たき火 (10月3日)

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冬の準備の薪作りが、やっと終りました。

実は、私(住職)と私の家族は、寺から 5km ほど離れた町の中心部に、別に家を建ててそちらに住んでいます。主に子供の通学のためです。(寺の近くにも小学校――私の出身校――があったのですが、現在は休校です。旧鹿野町全域で、今では小学校は1校のみ、それも1学年 20 名規模になってしまいました。)

寝起きは町の家でして、毎日寺へ通います。寺は、夜の間は母一人です。

町の新しい家は、客を迎えるには奥に「公式」な構えがあることから、家族の生活のみを考えた造りにしており、客間も玄関もありません。間取りで 14 畳+α 分がまるまる吹き抜けで、靴脱ぎのスペースだけあってそのまま出入り口です。冬の暖には、薪ストーブを使います。ですから、夏の間に薪の準備をしておかなくてはならないのです。

わざわざ薪ストーブにしたのは、経済上の理由もありますが――実際、夏と冬で灯油の使用量が変りません。薪を「ただ」に見積もれば、安上がりな暖房です――、それ以上に、ポンとスイッチを入れるだけで暖かくなる、といった快適さにどこか抵抗があり、灰や煤に気を使いながら、また薪の準備を心がけながら、といった「不便さ」を身近なところに残しておきたかった、という方が本当のところです。

面積の 95 % が山林という町ですので、木には事欠きません。薪にするには広葉樹の方が火持ちが良く、またストーブのためにもいいのですが、なかなか毎年まとまった量を調達するのが大変で、間伐した杉・桧・松などの針葉樹を使っています。切り倒した丸太を軽トラで運び、チェーンソーで切って、くさびとハンマーを使って割ります。

例年ならば、梅雨に入る前に作り終えて、家の裏にしつらえてあるスペースに積んで夏の間に乾かすのですが、今年は寺の庭の手入れに時間を取られ、しかも夏に雨が多かったため、この時期までずれ込んでしまいました。涼しくなり始めてから薪の準備をするのは、追い立てられるようで、けっこうプレッシャーでした。また、乾くのが間に合うかどうかも心細いところです。

それでも何とか一冬分の薪を準備し終えると、後片付けがまた一仕事あります。チェーンソーの大鋸屑(おがくず)と、はがれた木の皮などの木屑をきれいに掃除し、チェーンソーの目立てもしなくてはなりません。

庭の一角に焼却炉――とは言っても、ブロックの上に大きな雨水枡を乗せただけのもの――が作ってあり、木屑に限らず、燃えるごみはみんな燃やします。(今年に入って、鹿野のような山村でもものの焼却はうるさく言われるようになったため、ビニールや発泡スチロールなどは、まとめてもっと山奥で「隠れて」燃やすようになりましたが。)紙を中心とするごみならば、火をつけさえすれば炎を上げて燃え上がって、それでおしまいですが、大鋸屑はそういう訳にいきません。最初木を燃やして燠(おき)を作り、それにかぶせるように山にして、時間をかけてくすぶらせます。仕掛けがうまくいけば一山きれいに灰になってくれますが、やりそこねると片側だけ燃えて、半分残ってしまいます。たき火にもなかなか頭を使います。

星空の下、仕掛けを作りながら、昔偶然ラジオで聞いた、タイの高僧の方のご法話を思い出しました。曰く、「煙草を止めるのは簡単です。口をあけさえすれば、煙草は自分から口を離れ、落ちていってくれますから。」

火を消すのに、水をかけるなどの「強引」な手段をとらず、ただ薪を新たに足すことをやめて、静かに燃え尽きるのを待つのが仏教流です。そこには、結果から逆算した、効率優先の、人間中心の論理ではなく(それを「意志」と呼んでもよいような気がします)、自然の成り行きに寄り添った、縁起という理(ことわり)があります。

