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▼そもそもこの在所ざいしよ大坂おほざかにをひていかなる往わう昔じやくの宿縁しふえんありてか、 すでにさりぬる*明応めいおう第だい五ごの秋あきのころよりかりそめながらかたのごとく一ゐち宇うの坊舎ばうしやを建立こむりふせしめ、 また当年たうねん*明応めいおう六年ろくねんの仲冬ちうとう下げ旬じゆんのふゆにいたり、 かつがつ周しう備び満足まんぞくのていたらく、 まことに法力ほふりきのいたり歟か、 ま0451た念仏ねむぶち得とく堅けん固ごのいはれか、 これしかしながら聖しやう人にんの御ご用ゆうにあらずや。

-これによりて門もん徒とのともがら一同ゐちどうに普ふ請しん造作ざうさくにこゝろをつくして粉骨ふのちをいたさしむる条でう、 真実しんじち真実しんじち、 往わう生じやう浄じやう土どののぞみこれあるかのいはれ歟か、 殊しゆ勝しようにおぼえはんべりぬ。

-しかれば当年たうねん聖しやう人にんの報恩ほうおん講中かうちうより来集らいじふの門もん徒とのひと、 一向ゐちかうに往わう生じやう極楽ごくらくの他た力りき信心しんじむを決定くゑちぢやうせしめて、 今こむ度どの一ゐち大だい事じの報ほう土ど往わう生じやうをとべしめたははゞ、 これしかしながら今こむ月ぐわち廿にじふ八日はちにちの聖しやう人にんの御ご本ほん源ぐゑんにあひかなふべきものをや。 信しんずべし、 よろこぶべし。

-それ当流たうりう聖しやう人にんの御ご勧くわん化くゑの安心あんじむといふは、 あながちに罪ざい障しやうの軽きやう重ぢうをいはず、 たゞ一念ゐちねむに弥陀みだ如来によらい後そ生しやうたすけたまへと帰くゐ命みやうせんともがらは、 一人ゐちにんとしても報ほう土ど往わう生じやうをとげずといふことあるべからずと、 をのをのこゝろうべし。 このほかにはさらに別べちの子し細さいあるべからずとおもふべきものなり。

-あなかしこ、 あなかしこ。

明応六年十一月廿五日