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伝へ聞く、 人の名の字は主によるといへる事のありぬらん。 夫慶恩坊とかきては、 恩を悦ぶとよめる歟。 しかれば此恩といふは、 抑なにの恩やらん。 凡そ勘へみるに、 此仁は本は聖道門の人なれども、 近比はたゞ弓箭にのみたづさはりて、 更に其聖道をおいて仏法修行の心はあさかりき。 依之不思議の宿縁のもよほしによりけるか、 当山に来至せしむる間、 何となく一流安心のおもむき耳にとゞむる。 其恩を悦ともいひつべき歟。 又京都は本来本所たるがゆへに、 こゝにてうる所の信心は、 みなもと京都聖人の御恩なるがゆへに、 とをく京都の御恩を悦ぶ道理にもかなふべき歟。 何様にも両様0511につけて可然勘へなれば、 旁以殊勝の坊号たるものなり。

  法名
      釈蓮慶
   慶恩坊
     実名
      光善

文明四年極月二十八日

釈蓮如(花押)