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煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば
すなはち穢身すてはてゝ 法性常楽証せしむ

この ¬和讃¼ (高僧和讃) のこゝろは、 たとへばいかなる悪業煩悩をもき身なりとも、 阿弥陀如来をひとすぢにたのみたてまつりて後生御たすけたまへとまうさん衆生をば、 すなはち有漏の穢身をすてはてゝ弥陀の報土にまいりて、 仏身仏果をえしめて法性常楽といへるくらゐにいたるべきものなりとしるべし。 あなかしこ、 あなかしこ。