途中、数年にわたって火に当りもろくなっていた雨水枡がくずれてしまって山の形が変り、燃え口を作り足さなければならなくなるなどハプニングはありましたが、これであとは放っておけば燃えてくれるなという形ができ、うまくくすぶり始めた木屑の山を眺めつつ、自分の内なる煩悩の山に思いを馳せました。

阿弥陀如来は、私の煩悩を燃やし尽くすということすら放棄されているのだ。煩悩は、煩悩のままに燃えている。燃やし尽くそうという意志を離れてそのままに耳傾けるならば、煩悩の燃え盛る姿の裏には、静かに確かに真如が響きわたっている。

私に、そう聞える訳ではありません。阿弥陀如来はそのように私を聞いてくださっているに違いないと思うばかりです。

くすぶっている木屑の山は、私には片付けようとしているゴミの山でしかありません。

合掌。

文頭


自己否定 (10月7日)

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自己否定と満足とは、とらえようによってはほとんど同じ内容を表していることに気が付きました。

先に結論を言っておくと、どちらも「豊かな他」に触れたときはじめて、素直にうなづける味だということです。私を運んだのでは、逃げ水と同じで、手が届かない。

ここで、念のために言葉のニュアンスを確認しておこうと辞書を調べてみて、思いがけないことを知りました。「自己否定」は辞書に載っていない! 正確に言うと、まず国語辞典(『広辞苑』、『大辞林』、『日本国語大辞典』)を引いて、その説明から、そうか、自己否定とは日常語ではなくて哲学用語だったのかと教えられたのです。それならばと平凡社の『哲学辞典』、岩波の『哲学・思想辞典』を引き直したところ、どちらにも項目がありませんでした。

「え?」 と思い、コンピュータの強みの「全文検索」で当ってみると、予想していたものも含め、ちょっと興味を引かれる項目が並びました。列記すると、禁欲主義、弁証法、実存主義、夏目漱石『こゝろ』、革命、全共闘、ブカキョウ(部下恐怖症)、発達心理学、あるいはイタリア美術、ヨーガなどです。

詳細に立ち入ると収拾がつかなくなりますので項目にとどめますが、これで、自己否定という言葉の響きを確認する、という目的は達せられているでしょう。まとめるならば、自己否定という言葉は、「必ずしも日常語ではなく、堅苦しい用語で、歴史がかっている(一部、神秘的な響きも残す)」といったところでしょうか。

表面的には、忘れ去られようとしている言葉なのでしょう。しかしそれはあくまで表面のことで、人間の意識・無意識から消えるはずもなく、深層ではいろんなところ――たとえば自傷行為など――につながっていそうです。

今、「自己否定」という出来事の内容を、時代がかった部分をうまく消して復権することには、大きな意義がある。その文脈において、自己否定を「満足」の面から眺めてみるのは、新鮮な切り口になり得るのではないか。

私は、倉田百三の『出家とその弟子』の扉に引用されている、親鸞聖人の次のご文(もん)に触れて、得度しました。

  極重悪人唯称仏 (極重(ごくじゅう)悪人(あくにん)はただ(ぶつ)(しょう)すべし。)

  我亦在彼摂取中 (われまたかの摂取(せっしゅ)のなかにあれども、)

  煩悩障眼雖不見 (煩悩(ぼんのう)(まなこ)()へて()たてまつらずといへども、)

  大悲無倦常照我 (大悲(だいひ)(ものう)きことなくしてつねにわれを()らしたまふ。)

正信偈(『教行信証』中の偈文)の一節で、もとは源信和尚の『往生要集』の文です。

父に手紙を書き、経緯の概略と得度の決意を伝えたところ、父からの返事に、上の四行だけがそのまま、また書かれていました。ただ、最後の「我」の字に赤丸がつけてあった。

それが、私にとっての「満足」の実際です。寒い戸外から暖かい部屋に入ったときのように、フッと強張りが解けて、心底、安堵しました。

自己否定とは、私には、そんな味です。

合掌。

文頭


 (10月11日)

