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吉藤専光寺門徒中面々安心之次第大略推量せしむるに、 念仏だに申て毎月道場寄合にをいて懈怠なくは、 往生すべきなんどばかり存知候歟。 但それは今少不足に覚へ候。 抑当流聖人之さだめをかるゝところの一義はいかんといふに、 十悪・五逆罪人、 五障・三従の女人たらん身は、 たゞなにのわづらひもなく一心一向に弥陀如来を余念もなくふかくたのみたてまつりて、 後生たすけたまへと申さん輩は、 十人は十人ながら百人は百人ながら、 ことごとくみな報土に往生すべきこと、 さらさらうたがひあるべからざるものなり。 これすなはち他力真実の安心決定の行者といゝつべし。 かくのごとくこゝろえたる人をなづけて、 一念発起平生業成の当流念仏の行人と号するものなり。 この外にはことなる0504信心とても別の義ゆめゆめあるべからずとよくよくこゝろうべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。