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そもそもさんぬる文明ぶんめい第三だいさむちうのころより、 すでに江州がうしう志賀しがこほりおほ近松ちかまつみなみ別所べちしよをいでしよりこのかた、 なにとなくこの当山たうざむ居住きよぢゆせしむるこんぐゑんは、 もはらぶち0337ぽふこうぎやうのためにして、 報恩ほうおん謝徳しやとくのこゝろざしをほんとせり。 ことにはまたしんだい道俗だうぞく男女なむによをこしらへて、 あまねくほんぐわんりき安心あんじむををしへて、 真実しんじちほうわうじやうをとげさしめんとほちするところに、 このねんのあひだは、 当国たうごく乱世らんせいのあつかひといひ、 つぎにはしう一国ゐちこく武士ぶしにをいて、 やゝもすれば雑説ざふせち当山たうざむにまふしかくるあひだ、 朝夕てうせきはその沙汰さたのみにて、 この五ヶごかねんをばすごしおはりぬ。 しかるあひだこの当山たうざむかいびやくらいは、 たゞしやうだいのためにして念仏ねむぶちしゆぎやうせしむるところに、 なにのとがによりてか、 しう一国ゐちこく武士ぶし无理むり当山たうざむ発向はちかうすべきよしの沙汰さたにをよばんや。 それさらにいはれなきあひだ、 多屋たやしゆ一同ゐちどうにあひさゝへべきよしの結構けちこうのみにて、 このさむ四ヶしかねんじちぐゑちををくりしばかりなり。 これさらに仏法ぶちぽふほんにあらず。 これによりて当山たうざむ退屈たいくつのおもひにちにすゝむ。 所詮しよせんこん已後いごにをいては、 こゝろしづかに念仏ねむぶちしゆぎやうせんとほちする心中しむちうばかりなり。 このゆへにもんちう面々めんめんにをいてとを篇目へんもくをさだむ。 かたく末代まちだいにをよぶまでこのむねをまもりて、 もはら念仏ねむぶち勤修ごんしゆすべきものなり。

ひとつ 諸神しよじん諸仏しよぶちさちとうをかろしむべからざるよしのこと
ひとつ ほかには王法わうぼふをもはらにし、 うちには仏法ぶちぽふほんとすべきあひだのこと
ひとつ くににありては、 しゆとうほうにをいてさらに如在じよさいあるべからざるよしのこと
ひとつ 当流たうりう安心あんじむのをもむきをくはしくぞんせしめて、 すみやかにこむほうわうじやうぢやうすべきこと
ひとつ0338 信心しんじむ決定くゑちぢやうのうへにはつねに仏恩ぶちをん報尽ほうじんのために称名しようみやう念仏ねむぶちすべきこと
ひとつ りき信心しんじむぎやくとくせしめたらんともがらは、 かならずひとくわんくゑせしめんおもひをなすべきよしのこと
ひとつ ばうぶんたらんひとは、 かならずしむ安心あんじむ決定くゑちぢやうして、 またもんをもあまねく信心しんじむのとをりをねんごろにくわんくゑすべきこと
ひとつ 当流たうりうのうちにをいて沙汰さたせざるところのわたくしのみやうもくをつかひて法流ほふりうをみだすあひだのこと
ひとつ 仏法ぶちぽふについて、 たとひしやうたりといふとも、 しげからんことにをいてはかたくちやうすべきこと
ひとつ 当宗たうしゆのすがたをもてわざとにんたいしこれをみせしめて、 一宗ゐちしゆのたゝずまゐをあさまになせること

みぎこのじふでう篇目へんもくをもて、 こん已後いごにをいては、 かたくこのむねをまもるべきなり。 まづ当流たうりう肝要かんえうはたゞりき安心あんじむゐちをもて、 しむ決定くゑちぢやうせしめ、 またもんのかたをもよくよくくわんくゑすべし。 つぎには王法わうぽふをさきとし、 仏法ぶちぽふをばおもてにはかくすべし。 またけんじんをむねとし、 諸宗しよしゆをかろしむることなかれ。 つぎに神明しんめいりやくにすべからず。 またいみじやうといふことは仏法ぶちぽふについての内心ないしむなり、 さらにもてばうたいにんたいして、 外相ぐゑさうにそのをふるまふべからず。 これすなはち当宗たうしゆにさだむるところのおきてこれなり。 しかればりきしんをば一念ゐちねむほんぐわんのことはりをちやうもんするところにて、 すみやかにわうじやう決定くゑちぢやうとおもひさだめて、 そのときみやうじゆせば、 そのまゝほうわうじやうすべし。 もしいのちのぶれば、 ねん仏恩ぶちをん報尽ほうじんねむ称名しようみやうとなるところなりとこゝろうべきものなり。 所↠定さだむるところ如↠件くだんのごとし

*文明七年五月七日