前信  HOME 一覧 前へ 次へ

草引きは、ものすごく 「論理的」 な作業です。

一本の草を引くことだけで考えても、不用意に変なところをひっぱったのでは葉っぱがちぎれてしまうだけで、根まで抜けません。つまむべきところをつまみ、うまく力を伝えると、あとにそんなに大きな穴も残さず、きれいに土から引き離すことができます。

草引きにはまず、草を 「感じとる」 必要があります。草の種類ごとに異なる根・茎・葉のつながり具合に合わせ、また草のサイズとこちらの手(ないし指)の大きさとの兼ね合いの中、上手に 「へそ」 をつまめるかどうかで、草引きになるか草むしり(草ちぎり)に終るかが分かれます。

そのような感覚を「論理的」と呼ぶからには、論理の方の説明も必要でしょう。何より、論理は単なる屁理屈ではありません。話のつながりをきちんと感じとり、その 「つながり」 が何によって支えられているのかを見抜いて、必要ならば最小限の 「つながり」 を一まとめにして文脈から引き離してみる。それが、私にとっての論理です。

「論理」 を狭義にとれば、上で漠然と 「つながり」 と呼んだものを抽象し、形式として取り出す作業(ないし抽象された形式)を指します。そこに重心を置く限り、論理は思考における出来事になります。

しかし、草引きは思考上の出来事ではありません。道具も含めて、私の 「からだ」 をどう使うかという問題です。

身体の使い方を、身体的に抽象したものは、武道を中心に 「型」 と呼ばれます。

狭義の論理ですら、その一番の関心は、形骸としての形式にではなく、形式によって支えられている推論の 「推進力」 の方にあります。ましてや身体的な型、出来上がって固定された作法に目を奪われたのでは虚しい。状況に対して臨機応変にからだを使っていく中、一貫して感じとられるものとして 「印象」 に残るのが型であって、より効果的に状況にはたらきかける 「変容力」 こそが、型のいのちなのです。

草引きも慣れてくると、手がいろんなことを覚えます。目で見るのは補助的になり、手の方が、つまんだ手ごたえに応じていろんな補正を加えながら、相手をときにいなし、ときにねじ伏せ、自律的に動いていきます。巌流ならぬ苔流(たいりゅう)とでも名のれば、素人への草引き指南くらいはできるかもしれません。

お念仏――なんまんだぶつとこぼれるお名号――も、その意味での型に違いありません。そのとき型に実現してくださってあるのは、私ならぬ阿弥陀如来のはたらきかけなのです。煩悩具足の衆生に合わせ、煩悩をこそへそとつまんで、迷いの娑婆世界からいのちの浄土へと引き抜く変容力が、確かに私に届き、私の中を伝わって、迷いの凡夫がそのままに、仏へと変えられていくのです。

合掌。

文頭


宗教 (10月16日)

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改めて、「宗教」とは何なのか、問い直す必要に迫られました。

なお、ここで宗教とはそのまま浄土真宗を指します。(最初から仏教ないし浄土真宗「のみ」に限定する必要はないので、一応宗教と呼びますが、今は宗教一般として考えるだけの余裕がありません。)

私が住職であるという立場上、やっかいなことは、「自分にとって」の意味と、「一般の方にとって」の意味とを、区別する必要があるということです。ひょっとしたら、「一般の方」も、「門信徒の方」と、現時点で直接には浄土真宗と触れていらっしゃる訳ではない「〈一般〉の方」とに分ける必要があるかもしれません。

自分自身にとって、宗教=浄土真宗とは、私がここにあることそのことです。私自身には迷いの積み重ね以外の何者でもないのですが、同じことがそのまま、(当の私の知らないところで)如来のご説法になっている。そういう形で、私の迷いの姿が〈いのち〉とつながり、〈いのち〉に支えられている。これは「信念」ではなくて、「そうだったのか」といった気づきのようなものであり、事実、体験として味わわれるものです。

