(6)

そもそも此吉崎の一宇にして彼岸会と申す事は、 春秋の両時において天正時正と申して、 昼夜の長短なくして、 暑からず寒からず、 其日いでゝ正等にして直に西に没し、 人民の往還たやすく、 仏法修行のよきおりなるによりて、 其かみ仏在世より末代の今にいたりてこれをおこのふ也。 此時は人の ろゆたかなるによりて、 信行増上し易し。 されば冬は秋の余り、 夏は春のすへなれば、 夏冬は艱苦にして信心修行もをろそかになりやすきに、 この両時の初めこそ信行相続して、 未安心の人は宿善の花も開け、 信心開発の人は仏果円満のさとりをもうるにより、 都て仏法信仰の人は参詣の手足を運び、 法会に出座するものなり。 しかれば彼岸会といへることは0518、 七日の内中日は日輪西方にかたぶき、 かの浄土の東門に入りたまふ。 此ゆへに、 无為涅槃の極楽を彼岸とはいへり。 今娑婆をがんといひて、 生死海有為の迷のきしなるにより、 仏願正智の弘誓の舟に乗じ、 さとりのかのきしにいたりうるの念仏なれば、 ¬経¼ (大経巻上) には 「一切善本皆度彼岸」 と説し、 又は 「究竟一乗至于彼岸」 (大経巻下) とものたまへり。 故に当流祖師聖人の御法流には、 まづ平生業成の御勧化、 入正定聚の益あれば、 あながちにこの両時にはかぎらず、 つねに仏恩を信知するといへども、 未安心の人はたゞ名聞人目ばかりの ろにして、 宝座にのぞみたまはゞ、 信心も等閑なるべし、 法理も白地にならずして、 たとへば珠を淵になぐるが如く、 又はうべきの根なきに似たり。 これねがはくは、 皆々名聞人目の心をすてゝ、 信心報謝の念をはこぶべきなり。 その肝要と申すは、 弥陀如来をたのみ今度の我等が一大事の後生たすけたまへと一筋に信じ、 雑行雑修をはなれたる一向専念の人は、 十人も百人ものこらず極楽に往生すべきことをたふとみ、 その嬉さにはねてもさめても南無阿弥陀仏を申して、 足手をはこび、 信心相続あらば、 ひとへに信行両益の人と云べし。 これすなはち十即十生百即百生の人数たるべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

 は於↢吉 に↡一 を令↢建立↡執↢ する彼岸会↡者也。
分明五年八月十三日

蓮如五十九歳判