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まづ当流の御勧化のおもむきは、 信心をもて本とせられさふらふ。 そのゆへはもろもろの雑行をすてゝ、 一心に弥陀の本願はかゝるあさましきわれらをたすけまします不思議の願なりと、 一向にふたごゝろなきかたを、 信心えたる行者とはまふすなり。 ささふらふときはあながちに行住座臥の称名も自身往生の業とはおもふまじきことにてさふらふ。 たゞ弥陀如来の御たすけさふらふ御恩を報じまふす念仏なりとこゝろうべきにてさふらふ。 あなかしこ、 あなかしこ。