とは言いつつ、ともすると、それを見失ってしまうのが私の実際です。が、たとえ時に見失うにしても、このことは疑ってはならない。私は宗教学者でも文学者でもなく、住職という「仏教者」である訳ですから、日々、仏教を「体現」している必要があるでしょう。それはけっして、身の程をわきまえずに「聖職者」ぶった振る舞いをするということではなく、迷いの姿をそのままに、常に仏教に照らしていくという意味でです。

自分に対する言い聞かせとして、やはりこのことは疑ってはならない。

では、その上で、私が意識する限りでの、「私以外の人」にとっての宗教とは何か。

最近、ある方から、「仏教の枠組で他説を解釈し尽くす」ということのはらむ、ある種の「暴力性」を指摘されました。(それが、改めて「宗教」を問い直すよう迫られた直接のきっかけです。)何が問題とされているかは理解しているつもりですので、「う~ん」と考え込まずにいられません。が、同時に、「私にとっての」という側面だけからするならば、考え込んでもならないのです。

実は、上のような指摘をなさる方、仏教からすれば「外」にいらっしゃる方からすればいたって「たちが悪い」ことになるだろうなあとは思いつつも、このような二律背反の状況にあって、それほど深刻に「悩んで」いる訳ではないのです。いえ、実際に悩みますし、苦しみもするのですが、「それでよいのだ」、あるいは「知性にはどうしようもないのだ」ということも、体が納得しているのです。

体が納得している、というのは、言語-論理的には抜き差しならない状況を、論理的というのとは異なる次元(上か下かはまったく問題でありません)において、乗り越えた(あるいは、もう少し平たく、通り越した)という「体験」を、私が持っており、その点において今支えられているということです。

「体験」を持ち出した時点で、上ではまだ思考の問題として「仏教からすれば『外』にいらっしゃる方」と「差別」した方々を、まさに「体験を共有していない方々」として、明確に突き放す形になります。

それでよいのか。

私自身がまだ「思想」としてしか仏教に触れられずにいたときには、答えようのない問であったろうと思います。しかし今は、あえて、断言しましょう。「これでよい」のだと。ここでの「よい」は、「良い・善い・好い・佳い」いずれでもなく、ましてや「正しい」ではありません。「宜い」です。私には、そこで踏みとどまる以外にない。

結局、「一般の方にとって」の仏教(への私の関与)とは、仏教広まれかしと静かに念ずることなのではなかろうか。たどり着いた答というには程遠いのですが、当座のしのぎとして、そう思います。

ある意味、「浄土真宗はすばらしい教えなのだ、皆帰信せよ」と声を挙げる方が、楽かなと思うこともあります。しかし、おそらく、浄土真宗の「すばらしさ」の主張と、たとえばオウム真理教の「すばらしさ」の主張とは、あるいは極端な話「宗教を離れて生きることのすばらしさ」の主張さえも、言論としては同等でしょう。

組内のお若いご住職が、ご門徒の方へのご法話に、「宗教とはあなたの生活のことなのですよ」とお話になっていることを伺いました。なるほどなあと、味わわさせていただいています。

合掌。

文頭


時空 (10月20日)

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時間、空間とはいったい何なのだろう。今、ご法義(真宗教義の味わい)とのからみで、そんなことを考えています。

思えば、どらえもんの 4次元ポケットはじめ、「4次元」 何とかというのがはやり始めたのが私の子供の頃でした。高校のときの英語の教科書に、「空間が縮む」 話が出ていたのも記憶しています。

これはアインシュタインの相対性理論の話です。相対性理論では、ふつうの意味での空間を表す 3つの軸 (x軸、y軸、z軸)に、4番目の座標軸として「時間軸」を入れ、これで4次元になるのです。

多少正確なことを言っておくと、相対性理論そのものは最初から上のような「4次元空間」で考えられていたわけではなく、このような「幾何学的解釈」を与えたのはミンコフスキーという数学者です。また、そもそもアインシュタインはどうしてこのようなことを考えたのかと言えば、「すべての物理現象を支配する法則は、座標系のとりかたにはよらず、同じ形になる」 という信念を守り通すためです。

