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凡当流之義、 浄土一家之義には大に相違すべき也。 当時はみな他流の義をもて親鸞聖人一流と号すと 云々。 以外の次第也。

先親鸞上人一流意は一念発起平生業成と立てゝ、 臨終を期せず来迎をたのまざるなり。 されば来迎方便、 得生真実と沙汰する也。 仍一念帰命の信心決定して後の称名をば、 自身の往生を猶いのる心あらば、 それは自力なり。 ひたすら往生は一念に決定と心得て、 仏恩報謝の称名とおもふべきなり。 これすなはち当流の信心獲得の行者と云也。 この上には来迎と云事も臨終と云事も更にあるまじきものなり。

一 宿善によりて本願をば信ずる也。 宿善なくは無上の本願も徒事なるべき也。