(17)

静に惟ば、 人の性は名によるとまふしはんべるも、 まことにさぞとおもひしられたり。 しかれば今度往生せ0248し盲者の名を見玉といへるは、 玉をみるとよむなり。 さればいかなる玉ぞといへば、 真如法性の妙理、 如意宝珠をみるといへるこゝろなり。 これによりてかの比丘尼見玉房は、 もとは禅宗の渇食なりしが、 なかごろは浄華院の門徒となるといへども、 不思議の宿縁にひかれて、 当流の信心のこゝろをえたり。 そのいはれは、 去ぬる文明第二 十二月五日に伯母おばにてありしもの死去せしを、 ふかくなげきおもふところに、 うちつゞき、 またあくるおなじき文明第三 二月六日にあねにてありしものおなじく臨終す。 ひとかたならぬなげきによりて、 その身もやまひつきてやすからぬ体なり。 つゐにそのなげきのつもりにや、 やまひとなりけるが、 それよりして例の気なをりえずして、 当年五月十日より病の牀にふして、 首尾九十四にあたりて往生す。 されば病中のあひだにをいてまふすことは、 年来浄華院流の安心のかたをふりすてゝ、 当流の安心決定せしむるよしをまふしいだしてよろこぶことかぎりなし。 ことに臨終より一日ばかりさきには、 なをなを安心決定せしむねをまふし、 また看病人の数日のほねをりなんどをねんごろにまふし、 そのほか平生におもひしことどもをことごとくまふしいだして、 つゐに*八月十四日の辰のをはりに、 頭北面西にふして往生をとげにけり。 されば看病人もまたたれやのひとまでも、 さりともおもひしいろのみえつるに、 かぎりあるいのちなれば、 ちからなくて无常の風にさそはれて、 加様にむなしくなりぬれば、 いまさらのやうにおもひて、 いかなるひとまでも感涙をもよほさぬひとなかりけり。 まことにもてこの盲者は宿善開発の機ともいひつべし。 かゝる不思議の弥陀如来の願力の強縁にあひたてまつりしゆへにや、 この北国地にくだりて往生をとげしいはれによりて、 数万人のとぶらひをえたるは、 たゞごとともおぼへはんべらざりしことなり。 そ0249れについて、 こゝにあるひとの不思議の夢想を八月十五日の荼毘の夜あかつきがたに感ぜしことあり。 そのゆめにいはく、 所詮葬送の庭にをいてむなしきけぶりとなりし白骨のなかより三本の青蓮華出生す。 その花のなかより一寸ばかりのこがねほとけひかりをはなちていづとみる。 さていくほどもなくして蝶となりてうせにけるとみるほどに、 やがて夢さめおはりぬ。 これすなはち見玉といへる名の真如法性の玉をあらはせるすがたなり。 蝶となりてうせぬとみゆるは、 そのたましゐ蝶となりて、 法性のそら極楽世界涅槃のみやこへまひりぬるといへるこゝろなりと、 不審もなくしられたり。 これによりてこの当山に葬所をかの盲者往生せしによりてひらけしことも不思議なり。 ことに荼毘のまへには雨ふりつれども、 そのときはそらはれて月もさやけくして、 紫雲たなびき月輪にうつりて五色なりと、 ひとあまねくこれをみる。 まことにこの亡者にをいて往生極楽をとげし一定の瑞相をひとにしらしむるかとおぼへはんべるものなり。 しかればこの比丘尼見玉、 このたびの往生をもてみなみなまことに善知識とおもひて、 一切の男女にいたるまで一念帰命の信心を決定して、 仏恩報尽のためには念仏まふしたまはゞ、 かならずしも一仏浄土の来縁となるべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

*文明五 八月廿二日書之