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抑当所富田庄内の男女老少ともに安心のおもむきをこゝろうべきやうは、 まづ一切の諸仏も一切の諸神もみなともに、 衆生の地獄にをつることをなげきかなしみたまひて、 もろもろの仏たち御身を変じて三熱の苦をうけて神とあらはれましまして、 衆生に縁をむすびて、 なにとしても仏道にひきいれしめんとおぼしめして、 一切の神とはあらはれたまふものなり。 このいはれをつねに 「和光同塵は結縁のはじめ、 八相成道は利物のおはり」 (止観巻六下意) といへるはこのこゝろなり。 それ 「和光同塵」 といふは、 一切の諸仏の神とあらはれて衆生に縁をむすびて、 このちからをもて結縁のはじめとしたまふこゝろなり。 「八相成道は利物のおはり」 といふは、 つゐにこれを結縁のはじめとして仏道にひきいれんとしたまふこゝろなり。 これもいまたゞちに仏になることにてはなきなり。 ひさしき縁となるなり。 かやうに神につかへてながく輪廻せんよりは、 いま弥陀如来を一心にたのみまひらせて後生たすけたまへとまふさん衆生をば、 みなことごとくたすけたまふべし。 これほどにやすくたすけまします弥陀の本願をしらずして、 むなしく死せんことは愚痴のいたり、 あさましきことにはあらずや。 このむねをよくよくこゝろえて、 ふかく弥陀をたのみて浄土に往生すべきものなり。