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抑此両三ヶ年の間に於て、 或は官方或は禅律の聖道等にいたるまで、 申沙汰する次第は何事ぞといへば、 所詮越前国加賀ざかい長江瀬越の近所に細呂宣郷の内吉崎とやらんいひて、 ひとつのそびへたる山あり。 その頂上を引くづして屋敷となして、 一閣を建立すときこへしが、 幾程なくして、 打つゞき加賀・越中・越前の三ヶ国の内の、 かの門徒の面々よりあひて、 多屋と号して、 いらかをならべて家をつくりしほどに、 今ははや一、 二百間の棟かずもありぬらんとぞおぼへり。 或は馬場大路をとほして、 南大門・北大門とて南北の其名あり。 されば此両三ヶ国の内に於て、 おそらくはかゝる要害もよくおもしろき在所、 よもあらじとぞおぼへはんべり。 さるほどに此山中に経廻の道俗男女、 その数幾千万といふ事なし。 然者これ偏に末代今の時の罪ふかき老少男女にをひて、 すゝめきかしむるをもむきは、 なにのわづらひもなくたゞ一心一向に弥陀如来をひしとたのみたてまつりて、 念仏申すべしとすゝめしむるばかりなり。 これさらに諸人の我慢偏執をなすべきやうなし。 あらあら殊勝の本願や。 まことにいまの時の機にかなひたる弥陀の願力なれば、 いよいよたふとむべし、 信ずべし。 あなかしこ、 あなかしこ。

文明五年八月二日