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御ふみくはしく見まひらせ候。 さては信心の事うけたまはり候。 十劫正覚の時往生さだまるといふ事はいはれぬ人のまふし事にて候。 されば日ごろのわろき心をばうちすてゝ、 これよりのちはたゞ一心に阿弥陀如来後生たすけたまへとふかくたのみ申さば、 いかなるつみふかき人なりとも、 かならず弥陀の御たすけにあづからん事、 さらにつゆほどもうたがふ心あるべからず。 そうして南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏とねてもさめても申す心は、 かやうにやすくたのむ人を御たすけある事のありがたさよと申す心にて候。 これすなはち当流聖人の信心決定の人とはおほせられたる事にて候。 このおもむきをよくよく心へわけられ候べき事肝要にて候。 あ0443なかしこ、 あなかしこ。

六月四日

蓮如

 とち川の尼公の御かたへ
なをなをこのおもむきを、 たれたれにも物がたり候べく候。