「(きれいなツツジ山に)できるぞ」と思ったとき、わたしはこの藪に「参加」し始めたということです。

わたしのしていることは、端的に言って、無駄です。ほぼ誰の益にもなりません。なぜそんなことをするのか。楽しいから。それ以外のまともな説明を思いつけない。

わたしは、わたしの働きかけが、赤土の崖に数十年をかけて定着した「自然」を壊すのを、最初から知っていました(事実、多少なりカヤをはじめ草を引いてしまった分、冬の間に「崩れた」土の量は昨年までよりも多かった)。一方で、大したことはできないのも承知です。手もあちこち怪我をするし、腰も手首も痛くなる。

でも、楽しいのです。何が? わたしの「参加」で実際に崖の様子が変わることが。そしてそれ以上に、根本的には何も変わらないことが。いのち(ここでは「笹」に投影しています)のしたたかさがまともにしたたたかにはね返ってくることが。

わたしは、笹と同じくらいには、生きています。

合掌。

文頭