相対性理論の登場によって、それまで全く異質なものととらえられていた「時間」と「空間」が、一種同列に考えられるようになりました。アインシュタインの立場から言えば、時間と空間とを切り離して考えていては、「すべてにわたって同一」であるものは記述できないということです。(なおミンコフスキーの「4次元空間」では、空間と合わせるため、時間軸の目盛りは時間 t に光速度 c を掛けた ct で与えられています。速さ×時間=距離、です。)

そうなると、ちょっと好奇心旺盛な者ならば誰でも、空間内は(上下には技術的な制限があるものの)自由に行き来できるのに、どうして時間は決った向き(過去→未来の向き)にのみ流れ、逆行できないのかといったことにひっかかります。

科学的には、ここで熱力学の第2法則(あるいはエントロピー増大の原理)が持ち出されます。「(孤立した系では)無秩序さ(乱雑さ)はけっして減少することはない」 という内容で、この時点で永久機関が作れないことも、(少し飛躍はあるのですが)タイムマシンが不可能なことも、はっきりするということになっています。

しかしよく考えてみると、熱力学の第2法則で時間の流れの向きを説明するのは、まともな話になっていないところがあります。「エントロピー」とはエネルギー energy に変化の意のギリシア語 trope を加えてクラウジウスが造った語なのですが、エネルギーについては 「閉じた系ではエネルギーの総量は変化しない」 というエネルギー保存則もあります。エントロピー増大の原理とは、結局、エネルギーの総量は変らないから、「不可逆な変化(もとに戻せない変化)では、『エネルギーの変化』 が増えている」 と言っているのです。「時間がたつと変化が増える」 というのでは、なぜ時間がたつのかという問に対する答にはならないでしょう。

宗教と自然科学の決定的な違い(優劣ではありません)は、「この私」が込みになっているかどうかです。

「この私」を中心に据えてしまえば、自然科学ではなくなりますが、時間・空間はもっと素朴にうなずけるものになります。時間とは変化であり、空間とは移動です。そして、「今」「ここ」 という意識には 「同定」 という判断がからみ、結局 「今」 も 「ここ」 も、ナイーブな変化や移動とは別の、「言語-論理的な世界」 にある。「今」「ここ」 に拘泥せずに変化・移動に身をまかせるならば、時間・空間の味わいはがらりと変ります。

そもそもこのようなことを考え始めたきっかけは、浄土真宗教学における 「一念」 をどう味わうかということでした。無量寿経の中に、本願成就文と呼ばれる

聞其名号、信心歓喜乃至一念……即時往生、住不退転

(その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。……すなはち往生を得、不退転に住せん)

という一節があり、この一念をめぐっていろんな議論があるのです。親鸞聖人のお言葉では、

一念とはこれ信楽(しんぎょう)開発(かいほつ)時剋(じこく)極促(ごくそく)を顕し、広大難思の慶心(きょうしん)を彰すなり

とあります。

一念を、自然科学的にではないにせよ、言語的にとらえてしまうと微妙なところで足をすくわれかねません。しかし、問題になっているのは、私自身の「変化」なのです。ご本願が届いたとき、私のあずかっているいのちの質が変る。私はそれを眺めているわけではなく、まさに「私において」変るのですから、それは「慶び」でしかないでしょう。

自然科学でのイメージも借りて、私には時間=変化は、エネルギーの「質」が変り続けていくことと感じられます。わたしにおけるそれは、業の営みであり、煩悩が燃え盛る姿に他なりません。しかし、私の変化は、同時に如来の変容でもあります。信の一念における慶びすらも――実は私のものではなかった。

「他力」 とは、何とも大変な教えです。

合掌。

文頭


とき (10月24日)

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いまわたしが生きている 「とき」 は、相対的に眺めるとすればどんな風情なのだろう。

