遺産 (7月9日)

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聖典データの整備作業を続けています。

とりあえず浄土三部経をきちんとし、続けて七祖(親鸞聖人が浄土教の祖師と定め尊崇されたインド・中国・日本の七人の高僧。インド:龍樹菩薩・天親菩薩、中国:曇鸞大師・道綽禅師・善導大師、日本:源信和尚・源空上人)の著作をたどって、その上で親鸞聖人の教行信証にかかろうという「計画」です。それのみに専念したとしても優に数年はかかりますから、することがなくて困るということは当分なさそうです。

「経典を読まなければ」 という思いは、ほとんど強迫観念のように常にあるのですが、情けないことに、なかなか続きません。特に 「読む」 だけというのはどうしても気持ちが次第に薄くなっていって、いつの間にかへびの尻尾のように先細りの立ち消えということが多く、本当に続けたいことはできるだけ具体的な作業として定型化するようにしています。

今のところ順調に続いています。これまで何度か挑戦しては挫折していたのですが、仕上げたいもののイメージがはっきりしてきたのと、必要な資料などがほぼそろってきたのとで、少なくとも浄土三部経についてはそう遠くないうちにきちんと仕上げられそうです。

参考資料として、高木昭良著『浄土三部経の意訳と解説』、柏原祐義著『浄土三部経講義』の二冊を使っています。これらがどう位置づけになるのかは今もよく知らないままに、たまたま寺にあったからなのですが。

昨夜一日分のノルマと決めた作業をしていたら、資料テキストのページの間から、「請求書」 が出てきました。ちょうどこの二冊に対応するもので、'97 年 2 月 14 日付けでした。父が取り寄せたときの名残です。日付が新しいのに驚き (まったく根拠なく、はるか昔から寺にあったかのように思っていた)、さらに値段に目が丸くなりました。二冊で 18,300 円です。今の私では、どなたかに紹介いただいたとしても、少しためらう金額です。

晩年の父は、とにかくよく勉強していました。貧乏寺に生まれ、出兵し(予科練の生き残りです)、十分な勉強をする余裕もなく、事実上布教使という 「資格」 だけで食いつないでいた父です。自分の教学の 「底の浅さ」 に対する引け目は常にあったようで、毎朝、4時ごろに起きて夜が明けるまで、本を読んではノートを作っていました。

この二冊も、おそらく布教で趣いた先のご住職から書籍名を聞き、取り寄せたものだろうと思います。片方の冒頭 1/4 ほどに読んだ形跡の書き込みがあって、もう一方はまだ開いてもいないままのまっさらでした。「請求書」 は、そのまっさらな方の後半にはさまっていました。

これまでも、父の書き込みはそれなりに横目で見ていました。どういったことに関心があったのかもよくわかりますし、同時に、何が見えていなかったのかもわかります。上で、勉強の形跡が途中で止まっているのは、時間がなくなった (父は平成 11 年に亡くなりました) からではなくて、単に挫折したからです。父の問題意識では、浄土三部経を読みきるのは無理です。

今私が感じていることが、私の文章力でどこまで伝えられるのか、まったく自信がありません。もし、親を亡くされて、気がついてみると自分が親の歳を越えていた、という方がいらっしゃるならば、その思いが近いかもしれないという気はします。

今回浄土三部経をデータ化するに先立ち、しばらく七祖の一人道綽禅師の『安楽集』に取り組んでいました。(そのときの試行錯誤のノウハウが、技術的に今回に生かされています。) 道綽禅師のご理解そのものは、親鸞聖人ひいてはその末流に座を占めさせていただいている私たちの理解と比べ、あえて実も蓋もない言い方をしてしまえば、浅い。ある意味、背負った親の軽さにとまどうのと似たくらいの浅さに、私自身しばらくとまどいました。

しかし、これは決して道綽禅師 「批判」 ではありません。

用事が立て込んでいるときなど、母がよく、「前の橋から渡らんにゃあ」 という言い方をします。差し迫ったことから片付けていかないことには、その次を 「リアルに」 問題にすることができない。

私たちは、道綽禅師に肩車をしてもらって、道綽禅師が生涯をかけて越えてくださった 「前の橋」 を気にすることなく、その向こうを見ていられるのです。そのご苦労、ご恩を、しみじみと思います。

私の手元には、長久寺という小寺にはおそらく不似合いな、書物が残されてあった。父の、そして長久寺の、遺産です。何としてでも、これは引き受けねばなりません。

合掌。

文頭


他力縄 (7月20日)

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今日は久しぶりにネットのつながり具合がよく、気分的に余裕があることとあいまって、ご無沙汰していたサイトをあちこちのぞきました。思わぬ方のサイトに紹介されていたことから、東本願寺にもお参りしてきました。

