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当流の安心とまふすは、 一向に阿弥陀如来をたのみまひらせて、 ふたごゝろなきを本願を信ずる人とはまふすなり。 かやうにこゝろえさふらふ人は、 かならず十は十ながら百は百ながら極楽に往生し、 仏になりさふらふべきなり。 このうへにはたとひ念仏をまふすとも、 わが往生のためとはおもふべからずさふらふなり。 されば弥陀如来のかたじけなくもかゝる悪人・女人をたやすくたすけまします弥陀の御恩を報じたてまつる念仏なりとこゝろえたまふべきなり。 このごとくにこゝろをもちさふらはぬ人をば、 千がなかにも万がなかにも、 ひとりも極楽に往生せずとときをきたまひさふらふなり。 このこゝろをよくしらせたまひさふらふ人をば、 信心決定したるひとぞとまふしさふらふなり。 あなかしこ、 あなかしこ。