何を言おうとしているのか、いささかわかりにくいかもしれません。いくつかの背景があってのことなので、まずそれから説明します。

直接には、上で 「時空」 について述べ、物理的な (「私」抜きの) 時間と、私自身の変化そのものとを意識し分けたことがあります。後者を、ここでは仮に 「とき」 と呼んでおきます。(最初は 「体感的時間」 としたのですが、硬すぎて合いません。「歴史」 では別のものが表に出てしまいます。「生活」 では奥行きが足らない。しばらく考えた上で、次善の策として 「とき」 に落ち着きました。) 逆に言えば、ビッグ・バンであるとか光速に近い速さで運動しているものとか熱運動だとかを、久しぶりにきちんと考えました。

「時空」 を書こうという気になったきっかけは、「信一念」 の解釈です。要は 「ご信心いただいたそのときに、必ず往生できることが定まり、報恩の生活が始まる」 といった内容なのですが、教義の味わいとは離れた部分――前回表現したものの裏側――で、このような教義の展開には、日本人ならではのせっかちさが関係しているのかもしれないなと、どこかで感じていました。インド的に、無窮の輪廻に身をまかせるといった生き方も面白いのかもしれない。

さらに、ごく最近まったく別の流れから、柔らかく研ぎ澄まされた、とでも言えそうなソフィスティケートされた (都会的に洗練された) ものの見方に少し足を踏み入れ、これまでにない時間感覚を味わった (味わっている) ということがからみます。現在、「面発光素子」 なるものが開発されています。実用化にはもう少し時間がかかりそうですが、薄い、下敷きのようなシートが、光るのです。そんな、奥行きを極限までそぎ落とした、「今」 だけが宙に浮いて影なく輝いているような時間感覚なのです。

そして、それらすべての前景(それとも背景?)に、現実の「田舎」生活――霧が出、寒くなり (今朝は初霜が降りました)、もはや枯れかけた草を引き……という生活――があります。

こりゃ、少し整理しないことには、全部を真面目に生きていてはまともな者なら発狂するぞ。大雑把に言えば、そういうことです。

私は、考えが混乱してきたとき、時々石器時代人に会いに行きます。(もちろん想像で、です。何かの譬喩というわけではありません。)彼に伝わる話であれば、私自身真に受け続ける。どうも彼には伝わらないなと感じたら、現代という時代に依存した一過性のことなのだろうと納得して、私自身少し距離をとる。そんな感じで、しばらく話して帰ると、割と楽に、自分にとっての 「当たり前」 に復帰できます。

(釈尊にもお会いしに行ったことが、これまで二度あります。一度目は、遠くからお姿を拝見しただけで怖気づいてしまって逃げて帰りました。二度目は、おそばまでは行ったのですが、静かに見つめられると何も言えませんでした。思えば、二度とも、心細くてというのではなく、「すごいことを考えた!」 と思い上がったときだったからでしょう。)

今は、石器時代人と会いたいという風に感じません。どうしてだろうと考えてみてはじめて気がついたのですが、ある種、インターネット――こうやって自分の考えをネットに公開していること――自体が、石器時代人との対面と似た効果を私自身に与えているようです。

(インターネットが石器時代人に 「代わる」 ことは、自然な展開なのか、思考がひ弱くなってきたことの反映なのか。それまで考えるとさすがに手に余りますので、今はやり過ごすことにします。)

ここまで書いてきて――石器時代人に「代わる」インターネット様と対話してきて――、まだ大丈夫だなという気がしてきました。何が見えてくるかはとりあえず気にせず、もう少しふんばり続けてみましょう。

今回のテーマについて言えば、私はこのような 「とき」 においてわたしの生を引き受けている、ということです。「このような」 がどう形容できるかについては、結論を出すにはまだ早いと、先送りしたわけです。

最後、「仏法」 に帰ってくる部分 (専門的には 「合法(がっぽう)」 と言います) は、最初から無視するつもりでいました。そんな次第で、今回は尻切れトンボですが悪しからず。

文頭


笑い (10月28日)

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ここ2週間ばかり、ほがらかに笑うのを忘れていたようです。