長久寺は浄土真宗の本願寺派、本山は西本願寺です。東本願寺を本山とするのは真宗大谷派ですから、細かいことを言えば所属が違います。なお、現在山口県内には大谷派の寺院はなくて、すべて本願寺派です。 (後日補足:私の不勉強で、山口県内にも大谷派の寺院があることを知りました。)

俗にお東・お西と呼びわけられますが、お東とお西では、宗風が微妙に(あるいは、見る人からみるならば決定的に)違います。

一般的に言って、お東の方が社会的な活動や発言において積極的です。私自身、「社会的な行動はとらない」と明言して微妙なスタンスを保っているのですから、その意味では典型的なお西のスタイルをとっているのかも知れません。

秋に、組の行事で僧侶研修会および親鸞聖人鑽仰の集いが予定されており、講師に大谷大学の学長をこの春退かれた小川一乗先生をお呼びしています。小川先生はお東の先生です。仏性論がご専門で、せっかくの勉強会ですから、事前に先生のご書物を読んでおこうということになって、すでに一回寄り合いました。

テキストには「『顕浄土真仏土文類』解釈」を使っています。『顕浄土真仏土文類』とは、親鸞聖人の主著である教行信証(正式名称は「顕浄土真実教行証文類」)全六巻の中の第五巻を指します。また「仏性(ぶっしょう)」とは噛みくだいて言えば「ほとけだね」で、私たちが仏となり得る根拠・原因を問題とするものです。結局、真仏土=お浄土と仏性のつながり、ひいては「お浄土がどこにあるのか」を主な問題意識とするご書物です。

読んでみて、一般的な知識として知っていた以上に「お東」の肌触りが強く味わわれる内容で、新鮮でもあり、また相応にとまどいもしました。

小川先生の論点は、仏性=他力のご信心であり、他力のご信心をいただいたときそのところがお浄土である、ということにあります。つまり、他力のご信心をいただいたとき、私たちは現に往生を遂げると断言なさる。

お浄土を「死後」に趣くべき世界としたのではいけない、お浄土は宗教体験における今ここに引き寄せられなくては甲斐がない、そのお浄土を死後に遠ざけるのは死後もこの私の何がしか(仏性?)が存続し続けるととらわれる我執の極みではないか。

現実の社会活動を宗教生活と重ねようとするならば、ある意味で「必然的」に導かれる、あるいは導かなければならない結論であるとも言い得ます。清沢満之以来のお東の伝統を、端的・正直に受け継いだお姿なのでしょう。実際、ある意味ではお東的にも極端なところまで踏み込んでいらっしゃるその思想の背景には、小川先生ご自身の人生における実体験があるのだといったことも別のところで耳にしました。

しかしやはり、これは行過ぎていると思います。単にお西の「緻密で安全な」教学になじんでいるからというだけでなく(現実問題として、私自身がそこまでお西の教学に詳しくありません)、気を抜かずに集中し続けていないと解体してしまいそうな、不自然さは看過してはなるまい。

前々回の「真・仮・偽」に借りるならば、私たちが現実に「生きている」姿は、たとえ宗教体験レベルで深い一体感をともなったものであったとしても、偽にとどまります。(それを見失いたくないために、自分自身に対しては社会的な行動にブレーキをかけているのですが。) 私を離れた「教え」の側の真実性を担保にしようとしたところで、その思索活動は「仮」を超えられません。

真は、ただ他力のお働きのみです。

偽たる私たちの生と、教えとしての真実性=仮をすら離れた如来の真とでは、どう整合性をつけようとあがいたところで、ギャップが大きすぎます。私は、その埋めがたいギャップを埋めるものが、宗教的装置としてのお浄土であろうと考えています。

実際、お西の者がお浄土を単純に現実世界に「連続」するものとしての死後に位置づけているわけではありません。どう力もうともどうあがこうとも「こちらから」は手の届かない世界として、「非」生なる次元に置いているというあたりが妥当でしょう。

真を、偽に引き付けすぎるとかえって私の力みが勝つ。かといって真を安全なところにしまいこんで現実の偽がつきつけ続ける矛盾をかわしてしまうならば、それはそれで自身の安寧のみを問題とする姿と変らなくなるでしょう。

最初に紹介した東本願寺のサイトに、一茶の「他力縄」という言葉が紹介されていました。(あまり知られていないようですが、小林一茶は浄土真宗の教えを生きた人です。) 他力縄に「縛られない」ためにも、実はお浄土が必要になってくるのではないかという気がします。

合掌。

文頭