この三月までは、「住職」という、気持ちの上で自分の基盤である役回りと、実際に収入を得て生活を支える活動とが別でした。いわゆる二足の草鞋(わらじ)をはいていたのです。

それが何ともどっちつかずで、ついに思い立って「住職」一本に絞り、やっと背中がまっすぐになったような気持ちになっているのですが、正直、今後の生活に対する心細さもあって、手放してきたもの――「収入」だけでなく、おそらく「収入」によってリアリティを付与されていた「社会的評価」のようなもの――に対する未練も、ないといったら嘘になります。

言い換えると、「寺」の収入だけでは生活していけない小寺の「住職」というのは、かなり危うい地位だということです。

おそらくそのような心理的プレッシャーから、少なくとも自分を支えるに足る「住職像」を、自分に対して作り上げることを急いでいたのだろうと思います。

ところがここで最初の壁があった。根拠なく「素朴」に思い描いていた住職像に対して、私の浄土真宗の「教学」に対する素養が、覚悟していた以上に不足していたのです。

私は本来「真宗学」の専攻ではなく、「インド哲学」という、よく言えばより視野の広い、悪く言えばつぶしの利きにくい入り口から入っていますので、基本的な仏教に対する「常識」はあると思うものの、いざ真宗教学の細かい襞(ひだ)に分け入ってみると、むしろずぶの素人の方が楽ではなかろうかという位、専門用語はわからず変な「常識」が邪魔をしで、苦労しています。

とにかく、せめて僧侶だけの勉強会で話のつながりがわかるくらいの基本素養は身に着けたいと思っているものの、数百年の積み重ねを持ち、その上今現に蓄積されつつある世界が相手ですから、スタートが遅い分、もし本気で追いつこうと思うならば、それ一本に集中するくらいの覚悟がいる。また、そうする意義のある豊かな世界であることも事実です。

しかし、自分の内に、自分の持ち味を本当に出せるのはもう少し違う局面ではなかろうか、という気持ちが否定できません。もっと「目の前の現代」を見たい、そこに語り掛けたい、という思いが募るのです。

一言で「目の前の現代」といっても、実際にはいろんな側面があります。何より、科学技術が飛躍的に発展し、それを内に「含む」人知のありようが大きく様変わりしていることは看過できないでしょう。個人的には、そこに非常に興味があるのです。しかし、興味のある分野については、「一般向け」の本で理解できる範囲はほぼ押さえたという段階で、もう一歩踏み込もうと思うと、数学が避けて通れません。ポツポツやってはいるのですが、これがまた、ポツポツで見通しのつくような世界ではない……。

「目の前の現代」のもう一つの側面として(決して、上と二つだけで現代を総括しようとしているわけではありません。自分の目に入る範囲で、ないし自分として関わりを持ちたいと思う範囲で、という枠内での話です)、「柔らかい」という形容がなじむような面があります。

実は、私の地金としては、この「柔らかい」というのは苦手なのです。ちょっと気を抜くと、「柔らかい」が「弱い」に見えてしまう。何を見損ねているのかずっと引っかかっていたのですが、それに対するヒントのようなものにやっと出会えました。基本的には喜んでいるものの、このヒントを本気で内面化しようとすると、これまで組み立ててきた自分を一度解体してみる必要が出てきます。これまた、片手間にという訳にいかない……。

そんなこんなで、破綻一歩手前でした。

昨夜大切な友人からメールが届き、「笑う」ことを思い出させてくれました。

参考:Planet Without Laughter (英文、やや長文)

本サイトの別ページでアップロードしている『大笑小笑』の、「例言」をあらためて読み直しました。

何も、自分ひとりで立ち上がろうとしなくてもよかったのですね。こうやってあがいている姿がこのまま、私の持ち味なのでした。別にそれを、私自身が肯定する必要も否定する必要もなかった。

別のご縁から、ちょうど「茶室」を開いたところでもあります。ごいっしょに、迷い続けていきたいことです。

合掌。

文頭